結局昨日は一日、何処にも外出せずに家で過ごした。
それはそれで思うことが、温泉のように原油のように、
悪い妄想のように湧いては溢れ、
別にそのままにしておいても一向に構わないのだが戯れに・・・
書き記しておくことにした。
まず、猫のこと。
前々から読みたかった谷崎潤一郎の
「猫と庄造と二人のおんな」を読み終えて、あっけなさにちょっと虚脱。
小説世界からぽん、と放り出された気分。
解説によると谷崎は昭和8年に「春琴抄」を書いて、
その翌年にこの作品を書いたという。
「春琴抄」で描かれた究極の「隷属としての愛」。
落差があまりにも・・・・・。でも下世話で素敵だった。
もうひとつ、猫。
友達が差し入れてくれた、 中島らもの晩年の・・・・というか
彼が亡くなった後で出た「せんべろ探偵が行く(文庫版)」を読んだ。
内容は
らもさんが余り元気ないので大して面白くもないのだが、
例の・・大麻の不法所持で裁判になり、執行猶予がついたときの
らもさんの感想が載っていて、ちょっと衝撃だった。
「刑務所に行かなくてよくなったので、ミケを看取ってやることが
出来る。これがなによりうれしくて、悲しい」と。
(「牢屋でやせるダイエット」のあとがきよりの転載。)
ミケとはらもさんエッセイではおなじみの
あの、「ミケ豊中」だ。(あの時点で)生きてたんだ・・・・。
そしてさらに、猫。
親愛なる京都のアコーディオン弾き、RYOTARO。
彼の恋人、とも言うべき愛猫、NICOが亡くなった。
これは、FACEBOOKで知ったんだけど。
もうトシだ、トシだ、と以前から言っていたのだが
ついに、「その時」が来てしまった。
毛足の長い、銀色の美猫、NICO。そのつんとすました
外見とは裏腹に意外と人懐っこくて、
俺のヒザにも乗ってきたことがある。
死に顔までもが美しかった。さよなら、NICO。
そして・・・最後の、猫。
昨日は佐治のことを少しずつ、思い出していて、
彼の飼っていた「夜吉」という猫のことも思い出した。
まだ一人暮らしだった佐治のマンションの前に仔猫の姿で現れた夜吉は、
十何年の月日を経て年老いてよぼよぼになって、
ある年・・・佐治の病気が発覚する直前の季節に、ふっと姿を消して
二度と 現れなかった。
「夜吉」は、
我々の放蕩を極めた「大阪時代」の象徴だった気がする。
いろんな物事に、いろんな人に・・・さよなら。
我々は”めぐり会えたこと”こそに、感謝しようではないか。
「それ以上」も、「それ以下」も、なし。