保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

そもそも、自殺は悪なのか…①今、こんなことを考える理由

2012年07月29日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

昨年まで20数年間、世界一だった日本女性の平均寿命が
香港に抜かれて2位になったことをニュースで知りました。

大きな原因は大震災の影響とされる一方で
「20代女性の自殺の増加」も影響していると言うのです。

理由が私には想像すらできないのですが、これは間違いなくマズイことです。

若い女性が10人いて男が一人でも子供が生まれて総人数は増えますが
男が10人で女性が一人の場合は確実に減って行くからです。

高齢者は構いません(!)が
若者、特に若い女性の人口比率を減らしてはいけません。

さて、本題に入ります。

私がこの「高齢者の自殺を考える」を始めた理由は
 “死にたい高齢者”を減らす意味はどこにあるのか、という単純な疑問からです。

あくまで高齢者に限って、のことです。

現代社会において(昔からかもしれませんが)
「自ら望み通りに死にたい」と思った場合、選択肢が自殺しかないのは万国共通です。

もちろん、積極的または消極的に死をもたらす安楽死や延命治療を拒否する尊厳死は存在しますが
どちらも回復不可能な病気を患った場合に厳格に限定されるのですから
「死にたい」心を満たしているとは言えません。

有名なオランダの安楽死もその域を出てはいません。

宗教について私はほとんど無知ですし、今のところ特に興味もありません。

しかし仏教はもちろん、キリスト教、イスラム教においても自殺は禁止されていると聞きます。

にも拘らず、宗教をもってしても決してなくならないことは歴然たる事実なのですから
自殺はそれを超越した行為と言えるのかもしれません。

言い方を変えれば、宗教自体が頭で考えた観念の世界なのですから
例え傍からは異常と思えるにしても、同じく頭で考えた死にたい願望の方が
宗教への想いを超えてしまっただけのことなのでしょう。

善悪の判断で自殺をもし世間に問うたとしても悪にされることはほぼ決まっていて
されど法的には悪人とはされず、止むを得ないものと見逃されるのですから
宗教・哲学・倫理、もしかしたら医学・経済など、答える側の立ち位置によって
賛否両論が入り乱れて喧々諤々になり、結局は意見の一致など見るはずもないことは
安楽死や尊厳死の論争を見ても明らかだと思うのです。

ましてや、若者を含めたあらゆる世代の自殺の善悪を問うなどという騒ぎを起こすつもりは毛頭なく
以前から気になりだしていた私自身の、ひいては今後の高齢者の“死に方”について考える時
私にはどうしても自殺抜きでは語れないのではないか、との思いがあり今日に至っています。

そんな折、医療の一部を自らが拒否するという点で、見方によっては
自殺に数歩近づいたとも取れる新しい“死に方”の提案を目にするようになり
今までどちらかというと口にしづらい死に関する話題について
私とほぼ同世代の医師などの専門家が語り出してきたことは大いに歓迎すべきことであり
今後さらに議論が広がるに違いないと思うことしきりです。

(このことについては後日、改めて触れてみます)

 

 

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夏野菜の収穫が真っ盛り

2012年07月27日 | 自然農法による自給用野菜作り

素人的発想からしたら、あんな小さな種から
よくぞこれだけ大きく成長してこれだけの実を付けるものだと
驚きをもって野菜たちを見ないわけにはいきません。

それも、これまでのところ一切、追肥はおろか堆肥さえも施さず
自然の土の養分と雨水だけでここまで育ちました。

長女の処へ遊びに行く土産のため
ちょっと早目に3個収穫したカボチャは元々大きな種でしたが
トマトの種はと言ったらそれこそ1mmくらいで
蒔くのも苦労する大きさだったのですからなおさらです。

ただ一筋に生きて種(しゅ)を絶やさないように頑張っている命を取り上げて
「美味い!」とほおばり自分の腹を満たすのですから、なんともはや
生きるということは非情なものだと、柄にもなく、お盆を前にほんの少~しだけ感じています。

 

今日の収穫:カボチャ3個、キュウリ14本、ミニトマト12個、大玉トマト4個、キャベツ2玉

 

 

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新盆の「お施餓鬼法要」って何?

2012年07月26日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

 菩提寺のS寺から封書が届きました。

予め庵主さんから聞いていた新盆法要の案内状のはずで、中にこの書面が入っていました。


お施餓鬼?

なんだこりゃ、何て読むの?

そう言えば「おせがき」って言葉は聞いたことがあり、そう読めます。

当然、意味は分からず「がき」は“寄せ書き”などの「書き」と同じで何かの「書き物」と思っていたら
「餓鬼」と書いて法要の一種とは、この歳になるまでまったく知りませんでした。

お盆の法要なのに、悪いイメージが付きまとう「餓鬼」の文字が出て来るなんて
と思いつつ調べて見ると、まさにそうした餓鬼にも施し物を分け与える法要なのだそうです。

確かにこの歳になるまで、幸運にも葬祭にあまり縁がなく過ごしてきたことは事実ですが
その次の行の「諸年回塔婆法要供養」など、最初はどこで区切って読むのかさえ分からず
なんとも恥ずかしいと言うか何と言うか…。

最近では“坊主バー”なるものも都会の方では出現して
仏教や僧侶を身近に感じてもらうような試みもあるようで、これはこれで良いことなのでしょうが
取材画像で見る限り、参加者はほとんど若い(?)女性なのですから
こうした知識を得られる場所と言うよりも、僧侶の思惑は別のところにあるのかも。

葬祭になると突然遭遇するこうした仏教の儀式ですが
この時ばかりは年寄りが身近にいたらなあと思うこと仕切りです。

何を持って、何を着て行けば良いの?

お布施の額はいくら?

表書きはどう書くの?

午前10時に受付して正午まで何をしているの?

塔婆は必要なの、そしていくらなの?

そもそも塔婆って?

・・・?

・・・?

宗派、地域によって千差万別なことはこれまでの経験から知りつつあって
同じ寺の檀家に訊かないとあまり意味はなく、誰もいないのであれば
菩提寺に訊くことがベストなことはいろいろな方の進言でもそうなのですが
檀家で成り立つはずの寺の僧侶が檀家に対してあまりに傲慢な態度に見て取れる当家のS寺は
なんとも敷居が高くてつき合い辛く、難儀する日々が続いています 

*施餓鬼供養では、新亡(前年の供養以降に亡くなった方)、先亡(ご先祖様)
さらには三界萬霊(諸々全ての霊)の塔婆を立て、ご飯、水、野菜、果物、お菓子など
沢山のお供え物をして、あらゆる餓鬼に施しをします。

その功徳が施主やその先祖にまで及び
それがそのまま先祖追善供養になってゆく、とされているからです。

「追善」とは、故人が生前為し得なかった「善行」を
遺された者があとから「追って」代わりに実行する、という意味です。

最近ではお盆の行事として営まれることが多くなりましたが
春秋のお彼岸に施餓鬼供養するという実例もあります。

 

 

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クドイようですが、「原因はうつ病」にはやはり合点がいかない。

2012年07月25日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

「高齢者の自殺の原因の多くがうつ病である」とする国の研究機関の根拠となる数字は
他には見つかりませんので多分、警察庁の「自殺統計」でしょう。

この中の、「年代別」の「原因・動機」は
遺書、書き込みなどに寄って“明らかなもの”を集計しているとされています。

その分類の一つが「健康問題」で
「=病気の悩み・影響(うつ病)」と但し書きが付いているのです。

これは何とも分かり難い書き方で、(うつ病)がどこに掛かるのかが不明です。

ただ、「健康問題」が数字的に7割を占めるのですから
「原因・動機の“多く”がうつ病」とするには「健康問題=うつ病」と解釈するのが適当なのでしょう。

いずれにしろ、うつ病なるもの、れっきとした病気であるとは言われているにしても
1度でも医師の診察を受けていたのならいざ知らず、本人の書いた遺書や書き込みの“文章だけ”で
うつ病に罹患していることを断定していることになります。

もちろん、周囲の人々にも聞き取り調査などはしているにしても
所詮、いわゆる状況証拠の域を出ません。

この断定の仕方ってこれで良いのでしょうか?

また一方では、今になって自殺未遂の治療に際し、保険治療が出来るように
「すでに精神疾患を患っていたため自殺に及んだ」とする便宜を
病院が図ってくれることが少なからずある、という事実を知りました。

その場で死亡が確認されない自殺未遂者が緊急搬送される時
それを受け入れる病院にとっては初めての患者であることが多いはずで
その見ず知らずの人に対して自由診療で高額な請求を上げることは
ある種、不良債権の危険を伴うことになりますので、それを避けたい病院と
他方では、本人または親族には、精神的なダメージに加えて上がることになる
高額な治療費の請求が避けられるのですから、これはこれで両者の思惑が一致するのでしょう。

こうして、未遂とは言え自殺に及んだ原因・動機はうつ病だったと記録として残るわけです。

つまり、死亡した人数の10倍にも達すると言われる自殺未遂者の“少なからず”は
便宜的にうつ病などの精神疾患に罹患していたことにされているのです。

残した遺書や書き込みを基に病気の悩みや影響が見られるとされる7割の人をうつ病とし
具体的な数字は不明にしても、少なからず含まれている未遂者の便宜的な診断書をプラスして
国などの研究機関では「高齢者の自殺の原因の多くがうつ病である」と
言い切ることにはやはり合点がいきません。

ただし、以前書きましたように、早く診察を受けて長期の投薬治療を受けさせれば
生命保険の免責期間の考え方と同じように、死にたい気持ちを
時間が変えてくれる効果を期待するもの、と私なりに無理やり解釈していますので
「高齢者の自殺の原因の多くがうつ病である」とし、予防には
この病気の早期発見が必要である、とする方向性には異を唱えるものではありません。

 

 

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カボチャ、すさまじいツルの勢い

2012年07月23日 | 自然農法による自給用野菜作り

同じ頃、今年初めて植えたカボチャとスイカでした。


(自然農法育成、黒小玉スイカ)

スイカはこれで夏に間に合うのかしら、と心配するほど芽が出るのが遅く
ようやく小さなビー玉ほどの実を付け出したところなのに
カボチャは元々の種の大きさといい、その後の生育の速さと言い
大きなものですでにソフトボールを超える大きさの実を付けているのです。

だからこそ、キュウリやナスの接木苗の台木に使われるのでしょう。

“自然農法交配”による「ケイセブン」の種15粒のうち
東側のリンゴ畑の空地をKさんからお借りして10粒、北側の自分の畑には5粒を植えました。

“放任”するとカボチャのツルがこんなに勢いよく伸びて行くものとはつゆ知らず
借りた場所に植えて良かったなあとつくづく思うのは
すでに6m×6m程度を占拠してしまっているからです。

別の生ゴミを埋めた場所からはさらに3本の別種のツルまで立派に成長していますし
1本に3個程度の実がなっていますので
もしかしたら都合60個もの収穫になるのかも…。

スーパーのチラシなどを見ると
カボチャは1個500円くらいするからとても嬉しいと女房は言います。

でも、これまではせいぜい1年に2、3個しか食べていないような気がするのに
二人の娘にしこたま持って行かせるにしても
これだけの量をどう二人で食べようというのでしょうか。

こんな数の多さに悩みながらも
先日は野球の硬球くらいに育った実を一つカラスに突っつかれ
さらに、これはハクビシンの仕業ではないかとKさんは教えてくれましたが
2、3日前は一番大きなものが3m位離れた所に傷つけられて転がっているのを見つけると
60個のうちのたった2つのことなのに無性に腹が立ってしまうのですから
心が狭いと言われたらなんとも返す言葉はありません。

このハクビシン被害のカボチャは、まだ未熟とは言え自分で作った初物として
傷ついた皮は取り除いて女房に煮てもらい美味しくいただいてしまいました。

それにしても不思議なのは、最初二つに切るとちゃんと“瓜”の匂いがするのに
煮るとイモのような匂いと食感に変わることです。

そうなんです、料理を一切しない野菜嫌いな私はこんなことさえ知らなかったのです。

 

 

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保険との関係から考える「自殺の仕方」

2012年07月21日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

生命保険と健康保険における自殺の扱いをまとめてみます。

【生命保険】

「契約者」ではなく、「被保険者」が自殺の当事者であることが前提です。

法律(商法)上は自殺による死亡は免責となっていますが
保険会社各社が免責期間(現在は加入から3年)を設定し
その免責期間を過ぎていれば自殺による死亡でも死亡保険金(病死)が支払われます。

一応最高裁の判例でも免責期間が過ぎた後については
特段の事情が無い限り、支払われるべきとされています。

ただ、最近は保険会社によっては、約款上に
精神疾患が原因(薬の暴飲や異常行動など)での自傷、傷病、死亡(自殺だけではない)は免責
としているところもありますのでこの場合は当然支払われないことになります。

逆に、精神疾患が原因の場合には
免責期間にかかわらず支払われることもある、と書かれているところもあります。

すべては契約している保険の約款に記載されている内容に寄ります。

参考までに、基本的には加入した時期により
自殺の免責期間は次のように異なります。

1)1996年3月以前に加入の場合・・・1年間
2)2007年3月までに加入の場合・・・2年間
3)2007年4月以降、現在加入の場合・・・3年間

そして、自殺は災害死亡・傷害死亡(不慮の事故死)ではなく
“心の病”による普通死亡(病死)扱いとして「受取人」に死亡保険金が支払われます。

【健康保険】

大手一流企業によく見られる自社の組合
または中小零細企業が集まって作った組合による健康保険
その他企業が加入する政府管掌健康保険
自営業者や個人が加入する国民健康保険のどれも
自殺未遂に対する治療に関しては適用しないことが定められています。

つまり、現場で死亡が確認される社会死状態でない限り
病院に搬送されて受ける治療については、結局病院で死亡したとしても
全額自由診療による治療費を請求されてしまうのです。

この治療費は“保険診療の10割負担”という意味ではなく
その病院の時価であることに注意が必要です。

ただし、予め精神疾患を罹っていた場合にはどの健康保険も適用されます。

 

【これら保険のことを考えて自殺するとしたら…】

1.まずは自殺でも保険金が下りる生命保険に変更または新たに加入する

*申し込み時にすでに精神疾患になっていれば
保険加入そのものができませんので、2の“治療の前”にしなければなりません。

2.その後、精神科に行き「うつ病」として健康保険で治療を受ける

*この際、仕事上ではなく、家庭問題(夫婦、親子間不和等)の悩みを原因として挙げると良い
理由は“仕事上”とすると労災保険との絡みが出てきて面倒になることがあるからです

*最悪、うつ病と診断されなくても何度か診断を受け、その事実を残します

3.免責期間3年の経過を待ち自殺を実行する

結果

・社会死状態で発見される…治療費は一切発生しないので生命保険金を満額受け取れます
・未遂で搬送され死亡…健康保険が適用され1~3割の自己負担が生じますが生命保険金で賄えます
・未遂で搬送され生き延びてしまう…生命保険金は手に入らず治療費の1~3割の自己負担が発生します
また、2の精神疾患の治療も受けることになるかもしれません

(注意)

この記述に関しては、これまで学んだことを分かり易くするためのストーリーに過ぎず
不謹慎であることをお詫びしつつ、どこかに見落としがあってこの通りにコトが進まなくても
私が責任を負うことはできないことを申し添えます。

 

 

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「第4回無農薬・ずくなし家庭菜園」受講&農園見学会参加

2012年07月19日 | 自然農法による自給用野菜作り

(今回の講座のメモ)

1.7月のテーマ…草

7月の大事な野良仕事

・草刈り…草が生えるのは良い畑だがそのパワーを野菜に向ける
根っこと葉っぱの総重量の3割を草に持っていかれると草負けする

・夏野菜のこまめな誘引&収穫…実を採ると負担が減り根を張って茎を太くできる
6、7月は基礎体力作りの時期なので根っこをしっかり発達させる。
8月になると根の成長は止まる。
夏野菜の旬(8月のお盆過ぎ~9月上旬)まで実らせることができるか。
(朝夕の気温が下がり養分を蓄えるため美味しい)

1)様々な除草方法

・草の種類とその生態を知る…生える草が土を教えてくれる
例えば、スギナは酸性の堅く痩せた土だがジャガイモ・サツマイモは大好き
適地に合わせて作物を選ぶ 結果、土も変わる
ドクダミの生える場所は畑じゃない

・手で抜けるうちは抜いたり、浅く耕す、土寄せ(中耕除草)する

・野菜が育つと草が抑えられる 適正株間を保つ

・マルチ、敷き藁、草マルチで草を生やさない

2)草マルチの総合効果

・保湿・保温(根の生育を促進する)

・病虫害の予防(雨の跳ね返りを防ぐ 虫のすみかとなり生物が多様化する)
葉の裏は弱い

・草の抑制(草が生えにくく柔らかい草に変化する)

・自然堆肥効果(残った根と土の腐食 団粒化を促進)

・野菜の質の向上(腐敗しにくく風味が増す)
落葉・草で作った堆肥が一番美味い

・後作の土作りになる

3)草マルチの基本

・野菜の株元、葉先の草は地際でのこぎり鎌で刈って敷く

・株元以外の梅雨時期に生えてくる草は根元を5~15cm残して刈る

・刈った草を熊手で集めて株元に青いうちに敷き重ねる
栄養分が含まれているうちに

4)草マルチの応用

・草マルチ+α(米ぬか・油かす・ボカシ)でその場で土着ボカシの追肥

・緑肥(牧草)の導入 通路の真ん中・畦など

・ハコベ・スベリヒユは作物が大きくなっていたらそのまま

2.7月もやってはイケナイ無農薬栽培

1)実を大きくして収穫する 根が成長できない

2)支柱、誘引の遅れも根の成長を遅らせる

3)株元の大きな草を抜くこと 土を踏み固めること

4)黒マルチを剥ぐこと(そのままにして陽をさえぎる)

3. 7月に自然に美味しく育てるポイント

1)夏野菜の収穫のコツ

・頻繁に収穫すればするほどたくさん採れる

・奇形の実は小さいうちに採る そのまま成長する

・ナス・キュウリは早朝(みずみずしい)、トマトは午後(コクが出る)に収穫

2)夏野菜の健康診断 追肥の見極め

・トマト…葉の張り具合 
ナス・キュウリ…雌しべの出具合 引っ込んでいると養分不足

・(対策)実を収穫して負担を軽く⇒枝葉の剪定・誘引⇒草刈り・草マルチ
⇒夕方タップリと水やり⇒根の先端へ追肥

 

(中旬に行われた農園見学会&研修会)

毎月受講している講座のT先生の農園は約70㌔程度離れた安曇野市にあります。

富山・川崎ナンバーを含めて、結構遠方からも約40人程度の参加がありました。



まさに「百聞は一見にしかず」、明らかに他の畑と“景観”が違います。

つまり、画像の茶色は畝間にわざわざ育てている草(牧草)や
収穫後の麦の枯れたワラの草マルチの色であって土は全く見えていないのです。

また、コンパニオンプランツのため一畝そっくりが同じ野菜でない部分も多く
何が植えてあるのかよく分からないのも大きな特徴です。

今回の見学を通じて、今月の講義内容の主たるテーマもそうですが
T先生の無農薬による野菜の栽培方法は
「草マルチ」を基本として成り立っていることがよ~く分かりました。

私の畑は自分の土地である上、すぐにくっ付いて他人の畑があるわけではありませんし
また周りはほとんどがリンゴ畑なので下草が繁茂していますので良いのですが
市民菜園など、すぐ隣に他人の畑があったりする環境では
説明を受けると理が整然としている方法ではあっても
見た目これだけ草ボウボウにしていると苦情が来る可能性があるのかもしれません。

 

 

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自殺未遂の場合、治療に健康保険が使えない!

2012年07月17日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

自殺を企て、現場で社会死状態が確認され
救急搬送されなかった場合は治療費が発生することはありません。

一方で、搬送後、病院にて死亡が確認された場合
または幸運にも息を吹き返して未遂に終わった場合も
その治療には(政府または組合管掌)健康保険も国民健康保険も使えないので
高額な「自由診療」の請求が上がることになります。

この「自由診療」の治療費は、保険治療の基になる治療費の10割負担ということではなく
あくまでその病院の「時価」になります。

具体的な例として、ヤフー知恵袋で金額の妥当性を尋ねている次のような質問がありました。

飛び降り自殺(検案書推定時刻16:50)から45分後(17:25)救急搬送にて病院到着
集中治療室で蘇生措置を施すも47分後に死亡(18:12)

 初・再診療 10,000円
入院料  222,400円
検査    18,600円
画像診断  9,040円
注射     1,450円
処置    21,740円
手術   334,110円
その他    5,460円
消費税   30,867円

総計   653,667円

そして蘇生して生き延びた場合は人工呼吸器装着だけで毎日10万円
10日間で数百万(!)単位の医療費負担が生じることもあると言われ
これは自由診療の時価が保険治療の2~3倍になるためのようです。

あくまで比較のための参考ですが、今年初め間質性肺炎で他界した義母の場合
42日間ICUでほとんど人工呼吸器を装着され投薬治療、都合約50日間入院後に死亡
後期高齢者医療費として約110万円、自己負担はその1割の約11万円で済んでいます。

政府は2006年に自殺対策基本法を制定し対策を強めているのですが
健康保険法の規定はそのままです。

第116条  被保険者又は被保険者であった者が、自己の故意の犯罪行為により
又は故意に給付事由を生じさせたときは、当該給付事由に係る保険給付は、行わない。

この「自己の故意の犯罪行為」に自殺未遂が含まれています。

ただし…

精神異常により自殺を企てたものと認められる場合においては
116条の「故意」に該当せず、保険給付は為すべきものである。

戦前の通達(昭和10年代)による保険給付の制限なのですがで
現時点でも有効とみなされています。

また、大手企業の健康保険組合の規定においても

自殺(自殺未遂)の場合は
故意に基づく事故であり、その行為による傷病の治療や傷病手当金の支給はしません。

ただし、その自殺が精神の障害により
その行為の結果に対する認識能力のない精神的病気の患者の場合
例外として保険給付を行います。

なお、その後、その自殺の引き金となった精神的病気の療養を受ける場合も
その療養に対する給付を行ないます。

このように、自殺未遂で集中治療等が必要となった場合
家族には精神的ダメージに加え、極めて重い経済的負担がのしかかることになります。

健康保険法の規定は、相互扶助の立場から
給付を必要最小限に抑えようという趣旨で記載されています。

しかし、時代は進歩し、医療保障は社会保障の根幹であり、国民皆保険の理念から考えても
給付の制限はできる限り限定的とすべきです。

少なくとも、自らの命を絶つという行為に対し
例え経済的ペナルティを与えても自殺を予防することはできませんし
かえって新たな悲劇を生むことにも繋がります。

このため、現場となる病院では故意の自殺と見なさない精神疾患だった“ことにして”
これら保険が使えるように配慮し便宜を図ってくれることが少なくないとも言われています。

この「少なくない」が、「自殺の原因・動機」のデータ数字に含まれていて
その実態も実数も当然、明らかにできるわけがないのですから
「自殺の原因・動機の多くがうつ病である」という結論自体
私には疑う余地があるように思えてならないのです。

昨今の世間の経済事情が影響して保険治療における自己負担分でさえ
支払えない人が増え、病院経営が圧迫されている話も聞きますから
取っぱぐれのない保険治療だったことにしてしまう病院側の都合もあるのでしょうが
もちろん、こうした“便宜”を非難するつもりは毛頭ありません。

 

 

 

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わさび農場と美術館の安曇野散策

2012年07月14日 | 日々の暮らし

           

1年に1度、今頃の季節に
女房の親友二人が泊まりがけでおしゃべりに、否、遊びに来ます。

昨年も今年も東京の彼女は都合がつかず名古屋のWさん一人でした。

会社をやっている頃はできませんでしたが
昨年からは時間が有り余っていますので“運転手”として駆り出されています。

オバサン二人のおしゃべりにはとてもじゃなく付き合い切れませんので
あくまで運転手としてのみです。

長野市ベースの日帰り旅行は東西南北どちらに向かっても
片道1時間半あれば名だたる観光地を訪れることができます。

ちなみに、東:志賀高原周辺、ちょっと足を延ばせば草津温泉
西:黒四ダム・白馬村周辺
南:軽井沢・野辺山・蓼科・諏訪湖・安曇野
北:上越近辺の日本海・野沢温泉・黒姫高原 などなど。

        

昨年は西の黒四ダムでしたので今年は南の安曇野に案内することになりました。

「安曇野」を知らない人がこれを「あずみの」と読むことは
東京お台場の「東雲」の「しののめ」と同じくらい困難で、まず不可能なことでしょう。

近い将来、長野道の豊科インターも安曇野インターと改名されるようで
近年観光地として積極的にPRされています。

「売り」は多分、ざっと数えただけで19はある美術館と記念館・博物館
そして名泉百選に指定されている湧水を利用したワサビと蕎麦なのでしょう。

もちろん、北アルプス連山を一望できる景観と
そのうちの一つである常念山脈を水源としたいくつかの川という環境あってのことです。

江戸時代とその名残が感じられる明治時代以外の美術や芸術・遺物・遺跡にはほとんど関心がない上
ワサビは別にして蕎麦も特に好物ではありませんし、高い山と綺麗な水が日常的な私には
この地域に特別な興味があったわけではないのですが
都会から見えるお客様、特に女性のご接待には格好の観光地と思ってのことです。

軽井沢はすでに行っているそうですし…。

「大王わさび農場」、そして「ちひろ美術館」と「碌山美術館」
昼食は蕎麦、お土産はワサビと、まさに定番処を楽しんでいただきました。      

ちなみに私はと言うと、ちひろ美術館ではサッと目を通して帰りに備えて昼寝
昼食は本当に美味いものとはかけ離れた馬肉丼…。

それにしてもまあ、泊っていただいた自宅と言いクルマの中と言い
オバサン達の脈絡のないおしゃべりは正に安曇野の湧水の如く
こんこんと止めどなく湧き出てくるのでした

 

 

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自殺には必ず(?)警察が絡む

2012年07月13日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

ご存じの方は意外に少ないと思うのですが、救急車を要請するため119番に電話すると
折り返すように間もなく110番から逆に電話が入ることを何度か経験しています。

かつて、宅配便のお兄さんがトラックから荷物を下ろす際
リアゲートに立て掛けて積まれていた鉄パイプの存在を忘れて開けたため
それが倒れて頭に当たり出血するケガを負った時、119番に電話し
まだ救急車が到着しないうちに警察から電話があり状況を説明しろと言われたことがあります。

また別の一件ですが、会社の看板の付け替え作業中、看板屋のオジサンが足場から足を踏み外して
3mほどの高さから地面に落下した際も同じことを経験しています。

もちろん、どちらも110番の警察になど電話はしていません。

その時の警察の説明では労災保険の関係で状況を訊いてくるとのことでしたが
だとすればそんなに急ぐ必要はないのですから、多分
同時に緊急配備などの必要性を含めた事件性の有無を探っているのでしょう。

ケガでさえそうなのですから、家族や医師に看取られる場合は何の問題もないのですが
自殺を含め、犯罪性がないと即断できない限りは
人が死ぬと警察により周辺の状況などを事細かに調べられます。

朝ちっとも起きて来ないので寝室に行ってみたら布団の中で息をしていない
畑から帰って来ないので迎えに行ったら倒れていた などなど
高齢者の多い私の周辺などは何人かこういう方がいて
必ず警察が来て事情を訊かれ「大変だった」と皆さん口を揃えて言います。

平たく言えば、例え家族でも殺人や傷害などの事件性を探られるのでしょう。

今になって警察沙汰になっている大津市の中学生の自殺ですが
これは間違いなく自殺なので“事件性なし”として警察で処理されたものの
自殺に至った経緯に刑事事件としての疑いがあるとして強制捜査にまで発展しているのです。

ところで、原則として医師以外の者が患者の死亡を宣言する権限はありませんので
自宅で首を吊っている状態の者を発見した時などはもちろん、倒れている場合なども
生きている、もしくは生き返るかもしれませんので
110番よりまずは119番で救急車を呼ぶことが正解なのでしょう。

ちなみに交通事故においても、交通路の確保、けが人の救援を優先し
警察への連絡はその後で良いとされています。

これも私の車同士の衝突事故での経験ですが、けが人はなかったのですが
燃料が漏れていて119番で消防車を要請、この燃料の処理をしている間に
気が付くとまだ連絡していないはずの警察がちゃんと現場に来ていました。

なお、119番の救急業務規程の中では
「明らかに死亡している場合」や「医師が死亡していると診断した場合」には
救急隊は患者を搬送しないと定められているそうです。

つまり、救急隊は死亡判定はできませんが不搬送とすることができ
それ以外の場合は患者が生存している可能性があるものとして
取り扱うことが求められているのです。

「明らかに死亡」とは、無体温・死後硬直・死斑・断頭・体幹部の離断・腐敗・炭化・ミイラ化
その他の明らかに生存状態とは矛盾する身体への損害(いわゆる社会死状態)をいいます。

社会死要件を満たさない場合、救急隊員は救命措置を開始し
医師の診断を受けるまでそれを止めてはならないとされています。

そして病院到着時の診察で死亡が確認されることを「病院到着時すでに死亡」と言います。

実数は不明ですが、救急車到着の際にすでに「明らかに死亡」しているため
後を警察に引き継いで病院に搬送されない人の数は半数以上はいると聞いています。

なぜ搬送しないのでしょう?

もちろん、“誰が見ても死亡している状態”なのですから“何をやっても助からない”わけで
治療のため病院に搬送する意味はないからです。
(ただし、現実には後になって問題になるケースもあるようです)

他方、絶対に事件性が無いとは言い切れないので現場保存のため
また、救急車を別の要請に回すため、ともされています。

このように、一般人が自殺者を発見した時は速やかに119番通報すれば良いのですが
病院に搬送されて無事命を取り留めた、つまり自殺が未遂に終わった場合
家族や親族には“治療費は健康保険が使えない自由診療による実費”という
思いもかけない事態が待っているというお話は後日に回します。

 

 

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新盆、まずは盆提灯…

2012年07月12日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

人が亡くなってから初めて迎えるお盆のことを新盆(にいぼん)
または初盆(はつぼん)と呼びますが、この付近では「あらぼん」と言うのが一般的です。

新盆には故人が仏になって初めて里帰りするということで
故人の近親者は盆提灯を贈り  初盆を迎える家では身内や親しい方を招いて
僧侶にお経をあげてもらい特に手厚く供養するものとされています。

今年2月に他界した義母は今年が「新盆」になるわけで
この四十九日以降初の大きな行事はまだ来月だと思って安気に構えていたら
先日、仏壇屋のSさんが我家を訪ねて来てそれそろ精霊棚(盆棚)を作るか仏壇を飾った上で
盆提灯を飾った方が良いのと言うのです。

“家紋入り”を作るには最低1週間は必要な上、関東地方は7月を盆にしているので
そちらに住む親戚は7月にお参りに来る方もいらっしゃる可能性があるから、だとか。

先祖の霊を迎え供養する「盆」は毎年7月13日~16日の地域と
ここ長野もそうですが、盆に限らず「月おくれ」と言って
1ヶ月遅れの8月13日~16日に行われる地域があることは知っていました。

でも、ご自分の住むその地域の風習に合わせておいでになる方がいることは知りませんでした。

本来は亡くなった方専用の提灯を用意するものだとか
ちょっと気の利いた提灯だと1個が3~5万円もするのは当たり前で、その上
正式には1対で飾るものなので10万円近い出費になるとか
さらには、菩提寺に盆期間中の法要を頼まなければいけないことも教えてもらい
急に気持ちが焦り出すことになってしまいました。

急遽、女房と相談し、結局、親戚でも贈ってくれるのであればイザ知らず
義父が亡くなった時にしか飾られているのを見たことがないうえ
4個の中には、新品の放送のまままで1度も飾ったことがない盆提灯さえあるのですから
これで済ませることにしました。

義母もこうした伝統を重んじた世間的な形式には、どちらかと言えば
こだわらない生き方を選んでいましたので、これはこれで叱られないと思うのです。

実の娘がそれで良いと言うのですし…。

また、どうもあの菩提寺のS寺(曹洞宗)の方丈さんに連絡を取ることには気おくれがするので
話し易い庵主さんに早速電話で法要の件を訊いてみると
本来、新盆にはお寺さんが1軒ずつ回ってお経を上げていただき
親戚・友人のご列席の下、会食を伴う法要を営むのですが
檀家数の多いS寺では回り切れないため、8月7日という
毎年決まった日に新盆を迎える家族が本堂に一堂に会して法要が営まれ
近いうちにその案内のはがきが届くのでもうしばらくお待ちくださいとのことです。

また、これとは別に自宅の仏壇にお経を上げて欲しい場合は庵主さんにお願いすれば
来て下さるとのことでしたが、これも女房は「いらないのでは」と言うのでしないことにしました。

「七夕」は元来お盆行事の一環で、精霊棚(盆棚)や幡(旗)を安置するのが
7日の夕方であることから「たなばた」」と発音するようになったとも言われています。

この話からもSさんの言うように、すでにお盆に入っているわけですが
今のところ仏壇にお参りに見える方の連絡はありません。

ところで、精霊棚とは葬儀から四十九日の納骨までの間、位牌・遺骨・遺影を安置しておいた3段の棚で
これは葬儀会社から段ボール製のものを購入したあったですが
四十九日法要が終わると不要なものと思いすでに焼却してしまっていました。

「ここでまた使うのか、しまったなぁ」と一瞬焦りましたが、地方によって差があり
ここ長野県北部では作らず直接仏壇にお盆のお供えをあげている、とSさんに教えてもらい
段ボールなのに数千円もする余計な出費をしないで済み、やれやれでした。

かように、冠婚葬祭に関しては、格式にこだわり伝統を重んじるのであれば
私の知らない地方毎、宗派毎の面倒な儀式や作法があることを改めて思い知り
新盆の行事を無事に終わらせることができますよう祈りつつ
今は7日の法要に持参する「お布施の額」でまた悩んでいます。

この“お気持ち”なるもの、なんとかならないのでしょうか…。

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大津市の男子中学生自殺問題

2012年07月11日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

男女合計の自殺の「原因・動機」データにおいて
「19歳以下」を除いて、あとは全ての年齢別で第1位は「健康問題」です。

「19歳以下」の第1位は現在マスコミで騒動になっている「学校問題(29%)」であることと
「男性・40代&50代」のそれが「経済問題(35%)」であることがとても特徴的です。

29%を占める「学校問題」が具体的に何を指しているのか、良くは知りませんが
2位「健康26%」、3位「家庭18%」に次いで4位に「男女問題9%」が分類されているのですから
少なくても、若者にありがちな“失恋などの悩み”でないことは確かです。

ちなみに、H22年における19歳以下の自殺者総数543人
うち160人が「学校問題」で自殺していて、65%、105人が男子です
(この男性が7割を占める傾向は全年齢共通です)。

この先、どんな明るい未来があるかもしれない19歳以下の若者が
特に中学生が自らの命を絶つことは悲劇以外の何物でもなく、原因・動機の根絶は無理にしても
未然に防げなかったことに対する責任が周囲の大人達にあることは明白です。

それが分かっているからこそ、あれだけ必死に、“いい大人達”が責任逃れに終始するのでしょう。

現場の先生方を牛耳っているであろうTVによく登場するあの市教育委員会の“おえらがた”は
我々世代にすでに片足を突っ込んでいらっしゃるのでしょうから
あともう少し何事もなく過ごせれば、と保身に走ることが理解できなくはありません。

しかし、「あなたは何さま?」と問いたくなるような、またあれだけ矛盾に満ちた責任逃れの言い訳を
教育者のはしくれとしてのプライドをかなぐり捨てて
よくぞ恥ずかしげもなく全国に向かって言えるものだと感心せずにはいられないどころか
その姿には見苦しさ、その内容には憤りさえ感じてしまうのです。

もう若くはないのですから、自分の発言に後で悩んだ挙句
「うつ病」に陥って自らの命を絶つなんて状況にならないようにぜひご注意ください。

 

 

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「やだぁ、こんな枝豆の木、見たことない!」

2012年07月10日 | 自然農法による自給用野菜作り

東隣りの畑のAさんの奥さんが私の畑の枝豆を見てこう言いました。

そうなんです、確かに私は最初に植えた大豆(枝豆)作りに失敗したのです。

GW前にホームセンターで苗を見かけ
「もういいんだ」と思ってすぐに植え付けた後、気温の低い日が続き数本が枯れてしまい
「ちょっと早かったのかなぁ」とは思っていたら案の定、全然成長してくれないまま
大きさがまだこんななのに、もうすでにサヤが脹らんでいます。

この最初に植えた30株からは1株で10個程度とすると
全部合わせても300個しか採れないことになってしまいます。

大豆は楽だ、と聞いていて、昨年もほとんど何もしなくても
枝豆と大豆がしこたま収穫できましたのであまりに安易に考え過ぎていました。

おかしいな、と思った時点で二番手の苗を植えていますし、昨年収穫した大豆を育苗
すでに双葉が出ていてこれもしばらくしたら三番手として定植するつもりですので
最終的には昨年並みの収穫はできるとは思いますが
真夏に片手の枝豆はちょっと不足することになってしまうでしょう。

それにしても、Aさんの奥さん
「こんな枝豆、見たことない!」なんて嬉しそうに、それも大きな声で言わなくても…

今朝は実から葉の生えたキュウリが採れました。

また、今年初めて植えた主な野菜たちの近況はこんな感じです


(大玉トマト:南桜2号)


(トウモロコシ:ハニーバンタム)


(サトイモ:八頭&石川早生)

 
(カボチャ:ケイセブン)


(スイカ:黒小玉)


(玉ネギ:品種不明、最終収穫分)

 

 

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独断(もしかしたら偏見も)で思い付いた“うつ病にしたがる”理由

2012年07月08日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

国立研究所にしろNHKの番組にしろ、(多分)学問的に考えると
高齢者の自殺の主たる原因は「うつ病」になってしまうようです。

では学問的に、普通に心に死を自覚した人は一体どのように自分の死の事実と向き合い
どのようにその事実を拒否したり受け入れたりするのでしょうか?

こうした研究は近年になってようやく真摯に行われるようになってきたと言われ
かつては、「死を理解する者はまれだ。多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える。
人は死なざるを得ないから死ぬわけだ」などと考えられていたようです。

しかし、女性精神科医による一つの画期的な研究がごく最近発表されました。

 実際に多数の「死に行く人」と言葉を交わし心理治療に従事した経験のある彼女が
多くの人が辿る「死の受容への過程」を次のような段階的モデルで示したものです。
(ただし特に高齢者とは限定されていません)

 

第一段階:「否認と孤立」
(自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階)

病などの理由で、自分の余命があと半年であるとか3カ月であるなどと知り
それが事実であることは分かっているが、あえて死の運命の事実を拒否し否定する段階。

それは冗談でしょとか、何かの間違いだという風に反論し、死の事実を否定するが
否定しきれない事実であることが分かっているがゆえに、事実を拒否し否定し
事実を肯定している周囲から距離を置くことになる。

第二段階:「怒り」
(なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階)

拒否し否定しようとして、否定しきれない事実、宿命だと自覚できたとき
「なぜ私が死なねばならないのか」という「死の根拠」を問いかける。

このとき、当然、そのような形而上学的な根拠は見つからない。

それゆえ、誰々のような社会の役に立たない人が死ぬのは納得できる
しかし、なぜ自分が死なねばならないのか、その問いの答えの不在に対し、怒りを感じ表明する。

第三段階:「取り引き」
(なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階)

しかし、死の事実性・既定性は拒否もできないし、根拠を尋ねて答えがないことに対し怒っても
結局、「死に行く定め」は変化させることができない。
死の宿命はどうしようもない、と認識するが、なお何かの救いがないかと模索する。

この時、自分は強欲であったから、財産を慈善事業に寄付するので死を解除して欲しいとか
長年会っていない娘がいる、彼女に会えたなら死ねるなど
条件を付けて死を回避する可能性を探ったり、死の受容を考え、取引を試みる。

第四段階:「憂慮」「抑鬱」
(なにもできなくなる段階)

条件を提示してそれが満たされても、なお死の定めが消えないことが分かると
どのようにしても自分はやがて死ぬのであるという事実が感情的にも理解され、閉塞感が訪れる。

何の希望もなく、何をすることもできない、何を試みても死の事実性は消えない。

このようにして深い「憂鬱」と「抑鬱」状態に落ち込む。

第五段階:「受容」
(最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階)

抑鬱のなかで、死の事実を反芻している時、死は「無」であり「暗黒の虚無」だという今までの考えは
もしかして違っているのかもしれないという考えに出会うことがある。

あるいはそのような明確な考えでなくとも、死を恐怖し、拒否し、回避しようと必死であったが
しかし、死は何か別のことかも知れないという心境が訪れる。

人によって表現は異なるが、死んで行くことは自然なことなのだという認識に達するとき
心にある種の平安が訪れ「死の受容」へと至る。

*ただしこの「死へのプロセス」は
彼女が多数の「死に行く人」の事例を観察して得たひとつの範型であって
人が全員、上のような段階を経て死の受容に至るわけではなく
色々な自己の死との向かい合いがあることを認めています。

 

この研究の結果を前提にすれば普通の人が周りから死を宣告された場合
第四段階で必ず「憂欝」、つまり「うつ状態」に陥ることになります。

そして死を受容して死の訪れを待つ場合は単なる「うつ状態」とされ
一方、それを待たずに自ら命を絶つ場合は「うつ病」だと言われてしまうのです。

また、経済的・身体的苦痛から逃れるためにむしろ積極的に死を選ぶ自殺の場合は
「どうせいつかは死ぬのだから」などとそもそも受容から死を意識するのですから
これは当然、「うつ病」とされてしまうのでしょう。

いったいぜんたい「うつ状態」と、病気としての「うつ病」とはどこがどう違うのでしょうか?

こうした“死に方の違い”で単に分類されてはいないのでしょうか?

「うつ病に罹患するとすべてのことに対して悲観的なとらえ方をするようになり
自殺志向が強まると考えられます。このため高齢者の自殺の予防には
うつを予防するという観点が重要となってきます」と国の研究所は言います。

本人であろうが周囲の者であろうが、プロセスの途中で陥る「普通のうつ」と
自殺へと導く「病気のうつ」の違いが分からなければ
“うつの予防”などと言われても、一般人レベルではとてもできないことに思えるのです。

にも拘らず、さらに国の研究所はこうも言います。

「高齢者のうつ病は自殺の危険性が高いにもかかわらず
本人が医療機関にかかることをいやがることが多く、また周囲が『年のせい』と取り合わなかったり
認知症と混同したりして適切な治療が受けられないケースがしばしばあるのも問題です」

「問題だ」と言われても、普通のうつ状態と病気のうつ病の違いが分からないのですから
「本人も周りの人も気付き難い病気」は当たり前のことです。

では、それなのになぜ自殺した高齢者が「うつ病」だったと言い切れるのでしょう!?

もしかしたら、生き延びた人はうつ状態、自殺した人はうつ病などと
死んだ後で決めつけているのでは…。

万が一そうだとしたら、これはもう予防など所詮、不可能な話になってしまいます。

そこで私なりに、「なぜこうも予防を名目にうつ病に“したがる”のか」という風に
ちょっと見方を変えてみたら一つの結論に辿りつきました。

 生命保険において、あまり明らかにされてはいませんが
契約から1~3年の免責期間が経過してからの自殺は原則として保険金が下ります。
(全ては加入している保険の約款に寄ります)

ある大手生命保険会社でも、過去10年で自殺に対する死亡保険金支払額が1.5倍以上に急増
総支払額に占める自殺による保険金支払額の割合も10%を超えたという報告があるくらいです。

これは、人は自殺をもって高額な保険金入手を目論んで保険に加入しても
その意志を1~3年間は持続できないからだそうです。
(ただし、保険金目当てが立証されるとダメです)

つまり、投薬治療などは完治に長い期間が必要なのですから
とにもかくにも「うつ病」にして治療を受けさせ
「死にたい気持ち」が減退するのを待つ効果を狙っているのではないか、ということです。

もちろん全くの思い付きなのですが
こう考えると私には、“なんでもかんでもうつ病にする”意味が理解できるのです。

だとしたら、可能・不可能は別にして、うつ病がれっきとした病であってすでに治療法が確立され
充分に完治が可能とされているとは言え、一般的にはよく理解されていないことも事実なのですから
「そんな所に行くのは恥ずかしい」「そんな惨めな思いをするのなら死んだ方がマシだ」などと
思われていると聞く“精神科”ではなく、もっと拒否反応が少ない“脳神経外科”などの扱いにしたら
今よりもっともっと多くの自殺希望者が診断を受け、結果、ゆっくりと時間をかけて考えることになり
そのうちの多くの人が自殺を思い止まることになると思うのです。

ちなみに、うつ病の症状は基本的に次の4つの症状群に分けられています。
①うつ気分
②生命活力の減退による意欲・行動の障害
③悲観的な思考障害
④種々の身体症状
⑤日内変動、季節変動

これに事前に当てはめて「私はうつ病ではない」前提でこの話題をスタートさせましたが
④以外はどれも心に関するもので抽象的ですから、本人と言えども断言できるわけではありません。

これでもし、万が一、何かの間違いにしろ、私が自らの命を絶ったとしたら
または自殺する原因を誰も思い当たらないはずではあっても自殺に見せかけて誰かに殺されたとしたら
この記事を書いたこと自体で「うつ病に罹患していたに違いない」と見なされて
“65歳を間近に控えた高齢者がうつ病が原因で自殺した”ことにされてしまうのでしょう。

もっともそうして「心の病であるうつ病」にしていただいた方が
私の加入している少しばかりの保険金は何の問題もなく下りてくるのですから
“結果オーライ”というものです。

保険と言えばもう一つ、健康保険においても
自殺する前にうつ病の治療を“受けておいた方が良い”理由が思い当たりますので
改めて後日、取り上げることにします。

 

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初めて見る農具

2012年07月06日 | 自然農法による自給用野菜作り

友人のY君の畑はかつては千曲川の河川敷だった場所にあり
肥沃で長イモも採れるような土質のため周り中が野菜畑になっています。

私の住む市街地北部の丘陵(山?)からは10㌔以上南ですので
気温も2~3℃は高いと思います。

このため春は少し遅れた農作業になり、昨年野菜作りを始めたばかりの頃は
1週間遅れで植え付けをマネしただけで一応、それらしい収穫をすることができましたが
土質の違いや無農薬による作業の違いを徐々に知り出したのは
講座の受講もあって2年目の今年に入ってからのことです。

そんな折、私よりさらに北部に住む女房の友人Wさんの旦那さんが
まだ現役としてバリバリ仕事をなさっているため毎朝4時半頃から畑に出て
朝飯前の一仕事として野菜作りをしていることを知り、その畑を見学させていただくになりました。

Wさんの住む町は数年前に長野市に合併していて、ここと同じ粘土質のため
生業としている農家ではリンゴ中心の果樹栽培がされていることは知っていました。

つまり、私の住む環境とよく似ているようなので
何か参考になる野良仕事が見られるかもしれないと思いぜひとお願いしたものです。


(広さは約120坪くらいで畝間は広め。私と同じ程度の傾斜地です)

こうしていろいろな畑を見させていただくと
やはりその地方地方によってその場所に合った栽培方法が見られるだけでなくて
その人をよく知らなくても畑を見て話を聞くと、なんとなく“人となり”まで見えてきて面白いのです。

今回、なるほど粘土質でしたが、エンジン式耕運機をお持ちなほど
親御さんの代では本格的に、かつ長いこと続けて来ただけあって
はるかに野菜が育ちやすい土に改良されているように見受けられたのですが
ひとつ、見たこともない気になる道具を見つけてしまいました。

これは粘土質の土を叩いて塊を砕くのに使うのだそうです。

私は普段、シャベルで掘り起こした後は、大きな塊を手で一個一個割っているのですが
これを使ったらもっと楽に出来るのかもしれません。

これほどの粘土質でなければ全く不要な作業なのですから
この道具は今までホームセンターで見かけたことはありませんしネットで調べても出て来ません。

ぜひ一度お借りして、試してみたいと思うこと仕切りです。

 

 

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