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小笠原の歴史

2005-08-23 02:38:26 | 小笠原

hahajima01

hahajima02

旅先の歴史を調べてから行くことにしている。
小笠原の歴史を少しだけ紹介。

1593年 松本城の領主、小笠原貞頼氏が小笠原諸島を発見
 どうやって上陸できたのか、いろいろ文献を調べたが見当たらず。

1876年(明治9年) 欧米系やハワイ人からの移住者が多く、外国領になるのを恐れ、明治政府は「日本の領土である」と諸外国に通達。

1940年(昭和15年) 町村制が敷かれ、父島に東京府小笠原島父島大村・扇村袋沢村、母島に沖村・北村、硫黄島に硫黄島村の5村を設置。
左の写真は、母島の北部にある北港あたりの戦前の様子。北村役場、郵便局、駐在所、宿屋、小学校などがあった。
右の写真は現在の様子。かつて村の中心地でにぎわっていたという面影すら見つからない。残っているものといえば、小学校の階段や校庭のみになってしまった。

1944年(昭和19年) 太平洋戦争による国令で島民を内地へ強制引揚げ。
1945年(昭和20年) 終戦、小笠原諸島はアメリカの軍政に入る。
1968年(昭和43年) 6月26日の正午、小笠原諸島を日本に返還、東京都小笠原村設置。
 アメリカ国旗を降納し、同時に日の丸を掲揚した記念すべき日。

<返還後の小笠原への交通手段>
初代(1968-1973) 椿丸 東京~父島 なんと44時間 (遅れは日常茶飯事平均54時間。東京を出てまる2日かかる)
2代目(1973-1979) 父島丸 38時間
3代目(1979-1997) おがさわら丸 28時間 →その船はフィリピンに売却
4代目(1997-  )おがさわら丸 25時間30分(山口県下関市の三菱造船生まれ)
今のおがさわら丸は下関生まれなので、観光客が年間の中で最も少なくなる1月、関門橋の下を潜り、定期点検。
「おがさわら丸」が下関に帰省している間の代替船は東京~八丈島路線の「かめりあ丸」になるが、28時間かかるそうだ。
5代目は東京~父島を17時間で結ぶ大型高速船のTSLを今秋に就航する予定だったが、莫大な赤字が懸念されるため、せっかく作ったTSLを廃船にしたそうだ。投資した金額は500億円。

父島から南へ約200キロ離れた硫黄島に自衛隊の空港があるので、羽田~硫黄島の航空便を新設し、硫黄島から母島・父島行きの高速船を就航させていれば、半日で行ける計算になる。TSLに投資した巨額を硫黄島に港を作ればよかったのでは。旧島民の墓参りなどでおがさわら丸が硫黄島に行くことはあるが、寄港できる場所がないため、沖で停泊し、小型のボードで上陸しているらしい。

それにしても、昔は父島まで44時間以上もかかるなんて・・・。


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