保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

好きになれないホームセンターの“ヘソ手おじぎ”

2012年08月31日 | 世の中のあんなコト、こんな事

若かりし頃、実家の女性アパレル小売店を手伝っていた時期には
特に接客の仕方に敏感な客層であるため
常に接客の五大用語やおじぎの仕方を叩きこまれたものですが
その後進んだ自動車販売業界では、当時、管理ユーザーの接客が主だったせいもあり
どちらかと言うと“活発さや親しみやすさ”を優先していたはずです。

「いらっしゃいませ」ではお客様が構えてしまうので「こんにちは」に変えたほどですから。

このため、お帰りになる際の「おじぎ」に関しても、せいぜい軽い会釈程度に腰を曲げるだけで
むしろお客様の方を見て大きな声で「ありがとうございました」とお送りしていたものです。

八百屋や魚屋に近いような、と例えたら分かり易いでしょうか。

この違いに正直、ちょっと驚いたものですが、これはこれで一理あると何十年も続けていると
もはや30度に腰を折る“最敬礼”など忘れてしまっていました。

ところが何年か前、Hなる女性マナー講師が「接遇」という言葉を流行らせ
トヨタグループのショールームなどのマナー講習の場面をTVで目にしてからというもの
彼女の教える両手をヘソの上で重ねて両肘を横に張って最敬礼する
“ヘソ手おじぎ”が世間に蔓延し出した印象があります。

この名前が正しいのかどうかは不明ですが、検索で出て来るのですから
多分、世間ではそう呼ばれているのでしょう。

そして数年が立ち、この女性講師の姿もしばらく見かけなくなったと思っていたら
金買取り店〇ールドやその他のテレビCMだけでなく、よく行くホームセンターMの女性レジ係が
このおじぎをするようになっていることに気付いたのです。

CMにしても、このホームセンターにしても、私はこのおじぎが嫌いです。

だいだいから、両手を重ねるにしても、昔教えられたようにヘソより下の方が
両肘を横に張らずに済んで“自然で柔らかく”見えるのではないでしょうか。

ちなみに、男性の両手の置き場所は
太ももの前、または横のズボンの縫い目で良いとされているはずです。

私個人の好き嫌いの理由を探ったところでどうなるものでもなく
「嫌いなものは嫌い」でしょうがないにしても、実際に接するホームセンターMに限って言えば
おじぎを教えられた通りにこなすことに気を取られて、肝心なお客様の目を見ることが
おざなりになっているからだと思うのです。

もしくは、早く次のレジを打たなければ、と頭では考えながら
連続した動きを止める一つの独立した動作になっているこのおじぎが
“わざとらしさ”を演出してしまっているからなのかもしれません。

やはり遠い昔、商品を渡す際は、片手ではなくもう一方の手を添えて両手でするのは
そうすると自然に頭が下がる形になっているので、渡しながらお客様の目を見て
「ありがとうございました」と微笑みながらお礼を述べ、お客様が受け取ったのを確認してから
もしかしたすでにお客様は踵を返しているような遅いタイミングで
深々と腰を折り一呼吸するおじぎでお送りするように教わりました。

できるだけ行列にならない速さが期待されるホームセンターのレジ係に
一連の流れを止めてまでするこのギコチナイおじぎを取り入れる必要など全くなく
特に若い女性、いえ、例えパートのおばちゃんでも、商品の入った袋を渡しながら
しっかり目を見てにこやかな笑顔を添えて明るく「ありがとうございます」と言ってくれた方が
少しくらい頭の下げ方が足りなくても、場合によっては会釈程度でも、どんなにかお客様も
買い物後の満足感に満ちた幸せな気持ちになれるのでは、と思えてなりません。

もっとも、従業員の画一化を図るために会社が良しとして形だけを取り入れたおじぎで
どうせ私と目を合わせることなどなく次のレジを打ち出すのでしょうから
テレビCMと同様、私が目をそらせて嫌いなモノは見ないようにすれば、それで済む話ではあります。

 

 

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義母は中村医師の言う「自然死」ではなかったが…

2012年08月30日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

今年2月に81歳で他界した義母の死亡診断書には「間質性肺炎」と書かれていました。

昨年の暮れに掛かり付けの総合病院に駆け込んで風邪と診断
1週間後の1月4日に症状が改善しないことと薬がなくなったため再診に出向いたところ
「肺炎球菌による肺炎と思われる」と病名が変更され、なんと即日緊急入院
この時はマスク型呼吸器が装着されていました。

5日後、集中治療室で気管挿入型人工呼吸器を付けられ
鎮静・拘束・点滴によって食事、話はできない状態のまま、42日後に息を引き取りました。

途中で「細菌性肺炎」から「間質性肺炎」に進行し生存の可能性がより下がった事実を告げられ
さらに気管切開型人工呼吸器の装着の是非を問われた際
その後の介護の話を聞くことになりました。

これを一旦装着すると外すことはできないこと
そして、話すこと、食べることは一生できなくなる可能性が高いこと
また、病院治療は終了するので退院し、家族に寄る介護もしくは
然るべき施設に入らなければならないこと 等など。

正直、まさかそんな状態で退院させられるとは思ってもいなかったこともあり
生前の言動を主に参考にしつつも、私と、特に女房にかかるであろう負担を考えて
気管切開をお断りした経緯があったのです。

いわゆる延命治療には主に3つの種類があると言います。

・人工呼吸…脳死などの昏睡状態で何らかの処置をしなければ呼吸が停止する状態や
肺機能の低下により血液の酸素化が十分に行えない状態などで行われる。

・人工栄養…経鼻胃管を挿入して栄養する場合と、中心静脈カテーテルを挿入して
血液中に直接栄養する場合がある。昏睡状態や食道の狭窄が起きている場合に行われる。

・人工透析…腎機能の低下もしくは廃絶によって無処置では尿毒症を起こす状態(腎不全)で行われる。

義母の場合はこのうちの「人工呼吸」であったわけですが
最初の一般病棟でのマスク型は特に説明もなくいつの間にか装着され
次のICUでの気管挿入型の際は、そうする必要性の説明を受けましたが
重い決断を迫られた認識は今でも持っていません。

ところが、気管切開型の説明は、今までとは明らかに違った雰囲気の下で2度行われたのですから
この時に延命治療をするかどうかの決断を迫られたのでしょう。

「でしょう」としか言えないのは
2月8日に呼び出された際、医師からも、署名を求められた書面にも
延命治療という言葉は一切出ていなかったからですが、蘇生処置なる言葉は登場し
心臓マッサージはお断りしましたがモルヒネ投与や点滴を少しずつ減らすなど
苦しさと痛さの緩和処置はくれぐれもお願いしました。

記憶が薄れていますので定かではありませんが、気管挿入型にはタイムリミットがあるようでした。

確か2週間経ったら1度は抜いて入れ直す必要があり、それも3度目は無理だと言われていたはずで
3日後のギリギリまでICUにいた後、気管挿入型を外しマスク型に戻し
点滴に寄る栄養補給は続けた状態で死に場所となる一般病室に移されました。

その翌日の2月12日の夜中、当直の看護師に呼び出され
担当医からは「今日明日には…」と言われたので、24時間交代で付き添ってから
さらに2日間頑張った末の2月16日、私たちが見守る中でモルヒネ投与もなく静かに息を引き取ったのです。

中村医師の著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」に寄れば
病院では「自然死」はあり得ないと言います。

事実、彼の「指示書」は人工呼吸器の装着を拒否しています。

また、最期は身体が点滴による水分とい栄養補給でパンパンに膨れていましたので
“枯れた”とは似ても似つかぬ状態だったことも確かなのですから
義母のこの死を「自然死」と呼ぶことはできないのでしょう。

では、このケースの場合、どの時点で、どうしたら、自然死することができたのでしょう?

そもそも具合が悪いから(結果として風邪)と病院に行ってはダメだったのか
風邪から「肺炎球菌による肺炎」に診断が変更された時点で緊急入院させてはいけなかったのか
投与された抗生物質で一時はX線の白い影がスッと消えかけた数日後、またその影が広がり始めたからと
再びICUに運び込まれた時から自然死への道を外れてしまったのか…。

義母は「自然死」なる言葉も知らないまま、“苦痛がなく楽に死にたい”とだけ
生前、口癖のように言っていましたので、最初の風邪の診断から僅か50日、ほとんど苦しまず
モルヒネも使うことなく逝ったのですから、一応、希望通りだったと思うようにしています。

もし、中村医師の指示書のように人工呼吸器の装着を拒否する自然死を望んでいたのだとしたも
マスク、経管、気管切開と段階的に進んでいく人工呼吸器を拒否できる知識も自信もなく
同じケースに遭遇したら、再度同じ道を歩んでしまうに違いないのです。

かように、「自然死」なる死に方には、今の医療に慣れた一般人が現実の場に遭遇した場合
どうしてよいのか分からない要素が多分に含まれていることは間違いありません。

 

 

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ついに一人前のスイカになりました!!

2012年08月28日 | 自然農法による自給用野菜作り

振り返れば、これほどヤキモキして育てた野菜は初めてでした。

スイカが野菜とは知りませんでしたし…

ほとんどの野菜は“見た目“で判断でき、そうでなくても
ジャガイモは試しに掘ったり、トウモロコシは
包みの皮をめくったりして実の成長が見られます。

皮に爪を立てる、とか首の縞模様がはっきりする、とかで
収穫時期が分かるというカボチャも
初めての私にはスイカと同じくとても判断できませんでしたが
かなり多くの実が育ちましたので
一つに掛ける思いはスイカとは比べ物にならないほど小さく
なによりも調理すればそれなりに食べられます。

このヤキモキ感は育苗の段階からずっと続いていたことで
植えたスイカの発芽率は20粒で4本、つまり20%でしたし
その上、キュウリ・ナス・トマト・カボチャの中では一番遅く
その後の成長についても「これで実が付くの?」
付いたら付いたで「これで夏に間に合うの?」と
その都度悩んでいたものです。

それでも何とか7個が結実して、1カ月前に孫が着た際に1個収穫して
彼らの目の前で割って見たらまだ真ん中だけがピンク色
味はウリからスイカに成りかけのような青臭いもので
誰も見向かず、いつの間にか廃棄…

2週間前の次の1個も同じような色づき加減で
真ん中の少し紅い部分だけ食べて
残りは女房の“キュウリパック”の代わりに顔に貼り付けられるという
スイカとしては不本意な末路を辿らせてしまいました。

3つ目は、頂きものの大玉スイカを先日長女に送る際、同封してあげましたが
食用に足りたのか、怖くてまだ聞いていません。

そして昨日、4つ目を採ってこわごわ割って見たのがこれです。

 

ようやくスイカとしての体裁になっているではありませんか

いやー、嬉しいですねぇ そして、旨いですねぇ

「有機栽培難易度:難しい」とされているスイカなのですから
来年は開花日をちゃんとラベルに記録して
美味しく食べてあげなければ可愛そうというものです。

それにしても、肥料どころか堆肥もなしで、よくぞここまで育ったものだなぁ…。

 

 

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やっぱり夏バテには焼肉とうなぎ

2012年08月27日 | 日々の暮らし

今年は夏野菜の代表、キュウリ・ナス・トマトをかなり多く食しています。

野菜作りも2年目になり、順調に収穫できているためですが
“肉好き”を自称する私にとっては
これら中心の食事では猛暑続きでパワーが切れ、夏バテ気味に陥っていました。

そこで、先週初めは食べ方題2480円の焼肉屋に出かけ
しこたま大好きなカルビをほお張り、そして昨日は娘婿の誕生会の名目で
うなぎ専門店でうな重(並・2905円。昨年1995円より1000円超も値上がり!)で舌鼓を打ち
おかげ様で今朝は朝からアブラで肌がツルツル、否、ギトギトです。

コレステロール値の高い食い物ってなんでこんなに旨いのでしょうか

 

 

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中村医師による「自然死」の奨め…新しい“死に方(自殺を含む)”の提案

2012年08月25日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者
72歳の現役医師、中村仁一氏によると、医学的に見て老い、つまり歳を取るということは
身体が壊れてきて具合の悪いところが出て来ることに他ならないと言います。

そして、基本的に病を治すのは人間が本来持っている自然治癒力であって
医療はそれを補助するものに過ぎないはずなのに
歳とともに衰えてしまった治癒力で治せない結果としての死に対してまでも
延命治療により医療が関与し過ぎだとも指摘しています。

その結果、現在の日本では老いに必ず医療が関わることになり
医療費支出を年々増大させながら、その先にあるのは確実な死にも拘らず
病名が付けられた病だから治るとして過度の期待を持ち過ぎているのだそうです。

ところで、筆者の長きに渡る医師の経験を基に、現在の医療行為の功罪を述べていますので
詳細は本をお読みいただくとして、こうした治療が“苦痛もなく楽に死ねる”ことを邪魔していると結論付け
死に結びつく医療的措置をどこまで受けるかの意志表示を生前に
明らかにしておく必要性を述べている点に着眼しないわけにはいきません。

中村医師は“事前”に次のような「指示書」を書くことを奨めています。

 

「医療死」より「自然死」が好みのため
意識不明や正常な判断力が失われた場合、下記を希望する。

(ボケた時はボケきる直前に“断食死”を敢行するつもりだがタイミングを外す場合も考慮して)

一.出来る限り救急車は呼ばない

一.脳の実質に損傷ありと予想される場合は開頭手術は辞退すること

一.人工透析はしないこと

一.経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え
経管栄養・中心静脈栄養・抹消静脈輸血は行わないこと

一.不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければ
その時点で取り外して差し支えないこと

 

 

さらに、事前指示書(その2)は次の通りです。

 

死後について下記を希望する

一.使い古しの臓器は提供しない

一.葬儀は簡単に家族だけで、遠方の者には連絡せずとも良し
葬祭センター使用も可

一・読経、戒名は不要

一・告別式不要、供花・香典は辞退すること

一.死体処理は完全に灰にするか、凍結乾燥粉砕で肥料にせよ
(もし、偲ぶよすがが欲しければ、髪の毛か下の毛を刈り取るべし)

一・年忌法要・墓石参りは不要
(ただし、死体処理が希望通りにならず骨が残れば
戒名・年忌法要を行うも苦しからず、墓石参りも勝手たるべし)

 

 

「指示書(その2)」は死後についての内容ですから明らかに「遺書」ですが
(その1)は生きている間の具体的に拒否する医療措置を指定しています。

これだけを抜粋したところで、この著書の死に方の指南が伝わるとは毛頭、思っていませんので
これもぜひ現物をお読みいただくとして、私が注目したのは
その冒頭、カッコ内の「ボケた時は…」の内容です。

ちなみに、「ボケた時」とは筆者の好みにより「認知症を患った時」の意味です。

「ボケきる直前」そのものの時期が判別できるのかどうか
また、その段階で正常な判断ができるのかどうか、素人にははなはだ疑問ですが
“自ら水と食を絶ち、枯れたような死を待つ”というのですから
「姨捨山」で捨てられた年寄りが行き着く先と同じように
「断食死を敢行する」とは明らかに“自殺をする”という意味以外の何物でもありません。

「日本人の自殺願望は『いっそひと思いに…』というせっかちなもので
約1カ月かかる断食死には頑強な精神が必要だ」とご本人も自殺という言葉を使っているのですから
せっかちかどうかの話は別にしたら、少なくても私には間違いなく自殺に思えるのです。

多分、この件に関してはこの著書の中でも多くは語られていませんので、中村医師が訴えたいことは
多くのページを割いている“医療とかかわらず大往生する”、つまりは
“医療にかかわらない=不必要な医療は受けない死に方”なのであって
「ボケきる直前」はその中のごくごく一部なのかもしてません。

しかし、もっと生き長らえる命をみすみす絶ってしまう可能性を含むという点では
どの治療の拒否にも、“それで死んでも良い”という強い意志と信念が必要です。

この意志の裏側には必ず大義名分があるはずで、中村氏の場合は
“餓死こそ苦痛もなく楽に死ねる自然死なので家族にそのお手本を示す”ことにあるのでしょうが
逆の言い方をしたら、現役医師でさえ大義名分によっては自殺もあり得ると解釈して喜んでいる私は
この本の読み方が間違っているのでしょうか。

もう一回、いえ、何度も読み返してみる必要がありそうです。

現代的な「口減らし」という側面も含んでいそうですから。

なにはともあれ、こうして高齢者の死について語られた本が売れることは嬉しい限りで
今後ますますこうした提案が多くなされることを願わずにはいられません。

 

中村仁一氏・・・社会福祉法人老人ホーム同和園附属診療所(京都市伏見区)所長 。
1940年長野県生まれ。66年京大卒。高雄病院院長・理事長を経て、2000年より現職。

大反響のようですね。

(中村)2012年1月末の発行で、6月には50万部に到達したそうです。
今、高齢者医療のあり方が、政策や医療提供の側面から問われていますが
一般の人たちの関心も相当高まっているという証しではないでしょうか。

医療とかかわるな、とは?

(中村)医療を全否定しているわけではなく、やみくもに医療にすがると悲惨な結果になりますよ、ということです。
回復やQOLの向上が見込めるなら当然利用すべきですが、単に死を先送りするだけなら、断った方がいい。
本人の意思が関与しない治療行為は、周囲の者の自己満足にすぎません。
医療はあくまで、本人がその生き方に照らして関わるべきものだと思います。

高齢者医療を担っている医療者から批判の声はありませんか?

(中村)ありませんね。1998年に
『幸せなご臨終─「医者」の手にかかって死なない死に方(』講談社)を発刊したときは

「年寄りの命を何だと思っている」「末期と決めつけるな」などと随分たたかれましたが
今回そうした批判がないのは時代の変化でしょうね。一般読者からは
「自然死を選びたい」「年寄りは具合が悪いのが正常と言われてホッとした」という声が届いています。

これまでのご経歴は?

(中村)京大卒業後、医局に属さず京都南病院(京都市下京区)に入職し
しばらくして高雄病院(右京区)に移りました。
96年に市民向けの「自分の死を考える集い」を始め、もうすぐ200回を数えます。
そこでは、今の「生」を有意義にするため死を視野に入れるよう説いてきました。
高雄病院を退職後、老人ホームで数百人の高齢者を、点滴も酸素吸入も行わない「自然死」で看取りました。
集いの活動と看取りの実践を踏まえて出来たのが本書です。

今の日本人にとって、死は身近ではありません。だから死に際に慌ててつい延命治療を選んでしまう。
そうならないために本人も家族も、やり残したことのリストを作って達成しておくべきです。
それらを含めた「死を意識した生き方」の作法を、具体的に紹介しました。
こうした作法が広まって、患者や家族が死を受け入れる意識をするようになれば
高齢者医療は変わると思います。

 

 

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和風ハロウィン !?

2012年08月24日 | 自然農法による自給用野菜作り

数日前に2、3日続いた夕立ち
まだ収穫していないカボチャ1個のあの厚い皮が裂けてしまい
捨てるのも勿体ないので半分にして食べようと収穫しておいたものです。

台所の薄暗い中で見ると
これじゃまるで日本のお化けの「一つ目小僧」じゃありませんか

10月末のハロウィンにはまだちょっと早いですなぁ。

 

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カボチャの“つる”の長さは?

2012年08月22日 | 自然農法による自給用野菜作り

玄関からすぐ見える東側の畑に植えたカボチャのツルが生い茂り、雑草が刈れずに
伸び放題なのがずっと気になっていて、収穫する日を心待ちにしていました。

収穫時期の判断は、皮に爪がを立ててキズにならなくなったら、とか
首の所が硬くなり縞模様がはっきりしたら、とか、結局は自信を持てないままでしたが
2、3日前に天ぷらで試食したら美味かったので、昨日“決行”しました

いわゆる西洋カボチャの「ケイセブン」ですので、完全に熟してから食するほうが美味い理由は
サツマイモや栗と同様にデンプンを糖に変える酵素を含んでおり
貯蔵によってあるいは低温でゆっくり加熱することによって甘味が増すからだと講座で教わっています。

このため、収穫直後よりも収穫後、約1カ月頃が糖化のピークで食べ頃となるそうです。

冬至にカボチャを食べる風習があるのも、このように糖化に時間がかかり
晩秋以降が食べ頃になることと、年末まで日持ちする数少ない野菜であることが理由だとも。

つまりは、収穫時期そのものには
それほど気を遣わなくても良かったのかもしれません。

ところで、つるの成長の速さにはビックリさせられましたので
一体どの程度の長さになったのか、6本のツルを測ってみた結果は下の通りでした。

(〇は結実。⑥以外は放任栽培)

①親づる11m (5節)子づる5m (6節)子づる2m・〇 (18節)子づる1m
(24節)子づる2m (32節)子づる2m (41節)子づる1m (その先)〇 合計24m・収穫2個

②親8m (1節)子4m (4,7,8節)子…枯れ (その先)〇〇 合計12m・収穫2個

③親6m (5節)子1m、2m (6,7,8〇,9、12節)子…枯れ (32節)子2m〇 合計9m・収穫2個

 ④親8m (2節)4m (8節)1m (9節)2m (12節)2m〇 19節1m
(21節)1m〇 (24節)2m (25節)2m (32節)〇 (28節)2m〇 合計25m・収穫4個

⑤親5m (5節)3m (7節)3m〇 合計11m・収穫1個

⑥親1mで摘心 (7節)子7m (子6節)〇〇 (子7節)孫3m〇 (12節)孫1m 合計11m・収穫3個

つるの総延長81m(収穫総量14個)

【結果から見えること】

・株によってつるの成長は2倍以上の格差があります。

・10mと25m前後につるの成長の長さが集まっています。

・親を摘心した⑥が3,5mに収穫1個(合計3個)
あとは③4,5m(2個)、④6m(4個)、⑤11m(1個)、①12m(2個)に1個の割合でした。
③④⑥のような効率にするにはどうしたら良いのでしょう。

(クソ暑い中、熱中症になりかけてこんな計測をしても何か役に立つのか

 

 

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自然死・老衰死・安楽死・尊厳死の関係

2012年08月21日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

“死”は医学的に見て、その形態により
自然死、病死、災害死、事故死、自殺、他殺に分類されると言います。

また、死の原因すなわち死因は、死に至る基本的病態に従って分けられ
消耗死、脱水死、呼吸不全死、心不全死、中枢障害死、貧血(無酸素)死
代謝死、ショック死、事故死などがあげられています。

「自然死」とは、本来、疾病その他の原因がなく死に至ることで
いわゆる寿命を全うした「老衰死」のことと漠然と考えられていました。

寿命とは、われわれ人間をはじめ、すべての生物の生命の限界を意味するもので
これは種族あるいは個体によって大きく異なります。

一方、なんら病的変化のない状態での生理的現象である老化の最終が老衰死であり
そのときの年齢が寿命と考えられ、人間では100歳以上とされています。

しかし実際には、完全に老衰死といわれる状態がみられることは
きわめてまれであることは病理解剖において常識とされています。

このため、1977年カリフォルニア州で成立した「自然死法」によれば
 もう回復が不可能と分かってから本人の意思表示が明確であれば
延命のための医療行為を中止しても違法ではなく
それは自然な死を迎えさせる通常の医療判断の範囲であると定められました。

基本的には日本でもこれが「自然死」とされているようです。

 

老衰死
(分類上は自然死に含まれます)

高齢者が死因と推定できる病気が無く、老衰によって自然に生を閉じた時は老衰死と言います。

従来、高齢者の死因は老衰と表現されることが多かったのですが
近代における医療技術の環境下では
医学的原因には不適切であるとしてこの表現は少なくなりました。

これは、老齢による代謝・免疫・回復能力の不全による死因を
診断上の心不全・肺炎・多臓器不全・脳卒中などの病死扱いとすることが多くなっているためです。

しかし、実際は、何らかの慢性疾患に対して治療が行われていた場合も含み
高齢者の死亡原因は多岐に渡り、真実の病名が明らかでないにもかかわらず
それらしい病名がつけられる場合も多いそうです。

特に生来、健康であった人の場合、死亡に至った原因の究明は監察医制度のある地域を除き
体表所見の観察以外の検査はほとんどの場合行われることはないので解剖などによる確定診断ではなく
上記のような“単に状況から推定されただけの病名”がつけられていることになります。

つまり、老衰というきわめて漠然とした死因ではないにしても
かと言って正しく診断された病名がつけられているというわけでもないのが現状なのです。

このことは、死亡原因を究明するための検査には高額な費用を要することが原因と聞きます。

具体的には、死亡後の検査は健康保険が適用されないため、血液検査だけで数千円
これで死亡原因が確定することは少なく、次にレントゲンなどの画像診断を行うと数万円
しかも死体のレントゲンやCTを撮影する機械は、多くの場合
患者用とは別の部屋に別の機械を設置しないと患者が嫌がるため
撮影を行えるケースはまれであるとされています。

それでも死亡原因が確定しない場合は解剖が必要になりますが
数十万円の費用がかかり、これらの費用は犯罪が関わると警察が考えた場合は警察の負担
医療機関が解剖を望んだ場合は医療機関の負担
患者家族が望んだ場合は患者家族の負担となってしまいます。

このように、高額な費用を掛けて得られた正確な病名か
一人の医師の(検査は一切無しの)検案のみによる推定による病名かによって
全くその意味が異なってきます。


自然死
(本来は老衰死を指していました) 

原因となる病気があって、しかし回復の可能性が無く

これ以上の治療行為をするのは患者に負担をかけるだけであり、治療義務はないと判断して
治療行為を中止することでもたらされる死で、法的違反性については曖昧なままです。

「尊厳死」または「消極的安楽死」という場合もあります

 

尊厳死とは、自然な経過に任せること、つまり、人格の尊厳性を最後まで保って死を迎えるために
無理な延命措置を施さず、自然な経過に任せること、です。

安楽死は、人為的に死期を早める処置をすること、つまり苦しみから解放するために
苦しみながら生き長らえる人に薬物などを用いて人為的に死期を早める処置をすること、とされます。

どちらも不治の病気や重度の障害などの患者に限られます。

①延命治療を中止する…尊厳死

②患者の命を絶つ行為をしたり、自殺を幇助(ほうじょ)する…安楽死

ただし、専門的に用いられる時は
「安楽死」自体が①と②両方の意味を持っている場合がしばしば見受けられます。

すなわち、「安楽死」を「消極的安楽死」と「積極的安楽死」の2つに分類するという考え方で
一般に「尊厳死」と呼ばれているものを「消極的安楽死」
「安楽死」と呼ばれているものを「積極的安楽死」とするということです。

①延命治療を休止する…尊厳死または消極的安楽死(⇒自然死)

②患者の命を絶つ行為をしたり、自殺を幇助(ほうじょ)する…安楽死または積極的安楽死

一方、「尊厳死」という言葉には、先の①の意味以外にもっと広い意味もあるようです。

すなわち、死を迎える本人が誇りをもって、あるいは個人の理念に従う形で死ぬということです。

これは延命するとかしないとかという問題ではなく
個人の納得する形であれば、あらゆる場合が「尊厳死」と呼び得るということです。

ただし、この場合の「尊厳死」は単に字面を捉えた「尊厳のある死」ということですので
どれほど一般的に受け入れられているかは不明です。

さらに最近、私と同世代の医師の間から言い出されている「自然死」や「平穏死」は
従来の①の延命治療の前の段階で全部または一部の治療を
本人が選択して“拒否する”ことによって枯れたような状態で楽に苦痛もなく死ねるというのですから
「今までの自然死」とは違うような気がしてなりません。

(個人的には「新しい自殺の提案かも…」と思われるこの“死に方”ついては後日に改めて)

このように、勉強不足は否めないにしろ、私が調べる範囲では
これらの言葉の日本における解釈に今一つはっきりしない部分を感じるのは
医師会が尊厳死を容認し、厚労省の終末期医療のガイドラインもできているにも拘らず
明確な意思表示がある延命治療の中止、つまり、いわゆる尊厳死でさえ
未だ法律では合法化されていない現実があるからなのでしょう。

実際の医療現場では、医師と家族との“阿吽の呼吸”などという
曖昧な形で行われている現実を早期に改めなければ
それぞれの言葉の意味は明確にはなりません。

票が集まらないから、との理由で
積極的に取り上げない政治家に任せておいてはちっとも先に進んで行きません。
 

 

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そもそも、自殺は悪なのか…⑤「自殺もあり」が今の私の本音

2012年08月19日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

TVでは毎日のように「若いですねぇ、とてもお歳に見えません」と
見てくれが商品の俳優・芸能人を褒めあげて
彼らの言う〇〇健康法や××美容法なるものまで取り上げ
歳を取ることによる老いを忌み嫌う向きの番組が流れています。

同じ歳に死ぬのであれば、それまでを健康で綺麗に過ごすことは良いと思いますが
合わせて、“ご長寿”を頻繁に取り上げて褒め称えているのですから
長寿こそが善とする風潮を暗に煽っていることは確かです。

事実、東日本大震災の影響もあり香港に女性の長寿世界一の座を開け渡したとは言っても
2011年の集計における男女合計は現在でも世界一を誇る日本です。

しかし、果たして他の先進国はそれほどの長寿を目指しているのでしょうか?

いえ、長きに渡り欧米を手本として、今やそれらを追い越すまでの先進国になったのですし
何よりも“散り際の美学”を持っている国民なのですから
もうそれほどの長寿を目指さない独自の道を歩んでも良いではのではないでしょうか。

それが年金・医療を主とした社会保障費の大幅な支出増加を生み
現役世代の各種保険料を押し上げて彼らの購買力を低下させ、
結果として経済立国であるこの国を弱体化させている現実があるのですから。

ましてや、少子高齢化は致命傷です。

こうした己の足元も見ずに、なぜ、いたずらに長寿を褒めたたえるのでしょう?

長生きして何をするのか、所詮
年金や蓄えの一部を浪費して趣味などで遊び呆けているだけのことではありませんか。

それならむしろ、消費意欲が強い若い世代に早い時期に眠らせている資産を相続させる一方
年寄りに掛かる国の、つまりは彼らの負担を減らせば
国内消費が拡大して経済を活性化してくれるに違いないと思うのです。

若者には今後の日本を担う子供の大切さを説くと同時に
子供を増やす不安を解消する、そして買いたいものが買えることで働く意欲が増え
当然の結果(?)として世の中の経済が活性化する
一方、年寄りには、死を如何に自然に苦しみ無く迎えることができるのかの研究を急ぎ
それを通じて漠然とした恐怖から解放し、かつ尊厳のある死を提案し希望に沿ってどんどん死んでもらう…。

大した額ではないのでしょうから、長生きするための生きがいが欲しい年寄りに
それを与えるために現在でも行われている施策まで否定するつもりはありませんが
基本的には他人から生きがいを与えられないと生きていけない年寄りなど放っておけばよいのです。

それを必要とする年寄りは自分で必死に見つけ出して生きていくものです。

例え自殺であろうが、死にたい年寄りを減らす必要などまったくありません。

それでなくても生殖という最大の人間の責務は果たし終えているのですから。

また、尊厳は人それぞれなのですから。

とにかく、負担にばかり気を取られていては将来を見据えることなどできるはずもないのですから
まずは現在の社会の負担を減らすべきです。

その意味からも、治すことを超える延命治療など
前提を「しない」に変え、本人がどうしてもと希望する以外は即刻、止めるべきです。

もちろん、必要な法制化は急ぐべきで、本人・家族の意向に沿った医師を守らないと
実現できるはずがありません。

これら、死にたい年寄りを妨げる必要はないなどと言うと、「年寄りを何だと思っている」と叱られそうですが
これは他人から言われるからそう腹を立てるだけであって自分の問題にしていない証拠です。

“死”はいけないもの、避けるべきもの、また縁起が悪いなどとタブー視して
多くが語られない社会がずっと昔から続いています。

加えて、情報社会と言われる今でさえ、80%の人が「畳の上で死にたい」と言っているにも拘らず
全くま逆の80%を超える割合で病院や施設で亡くなって行くお年寄りの実態が
メディアで紹介されることはほとんどありません。

長寿の陰に潜んでしまっているその辺りの現状を明らかにする努力をメディアに要求しつつ
倫理的な壁を少しでも超えるため、自らの親を看取った経験を公開することから始めて
まずは年寄りに片足を突っ込んでいる我々団塊の世代から
もっと大っぴらに死、及び死に方の選択肢について語れる社会を提案していかなければなりません。

15~20年後という近い将来
精神的な倫理観だけでこれだけ数多くの年寄りの面倒を看ることはできないのですから。

*これは現時点での私個人の本音ですが、今後
刻々と変わる可能性が否定できないことを、念のため、申し添えます。

 

 

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「第5回無農薬・ずくなし家庭菜園」受講

2012年08月17日 | 自然農法による自給用野菜作り

(8月上旬の今回の講座のメモ)

8月の大事な野良仕事

・野菜にも夏休み(樹の回復)と水やり
6、7月と8月は別物。梅雨明けで全部の成長が止まる
平均気温28℃・・・キュウリ・トマト・西洋カボチャ
30℃・・・日本カボチャ・スイカ・メロン・ゴーヤ

・ジャガイモ・カボチャの収穫のタイミングと保存方法

・秋野菜の種を蒔く…8月下旬~9月上旬
「秋の1日は春の7日」と言われ、タイミングが大事

1.8月のテーマ…夏野菜の回復術と水やり

夏野菜の旬、つまり本当に美味しいのはこれから
夏バテを回復できるかどうかがポイント

1)夏の水やりのコツ

・基本は乾燥させないこと…根は水と酸素が大好き

・一週間雨がなければ朝夕に行う

・あげるなら1週間分タップリと。チョコチョコだと根が上を向くのでダメ

・少量の水で効果的に水やりするには葉にかけると直接吸う
これも「いつも」はダメ

2)夏野菜の健康度チェック

実の形。もっと前は花の咲き方

3)秋のために追肥の前にやること

・大きな実や未熟な実、花を全て掻き取る(お盆前後1週間、8月10日~20日)
枝・枯葉・黄葉も取り除く

・刈った草(ワラ)を株元に敷く

・水(ストチュウ水)をタップリとあげる

4)追肥の仕方

・即効性、遅行性
鶏糞(即効)・油かす(中間)・米ぬか(遅行)

・追肥の大切なことはいつ、どこに…今の根っこには施さない
葉先の外に

2.8月にやってはいけない無農薬栽培

1)夏野菜に無理に実をつけさせない
2)秋野菜の早蒔きは避ける
3)水やりは昼間しない

3.8月に自然に美味しく育てるポイント

1)ジャガイモ、カボチャの美味しい収穫と保存方法
ジャガイモ…全部枯れてからだと数量が減るが保存が効く
西洋カボチャ…いわゆる冬至カボチャと言われ、この頃が食べ頃

2)秋野菜の種まきのコツ
・サルスベリ、ススキの開花が目安
・やっぱり水をあげない種まきが基本、ただし玉ネギは水が必要
・苗作りや暑さ対策…黒い寒冷紗を利用

3)秋野菜の定植

・曇りの日や夕方に行う
・本葉3~4枚が定植の目安

4.その他 

・ナスの花が上を向く、または柱頭が引っ込む…もう実はいらない、と自ら判断している
・フルーツトマト…水をあげない育て方のトマト。水をやると普通のトマト
水は赤い実を取ってから、ただし急にあげない

 

 

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今年も「終戦記念日」、否、「終戦の日」…

2012年08月16日 | 世の中のあんなコト、こんな事

半年もの間、首都東京が火災で消失させるための爆弾により大空襲を受けたにも拘わらず
即時降伏せず、3カ月後の広島・長崎の悲劇を導いてしまった日本政府の姿勢が
「原爆投下は終戦を早めるために必要だった」などと米国に言わしめることになったとする意見に
不本意ではあっても、賛成せざるを得ません。

国民を特攻により死なせる国なのですから、公に負けを認め停戦を宣言しない限り
「窮鼠、猫を噛む」の如く、何をするか分からないと怖れられてもしょうがないと思うのです。

私はこの終戦から4年も経って生まれていますので
日本が自ら突き進んで来た長い戦争の歴史を一日たりとも経験することはなく
その後の平和な時代だけを謳歌する人生を歩ませてもらっています。

いつの間にかマスコミがこの日を「終戦記念日」ではなく「終戦の日」と呼ぶようになった理由は
記念日が“その日を祝う”というニュアンスを含み違和感や抵抗感を感じる人が多いためと聞いています。

確かに、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と位置づけられ
平和の有り難さを理解するためとされる戦争の悲惨さを伝える話ばかりが伝えられます。

元を辿れば、明治後半から始まった数多くの戦争の歴史の最後となったこの戦争は
その時代を生きた人々がいわゆる列強諸国に対抗する大義の下で軍事力の急速な増強に努め
その後それを行使する国の暴走を許し、自ら辿りついてしまった道そのものであって
多くの悲惨な出来事はその結果に過ぎません。

その部分だけを語り継ぐことが戦争のない平和な世の中の大切さを認識することに繋がるのかどうか
私には極めて疑問ですが、完全否定するだけの知識も勇気もありません。

ただ、米国に寄る強制ではあったにしろ、国民主権の民主国家となった
戦後生まれの立場を前提に言わせていただければ、この日に限ってとは言っても
ほとんど同じような内容の話を何度も聞かされることには、それこそ“抵抗”があります。

家庭における「また年寄りのいつもの話が始まった」と同種の食傷感を禁じ得ないからです。

戦後67年、お盆とくしくも同じ時期ですから戦没者追悼式は今の通り行うにしても
“終戦=敗戦が決まり残念で悲惨な結果に終わった日”という暗い位置づけから脱して
結婚記念日、創業記念日、独立記念日などと同じように
長い戦争の時代が終わったことに重きを移し“終戦とその後の平和を祝う日”と解釈を変え
若い世代が進んで参加できる楽しい祭典の「終戦記念日」にすることはできないものでしょうか。

嫌なことは早く忘れようとするのが人間の脳の作用そのものなのですから
風化を叫ぶのであればなおさらです。

 

 

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迎え盆

2012年08月14日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

仏壇の飾り付けはすでに終えていましたので
墓に祖先の霊を迎えに行きました。

人が死んでからのストーリーなど、良くできてはいても
所詮フィクションだと信じてはいません。

しかし、こうした宗教儀式を否定するつもりもありません。

特に今年は義母の新盆なのですから
お参りにおいでなるお客様に失礼のないようにしなければなりません。

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そもそも、自殺は悪なのか…④長生きという迷惑(その2)

2012年08月12日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

家族の食料が不足する状況などほとんど考えられない今の時代なのに
なぜ、高齢者(年寄り)が、自分が生きていることが
家族に迷惑を掛けているのではないかと感じてしまうのでしょう?

まず第一に、家族(ひいては社会)が年寄りを必要としているのかという問題があります。

少なくても、肉体的な労働を通じての一般社会参加という点で
期待されていないことだけは間違いありません。

では、いわゆる経験に基づく知識や知恵は求められているのでしょうか?

科学があまり進歩せず、おなじような生活を何十年、何百年と繰り返している時代は
それらが大いに役に立ったことでしょう。

特に国の経済の根幹を農業においていた江戸時代まではそうでした。

しかし、明治以降はそれまでの時代を封建社会と呼び完全否定した上で
社会のあらゆる部分で欧米の真似をし追い付け追い越せの道をひたすらに歩み続けてきました。

そして、いわゆる戦後は占領国であるアメリカの影響を強く受けることになります。

日本文化をさえ“古いことは悪いこと”として軽んじる傾向
つまり逆に言ったら日本人の外国崇拝は、こうした歴史に基づいて形作られてしまったのでしょう。

とは言え一方では、経済の基本を工業に置き替えた国作りが大成功し
その技術は革新に次ぐ革新を重ねて工業経済大国と呼ばれるまでに登り詰めています。

10年ひと昔、いえ5年前のことでさえひどく古く感じるほど
科学的進歩に因る社会の変化は現在でも急激で、それは日常の暮らしぶりにも及んでいます。

なかでもパソコンとインターネットの普及は劇的に世の中を変え
今や一人が提供する知識や知恵を
何万人ものそれを求める人々が共有することなどごく容易なことです。

ところが、この変化に付いて行けず、情報の提供すらできない年寄りは
今後ますます増加するはずです。

実際、仕事から引退した私は
もう勘弁して欲しい思いでスマートフォンから逃げています。

だって、電話でさえ小学生の頃はまだ一家に1台もなかったのに
社会人になってすぐにテレックス、次いでファックス
同じ頃にポケットベルそして自動車電話、しばらくしたら携帯電話になり
ドンドン小さくなったと思ったら今や子供も含めて一人に1台
メールどころか今度はパソコン機能まで内蔵されたスマフォだと言われても…。

仕事上必要だったから40年間、必死に付いてきただけのことです。

何年か後、少なくても知識や知恵において社会が必要とする年寄りなどごく少数で充分だと
言い切ってしまう私が間違っていればよいのですが…。

そして、第二の問題は必要性などという曖昧なものでなく、家族(ひいては社会)が
治すのみならず死に踏み込むまでに進歩した医療を含めた現代の物質文明における
精神的、物質的つまり、介護や看護における家族の心の負担や
手が掛かる、お金が掛かるという現実を目の当たりにして暮らしているからでしょう。

例えば、病院で病気の治療が終わり延命治療で症状が安定すると
そのままそこに入院していることはできず、自宅での家族による
または入居待ちが列をなしている施設へ入居しての有料による看護・介護を強要されます。

日本では、親の面倒を看るのは家族だという基本的仕組みになっているからです。

事実、 周りには平均寿命を超えた数多くの
そうした年老いた親の面倒を看る我々団塊の世代がいます。

国民4人で一人の面倒を看ている今でさえ、特に女性、すなわち私達の女房が集まれば
「看護や介護の心身及び金銭の大変さ」がすでによく話題に挙がっているのです。

それどころか、80歳を超えた私達の母親が
さらに高齢な父親の世話をしている世帯のなんと多いことか。

それでもまだ、我々団塊世代の親は恵まれた年金受給が受けられていますし
高度成長期の蓄えがありますので金銭面は救われています。

しかし、15~20年後、現在40代の団塊の世代Ⅱ世が親(我々)の面倒を看る頃は
この金銭面においても、面倒と言うよりむしろ迷惑をかける事態に陥ることは誰が見ても明らかで
国民2人で一人の年寄りの面倒を看なければならないことはよく知られています。

自分たちが経験した以上の迷惑を子供達にはかけたくないと思う気持ちは自然です。

だからこそ、世界一の長寿を誇る高齢者国家なのですから
もう先進国の後塵を浴びることは止め、世界に先駆けて今から我々が
自分達世代の“口減らし”の具体的方法を模索し始める時代なのではないでしょうか。

少子化の影響で若い人は減る一方で経済的な発展はしばらくは望めそうもないのです。

人気取りの政治家に「年寄りは早く死ね」めいたことを言わせることは所詮無理ですし
若い方達にそれは酷と言うものです。

つまりは我々団塊の世代が自ら声を上げなければなりません。

若い方にとって「どうせいつかは死ぬのだから…」というセリフは
「だから今は一生懸命生きよう」になるのでしょうが、年寄りにとっては
「だったら迷惑をかけないうちに死んだ方が良い」になり得ることも事実なのですから。

ただし、入院治療を受けている親達のこの恵まれた年金を当て込んで
自分たちの生活を成り立たせている輩も一部に存在するやに聞いていますので
こうした人々にとっては口減らしなどとんでもない話で、他の家族や社会のことはともかく
自分の親だけは、例え植物人間になって惨めな姿をさらそうとも
生きていてもらわないと困る、というひどく悲しい現実もすでに耳に入っていますが
こうしたごくごく一部の例外中の例外の話は無視させていただくことにします。

この親御さんが、こうした延命治療を願っていたか
もしくは、そうでなくても、子供のためには仕方がないと思っていることを心から願いつつ。

 

 

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また教師がわいせつ行為 !?

2012年08月10日 | 世の中のあんなコト、こんな事

全国版のニュースになっているかどうかは分かりませんが
長野県内で今年7件目になる教育現場での不祥事が発生し、小学校と高校の教師2名が
女生徒の身体に触れるなどのわいせつ行為で逮捕されたと言います。

クルマ屋を営んでいた頃の7、8年前、観光バスの運転手をなさっていたお客様から
一番“タチノの悪い”お客は学校の先生グループだという話を聞いたことがあります。

多くが旅行に出発するやいなや、すぐに窓のカーテンを閉めて
酒を飲み出すとともに車内にアダルトビデオを流し出すというのです。

また、酔うと酒クセの悪い先生も多いそうです。

真偽のほどを確認することはできませんし、半分は話を面白くしている面もあると思うのですが
全国的なニュースでも教師による女生徒盗撮の話題が頻繁です。

こうした男の欲望に無防備な少女達を餌食にする行為を許すわけにはいきませんが
監督すべきお偉いさん達に同性である男性が圧倒的に多いことが気になります。

それでなくても周りには、無知な女の子がウヨウヨしているのです。

今や、日本では昔から苦手とされているとは言え
家庭教育の一環として女の子が小さなうちに男の欲望の何たるかを教え
無知を放っておくことなく自己防衛に努めなければならないのかもしれません。

日常的に聞かれるセックスレス夫婦だの
草食系男子だのという言葉で誤魔化されていはイケナイのです

普通の健康な男は、私の記憶に間違いがないなら
昔の保健体育の教科書にあったように、若くて盛んな頃は精子が72時間で満タンになり
それを排出する原動力である性欲が強くなるのが男の構造・本能であるという基本が
変わったという話は聞いたことがないのですから。

また、「略奪と暴行が戦争における楽しみ」というのが男なのですから。

、そうした男の本能を抑えるのは理性で、教師のそれは責任感に裏打ちされているはずです。

他方では、「いじめ問題」の対応が出来ず警察が介入するケースが増えているとも聞きます。

以前から気になっていたのですが、あまりに親たちが学校教育に口を挟むため
教師が理想とする教育に対する熱意は冷め、そして権威は失墜するとともに自覚さえも失い
責任逃れに終始する“普通の人”になり下がっているように見えて仕方ないのです。

いくら少子化で、あり余った時間をかけて大切に育ててはいても
好き勝手になされば良いのは家庭教育であって、集団でおこなわれる学校教育に関しての素人は
一時代前の教育のように、もっと専門家である教師に任せておくべきではないのでしょうか。

そのための専門教育を受けて試験にも受かった人々なのですから
普通の人、つまり親たちと同じそこら辺にいるお兄さん、おじさんと
同じ精神レベルに引きずる下ろしてしまったら、学校に子供を預けてあるとは言っても
公園などの公共施設で遊んでいるのと何ら変わらない余計な注意が
親の側に必要な状況になってもしょうがありません。

 

 

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新盆の施餓鬼法要が終わりました。

2012年08月08日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

朝10時からの受付には11時頃に伺いましたが
正午からの昼食までは何をするでもなく皆さん本堂で適当に時間を潰すのです。

この2時間の意味は結局、分からず仕舞いでしたので
もっとギリギリでも良かったのだと思います。

昼食の仕出し弁当はまったく期待していなかっただけに予想外に美味く
正直、ちょっと得をした気分になっていたのですが
午後1時の「説教」までの間に詳しそうな方にお布施の額を尋ねると
事前に葬儀屋、仏壇屋などから聞いていた一人1万円~1万5千円よりはるかに低い金額を教えられ
二人で3万円はちょっと多過ぎたのではと悔むことになってしまい、その気分は吹っ飛びました。

やはり、この“お気持ち”の額には皆さん悩まれているようで
これを機会に2、3の方の連絡先をお聞きしておきましたので
今後、分からないことはお尋ねしようと思います。

猛暑日ではありませんでしたし広い本堂は風通しが良い上
招かれて説いていた老師の説教が子守唄代わりになって
1時間の間、何度も舟を漕いでいたため、この話の内容は全然覚えていません。

今年新盆を迎える檀家の参加者はざっと数えて120人
そこへ諸年回の塔婆供養の方50~60人を加えて、午後2時から1時間以上に渡る法要は
近隣十数ヶ寺から招かれた住職約20人によって執り行われました。

“あの”方丈さんだけが別の色の法衣(袈裟)で主役を務めたのですから
やはりこの寺は、近郊の曹洞宗ではそれなりの地位を占めているようです。

普段から“お気持ち”の少ない当家には、葬儀の際も息子の若住職しか顔を出しません。

その彼などはこうした重要な場では脇役の一人に過ぎませんし
日頃いろいろお尋ねしている庵主さん(もちろん女性)などは、単に受付を手伝っているだけなのですから
僧侶の世界には私などが知る由もない歴然たる身分の高低があるのでしょう。

今まで見たものとはどこか違う法要の儀式は見ているだけでも興味深いものでした。

なにはともあれ、義母が他界してから半年
一応、事前には何の知識もなかった面倒な葬祭行事も何とかここまでこなして来れました。 

 

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