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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

いよいよ最終日

2016-03-03 00:13:39 | 2015五能線&道央&カシオペア

 秋田新幹線-五能線-青森-急行はまなす-札幌-学園都市線-新十津川-滝川-留萌線(往復)-旭川-(石北本線秘境駅めぐり)-北見。ここまで来るのに本当に長かった。帰りも飛行機を使わず、札幌から最初で最後になる、豪華寝台特急「カシオペア」で帰京。

 昨日は日没後なので、街の全貌は見えませんでしたが、翌朝はくっきり。

 「みどりの窓口」にマルス端末が2台。ツインクルプラザ北見支店にも2台。あわせて4台もあるなんて、10時打ちも余裕あり!?

 自動改札化されていなくて、有人改札。首都圏ではこういう風景は見かけなくなっているので、懐かしいです。

 近距離用の自動券売機。IC交通系のキタカでも対応できそうな機種ですが・・・

 オレンジカードのみ取り扱い可能でした。ここでもオレンジカードが使えるとほっとします。国鉄時代のオレンジカード山ほど持っていて、使うチャンスが1度もない。ほとんどIC交通系カードで改札をピッ。

 札幌もそうだけど、道が碁盤の目のようになっていて、何条何丁目はどのあたり?と地図を見ただけでぱっと見つけやすい。ここでもきれいに区画されていました。

 私が駅の中でまったりしている間、友人が600m離れている郵便局に行ってくれました。普段から600mだとすぐクルマ(うちなーんちゅ(沖縄人)と同じ。青ヶ島の人もちょっと出かけるといってもクルマかな?)なので、友人はこの程度の距離は「徒歩」。かなりアクティブ(行動派)。

 JR北海道のマルス端末は全国様式と、自社のみの「総販」様式、2種類備えられています。乗車券を発券するだけでも、東京都の国立駅近くにある中央システムセンター(国分寺市)まで通信回線を使うので、経費削減のためオフラインで発券されたものが「総販」。

北海道・北見グルメ

2016-03-01 00:31:54 | 2015五能線&道央&カシオペア

 あっという間に3月1日。あと1ケ月で平成27年度も完了。しかし、この写真を撮ったのは半年前の平成27年9月6日なんです。自分の好きな場所だとなかなか終わらない。この日は旭川駅でレンタカーをお借りして、北見駅で乗り捨て。北見に着く頃は18時過ぎ。空が夕日で真っ赤に染まっていたので、思わずパチリ。9月と3月、日の出や日の入はほぼ同時刻、今の季節、17時40分頃から暗くなります。故郷の山口県は九州に近いせいか、ここより30分は遅れて日の入り。

 この日は何もない秘境駅、廃駅めぐりがメインだったため、北見はかなり大都市のように映ってしまいました。

 宿はビジネス系ホテルなので、夕食の提供なし、朝食付き。夕食は、適当に選んだところです。それが穴場でした!!北海道なので、お通しは昆布刺身としらすの和え物。

 これは何だったのか、半年前なので忘れてしまいました。天ぷらだけど、サクサクしていておいしかった。

 北見に来れば、どうしても外せない野菜。オニオン(玉ねぎ)。

 これも、北海道ではポピュラーなジャガイモの揚げ物。

 網走に近いので、オホーツク海で獲れた海鮮物のお刺身。

 北海道の野菜はみずみずしくて美味しい。

 北見のB級グルメの「北見塩やきそば」を頼んでみました。あらかじめ熱したあつあつの器に麺、北見産の玉ねぎを入れ、特製ソースで絡ませるシンプルなものでした。

 塩焼きそばはあっさりしたものだとイメージしていましたが、特製ソースにほたてのエキスが含まれているのか、少しこってり系。美味しいです!!

 最後にデザート。たらふく食べて、2時間。御会計に金額を見てびっくり!!予想していたよりも安かった。あれほど食べておきながらリーズナブル。「いろはにほへと」北見店は超満足なお店でした!!

金華駅(その6)常紋トンネル工事殉難者追悼碑

2016-02-27 00:00:47 | 2015五能線&道央&カシオペア

 金華駅真正面の道は「駅前通り」。そのつきあたりは国道242号線の交差に差し掛かります。

 「常紋トンネル工事殉難者追悼碑 入口」の文字が見えます。階段を上ると・・・

 金華小学校跡地になっていました。大正時代に開校、昭和50年の初めころに閉校。更地にして、常紋トンネル工事殉難者追悼碑を建てられたと思われます。

 追悼碑の裏に

 
 「常紋トンネルは、大正元年から三年の歳月をかけ、本州から募集された人びとの強制労働によって建設されました。工事の途上、粗食、重労働、リンチなどによって殉難された方がたは、百数十人以上と伝えられています。
 この鉄道によって限りない恩恵を受けている私たちは、無念の死をとげた方がたを追悼し、北海道開拓の歴史から葬られてきた人びとの功績を末永く後世に伝え、ふたたび、人間の尊厳ふみにじられることのないよう誓いをあらたにしてこの碑を建立します。

昭和五十五年十一月

常紋トンネル工事殉難者追悼碑建設期成会
留辺蘂町」

「本州から募集された人びとの強制労働」も騙し討ちにされたようです。道路敷設工事は、網走監獄の囚人が作り上げたと聞いていますが、トンネルは何も罪を犯していないのに、囚人並みの苛酷な環境で働かせ、栄養失調によるひん死者を見つけてはトンネルの壁に生き埋めとか、人格を踏みにじる行為ばかりしていたようです。表にしてはまずいからと、日本の歴史教科書には載っていません。

 手を合わせ、亡くなられた方のご冥福をお祈りしました。このトンネルができたからこそ、道東(北見や網走)から札幌間を1日4本も特急が行き交い、大きな恩恵を受けています。

 今夜の宿、北見まではあと29キロ。レンタカーの返却時間に十分間に合います。

金華駅(その5)

2016-02-24 00:22:55 | 2015五能線&道央&カシオペア

 金華駅も「その5」に突入。駅名からにすると「ゴールド、華やか」を連想してしまいますが、実際は・・・廃屋だらけのゴーストダウンです。駅としての役目を終えたのか、開業102年目にして営業終了。1914年(大正3)年10月5日開業、2016(平成28)年3月25日廃止。

 1977(昭和52)年の金華駅周辺。駅前に民家がたくさんあって、道を歩いていれば、地元の人に出会えそうな雰囲気ですが、今は鉄道ファンの方が金華駅を惜しみながらやってくる程度です。
 駅真正面から国道に向かって、最初の右側の建物はどうやら、住居兼用の簡易郵便局っぽいです。

 この建物が郵便局だと認識した理由は・・・

 ドアのところのシール跡を拡大してみると

 旧郵政省時代の郵便貯金マーク(三つ葉)。三つ葉マークの真上にうっすらと「昭和52」の文字が見えます。

 カウンター跡地。長年も放置されているのか、苔も生えていますね。

 簡易郵便局は、郵便業務を民間に委託するものなので、たぶん、この家に住んでいた人が簡易局員さんだったかも知れない。昔懐かしいテレビもありました。コンセントに差し込み、地上デジチューナーにつなぎ、今でも視聴できるか気になるところ。

 門燈のランプ。昭和の古めかしい三菱マーク。数年前は青いMITSUBISHIのロゴマークだったというのに、現在は昔に戻ったかように三菱マークに「MITSUBISHI ELECTRIC」ロゴに変更。家電具売り場とかで、「あれ?昔懐かしの三菱マークがついている?」と思ったくらいです。

カシオペア 上野発3月19日、札幌発20日最終運転日

2016-02-20 00:22:06 | 2015五能線&道央&カシオペア
 2月19日は、上野発札幌行きの最終列車発売日。10時00分00秒になったとたん、全国のマルス端末から殺到し、運よく手に入れた方はラッキー!?
 2月20日も、札幌発上野行きの最終列車発売日。1席しかない、展望スイートチケットはどなたに!?

 北海道新幹線開業後も、「カシオペア」は青函トンネルを通ることも決定されました。幹線用と在来線用の併用軌道(3本のレールが敷かれてある)、電気方式は交流2万ボルト。東北新幹線や北海道新幹線のH5系やE5系は2万5千ボルト。カシオペアの江差線、海峡線専用のED79を2万5千ボルトの架線で走らせるのは難しい。JR貨物が新幹線用の機関車を開発するので、カシオペアも牽引するとのこと。時期は2016年6月以降、団体専用列車として走らせる計画もあるようです。
 JR貨物の機関車といっても、ハンドルを握るのはJR北海道の社員。JR貨物の社員が運べるのは貨物のみで一般旅客を乗せた車両を牽引してはならないという決まり。機関車を専門にしているJR貨物に委託すれば簡単な話ですが・・・鉄道事業法により、日本貨物鉄道と一般旅客を取り扱う6社とは完璧に分離しているので、お互いに融通するのは難しい。

金華駅(その4)

2016-02-18 00:57:10 | 2015五能線&道央&カシオペア
 動画をアップするのは久しぶりです。ずっとやっていないと忘れてしまいそうなので、16時37分発の汽車を見送るシーンを収録。音が出ますので、ご留意ください。
 JR東海製造の腕時計、はじめは「子どもが喜びそうな、おもちゃだから精度は狂うでしょう」と思い、見向きもしなかったのですが・・・クオーツだというのに、まるで電波時計。月差2~3秒。JRのマークがついているので、そのプライドにかけ、絶対に狂わない時計を開発!?
 運転士さんの懐中時計(運転席のよく目立つ場所に掛けておく)も出勤点呼時に秒まで合わせているので、狂いはないはず。日本の鉄道は、諸外国に比べると非常にシビアで正確。しかし・・・金華駅発車は16時37分なのに、およそ10秒前にドアが閉まり、37分になったとたん、エンジンの回転を上げ、汽車が動き始めました。もちろん、乗客はゼロ。ワンマンカーなので、運転士さん1人だけで網走に向かうシーンはなんだか虚しさ満杯。

金華駅(その3)

2016-02-15 01:04:34 | 2015五能線&道央&カシオペア
 金華駅だけでも小幌駅に次いで長すぎる記事になってしまいます。小幌駅は「日本一秘境駅」なので、駅の維持代を豊浦町が負担するという協議のうえで平成29(2017)年3月まで存続決定されました。できれば、契約更新以降も存続できれば・・・。
 金華駅は北見市内にありますが、JR北海道が北見市に金華駅を廃止してよろしいかと伺いを立てたところ、すんなりとOKが出たそうだな。

 102年の歴史があるのに、廃駅にするなんてもったいない。

 豪雪地帯なので、ベニヤ板で保護。黒ずんでいるところはずっと雪で埋まっていた跡なのかも知れない。

 常備してあるものだけど、この使い道って何でしょうか。手の届かないスイッチに引っ掛けて下に引っ張るような道具のようだけど・・・??

 出札窓口跡地にベンチ。きれいに磨き上げていて、奥に掃除道具。金華駅を恒久的に存続できるように願って、ボランティアで定期的に清掃する方がいらっしゃるかも知れない。その方に感謝します。

 丸いものは、掛け時計でもかけていたんでしょうか。鹿児島県の嘉例川駅は振り子式のレトロっぽい時計でしたが、電波時計。ここでも修正不要の電波時計をかければいいですが・・・時計本体の購入費用や電池交換は誰がやるか問題になってしまいます。

 やややややっ!!16時29分、汽車がやってきましたよ!!

 時刻表で調べてみたら・・・驚愕!!16時29分金華止まり、16時37分、折り返して始発。

 サボも「金華-網走」。廃村にたたずむ駅だというのに、ターミナル駅とはありえない!!と思い、いろいろ調べたところ、となりの西留辺蘂(にしるべしべ)駅は単線のため、交換設備もない。やむをえず、金華始発にしたそうだな。金華駅の話はまだまだあります。

金華駅(その2)

2016-02-13 00:39:16 | 2015五能線&道央&カシオペア
 時刻表を見て・・・驚愕!!
 廃村にたたずむ秘境駅だというのに、1日8本もあります。しかも、うち1本は特別快速「きたみ」(旭川-北見間)停車駅。特別快速は普通列車のキハ54が特急並みに疾走し、北見から旭川までおよそ3時間10分。しかも、特急料金は無料。特急オホーツク号は国鉄タイプのキハ183、2時間50分。特別快速と特急、差はわずか20分くらい。特別快速は乗車券のみ、特急は国鉄の古くてボロ車両だというのに自由席特急料金2千円加算は高いかな。新型のキハ261系で差をつけたほうがよろしい。
 うち、3本は・・・金華駅始発。つまり、秘境のターミナル駅。周辺は廃村なので、利用する人は皆無のはず、なぜ、そのような設定をしているか、調べたところ・・・納得しました。
 金華の隣は、3.5キロ先の西留辺蘂(にしるべしべ)駅。地図を確認してみると、本家の留辺蘂よりそっちのほうが住宅が密着し、文教地区でもあり、店舗も多く都会的。住民の請願により、2000(平成12)年4月開業。石北本線は単線であり、上下交換できる設備はない。金華駅は2面2線備えているので、西留辺蘂駅利用者の利便性を図るため、ここをターミナル駅とした経緯があります。
 金華駅廃止後は終点西留辺蘂に着いた汽車は金華まで旅客扱いなしで回送されるかも知れない。あるいは、西留辺蘂に着いて、すぐ折り返すかどうか。

 「常紋トンネル工事殉難者追悼碑 昭和55年11月建立 駅より約300m」の看板。
 金華駅の開業は東京駅と同じく大正3年、西暦にすると1914年。今年で102年になります。常紋トンネルは全長507mで北見市と遠軽町の常紋峠を貫通する難工事、重機などの機械もない100年前の手作業で3年かけて開通。労働者は網走監獄に収監されている囚人たち。今の時代、全国の拘置所で収監されている死刑確定者でも、国民の税金で衣食住は完璧に保障。法務大臣のサインした死刑執行命令書を受理するまで勝手に自殺しないように常時見張りや健康体であることなど手厚く保護されています。ところが、100年前の網走監獄はろくに食事も与えず、朝から夜までぶっ通しで苛酷な環境で働かせ、怪我して動けなくなったり、栄養失調で倒れた囚人をトンネルの壁に生き埋めするなど蛮行を繰り返されていました。常紋トンネルを通過中、人影が見えたなどの幽霊話が相次ぐさなか、1968(昭和43)年の十勝沖地震発生。トンネルの壁面が損傷し、1970(昭和45)年に改修工事が行われたとき、壁から約60センチ奥に人柱が数体出てきたそうです。その10年後、金華小学校跡地に工事中亡くなられた方々達を追悼する碑を建立。

 築101年目。(2015年9月訪問時)

 JR北海道様式のサッポロビール広告付きの縦駅名票が4本も付いているのに、改札口横にも架けられていました。

 駅待合室にあった、電気のブレーカー。全国の電力会社は契約アンペアごとに色分けされていますが・・・ここは色が付いていませんでした。よく見たら10A。(1000ワットを超えたらブレーカーが落ちる)
 駅の照明だけで1000ワットまでは行かないので、10Aでも十分かも。

 待合室の明かりは、とても安い、40W「昼光色」直管蛍光灯1本のみ。青みがかかっている蛍光灯は、夏なら涼しい色調だと思いますが・・・ここは北海道。冬の間はもちろん、白銀の世界で氷点下。青い蛍光灯だとさらに寒い雰囲気かも・・・。まだまだ金華駅の続きはあります。

金華駅(その1)

2016-02-11 00:21:04 | 2015五能線&道央&カシオペア
 今度は金華(かねはな)駅です。駅名からにすると、金(ゴールド)の華やかというイメージだというのに・・・実際はゴーストダウン化、しかも、利用者ゼロの状態が続くため、駅としての営業は今年(2016年)3月25日まで。北海道新幹線開業とともに廃駅。
 金華 → 下白滝 や 旧白滝 → 上白滝 とか、なくなってしまう駅を発着するマルス券を記念に購入したいところですが・・・房総の田舎町だというのに、指定席券売機が熱転写タイプのMV30型から感熱タイプのMV50に置き換え。熱転写のほうが永年保存に向いているインクリボン方式。100年後でも、劣化しない。今の感熱タイプのものは長年も保存しておくと化学反応により、文字が消えてしまう恐れもある。今どき熱転写タイプが置かれてある駅なんて、探すのも大変になってしまいました。
 航空券も、昔は熱転写インクリボンで印字された立派なものだったのに、今は薄っぺらの感熱紙に・・・。切符なんて1度使えば用済みなので低コストの感熱紙で十分というJRさんの方針だけど、私みたいに旅の記念として永年もとっておきたいですが・・・・。

 見えてきました、金華駅。

 駅真正面から見た風景。廃屋だらけのゴーストダウンです。

 それなのに、駅舎が立派なのは、昔は栄えていた街だったという証拠。

 たぶん、開業時のホーロー駅名票。ホーローは、長い間でもさびないような耐久性をもつ素材なので、古めかしく見えてもまるで新品。

 昔は列車を待つ人々でコ字型の腰掛けでワイワイ雑談していたに違いない??

 出札窓口跡地。お客さんが「あばしりまでくださーい」と窓口超しの駅員さんにそう伝えると、乗車券棚から「金華から網走ゆき」の硬券を抜き出し、日付入り器でガチャ。「○○○円です」と現金徴収。そんなやりとりがそこにあったかも知れない。

 出札窓口跡地の横。カウンターがあるのは鉄道手荷物窓口跡地。大きな電話ボックスが置かれているのは、金華駅に自動放送設備がないため、なかなか列車が来ないときはこの電話でお問合せくださいとのこと。なかなか汽車が来ない、どうなってんだ!?と受話器を取れば、北見駅につながり、状況を知らせてくれるっぽい。私の場合は、ろう者向けの電話リレーサービスに加入しているので、北見駅の電話番号を調べ、電話通訳オペレーターを介してのやりとりになると思います。

 なるほど・・・ゴーストダウンにトイレがあると、誰が清掃して、管理するかが問題。たぶん、金華駅だけでも、長いかも・・・続きはまた今度。


生田原駅(その2)

2016-02-07 00:14:50 | 2015五能線&道央&カシオペア

 興味深いものを見つけました。1954(昭和29)年、生田原町制記念の駅周辺住宅地図。昭和の初めころ、生田原銅山が発見され、人口6000人に急増。もはや、「村」ではなく「町」に昇格。

 平成の大合併により、生田原町、丸瀬布町、白滝村が2005(平成17)年から遠軽町に合併。「町」制定時は、住宅や商店街など密着していましたが・・・

 今はご覧通り。昔はものすごく栄えていたのに、今はすっかり寂れてしまいました。奥白滝駅も、昔は旅館や商店もあったのに、現在はそれらを更地にして、何もない秘境を呈しています。
 日本一秘境のミニ自治体、東京都青ヶ島村の人口も、一時は400名近くあったというのに、今は166名(平成28年1月1日現在)・・・。初めて上陸した1999年当時は200名前後だったというのに、急激に減ってしまいました。
 今はマイナンバーが導入されていて、他の市町村に転居するのに手続きはワンストップになるかも知れない。マイナンバー制導入前の手続きは、引っ越しする前に、今まで住んでいた市町村へ転出証明書を発行してもらいます。その転出証明書を転居してから14日以内に市町村窓口へ提出し、住民票を移動するシステム。例えば、今住んでいる市町村へ転出証明書をもらい、青ヶ島へ旅行して、役場へ届け出れば、晴れて東京都民の仲間入り。数日間滞在して、自宅へ帰る。住民票は青ヶ島に置きっぱなしで、生活の根拠地は向こう。そうなると、村役場からの「納税通知書」「保険料決定通知書」のほか、「投票入場券」を送付しても、全島無番地とはいえ、郵便配達員も家はどこにあるのか不明、どんな人なんだ?聞き込みが始まります。住民票があっても、本人が見つからなければ、虚偽申請されたもので実態に合っていない。「宛先不明」として役場に戻ってきます。 
 このようなケースは・・・公正証書原本不実記載(刑法157条1)罪。5年以下の懲役または50万円以下の罰金刑が課せられます。
 運転免許証の住所に「東京都青ヶ島村無番地」が欲しくて、転出証明→転居届 駐在所で免許交付 転出証明 →転居届 最寄りの警察署で住所変更申請。裏面に現住所記載。住民票を交付するときに「前住所」の欄に東京都青ヶ島村無番地と記載。実践しようと思っても、かなり面倒くさいです。

 北海道新聞に掲載された、生田原図書館の紹介。

 地元ゆかりの資料を集められたものを2階に展示。図書館を併設している駅はおそらく全国でここだけなのかも知れない。
 生田原駅の話はこれで最後。次は・・・金華駅。

生田原駅(その1)

2016-02-05 00:31:05 | 2015五能線&道央&カシオペア

 私は改札外から眺めるだけでしたが、友人は入場券を購入し、改札内のホームや連絡橋からの風景を撮影。遠軽駅は改札に徹底しており、切符を持たぬものは通せんぼ。JR西日本は田舎の有人駅であっても、改札はあまりやらない。改札ラッチはあっても、駅員さんが立つことはあまりない。委託業務駅は、単に切符を発売するだけで改札や集札をやらなくてよいという取り決めがあるかも知れない。その代わり、ワンマンであっても打ち抜き的に車掌さんが乗務し、検札。
 遠軽駅の改札スタンプで入場し、退出時に記念として持ち帰りたいと申し出。北海道の地形に「乗車記念」のスタンプが押されました。北海道の有人駅なら、どこも同じデザインのものが常備されているようです。「無効」の無機質なゴム印より、このデザインのほうが旅の思い出になれる。JR北海道さんの粋な取り計らい。

 今度は生田原駅です。同じ石北本線にある駅とは思えないほど立派な駅舎。

 駅舎兼用「オホーツク文学館」「生田原図書館」。

 出入り口の真向かいは、駅待合室。

 当駅は無人駅ですが、ご不明な点がありましたら、図書館内の職員へお問合せ願います、とのこと。もちろん、雑誌コーナーも常に最新版の時刻表を置かなければならないので、聞かれても、調べて答えられそうです。

 駅舎の中に図書館があるなんて、ものすごく贅沢。山口県の何もない田舎で過ごしていたころ、山陰本線は1時間に1本(現在は2時間に1本に減便)なので、間に合うように全力疾走で駆けつけても、むなしく汽車が出てしまった。1時間のひまつぶしはどうしていたかって、滝部駅キヨスクに置いてあるまんが本や、何かの読み物を購入。何もない田舎でも、当時はキヨスクがあって、必要なものは全部取り揃えてあった。しかし、現在はキヨスクの代わりに自動販売機。滝部だけではなく、小串、川棚温泉、黒井村、吉見、安岡、綾羅木もキヨスクはありましたが、現在はすべてなくなっています。

 汽車がなかなか来なくて、暇つぶしにちょうどよい施設。汽車を待っている間に、いろんな本に没頭していると汽車が来たことすら忘れてしまうかも・・・。駅舎の中に温泉があるところは岩手県の北上線、「ほっとゆだ」駅。群馬県のわたらせ渓谷鉄道の「水沼」駅、長野県の飯田線「平岡」駅。駅の中に図書館があるのは、おそらく、ここだけ??
 日本一秘境なところでも、図書館はあります。それは、青ヶ島村立図書館。1999年に初めて上陸したときは、背番号のNDC(日本十進分類法)もなく、無造作に置かれていましたが、今はかなり立派な図書館に生まれ変わっています。もちろん、NDCに従って並んでいるので、目的の本も探しやすくなりました。郷土資料や、昭和30年代、高津勉先生が島に赴任している間のいろんな写真も閲覧できます。

 これ、といったような観光名所はありませんでした。目立つほど立派な建物はここだけらしい。

 つぎは、金華(かねはな)。上位の秘境駅にランキングされている金華駅からわずか1駅で、立派な駅舎、生田原。
 生田原駅の話はまだまだあります。(その2)に続く。

遠軽駅

2016-02-03 00:39:16 | 2015五能線&道央&カシオペア

 石北本線の起点は新旭川で終点は網走。その間に開けている街は上川、秘境駅が続き、遠軽。ここでスイッチバックして、なかなか書けない難しい漢字の「留辺蘂(るべしべ)」、道東2番目の都市、北見(1番は釧路)、美幌、網走。無人駅の新旭川以外は有人駅。
 「留辺蘂」「美幌」は特急停車駅で「みどりの窓口」があるのに、今年(2016年)の3月ダイヤ改正でマルス端末を撤去し、無人駅化になるそうです。

 駅そば。北海道なので、西日本のあっさりしたスープではなさそう?

 ずっと秘境ばかり回ってきたので、これを見ただけで「都会だな~」と思えてしまいます。まるで青ヶ島で何日も過ごし、八丈島に行くと道路もアスファスト舗装。2車線。都会だな~と同じ感覚。小笠原の母島から父島に行くと、父島の街並みが都会に映ってしまいます。

 スイッチバック駅なので、次の駅表示は左側に2ヶ所。花輪線の十和田南駅、田沢湖線(秋田新幹線)の大曲駅、四国の秘境駅、坪尻駅もスイッチバック。極め付けは、JR九州の肥薩線、大畑(おこば)駅。駅は熊本県内にありますが、近くに宮崎県と鹿児島県境付近の険しい山岳区間。スイッチバックだけではなく、くるりとひとまわりしながら進むループ線。1日5本。

 行き止まりのはず、この先もずっとレールが続いているのに疑問を感じ、さっき、調べてみたら・・・なんと!1989(平成元)年に廃止された、名寄(なよろ)本線でした。名寄といえば、旭川から特急スーパー宗谷号に乗車したときの途中駅。名寄まではレール規格がよいので、120キロで飛ばし、名寄以北は80~90キロくらいに減速。あそこから遠軽まで「名寄本線」があったのに、27年前に廃線とは・・・。古い時刻表で調べてみると、名寄の東側は、名寄本線。西側は深名線。深名線は平成7(1995)年に廃線。網の目のように巡り張らされた鉄路が次々と廃線。江差線の非電化区間(木古内~江差)も廃線、今度は留萌本線の末端(留萌~増毛)廃線・・・。廃線しすぎて、将来の北海道路線図がスカスカになってしまいます。

 旧白滝や下白滝は寂しい時刻表だけど、遠軽駅はまあまあにぎやか。特急の「赤」が多い。

 SLの回転台跡。

 故郷の山陰本線や山口線も2両編成がほとんど。新幹線と並行する山陽本線は速い電車もあるので、ディーセルのキハ47の2連や、キハ40ワンマンは遅くてボロい汽車だとバカにされやすい。でも、ここで見る山口と同じ形式のキハ40でも壮観。場所が変われば、見る目も変わってしまいます。
 次は、生田原(いくたはら)駅。

道の駅まるせっぷで軽食

2016-02-01 00:54:21 | 2015五能線&道央&カシオペア
 下白滝駅の次は、丸瀬布(まるせっぷ)、瀬戸瀬(せとせ)。どちらも廃駅になる予定はなく、3月26日以降も続投。もし、それらも廃駅となると、とても忙しくて、昼食ところじゃない。
 瀬戸瀬という駅名、中国地方と四国の間にある瀬戸内海を連想してしまうのに、何で北海道に!?
 駅ではなく、「道の駅まるせっぷ」で遅いランチ。

 夕食は北見周辺、今の時刻は14時過ぎ。夕食は19時頃を考えると、少し軽めのカツカレーにしました。

 北海道のソフトクリームは内地よりうまい!雄大な北海道の土地なので、日本一の酪農王国。

 秘境ばかり続いていたのに、少しずつ開けた街になり、遠軽駅。新型の自動券売機もありましたが、オレンジカード非対応。1台しかないです。あ、あの~!!あれほど内地で使ってもらおうと観光客向けとして多量のオレンジカードを発行しておきながら、新型はそれを受け付けないのはどうかと思う。JR北海道のオレンジカードを他社で使うとその会社から発売手数料が少し入るので、いろんな銘柄のカードを発行していました。
 (※)1985(昭和60)年、最初にオレンジカードが使える券売機を設置したのは山手線。当時は小銭を用意しなくても、テレホンカードと同じくスマートに切符が買える斬新な企画でした。どちらも、「有効期限は無制限」のはず、社会事情が変わり、チャージして繰り返し利用できる交通系ICカードが普及。オレンジカードなんて見向きもされなくなり、ついに2013(平成25)年3月31日を以って発売終了。テレホンカードも、携帯電話の普及により、公衆電話を使う人は皆無に。スマホそのものがモバイル、わざわざグレー公衆電話を利用してネットする人も皆無)
 国鉄時代も含むオレンジカードを多量持っていても、なかなか出番はない。電車に乗るときはいつもIC交通カードでピッ。
 オレンジカード裏面に刻んである数字でどの会社で発行されたのか識別。(00は東日本、10は東海、20は西日本、30は北海道、40は九州、50は四国、国鉄発行のカードは現在も有効だが、JRの切符に引き換えると国から支払われないので使われ損)。マルス端末で発券された券面の発行会社識別は、1=北海道、2=東日本、3=東海、4=西日本、5=四国、6=九州。(タ)は運賃は他社に絡んでいる意味。無印は自社完結。

 自動改札ではない風景。

 みどりの窓口の上にあった運賃表。途中駅の細かな駅は飛ばしていますが、網走から札幌まで。

 日立製作所のMR32型。黒い端末は最新型で日立のMR52型。この端末で1室しかない「カシオペア 展望スイート」を出せたらすごい。たった1室をつかんだ人はどんな方なんだろうな??1ケ月前の10時00分00秒でないと取れないので、「発信」ボタンを押すタイミングによる。真っ先にサーバーに到着した駅から順次に発券だけど、展望スイートは1室しかない。確率は1億円の宝くじに匹敵するかも知れない。

 思ったとおり、MR発行なので、端末は日立製でした~!!

ラスト白滝シリーズ・下白滝駅(その2)

2016-01-30 00:16:07 | 2015五能線&道央&カシオペア

 (その1の続きです)趣のある駅が、今年(2016年)3月25日限りで営業終了。
 3月26日は北海道新幹線開業同時に、利用の見込めない駅が廃止されます。
 上川を出ると、次は37.3キロ先の白滝。白滝を出ると、次は19.7キロ先の丸瀬布(まるせっぷ)。
 上川から丸瀬布行きの乗車券は途中に1駅があるだけで、57.0キロ、1270円区間。普通列車なのに、まるで快速。くねくね曲がっているわけではなく、ほぼ直線なので、要所時間は40分。
 島根県の三江線(正式な公表はまだですが、過去にJR西日本と島根県が約10億円をかけて流失した鉄橋を復旧させるなどの巨額を投じているので、容易く廃止することは難しいでしょう)は江の川に沿って、くねくね曲がっているので、速度25や30制限の箇所が多く、江津から浜原まで50.1キロなのに、なんと1時間45分っ!!

 写真を撮っていたら・・・人が来ましたよ!こんなところに人が!!とビックリする私。
 
 そう・・・このような秘境駅に私以外の人がいると、かなりビックリします。新宿駅で多くの人が行き交っていてもそんなに驚かないのに、上白滝や下白滝だと、人がいるとなぜかビックリする。

 1月7日にアップした記事
 「1日1往復の駅なので、きっと今の時間帯(お昼頃)は、誰もいないはず!!だと思ったら、目玉が飛び出しました!!待合室に1人の若い女性がただすんでいました。向こうもまさか人が来るとは思わなかったので、少しビックリしたような表情。」

 レンタカーはキーを差し込んだまま、貴重品もそのままなので、気になって人がいるところに近づけてみました。
 すると、向こうが「連絡をくれました?」
 「は?」
 駅前にレンタカーなので私が連絡をしたわけではないとそう思われたのか、そそくさとその場を立ち去り。

 さっきの人はタクシーの運ちゃんでした。
 「何だろうね?」
 友人いわく「あっ、思い出した!!上白滝駅に若い女性がいたの、その人が連絡したんじゃないの??」

 「かみしらたきえき、しもしらたきえき。もし、電話で連絡をよこすにしては、聞き間違えはないんでしょう??かみ、と、しも、似ているわけじゃない」

 右の家は真新しい家なのに、左側の家は廃屋でした。

 昭和の家電具見っけ!!四国の坪尻駅にあった廃屋を思い出します。

 ここには住みづらいと捨てていったと思いますが・・・目の前が下白滝駅なのに・・・。

 電灯は裸電球、ということは戦後まもなく??(戦時中は、敵機に気づかれないように黒い幕で覆われていた)

 もともとは村道なのかも知れない。現在は遠軽町なので、町道下白滝駅前線。舗装されていなくて砂利道でした。

ラスト白滝シリーズ・下白滝駅(その1)

2016-01-28 00:00:12 | 2015五能線&道央&カシオペア

 カーナビで確認すると、旧白滝から下白滝までおよそ4キロ。民家らしきものはなく・・・

 下白滝駅到着!!駅前1等地に真新しい民家が建っているのが見えます。しかし、定期的に下白滝駅を利用しないため、今年(2016)年3月25日を以って廃駅。何もない秘境なので、買い物に行くのも不便のはずなんだけど・・・。

 駅の改札口。下白滝駅の歴史は、となりの旧白滝より古く、1929(昭和4)年8月開業。旧白滝は地元の請願により、あとからできた駅なんです。

 開業当時は木製のラッチ、今はスチール製に取り替えられています。いつ頃無人駅になったか、ネットで調べても見つかりませんでしたが、人が多く利用していたころは硬券にパチンと鋏を入れたに違いない??

 左側は切符売り場跡。右側は国鉄手荷物扱い所跡なのかも知れない。今はすっかり寂れた山陰本線の長門二見駅も、国鉄時代は、何人も駅員さんが駐在し、出札窓口のとなりは手荷物取扱所。DD51機関車が客車を牽引し、最後尾は郵便兼荷物室。国鉄、郵政省どちらも国の事業なので、荷物の運送も一緒。昔は駅に荷物を託送することもできました。

 極端に少ない時刻表。

 紫のカーテンで覆われているところは、かつての駅事務室。

 駅事務室からの眺め。本当に何もないところです。目の前にあるものは、そば畑なのかな??

 ここはすれ違いができる、2面2線。手前は下り、遠軽方面。向かい側は上り、旭川方面。

 上り方面から見える駅舎。昭和4(1929)年建築なので、今年で87年目になります。鹿児島県の肥薩線、嘉例川駅は明治36(1903)年建築、113年経ってもバリバリの現役。こちらは87年目で廃駅とは惜しい。

 ここでも新しい駅名票に変わっていました。新しくなったのなら、この先もずっと現役でありたいのに。続きはまだまだ長いです。(取材時は2015年9月)
 
 「長崎県五島市富江町黒島」はなんと!!人口2名の島。島には96歳のお母さんと娘さんの2人暮らし。「富江←→黒島」の定期船は、毎週火曜日、1往復のみ。最盛時の人口は100名近くなのに、次々と島から離れていって、2人が最後だそうです。週に1回、定期船で通院やまとめ買い。秘島と認定したいところですが、住所が「五島市」なので、日本一の秘島は人口166名の青ヶ島村がナンバーワン。青ヶ島は週に数回は定期船が入港しているし、行政の中心、役場や郵便局、生活に欠かせない商店、夜遅くまでにぎやかな居酒屋が2軒もあるのに、黒島は1つもない。夜になると、波以外の音が聞こえないほどの静けさ・・・。

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