保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

墓じまいと改葬・・・⑨後書き

2018年03月17日 | 離檀・墓じまい・改葬・仏壇の処分

昨年末に行った墓じまいと改葬ですが、多くの不安があったにも拘わらず
あまりにもすんなりと全てが進んだことは"嬉しい誤算"でした。

女房家に関しては10年以上前に他界している義父の親戚は私の実父と重複し
5年前に亡くなったばかりの義母のたった1人の姉とその婿、つまり伯父も
すでに他界している上、女房が一人娘だったこともあり
これという障害はなく一気に話を進めることが出来ました。

一方、私の実家に関しては、祭祀継承者の次男に
子供がいないことが根幹となり、3番目の弟が特に反対することもなく
また実父は一人息子で他は女5人、下から2番目が90半ばまで生きたのですから
一番多いとされる親戚間とのトラブルもなく、こちらも同時に
一気に終わらせてしまいました。

こうして私の実家、女房家ともに先祖代々の墓はなくなり
その遺骨は善光寺納骨堂に合葬したのでした。

善光寺は全国から参拝者が訪れるので、檀家で成り立つ市中の多くの
小規模な檀家寺と違い、決まった葬儀の形も葬儀場もありませんが
法要はこの納骨堂の中央にある本殿で、当番制の僧侶による
読経を統一価格の5000円でお願いすることが出来ますし
その後の会食は別に決めた会場で執り行うことになります。

ただし、せいぜい10人ほどの規模が精一杯かも知れません。

法要(=法事)・・・仏や先祖の霊を供養すること。
初七日から四十九日まで七日ごと、月忌、新盆、百ヵ日、年忌法要など
節目ごとに行います。僧侶に読経をお願いし、親族や故人の
近親者を招いて故人を偲び、会食を行います。

ところで、現在の法要及び葬儀の形は
江戸時代の檀家制度が元に出来上がったといいます。

この檀家制度、元々はキリシタン禁圧のための「宗門改」と
領主による夫役負担能力把握を目的とする「人別改」とが江戸時代に合体され
「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」となり
全国の名主や庄屋、町年寄が作成し、家族単位の氏名と年齢のみならず
檀家として属する寺院名が記載されたことで確立されました。

つまり寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうこととなり
今に繋がる法要及び葬儀の形が出来上がり安定的な経営が可能になったそうです。

ただし逆に、寺院は信仰・修行よりも寺門経営に勤しむようになり
僧侶の乱行や僧侶の階級を金銭で売買することにも繋がったそうな・・・。

こうした経緯から「家」「祖先崇拝」の側面が先鋭化し
本来の仏教の教えは形骸化して、今日言われる
いわゆる「葬式仏教」に陥ったとされているのです。

また戸籍や租税台帳としても機能した「宗門人別改帳」ですが
婚姻などで土地を離れる際には、檀家である寺院に証文をもらい
移転先の寺院で新たに改帳に記載してもらわなければ「無宿者」となり
居住の制約を受けるなどの不利益を被ることになったそうですので
この制度は、かなり強固だったことが伺い知れます。

しかし現代、事情は一変し、寺院に何の束縛を受けることなく
人の移動も頻繁にそして自由に行われるに留まらず
少子化に伴い男子による継承がままならなく、寺と檀家の結び付きを
維持することさえ困難になっている状況が叫ばれています。

都会では、夫が他界した後、同じ墓に入らないどころか
「姻族関係終了届」により夫側親族との親戚関係を解消して
夫側の墓の管理も放棄する「死後離婚」さえ増えているという時代です。

"父はすでに他界しその遺体は検体に出ていてまだ戻っていなく
母は90歳超で老人ホームで未だ健在"の実家の今後は
もちろん相談には乗るにしても、祭祀継承者の次男が考え
"義父・義母ともにすでに他界"の女房家は、我々夫婦はどうするか、の
白紙状態から考えて行けば良いことになりました。

(墓じまいと改葬を終え、次回仏壇の処分へと続く)

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