鷹揚に行こう。

2018-02-28 23:08:08 | Weblog

今は焦るまい。



・・・・・・・・いや、焦ること自体は悪いことではない。

だって それは 前に進もう、という意思の表れ・・・でもあるから。

(どーでもいいや、と思ってる人間は全然、焦りもしない。)


ただ、「焦り」の感情に支配されてはいけない、って それだけの話。


もちろん

「怒り」に支配されてもいけないし、

「怠惰」の欲求に支配されてもいけない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「嫉妬」も駄目だな。


まあ、それはともかく


焦らず、のんびり・・・・のんびりは違うか、えーっと、

そうだ「鷹揚に」、


鷹揚に構えて、


今やれることをやり、

「次」に備えようではないか。



きっと


今は

そういう時期


で、


そういう季節


なのだ。



ゆっくり行こう。



人生はきっと、「続く限り続く」のだ。


終わるときは終わるだろうけど


せめて それまでの間、


誰にも急かされず(せかされず)に行きたいものであるよ。



俺は「急かされる」のが大嫌いなんだよ。









そんな2018年


2月の終り。







すべての「流れ」は、「流れ」のままに。




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それでいいのだ。

2018-02-27 22:20:54 | Weblog

「冷え」を身体に侵入させてはいけない。

ヴィルスなんて、もってのほか だ。


願わくば我々は

ポジティヴィティの光を失わず

行き着くところまで行かんことを。


そうだ、十分贅沢なのだ。

我々は既に、「余りにも多くのことに恵まれ過ぎている」という事実を しかと認識するべきなのだ。


とにかく

私は私で在り続けるために、

そして ほんの少しでも先へ進むために   

戦うのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何と?

そう、例えばヴィルスと、

例えば「痛み」と。

そして最終的には「エントロピー」を殺す。

私を蝕もうとする全てのものと、私は戦う。


これまでの人生において私は、私の望みのものを手に入れてきた。

「失われたもの」は確かに、失われた。

だがそれはただの「事実」だ。

そんな風な、まるで原初の海みたいな世界で我々は何とか生き延びてきた。

それも奇蹟的な確率で。

そうだ、

生きてるうちは生き続けようではないか、兄弟姉妹に従兄弟にハトコ、そして義兄弟達も。


目一杯の念力をこめて、

回復出来るものはすべて回復する。

そして、半ば無理矢理にでも我々は、一歩前進を希求するのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何のために?



それは 


演奏するために。

歌を歌うために。

自己を表現するために。

君に求愛するために。

酒飲んで馬鹿話で笑い転げるために。






それでいいのだ。




と、思う。
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生きることは戦いである。

2018-02-26 22:23:26 | Weblog

毎回毎回、風邪引いたり骨折したりするたびにこんなこと書いてる気がするのだが

まあいいだろう。

今回もやはり痛感した。普段のケンコーな状態がいかに「当たり前でない」ことか。

喉もと過ぎれば熱さ忘れる、のが我々の愚かなところのひとつだが、

やはり健康でいられるのは有り難い。感謝すべきだ・・・・って誰に?

感謝すべきは、誰彼となく。万物に、万人に感謝。

まったく、たかが(とあえて言う)インフルエンザに感染したくらいで、

とてもサイテーな気分を味わうことが出来た。

病院に検査に行って、にこやかな看護師に、鼻の奥に麺棒を無遠慮にズゴッ!と突っ込まれる。

たかがそんなコトだけでどれほど不快だったか。

まったく私は悪い意味でデリケートだ、悪い意味でナイーヴだ、悪い意味で繊細だ。

たかがインフルエンザ検査でコレなら・・・もっと深刻な病気にもしなったとしたら、

検査だけでとてもとても、耐えられない気がする。

でも私の友達はそんな検査や治療に何年も耐えてきたし、

今現在、そんな境遇で頑張っている友達も居るのだ。

甘いこと言ってちゃいかんいかんいかん。


生きることはやはり、戦いだ。

「他人との戦い」ではなく「世界」対「自分」の戦い。

我々は全身全霊をこめて「生き延びる」ことを希求するものである。


友達よ、そしてこのアタシよ、

気を抜かず戦い抜こうではないか。


共に「音」を「楽しむ」ために。









P.S.とりあえず今回のアタシの症状は完治しまシタ。

ご心配してくれた皆様、ドモアリガットでした!
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インフルエンザ・ヴィルス、そして銃規制。

2018-02-24 17:55:23 | Weblog

この症状はインフルエンザだと思う。

インフルエンザと認定されたヒトビトから聞いた話と、自身の症状が一致しすぎている。

金曜日の昼過ぎに高速のパーキングでうどんを食した直後から

悪寒が始まり、これは・・・もしや?と思ったのだが

夕方には強烈な耳鳴り、関節の激痛、頭痛、倦怠感が強まり、

仕事はほとんど早退・・・・みたいにして這う這うの体(ほうほうのてい)で帰宅した。

その夜から発熱。

これだけ世間で流行ってるのだから感染してもしょうがないか・・・・とも思うが

あの時、あのパーキングでうどんさえ食さなければ、とも思う。

うどんの中にヴイルスが潜んでいた・・・・・・か、もしくは

あの時あの建物の中に居た客の中にインフルに既に感染したものが居て、

くしゃみ、もしくはセキで彼(彼女)の唾液が飛沫となって空中を漂って、

俺の鼻か口を通って俺の体内に侵入して、どういうタイミングかわからないが隙を狙って

俺の体内で繁殖することに成功しやがったのだ。腹立つ。

我々の眼に見えない、インフルエンザ・ヴィルス。

奴等は一体、どんな姿かたちをしているのだろう?とついつい考えてしまう。

「デヴィルマン」に出てきた悪魔のような姿かもしれないし、

キリスト教画で描かれる天使のような姿かもしれない。

昔のSFで想像された火星人みたいに、タコのような姿なのかもしれない。

いや・・・・ヒト型だったりしてね?目も耳もクチも手も足もあり、

インフルエンザにかからないようにマスクしてたりして。

うーむ。

この週末はショ、ショ、緒常寺・・・ではない、諸事情でロカのスタジオ入れないので、

他のバンドのライヴを観に行こうと思ってたのに。

インフルエンザ・ヴィルス抱え込んだ身としては、何処へも行けやしない。

多少無理して行っても、狂犬病のイヌのように迷惑がられることだろう。シット!シット!

・・・・・・・・無念じゃ。

しかし、今日は少し、症状がマシになってきた。木、金、土で、三日たつもんね。

(でもヴィルスの存在は、体内に感ずる。)

だから、インフルエンザアタマで考えたことをちょっとだけ、書く。


アメリカで銃乱射事件が相次いで、それでも銃規制・・・みたいな方向に動かない。

怖いよな・・・と心から思う。

考えてみれば俺もアメリカに行ったのだ、それも二度も。よく撃たれずに帰った来れたぜ。

・・・きっとアレなのだ、昔の「自由の国アメリカ」という幻想が、

銃規制の前に大きな壁として立ちはだかっているのだ。

先住民が居れば銃で脅して、殺して、排除して自分達が大きな顔をして居座る。

隣人が違う考え方であれば、銃で脅して従わせる。

大統領がススんだ考え方で、付いていけない・・・・なら、隠れて遠くから銃で撃って殺す。

ジョン・レノンが堕落した・・・としか思えないなら

ダコタ・ハウスまで行って、サインをもらった後、至近距離から何発も撃って、殺す。

ああ、何だか書いててうんざりしてきたからもう、やめる。


そういう「自由」って、「弱肉強食の自由」でしかない・・・ように思う。

弱いやつは死ね、と言われてるようなものだ。

いや、でも現実は「歪んだ弱いやつ」こそが、銃を手にするのだ。だから話は簡単ではない。


「自由」というのはとても難しい。

自由に生きること自体、難しいし、

自由であれ、と他人に強要するのも、どこか狂っている。







・・・・・・・・・・・・・・・・・そう思いませんか。





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「真空管ベイビー」について、さらに・・・・付記。

2018-02-21 21:56:31 | Weblog

「真空管ベイビー」について、

言いたいことが次から次へと湧き出てしまう。

阿呆なアタシ。

でもいいや、呆れられてもいいから書くわよ。



「真空管ベイビー」という言葉は、

1996年に「ばるぼら」が、1STアルバムをMIDI CREATIVEから出したときに、

アルバムのタイトル候補の言葉として、思いついた。

でも、その時はアルバムタイトルにはならなかったので、何か、いい曲が出来たときに使おう・・・と思っていた。



もちろん、「試験管ベイビー」からの連想で、

ロックではアンプに真空管を使ってるものが重宝されるし、僕が所有しているミュージックマンのアンプも

半分トランジスタとは言え、「真空管アンプ」の端くれなので、

「ロックンロール・チルドレン」への最大限の親愛をこめて、彼らを、

そして自分達を「真空管ベイビー」と名付けた。



もうひとつ。


1998年・・・だったかな。

吉祥寺の、「スター・パインズ・カフェ」に、ばるぼら が出演したときのエピソード。


対バン・・・というか競演バンドが、

あの「デミ・セミ・クエーバー」のエミ・エレオノーラさんの、別バンドだった。

我々 ばるぼら は、ステージリハーサルで、

完成したばかりだった「真空管ベイビー」を、始めから最後まで、丸々一曲、演奏した。

普通、 ばるぼら はリハのとき、曲の一部分しか演奏しない。

でもそのときは珍しく、一曲通して演奏した。たぶん、気に入ってたのだろう、自分達でも。

演奏が終わると、PAの人以外、誰も居ないと思っていた客席から

パチパチパチ・・・・・と二人分の賑やかな拍手が起こった。

ん?と見ると、エミ・エレオノーラさんともう一人、白人のおじさんが拍手してくれている。

やーやー、ありがっとございます~!と、リハ終わりに挨拶したら、

その白人のおじさんは世界的に有名な音楽プロデューサーの××さんで、

エミさん曰く、「この人、ほとんど他のバンド褒めないのに、君たち絶賛だよ~!すごいね~!」とのことで、

とても嬉しかった。

そういうチャンスに喰らい付けば良かったのに・・・・と思わなくもないのだが、

まあいいのだ。

ばるぼら が、そして「真空管ベイビー」がエミさんや、そういう世界的な人に絶賛された、という

幸せな記憶だけでいいのだ。





そういう曲。

すごく、思い入れのある曲やねんよ、「真空管ベイビー」は。




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こないだの、弾き語りライヴのあれこれについての、補足。

2018-02-20 22:06:36 | Weblog

先週土曜日に出演させてもらった日本橋「太陽と月」での

アコースティック弾き語りライヴイヴェント「ONE PLUS ONE&ONE」のことを

MAMMYさんという可愛らしい女性が、ブログに書いてくれている。

https://ameblo.jp/15155050/entry-12354274728.html

MAMMYさん、ありがとうございます!とても嬉しいです。

さて、

その「ONE PLUS ONE&ONE」で、僕は

「ばるぼら」の時のお気に入りの曲「真空管ベイビー」をアコギで弾き語りバージョンで演ったのだが、

そのときのMCで、曲が出来たときのことを話した。

でも、やっぱりステージ上だと言葉足らずになってしまい、

伝えたい肝心のことが伝わらなかった気がするので、野暮を承知で、ここで書くことにする。


そう、こないだの弾き語り終わってから思い出したこともあるのだが、

「真空管ベイビー」は曲の初めのほうを僕が、歌詞とコード進行とメロディ込みで思いついて、

すごく気に入って、絶対いい曲になる、と確信したので、ゆっくり作るつもりでいた。

タイトルも、その時点で思いついていたと思う。

時は1998年。折りしも、我々「ばるぼら」はミディレコードの社長のOさんの発案(と出資)で、

中国へ演奏旅行へ出掛ける直前のことだった。5月の終り・・・だったかな。

さてその曲、大阪のスタジオでボケロウに出来たところだけ聴かせると、彼もとても気に入ってくれた。

それでその後すぐ、我々は中国へ出発して(MIDIのOさんと、あの加川良さんと一緒に!)、

そうだそうだ、あの曲のサビのところ、ボケロウと二人で上海のホテルで作ったのだ。

「トランジスタ・グラマー・ガール、上海から香港へ♪」

実際の我々の行程は、上海から北京(ベイジン)へ、だったのだが、ベイジンじゃ、どこかわからないし

こっちのほうが語感もいいから、香港にした。

基本的に馬鹿な我々だが、中国で二つだけ、北京語を覚えた。

ひとつは「シンクーラー」で、これは「お疲れ様」という意味。

もうひとつが「ウォーアイニー」で、これは俗に言う(?)「アイラブユー」である。

「ウォーアイニー」は、「真空管ベイビー」のサビの最後に織り込まれている。

さて、問題はその旅の後で、

残りの歌詞と、大サビ・・・・みたいな展開を、日本に帰ってからゆっくり、じっくり作ろうと思っていた。

だが、帰って一週間後にスタジオに入ったらボケロウが

「みっちゃん、あの曲、完成させといたで」と言ってきたのだ。マジでびっくりした。

「キヨシとこないだの夜、二人で大サビも作って完成させてもうた」だって。

残りの歌詞も全部、ボケロウが書いたんだって。

おーいちょっと待てよ・・・と一瞬思ったが、き、聴かせてくれる?

と聴いてみたら、なかなかいい・・・・・・・・・と言うか、スバラシイ。

歌詞的には勿論、「僕のセンスではない言葉」が、いくつも入っている。でも、それがまた、いい。

ので

それでもちろんオッケイを出して、曲はめでたく完成した。

ばるぼら の三枚目のアルバム、「ファックファンクラブ」に、そのままの楽想で、入っている。

録音もバッチリ上手く行った。録音されたバージョンはゲストのパーカッションの音が、よく聞くと聞こえる。いい隠し味。

ドラムもベースもグルーヴィでパワフルで最高。

ギターも間奏部分で、「テープ逆回転ワザ」を模したフレーズなどを入れてあって、サイケ風味だ。

メインヴォーカルはもちろんボケロウで、僕はコーラス部分のみ、一緒にハモッて歌っている。


それでさ・・・・・・・・・・・僕はこの件、とても嬉しかったのだ。

何か狐に騙されたみたいな気分だった。

だって、誰かが、自分の曲の続きを、アイディアを膨らませた形で完成させてくれるなんて、

ほとんど夢みたいな出来事だ。

その感動のカケラは僕の中に、まだ残っている。

こないだの弾き語りのMCでは、その「感動」の部分を言うのを忘れてたのだ。


・・・・「真空管ベイビー」。


ああ、こないだ演った、あの弾き語りバージョンしか聴いたことない人にも、

ばるぼら で演奏した、アルバムに入ってるバージョンを聴いて欲しい。

そして

あの ばるぼら で演奏したアルバムに収録されたバージョンしか聴いたことないヒトには

僕の演ってる、弾き語りバージョンも聞いて欲しい。


両方、すごく「いいもの」だからさ。


また、そのうち

片山道郎ソロ弾き語りライヴも、何処かで演るから、

そのときには聴きに来て下さい。



さてさて、

今日載せた写真はこないだの「ONE PLUS ONE&ONE」のときのもの。

カメラマン大瀧くん撮影。


僕がギター持ってないのは、ハーモニカ2本のみを使って、

ジャニス・ジョップリンの「メルセデス・ベンツ」(邦題・「ベンツが欲しい」)を「吹き語り」している場面だから。


歌詞は自分で、英詩から訳したもの(二番は僕の創作)。

ずっと以前の、このブログに載せた訳詞なのだけれど。


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昨夜、「太陽と月」にて。

2018-02-18 18:51:05 | Weblog


カミナリボルトのナカさんと、片山陽一グループの陽ちゃんの弾き語りライヴ企画

ONE PLUS ONE&ONEの第一回目ゲストとして昨夜、

日本橋「太陽と月」に出演させてもらって来た。

心温まる夜になった。

来てくれた方々に、心から感謝を捧げマッス。どうもありがとう!!!!!


昨日のライヴに関しては実は俺は、けっこう色々と気を張っていた。

弾き語り自体、随分久し振りだったし。

それで、あんな風になった。バタバタして、馬鹿みたいで良かったんじゃないかと思う。

ギターを置いて、ハーモニカ二本使って「吹き語り」をやったのも人生初だったし、

MCでいろいろと、過去あった面白かった出来事なんかを話したのも、

俺としては初挑戦だった。

自分の中の「型」を壊そう、という実験をやってみたのデス。

結果は、聴いてくれた人に、暖かく受け入れてもらえたように感じた。

優しい人ばかりだったのかな、アリガットゴザイマッス!

一人でライヴをやる、ということに手ごたえを感じることが出来た。

こういう、いい感じの経験を、バンドのほうにフィードバックさせて行けたらいいな、と思う。

エレアコではなくて「純アコ」を使ってライヴに出演したのも人生初で、

客席で自分の音を聴けたわけではないからわからない・・・のだけれど、

音もけっこう、良かったと思う。ポイジティヴにそう思う。

今後は「弾き語り」なら純アコで行くだろう。昨日使った黒いエピフォンの音はやはり、デカくて良かったし。

ただ問題はマイクの前からギターを離せないことなんだよね。

全然動けない。今後はギター用に2,3本マイクを立ててもらおうかな。贅沢かな。


片山陽一の弾き語りも、朴訥として良かった。彼は硬派な優しい男で、とても素敵だ。

彼はいろいろと、「人と人を繋げる」ようなことをしてくれる。そういう人って、時々いるよね。

とても貴重だし、感謝している。

歌もいい歌。きっと、このイヴェントを通して進化していくだろうから、それも楽しみだ。


カミナリボルトのナカさんの弾き語りも、味わい深くてよかった。

奇をてらわない、素直な優しい歌。妙に心に沁みた。

やる曲とか、曲順を決めずにステージに出たらしくて、

それをMCで言っているのを聞いて、ちょっとびっくりした。俺と真逆のやり方。

リラックスした感じで、そういうのも とても素敵だった。


彼らと知り合えて良かった。

そして「太陽と月」という店も、なかなか良かった。

そして、久し振りに訪れた大阪・日本橋という街。


俺はあの辺が大好きで。


若かった頃、まだ二十代前半の頃。

アメ村でのバイトを終えて、日本橋まで歩いて「フォア・ローゼズ」という

ブルース・バーに通った。人生初の「バーの常連」になったのだ。

酔っ払いすぎて、あの辺の街の路上で寝てしまったこともあった。馬鹿だ。でも財布は無事だった。


そして、懐かしの、わが心の・・・・古本屋。


日本橋の交差点近く、老舗の古本屋。

20年位前、毎週日曜日にバイトで入っていた店。

昨日、行ってみたら店は、なかった。ちょっとショックだったな。


フォア・ローゼズのあった辺りにも行ってみたが、店のあった建物自体が、なかった。

そりゃそうだ。随分古い建物だったし。あれからもう、30年くらい経つのだし。

あの頃の常連仲間も、何人か亡くなってしまっている。


でも今はまた、「今の仲間」がいてくれて、俺はとてもシアワセです。




みなさん、ホントに・・・・どうもありがとう。


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歌うことについて。(今週土曜は、日本橋「太陽と月」においでやす。)

2018-02-14 22:48:52 | Weblog

それにしても「歌う」という行為は一体、何なのであろうか。


鳥が囀るのと同じ?

狼や犬が遠吠えするのも?

ゴリラが胸を叩く・・・のは違うんだっけ?

蝉やコオロギが鳴くのも?


でもそれらと決定的に違うところ・・・・「歌」っていうのは

意味を持った言語を乗せて発声されるってことだよね。


「歌」にも、いろいろあって、

ラブソング、ヘイトソング、メッセージソング、プロパガンダの為の歌、コマーシャルのための歌、

軍歌、校歌、子守唄、共闘のための歌、暇つぶしのための歌、労働歌、流行歌、ジョークソング・・・・


ところで僕はどうして、そしていつから、

自分で歌なんか作って歌うようになったのだろう?


うーん、やっぱ中二の時からだな。

解けないまま、今も続く「中二病」の呪い(もしくは魔法)。


でも「いいこと」だ、と思うんだぜ。少なくとも・・・何もすることを思いつかずに

ハナクソほじくりながら部屋でゴロゴロしてるよりマシじゃねえ?

・・いや、ゴロゴロしてるときも多々、あるけどさ。

TVなんかボーッと見てるよりはよっぽど生産的だ。歌ってる方が。


具体的に何を生産してるんだ?とか聞かれると困るが。

えーっと、「作品」だ。「芸術作品」とまでは言わないけど、

「ジャンクアート」くらい言ってもバチは当たらないだろう。

そう、14歳のときからそんな風に僕は、いくつもいくつもいくつも、歌を作ってきた。

何曲あるか、数えたことは無い。

僕みたいな境遇の人間は、そんな、作った歌を、

発表できる場も、限られている。ROCA’66というバンドで、月イチくらいでライヴをやっていて、

人前で演れるのは、その時くらいだ。


だから

今週土曜日、日本橋「太陽と月」で、

カミナリボルトのナカさんと、片山陽一グループの陽ちゃんが開催する

弾き語りライヴイヴェント「ONE PLUS ONE&ONE」の第一回目ゲストに、

ワタクシこと片山道郎が呼んでもらえたのは光栄の限りだ。

バンドでやってない、「弾き語り向けの曲」とかもある。

作ったのはいいが、まだ人前で披露したことのない曲、なんてのもある。

滅多にない機会。

ぜひぜひ、2月17日は日本橋「太陽と月」に来てくれ。

ナカさんと陽ちゃんの歌もすごく楽しみだ。


万難を橋して、我々の「遠吠え」を、聴きに来て下さい。



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ファンダンゴ、ツルちゃんの回想録。

2018-02-11 13:52:22 | Weblog

ランブルフィッシュがまだファンダンゴでガンガンやってた頃からの仲間・・・みたいな存在の

JUJUという女の子からメールで、

ファンダンゴのツルちゃんの回想録が良かったから見てみて、と言ってきた。

https://t.co/pbK3DoVcKc

ライヴバー ファンダンゴのホームページの。「TSURUITHI'S NEWS」というところ。

ツルちゃん、というのはファンダンゴ名物店長の加藤鶴一のことだ。


この回想録、30年位前の大阪のライヴハウス事情や、バンド事情がリアルに書いてある。

うんうん、こんなんだったよな・・・・・・と、嬉しくなった。

書いてあるように、大阪でもライヴハウスなんか10件くらいしかなかったし、

バンドもバンドマンも、まだまだ少なかった。

ライヴハウスに出演すること自体が、今よりも「おおごと」だった気がする。

長髪も珍しかったからバイト探しが困難だったりも、したした。

バンドマンとして生きる、というような悲壮な決意(社会からドロップアウトする、というような)

を必要とした時代だったかも知れない。ちょっと大げさだけど。

何と言うか・・・・・・あまり、昔の仲間に会うこともなくなったから、

こういうことが実際にあったんだ、ってことがちょっと感覚的に希薄になりつつあった。

自分ではこのブログで、よく昔のことも書いているのだけれど、

他に仲間内でそういう人がいない・・・ので、

何だか、俺だけがこんなこと思ってるのかな・・・みたいな寂しい感じもちょっとしていたので、

ツルちゃんの回想録を読んで

あああ、アレは本当にあったことだったんだ、俺の妄想じゃなかったんだ、

と思えた。

うん、本当にあったことだったんだよな。

もちろん、いいことも、悪いことも。

悪いこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ランブルフィッシュの解散にまつわるドタバタで、

ムーちゃんや、ツルちゃんや、キョーコちゃんや・・・・ファンダンゴの皆様に

とても迷惑をかけたこともリアルに思い出した。

本当にスイマセン。

俺達もどうしようもなかった。何だか、悪い、濁った濁流の中を流されてゆく

息も絶え絶えの弱りきった魚だったことしか覚えていない。

川崎・クラブチッタで演った「ファンダンゴナイト」は懐かしい。

あれが全盛期のランブルフィッシュの最後だった。



当時を知ってくれている全ての皆さん、

そしてその後に知り合えた全ての皆さん、

どうもありがとう。

俺はまだ、続けています。

来週土曜日は大阪・日本橋「太陽と月」にて、

ONE PLUS ONE&ONEという弾き語りイヴェントに

片山道郎ソロ、という形で出演する。




そこで会おう。


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ギター所有について。

2018-02-08 21:11:18 | Weblog
世の中には

ギターをコレクションするようなタイプの人が存在する。

日本で一番有名なのは多分、野村の よっちゃんだろう、あの、「たのきんトリオ」の。

よっちゃん、などと馴れ馴れしい呼び方をしたが勿論、友達ではない。面識も無い。

廊下ですれ違ったこともない(多分)。

ただギター雑誌で彼が大広間に300本くらい

彼の所有のギターを並べて悦に入っている写真を見たことがあるだけだ。

羨ましいか?と聞かれればそりゃ多少羨ましい。

だが、そんなに所有していても・・・・・全部弾けるわけないじゃないか。

ビンボー人のヒガミと思ってもらって結構だが、

そんな風にコレクトされたギターの身になってみたら、それはけっこう不幸なのではないか。

・・・そうでもないのかな。

ギターになってみたことはまだないから、よくわからないが。

自分自身も、出来れば 

今以上これ以上(・・・安全地帯か?)、所有ギターを増やさないようにしよう、と思っている。

いや、現在だって大して所有しているワケではないのだが(5~6本)、

アタシの「愛情」にも限界があるのだ。無限に湧き出るワケではない。



そういう、コレクターみたいな人達の対極に位置しているように見えるのが、

ギターはこれ一本!  みたいな人達だ。

ジヨー・ストラマーのテレキャス、B・スプリングスティーンのテレキャス、

ジョン・スペンサーのフジゲン(ビザール)。

他にも何人も居るが、今は思い出せない。

・・・勿論彼らも、そのメインギターの他にもギター所有しているのであろうが、

彼らはほとんど頑固に、「それ」以外使わない。

こういうのは、とっても素敵だ。


とは言え

ソニック・ユースが、変則チューニングを曲によって使い分けている関係で、

ステージ横にギターを何本も並べているのはカッコイイし、

スタジアム級のバンドになってからのストーンズが

ほとんど一曲ごとにギターをとっかえひっかえするのは贅沢だがまあ、良かろう。

世界で一番有名な変則チューニングはキース・リチャードの「5弦ギターでオープンG」だし。


あ、そうだ

ギターはコレ一本!どころか、

0本・・・というツワモノが、身近にいたのを思い出した。

0本、と言っても、ギターを所有していないのではない。

「持ってこない」のだ、ライヴに。ギターヴォーカルなのに。ははは。

これが誰かと言うと、ライヴハウス「ハードレイン」を今、やっている

・・・AND YOUNGの加納くんだ。

・・・・AND YOUNGのときは流石に(?)持って来る(と思う)んだが、

彼のソロとか、・・AND YOUNG以外のバンドで出演するときなどは、ギターを持ってこない。

どうするのか?というと、対バンとか、競演バンドのギタリストに「借りる」のだ、リハと、本番だけ。

・・・・・・・・・・・うーん、身軽だし、達観している。

恐らく彼は、「ギターなら何でもいい」のだ。

一種、仙人のようで、素敵だ。俺には真似できない。


本人は「いろんなギター弾けて楽しいんですよ~」と飄々と語る。

「みんな、いいギター持ってはるし、ねぇ」とも。


渋いなあ。

・・・・・・・・単に、持ってくるのが面倒くさいだけ、なのかもしれないが。







そうそう、

まだちょっと先の話になるが、

4月14日(土曜日)にその、大阪・梅田の「ハードレイン」で、

マンガンズ企画のライヴがあって、今、話に出たバンド、

加納の「・・・・AND YOUNG」と、

我々、「ROCA'66」と、

もちろん 「マンガンズ」と、

3バンドだけでライヴ、やります。

しっぽりと、濃いぃ夜になる。

予定、空けといておくれよ。


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