母島の風景に慣れてしまうと、ここは都会だなあ~と思わせるほどの街並み。
でも、ここは東京から南へ1000キロ、週1回、25時間半の船旅でしか辿りつけない秘境のはず。
このあたりの土地代はうちの住んでいる田舎よりも高いですよ。
父島、母島どちらも下水道完備。うちのところはまだ管理費のかかる浄化槽。 小笠原村役場前。
パイナップルが実っていました。
小笠原村役場の業務時間は
午前8時から12時まで、13時30分から17時30分まで。
昼休みは1時間半、窓口は閉鎖されます。その代わり、内地より1時間も長くなります。
学校も昼休み1時間20分になっていました。
アメリカの昼休み1時間半といったような習慣がまだ根付いているかどうか、わかりません。(私の憶測)
昼休みが長い分ゆとりを持たせているようです。 部屋は海側、廊下や洗面所は山側。
この風景を見ると、自分の故郷に帰ったような気分になります。
どうしてかなあ?と思いきや、初めて小笠原に来たときの宿はここでした。
洗面所からぼんやりこの景色を眺めながら歯を磨いたせいでしょうか。 今日は出航前の送別パーティーなので、普段とは違った特別料理が出ます。
父島で獲れたタコの「タコ焼き」。
ヘルパーさんが焼いているところをパチリ。
小笠原ユースホステルのヘルパーさんは6人。
4年前に来たときのヘルパーさんとは変わっていましたが、小笠原が大好きで半年から1年程度のお仕事でしたら、ここが最適でしょう。
思い出たっぷりの写真たち。 父島ごはん。
ヘルパーさんたちの得意な一品が次々と運ばれてきました。
今回は父島産ゴーヤーと牛肉炒めでした。 最後の日は必ず島寿司が出ます。
「ん?この人見覚えがあるなあ?」
「4年前に来たとき一緒だったよね」
「確かに学校のセンセイだったと言っていたから間違いない」
「あの・・・4年前、見かけましたが私たち覚えています?」
「おお~もちろん覚えているよ」と4年前の集合写真まで見せてくれました。
確かにヨングク君と私の写っている写真だ。
「毎年毎年、この時期に小笠原にいらしているのですか?」
「欠かしたことはないけど、毎年だね」
偶然の再会でした(笑)4年というブランクがあっても、お互いにちゃっかり覚えてくれたのは嬉しい。内地だと、お互いに覚えることはなくきれいに忘れるはずなのに、小笠原マジックかな?
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