みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

いらだちから出る毒のあることば

2011年10月12日 | ヨブ記
ヨブ記20章


 昨日は一日旅をしていました。
 朝9時に成田を出て、ソウルを経由して夜の7時(日本時間では夜中の2時)にフランクフルトに着きました。何もしないで座っていながら次々に出てくる食事を摂るのですから、「太っちゃう」。でも、出されたものは食べる、という一日を過ごしてしまいました。
 今回の旅は、フランクフルトにある日本人のための教会でみことばをお伝えすることが目的です。この教会のT牧師は日本で長い間牧師をなさっていましたが、18年前にドイツでの働きを始めて今に至っているとお伺いしました。
 空港までお迎えに出てくださいました。ありがとうございます!
 
 さて、ヨブの友人のひとり、ツォファルのが二度目にヨブへの語りかけている、というよりも、ヨブを「悪者」だと厳しく責めているというのが、20章です。
 ツォファル自身が言っているのですから間違いのないことなのですが、彼はいらだっていたのです。ヨブから侮辱を受けたと悔しかったのです。
 自分のいらだちや悔しさをはらそうとすれば、どうしても厳しいことばになるはずです。

 「みことばの光」10月号に「ヨブと友人たち」という特集があります。ぜひお読みください。そこではツォファルを「自分の感情をむき出しにするタイプ」の人物だとの評価を紹介しています。20章を読むと、「なるほど」とうなずけます。
 ヨブを慰めに来たはずのツォファルは、いつの間にか「おまえのような『悪者』は神にさばかれて滅びてしまうのだ」と毒のあることばで責め立ているのですから、驚きです。

 しかし、人を理解しようとする努力をいい加減にして、自分の考えに相手を押し込めようというのであれば、程度の違いはあったとしても、だれでももツォファルの道を必ず通るだろうと思うのです。
 誰かによって悔しい思いをさせられたときに、どのようにしてその思いを正しく扱えばよいのでしょうか。


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