みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

どんな時にも神を呼ぶだろうか

2011年10月20日 | ヨブ記
ヨブ記27章


 ドイツへの旅。前半はフランクフルトにある日本人教会の修養会でのつとめがありましたが、後半は鉄道で旅をしています。
 ドイツが誇るICEに乗りましたが、意外に速度が出ません。日本の新幹線並に走るのは大都市と大都市を結ぶ一部区間のみのようですね。でも、山形新幹線や秋田新幹線のようにいわゆる在来線にもICEが乗り入れるというのが、ドイツのよさなのかもしれません。
 もう一つの発見は、列車がよく遅れること。特に大都市の中央駅はいわゆる「頭端駅」(日本で言えば上野駅の地上ホームのように線路が行き止まりになっている)であることが多いので、どうしても駅に近づくとのろのろ運転になり、遅れてしまうのです。そんな時日本では「本日は列車が遅れて申し訳ありません」と車掌さんのおわびのアナウンスがあるのですが、こちらではないようです。
 
 すみません。趣味の世界の話に入ってしまって…。

 ちょっと読むと、ヨブが神を敵に回して激しく攻撃しているように思えるのですが、「みことばの光」にあるように、そうではないのです。彼は、自分が今もなお「全能者のもとにある」と信仰を告白しているのです。そして、神を敬わない者の姿を8-10節で描いています。それはつまり、ヨブが自分はこのような生き方とは全く正反対であるとの信仰を言い表しているのです。

 「どんな時にも神を呼ぶだろうか」とのことばは、そのまま私たち信仰者は「どんな時にも神を呼ぶ」者だということなのです。このことばに心を留めました。

 修養会では「ピリピ人への手紙」をともに開きました。そしてそのテーマは「私にとって生きることはキリスト」でした。どんな時にも「私にとっては生きることはキリスト」と呼び求めるのが、信仰者なのですね。

 きょうは、T牧師宅に戻ります。




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