震災直後、原発の是非を私なりに考えるため
エネルギーについてこのブログの一つの雑学として一生懸命学びましたが
結局はあまりに複雑に様々な問題が絡み合っていてはっきりとした結論に至らず
エネルギーの大量消費が経済活動の基盤である以上、とりあえず”必要悪”ではあっても
即原発をなくすることはできないと思わざるを得ませんでした。
一方世間では、ある学者の言っていた「原発停止で必ず日本は電力不足に陥る」は実際にそうなり
震災前に盛んに指摘されていた地球温暖化や化石燃料枯渇の問題はどこへやら
廃炉になっていた火力発電まで再使用した上でちょっと節約すれば
それで間に合いそうだから全ての原発はいらないと言っているのが表面的な現在の姿です。
“とりあえず我慢”というニュアンスがある「節電」 もそうなのですが
脱原発を火力発電でカバーしたり、自然エネルギーに置き換えたりする議論も所詮は
使い易い電気と言う形に変換したエネルギーを大量に消費する社会を
前提としていることに何の変わりもありません。
「将来の子供たちに安全で安心して暮らせる社会を残したい」と言いつつ
停電の心配や熱中症などの別の危険と隣り合わせの節電生活を
一体いつまで強制するのかと思っていました。
節電=我慢である以上、“期限なし”が長続きするはずがないどころか
現代生活になくてはならないプラスチックなどの原料となる大切な化石燃料を
原始の時代と同じ使用方法である燃料として燃してしまうのですから
以前にも増して枯渇時期を早めているのです。
もっとも、継続することが近い将来、ほぼ不可能になると予想される
化石燃料をベースにした社会を子供達に残したところで
開発途上国が先進国の様々な規制に対して抱く不満と同じ論拠で
「親であるあなた方は化石燃料を使い放題に使ってしまったじゃないか」と恨まれるのがオチでしょうけれど。
そんな側面もあり、原発事故以来、日本では枯渇問題ではほとんど話題に上らなかった事態が一転
一気にクローズアップされている太陽光・風力・地熱などの自然エネルギーですが
これとて、本当に安心・安全なのか、想定外はないのか、将来問題になる可能性は否定できません。
事実、原発だってそうだったのですから。
それよりもなによりも、29%を占めていた原子力発電を
僅か2%にも満たない自然エネルギーに代替させるには一体どれほど長い年月が必要か
つまり、一朝一夕に行かないことは火を見るより明らかではありませんか。
【参考】
日本の総発電電力量に占めるエネルギーの割合
(エネルギー白書2010)
水力 8.1
石炭 24.7
LNG 29.4
石油等 7.6
原子力 29.2
新エネルギー等 1.1
ところで、電力が本当に不足しているかどうかははっきりしないという意見もあり
今年も節電を試してみれば良いのでは、などと悠長なことを言う学者や一般人もいますが
問題は電力消費量の7割を占める現代社会の基盤として経済活動を営む企業なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/42/98e226fdb477b3e9efa7739146af87d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ec/4cc0ce335019c7670bc298463a067796.jpg)
そもそも「節電」とは?
不要な電気は付けない、暑くてもエアコンの温度設定を上げる
植物でグリーンカーテンを作るなどなど…。
熱中症の危険は叫ばれるものの、ちょっと我慢すれば電気代も少なくて済んで
得をする程度の遊び感覚のレベルが一般人の節電に見えますが
例えば企業のそれを家庭に置き換えるとしたら
洗濯機を使わず“たらい”と洗濯板で洗濯するとか、電気炊飯器でなく“かまど”とお釜で飯を炊くとか
冷蔵庫の使用を止めて必要な分をその都度買いに行くとか、得をするのではなく
逆に損をする物理的及び精神的負担を強いる切実な内容になると思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/83/b0610367fc6379231a58a7c4e8b2971a.jpg)
切実とは売り上げや利益に直接影響を及ぼし
それが働く人の給料にも及ぶ、否それどころか、特に体力に余裕のない中小零細は
存続そのものにさえ影響が及ぶ可能性があるということです。
私自身、2年前まで一応零細企業の経営者でしたのでその必死さはよ~く分かります。
数年先の短期の近未来と、もっと先の中長期の話とごちゃ混ぜに語ること自体に無理があり
さらにここ1、2年先の話にしても、もしかしたらまた起こるかもしれない災害と
昨年実際に経験した節電による経営上の不利益とを秤にかけたら
当然の如く、まずは再稼働してかつての日常活動を取り戻し
その上でゆっくりと将来の電力について語って欲しいと思うことに全然、無理はありません。
一見、原発の必要性を叫ぶことはタブーとされた雰囲気が漂っていた中でも
企業家たちは政治家に対して裏で強大な力で働きかけていたことが
今回のあっと言う間の“逆転”原発再稼働で分かりました。
これを伝えるTVニュース内で町角のインタビューに答えるおばちゃん達が
なんだかんだと言いながらも何となくほっとしているように見えるのは私の気のせいでしょう。
そして「暫定的」「限定的」という曖昧な表現はいずれ消え去るか
もしくは暫定的と限定的が繰り返されて再度「恒久的」になるのかもしれないとふと思ったのでした。