ピーターさんのラジオの事、そして散髪失敗の事。

2021-01-30 16:43:20 | Weblog

今日のウィークエンドサンシャインは素晴らしかった。

「フィル・スペクター追悼特集」だったのだ。

追悼特集であることが予告されていたので、素晴らしい回になるであろうことは、ある程度予想していた。

僕は以前はこの番組、カセットテープに毎回、録音していたのだが、今はしていない。

でも、こういう時こそ録音しておくべきだった。まあいいや。

一曲目で、クリスタルズという60年代のガールグループの曲がかかって、もういきなり素晴らしかったのだが、

この曲の録音完成時、フィル・スペクターが音を聞きながら関係者に

「これは黄金なんだ」と言った、というエピソードが語られた。

まさしく黄金のような荘厳な音。そしてそれは富、という黄金を産みもしただろう。

僕としては・・・・知らない、聞いたことのない曲も多かった。

つくづく自分が、中途半端な音楽ファンだなあ、と思う。

しかしロネッツの「ビーマイベイビー」は、昔から大・大好きだった。

1960年代のアメリカン・ポップスの最高峰だと思う。

ウォールオブサウンドっていうんだよな。音の質感に古びない感動がある。

有名な話でもあるが その当時、フィルはロネッツの女の子と結婚までしたのだ。

何というか・・・栄光の極致。

そして、僕にとっては馴染み深い話である、ジョンレノンとの関係、そして

ビートルズ最終作「レットイットビー」の音をいじり倒した、という悪名高いエピソード。

ジョージの「スィートロード」もそうだったのか・・・・知らなかったな。

そういわれてみれば独特な音では、ある。

ジョンとの録音の時の話で、彼(フィル)がいつも拳銃を振り回していた、というのがあった。

フィル・スペクターは結局、獄中死したのだそうだ。壮絶な人生。

 

僕は割と、そういう方面に鈍感なほうなので、

音楽プロデューサーの重要性・・・みたいなものを大きく考えたことはなかった。

でも今日の放送で流れるもう本当に「黄金」のような楽曲群を大音量で聞いて、

フィル・スペクターというプロデューサーの偉大さを痛感させられた。

今日の放送の最終曲はデイブ・エドモンズで、ピーターさんが何て言ったかよく聞こえなかったんだけど

(こういうことがあるから録音しておくと重宝するのだ)、その曲は

フィル・スペクターが手掛けたものじゃなくて、彼の音楽へのリスペクトが強く感じられる音、なのかな。

曲終わりのリフレインが「ベイビーアイラヴユー」で、

「ベイビー」という言葉は(ロネッツ他のヒット曲のせいで)フィル・スペクターの代名詞的だ、

と僕は勝手に思っていて、そういう意味で

「ベイビーアイラヴユー」を延々と繰り返して特集を終わる、という趣旨だったのかもしれない。

もちろんピーターさんはフィル・スペクターの音楽が大好きだったはずで、

そういう形で彼の音楽への最大限の愛と感謝を放送で表したのかもしれない。

 

追記・そうそう、初期ストーンズの名曲「ノットフェイドアウェイ」の録音にもフィル・スペクターが

参加していた、という事実には驚かされた。しかも楽器はマラカス!

いや、実際やってみないとなかなかわからないのだが・・・マラカスをレコーディングで振るのって、

すごーくデリケートで難しいのだ!!しかもあの初期ストーンズ連中に囲まれてマラカス振るなんて、

もし僕なら頼まれても躊躇するであろう(もちろん誰も頼まないが)。

今日はマラカスに集中して聞いたが、一度もタイミングをミスらなかったように思う。

偉い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、本当に難しいんだってば。

 

 

 

さて今日はそのあと髪の毛を切りに行ったのだが、

ずいぶん久しぶりに失敗した。切りすぎてしまった・・・・・・・・・・・・・・

いや、「切られすぎてしまった」と言うべきか。

 

カットハウスのお兄さんに意向をうまく伝えられなかった。言葉って難しい。

 

しかし、ちょっと切りすぎたくらいでこんなに落ち込むなんて、我ながら

悪い意味でナイーヴで駄目だなあと思う。お前、歳いくつなんだよ・・・・・・・・。

一か月もすれば元通りだし、最近は普段でも外出時にはマスクするし、

働いてる時にはマスクの上に野球帽までかぶっているので人様に顔を見せる機会もないのだ。

言うまでもないがライヴもないし。

それに、俺だっていつまでもいつまでも長髪で顔を隠して生きていくのも、

精神的に健康ではない。

自分の顔に慣れなければいけない、と思う。馬鹿みたいだが。

 

 

 

 

当然ながら自撮りの画像なし。

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そんな風に行こう

2021-01-28 21:09:36 | Weblog

何もかもが善   何もかもが悪

                   何もかもが判別不能に混じり合っている

前に行くべきなのか     留まっているべきなのか

       焦って 考えずに動くと  痛い目を見たりする

 

落ち着いて様子を見よう  もし今が嵐なら過ぎ去るのをまとう

        表を出歩いたって傘を飛ばされるだけだ

 

川の水の増量を見に行くのもやめよう

             そんなのを知ったところでそれだけの話

 

人生は進みゆく  もしも立ち止まっていたとしても

     ベルトコンベアーみたいに時間は止まらずに進んで行く

 

鷹揚に構えていよう    他人のことは気にせず行こう

 

善と悪とは表と裏でくるくる入れ替わる

 

留まりながら前に進もう

       流れを慎重に見極めよう

 

孤立は別に悪いことではない

       ただスタンドアローンっていうだけの話

見失わずに行こう  前をよく見て行こう

 

そうすればそのうち開けたところにたどり着くかもしれない

 

もしかしたら今は長いトンネルの真ん中あたりにいるのかもしれない

                                出口近くかもしれない

 

それとも ただ夜だから暗くて周りがよく見えないのかもしれない

 

 

 

誰もかれもが善    誰も彼もが悪

 

    全てのものが判別不能に混ざり合っている

 

 

せめて今日をやり過ごそう

 

 

                          そんな風に行こう

 

 

 

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書簡

2021-01-27 19:58:09 | Weblog

前略

 

・・・いや、略さずに行こう。

 

 

コロナ禍の凶風 吹き荒れる今日この頃、お元気でいらっしゃいますか。

 

私ときたら相も変わらず、のうのうと生き永らえておりますです。

 

さて本日お手紙を差し上げたのは他でもない、

 

以下の文面をお伝えするためでありんす。

 

是非ぜひ、お読みください。そして、読んだら破り捨ててください(・・・・無理か)。

 

 

 

 

書簡

 

 

今日の明け方、バイクを運転しながらふと考えた、というか気付いたのだ。

 

生きてると雑事が多い。

 

その雑事の中には例えば

どうしても解決しない大問題とか

ずっとずっと心の奥で大切にしている物事とか

手つかずで誰にも触れられずに残っていた痛みとか

今でも誇りに思っている事とか

遠い遠いかすかな記憶とか

それこそ「奇蹟」とか

悔やんでも悔やみきれない出来事とか

絶体に手放したくなかったガラクタとか

失ったものとか

失ったものとか

失ったものとか

得たものすべて とか

「輝き」とか

後悔とか

自分自身とか

記憶のすべて とか

 

 

そういうもの全部が全部、死ねば消えちまうのだ。

 

頼むから

 

当然のこと言うな、とか思わないでくれないか。

 

 

(だから断捨離しよう、とかそういう話じゃないから。)

 

 

 

 

死はすべてを凌駕するのだ。

 

 

 

何てすごいんだ、と思う。

 

 

 

そして間違いなく

 

 

みんないつか死ぬのだ。

 

 

 

ああ人生って、スゲエ。

 

 

「生きる」って、スゲエ。

 

 

 

明け方にはよく、そんな風に思うことがある。

 

 

 

でもいつもうまく言語化 出来なかった。

 

 

 

今回だって「上手く」言語化できたわけではないが

 

 

何とか「言わんとしていること」だけは伝わるのではないか、と思うし

 

 

 

そうであって欲しい。

 

 

 

 

 

草々

 

 

 

2021年1月27日                       道子拝

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みんな偉い(全生物肯定曲)

2021-01-25 20:38:39 | Weblog

滑り込みで間に合った

 

ギリギリセーフだった

タッチの差だった

あと0.1ミリ違ってたらヤバかった

ほんの紙一重で危うく駄目なとこだった

 

スリル満点な毎日

生きることは運任せ

生き延びるべくサヴァイヴする

なりふり構わず髪振り乱し

血相変えて

半泣きになりそうになりながら

そして君に祈りながら

僕は来た

 

思うに僕はラッキーだった

間に合ってよかった

何もかもが申し合わせたような偶然だった

 努力が報われる世界ではない

悲しい思いをしたからといって優しくなれるわけでもない

予想通りに進むことなんて10回に1回もないのだ

いや100回に1回もないかも

とにかくいろいろと

トレブリーだしトラブルだらけだしトラップにひっかかりがち

息をして心臓を動かしてるだけで精一杯

朝起き上がるだけでひと苦労だ

 

だから生きてる人はみんな偉い

死んじゃった人もそれまでは必死に生きてたんだから偉い

カエルもミミズもオケラもアメンボもみんな偉い

 

怒髪天の曲に「全人類肯定曲」というのがあったが(あれはシミーの案らしい)

もう一声行って

「全生物肯定曲」というのはどうだ

全生物

 

微生物も

 

あああこの際ヴィルスも・・・・・・・・・・(あれは「生物」かどうか微妙だが)

 

 

つまるところ「生」に善も悪もないのだ

 

 

 

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不可思議

2021-01-23 20:43:34 | Weblog

そうそう、それでさ、

さっきアップした日記の、ジェイコブ・コリアくんなんだけど

YOUTUBEの映像を見てみたのね。

「ドント ウォーリー アバウト シング」のも、あったんだけどそれ、

録音時に撮った映像としか思えないものが編集して一画面に凝縮されていたのだが、

どの画面見ても

ヘッドホンとかイヤホンとかしてないのよ彼。

クリックは????クリック聴かないで多重録音出来るわけはない。

スピーカーでクリック鳴らしたりしたら、マイクが拾ってしまう。

クリックとかモニターなしで

一人ハモリとか、ベースとか弾くの・・不可能だと思うんだがな。


わけわかりません。

 

人類は進歩しているのだろうか?????

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天才性について。

2021-01-23 19:10:51 | Weblog

久しぶりに、一聴してすぐに「天才だ・・・・・」とあきれ返るようなアーティストがいた。

こないだラジオでかかったのだ。

何のラジオだったかな?忘れちまったんだけど、

その人の名はジェイコブ・コリア だった。まだ若いヤツ。

その存在に気付くのが遅いかもしれない。もうだいぶ脚光を浴びてるみたいだし。

彼が一人で演奏し、多重コーラスをする、スティービー・ワンダーのカヴァー曲

「ドント ウォーリー アバウト シング」を聴いたのだ。

曲の半分くらいまで、アカペラ。一人で何重にも重ねてある分厚いコーラス。

半分くらいからウッドベースや鍵盤や、ドラムスやパーカッションも入ってくる。

全部自分一人でやっているのだ。アレンジメントももちろん、自分でやっているという。驚愕。

とてもセンスがいいし、演奏も歌もコーラスも完璧。

これは・・・・「天才」でしょう。

まあ、僕が好きなのは、どうしても

初期衝動的な粗暴なロックとか、

枯れ果てそうな素朴なフォーキィ、ブルーズミュージック,まがい物ジャズ、自己破壊的なパンク、

もしくはダンスミュージックでも粗削りなもの・・・・・だったりするので、

彼の音楽はそういう耳にはソフィティスケイトされ過ぎてて微妙にずれるから、

ファンになったりはしないのだが、それでもスゴイ。

そういえば今は亡きプリンスも、当初は一人で全部楽器とか歌とかやって

多重録音で作品を発表していたんだったよな。

彼も、まごうかたなき「天才」であった。

全部出来ちゃうと、全部ひとりで演りたくなるものなのだろうか????

僕にはわからない。

僕は・・・ドラムも叩けないし鍵盤も弾けないし、ギターも自分流(ノイズィーに)しか弾けない。

歌も・・・自己流無勝手流にしか歌えない。ハモリはよく外す(あかんやん)。

そんな僕も、一時期、自宅での多重録音に凝っていた。

簡便なドラムマシーン、ちょっとだけベースギター、あとはエレキとアコギと一人ハモリ。

ちょっとだけハーモニカ。

楽しくはあったけれども、突き詰めると どうしても自家中毒の壁に突き当たるのだ。

やっぱ僕は、自作の曲を演るにしても、他の人の個性の中で揉まれながら、

他人の個性に助けられながら演るのが一番いいし、

自分にはそれが自然だと思う。

 

さて、ここで「天才」ということについて。

 

僕は今まで一緒に演ってきたバンドのヴォーカリストたちを全員、ある種の「天才」だと思っている。

そう思ったからこそ、一緒に演ってきたのだ。

全員そうなのだが中でも2007年に亡くなった、ランブルフィッシュの故・佐治朝吉。

彼には多彩な才能があって、漫画の世界ではメジャーデビューすら、したのだ。

ビッグコミックスピリッツで、短かったとはいえ、連載まで持ったのだから。

音楽でも才能は遺憾なく発揮された。

しかし彼はすごーく、気まぐれな人でもあった。情熱的、行動的な反面、「怠惰」な面すら、あった。

ランブルフィッシュを解散した後、(僕抜きで)バタフライピープというバンドを作って、

そのバンドはほとんど活動しなかったのだ。

先述のプリンスや、例えば90年代のカートコバーンにしても、

彼らが巨大な才能を持っていても、活動して宣伝して売り込まなければ、

その才能が世間に知られることはなかったであろう。

せっかくランブルフィッシュで世間の脚光を浴びかけていたのに、勿体ない。

 

我々は、メジャーデビューは、出来なかった。

 

(あ、我々、というのはつまり「僕」も、ということで、

僕はランブルフィッシュ解散後、ボケロウ達と ばるぼら を結成して、

ずいぶん頑張ったつもりだったのだがメジャーデビューには至らなかった。

それはそれで、運だし、上手くやるべき時に的確に演れなかったのだからある種、仕様がない

後悔は何もない。)

 

「天才」ってだけですごいのに、「天才性」だけでは、足りないのだ。

その「天才性」を他者に広く認めさせるだけの勤勉さ・・・というか、

並外れた努力が、どうしても必要なのだろう・・・・と老青年になった僕は思う。

 

でも佐治くんに関して言えば彼は、

その「怠惰さ」がまるでライオンの雄のように魅力的だったし、

それはそれで楽しい人生だったと思うから、それでいいのだ、と思っている。

 

 

勿論、音楽をやる意義と意味は、メジャーデビュー出来たかどうか、なんてことには左右されない。

そのことは、当然の前提なのだけれど。

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有為の奥山今日超えて(もしくは、無題)。

2021-01-21 20:56:17 | Weblog

 

 

 

 

あとは野となれ山となれ  

     

               とは言え  

                     私は私で居るしかない(I NEED  TO  BE  MYSELF)

 

 

日暮れの山道 細い道

 

        そこのけそこのけオケラが通る

 

さりとて  夢は 枯れ果てて

       

            心は山野を駆け巡る

 

どうでもいいやと 身を捨てて

 

                 浮かぶ瀬もあれミシシッピ

 

                              こんな世間に誰がした   

 

 

                 蝶よ花よとおだてられ

 

 

猫に小判か馬念仏

 

                誰もかれもがそ知らぬ顔で

 

                                 あの街この街 通り過ぎ

 

 

           いつかの君を思い出す

 

 

                               夜は深度を増して行く

 

 

そんな風にただ過ぎてゆく(ALL  THINGS  MUST  PASS)

 

                  日々は私を置き去りに

 

 

 

                    とは言え誰もが必死に足掻き

 

 

                        ただ前進するという選択肢

 

 

                                誰が悪いワケでもなく

 

 

言わせてもらえるのであれば

 

 

 

               俺は無実のイノセント

 

 

 

でもあんな風に

 

 

                                最後の最後に会えたのは

 

 

 

             せめてもの幸いだったよね

 

 

 

     僕は行く

 

 

 

有為の奥山今日超えて

 

 

 

                  浅き夢をば 見やいでか

 

 

 

   既に   

 

                泥酔   

 

 

                          してると  

 

 

                                     いふ

 

 

                                             のに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     草々

 

 

 

 

 

 

 

 

毎度馬鹿馬鹿、姦(かしま)しい。

 

 

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仕事仲間と、バンド仲間。(追記あり)

2021-01-16 14:38:07 | Weblog

僕は今までバンド活動の傍ら、様々な「仕事」をしてきた。

それで、その

仕事場で知り合って、仕事をしながら仲良くなって、友達になったつもりでいたようなヤツも、

どちらかがその仕事を辞めてしまったら

あっさり、それで終わりになってしまう。もう二度と会うこともない。

今まで、そういうことが何度も何度もあった。

それはそーゆーものだし、仕事仲間というのはそーゆーものなのだ。

それはそれでドライで、いっそ気持ちがいい。

仕事以外のプライヴェートでわざわざ約束してまで会うつもりもないのだ。

だって考えてみたら彼(彼女)とは,仕事のこと以外で共通の話題など、ないのだ。

音楽や文学やアートの話が出来ないのならそれは僕にとっては、時間の無駄だし(それは言い過ぎか)。

寂しい・・・という気も、しないでもないでもないが、

面倒臭くなくていい、という気分のほうが勝る。

ケータイの登録も、あっさり消去するのだ。それでいいのだ。

当たり前と言えば勿論そうだが、

バンドで関わった友達とは、全然、天と地ほども違う。

バンドメンバーたちとは、バンドが消滅してしまった後でも、会うヤツが多い。

14歳で初めて結成したバンドのヴォーカル(どいけんデスね)とは今でも会える時は必ず会うし、

極端な話、高校の時結成した「ネクスカ(初期ランブルフィッシュ)」のメンバーの半数(3人)とは何と、

文字通り「死ぬまで」付き合うことになったのだ……それは結局、彼らが先に逝ってしまったからなのだが。

しかし何という濃密な関係か。彼らの親や兄弟の顔も知っているし。

そういうのって、暑苦しい??

いや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうでもない。全然、そんなことはない。

ふと昔の写真などを見て思い返してみたら、

バンドメンバー以外の、学校時代(中学、高校)の同級生などは、

学校を卒業した後は何の関係もなくなった。当然、会うこともなかった。

同窓会で会うことはある。でも、ただそれだけ。

そーゆーものだろう、とは思うけど。

 

当時は軽い気持ちで(そうでもないか?)結成したバンドだったけど、

その結果はものすごく濃密な人間関係を構築する結果になったのだ。

これは、喜ばしいことだ、と今現在の僕は思う。

きっと、「運が良かった」のだ。

 

あまりにも多くのバンドメンバーたちとの濃密な関係性を経て、今の僕がいる。

 

人は、他人に影響を受けずには生きられない。

 

良くも悪くも。

 

 

 

 

しかしまあ、仕事仲間みたいにドライに別れられる関係も、

 

 

悪くはない、と思う。

 

 

 

 

追記

 

 

ちょっと冷たいこと(仕事仲間に対して)書いたけど実は先日、

 

仲の良かったトラック同僚が突然辞めてしまったのだ。

 

 

それでちょと悲しいのです。とほほ。

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マトモでありたい

2021-01-14 20:54:19 | Weblog

破綻せず

 

 

 

破滅せず

 

 

 

墜落もせず

 

 

なるべく長く

 

 

自分自身がマトモと思える範囲内で生きていくことは大事だと思う

 

 

破滅してしまうのは一種簡単だ、とも言える

 

 

 

(そうでもないかもしれない)

 

でも

 

 

我々は日常のささやかな喜びや

 

 

光や

 

 

暖かさを

 

 

 

それが存在するのが「まるで奇蹟」みたいに扱うべきなのだ

 

 

 

だってそうなのだから

 

 

 

失ってみなければ本質を理解できない物事は多い

 

 

 

あまりにも多い

 

 

 

それでもやはり

 

 

マトモで在り続ける我々は我々自身を

 

 

祝福しようではないか

 

 

 

 

そして続けよう

 

 

続けるためには時として

 

 

歯を食いしばる程 泣きたくなるほど 頑張らねばならないとしても

 

 

 

 

そうしよう

 

 

僕らはマトモで

 

 

 

在り続けよう

 

 

 

 

 

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ジレンマ的思考の表出

2021-01-10 19:11:18 | Weblog

僕などは「世界」という川を泳ぐ一介の魚なので、水の流れとか濁りとかに翻弄されずにはおれない。

もしかしたら貴方も貴女も、そうなのではないか?と思う。

 

世界中が「災厄」に見舞われてから一年近く経つ。

僕は様々なことを「気にしない」ように心がけて来た。

誤解無きように言えば勿論、感染対策はする。マスクももちろんする。

手洗いも、嫌いだったのだが今は神経質なほどまめに洗う。

 

「気にしない」ように心がけてるのは、このことで生じる不自由さについて、である。

いろいろなことが出来ないことを、自分のストレスにしないように心掛けているのだ。

 

道路で、渋滞にハマッたときも同じように考える。

電車に乗っていて、人身事故の影響でなどで停止した時も。

そういう時に、イライラしたら「負け」だと思っている。

もちろん、イライラしてしまうこともある。誰だって・・・聖人君子ではないのだから。

でも、しないことのほうが多い。

 

「諦めている」わけではない。ただ気にしないようにしているだけだ。

 

僕はテレビは一切見ない。新聞も、雑誌も読まない。音楽誌を一種だけ、時々買う。

 

ラジオは、わりに熱心に聞く。ニュースも聞くし、時には国会中継も聞く。

政治に関心は持っている。投票行動もする。デモに行くことすらある。

 

僕はそういう人間なのだ。

そういう、「普遍的」なのか、「いびつ」なのか自分でも判断がつかない僕だが

 

今回の年末年始は、恒例の「帰郷」を、しなかった。

それだって、気にしなければただ過ぎていくだけのことだ、と思う。

 

大体が、「そこ」で生まれたわけではないので、故郷という認識はない。

僕にとって愛おしい人たちが「そこ」で暮らしているだけだ。

 

ただ、その愛おしい人たちの中に 母親を含めて、高齢の方々が何人もいるのだ。

 

だから万が一、近年に、その人たちの中の誰かに「もしも」のことがあったなら、

この「空気読め」的な行動制限・・・・を恨まずには居れないかもしれない。

 

そして そういうものに素直に従った自分を、呪うかもしれない。

 

それでも、どんな風に考えようと、

一秒につき一秒ずつ、時間は流れてゆき、

 

僕たちはその都度、その都度、その流れた時間の分だけ確実に、

 

歳をとってゆくのです。

 

 

それはむしろ、「いいこと」でしかない・・・・・・のだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

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