大晦日の夜から元旦の朝、というものを
実家で、両親と一緒に過ごしたのは多分、小学生までだった。
いや、中一まで・・・・かな。
コタツで、紅白歌合戦を見てた記憶がある。両親も、兄も、妹も一緒だった。
中二の頃からは大晦日は、友達と出掛けるのが習慣になった。
中学の時の初めてのバンドのメンバーたちと。
といってもあれは、中二、中三、高一・・・・の三回くらいだったのかな。
それはとても楽しかった。一晩中語り合うのだ。
音楽の事とか、これからの事とか。今となっては、なにひとつ覚えてはいないけれど。
高校二年以降は大晦日も、佐治たちと過ごしていたと思う。奈良の、佐治宅で。
でもそれも、よく覚えてはいない。
高2とか高3とかだからもう、ビールとか飲んでたな。
それはそれでやはり、楽しかった。不良ぶってた彼らと、ワイルドな気分だった。
高校出てからの大晦日は多分、毎年 「年越しライヴ」みたいなのに
出演していたことが多かったはずだ。
酔っ払って、へべれけでステージに立つのだ、いつものことだが。
そういう、おぼろげな記憶しかない。でも楽しかった感触は確実に残っている。
いつしか、「年越しライヴ」みたいな行事が下火になって、
「ランブルフィッシュ」終焉後、そして「ばるぼら」終焉以降、
僕は年末年始が忙しい・・みたいな仕事についてしまって、
2001年から2009年くらいまでは
年末年始が地獄だった。
大晦日なんて、ただの「超・忙しい日」でしかなかった。
大晦日も元日も働いた年もあったんだぜ。しくしく。奴隷か?俺は。
ここ10年くらいはトラックドライヴァー仕事(年末年始は休み)だし、
年越しライヴも相変わらず下火だし、
大晦日は毎年福山に帰って、どいけんと飲みながら年を明かすのが恒例だった。
もちろんだがテレビなど見ない。
紅白なんか知ったことではない。
ただ淡々と飲んで、音楽や生活や世界の在り方の話をした。
昔話を多少、することもあった。
気が付いたらいつも、年が明けていた。
去年も今年も、実家には帰らずに過ごしている。
当たり前だがもちろんテレビなど見ないし、
初詣も行かないから、「年末感」というか
「大晦日感」が希薄・・・・というよりは皆無である。
でもそれでいいような気もする。
ただ日が暮れて夜が明けるだけの話なのだ。
こういう暮らしをしていると、どんどんシニカルになって行くのかもしれない。
それがいいことなのか、それとも
悪いことなのか判断つかないけど。
今年の大晦日は久しぶりに風邪ひいてしまった。