保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

夏と秋が“同居”の時節、畑が足りなくなりました。

2011年09月27日 | 自然農法による自給用野菜作り

夏に植えた丸ナスの収穫ができていますが
そろそろ終わりの長ナスも、ずいぶん成長が遅くなっているとはいえ
まだ懸命に実を付けているのでそのままにしてあります。

また、早生でない枝豆の本格的な収穫はまだこれからですし
ネギも1日1本は食べられないのですから
まだかなりの本数が畑に植わっています。



秋に植えたキャベツ、白菜、大根は
1株に1個ずつしか成りませんし
ブロッコリーも原則、1個なのですから
夏の収穫と秋の植え付けが重なるこの時期
新たに植え付ける場所がなくなってしまい
連休中の良い天気のなか、ひたすら畑を広げる”開墾”をしました。

思い返せば、まだぺぺが健在だった今年の3月の始めに
一面、枯れた雑草の荒地をシャベルで掘り起こし始めたのが
生まれて初めての野菜作りのスタートでした。


(3月始め)

その後、この付近では「ごたベト」と呼ばれる粘土の塊を
2カ月かかって1個ずつ手で砕いたうえで籾殻をすき込んで土作りをし
約3坪の畑にジャガイモ、ネギ、大根を植え付けたのが4月も終わりの頃でした。


(4月末)

今回、新たに開墾した部分を含めて縦7m×横7m
約15坪ほどの広さの畑に、半年かかって“発展”したことになります


(現在)

大根は芽さえ出ずに失敗しましたが
ジャガイモ、キュウリ、ナス、ミニトマト、早生種枝豆、ネギ、オクラが収穫でき
今は葉物野菜を中心に植え付け中です。

無農薬・有機栽培の1年目で土ができていないせいもあるのでしょうか
周囲の畑に比べて全てが小ぶりで収穫時期も短めですが
初心者でもなんとか、ここまでやればできるものですね

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「支払不能」の法律的解釈

2011年09月26日 | 世の中のあんなコト、こんな事

法律における明文上の「支払不能」の定義とは
“債務者が、支払能力を欠くために、その債務のうち弁済にあるものにつき
一般的かつ継続的に弁済することができない状態をいう”
とあります。

これはさらに次のように解釈されています。

 ・債務者…弁済をする義務のある人、つまり借金をした人

・「支払能力を欠く」…財産、信用、および労務の収入によるいずれをとっても
債務を支払う能力がないこと。
ただし、返済の見込みがたたない借入等を行うことによって
“表面的”に弁済能力があるように見えている場合であっても
“客観的”に弁済能力が欠けていれば、これに該当することになります。

・「その債務のうち弁済期にあるものにつき」・・・弁済期の到来している債務の
支払を問題とするものであって弁済期の到来していない債務を
将来、弁済できないことが確実に予測されても
弁済期の到来している債務を現在支払っている限りは
支払不能には該当しません。

・「一般的」…弁済ができない債務が債務の全部
または大部分
を占めていることを意味しており
一時に多数の債務が請求されて支払える状態や
一個の巨額の債務を請求されて支払える状態は該当しません。

・「継続的」…一時的な手元不如意(ふにょい:経済的に苦しいこと)により
弁済できない場合は支払不能から除外されます。

・「状態」…債務者、債権者が払えないと思うような主観ではなく
客観的な状態を意味しています。

 

単に“お金がなくて支払えない”時に使う「支払不能」も
いざ法律の場で取り上げられる時には、こんなにも面倒な話になるのです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このブログの「アクセスランキング」について

2011年09月23日 | 世の中のあんなコト、こんな事

gooブログには「アクセスランキング」というサービスがあり
皆さんがご覧になるページには載らないと思いますが
PV(ページビュー)=トータル閲覧数
IP(インターネットプロトコル)=訪問者数
の2つのデータが私に毎日報告されます。

例えば、Aさん、Bさん、Cさんの3人が私のブログを訪問なさったとすると
IP(訪問者数)=3となります。

そして、Aさん、Bさん、Cさんともに1ページだけ見て去られた場合
PV(トータル閲覧数)=3となり
Aさんは5ページ、Bさんは4ページ、Cさんは3ページの場合は
PV(トータル閲覧数)=12となる仕組みです。

ほぼ日常的に、IP(訪問者数)は200前後、PV(トータル閲覧数)は500~700ですから
訪問なさった方は大体2~3ページ見てくださる計算になります。

ところが、前回の「ナンバ歩き」の投稿におけるPV=1354のように
時としてPV(トータル閲覧数)が異常に跳ね上がり戸惑ってしまうことがあります

東北大震災の際の「生命保険の話」のように、時流に合った話題ですと
IP&PVともにスゴイ数字になることは経験しているのですが
今この時期に、江戸時代の人の歩き方に興味を抱いていただいて
他のページまでも見ていただけるワケはまったく分かりません

なにはともあれ、多くの方が訪問してくださることはとてもうれしいことで
これが大いに投稿のモチベーションになっています

 ちなみに、gooブロブ全134万中、1万位以内の時は
そのランキング、つまり順位も報告されてくるのですが
こちらはおおよそ毎日5000~7000位程度で推移しています。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸時代は日常的に“ナンバ歩き”だったという説

2011年09月21日 | 世の中のあんなコト、こんな事

現代人の歩き方を「行進歩き」または「軍隊歩き」と呼ぶのに対し
“右手と右足、左手と左足を同時に出す”
たとえば、竹馬に乗った時や相撲の擦り足の時の歩き方は「ナンバ歩き」と言われ
もともとは急な坂道(難場)を登る際に良いからこう名付けられたとされてます。

そして、江戸時代は着物なので、帯が緩み難いし前がはだけないとか
特に武士は日本刀が着物に絡むことがないためこの歩き方だったようで
実際にこの頃の絵画の人物は基本的に
右手と右足、左手と左足が同時に出ているように描かれていることが
この説の根拠になっているという話も聞いたことがありました。

(ただし、この手の学問の常で、異論はあるようです)

本などの絵は小さすぎてはっきりと確認できずにいたのですが
たまたま訪れた「北国街道の400年」なる特別展を開催していた市立博物館で
複製の大きな絵を目にし写真に撮ることができました。

 

間違いなくそうですね~。

ところが、実際にやってみると、これがなかなかうまく歩けないのですが
当時の人はこれで一日40㌔も歩いたそうですから要は慣れなのでしょう。

慣れと言えば、同じく展示されていた実在した古民家の室内の明るさ、否、暗さは
現代人がとても暮らせるものではありません。


(フラッシュなし撮影)

庶民にはとても高くて日常的には使われていなかったとされるロウソクでさえ
1本約5wで、この室内はこれでも100wのスポットライト3個で照らされているのです…。

以前に訪ねたことがある東京・深川の「江戸資料館」でも
同じ印象を持ったことを思い出しました。

人間がこの程度の明るさのなかでも
現代風のピカピカキラキラの何十倍もの時代の長さを
暮らせてきた事実をすでに忘れてしまっています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未だに中耳炎の症状が続いています…。

2011年09月18日 | 病気一般の話題

滲出性中耳炎の症状

中耳に浸出液がたまっている状態のため
ドライブして急速に高地に移動したときなどに感じる
耳が詰まったような違和感に似た症状が出現します。

大人の場合にはその他、自分の話す声が耳に響くように感じたり
あるいは耳の中で水の音がしたり、
洞窟内に入ったときのような反響音がしたり
軽度の難聴を感じたりする症状が継続的に現れます。

 原因

①急性中耳炎の治療が不完全で、中耳腔に水性~粘性の貯留液が残存する。

耳管が開いている上咽頭にあるリンパ組織(アデノイドや耳管扁桃)が大きく耳管を圧迫したり
アデノイドや扁桃の慢性炎症が耳管を介して中耳の炎症を反復して起こす。

③加齢により耳管機能が低下した人やもともと耳管の狭い人
また、カゼ気味のときに飛行機やダイビングなどで
急激な気圧の変化を受け中耳腔の空気圧の調節がうまく出来ない場合など。

 そして…

滲出性中耳炎は小児と老人によく見られます。

小児の場合、耳管が太く短く直線的なため、カゼなどの際、のど・鼻の炎症が中耳に侵入しやすいのと
アデノイドや扁桃腺が生理的に大きいため炎症を繰り返しやすく、耳管を圧迫しやすくなっているためです。

とくに幼稚園から小学校低学年の小児にかなり高率に認められますが
耳痛がないうえに、子供ですから難聴や耳閉感などの症状を訴えないため見逃されがちです。

テレビの音を大きくする、後ろから呼んでも返事をしないなどの様子に気付いたら要注意で
専門医の診察を受ける必要があります。

 一方、老人の場合は
年齢的に耳管の機能が低下して滲出性中耳炎を起こしやすいといわれています。

 つまり、耳管の機能低下や耳管の開閉をする筋肉も弱くなっているため
中耳の換気がうまくいかずに滲出液が溜まってしまうのです。

そして、高齢者(老人)の滲出性中耳炎で注意すべきは
これによる難聴だけでなく老人性難聴もあることが多いので
このふたつが併存するために、より耳の聞こえが悪くなっていることもある点です。

老人性難聴の治療は難しいですが、滲出性中耳炎による難聴は
治療により聴力回復が期待できますから、老人だからといって諦めず
きちんと難聴の検査を受けてほしいものです。

  

多分、原因と思われる久々に再発した「アレルギー性鼻炎」はようやく治まってきて
常時、食物の味が分かるようになり、鼻をかむ回数も一日数回程度になりました。

顎を大きく開けると、たまに「コキッ」と耳管から空気が通る感じがあり
これで医者が言うように、中耳炎のほうも徐々に回復に向かうはずです…。

 日常的な“軽度の難聴”はどうということはありませんが
物を食べている時にその音が響いてしまって外の音がほとんど伝わらないし
また、頭を傾げた時の「ガサッ、ゴソッ」の音は何とも不快です

痛みがまったくないことが救いですが、この歳から“老人性”でないことを願うばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の野菜畑の様子

2011年09月16日 | 自然農法による自給用野菜作り

キュウリは今成っている数本が最後の収穫になりそうです。

本数を数えていませんでしたが
ご近所からいただいたものも結構ありましたので
今までの人生のなかで一番キュウリを食べた夏になりました。

長ナスの成長が少し遅くなってきたのと入れ替わり
丸ナスがどんどん実を付けています。

ナスも今年はよく食べました



すでに大根は2度の間引きが終わりましたが
播いた数の8割程度の芽を「おひたし」にしてしまい
次回はもう少し効率を良くしなければ勿体ないですね

もっとも、“春播き”の時のように、1つも芽が出ないよりは
どんなにか嬉しいのですが…。

間引きのタイミングもちょっと早過ぎたかなぁ!?

3本のミニトマトのうち、1本の生育不良だった苗だけが
この暑さの中で必死に頑張っています。

久々にここまで赤くなりました。

孫が学校で育てていて移植したミニトマトもそうですが
赤くなるとすぐに、こうして青虫が首を突っ込んでしまうからです。

もうロクに手入れもせず、放ったままだからでしょう。

新たにキャベツの植付が終わっています。

ブロッコリー、白菜は順調ですし
3株なのに大嫌いなオクラは「もういらない!」と思うほど
ほとんど毎日2~3本ずつ収穫できています

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天然ガスは400年持つしクリーンだ」って…。

2011年09月15日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

僅かの説明だけですので、その根拠などはまったく分かりませんが
天然ガス発電所の建設構想を語る東京都の猪瀬副知事の口から出た言葉です。

今まで様々な資料を見てきましたが
天然ガスは約60年の可採年数のはずで、ちなみに石油は約50年ですが
それが突然、なんと400年に伸びてしまったのです

まさか試掘や実験段階のメタンハイドレートまで
含めているとは思えませんが…。

確かに、埋蔵量や可採年数には様々な意見が見られるのですが
このような大前提の数字がこれほど大きく変わるのであれば
これはもう「何でもアリ」になってしまいます。

「この発電所は5ヘクタールの敷地で済み、太陽光パネルでこの規模の発電をするには
東京23区の広さ(と聞いたような)にパネルを敷き詰めなければならず
非常に効率的と言える」のであれば、ましてや400年ももつのであれば
当面はなにも心配することはありませんね…

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本に住む外国人への「人道的配慮」の弊害?

2011年09月14日 | 世の中のあんなコト、こんな事

今の日本には、私の周辺を含めて
開発途上国からの外国人が家族をかまえてかなり多く暮らしています。

先進国からの外国人に対しては聞いたことがないのですが
開発途上国からの外国人が不法滞在などの罪を犯し強制送還になる際に
残される家族との関係を壊さないようにと、国が特別な“人道的配慮”により
個別に法律を緩和などする話題をニュースでたまに目にします。

逆に法律を曲げずに家族が離ればなれになったりすると
その程度はみんな人道的な対処でよいのでは、などと気の毒に思ったりしますが
こうした個人的とも言える話がなぜマスコミに取り上げられるのでしょうか。

なんとなくですがそのワケは、これは極めて特別な例外的な対処であって
決して誰にでも認められる話ではないとのメッセージを
“他の同胞”に伝える役目をマスコミが担っているためかもしれません。

もっとも、ニュースなどの難しい単語で伝えられても
現実の姿がどの程度思い描けるかは疑問であることは確かですが。

私が普段おつきあいする彼らの情報源は
ごく一部を除けば「読む」はかなり少数で、ほとんどは「聞く」ことに頼っていて
それも、同胞などがもたらす活きた情報
つまりは仲間が経験した現実の話が圧倒的に多いように見えます。

そんななかで、例えば人道的配慮により強制送還にならずに済んだとして
この話が仲間うちに伝わる場合、個々の事情や特別な配慮まで詳しく話されることなく
「帰国させられず大丈夫だったよ」という結果だけが伝わるとすれば
ちょっと頑張れば誰にでそうした配慮をしてくれるものだと誤解されることになるはずで
悪く言えば、甘く見られてしまうことになると思うのです。

一方で、単一民族とされる日本人は
以前から「外交下手」と言われるように、口に出して主張することが苦手な国民性があり
また、かつて侵略した歴史があるアジア人には別として
明治以降の欧米崇拝や大戦の敗戦からくるコンプレックスも側面にあったり
はたまた、何を考えているか分からないという漠然とした恐れを持っているのでしょうか
もちろん、言葉の壁もあるのでしょうが、世間が彼らと対等に渡り合っているとは思えない
つまり、不道理さえ押し切られてしまうフシも時として感じられてなりません。

こうした法律上の是非は絡まないけれど面倒な許可申請に関して
「家族が生活できなくなってしまうとゴネて許可になった仲間がいるから大丈夫」と
タカをくくっている話も最近、身近で耳にしました。

それでなくても、彼らは日常的に「大丈夫」という日本語をよく使いますが
こうしたことが原因で、日本の決まり事やルール、そして秩序が
甘く見られていなければよいがと内心、心配することさえあるこの頃です。

 



 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今日は中秋の名月、“6年ぶり”に満月が見られます」

2011年09月13日 | 世の中のあんなコト、こんな事

昨日のTVで「本日は中秋の名月。6年ぶりの満月が見られます」ですと!

気付かれた方、いました

「中秋の名月」と言えば
誰でも“満月”と思っているのに“6年ぶり”とはどういうこと?

確か今月の初めから、新聞に載っている月齢(正午現在)が
8,0とか13,0とか区切りのよい数字になっていたのは知っていましたが。

以下、その理由を調べた結果です。

 

毎年12ないしは13回の満月があるのに、なぜか昔から
八月十五日の月は「中秋の名月」と呼ばれ特別扱いされています。

一年には「春夏秋冬」の四季があります。

旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり、
「一・二・三月」は
「四・五・六月」は
「七・八・九月」は
「十・十一・十二月」は
と分けられます。

そして、それぞれの季節に属する月には「初・中・晩」の文字をつけて
季節をさらに細分するのに使いました。

たとえば、旧暦四月は「初夏」となりますし、八月は秋の真ん中で「中秋」となります。

そして、旧暦の暦月の日数は29日か30日のいずれかですから
15日は“暦月の真ん中の日”と考えることが出来ます。

旧暦の八月十五日という日は“秋の真ん中の月、かつ真ん中の日”
つまり、“秋全体の真ん中の日”なのです。

一方、旧暦は太陰暦の一種ですから、日付は月の満ち欠けの状態に対応します。

月の半ばである15日の夜の月は、必ず満月か満月に近い丸い月が見えることから
十五夜の月 = 満月 と考えられるようになりました。

中秋の日の夜に澄んだ秋空に昇るこの丸い月は
やがて「中秋の名月」と呼ばれるようになり、これを観賞する風習が生まれましたが
実際の月齢を調べてみると、満月ではなくそれに近い月齢の方が多いのです。

そのワケは…

1.旧暦1日(ついたち)の決め方

旧暦の1日は“新月となる瞬間を含んだ日”ですので
0時0分に朔(新月)となる日も、23時59分になる日も同じく「一日」になります。
これを考慮すると旧暦15日の月齢は、最小13.0、最大15.0、平均14.0となります。
 
2.新月から満月(望)までの平均日数

実際は約 14.76日で、これが本当の満月の月齢の平均となります。
これは 1 の旧暦15日の月齢平均より0.76日分だけ長い値ですので
実際の満月は旧暦15日より遅れる傾向があります。
 
3. 新月から満月までの実際の日数

月の軌道が円でない、などの理由から、新月から満月までの日数は
約13.8~15.8日の間で変化します。

上記1~3の理由が絡み合って、旧暦15日と満月の日付が一致しないことが普通で
だいたい半分は“本当の満月”と“旧暦八月十五日の日付”が異なります。

 

とまあ、天文学は円や球がベースのためか
ヤヤコシイ話が多くて、私には未だ…

 

ちなみに、長野の昨晩9時頃は、真っ黒なまだら模様の雲間から時々顔を出す
それもうっすらと白い雲がかかった満月を見ることができました。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(お断り)しばらくの間、投稿回数が減少します。

2011年09月11日 | 日々の暮らし

隠居生活に入って10カ月が経ち、ようやくペースが出来つつあるのですが
その生活にまた変化があるかもしれません。

いろいろと研究、検討しなければならないため
1~2ヶ月の間、こちらへの投稿(特に雑学)が減ってしまうと思います。

日々アクセスいただく多くの皆様には本当に申し訳ありませんが
いずれ事情をお話しする機会もあるかもしれません。

それまでは、どうぞたまにでけっこうですので覗いてみてください。

人生、まだまだ山と谷と平坦な道
それに伴う喜怒哀楽が繰り返されるのですねぇ

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“地球にやさしい”生活とは…①「反自然」の精神的背景

2011年09月10日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

 現在、こうして巷を賑わわせているエネルギー論議がすべて
人間一人が像9頭分(!)のエネルギーを自然界からかなり強引に入手して
それを消費することで人類を豊かにすることを前提にしているのですから
かのハイデガーも述べていたように、これはもとを辿れば近代欧米がもたらした「業」であり
今の人間社会は本質的に「反自然」と言わざるを得ないと思うのです。

もともと自然に対する一つの傾向として
西洋では自然と人間を完全に分離した考えを持っていますが
東洋、もちろん日本では人間は自然の一部と捉えられています。

例えば、それぞれの庭園を見て分かるように
東洋では自然をそのまま再現しますが、西洋では
自然界には存在し得ない幾何学模様
自然物を人間の能力で並べる作りをします。

つまり、西洋では人の知性は基本的に良きものであり
それによる判断に沿わない自然のあり方はこの判断に立つ限りなのです。

そして、欧米崇拝思想を丸ごと取り入れた日本もまた、明治時代以降
欧米では18世紀まで、日本でも19世紀後半の江戸時代までの永きに渡って
脈々と祖先が歩んできた「自然と共存する生活」を放棄したのです。  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滲出性中耳炎

2011年09月09日 | 病気一般の話題

多分、小学校以来の耳鼻科でした。

診断結果は初めて聞く病名の「滲出性(しんしゅつせい)中耳炎」。

中耳に浸出液がたまっている状態。急性中耳炎に引き続き起こることが多い。
また、飛行機に乗った際に耳が痛くなり、その後痛みは治まったが
耳が聞こえにくい、という場合には滲出性中耳炎の場合が多い。痛みは基本的にはない。 
アレルギー性鼻炎を伴う場合は治癒が遅れるため抗アレルギー薬が使われる。
自然治癒しないものに対しては鼓膜切開が行われる。

「放っておいても結構ですが、3カ月に1度程度
通院して経過を見ましょう」

たまたま孫からもらった鼻風邪から
もともと持っていたアレルギー性鼻炎が出たものなのでしょうか。

先生は「加齢による場合もあります」とおっしゃいましたが
また加齢が登場するとは、歳は取りたくないものですなぁ 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

部屋(?)の中に4台の旧車

2011年09月08日 | クルマに関するアレコレ

数ヵ月前に知り合いになったご近所のMさんのお宅に初めておじゃましたのは
宴席付き”の町の会合が終了して帰宅する際
方向が同じで歩きながらのクルマ談義の中で
通称「ハコスカ」と呼ばれる日産スカイラインを持っていることを聞きつけ
ぜひ、とお願いして見せて頂くためでした。

お宅の外観は拝見していて、軽と外車を持っていること
そして、外車は普段ほとんど使われることなく
L字型車庫の奥の方に隠すように停められていることは知っているのですが
その他、いったいどこに保管しておく場所があるのでしょう?

お伺いしてよ~く分かりました

外観からは比較的大きな部屋に見える部分が実は車庫、と言うよりも
「旧車の部屋」と言う方が当たっている20畳ほどのスペースで
床はコンクリートの打ちっ放し、北側の壁がそっくり開いて車庫につながる造りでした。

ここにガレージジャッキで方向を変えながら
奥から昭和12年製、37年製ダットサン
ハコスカ(愛のスカイライン)、ポルシェ911の4台が詰め込まれているのです。

     

残念ながらナンバーは付いていなく
1年に1度、エンジンをかけて楽しむに程度にとどまっていると言おっしゃるから
次回のその時にはぜひ呼んでくださいとお願いしてきました。

もっとも、奥様にとってのこの部屋はあくまで物置らしく
周りには普段使われないモノがびっしりと置かれていますので
世の中の常のように、この趣味が女性には理解し難く
「邪魔ねぇ」の一言で片づけられているのでした

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エネルギー問題の昨日今日

2011年09月07日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

石油の枯渇が多大な関心を集め電力などの節約が求められたのは
1973、79年の二度にわたる石油ショックが主因でした。

一方では、我々の時代は大丈夫だ、何を慌てているか、と冷静になるよう諭しながら
石炭、太陽光、原子力等のいわゆる石油代替エネルギーに
否定的見解を示し続けた人達がいたことも確かでした。

彼らの主張の一つの根拠は、100年に近い数十年先までもつ資源は
人類にとって無限に利用できるものとほぼ同じであり、そもそも
100年前の明治初期に我々は今の状況を予測できたか、ということでした。

さらに当時、早期実現が望ましいが
実現までには10~20年の期間が必要とされていた技術、例えば太陽光、風力発電等は
当時の議論ではすでに日本のエネルギーのかなりの部分を担っているはずでしたが
40年経った今でも僅かな比率に過ぎません。

また、1980年当時、石炭の液化技術が検討され、石油がバーレル当り30ドルであれば成り立つ
つまり石油の価格抑制力として有効なはずでしたが、単純な比較はもちろんできないにしても
最近の石油価格はその3倍の高値を経験しているにもかかわらず、この技術の話題は聞こえて来ません。

そもそも、1960年代後半、石油が石炭をしのぐ消費量になった当時
考えられていたエネルギーの中・長期の未来予想はどうだったのでしょう。

その頃、石油、天然ガスを使い切ったあとは、原子力
つまりFBR(高速増殖炉)か海水ウランの軽水炉、最後には核融合炉が主役となり
多量に存在する石炭が次第に減少しながら補完し、かつ
太陽光、風力発電などが利便的に活用できる範囲で共存していくというのが一般的な想定でした。

その道筋に変化が生じた主な理由は次の3つです。

第一に、環境問題を起因として
地球の(正確にはその表面の)有限性が表ざたになったことでしょう。

科学技術の進歩で、地球の環境を破壊しない程度の負荷を
人間が感覚的にも理性的にも認識できるようになり、「地球に優しい」という標語に端的に示されるように
ある部分では地球と人類の力関係が逆転したようにも感じられ始めたのです。

もっともこの逆転は、地表面に近いほんの一部の出来事であり
「地球に優しい」もある意味では“人間中心の露骨な表現”であって
地球が歩んできた46億年もの激動の歴史からすれば
現在の騒動は人類とその周辺の生態系のほんの僅かな範囲の危機に過ぎない話です。

所詮、短期逗留の居候にすぎない人類とやらの「優しさ」を
地球がどう感じ取っているかは知る由もありません。

しかし、そんな人類とて、宇宙を資源開発や太陽光発電用に利用することはあっても
何百万人という規模で宇宙に移住する可能性は今後数百年はないのですから
その間、ほとんど全ての人類は地球で生をうけ生涯を全うするはずで
これが明確になってきたこともそう古い話ではありません。

科学技術が掲げた「未知の世界の無限の可能性」も単なるお題目に過ぎず
人類にとってあらゆる限界が遥か彼方にあって見えなかった時代は既に過ぎ去ってしまいました。

第二に、持続可能性の観点が強調されてきたことです。

化石燃料の寿命が50年だろうが、300年だろうが
その先はどうするのか、という問いが急速に勢いをもってきたのは最近のことです。

石油ショックの時代に「資源枯渇は心配することはない」と抑えに回った人達でさえ
多くはたかだか50年先を言及したに過ぎず、このまま推移すれば化石燃料はいつかは枯渇するのであり
利用できる今はほんの過渡期に過ぎないということです。

そして第三には、今までに実質的に持続可能エネルギーと考えていた
原子力関連の将来展望にカゲリが出て少なくとも主人公とするには
あまりに不安であることが認識されたことです。

もし原子力の利用が現在のレベルで止まるとするなら、つまりウラン鉱からの軽水炉だけとするなら
可採年数が60年の枯渇エネルギーに分類されることになってしまいます。

ありのままを言えば、150年前から人類は半ば“成り行き”で化石燃料
特に石油を多量に使うようになってきました。

当初、このどす黒くて粘性が強くとても役に立つとは思えなかった液体の有限性
大量消費に伴う弊害などは念頭にありませんでした。

しかし、あれよあれよという間に使用量が増大し先はどうなるのかとの懸念も芽生えはしましたが
時は科学技術の怒涛の快進撃期、石油や石炭を掘り尽くしても
原子力か革新的技術かでなんとかなる、と漠然と期待していたのでした。

しかし、どうもこうにも他に頼りになるものはない
しかも、人類の活動量が現代のレベルに達した以降
地球表面で生存できる範囲の脆さ、小ささが意外に身近に判ってきた今
つまり、資源枯渇に加え、化石燃料大量消費に因るとされるCO2主因の地球温暖化の脅威に遭遇し
このまま化石燃料に依存し、一方通行・行き止まりの大量生産・消費・廃棄の道を突き進むことの是非は判っていながら
未だに多くの一般庶民はエネルギー供給での化石燃料が主役の結末に
正面から向かい合わないどころか目をつむっているようでさえあります。

再生可能エネルギーで誰かがすぐになんとかしてくれるまで一時的に我慢すればよい、と思いながら
売り切れが予想されるこの冬の石油ストーブをすでに買い込んでいるのです。

それよりは排ガスが綺麗な電力を節電し化石燃料を燃すために。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大根の芽が出た!

2011年09月06日 | 自然農法による自給用野菜作り

 

春にまいた200粒ほどの大根の種は
1粒も芽が出ないまま、それでもと思い3カ月我慢したのち諦めて
今では青豆と黒豆が日ごと、ほんの少しずつですがサヤを膨らませています。

二の舞を恐れてつつ、3、4日前に春と同じくらいの粒数をまいたところ
今回はかわいい双葉の芽が、数でほとんど欠けることなく出てきています。

なんだ、簡単に出るじゃないか。

いったい、なんで春はダメだったんでしょう?

多分、覆土の被せ過ぎだったのかも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする