保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

一昨日、27日はぺぺの“月命日”でした。

2011年10月29日 | 障害犬ぺぺとの楽しかった日々

一昨日はぺぺがなくなって7ヶ月目の月命日でした。

この秋が深まった季節感の中で特にペペを懐かしむには理由があります。

それは、完全に廃業して店舗を閉めたのが昨年の今月末だったためです。

閉店の準備でゴチャゴチャしていた事務所の“定位置”で
「おとうさん、何が起こるの?」と不安そうな上目づかいで見つめるコイツと一緒に
私も第二の人生を頑張って生きなければ、と思っていたのがちょうどこの頃だったのです。



その直前、廃業を決めた頃のさびしさや空しさをどれほど癒してくれたことか
同時に、車椅子でけなげに散歩する姿にどれほど励まされたことか。

この5カ月後にぺぺはたった一人で逝ってしまいました。

未だに、思いださない日は一日もありません…。

 

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ようやく“野菜作り”っぽくなってきました。

2011年10月28日 | 自然農法による自給用野菜作り

夏場に収穫した野菜と言えば、ナスはともかくとして
ジャガイモ、ミニトマト、キュウリなどですから、これらは小学生でさえできる
いわば野菜作りの入門編のようなものなのでしょう。

事実、7歳の孫は学校でプランターのミニトマトを育てていましたし
私がこの歳の頃、校庭の片隅の空き地で犬のウンコを肥料にして
ジャガイモを作ったことがありました。

秋になって、白菜の葉が丸まってきましたし
大根は白い部分が地表にかなり顔を出してきて
なんか、ようやく一人前の野菜を作っているという感覚を覚えています。

大根はついつい待ち切れずに1本抜いてしまいましたし
ブロッコリーの食用部の花蕾も直径20センチ近くになって
5株しかないのに1つ、収穫してしまいました。

大根は煮物とおろしにし、ブロッコリーは茹でてマヨネーズをかけて
2つとも、柔らかくてあっという間に胃袋の中に…。

美味かったなあ!

ニンニクの芽が敷き藁から少し顔を出したのはここ数日のことですが
雪のシーズンを越し、春から初夏の頃に収穫できるのだそうです。

先が長い話なんですねぇ。

 

 

 

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国家的詐欺と陰口をたたかれる年金の話 ⑤忘れがちな保険としての役目

2011年10月25日 | 世の中のあんなコト、こんな事

年金には国民年金と厚生年金の2種類があります。

個人事業主(1号)とサラリーマンの妻(3号)は国民年金
そしてサラリーマン(2号)は厚生年金に加入します。

国民年金は月15020円と決まっていますが
厚生年金は給料によって決まりますのでまちまちです。

また、厚生年金は個人負担分と同額を勤務先が負担していますので
実際は個人負担分の2倍が納付されています。

社長1人の会社であっても、この厚生年金への加入は法律で決まっています。

ちなみに、厚生年金保険料を払っていれば
国民年金保険料は自動的に払っていることになります。 

さて、年金制度にはこうした老齢年金の他に
「傷害又は死亡」においても支払われる“保険”の役目があることを忘れてはなりません。

ちなみに、保険的役割として
傷害基礎年金・遺族基礎年金・寡婦年金・死亡一時金の4種類があります。

受け取るにはそれぞれに条件はありますが
この部分が語られることがあまりありませんので、もしかしたオマケなのでしょうか?

とは言え、実際に年金加入者の20人に1人はこれを受給して助けられているという話を聞くにつけ
民間ではとても考えられない安い保険料で担保されるのですから有り難いオマケと言えます。

〇障害基礎年金…国民年金加入中に病気やケガで1、2等級の障害を負った場合に
年金が支給される制度で、障害の状態が続く間はずっと支給されます。

〇遺族基礎年金…国民年金加入者が死んだ時に、その人によって生活を維持されていた子供のある妻
もしくは子供に対して支給される年金で、子供が18歳(高校卒業)までずっと支給されます。

〇寡婦年金…25年以上国民年金保険料を納付していた夫が、年金をもらわず死亡した時
妻に対して支給される年金で、夫と10年間以上生計を共にしていて(家計が一緒)、かつ
結婚期間が10年以上でなければなりません。
妻が60~65歳の5年間、夫が受け取ることのできた老齢基礎年金の
4分の3の額をもらえますが、障害基礎年金を受けているともらえません。

〇死亡一時金…国民年金保険料を3年以上納めた人が、老齢基礎年金
障害基礎年金の両方とももらわず死亡してしまった時に
生計を共にしていた遺族に支払われます。
ただし、遺族が遺族基礎年金、寡婦年金の資格がある場合は
そちらの方が有利なためもらえません。

*要するに、夫が死亡の時は遺族基礎年金、寡婦年金、死亡一時金を
重複してもらうことはできず、どれか一つを選ぶことになります。

高額な民間の生命保険に入っていれば話は別ですが
国民年金に加入していなければ、もしもの時に
残された妻や子供の人生に多大な悪影響を及ぼす可能性が高くなることを忘れてはなりません。

 

 

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枝豆の旬は今時なの?

2011年10月23日 | 自然農法による自給用野菜作り

「早生」と書かれていた枝豆は食べ尽くし
株もとっくの昔に抜いて今では別の秋植え野菜が植わっています。

いただいた青大豆と黒大豆、そして種類は不明の大豆が
そろそろ葉や茎が枯れてきているこの頃です。

この歳になるまで、枝豆は野球のナイターを観戦しながら
ビール片手につまむのが夏の風物詩ですからその頃の食べ物と思っていました。

ビアガーデンの人気定番メニューもそうですし…。

ところが、いざ自分で作ってみると、どうもそうではなさそうです。

大豆の豆としての収穫時期はまだこれからで
葉も茎の株全体が枯れて振るとカラカラ音がするようになってからといいます。

つまり、今はまだ枝豆として食べることになるのですが
日に日に栗のようにホクホクで、さらに味は風味が強くなってきて
夏のものとは比べようがないほど美味しいではありませんか。

これぞ枝豆

もちろん、野菜作りを初めてどれもこれも初の収穫ですから
作り方によってどうにでもなるのかどうか、知るすべはないのですが…。

それにしても、冷凍物や輸入物でいつが旬なのか
かいもく分からなくなっているとは言え
枝豆の本当の食べ頃と味を60過ぎになって知ることになろうとは…。

情けない話ですね

 

 

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国家的詐欺と陰口をたたかれる年金の話 ④お若い方へ

2011年10月20日 | 世の中のあんなコト、こんな事

年金は「自分が歳取った時にもらえるお金」であることは間違いがありません。

では、もらえない場合、その負担は誰に懸かるのでしょうか。

私は商売を止めて年金で暮らしています。

ちなみに、これまで納めた厚生年金保険料はゆうに1000万円を超えています。

子供達は一人立ちしてまったく生計を別に暮らしていますので
止める決断自体、この年金収入があったからこそできたことです。

もし年金が受給できないのであれば、もちろん生活のため働き続けなければなりませんが
私は少しばかりの膝痛や腰痛を除けば、まだ場所さえあれば働くことができるとは言え
残念ながら、我々世代は労働力としてほとんど期待されていませんので就職は至難の業で
とすれば、子供達に面倒を見てもらうしかありません。

もし場所が提供されても、病気などで働けないどころか介護でも必要になったら
同じように子供のお世話になる、つまりは経済的負担を強いるしかないのです。

私の子供の世代は、ちょうどこれからその子供(つまり私の孫)に
教育費がかかり出す年代になってきています。

生命保険会社のデータでは、子供一人を18歳まで育て上げるのに1000万円
その後4年間の大学(文系私学)で1200万円とも言われていますので
22歳までの大卒で2200万円、計算上は掛かることになります。

そこに自分の親の経済的負担まで加わるとしたら…。

見方を変えて、今25歳で“年金不払い”の貴方
あと40年後で65歳になった時、結婚して奥さんと子供が2人いるとしたら
ガッポリ稼いで預金で奥さんとの老後の生活資金、病気の治療費を賄い
裕福に暮らさない限りは、2人の子供(貴方の孫)の教育費にプラスして
爺さん婆さん(貴方と奥さん)の生活費の負担まで負わせることになるのです。

確かに「もらえるかどうか分からない」などという不安、不信感を
持たせていることは国に責任があります。

そうかと言って、年金制度が破綻するときは国も破綻する時だ、と一般的に言われていて
それを防ぐために大幅な税率のアップなどが今後も予想されるのですから
国の破綻を心配するのであれば、いっそ外国にでも移住なさればよいと思うのです。

以前触れたように、そうやって納めた税金の半分が将来、年金として戻ってくるのですから
払わずに税金だけ徴収されて得をしていると感じている貴方は
もう少し年金について研究した方がよいのかもしれません。

ただし、生活費に困って不払いの方が、体裁を繕うためにそう言っているのであれば
研究する前にまず、保険料を払えるだけの収入を得ることが先決ですから
これはまったく別の話になると思うのです。

 

 

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国家的詐欺と陰口をたたかれる年金の話 ③受給できる金額

2011年10月17日 | 世の中のあんなコト、こんな事

前回の表によると、掛金の1.7倍以上が戻ってくるのですから
とても民間会社では考えられない高い配当率の金融商品であることが分かります。

それも、終身年金ですから長生きすればするほど多くもらえますので
ある意味、“命をかけた賭け”と言えなくもありません。

ただし、前にも書きましたが、年金財政がかなり苦しくなっていますので
これは約束された数字ではないことを忘れてはいけません。

すでに[報酬比例部分の老齢厚生年金+65歳からの老齢基礎年金の繰上げ受給]を
受け取っている私でさえ、いまだに受給金額に関してはよく分かりません。

理由は簡単で、仕組みが複雑な上
「原則」と「経過処置」が混在していてその区別がよく掴めないのです。

疑問点などはその都度年金事務所を訪ねて教えてもらうのですが
一般論ではなく年金番号に基づく個別の回答になります。

昨年まではよかった女房に関する金額の問い合わせでさえ
夫であっても代理人では答えてくれなくなってしまいました。

回答をもらっても、欄外に必ず
「実際の年金額はこの試算結果と異なる事があります」と断り書きが付きます。

受給を初めて2年目なのでまだはっきりしませんが、春先にその年の1年間の金額が確定するようです。

受給は2カ月に1度、例えば8,9月分が偶数月の10月に支払われる後払い方式です。

1年毎に金額が変わる理由は、インフレの時は上がり、デフレの時は下がるという
物価と連動した仕組みになっているからでしょう。

もしかしたら、前に述べたような頻繁な法改正を
すぐに反映できるようにしているからかもという穿った見方もできます。

とにかく、何かにつけて「実際の年金額は異なります」の断り書きが付くことにはビックリですが
さすがに春先の年金決定通知書と2カ月に1度の振込み直前の振込通知書にはありません。

ところで、いざ年金生活に入ってみると、なにも仕事をしなくても
こうして決まってお金が振り込まれるこの制度のありがたさを実感します。

若い頃には無理やり引き落とされる
厚生年金保険料の数万円が腹立たしく思えてなりませんでしたが
身体が思うように動かずあちこちガタが出てくる今の歳になると
お金の価値自体が上がる一方なことにも因るのでしょう。

これは「国民の老齢、障害又は死亡に関して必要な給付を行うものとする」のうち
根幹をなすべき「老齢」に対する給付です。

ちなみに、受給できる標準的金額は下の通りです。

 

(国民年金だけに加入していた場合)

保険料を40年間納めた場合、65歳から月66,008円の老齢基礎年金を受け取れます。

夫婦で加入していると 66,008円×2=月132,016円 (年間1,584,192円)です。

 

(厚生年金の加入期間がある場合)

老齢基礎年金に上乗せして老齢厚生年金も受け取ることができます。

老齢厚生年金は加入期間の給料の額に応じて決まりますので個人差がありますが
加入期間が40年ある人の標準的な老齢厚生年金は月100,576円です(H19年度)

奥さんが専業主婦の場合ですと

(夫)基礎年金66,008円+厚生年金100,576円=166,584円

(妻)基礎年金66,008円   合計232,592円(年間2,791,104円)になります。

 

 

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国家的詐欺と陰口をたたかれる年金の話 ②保険料を払わないと損

2011年10月14日 | 世の中のあんなコト、こんな事

【世代別の保険料と給付額】
40年加入した時の一人当たりの保険料と給付額及び倍率
(厚生労働省2004年推計)

  生まれ年     保険料    給付    倍率
1935年(昭和10年)       230          1,300        5.8
1945年(昭和20年)       390          1,300        3.4
1955年(昭和30年)       600          1,400        2.3
1965年(昭和40年)       830          1,600        1.9
1975年(昭和50年)    1,000          1,800        1.8
1985年(昭和60年)    1,200          2,100        1.7
1995年(平成07年)    1,400          2,300        1.7
2005年(平成17年)    1,600          2,600        1.7

(単位:万円)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「人口増加はその国の経済成長の大きな要因になります」と書きました。
年金を語る時、なぜ人口や経済成長が問題になるのでしょう?

それは、年金制度が「積立方式」でないことに因ります。

民間保険は、納めた保険料を保険会社が運用(株や国債の売り買い・不動産運用など)で
上がった利益を加算して戻してくれるもので、納めた金額+運用益なのですから
このご時勢、(納めた金額×1.1)を上回ることはありません。
(資産運用に縁のない私が知らないだけかも)

一方、年金制度は現役世代の保険料負担で高齢者世代の年金給付に必要な費用を賄うという
“世代間扶養”の考え方を基本にしています。

これを「賦課方式」と言います。

つまり(A.現役世代が納める保険料+B.国の上乗せ分)で年金を払っているのです。

大雑把に言って(A)は人口に大きく関わりますし
確か60%程度に下がってしまった納付率も影響してきます。

また、(B)は主に税金ですから、間接的に税金の還付を受けているようなものです。

経済が成長すれば会社の利益が上がり、給料も上がりますので税金も多く徴収できます。

ここは大切な話で、本来は納めてしまえば戻ってくるはずのない税金が
ちゃんと納めている人には受給する段階で金額の約半分にも上る税金が戻ってくるということです。

固定資産税などは資産を持っていない人には関係ありませんが
住民税・所得税、特に消費税はだれでも払わざるを得ない税金です。

保険料を納めず将来年金を受け取れない人は
自分も年金給付の一部になる税金を負担しているのに
年金をもらえないということは払い損をしているということになりませんか!

こうした仕組みによって、上に掲げた表のような高い倍率で年金の給付を受けられるのです。

 

 

 

 

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国家的詐欺と陰口をたたかれる年金の話 ①法律で決まっている

2011年10月12日 | 世の中のあんなコト、こんな事

昨日のニュースで、年金の支払開始年齢(現行65歳)の
引き上げ議論が持ち上がっている話を聞きました。

逼迫する年金財政の改善や平均寿命の伸びなどに合わせて
欧米などを参考に年金の支給開始年齢を引き上げるということです。

現在は欧米などのほとんどの先進諸国での年金支給開始年齢はほとんどが日本と同じで
原則65歳ですが、近い将来、アメリカ、ドイツ、フランス、オーストラリアでは67歳に
イギリスでは68歳に変わることがすで決まっていると言います。

他の先進諸国と同様に日本でも、年金の支給開始年齢引き上げと歩調を合わせて
定年延長(60歳から65歳や68歳などに)の政策も進めていくことになりますが
強い経済や成長する経済が背景にある必要があります。

日本を含めた上記6か国の中で、今後人口が減少していくのは日本とドイツだけで
その他の国はいずれも少なくとも2050年までは人口が増加していくことが見込まれています。

人口増加はその国の経済成長の大きな要因になります。

日本と同じように人口減少が予測されるドイツは
経済面では豊富な資源などを背景にヨーロッパ諸国の中でもリーダー的存在で
財政面でも借金まみれの日本の財政状況と大きく異なって非常に健全です。

一方、日本はと言うと、ここ数年の経済環境で思うように増えない給与水準
一生懸命貯めてもほとんど利息のつかない預貯金・子ども手当の見直し・消費税増税
忍び寄る物価上昇など、将来をめぐる環境はかなり厳しいものになることが予想されています。

年金の支給開始年齢を巡っては、厚生年金について
男性は2025年(H37年)度、女性は2030年H42年)度までに段階的に65歳まで引き上げ
基礎年金と合わせることがすでに決まっています。

これについて、急速に進む少子高齢化に対応するには
さらに68歳から70歳程度へ引き上げることを視野に検討を進める必要があるとしているのです。 

年金制度は「国民年金法」という法律に基づいていますので
当然、法律の改正が必要だという話なのですが、この法律の改正の回数は半端な数ではありません。

平均すると1年に1度は、それも1度に数ヵ所の項目の改正が行われています。

ちなみに、この法律の書き出し部はこうです。

(国民年金制度の目的)第1条 国民年金制度は、日本国憲法第25条第2項に規定する理念に基き
老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し
もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。

(国民年金の給付)第2条 国民年金は、前条の目的を達成するため
国民の老齢、障害又は死亡に関して必要な給付を行うものとする。

 

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ナメクジも葉を食べる害虫?

2011年10月10日 | 自然農法による自給用野菜作り

気温が下がってきて青虫は減ったのに
次はナメクジの駆除に懸命です

葉にくっ付いているのは僅かですが
その辺りに穴が開いていますので、多分彼らが貪っているのだと思うのです。

特にキャベツ10株と白菜5株に多く
雨上がりなどは50~60匹をつまんでは
お隣のTさんのリンゴ畑に放り投げています。

青虫と違いナメクジは図体が大きく、潰すにはなんとなくしのびなく
Tさんには申し訳ないのですが
広い畑で別の人生を見つけさせるためです。

ビールの残りを缶にれて置いておくとそこに集まってくると聞いていますが
ある種の快感を感じるようになってしまい、最近は素手に替え割り箸を使って
目を凝らして見つけてはつまみ上げているのです。

外観上、カタツムリはここに巻貝が付いただけなのに
彼らほど嫌われないどころか子供にも可愛いとさえ言われるのですから
世の中、見た目がいかに大切かが分かります。

特に女性たちにとっては…

5株のブロッコリーの2つに食用部分の花蕾(からい)が姿を現しました。

大根は葉の下に小さな白い本体が見えています。



大根の根っこが名前の通りのこんな形になることも
白菜の真ん中の葉がちゃんと丸まってくるのも
今さらながら不思議なことですねぇ

 

 

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“ブレーキなし”自転車で前科が付くワケ

2011年10月04日 | 世の中のあんなコト、こんな事

最近、商店街の歩道を我が物顔で走り抜ける
自転車の話題が結構、テレビで取り上げられていたさなか
チュートリアルの福田さんが交通切符を切られてからは
ピストと呼ばれる競技用自転車のブレーキを外したり、時に集団で高速走行するなど
自転車の違法行為の話題に拍車がかかっています。

軽微な違反しか経験のない“小悪人”の私には、赤切符の意味も分かりませんので
これを機会に今までほとんど知らなかった自転車の交通違反に関して調べてみました。

交通反則通告制度は、自動車交通の増大に伴い道路交通法違反事件の件数が飛躍的に増大し
これが検察・裁判所の活動を著しく圧迫するに至ったため
これらの機関の負担を軽減すべく、1968年(昭和43年)に制度化されました。

自動車またはオートバイを運転中の軽微な交通違反(反則行為)につき
反則行為の事実を警察官または交通巡視員により認められた者が一定期日までに
法律に定める反則金を納付する行政処分を受けると刑事手続に移行しないとした法制度です。

抑止効果による交通違反の減少等、行政上の観点から制定されました。

交通違反とは一般的には道路交通法などの交通法規違反の略で
反則告知を受けたことを意味します。

この制度に基づく行政処分として課せられる“過料”は反則金と呼ばれ
刑事手続を免れるかわりに納付するものですので
裁判で有罪とされて言い渡される罰金とは違います。

つまり、反則金は行政処分(行政罰)の一種であり
刑事罰である“科料”・罰金とはその法的性質を異にしているのです。

通告に応じない場合は刑事手続きに移行するという点では
行政上の秩序罰(千代田区の「歩き煙草禁止条例」などで刑法に刑名がありません)と
刑事罰の中間に位置しているとも言え、極めて特殊な制度とされています。

ただし、反則金納付という行政処分を受けるかどうかについては選択でき
任意に納付を行えば刑事手続には移行せず、納付をしなければ刑事手続に移行しますが
納付しなかった罰として刑事処分に移行するわけではなく
司法の場において異議・不服申し立てが可能になるということです。

無免許運転、酒酔い運転などに該当する重大な違反の場合
または反則行為をしその結果交通事故を起こした者は
反則行為および交通反則通告制度の対象外ですので最初から刑事手続になってしまい
通常の刑事捜査を行なうため逮捕・補導などされることがあります。

普通、警察署から検察庁に調書が回り(書類送検)
そこから裁判所に起訴され裁判において罪が決まるという例の流れです。

反則者がそれらの書面の受領を拒否したり、居所又は氏名が明らかでなかったり
逃亡するおそれがあるなどの時も同様で、その場で現行犯逮捕されることもあります。

さらに、そもそも反則行為に該当しない行為や軽車両(自転車等)の運転者によるもの
歩行者や運転者以外の者によるものについても同様です。

交通反則事件を処理するために使用される書式は青い紙に書式が印刷されている
いわゆる「青切符」で、交通反則告知書、交通反則通告書等が一組に綴じられており
告知または通告の際に使用されます。

一方、反則行為に該当しない道路交通法違反(非反則行為)
および軽車両(自転車等)の運転者または歩行者による違反行為全般については
交通切符(赤い紙に書式が印刷されたいわゆる「赤切符」、告知票)が交付される場合があります。

また、反則行為に該当する場合であっても
反則者がそれらの書面の受領を拒否した場合も同様に赤切符になります。

交通切符(赤切符)には警察および簡易裁判所等への出頭に関する情報が記載されています。

この青切符・赤切符の代表的な違いは前科が付くか付かないかですが
自転車などの軽車両・歩行者全般で赤切符となる理由は
そもそも軽車両・歩行者には反則制度が存在しないからです。

ちなみに、自転車の交通違反は次のような刑事罰になります。
飲酒運転…5年以下の懲役、または100万円以下の罰金)
無灯火…5万円以下の罰金
一方の手で傘を差し、もう一方の手で運転したり
携帯電話・メールをしながらの運転も違反…3カ月以下の懲役、または5万円以下の罰金

 

 



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結局、私は原発に対して“日和見主義”です。

2011年10月01日 | (雑学Ⅱ)脱原発とエネルギーの話

40年ほど前の現役大学生の頃
全国的に学生運動なるものが“流行って”いました。

正直な話、今でもそれが何であったのか、ほとんど理解できていません。

60年の安保闘争の頃は勉学に明け暮れていましたし
60年代後半に起こった全共闘運動や大学紛争は、実際に目にしたどころか
大学占拠により半年間、休校になったのですから
大騒ぎの原因となった理論や主張をちょっとは学んだのですが
実際に活動に参加するほどの強い共感は持てず
結局、“対岸の火事”として長期休暇を楽しんだに過ぎません。

私を含めた多くの学生は当時、「日和見(ひよりみ)主義」と呼ばれ
もっぱら過激な活動をする彼らから批判されていました。

原発について学び始めた今
なんとなくその頃の心のあり様に近いものを感じてしまいます。

ちなみに、日和見主義(ひよりみしゅぎ)とは
ある定まった考えによるものではなく、形勢を見て有利な方に付こうという考え方のことで
日和、つまり天気を観て行動を決めるかのようであるのでこの名が付きましたが
一般には政治的な右翼(保守)的立場を批判するのに用いられる言葉であるとされています。

“原発反対”を声高に叫ぶ方々は、少なくても現状維持ではないことは確かで
過激ではないにしても反体制的ポジションなのですから
学べば学ぶほど「さてどうしたものか」とどっちつかずの立場なって
とりあえず今のままでコトの成り行きを見守ろう、という私などは
まさに原発における日和見主義的立場と見られてしまうに違いありません。

と言うのも、原発“反対派”とか“推進派”とかに分けられても
元になるエネルギー問題自体があまりに大き過ぎて、かつ複雑で
なによりも“今”と“将来”がごちゃ混ぜに語られる傾向があるのですから
自分の立ち位置をどちらに置くかの判断ができないのです。

たとえ、反対・どちらかと言えば反対・どちらかと言えば推進・推進にしても
そこには時間の観念がないのですから。

医療においても、放っておくと余命いくばくもない患者に
他の病を患っている内臓をあえて移植、延命治療して
今後の医学の進歩を待つ治療があります。

未曾有の経験によって入手できた多くのデータによって
どの程度の安全対策が原発に施せるのか
自然エネルギーが本当に原子力、さらには化石エネルギーの代替になり得るのか
そしてそれはいつ実現できるのか
などなど、時間軸が重要な要素に思えてなりません。

日和見主義の説明の中に
「長期的な趨勢を踏まえた上で有利な側に付けば時には望ましい結果を得る事ができる一方で
短期的な利益のために立ち位置を変え続ければ信用を失うリスクを抱えるという見方もある」とあります。

政治家等と違い、信用を失うリスクなど何もない一般庶民にとって
この“世の中の長期的な動きを見ながら”が一番現実的であって
「原発反対」が念仏のように蔓延している中では口を閉ざしているにしても
人数の上では圧倒的多数であるに違いないのです。

より具体的に言えば、「出来得る限りの安全対策を施した上で
経過を見ながら止むを得ずそのまま使用しましょう」という私のように…。

 

(後記)

雑学としてエネルギーと脱原発について学び始めましたが
あまりにテーマが壮大、かつ複雑過ぎました。

そして、根本的・究極的解決は、日本では時代を150年ほど後戻りして
たかが5Wのロウソクでさえ贅沢品であった頃の社会だと思い至りましたので
この話題をこれ以上続けることは止めにしたいと思います。

今では「循環型社会」という概念としてのみ、世界がその方向を目指しています。

循環型社会

 人間を含めた全ての動物は、植物による光合成なくしては
大気中の二酸化炭素を無害なものに変換できず、生命をつなぐことができません。

食糧ばかりでなくエネルギーでも
また、地球上の様々な循環の仕組みを維持する上でも同様なことが言え
このバランスが成り立っている世界を「循環型社会」と呼びます。

今では、資源の枯渇による破局を回避し
永続性の有る社会を実現するための概念の一つとされ
省資源、省エネルギー、リデュース・りユース・リサイクルなど
個々の意識的な活動を背景として
経済活動におけるこれからの方向性を示す考え方だと言えます。

生態系の立場に立てば、物質は元来循環しているものですが
これまでの人間社会では、この点について配慮されたことがなく
不要物は単純に廃棄され、それは自然の循環システム
あるいは自然の浄化作用に任されていました。

人間の活動量がさほど大きくないあいだは、これでなんとかなったのですが
現在ではそれが大きく環境を圧迫するようになってしまいました。

これを、改めて視野に収め、物質の循環を助ける事を
考えようというのが「循環型社会」の概念です。

 





 

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