ひよちゃん

2015-03-30 19:59:30 | Weblog


ひよちゃん。

ひよちゃんが一年も前に・・・この世を去っていたなんて、全然知らなかった。

ムジカのせいちゃんのFB で知ったねん。

ほかの人はひよちゃんのこと、別の名前で呼んでたけど、

俺にとっては「ひよちゃん」だった。

ひよちゃんだって俺のこと「片ピー」って呼ぶし。

「片ピー」ってしかし。

しかも、ひよちゃんこのブログ大好きだったって、せいちゃんが言うてた。

そうやったんや、、読んでくれてたんや。

5年くらい前に、ピカレスクのライヴのアバンギルドにひょっこり顔見せてくれたのはもしかして、

ブログで知ってくれたんかな。

いや、リョータローと親しい友達だからかな。

リョータローと知り合えたのも、「ジャンゴ」というバーを知ったのも、

ひよちゃんを通じて・・・だったんだよな。

大体、俺はヘヴィメタルバンドのヴォーカルのアナタを、お客さんとして、

1980年代後半の大阪・キャンディ・ホールで見たのが最初だ。

あのときのひよちゃんは怖かった。後々に友人になれるなんて、あのときは夢にも思わなかった。

一年も・・・・・亡くなったこと知らなかったなんて。

でも何だかこのブログは、「この世を去った人」にも、届いてる気がすることあるんだよな。

だからこれは、ひよちゃんに宛てて書いてます。

もっとたくさん会いたかったな。

特別な人だったな・・・・・・・・いや、今でもそうだ。

ありえないくらいの「ほっこり」と、するどい「怖さ」が同居した人。

現世ではもう会えない、という事実が俺を落ち込ませるが少なくとも

あなたに出会えたことは、とてもとても幸せな事だった。

どうもありがとう。

ひよちゃんがもうこの世にいないんだ、ということを

このあと時間をかけて理解していかなければ。

それにしても

いいひとばかり、「仲間」・・・ばかりが先に逝ってしまう気がしてならない。

でもさ、

「さよなら」を言う気はないよ。

また会おう。


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私の中に棲む誰かが私に向かって言ったこと

2015-03-30 18:06:26 | Weblog

この「世界」ってところは・・・さ、

あんた知ってるかどうかわからないけどね、

海千山千のツワモノたちが、うようよしてるワケよ。

それも

ただうようよしてるだけじゃなくて、”殺気立っていきり立ちながらうようよ”してるわ。

そんな所へね、

あんたみたいなのが呑気な顔をして

「はいこんにちわ」なんて現れたってね、どーなると思うのさ?

・・・ほとんど「蚊」よ、「蚊」。パシッと潰されて終わりよ。

嫌でしょ?そんなの?

あたしだったら嫌よ、せっかくこの世に生まれてきてさ、「いい思い」なんて

ほとんどしてないのに、「蚊」みたいに叩かれて終わり、なんてね。

だったら、気合入れて行きなさいよ。

精神論ってのは、伊達じゃないの。

やるときゃやるのよ・・・ 何もかもね、ぶっ壊しちまえばいいのよ。

そのつもりでやんなさい。

たった一人の人間に何が出来る?だって?

あんた、ジンギス汗のやったこと考えて御覧なさいよ!

ナポレオンの辞書の話はただの「強がり」よ、あいつはああいう奴よ。

ゲーテ?ゲーテなんてゲテ物よ!(しまった、ダジャレだ。)

とにかく。

あんたにだって、やれるわよ。

大体、「やれる」ってことに感謝しなさいよ。

友達の多くが去ってしまったこの荒野のような不毛な世界にね、

あんたは未だに居座って、それどころか新しいことに挑戦出来るっていうんだからこれ、贅沢の極みよ。

言っとくけどあんたは周りの人間に恵まれすぎてるし、

すごくツイてるわ。

そのことだけは忘れんじゃないわよ。

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無題

2015-03-22 18:38:25 | Weblog





どんなアートも表現も

「自分のためにやる」のだ、というのが僕の

ひとつのテーマだった。


それは 15年くらい前に、結構考えた末の結論で、

確信を持って

それは正しい、とずっと思っていた。


表現というのはどうあがいてもエゴイスティックなものである、と。









でもここにきて

それは違うかもしれない、と思い始めている。






「誰かのためにやる」の?

そういうのが「エンターテイン」ってことなのか?




もしかして、そのへんに「本質」があるのかもしれない、いや、マジで。



自己完結してばっかりじゃ


行き場がなくなっちまうのかもしれない。




大体・・・・・・


「自分のためにやる」のなら、

「表現の場」なんて必要ないよな。



そのへんからして、矛盾してるじゃないか。











ああ僕は長いこと、思い違いをしていた。



僕はただ「君のために」すべての歌を、



すべてのギターを



奏でるべき



なのだ。






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無題

2015-03-21 17:18:08 | Weblog


BANDというのは ひとつの「生命体」みたいなものである



・・・・・・のではないだろうか。





少なくとも



そういう要素がある、くらいのことは言える。







楽曲という概念の中で


アナタは私になり


私はアナタになる。




そして「我々」という生命体は



呼吸し、


鼓動によって血液を身体に循環させ、




自分ではない「何者か」を同化して変質する。










「生命体」の目的は「子孫を残すこと」などではない。





後世に自分のDNAを伝える?





そんなの チャンチャラ可笑しいね。








生命体の目的は「生きること」である。






生きる、生きる、生きる、ただそれだけ。






必要なものはただ、「生きる意志」。










それ以上でもそれ以下でもなく。



















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謝辞

2015-03-17 18:18:31 | Weblog

去る3月15日、京都・御池の「夜想」での

地獄の季節 サンフィッシュ 2マンライヴに来てくれた皆さん、

ドモアリガットでした!

サンフィッシュのみなさんにも、ドモアリガット!


地獄の季節は、昔から友達で、大好きなバンドだったのだけれど、

まさか自分がそれに入ってギター弾くなんてね、

夢にも思わなかった。とてもシアワセ。

初ライヴは何とか終えたが、まだまだ本領を発揮できているわけではない。

このあと、劇的な進化を遂げる予定なので、

地獄の季節 を見に来てね。あ、もちろんROCA’66も!


次回のライヴは 

地獄の季節 で、4月4日(土曜日)東京、荻窪ドクター!



ROCA’66のライヴは

4月25日(土曜日)京都・西院 ウーララ!



ライヴハウスで会おうぜ。
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今夜 片山道郎「地獄の季節」でギター弾くわよ

2015-03-15 12:38:07 | Weblog
今夜、

2015年3月15日日曜日

京都・御池のライブハウス「夜想」にて

ロックバンド「地獄の季節」と「サンフィッシュ」の2マンライヴ。

「地獄の季節」のギタリストはワタクシ、片山道郎。

ギタリストとしてステージに出るのは本当に久しぶり。

お暇な人は、見に来ておくれよ。



そして、


その「地獄の季節」で東京へ!

4月4日、荻窪・クラブ ドクターでライヴ。



そして

4月25日は「ROCA’66」で京都・西院ウーララ ライヴ。






世界は活性化しつつある。






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