秒刻み

2022-10-31 21:02:19 | Weblog

ふと思ったのだが

 

我々は時間に縛られながら生きている。

昔、薬師丸ひろ子が歌った、来生たかおの曲で

「都会は秒刻みの慌ただしさ 恋もコンクリートの籠の中」

という歌詞があったが(あ、作詞は来生のお姉さんの方か)、

冗談抜きで我々の人生は「秒刻み」なのだ慌ただしさが。

 

「秒刻み」というのは時計で測る、もちろん。

ストップウオッチでもいいが、正確な、そういうものがなければ

「秒刻み」などという概念は、ない。

 

しかし。

 

「時計」というものが海外から輸入されて普及しだしたのは

当然ながら明治以降であろう。

それどころか

「秒単位」まで正確な時計、といったら昭和・・・・そう、

「クオーツ時計」の出現は1960年代後半である。

それの普及は1970年代だ。

 

それ以前はゼンマイの「機械時計」なので、

精巧なものでも一日に30秒以上、狂った。

一日に30秒狂ったら、一週間で3分以上狂う。

それで普通だった。

 

あ、もちろん明治以前は「機械時計」すらなかった。

どうやって時間を計っていたのか??????

その答えは、太陽の動きを観察するしかなかったのだが、

当然それでは季節ごとに時間が伸び縮みしてしまう「不定時間」でしかなかった。

 

夏と冬では昼間と夜の長さも全然違うのだ。

でも当時の人たちは「そういうものだ」と受け入れながら生活していた。

それで結構、不自由なかったのだ。

 

つまり、「秒刻みの慌ただしさ」というのは当然ながら、

現代的なものでしかないのだ。

 

僕はほとんど本気で、「時計がなければ時間なんてないだろう」、

という説を唱えているのだが、

実際、「秒」が測れなければ「秒刻み」なんてあり得ないのだ。

 

思うに大正のモダンガールたちは例えば「10分遅刻」なんてことは

経験してないであろう。

そこまで「時間」にシビアではなかったと思う。

 

もっとさかのぼれば

 

江戸時代の人たちは「30分遅れ」みたいなこともなかったはず。

いや、もしかして1時間くらいは遅刻ではなかったかもしれない。

 

それはもちろん、「時計」というものが存在しなかったからだ。

 

 

その反面・・・・というか何と言うか、

我々の時計は年々、その正確さを増して行く。

 

近年のいわゆる「電波時計」は100万年に一秒の誤差、

なのだそうだ。

あのね、そういうものの言い方自体「狂ってる」と思うんだがね俺は。

まああいいけど。

 

しかしね、

 

精神世界界隈では「電波系」って言ったらある種の狂人を指すんだよ。

 

ということは

 

「あまりにも正確なもの」は

 

「狂ってるもの」と紙一重なのかもしれない。

 

 

 

 

 

でも僕は実は

 

 

「秒刻み」という言葉が何故か、とてもとても好きなのです。

 

 

時間に追われるのはすごく嫌なのだけどさ。

 

なんでかな。

 

 

 

時計がなければ時間なんて無いだろう、と確信しながら

 

それでも

 

時計という存在が好き・・・・というアンビバレントのせいかしら。

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クルマの操作系について。

2022-10-25 20:56:39 | Weblog

先日職場で、必要があってどうしても

同僚の車を移動させなくてはならない、ということがあった。

だから乗ったのだが、

車のエンジンをかけるときは普通、キーを入れてイグニッションを回す。

だが現代のクルマは違うのだ。

(僕は「古いもの同好会長」だから古い車しか運転したことがない。)

(ついでに言えば普段乗ってるバイクもほとんど骨董品である。)

今のクルマは、

キー(みたいなもの)が近くにあれば、エンジン・スターターボタンというのを

押して、エンジンをかける。キー(みたいなもの)が近くに無ければ、

エンジンはかからない。

そのことは知っていたのだ。だが驚いてしまったのは、パーキングブレーキ(ハンドブレーキ)が、ないのだ。

最近のクルマは手で引くパーキングブレーキではなく、

以前ならクラッチペダルがあった位置にあるペダルを踏んで

パーキングブレーキをかけるようになっているのだが、

最新のクルマは、それすらない。

よく探したら小さなボタンがあって「P」となっているので

これだろう、と見当をつけてそれを押したらパーキングは解除された。

・・・・・・・・・・・・まったく・・・わかりにくいんだよ。

 

クルマというのはだいたい、どのメーカーも

基本的な操縦方法は統一してある。

そうであるからこそ、普通免許を持っていたら普通は、どんな車でも乗れるのだ。

でも考えてみたら

ここ30年くらいは、クラッチのない、いわゆる「オートマ車」が主流になった。

でもあれだってクラッチとミッションがないだけで、

エンジンのかけ方や、パーキングブレーキ位置や、そういう

基本的なところは同じだった。

だが今のクルマは、パーキングブレーキのレバーもない、

もちろん「キー」もない、イグニッションもない。

ちょっと驚きだよな・・・・・・と思ったのだが、

考えてみたら電話だって、

昭和の時代に各家庭に「電話」が普及しだした頃の「黒電話」と、

今の「スマホ」は、用途は基本的に同じだとしても、

使い方は天と地ほども違う。

50年くらい経ってしまうと、揺るがない「常識」と思っていた物事も

いともたやすく変化してしまう・・・・のかもしれない。

 

でも、ヴィニール盤のレコードだって健在だし、

カセットテープだって復活しつつあるし、

ギターだって古式ゆかしい・・・というかとにかく木製だし、

アンプはいまでも真空管の物が使われているし、

そして、ギターは6弦だし、

ベースは4弦。

三味線は3弦。

古きよきものは、変わらずに存在し続けて欲しい。

 

クルマだってさ、出来れば「オートマ車」なんて全廃して欲しいくらいだぜ。

「ミッション車」なら、

アクセルとブレーキの踏み間違い事故、というのが基本的に

起こりえない。あれは「オートマならでは」の事故なのだ。

クラッチペダルの存在意義は大きい。

そして、僕は個人的に思うのだが、

アクセル、ブレーキ、クラッチ、という「3点」なら、

アクセルとブレーキを間違えないと思うのだ。立体的だから。

アクセルとブレーキ、という「二択」だから間違うのだ。

 

まあ、どうでもいいんだが

パーキングブレーキくらい「電化」せずに、昔のままの

「手動」、もしくは10歩譲って「足踏み」でいいんじゃないか??????

 

と強く思ったのでした。

 

 

あと、「キー」もさ、

イグニッション廻してエンジン始動する方が100倍気持ちいいし、

「自然」な感じするんだがなあ。

 

 

こういうこと言ってると「昭和おやじ」かしらアタシ。

 

 

 

 

 

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遠くまで行くのではなく、足元を掘り下げるという行為。

2022-10-20 20:50:34 | Weblog

 

 

 

もっと沢山ライヴとかスタジオ入りとかレコーディングとか

出来たらいいのになぁ・・・・

などと思ってしまう時もある。

頻繁にライヴやってる友達や知り合いのバンドのスケジュールを見て

指をくわえながら いいよなぁ・・・と思ったりもする。

 

でも今はこれでいいのだ。

 

今はもう、あまり遠くまで行けないかもしれない・・・と

心のどこかで思っているからだ。

それは「諦念」に似てはいるが、少し違う。

 

遠くまで行けない代わりに、足元を掘っているのだ。

深く深く、足元を掘り下げて潜っていく。

そういうやり方もあるのだ。

 

そしてそれはそれで、

「異世界トリップ」であるので

僕は深く静かな内省の世界の中で

違う宇宙を訪れたり、パラレルワールド的に違う運命を体験したりする。

 

そのようにして、そんなやり方で

遠くまで行った友達に会えるかもしれない・・とすら思っている。

いや、それは、そのことは確信している。

 

比喩的な話で何を言ってるのかわかりにくいかもしれないけど、

比喩的にしか言えないこともあるのだ。

僕は現実世界に生きながら非現実をも生きているから。

 

現実的な話に戻ると、

もっと頻繁にライヴとか出来るようになったとしたら、

きっと僕は見る間に擦り減ってしまうだろうと予測する。

 

入り込めば入り込むほどズタズタな気分になるのだ。

回復不能な気分。

 

でも僕は今や、関西のおばちゃん並みの「厚かましさ」を持っているので

しれっと回復する。

 

回復するんなら別にいいじゃん・・・とか思うかもしれんが、

ある程度の時間は必要なのだ、何事につけ。

 

だからあんまり頻繁にやると擦り減って消えるだろう、僕は。

まあ、僕一人消えたところで

誰も気にしないしそれ以前に気付きもしないであろうが、

まあいいや。

 

次回のライヴは来年です。

 

来年がアナタにとって、そして我々にとって

良い年になればいいなぁ、と僕は本当に思うのですよ。

 

 

でも、まだ10月なんだよね。

 

まあいいか。

 

 

今日は寝ます。

 

 

さらば。

 

 

 

 

 

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難しい。

2022-10-16 17:20:05 | Weblog

昨日、いいのが出来た!!と思ってた歌は

今日になって吟味してみたらイマイチだった。

こんなことはよくあるのだ、

僕はこのことで人生の時間をどれだけ使ってきたか知れない。

でもそれを無駄とは思わないのだ、ははは。

 

昨日の歌はやはり、攻撃的過ぎた。

僕は「怒る」ことに対して恥ずかしいという感想を持つのだいつも。

自分の「怒り」はもちろん、

怒ってる他人に対しても 恥ずかしい、みっともない・・・と思う。

そういう風に自分を制御できない人は好きではないのです。

だから自分も、滅多に怒らない。

怒ってしまったらその後当分のあいだ、恥ずかしい・・・

死にたい・・・消えたい・・・・と思いながら過ごす。

怒りっぽい他人は軽蔑している。

ああいう風には絶対になるまい と、反面教師にもしている。

 

とは言いながら「権力」に対しては、

我々はもっと怒らなくてはならない、と常日頃から思っている。

政治に対して、その腐敗に対して 声を上げなさすぎなのだ我々は。

そんな風に我々がおとなしいから、現政権は好き勝手なことをやっている。

最近は国会さえ通さずに、様々な大事なことを

「自民党内の閣議決定」で決めてしまう。

これは本当に非道なことだ。認めてはいけない。

 

政治が腐敗しているのは今に始まったことではない。ずっと昔からそうだ。

だから僕は政治批判ソングみたいなのを時々、作ってみるのだが

いつも、次の日にはもう、気に入らない・・・という風になる。

攻撃的な自分の姿勢が鼻についてしまうのだ。

 

政治批判ソングって本当に本当に難しい。

だからクラッシュとか、本当にすごいと思う。ピストルズも。

 

もう亡くなってしまってから久しいが、

「タイマーズ」の、清志郎によく似たゼリーというひともすごい。

ユーモアを混ぜながらちゃんと、言うべきことは言うという姿勢。

ストレートで真っ当で愉快な「政治批判ソング」の数々。

「怒り」を、意味あるエンターテインメントに変えているのだ。

 

後年になってからわかったのだが

清志郎によく似た人は、初めは、あれをRCでやるつもりだったみたいだ。

「カバーズ」期のことだろう。

でもゴンタと新井田コウゾウが嫌がってスタジオに来なくなったのだそうだ。

難しい話。「思想」は、バンドを破壊してしまうことがあるのだ。

「バンド内恋愛」も、バンドを壊すよね。

あと、「金銭問題」が出てくるとバンドは壊れやすい。

金銭問題以前に、レコード会社がバンドに関わってくるとややこしい。

メンバーの一人だけに「オマエだけ引き抜いてデヴューさせてやる」

みたいなことを簡単に言ってくるのだ彼らは。これ本当だぜ。

それで一人引き抜かれてバランスが崩れて壊れるバンドも多い。悲しい。

 

それはともかく・・・・

「攻撃ソング」は難しい。

つくるのも難しいし、バンド内に「そーゆーの嫌だ」という人も、

いるかもしれない。いる確率は高い。

政治信条は個人的なものだから、他人に押し付けたり、

押し付けられたりするものではない。

だからこそ難しい。

 

 

かと言って「ラブソング」なら創るのが簡単か?と言われれば

全然、そんなことはない。

やはり、難しい。

でも、自己批判的にならなくて済むぶん、

自分自身に没頭することが出来る、ということは言える。

 

生きることって、いろいろと難しい。

クルマの運転だって決して簡単ではない。

仕事で他人と関わることも難しい。

朝の挨拶ひとつ取ってみたって微妙で、難しいのだ。

 

 

・・・・はぁ(タメイキ)。

 

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楽曲製作

2022-10-15 19:23:24 | Weblog

「歌」を、

自分独自の「楽曲」を創る・・・ということをずっと、

僕は自分自身のアイデンティティにしてきた。

高校生だった頃から、それは続いている。

でも昔、っていうか若かったころは自分で納得のいく楽曲など出来なかった。

うーん、形には一応なってるけど、イマイチだよな

と、内心思いながら演っていた。

同じく高校時代に自作曲を作っていた佐治やドイケンの「歌」は、

すごくいい・・・・・と思ってたのだが。

自分自身で「良い」と思える、納得のいく「歌」が自分で作れるようになったのは

「ばるぼら」をやってる頃くらいからだ。

その前の「風の歌」のときにも、手ごたえはあったのだけど。

そしてそこから始まって今も、自分自身の楽曲には、すごく自信がある。

自分でもすごく好きだし。演り飽きない曲は、いい曲だ。

 

「歌」というのはメロディーと歌詞、という2つの大きな柱から出来ている。

どちらも「いいもの」でないと、「いい歌」にはならない。

歌詞にはテーマが要る。

「何を歌うか?」が大問題になって来る。

要するに「言いたいこと」がないと、歌詞なんて面白くもクソもないのだ。

 

さて世の中の「歌」は、ラブソングが多い。

ラブソングというのは「失恋ソング」とかも含まれる。

若かったころはこれが不思議だったのだが、今は納得している。

恋愛関係というのは人生の重大ごとだし、実際それ以上に面白いことって、

世界にはなかなかないのだ。

ゲームよりも面白い、喧嘩よりも面白い、金儲けより面白い。

パチンコより面白い、示威より面白い、読書よりも面白い。

恋愛が面白いなら、ラブソングも多いのが必然だ。

 

さてさてしかし、世の中にはロンドンパンクの雄「クラッシュ」のような

”レパートリーの中にいわゆる「ラブソング」と呼べるものが一曲もない”

というような特殊なバンドも存在する。

それはそれで素晴らしい。「クラッシュ」って、確かにそうである。

「セックスピストルズ」もそうかもしれない。

「ダムド」はあるかな?ありそうだよな。

 

「ラブソング」には、普遍性があるのだ。

政治体制といったものは何年、何十年単位で変わるのが世の常だが、

人々の恋愛感情といったものは長年、変わらないのが常であるから。

 

だから僕も、わざとそうしてるのかどうかは自分でもわからないのだが、

「ラブソング」を多く作って来た。

僕の作ってきた楽曲たちは、一部の「無反省暴走ソング」をのぞいて、

ほとんどがラブソングである。

 

 

さて。

 

今日は長い時間を費やしてひとりで「楽曲づくり」をやっていたのだが、

驚いたことに、自分自身から出てくる言葉が「ラブソング」ではなかった。

最近の世界は、狂ってる・・・というか

少なくともマトモではない。

そのことへの不満が言葉となって楽曲に付与されていったのであろう。

 

「楽曲づくり」というのは、意識的な作業ではない。

無意識が大きくものを言う領域なのだ。

自分では制御できない。

「出来たもの」をありがたく受け取るだけである。

「自動書記」みたいなものなのだ。

だから僕は

いつもいつも、自分の楽曲製作の過程を思い出すことが出来ない。

どうやって作ったのか?を思い出せない。

「曲作りのノウハウ」は、いまだに、僕の中にないのだ。

 

今日できた「歌」をいつの日にか、

君に聞いてもらえる日が来るだろうか????????

 

きっと、いい歌だと思うのです。「面白い」って言うか。

自分では判断しようがないんだけどさ。

音楽理論なんか知らないのに何故か曲の途中で

「転調」してたりするのだ。

変だろ?自分でも、わけわかんないんだけどさ。 

 

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大阪・中津・Vi-CODE ROCA’66

2022-10-10 17:58:58 | Weblog

わちゃわちゃでバタバタで取っ散らかってて、

ズタボロで・・・・・・・・・という風ではあったものの、

すごくいい瞬間も多々あったし、

嬉しくてニヤニヤしてしまったり、

これだ!というような演奏が出来たりもしました。

ミストーンも出たり歌詞を間違えたりもしたけど、

良かったところも悪かったところもひっくるめて

楽しめたことだけは間違いないのでした。

2022年、しっかり降るばしゃばしゃ雨の中、

10月9日の大阪中津Vi-CODE。

会場入りしてすぐにハコの親方から「ほとんど3年ぶりっすね」

と声をかけてもらい、

ああ、そんなに年月が経っていたのか前回出演時から・・・と

感慨はとても深かったのでした。

 

優しい人たちが何人も何人も、もお客さんとして来てくれて、

雨の中大変だったのに、どうもありがとう!!!!

 

考えたら、そういう形で人と会うのもずいぶん久しぶりで、

「以前の感じ」を思い出せて、とても嬉しかった。

 

ツイキャスで動画配信、というイマドキなこともやって、

だからリアルタイムでネットでも、何人もの人が視聴してくれていた。

 

そういうのも不思議な感じで、とてもとても新鮮だった。

 

画像は、
 
来てくれた古くからの友達ミュージシャン正垣祐樹が撮ってくれたもの。
 
ショウさん、ありがっとね!
 
考えてみたらショウさんと知り合ったのは
 
俺がまだ「ばるぼら」を始める前だったな。「風の歌」の時期か。
 
1993年?かな。
 
そしてもうひとり来てくれてた旧くからの友達ミュージシャン
 
「やっち」に至っては、俺達知り合ったのが1980年代後半だった。
 
その時、ヤツは19歳で俺は・・・21歳くらいか。
 
ばりばりに「ランブルフィッシュ」やってた頃だよ。
 
すごいよね。
 
いろんな意味で、感慨深すぎる日でした。
 
Vi-CODEのスタッフと、ジミー君にありがとう。
 
写真、まだ見れてないんだけど撮りに来てくれた大瀧くん、ありがとう。
 
対バンの「ワービー&サービー」にありがとう。
 
来てくれた人、ツイキャス配信を見てくれたひと、
 
本当にありがとう。
 
 
昨夜やった曲を書き出してみるね。
 
 
 
トランジスタ・ガール
 
 
エピファニー
 
 
FLY  ME  TO  THE  MOON(カヴァー曲)
 
 
リボン・ソング
 
 
MOTOR  BIKE  DIARY   
 
 
目の眩みそうな光が輝く夜
 
 
路上の光と誰かの痛み
 
 
カナリア
 
 
アンコール
 
 
地上から何処へ(ココカラドコヘ)?
 
 
 
 
 

 

でした。

 

 

 

年々、色々なことが困難になっていきます。

 

それをひしひしと、お肌で感じます。

 

お肌はどんどん乾燥し、”たるんで”さえいきます。

 

でもやはり音楽の喜びと感動は揺るぎないものだ、

 

と確信できた夜でした。

 

 

全世界にありがとう。

 

 

 

もし昨夜 事情があって来れなかった、としても

 

行きたかったなー、聞きたかったなー・・と

 

ほんの少しでも思ってくれるだけで俺は幸せデス。

 

 

 

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ミュージック

2022-10-06 21:30:01 | Weblog

僕はミュージシャンなのだ。

日本語で言えば音楽家だ。

 

とは言え

 

音楽で喰えてないし、

僕を音楽家だと認識してくれている人は少ない。

「世に出て」すら、ないかもしれない。

ドレミファ・・・っていうか音楽理論を理解すらしていない。

無音で過ごす日常も多い。

音楽全般に詳しいわけでもない。

 

でも僕は

音楽を作ることに今でも、強い動機を持ち続けているのだ。

 

そして仲間と一緒に、自作の歌を奏でること。

 

ギターを弾くことと、歌うこと、は

僕の中では同義である。

方法論がちょっと違うだけだ。

 

だから僕はギターのコードを4つくらい覚えてすぐに(14歳の頃の話だ)

自作の歌を作り始めたし、

 

バンドを結成して

ドイケンとか佐治とかボケロウとか

そういう強烈な人が歌う後ろでギターを弾くことも

心から楽しんできた。

 

で、今はまた自分自身の歌に向かっている。

歌と、ギターに。

 

過去もそうだったんだけど

今は今で、嬉々として一緒に演奏してくれる仲間もいる。

 

こういう環境は心の底から有難い。

 

「いいもの」が出来ている、という自信と自覚もある。

 

 

全世界の友達よ、

ぜんぜん立派ではないしボロボロだしギリギリだし危ういけど、

僕はミュージシャンなのです。

 

僕には勿体ないくらいの友達のミュージシャンと4人で

今は

ROCA’66というバンドをやっている。

 

このくそ下らない「コロナ禍」とやらで

ここ3年近く、以前のような活動が出来なかった。

でもそれは、かえって・・・・良かった面もあるかもしれない。

 

ライヴなんてやっぱり奇蹟的に希少な出来事なのだ。

全身全霊をかけて大事にしなければならない。

それが、そのことが、よくわかった。

 

 

その希少な出来事が、もうすぐやってきます。

2022年10月9日、

大阪の、梅田の隣の中津、という町の

高架下の、綺麗で広めで音の良い素敵なライヴハウス

「Vi-CODE」にて。

 

ツイキャス、というもののアクセスのやり方は前回のブログで書いたので、

そちらを見てください。

ツイキャス、というのは配信です。ネットです。

生で来れる人は生身で、お洒落して来てください。

お洒落する、というのもライヴの大事な醍醐味です。

ああ、傍から見たら浮浪者みたいでも全然いいんです。

俺なんかしょっちゅう浮浪者に間違われます(あかんやん)。

ラスタファリアンは、髪の毛を洗ってはいけないのです。

俺はラスタではないのだが・・・・

あ、話がそれている。

 

ライヴに、来てください。

まだ10月なのに、多分今年最後の機会です。

 

こんな浮浪者みたいな俺でも「世間」の中で生きているのです。

来年になればきっと、コロ助も

完全に息の根を止められてるでしょう。そう願う。

 

そうそう、僕は腐っても枯れても

「ミュージシャン」なのです。

 

そのことを最近は強く自覚します。

 

ミュージシャンである「このアタシ」が、

墓場の土の中からゾンビのように、いや間違った、不死鳥のように

蘇るのを

ナマで

目撃しに来てください。

 

 

10月9日、中津Vi-CODE。

ジミープロジェクト「GO!GO!GO!」という企画デス。

対バンは

ワービー&サービー。

 

持ち時間は一時間くらいあるので、

あの曲もあの曲もやりマス。

 

 

自分なりに、お洒落もします。

・・・・・浮浪者に見えるかもだけどさ。

 

 

 

 

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ROCA’66  10月9日 中津VI-CODEの件、そしてツイキャスについて

2022-10-02 18:11:21 | Weblog
10月9日の中津 VI-CODEでのROCA’66のライヴ、
 
「ツイキャス」というモノで、見られるのです。
 
有料なんだけど。
 
それで、僕は10年以上こんなブログをインターネット上で書きつつ、
 
こういう、新しい技術みたいなのが苦手なのですよ(号泣)。
 
だから、
 
ジミー君からの「ご教授メール」を、この後、
 
ほぼそのままここに載せてみることにします。
 
 
でも生身で、大阪・中津に来れる人は来てください。
 
中津って近いんだよ。梅田の隣、と言っても過言ではない華厳の滝。
 
阪急電車の「中津」駅で降りて高架沿いに歩いて5分のところに
 
VI-CODEは、あります。読みかたは、「ヴィー・コード」です。
 
あ、地下鉄「中津」からも徒歩10分くらい。
 
地下鉄「中津」ってあの「カンテグランテ」があったとこだね。今もあるの?????
 
それはともかく
 
ライヴのタイトルは、ジミープロジェクト「GO!GO!GO!」
 
オープンは18時30分、
 
対バンの「ワービー&サービー」が19時から始まり、
 
我々「ROCA’66」は20時10分から始めます。
 
VI-CODEも、とても音の良いハコなので、きっといいライヴになります。
 
そして多分・・・2022年はこの後、我々のライヴはないと思う。
 
貴重・・・・みたいなことを自分で言うのは僭越なのだけれど、
 
自分で言わないと誰も言ってくれねえので言うしかないのだ。
 
貴重です!!!!ははは。
 
前売り3000円、当日3500円、ドリンク代別途・・・・・デス。
 
 
さて、どうしても来れない、というひとは
 
以下の文章を読んで「ツイキャス」での視聴に挑戦してください。
 
何か、わかりやすく書いてくれてるから
 
見られそうな気がする。
 
ツイキャス視聴は2500円で、その日から2週間見放題・・・・だそうです。
 
 
 
 
以下、転載。
 
 
 
ツイキャス配信について ツイキャスの配信を見るにはツイキャスのアカウント(無料取得)と観覧チケットが必要になります。
 
一度そのイベントの観覧チケットを購入されると、生配信とプレミア録画配信が見放題になります。(ジミープロジェクトのイベントについては14日間) 観覧チケットもプレミア録画公開中はいつでも購入できます。
録画配信を見るのを失敗する方がいらっしゃるようなので、ちゃんと録画配信を見れるようにレクチャーします。
 
①まず、URLによりログイン
②ログインしたらずっと下にスクロール この時に「視聴ページへ」と書かれた青い帯状の個所は無視してください。
③「公開中のプレミア配信の画像(1件)」と書かれた下の「録画」とオレンジ色の四角のある画像をクリック
④その画像が大きくなって真ん中に▷があるのでそこをクリック これで、見れます。 
 
 
 
 
以上、転載。
 
 
 
 
どうだろう?????伝わった理解できた??????
 
精一杯、心を込めて演奏するので、
 
ネットを通してでも「ココロ」みたいなのは伝わる、と信じます。
 
 
いろいろありすぎた激動の2022年、
 
そんな年の秋、
 
世間の荒波にもまれ、溺れそうになりながらも辛うじて現役生存活動中の
 
我々、ROCA’66の楽曲を聞いてみてください。
 
 
ちなみに、ROCA'66の読みかたは、「ロカ・シックスティ・シックス」です。
 
(カタカナは便利ですね。発音記号なので。)
 
怒髪天の増子君は以前にラジオで、これを正確に発音してくれました。偉い。
 
66の前についている「’」というのは「アポストロ・フィー」という記号で、発音はしません。
 
意味はあります。西暦1966年を略して’66、ということです。
 
 
 
ドゾ、ヨロシックデッス。
 
 

 

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