ぺぺはちょっと足が壊れてはいましたが
大切な“家族の一員”でした。
一連の大震災後の復旧がなかなか進まないこの時期に
敢えてこの話題を取り上げた理由は、ぺぺが亡くなって4ヶ月が過ぎてもなお
その悲しさや寂しさが癒えることなく、ほとんどそのままだからです。
震災後、放射線による汚染等が原因でやむなく
それまで大切に育ててきた肉牛を手放さなければならなくなった畜産農家の方々が
インタビューアーに向かって「牛も家族の一員でした」と口を揃えたように言うシーンを
何度となく見るにつけ、そのたびに“違和感”を感じてしまうのです。
一日でも永く一緒に過ごしたいから一分一秒でも永く生きて欲しかったぺぺと
お金に変えられて即座に命を奪われるために飼われている肉牛が
同じ「家族の一員」という言葉で語られることに…。
出荷するたびに、この悲しさや寂しさを味わうのであれば
私にはとても肉牛の畜産農家を営む自信がありません。
それとも、目の前で命を奪われるシーンを見なければ
それほど寂しくも悲しくもなく、もしくは手に入ったお金の喜びが相殺してくれる
または日常的なので“慣れて”しまうのでしょうか…。
所詮、“飼い主がどう思っていたか”に過ぎないのですから
畜産として実際に肉牛を飼ったことのない私には
「牛を家族の一員として育てていた」と言われれば
それを否定することなどできるはずもなく、しょうがないとしても
また一方、受けられた精神的、物理的被害は計り知れないとしても
少なくてもぺぺがいなくなった悲しさと寂しさと、こうして肉牛を失う感情とが
まったく同じとは思えませんし、思いたくもありません
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます