保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

仏壇の処分・・・⑤庭先でごく一部を儀式的焼却

2020年03月26日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

単なる箱、それも不要になった仏壇の最終処分は
この世から"消滅"させることで具体的には4つの方法があります。

1.菩提寺に依頼する
2.仏具店に依頼する
 3.遺品業者に依頼する
4.自分で処理する 
             ①自治体の粗大ゴミとして出し焼却
           ②自分の土地に埋設し土に返す

ここまでの全てを自分で執り行って来たのですから
今さら他人に任せる1~3の方法を取ることなどあり得ません。

1の寺については、「お焚き上げ」といって引き取った仏壇を
焼却してくれる所もあるようですが、例え自己所有地内でも
この大きさの言わば可燃ゴミをいくら何でもこの時代、焼却することなど
あまり考えられず、2や3と同じく産廃業者に渡された後
どこか見えない場所で焼却または粉砕等で処理されるのでしょう。

住んでいる"個人"しか自治体にゴミの処分を依頼できないのですから。

だとしたら、せめて自分の手で確実に焼却または埋設するのが
本当の意味で処分することになると思うのですが、残念ながら
庭先での焼却が違法であることは間違いなく、またこの大きさのものを
埋設することは掘削方法からして現実的ではありません。

そこで仏壇の外扉・障子が付いた内扉や欄間・柱等のうちの木製の部分の
ほんの一部を取り外して、掛け軸・仏像等の可燃の仏具とともに
少量を庭先で焼却、感謝の気持ちを込めながら
儀式的に炎とともに天に返しました。

そして本体のほとんどは、環境エネルギーセンター(旧清掃工場)に
自ら持ち込んで焼却してもらい、これで仏壇の処分は
つつがなく終了したことになります。

(完)

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仏壇の処分・・・④ここでもまず閉眼供養(へいがんくよう)

2020年03月13日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

2年4カ月前の2017年12月に菩提寺からの檀家離れとともに
墓じまい&改葬を終え、次は仏壇の処分をすべく、とりあえず元の場所から
同じ部屋の一角に移動し下の画像の無宗派の祭壇を作ったのは
すでに1年以上前の2018年11月のことでした。

イントラ仕事が終わる2019年春に仏壇の処分をする予定でしたが
たまたま町内会の役員を2つ仰せつかってしまい、多数の引き継ぎ資料&備品の
収納場所がなかったためこの祭壇室を使うことに・・・。

このため、無宗派の祭壇にするとは言え義父母+先祖のための1段は
これまで通り仏式で祀る予定でしたので、位牌等を移せなくなってしまい
仏壇の処分も今になってしまったものです。

ここでもお墓同様、「開眼(かいがん)供養」が行われている場合は
「閉眼供養」が必要ですが、義父母の2人はすでに他界し菩提寺もなくした今
この供養が営まれたのかどうかの確認は取りようがなく
されていることを前提に進めることが無難です。

閉眼法要とは、開眼法要の逆で「御霊抜き(みたまぬき)」とも呼ばれ
故人の魂を納める役目を終えていただくために「仏様の目を閉じ」
「仏様の魂を抜き取る」儀式のことで、これにより仏壇を
"単なる木の入れ物"へ戻してから処分することになります。

墓じまいの時も当然、菩提寺だった寺でこの供養を営んでいて
お布施5万円+離檀料10万円、同時に行った私の実家の
墓分も同額、合わせて30万円でお願いしました。

今回はたまたまスキーイントラ仲間に僧侶(浄土真宗本願寺派)がいて
以前からその節はお願いする旨、話してありましたので
ちょうどスキー仕事が新型肺炎騒動のため全てキャンセルになり
お互い時間が空いたのを機会に執り行うことにしたものです。

出来ればかつての宗派の曹洞宗で、とは思ったのですが、墓じまい後に
合葬にてお骨を納めたのが善光寺納骨堂であり、善光寺そのものは
日本で初めての仏様を本尊とし日本仏教の根源と考えられて来た
つまり日本仏教に宗派が生まれる以前に創建されたことから
宗派・男女・貴賤を問わない無差別、平等とされていて
その主旨に沿っても何ら問題ないはず。

善光寺は現在、25院の上に立つ大勧進(天台宗)と
14坊の大本願(浄土宗)の2つの宗派によって管理・運営されていますので
納骨堂での改葬における合祀の際の法要もどちらかに属する
日替わり当番の僧侶(供養料5千円・予約不要・指名不可)に
行なってもらっています。

それに倣ったわけでもないのですが、今回の「お布施」は5千円
20㌔離れた寺から自家用車でお越しなので「お車代」5千円
参列者は女房と2人だけ、20分程度の長いお経の後で
御斎(おとき)として手作り昼食をお出しして閉眼供養を終えました。

(続く)

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仏壇の処分・・・③祭壇が完成

2018年12月05日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

とりあえず仏壇は同じ部屋の片隅に移し、これまで置いてあった場所に
自作で作っていた「祭壇」がほぼ完成しました。

1段目:これまでの祖先の仏式棚
2段目:女房用
3段目:自分用
4段目:収納棚

 

(掛かった費用)

・壁紙、床用シート・・・9000円
棚・・・13000円
その他材料・・・3800円      

合計 25800円

 

べニア板だった天井&壁に壁紙そして床にパンチカーペットを貼る作業と
コンセント&照明用スイッチの取付け作業が面倒でしたが
そこそこ満足の行く仕上がりになりました。

使われていなかったカーテンの長さを短くするミシン作業を
弟の連合いに依頼して今はそれを待っているところで
レールは加工してすでに取り付け済みです。

今週末から今季のスキーイントラ仕事が始まりますので
これまでの仏壇の「御霊抜き」と、祀られている仏具等の引っ越しは
年内にはちょっと無理かも知れません。

(続く)

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仏壇の処分・・・②そもそも仏事に付きものの「お経」とは

2018年11月20日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

以前直接確認したところでは、善光寺では「葬式」を行なってくれません。

現在まで続いている葬式の様式は、全ての住民を近くの寺に帰属させる
檀家(寺請)制度に依り江戸時代に完成したいわゆる「葬式仏教」に基づくもので
小さな町寺が生業のため僧侶が葬式に就くようになり、同時に仏壇・位牌・戒名が導入され
さらにその後の法要・法事まで執り行うようになった経緯があります。

すなわち、昔から参拝客が全国から押し寄せる善光寺のような有名な寺は
葬式の際にしか必要とされない葬式仏教の形態を取っていないということです。

この葬式仏教という呼び名自体、本来の仏教の在り方から大きく隔たった
現代の日本の仏教を揶揄した表現として昭和30年代から
巷で知られるようになったそうです。


・葬式=葬儀+告別式
・法要…初七日、四十九日など故人を偲び冥福を
祈るために行う「追善供養」のこと
・法事…追善供養の後席の会食まで含む
・追善供養…生きている人が亡くなった人に
対して行う供養のこと
・供養…広義では亡き人の冥福を祈って行われる
全ての行為。仏教では僧侶に読経して
もらった後、食事などを行うのが一般的

ところで、これら仏教には付きもののお経とは?

お経は内容から分類すると3種類(三蔵)に分かれます。

・仏教徒の行動規範や戒律をまとめた「律蔵」
・釈迦の教えをまとめた「経蔵」
・律蔵や経蔵の内容に注釈をつけた「論蔵」

 

別途、教義別の分類も3種類に分かれます。

・釈迦が直接弟子に教えを説いたもの
・在家信者へも教えを説くために作られたもの
・密教の奥義を説いたもの



つまりお経は、「仏(お釈迦)様の言葉を弟子がまとめたもの」なので
葬式や法事の場でお経をあげることは、仏様に対して何かを伝えようとか
故人が成仏できるようにとかを目的に唱えているのではなく、実は
周りで聞いている生きている人たちが幸せになれる道を説いているのですから
そう心得て聞かせて頂くのがご縁なのだそうです。

自らの不勉強を棚に上げて、かつ私個人に限ったことかもしれませんが
そんな基本的なことさえただの一度も教えてくれなかった仏教そのものの在り方に
大いに疑問を感じざるを得ないことは止むを得ないというものです。

とは言え、棒読みで抑揚のない「お経読み」と言われる読経の
独特の美声が、私のように内容が全く判らないにも拘わらず
聞いている人々に安心感を与えそして静かな気持ちにさせることまでをも
否定できないのは、やはり私も生来の日本人だからでしょうか。

(続く)

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仏壇の処分・・・①まずは移動

2018年11月19日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

墓じまいと改葬はすでに済ませていますので
次は仏壇を処分することになります。

押し入れの隣り約80㎝四方に納まっていた仏壇を
まずは同じ部屋の一角に移動しました。

女房家のこの仏壇は多分、昭和30年代にこの家を建てた際に
新たに購入したものと思われ、台座を含めると
おおよそ横63㎝×奥行63㎝×高さ120㎝
重さは40㎏程度はあるそこそこ立派なものです。

近い将来、「御霊抜き(みたまぬき)」といわれる閉眼供養は
スキーイントラ仲間の住職のMさんに依頼するつもりですが
とりあえず腰を痛めないよう二女の連れ合いにも手助けを依頼して
同じ部屋の別の場所に移しました。

ちなみにこうした場合は御霊抜きは不要とされています。 

そして出来たこのスペースには、少し時間をかけて
「祭壇」を作る予定です。

【祭壇の構想】
・壁紙等で内装を仕上げ入り口にはカーテンを取り付ける
・奥の壁面一杯に4段の棚(すでに入手済み)をセットする
・1段目…これまで仏壇内に納まっていた位牌・遺影・備品等を納める
・2段目&3段目…それぞれを私と女房用にし自分好みに飾り付ける
・4段目…先祖の遺影等、納まり切れない物を収納。神棚も考慮中

 

1段目の他界した義理の両親までのご先祖は
「御霊入れ」はせずに形だけは「仏式(葬式仏教)」で祀るつもりです。

一方私の段は宗教色を排除しますが、女房は「同じで良い」と口にしてはいても
実はまだ考え方が固まっているとは思えず、また私にしたところで
将来的にどう変わるか分かりませんので、段ごとにその時点における
自らの好きな趣向で飾っておくことになると思います。

「宗教色をなくす」と言うことは簡単ですが
まだ広がり始めたばかりの「自由葬」などと同じで、曖昧に言い残したまま
亡くなってしまうと、残された遺族は意外に困惑する結果になり
結局は従来の仏式の様式で行われてしまうことは明らかです。

それはそうで、プロを含めたほとんどの周辺の方々はそれしか知らない上
死亡から葬儀まではせいぜい3日程度しかないのですから
新しい未知の形態など考えている余裕はないのです。

仏壇に関してもそうです。

処分するだけして後は何もないのでは「じゃあ遺影はどこに飾るの?」から
悩みが始まって、結局は仏壇っぽい物やおりん等の仏具等を
気持ちの拠り所としていずれはどこかに置くことになるはずです。

従来の仏式の様式に則らないつもりでいるのなら
特に「終活」は自分の希望を叶えるためであると同時に
残された者への気遣いをもう一つの最大の目的にしなければなりません。

(続く)

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墓じまいと改葬・・・⑨後書き

2018年03月17日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

昨年末に行った墓じまいと改葬ですが、多くの不安があったにも拘わらず
あまりにもすんなりと全てが進んだことは"嬉しい誤算"でした。

女房家に関しては10年以上前に他界している義父の親戚は私の実父と重複し
5年前に亡くなったばかりの義母のたった1人の姉とその婿、つまり伯父も
すでに他界している上、女房が一人娘だったこともあり
これという障害はなく一気に話を進めることが出来ました。

一方、私の実家に関しては、祭祀継承者の次男に
子供がいないことが根幹となり、3番目の弟が特に反対することもなく
また実父は一人息子で他は女5人、下から2番目が90半ばまで生きたのですから
一番多いとされる親戚間とのトラブルもなく、こちらも同時に
一気に終わらせてしまいました。

こうして私の実家、女房家ともに先祖代々の墓はなくなり
その遺骨は善光寺納骨堂に合葬したのでした。

善光寺は全国から参拝者が訪れるので、檀家で成り立つ市中の多くの
小規模な檀家寺と違い、決まった葬儀の形も葬儀場もありませんが
法要はこの納骨堂の中央にある本殿で、当番制の僧侶による
読経を統一価格の5000円でお願いすることが出来ますし
その後の会食は別に決めた会場で執り行うことになります。

ただし、せいぜい10人ほどの規模が精一杯かも知れません。

法要(=法事)・・・仏や先祖の霊を供養すること。
初七日から四十九日まで七日ごと、月忌、新盆、百ヵ日、年忌法要など
節目ごとに行います。僧侶に読経をお願いし、親族や故人の
近親者を招いて故人を偲び、会食を行います。

ところで、現在の法要及び葬儀の形は
江戸時代の檀家制度が元に出来上がったといいます。

この檀家制度、元々はキリシタン禁圧のための「宗門改」と
領主による夫役負担能力把握を目的とする「人別改」とが江戸時代に合体され
「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」となり
全国の名主や庄屋、町年寄が作成し、家族単位の氏名と年齢のみならず
檀家として属する寺院名が記載されたことで確立されました。

つまり寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうこととなり
今に繋がる法要及び葬儀の形が出来上がり安定的な経営が可能になったそうです。

ただし逆に、寺院は信仰・修行よりも寺門経営に勤しむようになり
僧侶の乱行や僧侶の階級を金銭で売買することにも繋がったそうな・・・。

こうした経緯から「家」「祖先崇拝」の側面が先鋭化し
本来の仏教の教えは形骸化して、今日言われる
いわゆる「葬式仏教」に陥ったとされているのです。

また戸籍や租税台帳としても機能した「宗門人別改帳」ですが
婚姻などで土地を離れる際には、檀家である寺院に証文をもらい
移転先の寺院で新たに改帳に記載してもらわなければ「無宿者」となり
居住の制約を受けるなどの不利益を被ることになったそうですので
この制度は、かなり強固だったことが伺い知れます。

しかし現代、事情は一変し、寺院に何の束縛を受けることなく
人の移動も頻繁にそして自由に行われるに留まらず
少子化に伴い男子による継承がままならなく、寺と檀家の結び付きを
維持することさえ困難になっている状況が叫ばれています。

都会では、夫が他界した後、同じ墓に入らないどころか
「姻族関係終了届」により夫側親族との親戚関係を解消して
夫側の墓の管理も放棄する「死後離婚」さえ増えているという時代です。

"父はすでに他界しその遺体は検体に出ていてまだ戻っていなく
母は90歳超で老人ホームで未だ健在"の実家の今後は
もちろん相談には乗るにしても、祭祀継承者の次男が考え
"義父・義母ともにすでに他界"の女房家は、我々夫婦はどうするか、の
白紙状態から考えて行けば良いことになりました。

(墓じまいと改葬を終え、次回仏壇の処分へと続く)

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墓じまいと改葬・・・⑧納骨して改葬が終了

2018年01月07日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

昨年末の暮れも押し迫りレッスンの空いていた25日
善光寺納骨堂雲上殿への納骨を終えました。

遺骨はそれぞれ個別の骨壺で納められていたわけではないので
義父・義母の分も分離することが出来ず、そっくり7柱を
「先祖代々」の1霊として扱われ、合葬納骨の金額は10万円でした。

毎日、善光寺から院と坊の住職が当番制で控えているそうですので
別途「御霊入れ」として5000円のお経を一応、本殿であげてもらいました。

 

受付で尋ねたところ、してもしなくても良いとは言われたのですが
"お気持ち"などという曖昧な表現ではなく金額も明確ですし
この程度の負担で形式が整うのであれば良しとしたものです。

これをもって墓じまいと改葬が全て終了し
正直なところ女房ともども、長年の憑(つ)き物が落ちたような
晴れ晴れした気持ちで新年を迎えることが出来ています

(続く)

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墓じまいと改葬・・・⑦戻った遺骨

2017年12月20日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

3年前頃から墓じまいをする人が増えてきたと言います。

我家には"分不相応"と思われるS寺は、檀家としての経済的負担が大きく
かつ現在の住職と付き合う上での精神的負担に嫌気が指し
同時に、嫁いだ娘2人に祭祀継承を無理強いすることを避けるため
私の代の責任として行動を始めた墓じまいと改葬でした。

墓石業者や自治体の調査では、すでに約40%のお墓が無縁墓化しているそうで
10年後には約60%以上のお墓は継承者不在で
無縁墓になるという調査結果もあります。

我家の墓じまいについては、石材店の更地に戻す工事に次いで
乾燥作業を終えた先祖代々の遺骨7柱は紙袋に納まってすでに手元にあります。

さすがこの人数分となると結構重さがあるのでビックリしていますが
こうして乾燥した状態でも多分、7~8㌔はあるのではないでしょうか。

 そしていよいよ来週早々には善光寺雲上殿納骨堂の「合葬納骨」を利用して
全てが完了することになります。

*合葬(がっそう)=合祀(ごうし)

墓を含めたこのS寺との付き合い、さらに言えば、江戸時代の檀家制度に
端を発する葬式仏教との関わりを長年とても重荷に感じていただけに
これで肩の荷が下りて気持ちが楽になるに違いなく
そうしたら次は、自分の終活として、まずはどう葬られたいか
白紙の状態から考えれば良いことになります。 

(続く)

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墓じまいと改葬・・・⑥善光寺・雲上殿・納骨堂

2017年12月06日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

「創建当初から宗派を問わない善光寺には、古くから納骨の風習があり
善光寺如来様のお慈悲に包まれたこの地に故人の遺骨を納めて
その遺徳を偲び極楽浄土を祈りました」
(雲上殿パンフレットより抜粋)

これが新たに納骨する予定の善光寺雲上殿納骨堂です。

善光寺の北方約1㌔、善光寺平を一望できる地附山の中腹に
昭和24年に建立されましたのでちょうど私と同い年です。

その後、納骨数の増加に伴い西納骨堂、さらに2年前に
下の東納骨堂が増築され今回の改葬による納骨先はここになります。

宗教全般はもちろん、神社仏閣についての知識が欠乏しているので
地元住人でありながら自信はまったくありませんが、この善光寺は
「牛に引かれて善光寺参り」のキャッチフレーズのように、宗派を問わず
老若男女を受け入れていることから分かるように檀家は持っていないはずです。

善光寺は天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって
護持・運営されています。

そして「大勧進」住職は「貫主(かんす)」と呼ばれ
天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めていますが、一方の「大本願」は
大寺院としては珍しい尼寺であって、住職は「上人(しょうにん)」
と呼ばれ代々公家出身者から住職を迎えています。

僧侶を派遣して給料をもらっている形に見える
これら門前にある39軒の宿坊にも檀家っぽい信者がいるそうですが
それぞれの宿坊に墓地があるわけではなく、この雲上殿の正面に向かって
左側に個別墓用墓地があり、それなりの金額(具体額不明)を出せば
入ることができると聞きました。

ただ供養を依頼する場合、持ち回りの順番を崩すことになるので
お経をあげていただく僧侶の指名は一切出来ないと言うのですから
檀家とは言えないような気もしますが・・・。

また、今回初めて知ったこととして、善光寺及びその周辺関係では
いわゆる葬儀・葬式は執り行えずあくまで「納骨から後の供養」が役割とのこと。

さて、こうなってくると「葬式・葬儀とは?」「供養とは?」という
無知から来る疑問と、世間一般で目にする葬式・葬儀の形が
頭に浮かんでしまって今一つその意味が理解できません。

「終活」の大事な一つである宗教色のない自分の葬式の
あり方を考えるためにも、この辺りの状況を今後学んでみるつもりです。

(続く)

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墓じまいと改葬・・・⑤離檀料+閉眼供養代

2017年12月02日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

現時点で葬祭センターや仏壇店でも、顧客から話題に挙がる割に
墓じまいを実際に進めた話はあまり聞かないそうで
特に田舎であるこの地方での具体例はまだごく少ないと言います。

昔から伝わる伝統的な考え方に基づく祭祀が受け継がれている中で
それに沿わない事をして周囲から後ろ指を指されるのは嫌だし
なかなか親戚の同意が得づらいこともある上、寺との話が面倒臭そうなので
つい現状維持にしてしまうことが多いらしいですのが、その伝統が
将来も維持できるのであれば別に変える必要性など全くありません。 

問題なのは実家のように、祭祀継承をすべき子供がいない
そして我家のように、子供が娘のみですでに嫁いでいるうえ遠方に住んでいる等の
物理的理由によって現状を維持するのが困難と推測できる場合
はたまたは経済的、精神的に多くの負担を強いる可能性を懸念する場合は
身内で話し合った上で、現実に目を背けず、出来る範囲の道筋を
付けておいてやらないと結局ツケを回すことになるというものです。

さて実際に墓じまいと改葬に一歩踏み出す時の一番最初の壁は
日頃何かと口喧しかったり、祭祀の際などは必ず采配を振るうような
親戚がいる場合は、この方の同意を得ておかないと
後々揉めて付き合いづらい事態に陥る可能性があることでしょう。

もっとも、終わった後の結果報告だけをするという
強行突破もないわけではありませんが、他人と違って親戚
特に近しい身内とのゴタゴタは、何かと顔を合わせる機会を避けられず
そのたびにお互いが気まずい思いを抱くという精神的負担が大きいので
出来れば避けて円満解決を図る方が良いことは確かです。

冠婚葬祭に関してではなかったにしろ、実父とこの種の争いが元で
長年の確執に陥った私が言うのですから間違いはありません。

親戚の次に、今回のように菩提寺に墓がある場合で
より高いことがあると言われる壁は、例の「埋蔵許可証」に
寺の署名捺印をもらわなければならないことです。

檀家のままでその寺の永代供養墓(碑)に移す場合は別でしょうが
墓じまいの多くは遺骨を取り出し檀家を離れることが前提になるので
いわゆる「離檀料」も原則として必要とされます。

この離檀料、法的根拠はないと法律の先生方は言いますが
それは争いになった場合の話であって、円満に話を進めるためには
必要なお金と考えた方が良いのではないでしょうか。

元を辿れば江戸時代に、参拝者の絶えない大きな有名寺院を除いて
町内の小規模寺に担わせたこの檀家制度、現在の戸籍に当たる
「宗門人別改帳」など重要な役目も果たしたそうですが、一方で
檀家だけの葬祭を生業とするいわゆる「葬式仏教」を根付かせてしまったと
雑学の本で読んだことがあります。

そんな歴史的経緯を加味しつつ、これまで祖先の墓を護っていただいた感謝を
形に表したものとの解釈もあるようですが、そこは人それぞれ
感謝していないから払わないとの理屈も成り立ってしまうのですから
いっそ後腐れないための「手切金」と考えた方が分かり易いかも知れません。

寺から数十、数百万円単位の高額な金額を要求されたなどの情報は
ネットでしか見たことがなく、絶対数が少ないこともあってか
これまで身近で聞いたトラブルめいた話は
永代供養碑を勧められたりしてなかなか離檀に応じてくれず
ずいぶん苦労したという話の1つだけです。

最近ではこうした時代背景から行政書士などのプロも関わってくれますので
そこに依頼する方法もありますが、まだ揉めてもいない初めからではなく
せめて、まずは自分の口から想いを伝えてみたらどうでしょう。

田舎では第三者やプロに頼んで事を進めることを"ケンカ腰"と捉え
ならばこちらも、と構えられて円満な話し合いが
遠のいてしまうケースが無きにしも非ず、だからです。

いずれにしてもまだまだ具体例が少ないですし相手のある話ですから
ケースバイケースになることは止むを得ず、とりあえず話し合いの場を持ち
こちらの意向に対する菩提寺の住職の出方を掴まなければなりません。

我家のように"悩むより産むが易し"に驚くこともあるのですから。

さて、同時に必ず悩むことになるのはお布施額
つまり墓じまいと離檀に伴うその具体的な金額についてです。

まずは会員になっている大手仏壇チェーン店Hではなんと全く情報なし。

別途尋ねた葬祭センターGさんも手持ちの情報はまだ少な過ぎるので
付き合いのある業者仲間など数人に当たってみますとのこと。

そして後日の電話での回答は「上限で10万円程度では」。

同時に教えてくれた、現在の墓に祀られている先祖の遺骨を取り出す際の
「御霊抜き(みたまぬき)」とも呼ばれる「閉眼供養」のお布施額は
上限で5万円程度ではないかとのこと。

この魂を抜く理由は、新たに墓を建立して遺骨を埋葬する際に行った
「開眼供養」によって家の名前などが彫り込まれた一番上の
縦長の竿石(さおいし)に宿った仏様の魂を鎮めて抜き取り
ただの石に戻すためとされています。

かくして、離檀料+閉眼供養代を合わせたお布施の総額は
隣り合っているからと言っても別家の墓なので弟と2家、2基分として
それぞれ15万円ずつと弟と申し合わせていました。

日本仏教協会では、お布施に定価はなく「料」だの「代」も使わない理由は
"対価ではないから"との立場を取っているようですが、理屈は分かるにしても
それが故に毎回、とても悩むことに繋がるわけで、こうした心労を
敢えて民衆に強要する意味をどう説明するのでしょうか。

さて、菩提寺を訪ねて墓じまいと離檀の意向伝える場合
一般的に決定事項として住職に伝えると気分を損ねることが多いので
当初は"相談事"として話を切り出した方が良いとの情報を得ていました。

そこでまずは弟1人が菩提寺を訪ねて実家の事情を伝え、墓じまいをしたいのですが
いかがでしょうか?と、とりあえず疑問符を付けて形ばかりの相談事の体裁を
取って住職の出方を見たのは11月中旬のことでした。

そして特に否定的な方向の話は何もなかったそうなので一日二日置いて
すぐに続いて今度は私が、隣り合う女房家も同時に墓じまいをしたい事情と
その意向を伝えたところ、こちらも全く問題なさそうな感じです。

ただし、どちらも再検討して日を改めて伺うことにしたのは
戦術として相談事の形を取っていたからです。

3~4日後に2人揃って訪問し、離檀としての墓じまいと
改葬の方向で決まった旨を伝えると「すっきりしていいんじゃないの」

当方は間違いなく「すっきり」しますが
寺側の何が「すっきり」するかは敢えて尋ねませんでした。

そしてその場で打合せ通りのお布施額を提示してこれでお願いしたい旨を伝え
21日に閉眼供養を執り行う予定まで話を持って行くことが
出来たのは11月16日のことでした。

これで最大の壁は乗り超えられる見込みが立ったことになり
当日供養が終わった後にお布施を渡し、一番大切な埋蔵証明書の署名捺印を
その場で受け取る段取りまで念のため確認しておきました。

ちなみに閉眼供養さえ終えておくと後は石材店の仕事となり
その費用は、墓地が山の傾斜地にあってどうしても人手に多く頼るため
相見積もりの結果の安い方でも2基合わせて約50万円。



積雪を避けて年内には終わることになっています。

(続く)

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墓じまいと改葬・・・④役所への提出書類

2017年11月29日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

そもそも誰かが亡くなった場合の
時系列による必要書類は下記の通りです。

①医師から「死亡診断書」を受け取る

(右が死亡診断書、左が死亡届になったA3用紙)

②この用紙の「死亡届」欄に必要事項を記入の上
署名捺印して役所に提出する
*保険金や年金請求に必要なこの用紙は
戻って来ないので必ず複数枚コピーを取っておく

③「火葬許可証」を受け取る。火葬後、火葬終了の日時が記入され
「火葬証明書」及び「埋葬許可証」になる

④納骨の際、埋葬許可証を寺や墓地管理事務所に提出し
5年間保存される(再発行不可)

これらの手続きは、葬祭センター等の業者に
葬儀を依頼する場合はほとんど全て代行してくれます。

 

ところで今回のように、現在の墓を新たな場所へ移し替える
「墓じまいを伴う改葬」の場合は、基本的に全て自分で動くことになり
少しばかり面倒でその必要書類等は次の通りです。

埋蔵・収蔵証明書・・・役所から用紙を入手し、現在の寺の
承諾を得た上で
署名・捺印をもらう。

今後も檀家を続けるのか、離れるのか、離れる場合は
必要なら離檀料、そしてどちらにしても現在の墓をしまうのであれば
その際に必要とされる閉眼供養(御霊抜き)等のお布施額を予め
寺と相談しておかないと
稀にトラブルになってこれが手に入らず
円滑に手続きを進められない事態に陥ることがある。

先祖の遺骨を人質に取られているようなもの
言われる所以で、
書類手続上はここが一番の難所。

受入証明書・・・新しい納骨先にこうした専用の用紙が
ある場合もあるが、
役所に用意されている。
契約書がある場合は
その写しでも良いとされる。

改葬許可申請書・・・役所の用紙に記入し署名捺印すれば良い。

改葬許可証・・・上記3枚を役所に提出すると発行されます。

その他、並行して次の項目を検討または決定しなければなりません。

・新しい納骨先と供養方法(家族墓、永代供養墓、納骨堂や樹木葬、散骨等)

・現在の墓の撤去と遺骨の取り出しを依頼する石材店(すでに決定)

・墓じまいの際に現在の寺に行ってもらう閉眼供養の日取り等 

ただし、遺骨は自宅に一時保管できますので新しい納骨先を決定して
改葬許可申請書を提出するのは無理に急がなくても大丈夫です。

「特に決まりはないが出来るだけ埋蔵証明書の発行から1カ月以内に」
が念のため尋ねた時の役所の回答です。

そこで我家では埋蔵証明書の日付は上の画像のように
一応空欄で入手しておきました。 

こうして無事、墓じまいが終了したらこの先は特に面倒なことはなく
予算や考え方を元に決めた通りの方向に進めば良いだけのことです。

〔これまでの結果として手元に残る予定のもの〕

・遺骨(石材店で日干し後、専用木箱収納)

・改葬許可証(いずれ新たな納骨先に提出)

*自宅にある仏壇・過去帳・位牌・遺影等は
次に
「合葬納骨」を選択するのでそのままです。
「個別納骨(仏壇付)」の場合はそちらに移すことができます。
(ただし大きさの制限があります)

(続く)

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墓じまいと改葬・・・③実家(生家)の事情

2017年11月25日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

  今年2月に93歳、老衰(死亡診断書は心不全)で他界した
父の葬式はまだ済んでいません。

かねてからの本人の希望通り某大学付属病院に「検体」されていて
遺骨となってまだ戻って来ていないからです。

検体:大学または関係団体に献体登録し無償で解剖実習に利用してもらう制度。
通常は2~3年後、遺体は火葬されてから遺族の元に返される。
遺体の引き渡しから遺骨の返還までの移送費および棺代・火葬費等
費用は大学が負担する。年に1度慰霊祭が行われ
これを"無料の葬儀"と考えている者もいると聞く。

死亡後48時間以内に引き渡すという時間制限があり
遺体なしで葬儀を行う選択肢もあったのですが、会員になっていた
葬祭センターの会場と住職の都合が付かず通夜を執り行うのが精一杯でした。

この亡き父と長男で親不孝な私との間に長年に渡る確執があったため
子供がいない弟(次男)が遺言通り祭祀継承者になるとともに
相続して仏壇もある実家に住み、母は父と4年前に「自立型」老人ホームの
2人部屋に入居、父他界後は同施設の一人部屋に移っていたのですが
つい1カ月ほど前の入院を機に「介護付」ホームに転居しています。

弟の口から先祖代々の墓をしまい、かつ両親を含めて今後は
全国的に有名な善光寺の納骨堂に遺骨を納めたい意向を最初に聞いたのは
実父が亡くなった後のことで母も同意していることは直接確認しています。

実家の仏壇は本家でもあったので大きく、先祖の祭祀をきちんと
行っていた両親なので、それほど格式張らない分家の女房家と
同じ方向に話が進んで行くことは、正直想像すらしていませんでした。

ただし、親戚については何かと気遣いの必要があります。

父は子供6人の下から2人目の一人息子、もちろん姉妹は全員嫁いでいて
生存しているのは伯母1人と叔父1人だけで、母の実家は
婿取りの伯母夫婦は健在ですが、後継ぎの伯父はすでに他界しています。

女房家においては、他界している義父は実父と従妹同士なので
その前の代からの親戚は重複、義母は2人姉妹で姉は婿を取り
その叔父ともどもすでに他界しています。

このような環境下でしたし特別に口喧しい親戚がいなかったことも
こうした方向付けに大いに幸いしたことは否定できません。

もっとも、肝心な亡き父の本心を私が直接確認はしていないのですが
ここ数年来、両親の面倒は看ていたこの弟が遺言により
祭祀継承を含めた全部を相続したことから、そしてさらに生前
父は善光寺事務局で数年間働いていたこともあり
基本的な部分の合意はあったのでないかと思われます。

ただ一つだけ、両親ともに、正確ではないのですが、この菩提寺にすでに
2人分100万円を渡して戒名を得ていることと若干の齟齬がある気はします。

まあ、いずれにしてもこの住職が務めるこの寺の檀家を離れて
善光寺納骨堂に改葬するという基本的方向性は一致していることになり
予め得ていた葬祭センターGさんの情報では、結構難儀することもあるという
離檀の話も同時に2つ行うとなれば心強いというものです。

蛇足ながら弟に子供はないので将来、延べ50坪超ある平屋のこの実家は他人に貸して
例えば四国など雪の降らない温暖な地方で余生を送りたいとして
祖父母でさえ彼にとっては記憶が薄いこともあり
貸しづらくなる仏壇もいずれは処分するつもりと言っています。

当初は現在の墓に埋葬されている祖父母以前の遺骨は、改葬ではなく
「散骨」すると言っていたくらいですから、彼の割り切った
不信心と言えるかもしれない現代風な考え方は私以上かも知れません。

その後散骨はまだ合法化されていなく、改葬の場合は必ず必要な
後述する提出書類は何もない、すなわち行政的には可否の判断すら出来ない
グレー部分となっていることを市役所の担当部局に確認してからは
私的にはやや異論があると思っていたので、雲上殿の合葬へ翻意
翻意してくれて正直、一安心したという経緯もあります。

一方女房家の仏壇に関しては、我々夫婦が今の所この地を離れる考えはなく
義父そして3年前には義母の位牌を祀っていることもあり
墓じまいによる遺骨はそれ以前の先祖と分離は出来ないので
今回は合葬するにしても、我々の代にどうするか考えることになるでしょう。

(続く)

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墓じまいと改葬・・・②菩提寺の住職に対する不満

2017年11月22日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

 
〈庫裏(くり)玄関〉

確かに以前から巷では悪い評判の多いこの寺の現住職ではありました。

・檀家に非難されて1千万円のポルシェを手放したことがある(現在は不明)

・跡取り息子の若住職もフェラーリを持っている(らしい)

・葬祭センターのマル秘資料によると、この寺の葬儀の
お布施の相場は3桁つまり100万円以上(!)

・2千万円支払って手に入れたという現在のこの寺の格式の高さによるものか
常に傲慢な態度の住職の物言いは皮肉っぽくかつ高飛車

義父が他界した際に義母が葬儀の打合せにこの寺を訪れた際も
「大事な話は女1人で来るもんじゃない。男性を連れ立って出直せ」と言われ
別離直後ということもあり、ずいぶん悲しい想いをしたと聞きました。

そして女房がいずれ近い将来、この菩提寺とのお付き合いを止めたいと
口にするようになったのは、3年前に義母の葬儀の打ち合わせに私と連れ立って
訪れた際の住職の、次のようなやり取り後からでした。

葬儀を主催するのは初めて、もちろんお布施の金額など分かるはずもなく
率直に尋ねた時の回答は「お気持ちで・・・」。

そこで義母の遺書にしたためてあった25万円でと女房が具体額を提示したところ
あからさまに不満げな表情をして、それに気付いた彼女が
「世間知らずですみません」と気を遣って詫びた際に返ってきた言葉は
「そう育ったのだから分かっているならしょうがない」。

「そう育ったのだから」と直接関係のない皮肉など言う必要もなく
少額であることを「しょうがない」と不満げな態度を取るのであれば
「お気持ち」などと恰好を付けた、曖昧な表現をしないで欲しいものです。

かように、確かに近隣ではかなりの檀家数を誇る寺とはいえ
檀家あっての寺であることも忘れ、金で買った自らの格式を重んじるあまり
我家のように裕福でない檀家を見下すような態度があからさまな僧侶を
女房でなくても、慈しみ慕う気持ちなど持ちようもないのです。

日ごろ不信心な私などにとっては、誰ぞ亡くなった途端に
突然に関りを強要され、今や"その道の人"の口からしか聞いたことがない
「誠意(または気持ち)を示せ」と金員を求められるだけのことです。

宗教離れが進む現代、もっと仏教が日常生活において馴染み深いものに
なるかもしれない気の利いた法話(説教)の一つも話す姿を
過去の法事などでただの一度も目にしたことはないですし・・・。

全日本仏教会が宣う「本来布施とは、慈しみの心に基づいて行われる
極めて宗教的な行為で、人々の苦しみや悲しみに寄り添い(無畏施・むいせ)
人々と共に考え法を説く(法施・ほうせ)と位置づけられ
布施の額に関しては布施をする人が決めるべきもの」という御説は
この住職に対してこそ教え説いて欲しいものです。

かくして彼女が檀家を離れて改葬したいという気持ちを固めたのは
ごく当然の成り行きと言わざるを得ないのです。 

(続く)

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墓じまいと改葬・・・①我家の事情

2017年11月17日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

私自身がいわゆるマスオさん状態、つまり一人娘である女房の実家で
7年前から暮らしているのは、当時健康に不安がありながら独り住まいだった
義母(3年前にすでに他界)の面倒を看るためでした。

そもそも女房とは"またいとこ(お互いの父がいとこ同士)"だったことも
長男である私が女房方と同居し易い状態にあったと言えます。

ちなみにマスオさんとの違いは
私と女房はもともとの姓が同じということです。

墓についても、私の実家と女房家は同じ菩提寺(曹洞宗)の墓地の
一区画の中にもう一軒の親戚を加えた3つの墓が並んで建っていました。

 
(向かって左が実家の墓、右が女房家)

私たち夫婦の子供は2人とも女の子ですでに嫁いでいますので
実際にどうなるかは別として、将来的にこの右側の墓の
管理を強制することは出来ません。

またマスオさん状態の私についてもよく世間では間違われますが
決して婿養子ではありませんので女房家の墓に入ることは
例え親戚ではあっても、原則としてあり得ません。

他方、詳細は後述しますが、特に女房が抱いているこの菩提寺の
住職に対する強い不満から、もし万が一、娘のどちらかが
この墓を見てくれるようになったにしても、寺の高い格式に不相応な我家が
檀家を続けることに伴うイヤな思いと経済的負担をさせたくないので
近い将来、右側の女房家の墓じまいと改葬を考慮していた背景がありました。

そして左側の実家の墓については、長男である私と何年にも渡る確執中だった実父が
今年2月初めに亡くなった際、その遺言によって「祭祀継承」は次男である弟に
指定されていましたので私が入ることは基本として出来ない状態でした。

つまり分家に出されたと同じ状態と言えるでしょう。

ただし入ることを望む場合は、弟の許可を得れば可能らしいのですが
一応男としてのプライドが許しませんし、それ以上に、そこまで嫌われた実父と
死後も"同居"ということは心情的にも許せなかったのです。

そんな折、弟が介護してくれている自立型老人ホームに入居中の実母が
救急車で搬送された際に、たまたま90歳代の死因1位の肺炎が発見され
結果的に3~4日入院、さらに退院後は医療行為が出来る介護付ホームに転居を
余儀なくされたことなどから弟と改めて墓の話をすることになったのです。

彼曰く「自分には子供がいないので将来を考えて、献体に出ている父の
遺骨の返還を待って先祖も善光寺納骨堂に移すつもりだったが
90歳過ぎの母がいつ逝くか分からないので今の内にやっておきたい」 

つまり弟も今の菩提寺の墓じまいと改葬を
早期にしたいということで、これは何とも願ってもない話です。

かくしてその方向に向けて一気に行動を開始することになりました。

(続く)

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