みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主によることだとは…

2013年09月03日 | 士師記
士師記14章


 日曜日夕方から月曜日にかけて、用事があり福島に行きました。桃畑はおおかたの桃が採られていましたが、代わりに林檎が色づき始めました。猛暑の日曜日でしたが、着いてみると涼しいのです。坂の途中にパン屋さんがありました。ここは、子どもの頃よくコッペパンを買ってもらったお店です。ありました! ピーナツクリームが塗ってあるコッペパン。忙中閑あり。

 他の士師たちとサムソンを比べて思うのは、サムソンは自分のやりたいことを辺り構わず行うことでペリシテ人の支配から自分たちの民を一時的に解放したということです。ギデオンは主からの召しの声を聞きました。エフタはアモン人と戦うとの自覚を持っていました。しかし、サムソンは思いのままにふるまうのですね。

 「あの女と結婚したい!」と思ったら、まるで幼子のように駄々をこねるように見えてしまうサムソンの振舞。しかし、そんな彼のわがままさの背後に、「主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられた」ということばが絡まってきます。だからといって、わがままを言ってもよい、何をしてもよいということではないのは自明です。
 
 そのときは「主によることだとは知らなかった」が、後になってわかる、ということは多くの人が体験すること。 
 だからこそ、「主によること」というものの見方を、いろいろな出来事の最中に持つことがでたら、と願います。
       


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