11月の終わり

2011-11-30 10:44:55 | Weblog


さてさて、2011年の11月も今日で終わりだ。

みんなどんな風に過ごしてるんだろう?


昨夜は俺が「師匠」のように思ってる東京の人から

久しぶりに電話があった。


こういうのって、続くときは続くのだ。



「ばるぼら」のCDのプロデュースをしてくれた

服部さん。

我々が一緒にアルバムを作ったのは

もう、十年以上前になる。


あー、また服部さんと一緒に

ギターいじったり、

中古楽器屋行ったり、レコーディングしたり、

サケ飲んだりしたいなぁ!


服部さんは、

まわりの人達が病を得ることが最近多いらしく、

「年齢を感じる」と言う。

俺は何だか、俺達のまわりだけ時間が止まってしまったように

感じたりしてたんだけど、そんなわけはなく(笑)、

誰だって着実に年を取っていっている。

時間だけは、どんな存在にも平等で、

なんのためらいもなく俺たちから一秒ごとに一秒、

確実に奪っていく。

誰でもが等しく「失われていく存在」であるのだ。


「失われていくもの」を慈しむのと同時に俺は、

「変わらない現在の続行」を願う。


それは「どこにも届かない望み」ではあるのだけれど。






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もうひとつのシンクロニシティ

2011-11-28 16:32:07 | Weblog



もうひとつのシンクロニシティ、それは

しょうむないのだが、

俺に電話をくれた清治が昔、

驚いた時にいちいち、「ひええええぇ~い山延暦寺」

と言っていたのが忘れられない、ということだ。

(今でも言ってるのか?・・・・有り得るな。)

そうだよ、オマエがよく言ってた

あのひええええぃ山に行ってきたんだよ。

(延暦寺じゃないけどさ。)


比叡山は歴史的にも重要な位置を占めたところだ。

坊さんたちが「僧兵」と化して、巨大な戦力を持ちつつあったので

豊臣秀吉が滅ぼした・・・・・んだったけ?

確か、そうだったと思うけど。


先程の俺の日記中にも

「比叡山」と「叡山」という二種類の表記が出てくる。

地元の人は簡単に比叡山の「比」をとばして言う。

だいぶ昔に、

初めてここを訪れた時にそのことで迷いそうになった。

「叡山坂本の駅」って言われたのだ。

そんな駅はなかった。「比叡山坂本」だった。

「和歌山」を「歌山」と呼ぶようなものじゃないか?

だいたい、省略するにしても一文字くらい発音しろよな。

略称ってやっぱり、「粋」なつもりになるんだろうな。

ガンズ・アンド・ローゼスがガンズン・ローゼスだもんな。

(まだガンズのこと言ってる・・・・・)



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小さなシンクロニシティ

2011-11-28 10:39:40 | Weblog


晩秋の昨日、昼寝をしていたら電話が鳴って、

(俺の電話はめったに鳴らない)

誰かと思ったら

懐かしい、兄弟のような友だった。


内容は、ちょっと心配してしまうような事柄であったが、

俺はついつい、ほっこりしてしまった。

昨日はお葬式で雅楽を生で聴いたよ。

すごくよかったな。

って言ったら、

昔、オマエを雅楽の演奏会に連れて行ったら

「こんなの音楽じゃねえ」って怒ったことがあったぜ(笑)

って言われて、

そういや、そんなことあったかも・・って

うっすらと思い出して赤面しつつ

ははは・・・・そうだったかな、ごめんごめん

と言うしかなかった。


しかし一昨昨日(さきおととい)は義父と会って酒を飲み、

一昨日の

お葬式に出発の時には、

車を守ってくれている義母に会い、

お葬式では手伝いに来ていた母と会い、

司会をしていた兄と会った。

お葬式は比叡山ふもとの坂本という所で行われた。

行く途中、

つれあいのひとの要望で、日吉神社にちょっとだけ寄った。

もみじの紅葉が、あんまりにも綺麗だったから。


帰ってから、読んでいた本の続きにいきなり

「竜田姫は例年その挨拶の後、坂本の日吉神社に渡られ、

侍女たちは鮎から猿に乗り換え、叡山を越えたあと吉野を

目指されていたのだが・・・・」という文章が出てきて、

(梨木香歩「家守奇譚」)

むむむ・・・小さなシンクロニシティだな、と思っていたのだ。

「鮎から猿に乗り換え」?何だそりゃ、って感じなのだが、

上の文章は完全に「あちら側」の世界の出来事である。

(作中で)それを語るのは亡くなってしまったはずの、旧い友。

そして俺には、生きていてくれてる旧い友から突然の電話。


小さな親密な雲がふわふわと、

俺の周りを漂っているような感じ。


そんな感じだった。



おーい、清治。

オマエの言ってたこと、何事もなくこのまま終わるよ、きっと。

大丈夫だ、きっと。









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11月のお葬式

2011-11-27 10:26:28 | Weblog



昨日は知り合いの方のお葬式。

どちらかというと「儀礼的な」出席だったのだけれど

(そうでもないか?)、

いろいろと感慨深いものがあった。

最近、ずっと江戸時代のことを考えていたので、

マイクとスピーカーで弔辞が読まれたり、

別の部屋でビデオカメラで葬儀の様子が見られたり・・・

といったようなことに「現代」を感じた。

いや、「未来」に来てしまったみたいだ。

それでいて読まれる言葉は

「かしこに、かしこみ」とか「あな哀しや」とかの、

「古語」なのだ(神道形式だった)。

神官の衣装も、烏帽子に、足袋に・・・要するに和服だ。

儀式って、「古いやり方」が大事に保存されているのだな。

百年後のお葬式もこんなんだろうか?

「古いやり方」というのは、どんな風に、

いつ頃まで保存されるものなのだろうか?


しかし、病気でも交通事故でも事件でもない、

75歳の方のお葬式は、

まるで11月の天候のように

乾いて、それでいて深い、

心に残るものであった。


あ、それと「雅楽」の演奏が生で聴けたのは

とても貴重な体験だった。

そういえば、

佐治のお葬式のときにも「雅楽隊」がいたな。




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・・・そして思うこと。

2011-11-24 18:13:03 | Weblog



杉浦日向子は病気がいよいよ進んで、

闘病のため、公けの場から姿を消したとき、

「念願の豪華客船で世界一周旅行に出た」

という理由にしていたそうだ。


粋だ。



亡くなってしまった後も、

まわりの人々は

「彼女は江戸に帰りました」とか言ってる。

・・粋だ。




しかし、こういう「言い換え」って、いいよね。

俺はついつい思いだしてしまうのだけど、


21歳の時に岩佐が突然亡くなってしまったこと。


佐治が岩佐のこと歌った「宝物の歌」の中で、

「オマエは今頃、どんな世界を旅しているのだろう」

と言っている。


その歌を演奏して、その箇所に来るたびに俺は、


ちょっと薄暗いジャングルみたいなところ・・・

もしくは星ぼしのきらめく月面のようなところ・・・・

を、興味しんしんな顔をして

(ちょっと嬉しそうに)探検する岩佐が思い浮かんで、


ほんの少し、心の慰めになったものだった。


岩佐の20年後に、佐治も探検の旅に出た。

さてさて、深海へ向かったか、

アマゾン川か。

はたまた銀河の辺境か。


本当に思う。

「今頃、どんな世界を旅してるんだろう?」と。


佐治の事だから、多少の困難は笑い飛ばして、

ニヤニヤしながら大冒険をしてることだろう。







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ビザール到着

2011-11-24 14:15:14 | Weblog




ヤフオクで落札したビザール・ギターが届いた。

すごい。

予想以上に「いいギター」だった。

(ビザールに変わりはないが。)

写真ではわかりづらいが、

ネックのごつい感じとか小さめのボディとか。

そして造りがしっかりしている。

普通、ビザールってどうしても弦高を低く調整できなくて、

そのせいで矢鱈滅多ら弾きにくいものが多いのだけれど、

これはとても低い。よって、弾きやすい。

そして

こういうのって「アームが欠品」しているのが普通なのだけれど、

ちゃんと純正(であろう)アームがついている。

しかも、使える!チューニングの狂いがほとんどない。

ビザール、ビザールって言ってるけどちゃんと名前があって、

PENKELというブランドだそうだ。

やはり60年代から70年代の日本のブランドで、

「テスコ」名義で売られていた時期もあるとか。

いいかげんで平和な時代デスね。

そーゆーノリは、大好きである。

こういうのを持つと無条件にファズかまして

「ジャンク・ロック」と言うか、

「片田舎のガレージ・パンク」みたいなのを

演りたくなるのは何故なのか(笑)。


以前にも言及したかもしれないが、「ビザール・ギター使い」

の中で、最大級のスターはジョン・スペンサーであろう。

もろにビザールギター、しかもそのまんまの音。

されにそれがトレードマーク、というか「男の一本」だ。

嫁さんがニューヨークの路上で20ドルで買った、という

日本製の安物ギター。もう最高である。

ずっと前に読んだインタヴューで

「ルックスが面白いから使ってるんですか?」と聞かれて

ジョンスペは「このギターは、音がいいんだよ」と

苦笑いしながら答えていた。

この人は徹底した人で、別でやってたボス・ホグでも

ギブソン・ブラザーズでも

ビザールしか使っていない(と思う)。

ジョンスペって、

もっと評価されてもいいアーティストなのではなかろうか。


今回入手した俺のビザール、PENKELは恐らく、

どこかの押入れで長く眠っていたものだと思う。

使用感がほとんどないのだ。

オークションだからタイミングの問題なのだけれど、

落札価格も恐ろしく安かった。

(いくらだったか、言わないけどさ。)

嬉しい。


しかし、ちょっとあとで気付いたのだがこのギター、

ジョンスペの「例のギター」に似ているのだが、

今、俺がメインで使っているG&Lスカイホークにも、

けっこう似ている。

って言うか、遠目でみたらわからないんじゃないか?


ということは・・・


ライヴでいつか使ってみたとしても

誰も違うギターだと気付かなかったりして。


・・・アリエール。


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杉浦日向子

2011-11-24 11:35:00 | Weblog


俺の中で、「佐治としか出来ない話」というのがある。

「佐治にしか通用しない話」というか。


杉浦日向子のことも、そういう話の一つだ。


あ、杉浦日向子ファンは全国に大勢いるし、

世界中見渡せば絶対、いっぱいいるのだけれど、

俺の身近ではこれは

「佐治としかできない話題」のひとつだった、ということ。


杉浦日向子は「ガロ」に描いていた漫画家で、

後年は「江戸研究家」として知られる。


口では上手く説明できない、江戸情緒あふれる

しかも時代考証もしっかりした漫画だった。

小説もあって、本当に!何とも言えない「いい味」が出ている。

情緒、諦め、風流、倦怠、生活感、ささやかな希望。

稀に見る個性派の作家だった。


2005年に癌のために亡くなっている。


その杉浦日向子を回想するような本が出ていて、

それを読んだのだ。


杉浦日向子は1993年に「隠居宣言」をしているのだが、


以下、対談の発言から引用

(初出は読売新聞「田中優子の平成問答」1998年8月15日)


田中「いつごろからですか、隠居志向は?」

杉浦「目覚めたのは高校二年、十七歳のときですね。

「あー、もう長く生きたなあ」と思ったんです。

その時から、三十四歳で

現役をリタイアすることを漠然と決めていたんですよ」

「隠居には隠居の覚悟があります。~中略~

隠居する以上は、生老病死を順繰りに受け入れる。

医者にはなるべく近付かない。ポックリ逝くためには、

心臓は弱いほうがいい。一方、頭はなるべく

使って鍛えておく」

「体にいいことはしない。それから体に悪いもの、

とくにアルコールは積極的に取るようにしています」

「田舎じゃ駄目ですね。隠居は遁世とは全然違う。

隠居は都市文化そのものなんです」

「仕事を労働とは思わず、道楽ととらえること。

それから、予定を立てない。その日その日の

ハプニングを楽しむゆとりを持つ」


引用終わり


杉浦日向子が実際に「隠居宣言」したのは、

病気のせいも大きかったかもだけど、

しかし素敵だ、「隠居」って素敵だ。


「粋」に近付いていきたい、と思う。


それに必要なのはもしかして、

「生き方の論理的整合性」なのかも・・・・って

ちょっと思うのだ。



久しぶりに杉浦日向子の漫画読みたくなったな。

やまだ紫の「しんきらり」とかも。


・・佐治がいっぱい持ってたんだがなぁ。






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「R IS FOR ROCKET」

2011-11-22 10:11:20 | Weblog




昨日の日記を見た友達が、

萩尾望都がブラッドベリの短編小説を漫画化した

「ウは宇宙船のウ」というのがあるというのを教えてくれた。

・・・そういえばその漫画、読んだことあった。

少年が成長していって、トモダチと別れなければならない、

その思春期的な切ない感じが原作よりウェットで、

おお、何だか萩尾望都的・・・という印象だった。

俺の手元にはブラッドベリの短編集として

「ウは宇宙船のウ」があり、原題は、と見ると

「R IS FOR ROCKET」だった。


翻訳って難しいな・・・と思った。

この日記を読んでくれてる人の中には

仕事として翻訳をしてる人もいるし、

英語も北京語もペラペラで、ペーパーバッグなんか

普通に読んでしまうひともいるから、

あんまりボケたこと言えないんだけど、

「ウは宇宙船のウ」という題名は、

意味を重要視しててオッケイなのだが、原題が持つ、

「スタイリッッシュさ」に欠けてる・・・ように思いませんか?

「ロケット」という単語に込められた

美しさ、とか羨望感とか。「流線型の感じ」とか。

あと、「FOR」に込められた、

「捧げもの」的な感じ。

俺なら・・・・「Rはロケットのために」と訳す・・か?

いや、だめだ、RがROCKETのRであることがわからない。

特にこの短編なんか、「少年少女向け」な感じがするし、

そこをさらっと説明できてないと失格である。ブー。


ブラッドベリって特に「詩的」だったりするからねえ。



しかし、

「ウは宇宙船のウ」という題名からはどうしても、

「ウは鵜飼のウ」を連想してしまう。

・・・「鵜飼」なんて、見たことすらないのに。





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雑感、雑感、雑感。

2011-11-21 12:29:51 | Weblog



晩秋、というのか、初冬、というのか。

「秋の終わり」と見るか、「冬の始まり」と見るか。

そういう、ものごとを見る角度・・というか

そういうのも「価値観」の違いでしかないのかも知れない。

どんな小さな事柄でも、それに端を発すると思うんだぜ。


そういえば子供の頃は九月が一番好きだった。

今よりもっともっと若かった頃は、

十月が一番好きかも・・・と思っていた。

(「十月は黄昏の国」、というブラッドベリの小説を覚えてる?)

最近は、十一月の雰囲気が一番好きかも知れない。

しかしこれは「地球温暖化」によるものかもしれないよね。

むかしむかしの九月は、今の十一月くらいの感じだったか?

・・いや、まぁ、そこまでじゃないにしても、

近い感じはあったんじゃないかな。

変わったのは俺じゃない、周りの方だ・・・なんてね。

洒落にもならないが。


さて、ジーンズの話の続きを。

街で、他人の履いているジーンズ、どんなんかな?とかって

見てたりしたんだけど、今や、お洒落・・・というか

気を使ってる奴が履いてるのはたいがい、

DIESELかエビスだったりする。

リーバイスを履いてるひとは少ない。

たまにいるのだけど、そういうのは

よっぽどの「頑固なこだわり派」か、逆に「無頓着な人間」か。

俺ももはや、ジーンズのブランドにこだわらなくなった。

・・・と言うか、「こだわらなくてもよくなった」のだ。

多分、先述のDIESELとかエビスとかの功績なのだろうけど、

ジーンズ全体の「質」が、びっくりするぐらい向上している。

まるで、オールドのような風合いのジーンズが、

そこら中にある。シルエットも「ローライズ」は普通になったので、

とてもとても、「ジーンズ環境」は、よくなったのだ。

佐治と一緒に、良いデッド・ストックのジーンズを探しに

(デッド・ストックはローライズだった)、

神戸の高架下商店街まで何度も何度も出かけていた頃が

嘘みたいだ。それはそれで、異常なくらい楽しかったんだけど。

いいジーンズが少なかったせいで、まるで「宝探し」だった。

でもまぁ、環境は「いい」に越したことはない。

昔、あれだけ血まなこになって(大げさだなぁ)探したものが、

今は近所の古着屋で手軽に手に入る・・・幸せである。


「幸せ」と言えば、久しぶりに「ビザール・ギター」を落札した。

テスコでもグヤでもKAYでもない、知らないメーカーだが、

いかにもビザールらしい・・・ジョンスペのやつにちょっと近い。

ジギー・スターダストの頃のボウイが構えていたような。

以前に所有していたビザール達はいつの間にか、

全部どこかに消えてしまった。

(リーバイスのジーンズ達といい、みんなどこに行っちまうんだ?)

だから届いたら、大事にしようと思う。

もし弾くのに多少具合が悪かったとしても、

眺めながらサケ飲んだりするだけで至福なのだ、

ギターってやつは。






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ハード・ロック

2011-11-18 17:38:50 | Weblog


オルタナティヴとか呼ばれてた頃のロックが一番、

かっこよかったかもな・・・とか思ってるのだが、

ハード・ロックもちょっとだけ好きだ。



再結成後のエアロスミスとか。

ユーズ・ユア・イリュージョン以前のガンズとか。

・・・それくらいか?

あ、ドッグス・ダムールもいたな。

ブラック・クロウズもオッケイ。

でも、このへんのバンドを「ハード・ロック」って呼ぶか?

・・まぁいいや。

「俺にとってのハード・ロック」ということで。


エアロは、ラン・DMCの「ウォーク・ジス・ウェイ」

のビデオが衝撃的だった。もう大昔の話だが。

ディディの村上君もそういや、そう言ってたな。

「当時よぉ、ヴィデオなんか持ってないから、

”ロック喫茶”へ通って、あの曲ばっかり何回も何回も

リクエストして、スゲェ・・・ってポカンとずっと観てた」

って言ってた。ははは。


エアロは1998年に出たシングル、

「ピンク」という曲も強力にかっこよかった。

俺はその曲のヴィデオクリップを偶然、

ニューヨークのホテルのMTVで初めて見た。

場所もあいまって、「クール!」の一言だった。

しかしストーンズの新譜はことごとく面白くないのに、

エアロは新譜がかっこいい(ベタベタのバラードは嫌いだけど)。

何でこうなってしまったのだろうか。

つい直近の、スティーヴン・タイラーのソロシングルも、

異常にかっこよかった。お洒落・・というか、

フォーキーでブルージー。洗いざらしたような感じ。

ストーンズってしかし、圧倒的にものすごかったのに。

ジョー・ペリーだって、ジョニー・サンダースだって

誰だってストーンズファンだったのに。


ガンズのことは、またそのうち書こうと思う。

・・・書かなくてもいいかも(笑)

馬鹿みたいだが、時々・・ガンズのことを考えている自分がいる。

特定のメンバーのエゴの肥大によるバンドの崩壊。

せめてスラッシュだけでも戻してくれよ・・とか。

でもやっぱ天才はアクセルだったのかな・・・とか。

俺が好きだったのはイジーなんだよな。

とか。


愚にもつかないことではあるが。




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