鹿児島市からクルマでおよそ1時間半、南九州市の知覧特攻平和会館に到着。
福岡県の北九州市はわが故郷の関門海峡に面し、何度も往来してきた馴染み深いところですが、南九州市は平成の大合併により、2007(平成19)年に発足。
調べてみると、北九州市は百万都市、南九州市は川辺町、知覧町、頴娃(えい)町と合併し、わずか3万8千人でした。
南九州市の本庁は知覧町なので、旧知覧町が中心地になっているようです。
館内撮影禁止になっていたため、外から見た「知覧特攻平和会館」の建物のみ撮影。
大日本帝國(1889(明治22)年から1947(昭和22)年までの58年間)はちょっと考えられないようなことばかり続いていました。
明治憲法では、日本の領土規定がなく、日本周辺の朝鮮半島や台湾、サハリン(樺太)、サイパン、グアムまでも領土拡張。
アメリカのハワイまで日本のものにしようと、昭和16年12月8日、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃、太平洋戦争勃発。当時の首相、東条英機の指示によるものでした。(1948(昭和23)年12月23日、今の池袋サンシャインシティ60で死刑執行。その跡地は東池袋中央公園)
戦争がエスカレートし、知覧特攻隊は朝鮮も含む全国の青少年をかき集め、アメリカ軍の軍艦に体当たりする神風隊を編成。
小型航空機のパイロットになれたとしても、そのまま軍艦に体当たりなので、操縦していた自分も散ってしまいます。
館内では、死ぬのを悟ったのか、出撃する前に家族宛にしたためた遺書ばかり展示されています。昔の人は達筆ばかりなので、読めない字や、見慣れない昭和初期の言葉使いが綴られています。
出撃し、戦死した若者1000人くらいの遺影も・・・。どれも尊い命だというのに、「明日は出撃し、自分も散れ!」と言われれば、絶対に断るはずなのに、当時は従服しなければならない。
小型飛行機に乗り、体当たりする前の写真を見ると、パイロットは笑顔でしたが、本音はまだ死にたくないでしょう。
こんなことは二度と繰り返したくありません。地球上ではどこかで今も戦争を続けているところもあります。同じ人間同士だし、一刻も早く世界に平和が訪れますように。