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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

旧白滝駅(その2)

2016-01-25 01:03:09 | 2015五能線&道央&カシオペア

 (その1の続きです)今年3月で廃駅になるというのに、駅名票は新しく入れ替わっています。昭和22(1947)年開業、今年で69年目。長年の労をねぎらうため、最終の美を飾る目的もあるかも知れません。ボロボロのまま終わらせるのは、この駅に対しての敬意を示していないということになりますし・・・。それにしても、駅名票はJR東日本の様式に酷似。1987(昭和62)年、国鉄解体前にJR各社のコーポレートカラーはどうするかと話し合いが行われたみたいですが・・・JR東日本は緑。もしも、北海道JR東日本になっても違和感がないように萌黄色JR四国もいつか西日本になるのに備え、ライトブルー。結局、どちらも経営努力により、他社に頼ることはなくなりました。JR九州は当初から燃える熱意の「赤」。派手なデザインの車両を相次いで導入、九州新幹線開業、超豪華な、ななつ星開発など次々と新しい試みに挑戦しているので、株式も上場になる日も近いそうです。上場になると、本州3社と同じく国からの援助は出なくなります。

 この駅も、今年の3月で見納めに・・・まわりの風景に溶け込んでいるので、私としてはよい駅だというのに、もったいない。

 時刻表。現在もこの駅を利用している、女子高生の始業時間に間に合うように遠軽方面に1本設定。白滝方面に3本は、学校の終業時刻に合わせている。午前中のみの授業なら、14時。6時間目までの授業なら、16時53分。部活などで16時に間に合わないときは20時。3本。
 今年3月、卒業とともにこの駅は廃止に・・・。

 待合室内の電灯。昭和時代によく見かけた笠付き。しかし、よく見たら、電球はLEDになっていました。LEDは消費電力が少なく、交換を要しない長寿命。紫外線を発生しないので、夏場の虫は寄せつかないなど、メリットは多い。

 あれれ?秘境だというのに、4両編成の普通列車が来るときもあるんですかっ!?

 今だったら、必須品。雪かき道具。

 駅ノートもありました!!管理人は「近くの住人」となっていました。過去のノートを雪の中に捨てた方がいます、決して捨てないでください」と訴えかけています。非常識な「鉄」がいるからこそ、私も恥になってしまいます。人の善意に踏みにじるようなことはしないで欲しい。

 なぜか待合室にあった黒板。「待つ身は長いナ」「Sライラック」とか。
 旧白滝の記事はこれで完了。次は、下白滝。

旧白滝駅(その1)

2016-01-20 00:00:18 | 2015五能線&道央&カシオペア
 今年(平成28)年3月25日で白滝シリーズは本家の「白滝駅」のみ残し、全滅してしまいます。

 現役の駅なので、カーナビに「旧白滝駅」が表示されますので、簡単に見つけられます。国道333号線沿いにあります。
 北海道は札幌(道央の政令都市)、函館(道南)、旭川(道北)、北見(道東の中心都市)周辺のみ人口が多く、地方となると汽車を動かすたびに赤字が出る超閑散路線。1987(昭和62)年、国鉄からJR北海道に引き継ぐ前に広尾線とか100円の収入を得るのにそれより上回る支出を強いられる大規模な赤字路線を廃止。JRに引き継いでも、天北線や名寄本線など採算が合わないところも廃止、現在も現役の路線は「地域に必要なインフラである」という解釈のもとで残しているわけですが、今度は、利用客がゼロの駅は維持代もかかるので、次々と廃駅にするそうです。そのため、JR北海道は株式会社であっても、国から経営安定基金で賄っている非上場になっています。JR九州はようやく平成28年度から上場に向け、手続き中だそうです。

 今年3月で廃駅になるのに、白滝シリーズの駅名票はなぜか、新しい。長年の労に感謝して「最終の美」を飾るため、きれいな状態でお別れしたいという意図もあるかも知れません。
 開業は昭和22(1947)年2月11日。白滝地区の中で歴史の古い場所なので、「旧白滝」と命名。本家の駅名に後から新しくできた駅は「新」が付く駅名が多いさなか、昭和4年に本家の「白滝」の後にできているのに、「旧」とは全国的に珍しい。

 そもそも、その土地の地名が「旧白滝」なので、駅名もそのようにしているでしょう。現在は遠軽町に合併しているので、「白滝村」のうち「村」だけ消されています。

 駅ホームに行くのに、踏切を渡なければなりません。「敷板がありませんので、注意してお渡りください。北海道旅客鉄道株式会社」と書かれていますが・・・

 敷板はありました。それがないとクルマの通行もできないので、後から取り付けたかも知れません。

 昭和22年当時、旧白滝周辺の人口は多かった。通学のために汽車を停めて欲しいと国鉄に要請し、盛り土をして、使われなくなった枕木でホームを作ったそうです。

 JR北海道は、この駅に停車するたびに毎日利用してくれる女子高校生が1名だということは把握。今年3月の卒業を待って、廃止する運命に・・・。まだまだ続きは長いです。

白滝駅

2016-01-13 00:27:44 | 2015五能線&道央&カシオペア
 2016年1月12日の午前7時半頃。たまたま見ていたNHK(総合)で旧白滝駅のことが取り上げられていました。過去の記事に下白滝駅を利用する女子高校生の定期利用者がいるので、今春の卒業を待って廃駅すると書いてしまいましたが、正確は「旧白滝駅」でした。旧白滝駅の時刻表は 網走行き7時16分の1本のみ、反対方向は、女子高校生の下校時間に合わせ、13時28分白滝行き、16時12分旭川行き、19時25分白滝行き、3本。
 石北本線の歴史はとても古く、昭和の初めころ開通。旧白滝周辺の人口も多く、子どもたちを汽車で通わせたいので、この周辺に駅を作って欲しいと国鉄に要請。枕木などの廃材を使ってプラットホームを開設し、昭和22(1947)年2月11日開業。昭和30年代に撮影された旧白滝駅の写真も公開。今の状況から考えられないほど地元の方々たちで埋め尽くされていました。
 子どものころ旧白滝駅をよく利用していたという方も、現在60代。この恩返しに、1人の通学性のためではなく、この地に訪ねた旅人のためにボランティアで除雪作業。女子学生も高校を卒業すると、この駅が無くなるなんて寂しいと。

 今は遠軽町になっていますが、もともとは白滝村の中心駅。

 駅近くの郵便局。白滝村役場の庁舎は遠軽町役場白滝総合支所に継承。

 白滝駅は1日4往復する特急のうち、半分は停車。1日1往復の快速も停車。スカスカじゃない時刻表。

 ちなみに上白滝駅は、極端な時刻表。

 特急オホーツク3号が12時48分頃、通過っ!!

 前と、後ろのフェイスが異なります。国鉄時代に製造された、古めかしいキハ183系。石北本線の利用者が少ないので、ボロ国鉄車両で間に合っているみたいですが、エンジンの加熱により、床下から火を吹くトラブル何度か。再発しないように点検を徹底し、現在はは安全が保障されているようです。

 白滝シリーズの本家とはいえとも・・・駅のまわりは役場や、図書館、郵便局があっても、賑わっている様子は皆無。とても寂しい。

 今度は、旧白滝駅に向かいます。

現役の上白滝駅(その2)

2016-01-07 00:35:53 | 2015五能線&道央&カシオペア
 1日1往復の駅なので、きっと今の時間帯(お昼頃)は、誰もいないはず!!だと思ったら、目玉が飛び出しました!!待合室に1人の若い女性がただすんでいました。向こうもまさか人が来るとは思わなかったので、少しビックリしたような表情。
 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!「あなたはなぜ秘境駅へ?」と安田大サーカスの団長さんみたいに質問攻めしてみたいところですが・・・私は筆談を要する人間なので、コミュニケーションを取るのが少し大変。すると、手話で会話をする私たちの様子を見て、女性が「私は出ていくから、ゆっくり写真撮ってね」とジェスチャー。「はい、ありがとうございます」とパチリ。

 コ字のような待合室。きれいに手入れされています。

 しかも、生け花までも。クルマの代わりに利用者がいて、いつまでも存続して欲しいと願っているかも知れない。毎日利用する定期券による利用者が1人でもいれば、廃駅は免れる。たまに利用する程度で1日の利用者ゼロに近い状態が毎日続くと、駅としての維持代(電気代、除雪費用の人件費、建物の修繕費)が旅客収入よりもかかってしまう。北海道新幹線に集中投資したいJR北海道にとって、そのような駅を廃止したいのが本音。
 今年(3月26日)の北海道新幹線が開通すると、石北本線の中では上白滝、旧白滝、下白滝、金華駅が廃止。特に、下白滝駅は遠軽方面に7時22分発が始発兼終電。(1本のみ)高校生の定期利用者が乗車。帰りは、学校の終業時刻に合わせ、14時01分、16時45分、19時59分の3本停車。今春、卒業とともに、下白滝駅は廃駅に・・・。
 
 昭和7年からそのままになっているのであろう改札口。駅員さんが立って、乗車券拝見!と鋏を入れていたに違いない。

 上川方面。

 冬季は除雪要員が配置し、除雪。1日の利用者がゼロでも、汽車が停まる以上、ホームを除雪しなければならない。これだけでも人件費もかかってしまいます。

 駅名票。新しく取り替えたばかりだというのに、あと数か月で取り外されそうです。廃駅になってもそのまま残すと熱狂マニアが駅名票をそっくり盗む輩が出てくる。江差線もそうだった。廃駅が決まっていても、まだまだ現役だというのに、駅名票をそっくり持っていかれる事件もあった。隣の白滝までは、わずか3.3キロなのに、上川は途中の奥白滝、上越、中越、天幕の4駅もなくなっているので、34キロもあります。今年の3月26日ダイヤ改正で白滝シリーズ全駅が廃駅。そうなると、上川を出ると、次は白滝。37.3キロも伸びてしまいます。石勝線の新夕張-占冠の34.3キロより長い。新夕張から新得間の89.4キロは1本も各駅停車がなく、全列車特急。その区間に限って、特急自由席は無料、普通列車専用の青春18きっぷも乗車可能。まだまだ続きはあります。

次は現役の上白滝駅(その1)

2016-01-05 00:20:39 | 2015五能線&道央&カシオペア
 奥白滝開拓記念碑の文字が達筆すぎるなので、なんと書かれているかなかなか読めませんでしたが、文字を判読し、テキスト変換したものをネットで見つけました。タバコの吸い殻が原因で大火事になったのではなく、人々に対する戒めの文章でした。
 現場でじっくり見て、紙に書き写して、よーく考えればよかったかも知れませんが・・・(笑)

 上白滝駅遠景。1日1本しか停まらない、日本一秘境の小幌駅よりも本数が非常に少ない。JR北海道発足時の時刻表(1987年4月)で確認してみると、当時は札幌22:30発網走行急行「大雪」運行。白滝には翌朝3:03停車。逆に網走21:30発も白滝には翌朝1:11停車。あの秘境な奥白滝や上白滝でさえ、JR北海道発足時は午前1時から3時でも列車は通過。各駅停車は1日1本であることは現在も変わらず。
 昔の北海道はよかった。札幌発道内各方面行きの夜行列車も充実。夜行列車があるからこそ、翌朝目的地に着いてから観光もできるなど朝から1日有意義に使える。

 どう見ても秘境駅に含まれそうですが・・・駅前に民家があるので、上位にランクインされず。

 駅の開業は1932(昭和7)年10月1日。あの頃からず~っと、この姿。「上白滝駅」看板の下に昔ながらの電球。でも、よく見たら・・・

 昔ながらの白熱電球は現在、どのメーカーも製造中止。消費電力もかかるし、寿命も短い。エコにならないので、LEDタイプのクリア電球になっていました。

 昭和7年に建てたという銘板か!?と思ったら・・・「平成3年度春季 環境衛生美化の家」。その通り、古い駅舎だというのに、待合室はきれいに手入れされています。駅近くの住民が、この駅が無くならないように毎日手入れをしていると所さんの番組にも出ていたのも思い出しました。続きは今度。

奥白滝開拓記念碑

2016-01-03 00:47:12 | 2015五能線&道央&カシオペア

 奥白滝駅から国道に出たあたりに「奥白滝開拓記念碑」が置かれています。

 タバコが原因で火事になったとか、意味のわからないことばかり。昔はどのようなところだったのか、全然書かれていない。ネットでいろいろ調べたものをまとめると「最初の開拓団が入ったのは大正2(1913)年。僻地の貧しい開拓地に石北線の線路が敷かれ、昭和7(1932)年、奥白滝駅開業。その頃から一躍、市街地を形成し、駅前に2軒の旅館、雑貨店、網走で獲れた魚を汽車で運ばれるようになり、魚屋、菓子店なども軒を並べた時代もあった。」この文章があればよかったのでは。
 ここは遠軽町内、もともと「白滝村」。旧白滝村の中心駅は「白滝駅」。村内に奥白滝駅-上白滝駅-白滝駅 -旧白滝駅-下白滝駅の「白滝」が付く駅名は5つもあり、ファンの間では「白滝シリーズ」と呼ばれています。
 しかし、奥白滝は2001年に廃駅、上白滝、旧白滝、下白滝も、2016年3月25日まで。26日以降は廃駅。白滝駅のみ残すので、シリーズは全滅に・・・。
 
 上白滝駅時刻表 7:04 網走行  17:08 旭川行。 1日1往復のみ。(2本は通過)

 ふと疑問発生。7:04発の汽車は上川駅6時16分発が始発。上川の1つ前は「東雲」。東雲から上白滝までは38.5キロなので、運賃は840円。指定席券発売機で普通に購入できますが・・・近距離乗車券と同じく「○月○日から1日間有効 下車前途無効」と印字されます。
 で、実際は東雲21:51 →上川21:58(上川止まり) 上川 6:16 → 上白滝 7:04の旅程しかないので、1日では無理です。この旅程を利用する人は皆無だろうと思いますが、いざ実践しようとする人が現れたら・・・!?次の記事は1日1往復しか停まらない超秘境駅、上白滝駅。 

<<訂正>> 2016年1月3日 午前9時30分追加
 真正面の台座に刻まれている文字は
 
「「大山火の歌」

過ぐる大正六年の 桜ほころぶ五月頃
白滝襲う大火事に 平和な里も夢破る

猛火頂上のその中で 親は子供の手をとりて
子はオノノキてとりすがり 行くえも知らぬ逃げまどう

ああ恐ろしき大火事は たったタバコの吸い殻や
炊火の跡や悪さより おこるぞ知れや人々よ」

「記念碑」の真後ろに、奥白滝の歴史が書かれているとのことです。大正2年に入植し、その4年後、大火事に見舞われたそうです。

白滝シリーズで1番思い入れのある駅・奥白滝駅(その2)

2015-12-29 00:00:30 | 2015五能線&道央&カシオペア
 年末にやらなければならないことを一通り完了。(その1)の続きです。

 駅はなくなっていますが、旭川紋別自動車道に「奥白滝」インターチェンジがあります。高速道路の建設費がかかっているのに、なぜか無料区間になっています。平行する一般道路の国道もあるのに、わざわざ高速道路を作り、しかも無料とは・・・。
 奥白滝インターチェンジを降りて、突き当り。左折すれば「奥白滝」(中心地)ですが・・・中心地とは程遠い無人地帯ですよ。このあたりは。もちろん、カーナビは「奥白滝駅」の場所は教えてくれません。適当に走らせたところ、友人が「あともう少しだから、減速して」と言うので、速度を落とし、「はい、ここで右折!!」「えっ?正確な場所覚えてんの!!?」

 本当にこの道!?現役時代に1度来たことはあるのに、ン十年ものブランクがあると場所すら忘れちゃった。友人は記憶力がすごい。ほら、駅が見えてきました!!

 駅前は砂利道だったという記憶が蘇りました。国道からは「奥白滝駅 →」とかの標識は全くない。注意しないと通り過ぎてしまいそうです。

 古い木造駅舎に鉄板で補強されていました。

 しばらくしたら、札幌行きの特急通過!!あわてて写真。正午あたりなので、オホーツク4号。札幌には14時45分着きます。ということは、明日、この特急で札幌に戻る予定。24時間後は特急車内の客なので、通過する奥白滝駅を見ることに。

 現役時代になかったものがありました。電話ボックス。今の時代、携帯電話が普及しており、公衆電話の利用者が減少。撤去したボックスを鐵道電話に転用。青ヶ島も、郵便局向かいに公衆電話ボックス。ずっと昔はドコモが独擅場でしたが、現在はauやソフトバンクも使えます。島民もほぼ携帯を所持しているし、観光客も問題なく携帯が使える時代。青ヶ島の公衆電話ボックス、中に入って通話する人は皆無に近いですが・・・もしも、災害が起きて携帯電話がつながりにくくなった場合は公衆電話は通信規制の対象外となっているので、撤去はしないことになっています。青ヶ島郵便局向かいに公衆電話がある理由は・・船が年に数回しか来ない昭和30年代、島民が電話を使いたいときは郵便局の公衆電話だった頃の名残だと思います。村役場前、三宝港にも「みどりの公衆電話」があったのは記憶していますが、今は撤去されているので、郵便局前の1ケ所。その代わり、有線の「村内電話」が無人地帯の池之沢あたりでも設置。各家庭でも村内電話で有線放送が行われ、村役場からのお知らせで毎朝7時前後、本日はあおがしま丸が就航しますとか。正午の時報は「♪ 東海 孤島の 青ヶ島 緑も深き 池ノ沢 赤い椿の うるわしさ 芭蕉の葉陰で 月を見る 青ヶ島 青ヶ島 われらの 青ヶ島 ♪」夕方5時は「♪ もうもう牛さん ご苦労さん 重いお荷物 背に乗せて あの坂 この坂 やっとこどっこい 黙って働く 牛さんに なんとお礼を申しましょ♪」
 電話ボックスを載せただけで青ヶ島の電話事情に脱線。

 これも改札ラッチ跡。ずっと昔、出札窓口があって、奥白滝から各方面の硬券を乗車券棚にずらりと並ばせ、お客さんから行先を告げられ、さっと取り出し、カチャッと日付を入れ、運賃徴収。受け取った硬券を改札口に向かい、駅員さんにハサミを入れてもらってホームへ。そんな面影は全くなくなってしまいました。

 これが、奥白滝駅前の風景なんですっ!!何もない秘境っぷりに驚かされますが・・・北海道ではこれが当たり前らしい。

 この大きさからにすると、昔は数名の駅員さんが24時間交代制で駐在していたかも。

 灯油を入れるタンクは新しいので、これでもまだまだ時刻表には載っていない現役の駅舎。

 カーテンの隙間から駅事務室を撮影。机の上に灰皿あり。札幌や旭川とか、都市部では禁煙、禁煙、禁煙・・・うざったくなっている今の時代、奥白滝駅は駅舎の中で堂々と吸える天国だ。タバコに火をつけて、ぷあ~!なのかも知れない。もし、私が奥白滝駅を使うとしたら、上司や先輩が喫煙者であっても札幌都市圏で使われている禁煙ポスターを貼り、灰皿は廃棄処分するかも。

白滝シリーズで1番思い入れのある駅・奥白滝駅(その1)

2015-12-24 00:00:00 | 2015五能線&道央&カシオペア

 次は奥白滝駅。

 ずっと昔、今みたいにネットが普及していない時代。当時住んでいた山陰本線沿いは1時間に1本。(今は減便され、2時間に1本)1日1本とか、すごいところはないかと時刻表で調べたら、北海道の石北本線、上川から白滝の間は特急が何本かあるのに、普通列車は1日1本しかない!!(平成の初めころ)ちょうど、その頃も社会地図帳で見つけた米粒のような小さな島、「青ヶ島」を発見。南のほうに目をやると、小笠原諸島の父島に母島。どちらも行ってみたいな~とあこがれ続けても、山口からだとどちらも遠すぎる、ハードルが高い。社会人になってから、やっと念願だった場所へ辿り着くことができました。

 2000(平成12)年7月。家族旅行で北海道へ。両親は山口宇部から千歳行きの直行便。(今は無くなっている)1日1本しか停まらない駅巡りをしようと思っても、家族は何もない秘境駅に感銘や興味を持っているわけではない。かえって白けてしまい、面白くない、時間の無駄だとクレームでも来たら大変。いくつかある駅の中で1駅だけに絞るとしたら、やはり・・奥白滝。東京都の山奥、「奥多摩」も「奥」がついていれば、田舎の度合いもナンバーワンなのかも知れないと当時の私の憶測。
 現役時代の奥白滝駅(2000年)。その1年後に廃駅なんて、思いもしませんでした。当時のカーナビに「おくしらたき」を入力しただけでもナビしてくれたので、迷わず着けました。

 時刻表も1日1本っ!!朝の6時59分発網走行きが出ると、次に来るのは24時間後!!旭川行きも17時39分しかないっ!!1日1本だというのに、駅舎は立派。それなのに、駅前はな~~んにもない。

 奥白滝駅が廃駅になると知り、何とか入手。当時の時刻表巻頭に記念切符と記念オレンジカードの入手方法とか載っていたので、それに従っていたかも知れません。よく覚えていませんが・・・。

 今だったら、みどりの窓口の係員を通さず、自分で操作して発券する指定席券発売機を利用しますが、2001年当時は対面発売しかない。あのころの私は厚顔無恥なので、「奥白滝から上白滝まで」と注文。千葉県からその日のうちに北海道に行って、1日1本しかない列車に乗車するのは物理的に無理。「明日から廃駅になるので、記念に取っておきたい」と理由も話したような覚えはあります。熱転写タイプのMEM端末はOKI電気製。現在は感熱のA1やA2端末。(千葉支社はOKI電気、東京、横浜、大宮支社は日立、八王子支社はOKI電気)
 あれから15年・・・(その間に日本一の秘境、青ヶ島へは何度か行きました)今回の旅行で奥白滝駅と対面。続きは、次回。奥白滝駅の前置きが長すぎる。

北海道・上越(かみこし)駅(昭和50(1975)年12月25日廃駅)その3

2015-12-22 00:01:00 | 2015五能線&道央&カシオペア

 廃駅から40年。ずっと昔は標語が架けられていましたが、今は「適」の1文字しかない。どういう標語なのか、気になるところ。「快適」?

 こちらは、40年経っても、ちゃんと読める標語。「一人一人が正しい作業 安全第一」。人里離れた秘境だというのに、鐵道省時代(※)は駅員さんがたくさん駐在していたに違いない??
 (※)鐵道省は昭和18(1943)年まで。のち「日本國有鐵道」に改称、昭和62(1987)年4月1日から「北海道旅客鉄道株式会社」。

 駅名票の枠が残っていました。

 この中に入れる文字を想像。国鉄様式なので、市町村名入り。(北海道上川郡上川町)。左側は「おくしらたき」、右側は「なかこし」。どちらも今は無くなっている駅です。

 駅の中にあった、雑誌。昭和時代のものか!?と目をよく凝らしてみると、平成27年の1月か2月。窓側なので、太陽の光にさらされると、劣化が早くなってしまいます。たぶん、JR関係者の暇つぶしに持ち込まれた雑誌だと思いますが・・・いつまでもそこに置いとかないで、紙リサイクルに回しましょう!!

 窓に無造作で置かれた古新聞。たぶん、冬季の暖房使用時の結露を吸い取るため、だと思われますが・・・2015(平成27)年のものでした。


 駅舎の少し右にかけられているものは、高速道路。(今のところ無料)

 このあたりは豪雪地帯のため、シェルター。

 北海道の古い駅舎に多い、雪かき道具置き場。上越駅の記事はこれで最後。次は、奥白滝駅。

北海道・上越(かみこし)駅(昭和50(1975)年12月25日廃駅)その2

2015-12-20 00:00:18 | 2015五能線&道央&カシオペア
 今から40年前の1975(昭和50)年のクリスマスに廃止された、北海道・石北本線の上越駅その2。9月に行ったのに、あれから4ケ月近く。自分の好きなものは長期連載になってしまいます(笑)今の上越駅周辺は写真のように「緑」があるわけではなく、雪景色か、水墨画のようになっているかも知れません。
 秘境駅・為栗駅から登山道で1時間30分歩かないと自宅に辿り着けない、76歳のお母さんは長年も慣れているのか辺境な地で暮らせます。しかし、私はこの場所で暮らそうと思っても無理かも・・・。夜、外に出ても漆黒の世界。音源は川のせせらぎのみ。雑音や騒音も一切なし。煙も一切なし、携帯の電波、テレビの地上デジタル波も届かない。常時マイナスイオンの世界。長野県下伊那郡天龍村の住民なので、村役場からのお知らせとか、郵便物はあるはず。まさか・・・399-12は飯田郵便局平岡集配所。平岡駅から電車に乗って、1つとなりの、為栗駅下車。郵便屋さんも、片道1時間半かけて歩いて配達!?(平岡駅も、かつては「みどりの窓口」のマルス端末設置。2012(平成24)年4月1日から無人駅化)
 為栗駅から山道に似たような環境は、ここ上越駅にありました。

 上越駅遠景。

 もっと近づいてみます。1932(昭和7)年10月1日開業なので、駅舎も当時からそのまま残されているかと思われます。

 改札口のあった場所。廃駅から40年なので、改札ラッチはすでに撤去。しかし、中からベニヤ板で覆われているので、中の様子がなかなか見えません。

 プロパンガスも置かれてあったりして、現在も使われているっぽい。

 軒は黒ずんでいました。冬季は長い間雪で覆われるので、溶けた水がしみ込んでいるかも知れません。まだまだ続きはあります。

北海道・上越(かみこし)駅(昭和50(1975)年12月25日廃駅)その1

2015-12-17 00:00:54 | 2015五能線&道央&カシオペア
 天幕駅、中越駅、奥白滝駅は、平成13(2001)年7月1日から廃駅。比較的新しい廃駅と言えますが・・・中越と奥白滝の間にあった、上越(かみこし)駅は、今から40年前の昭和50年12月25日に廃駅。もちろん、カーナビには載っていなくて、その痕跡を見つけるのは、至難の業。友人がポケットからスマホを取り出し、何か調べているようだった。友人いわく「つちぶた、という有名なホームページに上越駅の細かい場所まで紹介されている。その場所を見て、カーナビの地図と照らし合わせれば、辿り着けるかも」。

 ・上越駅 (つちぶたのホームページに詳細場所が載っています)
 
 「上越」は新潟県のじょうえつ、とも読めるので、40年前までに発行されていた「上越駅発行」の切符について調べようと思っても、北陸新幹線の「上越妙高駅」や、マルスの経由欄に印字される上越線の「上越」のみの情報しかヒットしません。
 北海道の「上越駅発行」の切符、今でも現物が残っていたら評価額はとんでもない金額になるかも・・・。

 そのあたりから、国道273号線から国道333号線に切り替わります。明治時代にさかのぼりますが・・・273号線や333号線を敷設したのは、網走刑務所の囚人たち。人権を無視した、苛酷な労働条件で380m敷設するごとに1人が亡くなってしまいました。亡くなると、その場で埋めて放置。JRの金華駅から生田原(いくたはら)駅間の常紋トンネルも囚人が穴を掘って出来上がったもので、十勝沖地震により、トンネルの壁から人柱がたくさん出てきたとのこと。常紋トンネルを通過する運転士さんも、トンネル内で人影をよく見かけるのは浮かばれない霊たちでしょう。

 友人が丹念に調べてくれたおかげで、迷うことなく、「上越駅 ↓」の標識がついている場所にたどり着けました。古めかしい看板というわけではなく、どう見ても新しいです。もしかしたら・・・上川町内の観光スポットか!?(上川駅はこのあたりの中心地、みどりの窓口あり)
 ずっと奥へ進んでいくと、舗装された道路から砂利道に。「熊が出てきそうな雰囲気ですよ・・・大丈夫ですかねぇ?」と一瞬不安になる。

 やっと、見つけました!!上越駅へ渡る橋。

 上越駅は、信号場として現役なので、この橋にJR関係者が渡っているはず。頑丈に出来ていて、踏み外してしまうような雰囲気ではないです。

 もしも・・・上越駅が今も旅客を取り扱う、現役の無人駅だったら・・・日本一秘境駅の「小幌駅」と競うようなランク付けになっているかも知れない。
 (小幌駅 道南エリアの虻田(あぶた)郡豊浦(とようら)町内にあり、長万部(おしゃまんべ)から室蘭本線で2駅目)
 上越駅に関する話は長くなってしまうかも知れないので、今回は「その1」を割り振りました。

中越駅(続き)

2015-12-15 00:00:36 | 2015五能線&道央&カシオペア
 まだまだ中越駅。9月に行った旅行だというのに、いつ完結を迎えるか・・・まだ未定です。自分の得意分野だと、長期連載になってしまいます。この先、季節が変わってもずっとおつきあいいただくと嬉しいです(笑)

 インターネットの百科事典、ウィキペディアによれば、
 
 「今でも特急オホーツクの行き違いなどに使用され、そのための運転停車の際には「ただ今中越です。列車行き違いのためしばらく停車します」というように車内アナウンスで「中越」の名が放送されることがある。また、旅客案内上は客扱いを行わない信号場であるが、当信号場への保線職員の輸送のため、上川 - 白滝間を走行する普通列車が停車し、職員の乗降を行うことがある。」

 3線もあるので、特急の交換に一時停車。ほとんどの乗客は廃駅とか秘境駅に興味を持っていなくて、車内放送で「ただいま、なかこしです」と言われると、どんな駅なんだ?と一斉に駅舎のほうに視線は向けるはず。立派な駅舎は残っていても・・・

 駅名票がこのようになっているので、廃駅だとすぐわかってしまうかも知れません。廃駅に特急が停まるという、ミステリーなゾーン。

 中越駅の中に入ろうと思っても、すべて念入りに施錠。1ケ所でも開いていたら、狂気沙汰のマニアが駅舎の中に侵入して、当時残された資料はないかとか漁るに決まっているので、すべて施錠したほうがよろしい。ずっと昔、山口県の美祢線、南大嶺から枝分かれし、わずか2.8キロの谷に眠る終着駅の大嶺駅。1997(平成9)年に廃線、あれからもう20年近く。廃線直後、すぐ解体というわけではなく、しばらくの間、駅舎は残されていました。クルマで山口に帰るたびに、美祢インターを降りて、日本海側に向かう途中、何度か廃駅の大嶺駅に立ち寄り。それほど大嶺駅マニアだったかも知れない。廃線1年後に立ち寄ると、駅事務室の窓ガラスが割られ、中の資料とかそっくり持っていかれたとか、荒れ放題。2年目あたりの1999(平成11)年頃、駅舎は解体し、更地となってしまいました。
 中越駅の窓のところに、平成27年2月20日の新聞紙が置かれているので、まだまだ使用中であることの証。

 遠くから見ると、出札窓口跡か!?と思ったら、「やかん」でした。信号場の職員がストーブで暖を取り、「やかん」でホットコーヒーやお茶かな。

 第二次中越官設駅逓所跡。
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 こちら。大きな写真がついていて、私の解説より、とても詳しいです。「明治24年には囚人の過酷な労働により北見峠を越える中央道路が完成しているとあるので、鉄道が開通するまでの長い間駅逓所が大きな役割を果たしていたことでしょう。」とのことです。
 写真を撮るときに、駅逓って何でしょうかねぇ?と特に気に留めていませんが、上記のホームページで情報を得ました。

 全通開通記念碑。文字はなかなか読めませんでしたが、駅舎が出来たのは1929(昭和4)年。石北本線が全線開通したのは1932(昭和7)年なので、その頃に設置したと思われます。

 忘れ去られた歴史を垣間見したとような気分です。次は、上越駅です。JR北海道も、広大な秘境(※)を旭川と網走を結ぶ特急「オホーツク」が高速走行中。
 (※)上川から遠軽の間、75.9キロ。途中駅はもちろん、通過。

天幕駅(2001年6月30日廃止)

2015-12-08 00:00:00 | 2015五能線&道央&カシオペア

 天幕駅の存在を知ったのは、ずっと昔。普通列車が1日1往復しかなく、1本乗り逃がすと次に来るのは24時間後。日本一秘境村の青ヶ島行きは1日2本ないし3本(2016年1月からは朝9時30分発の船と、9時20分発の定期ヘリコプターと臨時1本)に比べると、非常に極端。
 2000(平成12)年、北海道を一周する家族旅行で石北本線の秘境駅をすべて巡拝したいと考えていましたが、家族は秘境や駅、鉄道には無関心なので、全然楽しくないに決まっている。どれか1つだけに絞るとしたら、奥白滝駅のみ。あれから何年目でしたっけ?もう廃止になってしまいましたが、15年目で巡拝に成功。

 JR北海道旭川支社が「さよなら北の駅たち」と称して記念オレンジカード発売。現役時代の天幕駅。

 カーナビはもちろん廃駅の所在地を示してくれない。経度や緯度を調べ、入力しようと思っても、レンタカーのカーナビにそんな機能はついていない。カーナビを見ながら、あのあたりにあるのではないかと勘に頼るしかない。いったん、国道を通り過ぎてしまいましたが、友人は廃止になる前に全駅を来訪しているので、遠い昔の記憶を思い出したのか、「天幕駅は、道幅の広い国道にあったのではない。裏の小さな道に入って、そこだったような記憶がある」友人の指示とおりにクルマを走らせると、「ストップ!!このあたりかも知れない」「えっ!?この奥に駅舎があったの!?信じられない」

 この付近にクルマを停める。

 これが天幕駅前なんですかっ!?何もなくって、本当に寂しい。

 奥に入ってみると、ビンゴ!!確かに記念碑がありました。私だったら、絶対に見つけられないのに、友人はよく見つけました。もう14年前だというのに、位置まで正確に把握しているのに驚き。道からよくわかるように「天幕駅跡地」と標識をつけたらいいのに。

 天幕という駅名は明治29(1896)年石北本線を敷設するための調査を行っていた鉄道建設部長の田辺朔郎(琵琶湖疏水を設計した技術者)が、この付近で寝食の世話をしてもらった天幕三次郎という人物に感謝の意を込めてこの駅名をつけたといわれている。
 つまり、この駅の近くに住んでいた天幕さんにお世話になったから、そのまま駅名になったと思われますが・・・現在は無人地帯になってしまいました。やがて、30年後、石北本線が開通し、昭和4(1929)年11月20日開業。平成13(2001)年6月30日廃止。

 記念碑は駅舎の中心地なので、たぶん、待合室跡に立っているかも・・・??

 新旭川から50.5キロ。

 奥に見える建物は信号関係の施設。今立っている場所はホームのはず、廃駅になってから14年経過しているので、コンクリートではなく周辺の自然と同化してしまいました。

 ここはもともと、相対式ホーム2面2線の駅。今使われている線路の向こうにも線路があって、ホームもありましたが、2000年に撤去。今はもう見分けができなくなっています。

 これは・・・もしかしたら昭和4年に建てられた木造駅舎の廃材が山積みになって放置されたままなのかも知れない?次は、中越(なかこし)駅です。

永山駅

2015-12-04 00:11:39 | 2015五能線&道央&カシオペア

 これから探検するところは、石北本線で廃止になった駅舎跡(天幕駅、中越駅、上越駅、奥白滝駅)と、廃止駅として候補が上がっている、白滝シリーズの4駅(上白滝 - 白滝 - 旧白滝 - 下白滝 )と金華駅。
 これらの駅に向かう途中、駅舎らしきものを見つけたので寄り道。永山(ながやま)駅でした。新旭川で稚内方面の宗谷本線と網走方面の石北本線に分岐しますが、ここは宗谷本線の駅になります。

 私は車の中で待ち、友人は撮影へ。

 北海道らしい、こじんまりとした駅。「無人駅?」と友人に聞いたら、「みどりの窓口はあった。けど、駅員さんはいなかった」。

 小さな駅舎なのに、「みどりの窓口」があるんですかっ!?驚き!!この駅ならカシオペアの10時打ちでも余裕ありかな?

 機種はネットで調べたところ、永山駅MR発行となっているので、日立製品。

 これから向かう北見まで、3990円もするんですかっ!!

 当麻(とうま)駅もありましたが、通過。

 北海道の道はとても広い。2車線もあります。

 平行する国道もあるのに、北見方面の高速料金は無料~!!(旭川紋別自動車道の比布(ぴっぷ)~丸瀬布(まるせっぷ))

 飛ばさず、ゆっくり・・・。

 上川町に入りました!!上川といえば、層雲峡温泉と白滝シリーズの観光拠点地。駅舎も大きいし、「みどりの窓口」あり。上川の両隣は、東雲(とううん)まで4.5キロと、上白滝まで34キロ。かつては天幕駅が隣の駅だけど、相次ぐ廃駅により、隣の駅まで極端に遠くなってしまいました。まだまだ続きはあります。次回は、北陸の記事になります。

新旭川駅

2015-12-02 00:36:03 | 2015五能線&道央&カシオペア
 9月6日。4日から5日にかけては、急行「はまます」車内泊まり、長旅の疲れなのか、朝まで爆睡してしまいました。

 昨日は日没後だけど、翌朝の明るい時間帯。

 予約したレンタカー。旭川駅で借りて、北見駅で乗り捨てなので、ナンバーが「北見」になっています。トヨタレンタカーは同一県内の乗り捨て料金はもちろん無料だけど、広すぎる北海道はエリアごとに分かれ、エリア外への返車はもちろん乗り捨て料金がかかります。道内の乗り捨て料金を見比べると、お得感がするのはトヨタでした。

 友人いわく、新旭川はいちおう通り道なので、少し寄ってみたいとリクエスト。なるほど、「新旭川」という駅名に反して古めかしい駅舎。

 北海道の木造駅舎に必ず特徴があります。それは必ず煙突がついていること。

 この駅舎、いつ頃できたんでしょうか・・・。な、な、な、なんと!!大正時代の鉄道省時代のものですっ!!(1922(大正11年)11月4日)開業なので、93年目。ゲゲゲの鬼太郎、作家、水木しげるさんも同じ年にお生まれになりました。お亡くなりになったというニュースがあり、お悔やみ申し上げます。

 きっと、昔ならにぎわっていた広い待合室。

 もともとは、「しんあさひがわ」。JR北海道になって1年目の昭和63年、「しんあさひかわ」に呼称変更。濁点を消した跡が見えます。

 ここは宗谷本線のはず、なぜか電化されていますね・・・。特急電車の車庫に向かうため、2003(平成15)年にJR貨物の北旭川駅と旭川運転所まで架線敷設。鳥取県の境線も、サンライズ出雲の出発時刻まで一時入線する、後藤駅近くの後藤総合車両所まで電化。

 築93年目とは思えない、貫禄のある駅舎でした。まだまだ続きは長~いです。

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