保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

相続の実務(その1)銀行預金…②時間が掛かる大手

2012年03月30日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

全国規模の大手銀行における相続手続きには
「ゆうちょ」が10日程度、「みずほ」に至っては2週間以上の日数を要しました。

相続人は一人っ子の女房のみ、被相続人(義母)の出生からの戸籍は全て
長野市役所で入手できるごく単純なパターンでさえこれほどの時間が掛かるのです。

その理由は、特に面倒な相続人を確認するための作業を
本店や本部などの相続専門部署に書類を上げて
そこからの指示に基づいて各支店窓口が対応するためでしょう。

「ゆうちょ」は各地にある「貯金事務センター」が指示を出すのですが
準備しなければならない書類に関する小冊子が送られてきて
かなり詳しい説明が記載されていますし、面倒な戸籍関係については
役場窓口に何を手に入れたいかを説明する書面まで同封されて来ますので
この点はただ口頭で説明するだけの「みずほ」よりは、はるかに親切と言えます。

例えば、上が必要な戸籍に関する「ゆうちょ」のお願い文ですが
これを「みずほ」のように銀行窓口で口頭による説明を受けたとして
一般人が数枚に及ぶ戸籍の連続性を読み解くことは極めて困難で
* 印箇所などを役場窓口で正確に伝えることなどできるはずもないのです。

そして、とりあえず手に入れたものを支店に持って行って、それで良いかどうか
または、不足なので追加で取得する部分の指示などの本部の回答が直接ではなく
支店を経由してまた電話で連絡があるのですから
時間が掛かるし内容も正確に把握しづらいことになります。

戸籍の取得を遠方の市町村に依頼している場合などはなおさらです。 

その上「ゆうちょ」には不明な点を直接問い合わせる電話番号の記載がありますが
「みずほ」はこんなこともいちいちこちらの支店経由なのですから
とにかく時間と手間が掛かることになり、不親切極まりないと言わざるを得ません。

義母がこの銀行を利用していた経緯は
9年前に他界した義父の勤務先が全国展開する大手ゼネコンであったため
合併してこの名前になる前の旧富士銀行宛に給与を振り込んでいたからであって
さまざまな引落しや定期預金なども、結局「みずほ」を何十年もそのまま使っていたものです。

ところで、ようやく女房への相続手続きが全て揃った段階においても
名義を変えて新たな定期預金等にしそのままお金を預けて欲しいなどの
勧誘はこの銀行では一切ありませんでした。

今回のこうしたことと、以前の記事で触れた
生前における代理人による預貯金の引き出しでの対応などから考えるに
どうもこの「みずほ」という銀行は、せいぜいが1~2千万程度までの
小口預金しかしない個々の一般庶民などは客層として眼中になく
全国展開する大手企業だけを相手にしていれば充分に商売が成り立つものと見えます。

いずれにしても、かつて国営だった「ゆうちょ」よりも“殿様商売”っぽく感じられ
お付き合いを継続したくなる要素は何一つ感じることができませんでしたので
1円も残さず全て他銀行に振り込ませたのは当然のことですが
ここにおいてさえも「またぜひ機会がありましたらぜひ…」などの気の利いたセリフの
一つもないのですからこれはもう、私の個人的感覚の範囲ではありますが
驚くほかない銀行だったことを付け加えておきます。

 

 

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ぺぺの一周忌

2012年03月27日 | 障害犬ぺぺとの楽しかった日々

去年の今日、夜明けとともにぺぺは息を引き取りました。 

快晴の空の下、まるで今朝と同じ空気感の中でした。

 

 時の移ろいは速いのですが、悲しく寂しい気持ちはほとんど変わってくれません。

 

 

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我満プロの言う“気持ちが悪い滑り”の意味を考える

2012年03月26日 | 冬はもっぱらスキー三昧

スポーツにおける姿勢や身体の動きを言葉で伝えることは容易ではありません。

さらにDVDによる画像が加わっても、静止している姿勢でさえ
自分の身体のどこにどんな負荷が懸かるのか、までは分かりませんし
真似をしているつもりでも、その時の自分の姿勢を画像として並べて見れないのですから
「ももの付け根のズボンにシワがよるくらい」などと説明が付け加えられているところで
結局は半信半疑から抜け出ることはできません。

動きとなると、パラパラ漫画のように、この静止した姿勢の連続なのですからなおさらです。

ここに、指導者に手取り足とり教わる意味があるのでしょう。

スポーツなどにおいては「百聞」よりは「一見」の方が分かり易いとは言っても
「やって見る」に勝ることは決してあり得ず、さらにそれを指導者によって「直してもらう」ことで
基本的な部分の「真似」ができるようになるのです。

この基礎段階での真似は大切なことで、これができてこそ
その方と同じレベルまでの達成が叶うのでしょう。

ただし、我流で一流になれる天才的な素質を持っている人の話は全く別です。


(DVDより借用)

今回の我満プロのレッスンで、何十年振りかに「基本的な立ち姿勢」を修正され
正直、目からウロコが落ちて、その後の滑りが大きく変わりました。

昔の堅く長いスキーでは、上体をかなり前方にかがませて先端を押さえつける必要があったのですが
30cmは短くなった上に簡単にたわむ材質に変わったため
また、ブーツのかかと側がふくらはぎを支える程の高さになって腰が後ろに落ちづらくなったためでしょうか
道具の進化に伴い、滑りどころではなく「立つ姿勢」までが驚くほど後傾姿勢に変わっていたのです。

もちろん、立つ姿勢とは言っても、滑りの間もこの基本姿勢は維持しなければなりません。

どの専門雑誌を見ても、この部分の記載はサラッと「自然に立つ」などと表現がされているに過ぎず
確かにこうして横からの画像を見ると自然と言えなくもないのですが
かと言って、肩幅に足を広げ、足首・膝・腰(股関節部)の3箇所をちょっと曲げたこの状態を
日常生活の中で自然に取っていることなどないはずで
私の経験の中でこれに一番近いのは、ゴルフにおける構えの姿勢ではなかったかと思います。

もっとも、もっと足首の曲げが少なく、一方、お尻は後ろに引いていたような気がしますが
下手のままで止めてしまいましたので間違っていたかもしれません。

いずれにしろ、ゴルフの構えの姿勢は、レッスンプロが
「非日常的なのでしっかり身に付けるように」と言っていましたので
それに近いスキーにおけるこの立ち姿勢も、どちらかと言うと非日常的だと思うのです。

例えば、足元がズレる地震などの際は、これに近い姿勢になる気がしないでもありませんので
滑るかもしれないという不安定な状態では、ごく自然にこの姿勢になるのかもしれませんが
これとて日常的ではないはずです。

やはり基本となる姿勢については、見て真似るには限度があるのですから
然るべき人に見てもらって正しく教わる、または修正してもらうことが必要だと改めて感じたのでした。

ところで、今回のレッスンにおいて
何度も滑った後で「気持ちが悪いでしょ」と言われたことをはっきりと覚えています。

私自身には言われた通りの滑りが出来ているかどうかはもちろん分かりませんので
見ている我満プロが判断するわけですが、「そうそう、今ので良いよ!」と褒められるたびにそう言われるのです。

確かに、滑っている私には
「技がキマった時の快感めいたもの」がなく気持ち良さを感じませんでした。

立ち上がることでエッジを外して谷回り、山回りで沈み込んでザッとエッジを効かせることで
一つのカーブを完成させ斜滑降をしてからまたこれを繰り返すというパーツの組み合わせが昔の滑りでした。

そして一つずつの動作をはっきりとキメないと曲がることも容易ではなかったのです。

それに比べて今風のスキーは、ちょっとしたキッカケで簡単に曲がれることから
ここといって決め技のない(実際はありますが)、途切れることのない連続した滑りが求められるようです。

このキッカケ自体、昔の「上方へ立ち上がって、ハイ、沈み込んで」に比べたら
さまざまな表現があるにしても身体の向きだの腰のひねりだのと曖昧です。

古い滑りがまだ残っている私に対しては、「今風の滑りはダラダラしていて気持ちが悪いでしょ」と
我満プロは表現していたに違いないと思うのです…。

 

 

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相続の実務(その1)銀行預金…①凍結される口座

2012年03月23日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

銀行などの預貯金は、金融機関が“当人の死亡を知った時点”で凍結され
金額の大小を問わず、あらゆる入出金が停止されます。

噂では、葬儀・告別式を告知するため遺族が掲載を依頼する新聞の
無料の「おくやみ欄」でもその情報が伝わるとされていましたが
義母の預貯金口座があったゆうちょ・みずほ・信用金庫・JA(農協)のどれ一つとして
約10日後に私から連絡するまで凍結されてはいませんでした。

ちなみに、長きに渡った新車営業マン時代、顧客管理の一環として
この情報には毎日目を通して葬儀・告別式にはキチンと弔問に伺っていたのですから
金融機関もせめて目を通すことくらいはするものと思っていたのに、これは全くの予想外れで
お金持ちはともかく、一般庶民の死亡情報などわざわざ見ていないのでしょう。

ところで、凍結によってキャッシュカードや届出印による現金引き出しはもちろん
自動振替になっていたライフライン料金などの全ての引落しができなくなりますし
逆に、何かの還付金の受取りのみならず、年金の入金すら完全にストップしてしまいます。

遺族が金融機関に凍結を依頼する連絡をわざわざ入れる理由の一つとして
相続人が複数いて、身近な遺族が勝手に預貯金を引き出すのを防ぐ目的があると言いますが
私の場合はそうではありませんでした。

どのみち、相続人は私の女房一人であることは
義父の死亡の際に確認できていましたし、葬儀代・医療費などの用意は生前
以前に投稿した“代理人による預金引き出し”の通り、ほぼ準備ができていましたので
単に相続の実務の実際を知りたかったからに他なりません。

まだ納骨も済んでいない四十九日前に
遺産相続などという現実的な金銭に関する行動をすることに若干のためらいもありましたが
かと言って、支払いに関する契約者、及び引落し口座の変更は早くしないと
送られてくる振込用紙によっていちいち支払いをしなければならず面倒ですから
この手続きに、もしかしたら相続の際に必要な書類
例えば戸籍関係などが役に立つのかもしれないとの考えもあり同時進行にしたものです。

はっきりと記憶していないのですが、NTTの契約者変更の際にのみ
相続の対象となる電話加入権の関係で、この書類が役に立ったような覚えがあります…。

一方、停止された入金は全て、例え生活費になる給料であろうが年金であろうが
相続人が複数いる場合は遺産分割に関して話し合いをしてその結果を遺産分割協議書にし
その他の必要書類とともに金融機関に提出した上で相続手続きが完了しないと
その口座から1円たりともお金を引き出すことはできません。

法律的に一旦“相続人全員の共同所有”にされてしまっているため、全員の合意が必要とされるのです。

具体的な預貯金の相続の仕方は、全て解約して相続人代表の口座に集めて
それを分割協議の内容に沿って各自の口座に振り込んだり
複数ある口座のそれぞれを相続する人を決めてその人の口座に名義変更したり
またはこの両者を組み合わせたりもします。

この遺産分割協議書は、相続人が一人であることが戸籍により証明された場合を除いて
必ず必要になるものですが、その他提出を求められる書類は金融機関によって微妙に異なります。

また、その処理の仕方も本部で一括、または各支店毎でできるなどまちまちですので
当然、かかる日にちもその日で完了したり2週間もかかったり
全く統一されたものではありませんので、必ず個別に確認しなければなりません。

 この遺産分割協議に関しては、死亡してからあまり期間を経過してからですと
遺産が分散するおそれや、生活に困って遺産の一部を消費してしまう相続人が出て来ないとも限らず
あまり遅くならない時期に始めることが薦められています。

他方で、相続人は(+)の財産だけでなく(-)の財産も引き継ぎますので
(-)の財産が多い場合は相続があったことを知ってから3ヶ月以内に「相続放棄」などをしなければ
相続人は借金などの(-)財産を引き継ぐことになってしまうからでもあります。

 

 

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我満喜治プロの特別レッスンに参加

2012年03月21日 | 冬はもっぱらスキー三昧

義母の入院、そして他界という残念な結果を招いた1ケ月ちょっとの間
表立っては行きませんでしたが、今となって白状すると
一人で隠れるように数回、友人とは2回、気分転換を口実にスキーに行っていたのです。

四十九日までの忌中の間は謹慎して生活するものだと聞いていましたが
世間の目はいざ知らず、義母は許してくれるはずだと勝手に決めつけてのことです。

積雪のある間はもちろんできませんが
別の趣味の野菜作りをするのであれば、これほど気を遣うことはないのですが
なぜかスキーに行くことに後ろめたさを感じてしまう理由が私自身にも分かりません。

ともあれ、早い所では3月20日、その他でも4月1日をもって
クローズを謳っているスキー場もあるのですから
ゴールデンウィークまでオープンしている標高の高い所はあるにしても
春めいてきた気候になんとなく気が焦っていました。

せっかく今シーズンの段階で覚えたカービングをしっかり身体に覚え込ませておかないと
必ずや来シーズン当初には後退するはずなのですから…。

そんな折、今の時点でのレベルがどの程度なのか、確認したいと思っていたところ
戸隠スキー場で「我満(がまん)」と言う一度聞いただけで覚えてしまうお名前の
プロの講習会が開かれることをホームページで知り受講して来ました。。

定員10人のところ僅か4人での講習だったので、ほとんど個人レッスン並でしたが
僅か4人とは言っても、そのうちのお二人は関東地方から見えていて
我満さんの“追っかけ”のように日々の行動を把握されていましたし
今回友人となった60歳台後半のTさんはシーズン券を持ってまでお隣り新潟県から
この戸隠スキー場に通われているのですが、我満さんの講習を受けられることを
ずいぶん喜んでいたのですから、私が知らないだけで“それなりに”有名な方のようです。

そう言えば、スキー場で何人もの方と握手をしたり一緒に写真に納まったりもしていましたし
お昼のデモ滑走には、バーン下に多くの観客が集まってその滑りを見て拍手をしていました。

常設スキー学校のレッスン料は午前・午後2時間ずつで大体4000円なのに
今回のレッスン料が2倍の8000円だったのも“著名”が理由なのでしょう。

もっとも、講師の教え方にも、これは普通の学校の教科についても言えることですが
個人差による上手い・下手があることは充分に承知していますので
有名であろうがなかろうが、自分でできることと他人に教えることは別物なのですから
希望する成果が代償として得られれば少しくらい高額であっても納得できるはずです。

結果、昔の滑りとの一番の違いである「ターンのきっかけ」と「前後の乗り位置」という
極めて基本的な部分を修正しなければいけないこととその方法、そして股関節の使い方が分かったのですから
知らずに受講した私にも名前に恥じない成果を残してくれたと言えるレッスンになりました。

ただ、そろそろシーズン終わりを迎える今頃になって
まだカービングなる滑りの入り口付近をウロウロしていることにも気付かされてしまいました…。

 

 

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お寺とのお付き合いはヤヤコシイ…⑥本寺と末寺

2012年03月19日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

義母の通夜、葬儀ともに庵主(あんじゅ)様がおいでになりました。

義父の自宅での法要にも以前からこの尼僧がお見えになっていることは知っていましたが
S寺に居住しているわけではなく、全く別の所にある民家に住んでいらして、ここは観〇庵と呼ばれています。

電話帳で調べると、長野市だけでもこの観〇庵という呼び名は10個近くもあります。

私が知っている他の庵主様は、お寺さんの敷地内の別棟で
玄関軒下に〇〇庵と書かれた一軒家に住まわれているので、いろいろなパターンがあるようです。

これら尼僧は末寺(まつじ)と呼ばれ
本寺(ほんじ)または本山(ほんざん)と呼ばれる菩提寺であるS寺の応援部隊なのだそうです。

本寺=本山は仏教の特定の宗派内に於いて特別な位置付けをされている寺院を指します。

格式によって総本山、大本山、別格本山に分けられるほか
宗派によってそれぞれの用法が異なり、使用されないこともあるそうです。

歴史的には、江戸幕府が仏教教団を統制するために
各宗派の寺院を重層的な本寺・末寺の関係に固定化する「本末制度」に由来し
これによって、全ての宗派の末寺に対して幕府の意向を周知徹底させることが可能になったとされています。

以前書きましたように、寺院は民衆を把握する立場にありましたので
幕府の意向は一般民衆にも確実に伝わったのでしょう。

また、新寺の創建は禁止され、各本山に対して「末寺帳」の提出を義務付けたことで
各地方の古刹が幕府の命によって、形式的に特定の宗派に編入されることになりました。

四字熟語の「本末転倒」は
「宗派の本山の寺院と末端の寺院の立場が逆転してしまったことに由来する」という説もあります。

ところで、S寺には方丈様と跡を次いでいる息子さんの2人がいるのですから
他にも何人かいらっしゃる庵主様は第3の位になるのでしょう。

とすると、やはりお布施の少ない私の家には
庵主様が主としておいでになるということなのかもしれませんね。

 

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お寺との付き合いはヤヤコシイ…⑤打ち合わせの顛末

2012年03月16日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

義母が病院で他界した後、菩提寺との打ち合わせを振り返ってみます。

不幸は突然やって来ますので
世間で言うように、死を悲しんでいる余裕など全くないのは事実です。

まず最初の連絡は、葬儀場の通夜室に遺体を安置した直後
葬儀社の担当のHさんの指示で、僧侶の都合を電話で尋ね通夜と葬儀の日時を決めることでした。

さすがにこれを代行してはくれず、人生で初めて自らS寺に連絡を取ったのです。

昔は死んでゆく人が不安にならぬよう案内として枕元で死をみとりながらお経をあげたようですが
現在では通夜の前に死後すぐに行われる一つの儀式として
初めてお経を聞かせるという意味で「枕経」を依頼することもあります。

最近は病院で死亡するケースが多いので
この場合は遺体を自宅または葬祭場へ搬送した後で行います。

電話などない昔は、この枕経の際に通夜と葬儀の日程も相談したようですが
最近では僧侶も何かと忙しく、省略される(通夜の時にまとめてお経だけあげる?)ことが多いと聞いていて
事実、S寺はしないとHさんの情報帳には書いてありました。

基本的には通夜の翌日が葬儀になり、どちらも読経なくしては成り立ちませんので
まずはとにかく、電話で良いので僧侶の都合を訊いたうえで予定に加えてもらわなければなりません。

菩提寺では、葬儀は本寺+末寺僧侶、通夜は末寺僧侶など
葬儀を中心に本寺と末寺の繋がりを利用して僧侶の手配をしてくれます。

お寺さんの日程が取れましたら、長野地方では葬儀の前に荼毘に付しますので
火葬場の予約も取らなければなりません。

葬儀場を使う場合、会場の空き具合も考慮しながら
お寺、火葬場の三者を組入れなければならないのですから、それも一つずつ連絡をするのですから
面倒な調整が必要なこともあり、場合によっては前後を入れ替えた変則的な日程になってしまうこともあるようで
その辺は葬儀社がさまざまなパターンを提案してくれます。

義母の時に死亡した翌日に通夜ができなかった理由はお寺さんの都合に因りますが
通夜室使用料5万円の支出が余分だったとは言え、物理的・精神的に余裕が持てたので良かったと思います。

昔のパターンでの打ち合わせは
(死亡当日)枕経…通夜と葬儀の日程
(通夜当日)…戒名など
(葬儀の翌日)お寺参り…お布施を持参し初七日・四十九日の日程
と続き、4日連続でお寺さんにお経をあげていただいてすぐに初七日法要もあるのですから
それはそれは大変な労力と気の使いようだったことは想像に難くありません。

もちろん、お金の心配も。

枕経は通夜、初七日は葬儀の際に同時にお経をあげていただくことで
省略するようになりましたのでずいぶん楽になったそうです。

また、電話を中心に連絡手段で困ることはなくなりましたし
葬儀社がお寺さんとの打ち合わせやお布施を渡すタイミングまでアドバイスしてくれますので
それに従っていれば大きなミスはないでしょう。

結果、お寺さんとのやり取りを中心にした私の場合の基本的な流れは次の通りでした。

(当日)

1.まずはお寺に電話をして通夜と葬儀の都合を訊きます。

2.それを基に、電話で火葬場の予約を取ります。

3.折り返し、電話でお寺に予定をお知らせし、了解を取ります。

(翌日…空き日)

改めて、お寺を訪ねて正式に依頼をし、お布施・戒名の話をしました。
(女性一人だと苦言を呈されるお寺であることを聞いていましたので
親戚のお年寄りを加えて3人で行きました)

戒名は葬儀の際、白木に書いた仮のものが使用され、四十九日までこれを飾ります。

通夜に住職(方丈様)がお見えになるのであれば、その際にお話もできるのですが
代わりに庵主様が来ることになっていましたので、直接打ち合わせる必要があったためです。

(翌々日…通夜)

庵主様へのお布施は読経後、葬儀場の控室で渡します。

(葬儀当日)

菩提寺からは跡取り息子の僧侶がお見えになり、庵主様とのお二人で執り行いました。

普通は3人なのですが、義母が書面に残した希望に従い、強いてこの形をお願いしたもので
9年前に先立った義父並以下にしたい気持ちがあったようです。

3人構成の読経に当たっては、庵主様が両手をフルに使って木魚と鐘、そしてお経もあげるのですから
ちょっと忙しそうだったことが印象に残りました。

読経後の控室でそれぞれにお布施を渡し、お礼を述べます。

本来はこの時点で「過去帳」の記入をお願いするとともに、四十九日の日程の打ち合わせをすると良いようですが
方丈様ではなかったので、これは後日、またお寺を訪ねることにしました。

(葬儀数日後)

菩提寺を訪ね、四十九日の日程を打ち合わせるとともに
過去帳を預けて記帳の上その時に返してくださるようお願いしました。

“手ぶら”でお寺を訪ねるものではないと予め聞いていましたので
朝一番で出来上がったばかりの桜餅を持参しました。

その際、最近ではしなくなったと葬儀社のHさんから聞いていた「お寺参り」について
「今でもするのでしょうか」と念のため尋ねると、「四十九日と一緒でいいよ」との答えが返ってきました。

本来、通夜と葬儀のお布施を渡したり四十九日の打ち合わせをするお寺参りですが
お布施はすでに渡してあり、こうして打ち合わせにも来ているのですから
「するか、しないか」の質問に「一緒でいいよ」と回答するということは、桜餅程度を持参しただけではダメで
四十九日当日にお布施を別包みで持って来いという意味にしか取れません。

お布施の額も、払える金額が少ない場合は直接尋ねたりしないで
“これでお願いします”的な方が良い、と聞いていましたし
あまりこうした質問をすると、しないで済んだものをせざるを得なくしてしまうものだとちょっと後悔…。

(そして、今)

すでに正式な位牌は仏壇店に依頼して完成しています。

墓石に戒名を彫る習わしの作業も同じ所に頼んであります。

四十九日の日時は決まり、法事はS寺の本堂で、続くお斎は場所を変えて
高〇亭で行う段取りがすでに済んでいてその日を待つばかりです。



なにはともあれ、初めて経験することの連続ですし
また、立て続けに行われる儀式によって遺族の皆さん、それでなくてもその前には
介護や看護の日々もあったのですから、葬儀が終わると疲れ果てて寝込んでしまう話はよくあることです。

実際に、私はともかく女房は、看護の時からの風邪が治らず病院に三回ほど通いました。

もしかしたら先人達は、悲しみを紛れさせるために
意識的にこうした息をも付けぬ状況に遺族を置くことを考え出したのかもしれませんが
一生で一番、お寺さんとお付き合いをしなければならない日々がまだまだ続いています。

 

 

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お寺との付き合いはヤヤコシイ…④戒名

2012年03月13日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

戒名は、宗派によって法名・法号など様々な名称で呼ばれていて
本来ならば生前に与えられます。

文字通り、厳しい戒律を守って修行をし、経典を勉強し仏さまの教えを学んで出家した僧は
その証として授かり、死後、極楽に行けるとされています。

このことから、一般の死者にも極楽に行けるように戒名を与えるようになりましたので
「この世の名前…俗名、あの世の名前…戒名」とされています。

戒名と呼ばれるものは「院号」「道号」「戒名」「位号」という基本パターンで構成されていますので
厳密な意味での「戒名」にあたる部分はどんな人も2文字だけです。

これは、仏の世界は平等である事を表しているのですが
こうした“お飾り”を加えることで歴然とした位の上下、格付けがなされていて
一般的に字数が多いほど格が上とされています。

「お飾りというのは、故人が生前、お寺のために一生懸命に尽くしてくれたことへの寺側の感謝の意です。
例えば寺の修理をしてくれた、寄進をしてくれたなど、いろいろな功績があった人に
何かをしてあげたいがお金で解決できるものでもない。
そこで、名前に感謝の意を示す言葉を追加し、見送ってあげることになったわけです。」
(仏教情報センター事務長談)

ところで、戒名には値段はないと言いますが
戒名を頂いた僧侶にその時に読経もして頂いてお布施としてお金を支払うのですから
実質的にはそれが戒名の値段と言えるでしょう。

法要などの読経のみの金額は、もちろん僧侶によって異なりますが
大体の相場は3万円~5万円ぐらいだそうですので、葬儀の際のお布施の全国平均 549000円 のうち
49000円を読経のお布施とすると残り50万円が6文字の戒名代なのですから、一文字約83000円ということになり
世間で言われる一文字10万はこんな計算から算出されているのかもしれません。

宗派によって若干異なるものの、2文字の「戒名」に4文字をつけた6文字が
一般的で最も多いのですが、使われる文字に制限はないと言います。

この世での文字(俗名など)一字と
仏の世界を表す一字(光・智慧といったお経にある文字)などを入れるのが原則です。

〇「道号」…戒名の上につけられ
もともとは仏道を習得した格の高い人に付けられる名前です。

〇「戒名」…本来はこの2文字が戒名の意味に相当する部分で
多くは俗名(生前)の名前から一字とって入れます。

〇「位号」…戒名の下につけられる位の意味で
昔は階級を表していました。性別、年齢などもこれで表されます。

具体的には

・信士(しんじ)/信女(しんにょ)…成人男性/成人女性に付けられ6文字で15~30万円

・居士(こじ)/大姉(だいし)…成人男性/成人女性で
信士・信女より寺院に貢献した人に付けられ6文字で30~50万円

*15歳(昔の元服)未満は別にいろいろなものがあります。
*宗派や僧侶によっては「院号」「道号」「位号」を
すべて無料でつけてくれるという事もあるようなので一概に言えないことはもちろんです。

 

(院号は特別)

〇「院号」…寺院や宗派・社会的に大きな貢献をした人具体的にはお寺を建立した人などに付けられる言葉です。

もともと天皇が退位した後に付けられた名前とされ後に身分の高い人にのみ付けられるようになりました。

・院殿…11文字以上で数百万円
「××院殿〇〇〇〇大居士」

最上位の名称。昔で言えば将軍に与えられたもので
庶民が望んでもとても許されるものではありませんでした。
一寺を建立するくらい寺院に貢献した人に追贈され、どの程度で与えられるかは
寺院の宗派・格式・その他地域性などによって大きなばらつきがあるようです。
一説には500万円以上ともいわれ現実的には一つの寺に一人くらいとも言われます。

・院…9文字以上で50~100万円
「××院〇〇〇〇居士」

院殿に次ぐ位の名称。
寺院や仏教、社会への貢献度が顕著な篤信者に与えられます。
政治家・町の名士・事業での成功者など、お金にものを言わせて“購入”している方も多くいます。

 

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お寺との付き合いはヤヤコシイ…③お布施

2012年03月10日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

 我家(義母家)の菩提寺は曹洞宗のS寺で
この近郊では檀家の数がかなり多く、格式も高い寺なのだそうです。

義母が元気なうちにお寺さんとのお付き合いに私も首を突っ込んで教えてもらっていたら
何も悩ましいことはなく自然に覚えることができたはずですが
あまりに突然に逝ってしまったため、断片的な話は聞いてはいても、ドライブの助手席に乗っていたようなもので
いざ自分でハンドルを握ったところで、右へ行けばよいのか左へ行けばよいのか…。

この寺の住職は「方丈様」と呼ばれ、「態度が傲慢だ」と町内会などを含め
世間の評判は決して良いものではなく
葬儀会社のデータにもいくつかの“注意書き”があったのを盗み見ています。

かつては、国産常用車が置いてる奥に、ポルシェがシャッター付きの車庫に
人目を避けるように鎮座していたのを見たことがありますし
跡取り息子の若い住職はフェラーリを持っていると噂されてもいます。

もっとも、多くの善光寺の住職達はベンツやBMWを平気で乗り回しているのですから
檀家からの苦情さえ気にしなければ、どうと言うことはないのかもしれません。

方丈様に葬儀に来ていただくには、戒名を含むと3ケタ(つまり100万円以上)のお布施が相場で
かつて、謝礼袋の厚さがそれに満たないことが分かると、お寺参り(*)で改めて持って来いと
弔問客の面前で突き返された方もいらしたという逸話もあるお寺なのです。

今回の私のように「何も知らないので…」と、お布施の額を面と向かって尋ねると
「常識の範囲でいくらということはありません」の後に「要は気持ちの問題です」と付け加えられるのです。

常識とか気持ちとか言われたって…。

古い軽自動車2台しか持てない家から
ポルシェとフェラーリを持っているお寺に“施す”金額など想像も付きませんし
このセリフが私には“その筋”の方がよく使う「誠意を示せ」と同じに聞こえてしまうのですから
一体いくらを包めば良いのやら…。

(お寺を“その筋の方”と同列に語ることはさすがに気がひけますが
歴史を含めて、いろいろと重複する部分が多いような気がしてならないのは
もちろん私の全くの個人的感覚に過ぎません)

さすが葬儀社にはお布施のデータも一覧表にまとめられている上
お寺ごとの作法の違いや式次第の順番の違いなどを事細かに記入した一覧表があるのですから
「対お寺さん」がプロにとってはミスを犯してはならない重要な点であることが分かります。

ちなみに、葬儀社の担当のHさんは「この資料自体が葬儀社の財産だ」と言っていました。

ところで、通夜は1人、葬儀は本寺から応援依頼された末寺の僧侶を含めて3人で執り行い
通夜と同じ僧侶は必ず葬儀にも来るのだそうです。

こんなことすら知らなかった私ですが、義母が生前書き残した書面の希望通り
葬儀は3人を2人にしていただき、高位な方丈様には来ていただけなく、戒名は普通の位のものではありましたが
3ケタと言われるこの寺の普通の相場の4分の一程度のお布施でなんとかお願いすることができました。

その際、「何も知らなくてすみません」とお詫びしながら
「母の書き残した遺志により〇〇円でお願いします」とはっきりと金額を明示した女房に
「無知が分かっているだけまだマシだ。気持ちがその程度ならそれでしょうがない」などという
嫌味っぽい言葉を浴びせかける方丈様を宗教者どころか、人として尊敬できるはずもなく
ましてや今まで、信仰に関する講話・説法など聞いたこともないのですから
お墓があることによる最低限のお付き合いにしたいものだと思わずにはいられませんでした。

 

(*)お寺参り

この地方特有との話もあり、今ではあまりしないとのことですが
いわゆる“お礼参り”のようです。

葬儀の翌日に善光寺や菩提寺に遺族や近親者が出向きお経をあげてもらいますが
葬儀社などがまだない頃に自宅で執り行なった場合は、お布施はこの時に渡していたそうです。

また、電話などもないため、四十九日の打ち合わせをする場でもあったと言います。

この日のお経ですが、庵主様に訊いたところでは
葬儀が終わっても故人の霊はまだその寺の仲間になっていないので、それをお願いするためとのこと…。

それにしても、通夜から3日連続のお経は必要なのでしょうか?

もちろん、これにも何がしかのお布施が必要で、翌日にこれをしなかった私に庵主様は
四十九日の時に別の包み(表書きは“上”)を「お寺参りの分です」と言ってお渡しするようアドバイスされました。

なんだかよく分かりませんし納得したわけではありませんが
庵主様にはいろいろ教えて頂いているので、できるだけそれに従うことにします。

 

(お布施の意味)

そもそも仏教における「布施」とは
他人に財施(財を施す)・法施(真理を教える)・無畏施(恐怖を取り除き安心を与える)など
「見返りを求めずに施すこと」であって「人のためにできる限りのことをする」という
社会福祉的活動を意味する教えです。

ただし、日常使う「お布施」の意味は
「僧や巡礼などに金品を与えること。また、その金品。特に、仏事の際の僧に対する謝礼」であるため
「僧侶がお経をあげる労働に対する対価」ではなく「信仰の証として施すもの」であって
そのおさがりを寺院護持のために僧侶が預かるものとされています。

このように、寺院にとっては「信仰心をお布施の額で表現してほしい」ということになりますが
普段は不信心な私などの本音は「葬儀のときだけとりあえずお願いする葬式仏教で良い」のですから
「心を形にする」などと言う難しいことは止めにして、いっそ「労働に対する対価」にしていただいた方が
はるかに分かり易いと思うのですが…。

もっとも、日常的に寺に足を運び仏に尽くしている人ならば
戒名はすでにもらっているはずなのでお布施は不要であって、仏に仕え切れていない人々が
葬儀の場を借りて“償う”意味合いを持つ、という説を唱える学者もいることはいるのです。 

参考までに、お布施は地域やお寺、戒名、お寺とのお付き合いの度合いなどによって異なりますので
〇〇万円と明示することは適当ではないそうですが、下の資料からすると
通夜・葬儀をお願いする場合、25万円~100万円くらいで検討すると良いようです。

・・・・・葬儀の際のお布施の平均額(戒名含む)・・・・・

全国平均 549000円

北海道 542000円
東北   688000円

茨城、栃木、群馬、千葉 341000円
東京、神奈川、埼玉 684000円
新潟、富山、石川、福井 483000円
山梨、長野、岐阜、静岡、愛知 597000円

近畿 494000円
中国 417000円
四国 399000円
九州 442000円 

(平成19年度、日本消費者協会調査による)

 

*私の場合

通夜の際、庵主様に3万円

葬儀の際、菩提寺僧侶に25万円、庵主様に5万円  合計33万円

義母の書き残した書面を参考に決めたので遺志には沿っていたのですが
この地方の平均からするとずいぶん安かったことになります。

 

 

 

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2年目に入りました。

2012年03月08日 | 自然農法による自給用野菜作り

昨年、生まれて初めての野菜作りで最初にしたことと言えば
4月から開講される市民講座に申し込んだことでした。

結局、意に反して農薬や化学肥料を使う方法の講義でしたので
秋を待たずして止めてしまったのですが、やはり一番の悩みは肥料、そして害虫・病気への対策でした。

ご近所や先輩のYさんも化学肥料や農薬を使用していましたので
この部分は誰にも教えてもらえず、唯一
「有機・無農薬による家庭菜園」という本に頼っての手探り状態だったのです。

そんな中、県のカルチャースクールで
「無農薬ずくなし家庭菜園」なる新規講座をみつけ、早速申込むことにしました。

ちなみに、「ずくなし」とは長野県の有名な方言で
こまめに働いて作物や物作りに精をだしている人を指して「ずくがある」といい
手抜きしたり、無精を決め込んでさぼっていたりすることを「ずくなし」と言うのです。

昨年の市民講座は教材費の2000円程度でほぼ毎週、半年間だったのに
これは3カ月、3回のみで約6000円と高額な理由は、市の施設は市内の何か所にもありますが
県でこうしたことに使える施設がなく、ホテルや駅前ビルに会場を借りるためなのでしょうか。

もちろん、役に立ちさえすれば何ということはないのですが…。 

ところで、“ごたベト”と呼ばれる粘土質のため、昨年の3月は
ジャガイモを植えるための2坪程度の土を起こすのが精一杯だったことが思い起こされますが
今ではそんな“猫の額”も約20坪ほどに拡張できていますし
秋のうちに起こしておいた土もいい具合に風化していますので
4月初旬~中旬には、まずは昨年の2倍程度の数の種イモの植付けができるはずです。

4月では売り切れで買い逃してしまった「きたあかり」なる品種が
すでにホームセンターの店頭にありましたので、早く買っておかなければなりません。

 

 

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お寺との付き合いはヤヤコシイ…②昨今の檀家事情

2012年03月06日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

現在でも檀家制度は残っていますが
これはその寺院に墓を持つためだけに繋がっている、つまり
未だに日本に根付いている定期的な墓参りや一家の葬儀
先祖の年忌法要でしか寺と檀家が接点を持たない
いわゆる“葬式仏教”のケースが多くなっています。

しかし、檀家制度が作りだしたこれらの儀礼や年中行事は
現在でも日本人の宗教観や生活に綿密に関係していることも事実です。

一方では、経済成長に伴って地方から都市部への人口移動などで
地方の人口が減少することにより檀家が減少し
檀家制度に頼る地方寺院の経営が難しいものとなっているとも言われています。

また、葬儀業者がその一切を手配してしまうという例も多く
ますます寺院との関係が希薄化している側面も見られます。

つまり、これらは現在の日本における仏教のあり方や寺院に求めるものは
その教義ではなく、“葬祭の司祭者”となってしまっていることを示しているのでしょう。

 

 

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お寺との付き合いはヤヤコシイ…①菩提寺とは

2012年03月05日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

一般的に日本で行われる葬儀の実に95%が仏教式によるものと言われます。
(キリスト教2%、神道1%、その他2%)

葬儀は宗教と切り離し難いもので
多くは宗教者が主導する宗教的儀礼として行われます。

宗教が違えば、葬儀のかたちや手順も違ってきます。

また同じ宗教でも、宗旨(しゅうし:教え)の違いによる宗派によって
作法なども違うものになります。

このため葬儀は、故人の信仰や喪家が属している宗教・宗派の宗教者によって
それに則った儀礼・手順で行わなければなりません。

そうでないと、たとえば仏教式の葬儀であっても
菩提寺がありながら、その寺とは違う宗派で葬儀をしてしまった場合には
菩提寺のお墓に入れなかったり、戒名の変更を迫られたり、さらには
本来の宗派で葬儀をやり直さなければならなくなることもありますので
菩提寺にお墓がある方は注意して下さい。

日本の仏教では、檀家としての菩提寺があって
そのお寺の墓地・霊廟(寺院墓地)に肉親や一族のお墓があり
死後はそのお墓に入るという方の葬儀は必ず菩提寺に連絡してお願いするか
菩提寺と同じ宗派の僧侶によって仏式葬儀を行うのがルールです。

こうしたことを知らずに失敗する事例の多くが、菩提寺とお墓が首都圏と離れた地方にあるため
菩提寺に連絡も相談もせずに、住居のある首都圏で火葬・葬儀を行い
その後で遺骨を菩提寺に持っていって断られたというケースです。

このような場合の最終的な解決策は、菩提寺の進言に従って、最悪は
もう一度本来の宗派に則った葬儀をやり直すか、宗教・宗派不問の公営や民間の墓地を探すか
あるいは、首都圏で葬儀をしたときの僧侶のお寺を新たな菩提寺として檀家になり
その寺の墓地にお墓を求めるか、のいずれかになります。

どれを選択するにしても新たな出費が必要になりますから注意が必要です。

似たような問題は最近増えているお寺や特定の宗教法人が運営する納骨堂でも起きています。

寺や特定の宗教法人が運営している納骨堂の中には
「これまでの宗派は不問」と謳っているものがありますが、これは裏返せば
「これからは、自分のところの宗派に入っていただきます」ということですので
うっかりそれまでの宗派で葬儀をしてしまった場合には
納骨堂に遺骨を納める段階で、前のケースと同じことが起こり得るのです。

ところで、葬儀の手順や作法の違いは
それぞれの宗教・宗派における死生観(=生と死に対する考え方)に基づいて
それぞれが伝統的に形作られているためです。

例えば、日本の多くの仏教では、死者は来世で仏の弟子になるとされますので
そのための戒律を授け引導する儀式として構成されています。

神道では火葬・埋骨後も、故人の霊魂は祖先の霊とともに家にとどまり
家族の守り神になるとされますので、霊魂を神として祀る儀式が中心となります。

一方、キリスト教では死は「召天」または「帰天」と言って喜ばしいことであると考え方ますので
故人が神に召され安息を得られるように祈ります。

繰り返しになりますが、葬儀は宗教的儀式なのですか
普段宗教や信仰を意識することがある、ないに拘わらず
故人や自分の家の宗教・宗派について把握しておくことがどうしても必要になってきます。

ところで、仏教式葬儀が95%にも達するということは、日本人が生活の根っこの部分で
寺院と深く関わっているということになりますが、その原因は江戸時代にあります。

江戸時代初期、日本人全員は近くの寺を菩提寺と定め
その檀家となることを義務付けられた「寺請制度」が始まり、現在の戸籍に当たる「宗門人別帳」が作成され
旅行や住居の移動の際には、その証文(寺請証文)が必要とされることになりました。

各戸に仏壇が置かれ、法要の際には僧侶を招くという慣習が定まり
寺院に一定の信徒と収入が保証されたと言います。

そして元禄年間には、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され
葬式に必ず僧侶がつくようになって現代に続く葬儀の形が出来上がりました。

つまり、幕府は一般民衆を把握する目的で寺院を利用したため
寺院との関わりなくしては生活ができないことになってしまったのです。

 

*菩提寺(ぼだいじ)…一家が代々その寺の宗旨(しゅうし:教え)に帰依して
そこに墓や位牌を納め、葬式を営み、法事などを依頼する寺。檀家寺。
この寺に先祖代々の菩提(死後の冥福)を求めることになる。

 

 

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A社での通夜

2012年03月02日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

A社は市内に3つ、近郊に2つの葬儀場、1つの結婚式場、日帰り温泉などを持つ互助会の老舗です。

今回利用する葬儀場は、自宅から5㌔程の場所に5、6年前にできたばかりのため
他の葬儀などでも訪れたことがなく、初めて中に入ったことになります。

中央にエントランスホール、向かって左側が祭壇のある式場、右側の手前に通夜室
その奥に厨房と法事場が配置されているのですが、このうちの通夜室部分は
他とは堅牢なドアで分離できるようになっていて「好きにお使いください」とのこと。

私は3泊ここで過ごしましたが、とても快適でした。

変形的なL字型8畳間の祭壇前に遺体を安置、別室の6畳間との間を開放すると
およそ20畳程度はあろうかという通夜会場になる造りで
炊事場はもちろん、湯船が160~170cmのユニットバスも付いて24時間お湯が出ます。

また、押し入れには寝具が3セット、毛布は10枚程度が備えてありますので
“雑魚寝”でしたら10人以上は泊ることができそうです。

また、空調や換気装置もしっかりしていて線香の煙も籠ることはなく
80台は停められる駐車場も付いているのですから
有料とは言え、ここら辺が専門会場の良さなのかもしれません。

細かなことでは、多くの座布団、正座が難儀な方用のお尻の下に敷く椅子や
和室用の座椅子などが準備されていたことも大いに助かりました。

ところで、A社の葬儀担当コンダクターは9人いて、今回担当になっていただいたHさんは
3度、事前相談に尋ねた際に会った中で一番私が気に入って指名した方です。

何から何まで相談しながら今後の段取りを任せるのですから
気が合う合わないは極めて大切なことだとの思いから、予め“面接”しておいたことは正解でした。

ただし、どこの葬儀社でもこうして指名が出来るかどうかは分かりませんが
許せる範囲で直接、影で指揮を取るコンダクターに会っておくことは大切で
最悪、当日本人が空いていなく担当してもらえなくても、別の優秀な人を指名してくれます。

そのHさんとの通夜の打ち合わせの際、真っ先にしたことは菩提寺へ電話をし
お寺さんの僧侶の都合を問い合わせて日時を決めることでした。

 

【通夜とは】

読んで字の如く「夜」を「通じて」故人を見守るという意味を持ち
一晩中、遺族の方々が故人のそばで、ローソクの火・線香を絶やすことのないように見守って過ごします。

なぜ火と線香を絶やしてはいけないのか…。

亡くなってすぐの故人の魂は、この世でもあの世でもない世界を彷徨っています。

そんな不安定な魂が道に迷うことがないように
故人の暗い足元を照らすローソクの明かりを絶やしてはいけないのです。

また、線香から立ちのぼる一筋の煙は一筋に天への道しるべとなりますので
線香も絶やしてはいけないのです。

古い風習ではありますが、今でもそのいわれを守って徹夜で故人を見守る遺族はまだまだ多いです。

逆に、翌日には葬儀という大切な日がひかえてますので
通夜の夜はしっかりと眠って体力と気持ちを整える、そういう現代的なご遺族もいらっしゃいます。

これは遺族の考え次第であって、通夜はどのように過ごしても自由とされています。

古くからの慣例では「通夜」とは、このように近しい遺族だけで見守って過ごすものですから
本来は親族以外の友人や会社関係の方が参列するものではないと考えられていました。

しかし、最近では会社を終えてからの時間で参列出来るという利便性から
葬儀よりも通夜に参列される方が増え、通夜の場が「告別式」のような形になっているようです。

これは特に都会に行けば行くほどよく見られる傾向で
地方都市ではまだまだ通夜は内々だけでするものという意識も残っていて
一般会葬者は葬儀に参列してもらうという形をとる遺族もいらっしゃいます。

弔問に伺う側としては
お通夜の日時&告別式の日時を両方とも教えていただいた場合…通夜も葬儀も参列する
告別式の日時だけを教えていただいた場合…通夜には行かずに葬儀にだけ参列する
という考えで良いとされています。

ちなみに、葬儀は亡くなった方を送り出すための儀式で、宗教儀礼や祈りの儀式などに相当するもの
一方で、告別式は参列者がお別れをする場ですので本来は別のモノですが
現在では同時に行われるケースが多くなっているため、同じ意味として使われているようです。

ただし、葬儀場の案内看板では使い分けられていて、これは仏教の宗派によるものだと説明されました。

もし通夜は内々だけで済ませるつもりならば、遺族が訃報を伝える際にその旨も一緒に伝えられるはずで
必ずしも参列することが100%正しい思いやりではないところが難しいところです。

内々の遺族だけで通夜を済ませるつもりで弔問客への接待の準備は全くしていない所へ
もしも誰かが押し掛けてきたら、遺族は相当に気を遣わなければならず
ただでさえ疲れているのですから、ちょっと気の毒な状態にもなり兼ねません。

私の場合、亡くなった16日を通夜にすると翌17日は“友引”で葬儀ができず
17日通夜、18日葬儀はお寺さんの都合が付かなかったため
翌々日18日が通夜、19日が葬儀・告別式となり、17日が一日空きましたので
物理的、精神的に通夜と葬儀の準備を余裕を持ってすることができて結果的には大いに助かりました。

ちなみに、友引に葬儀を行なうと「友を引き寄せて冥土に連れて行く」と言われる迷信から
友引には葬儀を行わないのが今日のマナーになっていますので、その翌日に葬儀を行うことになります。

ただし、お通夜は普通、友引に関係なく行なわれます。

全国の火葬場も多くは友引の日がお休みになったり、葬儀社もお休みしているところが多く
その結果、友引明けの日の火葬場は普段よりもとても混み合うようです。

 

「通夜」の一連の流れは次のようなものです。

*宗教、宗派により異なるので、ここではごく一般的な仏式のやり方で
葬儀場にて行った私の場合についてです。

*「18日、午後6時から午後8時」と電話でご案内を差し上げています。

 ・受付…開式30分前位から弔問客が来始めますので芳名帳に記帳して香典をいただきます。
(受付の準備は早めにしておいた方が良いです)

・開式…司会者から会場の案内があったら着席し、僧侶の入場を待ちます。

・読経…僧侶からありがたい読経をいただきます。
(菩提寺の提言により末寺の庵主様にて)

・焼香…読経の途中で焼香が始まります。一般の弔問客の焼香は親族よりも後です。

・読経終了…読経は初七日法要も同時ですので、だいたい30分前後あります。

・喪主挨拶…僧侶から促されたら通夜振る舞いの案内を兼ねて一言、挨拶をします。
(しないで済むこともあるようです)

・閉式…司会者から閉式の案内があって僧侶が退席します。
(控室でお布施3万円を渡しました)

通夜ぶるまい…別室でオードブルなどの料理で弔問客をもてなします。
(自宅でやる場合はこれも女性達には結構な負担を強いることになります)

*ここ長野の市街地では“夜通し”はあまり見かけなくなっていてほぼ2時間で全て終了します。

 

 

 

 

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