9月27日に思ったこと。

2012-09-28 11:19:26 | Weblog



結局昨日は一日、何処にも外出せずに家で過ごした。

それはそれで思うことが、温泉のように原油のように、

悪い妄想のように湧いては溢れ、

別にそのままにしておいても一向に構わないのだが戯れに・・・

書き記しておくことにした。


まず、猫のこと。


前々から読みたかった谷崎潤一郎の

「猫と庄造と二人のおんな」を読み終えて、あっけなさにちょっと虚脱。

小説世界からぽん、と放り出された気分。

解説によると谷崎は昭和8年に「春琴抄」を書いて、

その翌年にこの作品を書いたという。

「春琴抄」で描かれた究極の「隷属としての愛」。

落差があまりにも・・・・・。でも下世話で素敵だった。


もうひとつ、猫。


友達が差し入れてくれた、 中島らもの晩年の・・・・というか

彼が亡くなった後で出た「せんべろ探偵が行く(文庫版)」を読んだ。

内容は

らもさんが余り元気ないので大して面白くもないのだが、

例の・・大麻の不法所持で裁判になり、執行猶予がついたときの

らもさんの感想が載っていて、ちょっと衝撃だった。

「刑務所に行かなくてよくなったので、ミケを看取ってやることが

出来る。これがなによりうれしくて、悲しい」と。

(「牢屋でやせるダイエット」のあとがきよりの転載。)

ミケとはらもさんエッセイではおなじみの

あの、「ミケ豊中」だ。(あの時点で)生きてたんだ・・・・。



そしてさらに、猫。


親愛なる京都のアコーディオン弾き、RYOTARO。

彼の恋人、とも言うべき愛猫、NICOが亡くなった。

これは、FACEBOOKで知ったんだけど。

もうトシだ、トシだ、と以前から言っていたのだが

ついに、「その時」が来てしまった。

毛足の長い、銀色の美猫、NICO。そのつんとすました

外見とは裏腹に意外と人懐っこくて、

俺のヒザにも乗ってきたことがある。

死に顔までもが美しかった。さよなら、NICO。




そして・・・最後の、猫。


昨日は佐治のことを少しずつ、思い出していて、

彼の飼っていた「夜吉」という猫のことも思い出した。

まだ一人暮らしだった佐治のマンションの前に仔猫の姿で現れた夜吉は、

十何年の月日を経て年老いてよぼよぼになって、

ある年・・・佐治の病気が発覚する直前の季節に、ふっと姿を消して

二度と 現れなかった。

「夜吉」は、

我々の放蕩を極めた「大阪時代」の象徴だった気がする。






いろんな物事に、いろんな人に・・・さよなら。




我々は”めぐり会えたこと”こそに、感謝しようではないか。




「それ以上」も、「それ以下」も、なし。









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九月。

2012-09-26 16:26:53 | Weblog





九月。


ただそれだけで特別な九月だったのに、

意味性は空からオブラートの欠片みたいに降ってきて

(頼んでさえいないのに)、

この地上を「感傷」という名の膜で覆い尽くした。

「諦念」と「諦念」とほんの少しの「後悔」は、

ほんのわずかな色彩を帯びて陽光に反射しては照り返し、

俺を「琥珀の中に閉じ込められてしまったまま時を越えた遥か古代の甲虫」

のような気分にさせる。






ライヴのこと知らせます。

2012年10月8日(祝)の十三クラブ・ウォーター。

出演は    ザ ノドグロズ  SHALLOW

   昼行灯   ROCA

俺はROCAのギター・ヴォーカルです。出番は二番手。


はじめのバンドのスタートが19:30。

料金は2300円(1ドリンク付)。

クラブ・ウオーター電話番号06-6305-8989

ウオーターの場所は、十三バイパスの高架下。


もしよかったら来て下さい。


「追憶の発破’64」を・・・・出来たらやります。





今日は久しぶりに一人で京都駅まで行ったんだけど相変わらず、

ツーリスティックな人込みだった。



何だか世間の時間線みたいなのから外れてる俺は、

「目的もない、行き先もない、それどころか帰る場所すらない旅行者」みたいな

気分になったよ。


そんな中、

古本屋で谷崎の「猫と庄造と二人のをんな」を見つけた。

以前から読みたかったのに、何故か手に入らなかったのだ。

一番初めに興味を持った谷崎作品。楽しみ。





明日は友達の命日なんだけど、家で過ごすことにする。


要は個人的に、「どんな風に悼む」か、ってことだからさ。







気がついたら九月も、あれ?って感じで終わってるんだろうけど。








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笑い飛ばしてくれ。

2012-09-25 19:52:22 | Weblog


朝から晩までロックンロール!っていう生活がしたかったわけではない。

自分自身が長期的には飽きっぽいのを知っていたから。


君の気まぐれに合わせて、

やりたいときだけロックンロール・・・・でよかった。

そんなので十分だった。

得難いものこそが、「希少」という名の輝きを放つのだ。

(それはまるで、オールド・ギターのように。)


俺達は、

ダレダレに馴れ合ってしまうことに憧れたりはしなかった。


スクエアな世界で生きて、

時々楽しいことがあったりしてさ。

でも「世界」なんてどんな風に生きたところで

不自由でスクエアで生きにくいところだ。


不毛な世界のベランダに、小さな小さな花を咲かせて、

ああ、よかったねって。

それで本当に幸せだったんだから、

ただそれだけでよかったんじゃないかな。


「楽しいこと」があろうがなかろうが、

俺は今までのやり方で生きていきます。


ロックンロール、なんて概念にすらもう、

こだわらくてもいいような気がしている。

馬鹿は馬鹿のままでしか、ないけどさ。


心は荒んでないんだが、身体が・・・・

ボロボロなせいで、墓参りにすら行けないかもしれない。


でも笑い飛ばしてくれ。



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「自虐」と「他罰」

2012-09-24 16:24:54 | Weblog



世の中の人間には二種類いて・・・・・・

っていうのはありがちな発言ではあるけど、まあいいよね。

ここで俺が持ち出すその二種類というのは、

「自虐的」な傾向を持った人と、

その逆に「他罰的」な傾向の人。

よくSだ、Mだ、とか言うけれど、そのことと無縁ではない。

単純にサディズム=他罰、マゾヒズム=自虐、と決め付けるわけではないが、

大雑把に言って

そのどちらかの傾向を・・・人間は持っているように思う。

俺は自分では「自虐」傾向だと、昔から思ってるんだけど・・・・

全然逆に思われてたりしてね?(自分の事って、わからないからね。)

でも他人を「罰する」なんてねぇ・・・・恐れ多いと思うんだが。

こういう傾向って幼児期に、もう見られるらしいのだけど、

・・・どちらかの傾向を持って生まれてくるのだろうか?

それともやはり、親とかからの「刷り込み」でそうなるのか。

でも身にかかるいろいろなトラブルや面倒ごとを

全部自分で引き受けてしまって自分を責め続けると、

場合によってはそのひとが過負荷で駄目になってしまうだろうし、

逆に

全部他人のせいにして生きていくとその人はスポイルされて

やはり駄目になってしまう気がする。

ロックの世界は「自虐」傾向のひとが多いのではないか?と思うな。

NIRVANA のあのひとなんかが代表例で。

で他罰的な人もいて、GUN'S のあのひとなんかがその代表。

どちらがいいのか・・・・・・・・。

それとも「良い」も悪い」も そもそも、ないのか。




ところで


3月の転倒・大流血・前歯折れといい、

今回の転倒・骨折・全治二ヶ月といい、

今年の私はどうも「自己破壊的」で困る。

無意識で「自己を罰して」たりして。

そりゃないか。





しつこいようだが、ライヴはちゃんとやる。

座ってやることになるが。

10月8日(祝)、十三・クラブ・ウォーター。

もとEASY WALKERS のヒグチくんが

今、ドラムを叩いてるバンドと対バン。


ROCAの出番は二番手なので、早めに・・・・・



来てね。

















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「傲慢さ」について考える

2012-09-23 12:18:41 | Weblog


「不寛容は優越感の裏返し」なのだそうだ。


アイザック・アシモフが言ってたんだけどさ、

なるほど。


「根拠のない優越感の持ち主」は(たとえ根拠があったとしてもさ)、

「傲慢」であろう。


言い換えれば、「傲慢な人間は不寛容である」と言えるかもしれない。


傲慢にはなるまい、傲慢にはなるまい、と

そんな風に念じながら生きているつもりでも、

知らず知らずのうちに「傲慢」は埃のようにヘドロのように、

煙草のヤニのように排水溝の湯垢のように・・

心の底のほうに溜まっていって、

いつか人を蝕んでいくものなのかもしれない。


これは「自戒」だ。

「傲慢」と「不寛容」が、そんなイコールで結びつくとは

考えたことなかったからさ。


俺の見果てぬ目標は

「(気に入らない物事を含めて)世界をすべて受け入れること」で、

そのことは

気が遠くなるほど困難だ・・・・・と思ってるのだけど、


そういう風に思ってしまうこと自体、

自分が「いかに傲慢か」ってことの表れ・・・・・なの

かもしれないよね。






松葉杖でもライヴは出来ることに感謝。

2012年10月8日(祝)はROCAで、

大阪・十三・CLUB WATERに登場します。











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精妙

2012-09-21 10:53:26 | Weblog


しかし、人間の身体というものは何と精妙に出来ているのか・・・と

感嘆しきり、である。


「歩く」という動作。そのことって、ウン十数年、俺が

本当に何の気なしにおこなってきた基本動作のひとつである。

考えてみれば・・・新生児のときは歩けなくて(覚えてないけどさ)、

「はいはい」を経てつかまり立ち・・そして歩行へ!

「一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」

と言ったとか言わないとか。


・・・・・・・・・というような経緯を経てきていたのだ。

「歩く」ことは普通の普通の普通だった。


それがここに来て、

・・・・ほんの小さな、ヒザの骨に「ヒビ」が入ったくらいで、


     歩けない。


松葉杖の何と不便なことか。でも松葉杖は素晴らしい、人類の知恵だ。

松葉杖なしでは数メートルも移動できない。

でも

松葉杖があっても、「荷物」なんか持てない。

「重いものを運ぶ」なんて、夢のまた夢。

「走る」?はは、ご冗談を。


十数センチの段差の前で、立ちすくんで動けない自分がいる。

骨のヒビの痛みは、身体の奥深くの痛みである。

無理して歩いたれ・・・と思って足を出しても、激痛の後に力が抜けて、

結局は倒れこんでしまう。


この「激痛」と「その後の脱力」はきっと、身体の安全装置なのだ。

「壊れまっせ」という警告、そして有無を言わさず電源オフ。

恐ろしくよく出来た精密機械だ、身体って。


しかし・・・・・・・・「治る」のだ、全治二ヶ月とは言え。

「自己治癒」するのだ。何も考えてない俺でも、「身体」はゆっくりゆっくりと

「自己治癒」を始めている。

「身体」が俺に「生きろ」と言っている。

(「もうちょっと大事に使え」とも言っているが。)


俺はこんな風にしてまた一歩、君に近付く。

心は融解して、初秋の空気に溶けていく。

風に乗って、そのうち君のところに届くだろう。

インディゴ・ブルーのあの独特の染料の香りがしたらきっと、

その風は俺です。

そんな風が吹いたらその時には

ちょっとでいいからさ、

微笑んでおくれよ。





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試練

2012-09-20 15:55:47 | Weblog


目の前には可能性しかないし、

俺は何ひとつ失ったわけではない。

ちょっと手を伸ばせば君に届くんだってこともわかった。、

何もかもに背を向けてフテ寝するのはもうヤメだ。

俺は人生に感謝するために前進する。

他人にどう思われようが、本気でどうでもいい。

俺は俺として存在するために、復活する。

もっともっともっともっと、十全に生きてやる。

なりふりかまわずに、立ち上がってやる。

そして大声で歌おう、君の歌を。

ギターのヴォリュームはいつも目一杯だ、

そういうのが俺達のやり方だったよね?

試練?そんなのは鼻息で吹き飛ばしてやるぜ。

ハミングしながら、楽々と通り抜けてやるよ、

見てなよ。

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夏の終わりに

2012-09-12 10:41:06 | Weblog


「新しい季節の始まり」

もしくは

「新しい季節の終わり」

どっちだって構いやしないんだが、

それにしても

9月、10月、11月に勝る季節は、ないよね。

誰もがうんざりした顔で見送った夏の終わり、

ほとんどすべてのものに食傷気味なアイスキャンディ。

シースルーとか言って、全然見通せない未来。

逆回転ウオッチ、毒電波時計、クレイジーアワーズ、

まだちゃんと合ってないムーンフェイズ。

それにしても今年の夏は永かった。

アスファルトの上で干からびているミミズの気持ちがよくわかった。

しがみつくみたいにして鳴いているツクツク法師の気持ちも。

ツクツク法師ってセミのなかでも複雑な鳴き方するよね?

はじめのうちはちょっと「練習」したりするし。

子供の頃から気になっていた。

捕まえてみたら透き通った羽根で、小柄で、美しいし。

今思えば・・・捕まえてすぐに、逃がしてあげればよかったのにね。

ザリガニだって、カミキリムシだって、今だったら絶対、

逃がしてあげるんだどな。

どうせ、夏なんてすぐに終わっちまうのに。






10月の「ROCA」は、8日にクラブ・ウォーターに出演。

まだまだ先だな・・・・・・・・・。




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無題

2012-09-10 13:02:22 | Weblog



これ以上はありえない、

それ以外ない。

感情の触れ幅は

最高値を記録した。


僕等が大海の中の藻屑だとしても、

SPLである必然性は

ちゃんとあるんだ。


有機的に接近して、

容量オーヴァーで飛んでしまう。

それでも

世界の中の「綻び」みたいなものが見つけられたら、

それが一番素敵なんだがね。


安定できるほど利口じゃないし、

抜け出せるほどクレヴァーでもない。

裏返っちまうほどヘヴィでもないけど、

簡単にくしゃっと破れてしまうような薄っぺらい紙みたいな心は、

あの頃のままなんだぜ?







次回の「ROCA」のライヴは10月8日(祝)、

十三・クラブ・ウォーター。






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後日談

2012-09-09 10:05:04 | Weblog




先日の京都・西院・ウーララでの「ROCA」のライヴ、

来てくれてどうもありがとうでした。

いい夜になったよ。

10年後に思い出したら懐かしくて貴重で切なくて

きっと、

胸が張り裂けてしまうと思うよ。


大げさか?


・・・・・・・・そうでもないけど。


だって我々は一人残らず、「現在進行中」なのだ。

来年には状況がガラッと変わっちまうかもしれないし、

実際にそうだし。


俺は「後出しの預言者」みたいな気分で、

77年レスポールスペシャルをケースから出しながら

プリテンダーズがカヴァーしたキンクスのヒット曲、

「BRASS IN POCKET」

の大好きな部分だけ、小声で口ずさむのでした。

「I’M SPECIAL・・・SO SPECIAL」と。

(単に「スペシャル」つながり・・ってだけですが。)



そろそろ九月中旬に突入。




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