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稚内副港市場内のノスタルジー

2008-10-21 00:15:25 | 北海道・道北

Hokkaido080011  数年前の稚内は最北端の宗谷岬、日帰り温泉施設の「童夢」、稚内公園・・・でしたが、稚内~南稚内間の国道40号線沿いに新しいスポットができました。
 副港市場は特産品だけではなく、松坂大輔スタジアム、戦前の樺太にタイムスリップしたかような常設コーナーもあります。

 樺太庁豊原中学校を模した教室で戦前の映像や、展示資料などが見られます。
 すみすみまでじっくり見学するのに半日あれば回れそうです。

Hokkaido080013  一部を復元した、「稚内港」駅舎。
 初代の稚内駅は今の「南稚内駅」、1922(大正11)年開業。
 稚内港駅は1923(大正12)年開業。
 当時はレールもなく、大泊港(樺太)との稚泊連絡船の駅として開業。

 稚内港駅~稚内(今の南稚内)間のレールは1928(昭和3)年敷設。

Hokkaido080014  フェリーなのに、鉄道の改札口に準じているみたいですね。
 
 昭和3年以降の宗谷本線は
  ・稚内-稚内港-(稚泊連絡船乗り換え)
 

 昭和14(1939)年に駅名改称。
  ・南稚内(旧稚内)-稚内(旧稚内港)-(稚泊連絡船乗り換え)

 昭和20(1945)年8月の終戦間もなく、稚泊連絡船は廃止。
  ・南稚内-稚内(日本最北端の駅になる)

Hokkaido080012  
 樺太も日本の市町村名。
 今はロシア語の地名に変わっています。



Hokkaido080015  昔の稚内港駅。
 今の稚内駅に位置しているのではなく、桟橋寄りにあったそうです。
 稚内駅構内で車止めが施されているのですが、昔はさらに北に延び、北防波堤ドーム内に滑り込み、汽車から直接船に乗り換えるようにしていたそうです。

Hokkaido080016

 大正8(1919)年の樺太地図。
 北限は50度きっかり、陸続きでソビエト連邦(現ロシア)につながっていました。
 





★おまけ★

Map19091  
 1909(明治42)年刊行の大日本帝國地図帳の朝鮮。
 日本の地図に今の北朝鮮と韓国の地図が入っていました。
 38度線で分断する国境線はなく、中国とソビエト連邦に国境線ですね。





Map19092  今のソウル近辺を拡大してみました。
 大日本帝国時代のソウルは「京城」(けいじょう)と呼んでいました。

 今もソウルを起点とする、
 「京釜(キョンプ)線(ソウル-釜山)」
 「京義(キョンウィ)線(ソウル-新義州といっても今の北朝鮮)」
 「京元(キョンウォン)線(ソウル-元山(今の北朝鮮)」
 の路線名称が使われています。

 樺太はロシア語の地名に変わっていますが、朝鮮半島も漢字文化圏なので、冬のソナタで有名になった「春川(?? チュンチョン)」、韓国民族村のある「水原(?? スウォン)」、国際空港の「仁川(?? インチョン)などの地名が残っています。 

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