デモンストレーション

2015-08-31 18:25:47 | Weblog



そしてまた、「政治の季節」がやって来るのだろうか?






我々 一人ひとりが、面倒くさがらずにいろんなことを


ちゃんと自分で考えて行動する、ってのはきっと、間違いなく


「いいこと」だと思うぜ。



俺自身の立場は20年以上前から不変だ。


「非戦(反戦)」、「非核(反核)」、そして「反差別」。





さて



愚かな「安保法制」をきっかけに、


驚くほど多くの人々が それに反対する意思表明(デモンストレーション)している。



現状、先の見通しは決して明るくないけど、


あれだけ多くのヒトが切実な思いを表明しているのを知って


とても


心強いような気がしたよ。







我々は


まともな


民主主義の国に暮らしているのだ、と



信じたいよね。










法案の強行採決は


何としても阻止せねばならない、と強く思う。





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もう迷わないことに決めた八月の終わり

2015-08-27 19:36:24 | Weblog


こんなアタシにだって「いいとこ」くらい、あるっての。

例えばさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・あ、たまたま今思い付かないってだけで、

毎日毎日ずっこけてばっかりじゃねえよ。

光る時ゃペカーッと輝いて見せるわよ、そうさ、 あのいつかの「ブルームーン」みたいにね。

いや、ひと月に二度、と言わず、何度でもさ。

そうして、名実共に「復活」してみせるだわよ。

この肉体は老いて朽ち果てかけようともね、アタシの情熱はまだ、燃えさかっている。

逆に言えば 情熱しかない、とも言えるが・・・ いいんだよ、それで。

他に何が要るよ?

そらぁ、「卓越した技術」とか、「計画性」とか、

「美貌」・・・・・・とか、「有り余る富」とか、欲しくないか?と聞かれれば

そらぁ、欲しい。余ってるんだったら俺にくれ。

だがしかし。

ヒトとして何よりナニよりも大切なことは、言い切るが、

何かに夢中になることだ。

それはつまり、

何かを(誰かを)強く愛せること。

言い換えれば、情熱。

そして、その情熱が向かう方向を、「センス」という。

情熱とセンスが全てだ。他はあとからついてくる。

えーと、「ついてこない」ことも、(多々)ある・・・けど、それはそれ、だ。

世の中、思うとおりに進むことばかりではない。

かなわない夢だって、あまりにも多い。

まあ、とにかく、ジョーネツと、センスの話だ。

「それ」はアタシの、「いいとこ」でもあり、「わるいとこ」でも、ある。

見る人によって違うだろうからさ。

でも もう、自分で自分を疑うのは、 やめた。

アタシはアタシの信じる方向へ、行く。

もう、迷わないことに決めた八月の終わりの片山道子だったのさ。








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「宝物の歌」について、少しだけ。

2015-08-22 21:39:22 | Weblog


いかんいかん、

「宝物の歌」のこと、誰でも知ってるような気になってたのだけど

そんなこと、あるわけない。

無意識に傲慢だな、俺。




「宝物の歌」は、後期ランブルフィッシュの楽曲で、

1989年ごろ、佐治が作詞作曲した。


1988年6月3日に不慮の交通事故で急逝した

ランブルのオリジナルベーシストで我々の最愛の友達、岩佐 亘(トオル)に捧げられた歌。


「僕等は君と過ごした夜のために歌を歌うよ」という言葉で始まり

「お前は今頃、どんな世界を旅してるのだろう?」というサビ。



本当に、「魂を振り絞るような歌」だった。



サビの部分は俺もコーラスでいっつも、一緒に歌ってたんだけど、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・言葉では上手く言えない。



「宝物の歌」はランブルフィッシュでちゃんと録音した音源があるから。

いつか

聴きたいひとには聴いてもらえるように

限定的にでも(CDとかで)リリースできたらいいな、と思う。




そういえば


10月に、俺と、佐治キョウコ嬢と二人で

京都・中書島のライヴ・バー「MICA」でライヴ出演するのを目論んでるのだけど、


その時に、この「宝物の歌」、

キョウコ嬢が歌う予定なんだぜ。



明日、それで二人でスタジオ入りするんだ。




何だか、不思議に・・・・・・


いろんなことがリンクしてるみたいに

繋がってるよね。




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友達よ

2015-08-20 20:22:17 | Weblog


思うのだが やはり、人は

目の前のことを精一杯、やるしか ない。

どんな局面においても それはそうで、


だから


我々は

何ひとつ 間違ってなどいないし、

逆に言えば

何もかもが間違ったまま進んでいるのだ。



友達よ、

ひとつだけ伝えておきたいのだが

「意味論」は

「宝物の歌」の

続編・・・・・・・・・・・・・・のつもりで作った。




俺は

いろいろなことを

それこそ

「後生大事に」

抱えていくつもりで

今も、

いる。

















例によって例のごとく・・・・・・ちょっと大げさかな。

















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絶望するな、と誰かが言った。

2015-08-17 20:45:41 | Weblog

ここんとこ何ヶ月もずっと、気になって持ち歩いてた文庫本、

太宰の「津軽」を

福山から帰りの電車の中でやっと読了した。

この本は正垣祐樹から借りてるもので、

ショウさん、持ち歩きすぎて本がボロボロになっちまった、ごめんよ。

しかし「津軽」ラストの暖かさ、前向きさ加減は衝撃的で、

電車の中なのに俺はナミダ一粒、こぼしてしまった。

太宰の、幼少期の乳母である「たけ」さんとの再会、そのための東北旅行。

全然違うんだが大昔(二十代の頃)に「ライ麦畑でつかまえて(野崎訳)」を初めて読んだときに、

後半の、「フィービー」との関わり(特にメリー・ゴーラウンドのあたり)しか

印象に残らなかったことを思い出した。

俺にとっての「ライ麦畑」は「フィービー」のための小説だった。

太宰の「津軽」は、「たけ」さんのための小説・・・というか紀行文であろう。


去年、LOVERSのNASさんから

「人間太宰治」というとても強烈な本(友人の目から見た太宰の生涯・・・みたいな重い内容)を頂いて、

その中で、作者の山岸外史が(太宰の死後)、

「津軽」を読んで泣きながら大絶賛する箇所が妙に心に残って、

どうしても読みたくなった。

それで実際、「津軽」を読んでみて・・・・・(山岸氏の)気持ちが少しは、わかったような気がする。


今回の福山への旅(「盆の帰郷」とも言う)は・・・また妙に、

軽かったが、重かった。

いつもいつも旅は「生」と「死」と向き合わざるを得ない。

そんな旅の終わりに

今回は太宰の「津軽」があった。


何となく感慨深い。

単純かもしれないが・・・・・・・・・・・・・

絶望せず、

前向きに生きようではないか、と思うのだ。




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UN

2015-08-14 09:59:20 | Weblog


「運の良し悪し」、などとといったものはこの世に存在しない。

あるのはただ、「考え方」だけだ。

「気の持ちよう」だ。

ツイてない・・・・・・みたいに思って

些細なことでイライラしがちな人は

人生をイライラしながら生きるのであろうし、

先のことについてクヨクヨ思い悩むのも同様で、

そんなこと考えずに、悠然と生きればいいのだ。

悠然と生きることは楽しい。

俺は・・・・・・・・・・・・・・・

人生を楽しみたい、と切に願う。

こんな風に理想を言うのは簡単だが、でも実はそういうのって大事なことで、

それは「気の持ちよう」というのがある程度、自分でコントロール出来るから。

「感情の自己制御」、ということでもあるのだが

それが出来るといろんな場面において、とても便利だったりする。

・・・・・・・・うまく出来るといいんだがなぁ。

俺の理想は、(自作の歌「意味論」の歌詞でもあるんだが)、

「逆巻く荒波の中で柔らかく笑う君」だ。

酷い状況の中でも、悠然としていられる人。

そういう人は実際に、居たのだ。(今でも、居るのだ。)

そんな人になりたい。

だから、そうなれる「方法」を考える。

酷い状況を「酷い」と認識しなければいいのかもしれない。

現実認識というのは常に、「自分がどう思うか」だから。

そして

「運(の良し悪し)」などない、と思うこと。

いろんな悪いこと・・・を他人(もしくは「運気」)のせいにするべきではない。

今ある状況はすべて、

自分自身が引き寄せたものなのだ。




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無題

2015-08-12 19:17:15 | Weblog


哀しみよ輝け、痛みと共に行け。



人生が苦難に満ちているように見える時でも


ささやかな喜びに意味を見いだして、


何度でも何度でも何度でも


乗り越えるしか、ないのだ。



君なら鼻で笑うだろう。


君なら、笑い飛ばすだろう。



うん、きっと 


そうに違いない。
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HOLY

2015-08-04 20:01:28 | Weblog




「思いつき」を実行するんだ、

後ろを向いてる場合じゃない、

引っ込んでちゃ何にも出来やしない、

閉じてしまいがちな気持ちを開放する、

駄目になりそうな心に「祝福」という名の活を入れる。


そうしたら動き出すぜ、

カチカチに固まってたように見えてた状況が変わり出す、

「雪解け」みたいな感じで、

自由が訪れる・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんて、ちょっと都合よすぎかな。



でも

僕の、本当に欲しかったものは何だったろう?

ああ、

それは「HOLY」という名の現象、で しか なかった かもしれない。

そして それは

実は(って言うか何て言うか)

僕の周りで常に

起こり続けていること、だった。


あれもHOLY、これもHOLY。





目が回りそうだけどこれってこの、

ちょっとイカレた夏の暑さのせいじゃないよね?








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サマーツアー終了

2015-08-03 18:32:21 | Weblog


サマー・ツアーは

暑かったし、熱かった。

アタシの心の中の目玉焼きは黒焦げになっちまう。

っていうか、

夏はいつだって切ない。

いろんな物事を抱え込んだまま進む、ジェット・コースター・ムーヴィーみたいに、

スピードアップ、スピードアップ・・・を繰り返す非・日常。


でも

そうだよ、うまくいった瞬間があったんだ。

何処かに、辿り着けそうな位にありありと、

「音楽」って奴を    俺が・・・さ、

「非・音楽的」な、この俺が、だぜ?

がしっと、鷲掴みに、手にした瞬間があった。


もう逃すまい、と思うんだ、このリアルな感触って奴を。

逃したらそいつはまるで、「自由な魚」みたいにするっと泳いで

どっかに消えちまう。

そうなったらもう、元の木阿弥だ。

でも「感触」は、この手にちゃんと、残ってる。

大丈夫だ。

それと、今回・・・・・・・・・・、

それだけじゃなくて、そう、

自分の中で「革命」があったんだ、

大げさだ・・・と思うだろ?

いや、俺もそう思うんだけど(あかんやん)、


違うんだ、

違うんだって。


確かに「大げさ」かもしれないけど、そんな風にしか言えないんだ。

っていうか、

そんな風にしか言いたくないんだ。



いつかちゃんと言えるかもしれない。

言えないかもしれない。







どちらにしろ、ずっと先のことかもしれない、にしてもさ。



君が

ほんの一瞬でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・微笑んでくれたら俺としては、


それだけで充分なんだがね。
















来てくれた皆さんに、


心からの感謝と愛を。



















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