保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

大学医学部に「献体」を申し込む

2018年12月01日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

詳細は後日触れるとして、実父の経験を元に私自身の葬式は
「通夜を行なわない一日葬+献体」と考えています。 

県内にある大学で「献体」が出来るのは2カ所ですが
そのうちの総合大学医学部に夫婦2人で「献体」を申し込みました。

「献体」とは、医師や歯科医師をめざす学生の解剖学実習のために
また医師、医療従事者の教育や医学研究のための教材として
自らの遺体を提供する篤志(とくし)行為のことです。

〔解剖の種類〕

・人体の構造を学習するための解剖(正常解剖)
・病院で死亡した場合の病因究明のための解剖(病理解剖)
・変死、事故死等の死因解明のための解剖(法医解剖または司法解剖)

「献体」はこの3種類のうちの「正常解剖」に当たり、現在、医学部及び歯学部の
カリキュラムには遺体の解剖学実習が必ず組み込まれていて、文科省の指針によると
医学部生2人に対して1体、歯学部生4人に対して1体とされているそうです。

現代では希望者が多いため遺体確保に苦労はしていませんが
1960年代頃には引き取り手のない死刑囚のものが利用されたと聞きます。

ちなみに、その頃の献体希望の登録者は1万人台でしたが
2007年には21万人を突破しているとのことです。

 

申し込みに当たって(抜粋)

*住んでいる都道府県にある大学の医学部または歯学部の献体者組織に入会する。
都道府県外に転居の場合は、そこの献体者組織に移籍しなければならない。
*交通事故または警察が介入する事故死の場合は、損傷が大きく観察できない箇所が
多いためだけでなく、血管に薬液を注入して行なう防腐処置が
充分に出来ない可能性があり、献体できない。
理念に反するとされる自殺者と県外で死亡した場合も同様。
*臓器提供との併願はできない。ただし片眼のみのアイバンク登録は別途可能。
*年齢制限はない。また病歴等による制限もないが大学により違いがあるので注意。

【死亡したら】

*出来るだけ速やかに献体者組織に連絡すると、契約している葬儀社から
連絡が入り、遺体引き渡しの場所及び日時を打ち合わせる。
*規定に変更がなければ、死亡から48時間以内に遺体を引き渡すことになる。
①通夜をせず直ちに②通夜をしてから③通夜と葬式をしてから
とされているが、これまでは①または②が多い。
(私の場合は"通夜をせずに葬式のみ"の予定)
*葬儀社が寝台車で引き取りに来るので、遺体とともに死亡診断書の写し
死亡届を提出すると交付される埋火葬許可証(原本)
そして遺族代表の承諾証も同時に手渡す。
*搬送葬寝具は葬儀社が持参する。また遺体の服装は自由で、数年後の
納棺時に一緒に納めたい遺品がある時は別の袋に入れて渡す。

 

【遺骨の返還】

*約2年後、大学側で棺に納め火葬に付した後、骨箱(骨壺付き)に納まった状態の
遺骨は、毎年秋の合同慰霊祭において返還式が執り行われる。

なお遺骨を大学の納骨堂に名札付の骨箱ごと納めることも可能で
この場合は5年を目途に合祀(合葬)される。

 

遺体の引き取りから火葬、遺骨までの費用は全て大学側が負担してくれますが
葬式(葬儀+告別式)や納骨などの費用はこちらの負担になります。

中には合同慰霊祭をもって葬儀と考える方もいるようで
この場合はかなりの節約になり、これが昨今の人気の一因とも聞いています。

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葬儀社の「互助会」から脱退

2018年11月28日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

この地方の多くの葬儀社は、JA(農協)を含めて「互助会」方式です。

互助会は、冠婚葬祭にかかる費用を
毎月一定の金額を支払う会員同士が助け合う組織です。

戦後の所得水準が低く物資がなかった時代にできた相互扶助のシステムで
全国に約300社の会社があると言われます。

経済産業大臣の許可を受けないと営業ができない
割賦販売法の
対象業種に当たり、これによって会員(加入者)は
万が一、この互助会が倒産などに立ち至った場合でも
前払いした会費の2分の1は保証されることになります。

例えば葬儀・葬式の場合、選ぶコースによって
会員価格と提供されるサービス内容は予め決められていますので
不要なものを削除しても減額されず、一方追加になったものは
後日きちんと請求されます。

結果としてこの価格だけで済んだ話は聞いたことがなく
「この価格で葬式が出来る」と誤解している方とのトラブルが多いと聞いています。

また、一般価格に対する会員価格のお得感が謳われてはいますが
含まれる
サービス一つ一つの単品価格が明示されていないのですから
それらの合算であるはずの一般価格の算出方法も曖昧で
最初から上乗せされた高い価格に設定されているのではとの噂も耳にします。

義母、実父ともにB社のこの互助会を利用して葬式を挙げましたが
この経験からはっきりしたことは、現時点では
葬式仏教に則った様式のコースしか用意されていないことです。

他のA社の互助会も、この点が同じであることは直接確認済みです。


(A社の一例)


(B社の一例)

いずれ近い将来、自分の葬儀の具体的な形を
「終活」の重要な項目の一つとしてまとめるつもりですが
すでに葬式仏教の様式を採らないことは決めていますので
そうなるとこの互助会の会員である意味は何もないことになります。

そこで先月ちょうど24万円コースが満期を迎え
会費を払い終えたのを機会に解約を申し出ることにしました。

15~20㌫の解約手数料が差し引かれるケースが多いことは
過去にも1度、当時加入していたA社の際に調べてあり事実そうでした。

この時は、すぐには葬儀または婚礼等が必要になる状況とは思えず
まとまったお金が手に入って大いに助かったとはいうものの
20㌫近い解約手数料の高さにビックリしたものです。

確か数年前にこの解約手数料に関する裁判があり
「是正せよ」との判決があったためでしょうか
今回の解約手数料は約8%に当たる1万8千円で済みました。

ただ、預けておいた自分のお金を返して欲しいという話なのに
運用益を頂けるどころか、減額されること自体に対する不満が
ないと言えばウソになりますが、入会した当時はまだ終活前でしたので
止むを得なかったものと考えるようにし、来月中旬には手元に届くはずの
この払戻金を新しい祭壇作りに回すことにします。

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実父(じっぷ)の葬儀

2018年11月01日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

一般的に亡くなった人を弔うときは通夜→葬儀→告別式が行われます。

葬儀(宗教的儀式)+告別式(社会的儀式)を「葬式」と呼び
具体的には、読経が始まり遺族と親族が焼香をするところまでが「葬儀」
その後一般の参列者が焼香するところからは「告別式」と考えるようですが
現代社会における実際の場ではその境目は曖昧と言われています。

なお火葬については、私の住む県北部を含めた雪の多い地方では、通夜明け後に
火葬を午前中に済ませて午後に葬儀・告別式のパターンが多いですが
さらなる豪雪地帯では火葬後、春の雪溶けを待ってからの葬儀・告別式になるそうです。

理由は、現代ではもちろん状況は変わっている地域もありますが
訃報を受けても積雪のため参列することが困難だからです。

その他多くの地方では火葬場へ向けた出棺までを葬儀とし、最低でも2時間は
見ておかなければならない火葬後に改めて告別式を執り行うので、
芸能人のように
日を改めて「偲ぶ会」等と呼び名も変えて開催し易いものと思われます。


実父が他界したのは昨年2月7日
菩提寺(現在は離檀⇒墓じまいと改葬の顛末)の都合で
翌々日に通夜のみを執り行った後、生前からの本人の希望に従って
48時間以内の引き渡し条件がある信州大学医学部に「献体」されました。

そして1年8カ月経った先月下旬、荼毘に付されてから
大学による合同慰霊祭が実施された後、骨壺に入った状態で
遺骨が返還されましたので、善光寺納骨堂に合葬したのは5日前のことです。

納骨堂本堂の祭壇に遺骨(遺影、既存の位牌も可)を祀り
他の申込者2組と合同でその日の当番のお坊さんによる読経と
参列者の焼香、その後講話があって待ち時間を含め約40分の法要でした。

 このお坊さんとは善光寺門前にある39の宿坊(院&坊)の住職のことです。

合祀、所定の位牌、法要については予約は不要で
当日申し込めばそのまま遺骨は引き取られて合祀(合葬)されます。

合祀料10万円、読経法要料5千円、33年間祀られる所定の位牌料10万円
この「葬儀」に掛かった費用は締めて20万5千円。

終了後、市内のホテルに場所を移して
いわゆる「告別式」における"お斎"の和食食事会が約4万円。

参加者は実母、我々兄弟(子供)3名、その連れ合い2名の6名のみ。

これで実父の「葬式」は、全て終了したことになります(合掌)

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父からの遺産相続

2017年09月05日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

 金融機関と言うと銀行&信用金庫はすぐに頭に浮かぶのですが
その他、広義的には保険会社(生保・損保ともに)、証券会社なども含まれます。

そもそも金融とは資金の取引、つまりお金の貸し借りのことです。

この資金取引の行われる場が金融市場で
資金余剰部門(供給)と資金不足部門(需要)の間の
資金の流れを仲介することを主な業務とするのが金融機関です。

銀行&信用金庫などが預金という形式で資金を集めて融資を行ったり
保険会社が保険料という形式で資金を集めて融資を行う形式を間接金融、他方
事業法人が発行した株式や社債を購入する仲介を行う証券会社の形式を直接金融と呼びます。

簡単な話、銀行では預けた預貯金を、そして保険会社は集めた保険料を
金利付きで貸し出して(運用して)利益を生み出しているのですが
預貯金者及び保険加入者はその運用先を知らず、故に原則元本は保証される「間接」
一方、仲介手数料を支払って証券会社を通じて株式や社債を購入する場合は
当然どの法人のものか、また元本割れの可能性も知った上ですので
「直接」と表現されます。

今回、この歳にして初めて証券会社と付き合うことになったのは
父からの遺産相続がN証券の口座にある資産だったからで
この場合、まずは私(相続人)はそこに新規口座を設けた上で振替えてもらい
その後にそのまま運用していくか、すべてを売却するかを判断することになるそうです。

長年、父親との確執があり、法的遺留分(母親1/2、残り1/2を子供均等割り)以外は
期待していなかったのですが、弟の配慮によって手にした
私にとっては所詮"あぶく銭"と呼んでも良いお金です。

とりあえずまとまった支出の予定もなく、以前から
僅かではあっても今後の資産運用に証券会社を考えていたところなので
ちょうどよい機会と考えてこの口座を利用して行くことにしましょう。

そのため今後しばらくは、こうした証券について学ぶことにします。

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父、急逝

2017年02月09日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

94歳まで生きたのですから、いわゆる"大往生"と言って良いのでしょう。

死亡診断書も「急性心不全」、2月8日午後2時半のことでした。

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伯父の四十九日法要

2015年10月11日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

女房方の伯父さんの四十九日の法要に女房共々
昨日お呼ばれしました。

92歳、多臓器不全での他界ですので言わば老衰に因る大往生と言ってよく
伯母さんはすでに先立っていることもあり、不謹慎かもしれませんが
法要後のお斎(とき)が湿っぽくならないことは
招かれる立ち場とすれば大いに救いになるというものです。

以前に比べて最近ではこうしたお斎(とき)の料理が
ずいぶん美味しくなった感じがして
普段あまり外食をしない私には結構楽しみです。

ところで、この家の菩提寺の宗派は「南無阿弥陀仏」を唱える浄土宗で
南無=私は帰依します、つまり全てお任せしますという意味ですから
極楽浄土への往生を願い「南無阿弥陀仏」と称えることで
阿弥陀仏が救って下さると解釈され
住職の読経の際には念仏を10回唱和することになります。

 

一方、我家の宗派は禅宗である曹洞宗ですので
お経が中心ではなく座禅による悟りを基本にしているとされ
このようにお題目として繰り返し唱えることはないものの
ほとんど宗教心がない私は気付いていませんでしたが
住職は「南無釈迦牟尼仏」と唱えてから読経に入っているそうです。

*牟尼(むに)…聖者の意味

普段は釈迦牟尼仏=釈迦族の聖者=お釈迦様に帰依していながら
この時だけ阿弥陀仏に帰依しますと唱えさせられるわけで
普通に考えるとおかしな話ではあります。

このように仏教にも様々な宗派がある上
神と仏つまり神道と仏教さえそこかしこに混在していながら、それをお互い
特に拒絶することなく適当に生活の中に織り交ぜているのですから
素晴らしいと言えば素晴らしい“いい加減さ”ではないでしょうか。

 

 

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“普通”の通夜・葬儀・告別式・お別れ会など

2014年08月14日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

止むを得ない歴史的流れに因るとはいうものの
葬式の際にしか必要とされなくなった現在の日本の
形骸化した仏教の姿を揶揄した「葬式仏教」なる言葉があるように
普通は人が亡くなると唐突に仏教が身近になり
全ての儀式等がそれに則って、つまり仏式で行なわれます。

ただし一口に仏式とは言っても、宗派以外にもかなりの地域差があるようです。

私の住むこの地方では一般的に、通夜の翌日の昼間に火葬
次に葬儀、すぐ続いて告別式が行われます。

1.通夜

昔は死を確認する技術が稚拙であり
死んだと判定された者が生き返る例が多く、そこで遺体の監視をする必要があり
それが通夜の意味だったようですが、一人で死体を監視するのは怖いため
大勢で陽気に飲食をしながら過ごしたそうです。 

近代になってからは故人と親しかった人たちが葬儀の前夜
夜を通して故人に付き添い、別れを惜しむまじめな儀式になり、さらに現代では
死者に初めて僧侶がお経を聞かせるという意味を合わせ持つようです。

枕経と呼ばれ、宗派によっては行なわない場合もあるそうです。

最近では、一般の弔問客を迎え
通夜ぶるまいを含めて午後9時頃には終わる「半通夜」が大半で
意味合いも、告別式に出席できない人のためのお別れ式に変わってきています。

(通夜ぶるまい)
通夜が終わったあと
弔問客を別室に案内して飲食をふるまう事をいいます。
「お清め」の意味で日本酒やビールを用意します。
弔問客への感謝の気持ちを表す席ですので
故人の思い出を語り合うしめやかな席となります。

2.納棺・火葬・納骨

遺体を棺に納める納棺は
通常、火葬及び葬儀・告別式の直前の昼間に行ないます。

湯灌(ゆかん)と呼ばれるさまざまな遺体処理を施した上で
死化粧を施し死装束と呼ばれる白い衣装を着せたり
棺の中に遺体と共に愛用していた物(副葬品)などを納めます。

これに携わる人を納棺師と呼び、一時期ブームとなった
映画「おくりびと」はこの納棺師にスポットを当てたストーリーです。 

本来は家族が行なっていたのですが、感染症等の衛生上の観点から
専門的な知識を持つ人が係るようになっています。

湯灌→死化粧、死装束→納棺→斎場にて火葬
といった流れになります。

ちなみに、病院で亡くなった場合は家族に引き渡す前に
約1時間くらいかけて看護師が遺体の処置を行なってくれますが
これを「エンゼルケア」と呼びます。

また最近では、特に女性の死化粧において
約3万円で本格的なメイクを施すサービスもあります。

そして、火葬は法規上、原則として死後24時間以内は出来ません。

火葬が済むと遺骨は骨壺に納められ(骨上げ)、葬儀の際に祭壇に置かれ
その後、自宅に安置、原則として「四十九日」までに墓に埋葬(納骨)します。

宗派によるのでしょうが、納骨は冬の積雪時は春の「百日忌」まで待ち
新たに墓を造る場合は「一周忌」でも良いとされています。

2.葬儀・告別式

葬儀(仏式)は本来、死者をあの世へ送るために遺族や親族が営む儀式で
故人に仏弟子としての戒律を与える授戒と極楽浄土へと導く
引導を行いますので、僧侶が主導します。

告別式は、友人や知人を含む社会が
焼香や献花をもって故人に最後の別れを告げる儀式ですので
故人の死を悼む者であれば誰が参列しても良く、喪主が主導します。

近親者のみが火葬のため斎場に行き、一般会葬者が同行しなくなった現代では
葬儀に引き続き、同時に告別式を行うことが多くなっています。

(参考)

一般的にお葬式で人々の会葬を受ける場は「葬儀・告別式」です。
これは本来「葬儀」の後に「告別式」が別個に行われていたのが
一緒に行われるようになったためで
「葬儀ならびに告別式」というのが丁寧な表現になります。
ただし、会場案内等に書くときには、「葬儀・告別式」と併記しないで
「葬儀」または「告別式」のいずれかを用いるのが慣用となっています。
 
“葬儀は13時から14時まで、告別式は14時から”というときには
葬儀に参列していただく方には葬儀の開始時刻13時を連絡しますが
死亡広告等の一般の方への案内では告別式の開始時刻14時のみを案内します。

なお、近年は仕事の関係上、通夜に会葬される方が多くなっています。
本来は通夜は近親者が故人と最後のお別れをする場ですから
特別に親しかった人以外は弔問しないものでした。

今でも地方では、通夜は近親者だけで行なう地域があります。
特に故人と親しかった人は通夜にも翌日の葬儀・告別式にも出ますが
それほど親しいわけではないがお別れしたい人は告別式の方へ出るのが本来です。

3.お別れ会

最近よく耳にするお別れ会とは、家族・近親者だけで火葬・葬儀を済ませ
後日改めて故人や遺族と縁故・親交のある人、友人・知人、会社や団体の関係者などを
広く招いて故人とのお別れをしていただく、いわば“告別式中心の葬儀”です。
「偲ぶ会」「送る会」など名称はさまざまです。
 
著名人や芸能人などの訃報で「葬儀は遺族近親者のみで済ませ
後日お別れ会を行う予定」と告知されることがよくあります。
このため、お別れ会は多くの人が参列するような有名人に限ったものと
思われているようですが、必ずしもそうではないようです。
 
現代では葬儀はプライベート化する傾向が強まり、密葬化・少人数化してきています。
また、葬儀をせずに火葬する「直葬」も増えています。

こうした世相を反映するように、葬儀はとりあえず近親者だけでひっそり済ませ
社会的関係でのお別れの場は後日改めて設けるといったスタイルの
お別れ会が一般化しつつあります。

 

今回の内容については、言葉の意味を含めて画一的ではない部分も多く
私なりに解釈していますので、今後、理解が深まるにつれ
訂正することがあるかもしれません。

 

 

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家族葬と密葬、そして自由葬とは…

2014年08月07日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

一般的に私の住む周辺地域では、人が亡くなるとその日に通夜を行ない
斎場の予約の都合に寄りますが、翌日に火葬し、つまり荼毘(だび)に付(ふ)し
すぐに続けて葬儀が執り行われます。

(東京地方では火葬の前に葬儀を行うと聞いています)

ほとんどが仏式にて行なわれるため
通夜と葬儀の読経を依頼する僧侶の都合も訊いた上で
日程を決めなければなりません。

葬儀場で葬儀を行う場合は葬儀場の空き具合も加味することになります。

そして“普通”以外で最近目にする葬儀の形態の概要は次の通りです。

 

家族葬(かぞくそう)は家庭葬(かていそう)とも呼ばれ
家族などの近親者だけで葬儀を行い、近親者以外の
儀礼的・社交辞令的な弔問客の参列を拒否する葬儀のことです。

密葬は近親者だけで火葬し葬儀を行った後に
日を改めて
本葬(お別れ会・偲ぶ会など)を行いますので、密葬と本葬を合わせて
一つの葬儀であり、本葬を行わず密葬だけを行うことは基本的にあり得ません。

これに対して家族葬の場合は、近親者だけで
火葬し葬儀を行う
ところまでは密葬と同じですが、それだけで一つの葬儀として
完結した形態であり、日を改めて本葬を行うことはありません。

また、直葬(ちょくそう)は「直接火葬」を略したもので
独立した葬儀を行わず火葬だけを行うことで、火葬場の収容能力の関係から
参加者はごく少数の近親者に限られ、身寄りのない人の場合は
葬儀社のスタッフ一人だけということもあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家族葬 : 火葬→葬儀場などで葬儀
 密葬 : 火葬→葬儀場などで葬儀→後日ホールなどで本葬
 直葬 : 火葬のみ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
家族葬は小規模な葬儀全般を指すものであり、葬儀の様式や宗教形態を
規定するものではなく、各宗教・宗派の聖職者による宗教儀礼も行われます。

他方、自由葬とは日本国内で1990年代頃から見られるようになってきた葬儀の形態で
宗教にとらわれない、宗教色のない形で無宗教葬とも言われます。

葬儀の式次第、棺、祭壇、食事、献奏(けんそう)など
一切を独自で、あるいは葬儀社と相談して決めることができます。

蛇足ですが、一字違いの「自然葬」は
海や山などに遺体や遺灰を還すことにより自然の大きな循環の中に
回帰しようとする埋葬の方法であり
墓標として人工物を用いない葬法を指します。

2000年頃から全国的に広がり始めた公園または樹林墓地などで見られる
墓標を墓石ではなく樹木や草木を用いた「樹木葬」も自然葬の一つとされています。

このように、“葬”の字は葬儀と埋葬の2種類に使い分けられるので
混乱しないようにしなければなりません。

(以上、ウィキペディア他から抜粋、編集) 

上記のことから、あくまでも今の時点では、私が希望する葬儀は
通夜を含めて会員になっている葬儀場で行ない
形態は
一切の仏事不要、自由葬による家族葬」ということになります。

 

 

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「入棺(にゅうかん)体験」

2014年08月05日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

胃に見つかった悪性と断定できない腫瘍の
30分~120分で終わる内視鏡的粘膜切除術(胃カメラによる切除)とは言え
100%安全が保証されるはずもなく、万々が一は当然あり得ることと認識してます。

ならば、ちょうど良い機会が与えられたと思い
以前から考えていた終活を本格的にぼちぼち始めることにしました。

もちろん、入院までにどうこうしようというわけではなく
あくまで始めるキッカケと捉えているだけですので、今後
その気になった時だけ徐々に進めて行くつもりです。

先月には自分で造らなければならない墓は
自宅から6㌔ほど裏山を上った山頂一帯に広がる市立霊園に目星を付け
市役所に出向いた際に入手方法の概要はすでに聞いています。

そんな折、たまたま新聞広告で目にした葬祭センターの内覧会に
女房同伴でちょっと顔を出して来ました。

ここには義母が亡くなった際にお世話になり、それを機会にすでに会員になっていて
ごく最近、従来の葬儀場に隣接してその半分程度の大きさの“家族葬”専用式場が完成したのを
目にしていたので、ぜひ近いうちに一度訪れたいと思っていたところでした。

(家族葬についての概要は次回取り上げます)

家族などの近親者だけで執り行なう以上に私の場合
普段は全くの不信心者なのですから一切の宗教的儀式のない「自由葬」で
私らしく見送られたいのですが、“自由”なだけにこれが実は結構、面倒なのです。


(これは仏式ですが、祭壇は基本的にこれを使用するらしい)

この辺りの話もおいおいするとして、エンディングノートを頂いた上
これも「いずれ、ぜひ…!」と思ってはいても
今回は事前に期待していなかった嬉しい体験をすることができました。

それは生きているうちに棺に入る“入棺体験”です。

この都会で最近人気のイベントもここでは参加する人の姿はなく
待たずに即、体験することができました。

時間が早かったせいか、はたまた、周囲を見渡すと来場者のほとんどは
明日明後日にも実際に足を踏み入れそうな年配者だったので
「縁起でもない!」という思いの方が先行してしまったのかも…。


(窓が閉まると意外に落ち着いた気持ちになれます)

仏式ですと納棺の際、ほとんどは頭に三角形の布+白装束の幽霊スタイル
いわゆる死装束(しにしょうぞく)を着せられますが、自由葬では
スーツやドレスが多いそうで、女房などはまさにこのまま逝っても良いくらい

その他、六文銭・手甲・脚絆・わらじ等
“死出の旅”支度など私には絶対まとって欲しくなく
普段のままの姿で納まりたいと改めて思うこと仕切りでした。

 

 

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お墓の悩み

2013年08月13日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

お盆の墓参りに行きました。

詳しい事情には触れませんが、私には入る“可能性”のある墓が2つあり
向かって左が私の生家、右が女房家の墓で
こうして並んで建っていますので墓参りも一度で済んでしまうのです。

可能性という理由は、今持っている知識が前提ですが
祭祀財産を承継しない場合、そこに入るには承継者の許可が必要だからです。

このため、いちいち許可を仰ぐ必要がない新たな墓を造ることも考慮しています。

そしてもう一つ、この考えをちょっとばかり後押しする個人的事情は
長女が結婚するにあたりイスラム教徒(ムスリムとも言うらしい)になったからです。

つまり、30代の彼女にはまだ現実味がないでしょうから話したことはありませんが
死に対する認識が全く異なることに基づく土葬など
日本人として全てを受け入れられることが今後もできるのかどうか
もしできない場合の選択肢として残しておいてやりたいと思う親心からです。

もちろん旦那と一緒と望むならそれが一番なのでしょうが…。

男性の平均寿命80歳まであと16年
とは言っても、介護なしで暮らせる健康寿命までは僅か8年しかないのですから
墓は決して遠い未来の話ではないことをお盆は改めて気付かせてくれます。

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一周忌

2013年02月17日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

当初の細菌性肺炎が間質性肺炎に進行し
わずか42日間の入院の後に義母が息を引き取ってから
早いものでもう1年が経ちました。

一周忌は葬儀、四十九日、新盆の施餓鬼法要、暮れの因脈会に次いでの仏事になります。

遠方に住む方は何かと大変ですし、高齢の方は極寒のこの時期
ストーブ2つでは全く役に立たない本堂内での30分に渡る読経にご参列いただくのは忍びなく
女房方の近い親戚数名だけの法要にしました。

ところで、お寺たるもの、亡くなってからこれだけの関わりを持つのであれば
元気に生きているうちにもっと日常生活の中に溶け込んでいるべきだと思うのです。

もちろん、私自身の不信心を指摘されたら返す言葉はありません。

ただ、難しい理屈は不勉強なので分かりませんが
哲学に属するであろう宗教とは、キリスト教やイスラム教の信者達を見ても分かるように
そもそも人が死んでからだけしか関わり合いを持つものではないと思うのですが…。

その上、当家の菩提寺だけかもしれませんが
法要やお経にしたところで、何のために行ない唱えるお経にはどんな意味があるのか
せめてそこら辺の説明だけでもあって然るべきと思えてなりません。

気の利いた法話の一つも聞いたことがないですし…。

これでは将来、仏教は葬儀の時だけ付き合う
“葬式仏教”の形にどんどんなって行ってしまうに違いありません。

なにはともあれ、お布施だけで数十万円の出費になる
初めて経験する仏教儀式が次から次に続いた1年間が一区切りついたことになります。 

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秋月忌法要と因脈会(授受会)に参列して

2012年12月09日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

先月の義父の祥月命日の年忌法要は義母の生前に倣い
末寺の庵主(あんじゅ)さんにお願いして自宅で行いましたので
新盆の8月に行われた義母の「施飢餓(せがき)法要」、すぐに続いて数日後
毎年お盆の13日に続けているご先祖の墓参り以来のお寺でした。

「お寺に行く時は手ぶらで行くな」とは、誰からともなく教わった礼儀ですが
お包みするお布施はその都度、悩みの種です。

自宅においでになる庵主さんには、お昼ご飯と5千円を
毎回お渡しすることになっていますので特に悩むこともないのですが…。

年忌法要の際、お昼を食べながら庵主さんに
「施餓鬼法要に3万円をお寺に包んで行った」と言ったら「3万円 !?」とビックリされたので
「え、少な過ぎたのか?」と一瞬焦ったのですが、そうではなく逆に多過ぎたようなのです。

周りに尋ね、少な過ぎても後で結構、気になりますが
多過ぎても何か損をしたような気分になるのですから不思議なものです。

今回はその反省もあり、庵主さんから聞いた金額の1万円、表書きは「上」としました。

12月8日にこの法要を行うのは
仏教の開祖、釈迦が悟りを開いた日に因んでのことなのだそうです。

中央の戒師(と呼ばれるらしい)はこの付近の曹洞宗の本寺
つまりは当家の菩提寺であるこの寺の方丈さんが勤め
周りに15人ほどの末寺の僧侶が従って一連の儀式が執り行われました。

昨年12月8日からこの7日までに亡くなられた方の遺族、およそ70名が参列した一連の儀式は
約1時間半に及び、配られたホッカイロと2台のファンヒーターはほんの気休めにしかならず
多分、気温は5℃程度の本堂の中は寒いのなんの
最後に「お血脈」をいただく際は正座までさせられて、私にはまるで修行のようでした。


お血脈:縦×横12cm (右は単なる袋です)
帯封の下に「血脈」と書かれています。

開くと縦1m、横30cmの大きさはあり
特別な畳み方をされているので開くと元に戻せないそうです。

お寺で中を見せてくれましたが、開祖の釈迦以降
達磨、道元を含むこの寺の住職までの77代の系図が
びっしりと1本の赤線で結ばれて書かれていました。

義母を含む今年、仏になった方々は78代目になるそうです。 

袋は破棄、左のお血脈のみを
来年の彼岸やお盆の墓参りなどの際に墓に納めます。

前回のお施餓鬼の時もそうでしたが
特に寒い本堂での“修行”の後でゆうに200人は一度に会せる広さの
庫裏(くり)でいただいたこのお昼の幕の内弁当は美味かった!

次は年明け2月に一周忌法要を営むことになるので、着ついでに予約を入れておきました。

 

 

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「拝啓 陳者貴家新仏さま」…菩提寺からの手紙

2012年12月04日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

拝啓 陳者貴家新仏さま 
 
秋月忌(おさめ法要)並びに因脈会(おけちみゃく)を左記により修行いたします。
(中略)
新たに来る年を迎えていただく意味の追善法要です。
また、因脈のお血脈につきましては当日それぞれにお渡しした後
その場にてお説教、お話し申し上げます。以上

 

またまた、曹洞宗である菩提寺から届いた難解な手紙です

はいけい ちんしゃ きけ しんぼとけさま?

最初から読み方すら分からず、パソコンを横に読み方と意味を解き明かしました。

冒頭は「はいけい ノブレバ キカ ニイぼとけさま」と読むようですが
特に、陳者を「ノブレバ」と読むなんて…

陳者(読み方:のぶれば)・・・候文(そうろうぶん)の手紙において
冒頭のあいさつの後、本文に入る前に書く語。申し上げますが。さて。

貴家(読み方:きか)・・・相手を敬ってその家・家族をいう語。多くは手紙などで用いる

新仏(読み方:にいぼとけ)…葬ってまだ日が浅い死者。
(「しんぼとけ」や「あらぼとけ」と読むと、死後初めての“盆”に迎えられる仏を指すらしい)

 

ようやく最初の1行を解読し、いよいよ本文です

秋月忌(おさめ法要)…「秋月忌」は多分「しゅうげつき」と読むのでしょうが
ネットでもこれを探し当てることはできませんでした。
もっとも、(おさめ法要)とあるのですから
“年納めか“定例行事納め”の法要のことをこのお寺ではこう呼ぶと解釈してよいのでしょうか。

血脈(読み方:けちみゃく・けつみゃく)… 師から弟子へと代々、仏法を正しく伝えること。
 また、在家(ざいけ)の受戒者に仏法相承の証拠として与える系譜。

因脈(いんみゃく)…授戒会に1日だけお参りして戒師さまとご法縁を結び
またいつの日か授戒会に参加できるよう因縁を作っておくことで
仏弟子としての証明書である「お血脈(おけちみゃく)」を頂くこと。

授戒会…戒会ともいう。戒師・教授師・引請師の三師を始め
僧侶がそれぞれの配役に当たり一寺に集会し、戒弟に対して仏の戒法を授けて
仏位に入らしめ、仏祖正伝の血脈を授与すること。

戒を授けるための法会には、その日にちの長さで、因脈会・法脈会・授戒会などの違いがあるが
授戒会は一週間にわたり、毎日坐禅や礼仏などを修行し、説戒・説教を聞き
5日目に懺悔式を行って捨身供養をし、6日目に仏の戒法を受けて登壇し
仏位に入る証明を得たとするお血脈の授与を受ける。

追善法要…亡くなった者に対し、その者の冥福を祈って行われる法要または読経のことをいう。
法要の本来の意味は仏教において釈迦の教え(仏法)を知るということ
つまり仏法の要点・肝要を知ることだが、日本ではしだいに供養(追善供養)のことを指すようになり
その後一般的に死者を弔う儀式をさすようになった。法事(ほうじ)、仏事ともいう。

〔説明〕人は死んだらそれでおしまという訳ではなく、死後必ず来世に生まれかわります。
来世には、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間界」「天上界」の六つの世界があり
私達はこの6つの世界を転生しつづけ、死後、苦しみの多い世界に生まれるか
苦しみの少ない世界に生まれかわるかは、その人の生前の「業果」によって決まると言われています
私達は、亡くなられた方が少しでも苦しみが少ない、幸せな来世に生まれ変わって欲しいと願います。
しかしながら、亡くなられた方はもうこの世での善行(仏様への供養)を積むことが出来ません。
そこで私達が善行を積み、その善行を亡くなった方に振り向けていただく為に仏様にお願いをします。
これが七日毎の法要であり、亡くなった方を仏様にお願いできるのはこの日だけとされています。
この善行による願いは必ず叶えられるといわれ、「追善供養(追善法要)」と呼びます。

永平寺関連のHPには次のような案内も載っていました。

〔お授戒(じゅかい)のご案内〕
毎年、永平寺では4月下旬に「高祖大師報恩授戒会」が行われます。
これは、これまでの自分が犯してきた過ちや、気づかないような不注意までも深く懺悔し
仏さまの子である自覚を持ち、悟りを求めるお誓いをする行持です。
曹洞宗には、年間を通じて数多く特別な講式や行(ぎょう)がありますが
授戒会はその中でも最も大切な一つです。
毎年100名を超える戒弟(かいてい)の方がたが一週間
法堂(はっとう)で寝食を共にし、多くの教えを受けます。
そのために、山内の僧侶は4月になると、準備に大変慌しい毎日を送ります。
また、この時期には100名を超える全国各地の僧侶が集い
意を同じくして各々の役目を勤めます。
他にも、日頃では作ることのない特別な料理を心を込めて作る庫院(くいん)の担当者など
関係者一同が一体となり、お誓いを受ける方がたに尽くします。
会の終盤には、戒師さまから因脈(いんみゃく)を賜り
仏さまの教えに沿い日々の生活を送るお誓いをいたします。
これを「発菩提心(ほつぼだいしん)」といい、最も尊い行いであるとされています。

以上ことから、この手紙文を現在風に言い直すと、次のようになるのでしょう

 

拝啓 葬ってまだ日の浅い死者のいるご家族の方に申し上げます。

定例行事納めと合わせて、亡くなられた方に
仏法(仏の教え)を授けて仏位に入らしめるための法要を執り行います。

(中略)

亡くなられた方は、もうこの世では善行を積むことができませんので、ご家族の方が代わりに法要を行い
それを死者の方に振り向けていただくためのお願いをした上で、新たに来る年をお迎えください。

本来、この授戒会は1週間に渡りますが、1日だけお参りしていただきお説教とお話しを聞くと
仏法を正しく伝承した証としての証明書をお渡しできますので、ぜひご参加ください。

なお、この証明書は後日で結構ですが、お墓にお納めください。 以上、ご案内まで。

 

それにしても、信仰心がなく仏教とは縁のない生活をしている私にとっては
身内が亡くなった途端に、なんともまあ難解な言葉が溢れる世界に
引きずり込まれている感じが否めません。

ほとんどの家と同じく我家にも仏壇があるのですから、都会の“坊主バー”のように
お寺さんも普段から仏教がもっと身近になるような努力が必要なのではないでしょうか。

仏教が、「お寺さんに行ったり呼んだりするには必ずお金が必要」だったり
生前は無縁で済むものが突然、深く関わってくるような今の存在のままだとしたら
残された家族の精神的・物理的負担を考えて、私は遺言に
「葬儀は(具体的にこうするように)。なお、一切の仏事は無用」と書くことになるでしょう

 

 

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迎え盆

2012年08月14日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

仏壇の飾り付けはすでに終えていましたので
墓に祖先の霊を迎えに行きました。

人が死んでからのストーリーなど、良くできてはいても
所詮フィクションだと信じてはいません。

しかし、こうした宗教儀式を否定するつもりもありません。

特に今年は義母の新盆なのですから
お参りにおいでなるお客様に失礼のないようにしなければなりません。

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新盆の施餓鬼法要が終わりました。

2012年08月08日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

朝10時からの受付には11時頃に伺いましたが
正午からの昼食までは何をするでもなく皆さん本堂で適当に時間を潰すのです。

この2時間の意味は結局、分からず仕舞いでしたので
もっとギリギリでも良かったのだと思います。

昼食の仕出し弁当はまったく期待していなかっただけに予想外に美味く
正直、ちょっと得をした気分になっていたのですが
午後1時の「説教」までの間に詳しそうな方にお布施の額を尋ねると
事前に葬儀屋、仏壇屋などから聞いていた一人1万円~1万5千円よりはるかに低い金額を教えられ
二人で3万円はちょっと多過ぎたのではと悔むことになってしまい、その気分は吹っ飛びました。

やはり、この“お気持ち”の額には皆さん悩まれているようで
これを機会に2、3の方の連絡先をお聞きしておきましたので
今後、分からないことはお尋ねしようと思います。

猛暑日ではありませんでしたし広い本堂は風通しが良い上
招かれて説いていた老師の説教が子守唄代わりになって
1時間の間、何度も舟を漕いでいたため、この話の内容は全然覚えていません。

今年新盆を迎える檀家の参加者はざっと数えて120人
そこへ諸年回の塔婆供養の方50~60人を加えて、午後2時から1時間以上に渡る法要は
近隣十数ヶ寺から招かれた住職約20人によって執り行われました。

“あの”方丈さんだけが別の色の法衣(袈裟)で主役を務めたのですから
やはりこの寺は、近郊の曹洞宗ではそれなりの地位を占めているようです。

普段から“お気持ち”の少ない当家には、葬儀の際も息子の若住職しか顔を出しません。

その彼などはこうした重要な場では脇役の一人に過ぎませんし
日頃いろいろお尋ねしている庵主さん(もちろん女性)などは、単に受付を手伝っているだけなのですから
僧侶の世界には私などが知る由もない歴然たる身分の高低があるのでしょう。

今まで見たものとはどこか違う法要の儀式は見ているだけでも興味深いものでした。

なにはともあれ、義母が他界してから半年
一応、事前には何の知識もなかった面倒な葬祭行事も何とかここまでこなして来れました。 

 

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