大天使たちよ、ありがとう。

2018-12-30 13:05:03 | Weblog

ホントに大天使大集合してくれマッシた。

言ってみるものである。

思ったよりも多くの人々、いや「天使達」がアニーズ・カフェに訪れてくれたので

私はとても幸せな気分を一日中

持続することが出来ました。

心から感謝を申し上げマッス。

ほんとうにアリガットでした!


心強いカメラマンの大瀧くんが珍しくアニーズに辿り着く前に道に迷ってしまったので

ヒョウ柄フェイクファーを着てる私の写真はありまセン。

2曲目終わりで暑くて脱いでしまったのです。

やはり防寒性の高い衣服はステージには向かぬ。

当たり前だのクラッカー、などと言ってはいけない。

私は冬は、厚着してステージに立ちたいのだ。

ビートルズのアップルビル屋上でのライヴのような格好が好きなのだ。


それはともかく、

心温まる夜。

皆さんの目に、耳に、

我々の楽曲はどのように映り、響いたのか?

私にはわかりませぬ。

でもきっと、うまくやれたのではないか、と信ずるのみ。


遠くから来てくれた人々のありがとう。

近所から来てくれた人々もありがとう。

バンドのギタリストやベーシストや、その彼女や、レコード会社のひともいました。

お孫さんがいる(!)人も。近所のバーの常連仲間も。

仕事を早抜けして来てくれた人も。

いろんな、いろんな天使達。


アニーズ・カフェはきっと今後、

もっと盛り上がっていくであろう。

一枚噛んでいて良かった。

今後も頻繁に出演させてもらうつもりなので、

また来てクラッサイ、よろしくお願いしマッス。

次のライヴは、年明け早々!

2019年1月5日、難波メレ!

いいライヴをやろう、そういうことを持続していけば理解者も増えるはず。

充分楽しもう、存分に悲しもう、大暴れしよう。

1月5日に難波でお会いできることを期待して

筆を置く年末の私であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・コトリ(←筆を置いた音)。





写真は道に迷った末少し遅れて辿り着いてくれた魅力的なカメラマン、

大瀧くんのものです。アリガットね!
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大天使大集合。本日、京都・「アニーズ・カフェ」にROCA'66登場。

2018-12-29 11:22:37 | Weblog

とても穏やかでハッピーな気持ちのままで

今日のライヴの日を迎えることが出来たことを感謝したい。

誰にともなく、ドモアリガット!


おまけに・・・・昨夜は、俺にとっての「大天使」のような存在の方とお会いして

食事してお話しすることが出来て、もう、マジ卍・・・・ではない、

多幸感に埋もれそうな12月29日のアタシ。


この「多幸感」を持続したままこの先の人生を歩むのだ俺は。もう決めた、そう決めた。

駄目な時にはカサコソ隠れ(←あかんかしら)、

ほとんどのことをニコッと笑い流して行くのだ。

もちろん「過去」は亀の甲羅のように背負っていく。

友だちのことを一生、忘れずに、

今現在、大事なものを大事にするのだ。

日照りの時にはオロオロ歩き、一日に米一合と・・・・ってこりゃ「雨ニモマケズ」だ。



「大天使」は今夜も現れるかもしれない。

ああ、、そうだ、今夜来てくれる皆さんが「大天使」なのだ、俺にとっては。

大天使大集合の年末の京都。

あまりにも、あまりにも、素敵ではないか。


だから俺は今日はヒョウ柄のフェイク・ファーを着ていこう。

そして来たる2019年を祝福しようではないか。

「言いたいこと」を「歌」にしておいて良かった・・・と、しみじみ思う。

俺は今日、「言いたいこと」を仲間と共に大声で歌い、演奏し、

おそらくは飲みすぎて酔っ払うであろう。



本日、夜、京都・京阪電車なら「深草」地下鉄なら「くいな橋」で電車を降りて

10分くらい歩いて国道24号線沿いの地下の素敵なライヴハウス

「アニーズ・カフェ」に来て下さい。

店のオープンは18:00、

我々の演奏は19:00スタートの予定。

チャージは1500円。


手ぐすね引いて・・・・・地下で、待ってます。

「大天使」達よ。


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12月29日、京都「アニーズ・カフェ」にてROCA'66ライヴ。

2018-12-27 21:35:04 | Weblog

年末年始にライヴがいくつか決まってるので

それ用にチラシつくってみたのだ。


とりあえずは直近(ちょっきん♪)の、

12月29日、土曜日。

京都は深草(地下鉄なら「くいな橋」)の

「アニーズ・カフェ」にて。

店のオープン18:00ライヴのスタート19:00

我々ROCA'66の後に、モンスターロシモフも出演。

チャージは1500円。

2018年の総決算・・・・みたいな感じで、

楽しく演れたらいいな、と思ってマス。

HOLYな年末に、

一体、どんな風に、我々の楽曲が響くのか?

とても楽しみだし、

ここに来て何かひとつ、

「殻が破れる」ような感じがあると、とてもいいな・・・・などと

漠然と思ふ、年の瀬を前にした道子なのであった。

でもまあ、固いことは抜きにして飲んで楽しもうではないか友達よ。

今年は「いいこと」が沢山あったよ。

政治とか・・・・・そっちのほうではまた「ろくでもない」一年だったけど。

希望を失わずに我々は、前を向いて生きていこうではないか。

「よかったこと」や、「美しいもの」すべてを祝福しよう。

2018年の12月29日にライヴ演れることを嬉しく思う。


来れる人は全員、来て下さい。



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12月29日、京都「アニーズ・カフェ」にてROCA'66ライヴ。

2018-12-27 21:03:55 | Weblog

年末年始にライヴがいくつか決まってるので

それ用にチラシつくってみたのだ。


とりあえずは直近(ちょっきん♪)の、

12月29日、土曜日。

京都は深草(地下鉄なら「くいな橋」)の

「アニーズ・カフェ」にて。

店のオープン18:00ライヴのスタート19:00

我々ROCA'66の後に、モンスターロシモフも出演。

チャージは1500円。

2018年の総決算・・・・みたいな感じで、

楽しく演れたらいいな、と思ってマス。

HOLYな年末に、

一体、どんな風に、我々の楽曲が響くのか?

とても楽しみだし、

ここに来て何かひとつ、

「殻が破れる」ような感じがあると、とてもいいな・・・・などと

漠然と思ふ、年の瀬を前にした道子なのであった。

でもまあ、固いことは抜きにして飲んで楽しもうではないか友達よ。

今年は「いいこと」が沢山あったよ。

政治とか・・・・・そっちのほうではまた「ろくでもない」一年だったけど。

希望を失わずに我々は、前を向いて生きていこうではないか。

「よかったこと」や、「美しいもの」すべてを祝福しよう。

2018年の12月29日にライヴ演れることを嬉しく思う。


来れる人は全員、来て下さい。



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T.カポーティ「夜の樹」より

2018-12-23 18:37:50 | Weblog



昨日は確か冬至で満月だったはず。

美しく月は輝いていたが、

ラジオ(WEEKEND SUNSHINE)は半分しか聴けなかった。


まるで重力が200倍の惑星に来てしまった星間旅行者の様に

草臥れ果てている私にも年の瀬は近付きつつある。


ふと思い出して

トルーマン・カポーティの傑作短編集「夜の樹」を再読していた今日。


あまりにも素晴らしかったので、一部だけでも引用してブログ読者の皆さんにも

文学の香りのおすそ分けをしよう、と思った。


それでは、行きます。

引用は

新潮・世界の文学

T・カポーティ作「夜の樹」

龍口直太郎 訳


短編 「最後の扉を閉めよう」より




以下引用





アンナは私を愛しているだろうか?

アンナはこう答えた 

「あら、人の眼に見えるままのものなんて、今まであったかしら?

今オタマジャクシだと思っていたら、もうカエルになっているのにさ。

金のように見えても、いざ指にはめると、緑色の輪が残るわ。

わたしの二番目の夫を見てごらんなさい。とってもいい男に見えたのよ。

でも、似ても似付つかぬ げす男だったわ。

この部屋を見まわしてごらんなさい。ね、

あの暖炉じゃ香はたけないし、あの鏡にしたって、空間を写しはするけど、

人の眼を欺くでしょ。

ねえ、ウォールター、目に見えるままのものなんて、何一つありゃしないのよ。

クリスマス・トリーはセロファンでできているし、

雪は石鹸の削りくずでしかないわ。

”魂”とか呼ばれてるものがわたしたちの内部を飛びまわっているのよ。

だから人間が死んでも、死んではいないのね。

そうよ、それに、わたしたちは生きていても、けっして生きてなんかいないのよ。

それなのに、あなたはわたしがあなたを愛しているかどうか知りたいと言うの?

バカなこと言いっこなしよ、ウォールター、

わたしたちは友だちでさえないのにさ・・・・・・・・・・」





引用終り









文中に、偶然にもクリスマス・トリーなる言葉が出てきて、つまり、

この台詞が口にされた時はきっと、今頃に近い季節だったのだな。



冬至おめでとう、ついでにクリスマスも。

そうそう、12月23日が祝日なのは今年限りなんだってね。

「平成最後」とかはけっこうどうでもいいんだが、

それだけはちょっと、惜しいかな、と思う。











そういえば・・・・友達に、冬至が誕生日だった・・・っていう人がいたよ。







来週の土曜日は

京都・深草(地下鉄なら「くいな橋」)のライヴハウス、

「アニーズ・カフェ」で会おう。


何?って・・・・・ROCA'66の、年内最後のライヴだからさ。


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本物・オリジナリティ・意味・グルーヴ・ファン・インタレスティング・イマジネーション。

2018-12-18 21:34:24 | Weblog

誰もが足掻いている、「本物」になるために。


いや・・・・・・・・・・ちょっと違うな。


自分が「本物」であることを周囲に、世間に認めさせるために、

誰もが足掻いている・・・・・のかもしれない。


何が「本物」で何が「偽者」か、を決定するのは、

僕の世界においては、他の誰でもない、僕自身である。



僕は「本物の才能」を持った奴等と付き合ってきたし、

今でも そういう奴等が好きだ。

でも、そういう「本物の才能」をたとえ持っていても、

それを世間に認知させるのは、至難のワザだ。


でも、そんなのは・・どーでもいい、とも言える。


「本物」とか「偽者」とかも、どーでもいいし、

世間に認知、なんてね。馬鹿らしいの極致だ。


本当にオリジナルなものを創れるなら、それでいいのだ。

そこには、確固とした「意味」がある。

そして、「意味」があるものにはきっと、「グルーヴ」も宿る。

オリジナリティと意味とグルーヴがあれば、我々はいつでも

「楽しむ」ことが出来る。


この「楽しみ」は、

カタカナで英語で言えば「ファン」と「インタレスティング」の両方の意味を持つ。

ニコニコ笑って楽しい(ファン)のも、もちろんイイが、

それだけじゃなく「興味深い」という方の「楽しみ」(インタレスティング)は、

しかめっ面してる時もある。泣きそうな時だってある。

それでも、楽しんでいるのだ我々は。


そして、楽しみながらも、足掻く。

不特定多数の人に聴いて欲しい、という欲求はもちろん、あるから。

多くの人に その「意味」を投げかけるために。

そしてその、個々のイマジネーションに触れれば

「意味」と「グルーヴ」はさらに膨らむ・・・・ハズなのだ。



少なくとも僕は、

そのために足掻いている。



ROCA'66の、2018年を締めくくるライヴは京都・深草で

12月29日土曜、「アニーズ・カフェ」という素敵な地下のライヴハウスにて行います。


モンスター・ロシモフと2マンで、

我々の出番は先。スタートは19:00、

店のオープンは18:00なので、早めに来て、ゆっくり飲もうぜ。




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ラジオ・デイズは豊穣に続く。

2018-12-16 14:28:45 | Weblog

ラジオ文化って好きだ。

僕はテレビを嫌悪しているのだけれど、

両方とも「マス・メディア」だ、という点では同じようなものなのに、これほどの違いがあるのは不思議だ。

やっぱ様々な歴史の積み重ねでこうなったのであろうと推測する.

同じようなもの、と簡単に言ってしまったがやはり、

映像というものの存在と、影響力はものすごいもの・・・なのであろう。

音楽はもちろん「音」で表現される芸術なのだが、

映像と音楽が結びつくと、とても強烈なものになる。

でも映像って、一面的、というか、人間の想像力を限定してしまうきらいがある。

ロックとかポップスでよくある、PV(プロモビデオ)とかも、昔はとても好きだったのだが

時々、映像のせいで音楽が邪魔されてる・・ようなものがあることにある時、気付いた。

例えば・・・今パッと思いつくのが、テイラー・スィフトのちょっと前の大ヒット曲

「シェイク・イット・オフ」。僕は映像ナシで聞いて、曲の良さに気付いた。あの曲大好き。

まあそれはともかく、

ラジオなら車を運転しながら聴いていても当然、何の問題もない。

クルマ運転しながらテレビ見るのはよくないと思う。

音だけだと、言うまでもないが音楽って本当に豊かだ。イマジネーションが何処までも広がる。

昔ならしかし、FMばかり聴いていたのだが最近のFMは質が落ちている。

かかるのは下らないJポップばかりだし、話題も本当に下らない。若者向けなのか?

関東のインターFM、関西ならFMココロが、ほぼ洋楽ばかり流してくれるので有難い。

Jポップの宣伝媒体みたいになっているFM局って、いい加減どうにかなってほしいと思う。

Jポップだって、「いいもの」は絶対、ある(であろう)のにラジオではかからない。

まあいい。

AMラジオは時事問題とかが語られることが多くて、お堅いが、マトモで、いい。

そういえばだいぶ以前に村上春樹が外国住まいのころにエッセイで、

「アメリカでラジオを聴いていて思うのは

ラジオ番組のパーソナリティって”喰えないオッサン”が多いなあ、ということだ。」

というようなことを言っていた。どの本だったか思い出せないので、引用はテキトーだが、

確かそんな内容のことを言っていた。

・・・・・・・さもありなん。

しかし、日本でも考えてみたら、AMラジオのパーソナリティって、

「煮ても焼いても喰えないオッサン」ばかりだ、と思う。

しかし、そういう・・・やっかいなニンゲンの方が絶対面白いのだ。

若い奴なんて経験も蓄積もないし、当たり障りのないことしか言わない。

「喰えないオッサン」は面白い。

僕はMBSラジオの名物、ハマムラジュンは嫌いで、聴かないのだけれど(あれは喰えなさすぎる)、

その前の時間帯にやってる番組のコモリヤスノリというパーソナリティがとても面白い。

まあ、この人も見事に「喰えないオッサン」なのだが、マトモだし、感じがいい。

新聞各紙読み比べ、などということも毎日やってるし、社会意識も高い。リベラルだし。

MBSなんか、聴くのはその朝の番組だけなのだけれど。

でもやっぱ一番いいのはインターFMの「レディ・ステディ・ジョージ」と

同じくインターFMの「バラカン・ビート」と

NHK・FMの「ウィークエンド・サンシャイン」(DJはピーター・バラカン)だ。

そうそう、怒髪天の増子兄ィが東海ラジオでやっている「TSUTAYA LIFESTYLE MUSIC」も最高。

NHK第一ラジオの「すっぴん」では毎週金曜日、作家の高橋源一郎がパーソナリティを勤めているのだ。

それも毎週素晴らしいし、

もう4ヶ月も前になるけれど今年の八月には何と、村上春樹も、一度っきりだったが、

ラジオ番組のパーソナリティをやった。

ラジオってすごい。


そういえば こないだ磔磔で会った時、増子兄ィも言っていたのだけれど

「レディ・ステディ・ジョージ」は微妙に、選曲の趣味が変わりつつあって少し哀しい。

以前は90年代グランジ系とかシューゲイザー系とかが圧倒的に多かったのだけれど

最近はヒップホップも時々かかる。

むむむ。

せっかくラジコ・プレミアムで、すがりつくようにして聴いているのだから

ジョージ・ウィリアムズには頑張って踏ん張って欲しい。

あ、増子兄ィ、次に会ったときには

「レディ・ステディ・ジョージ」の特製ステッカー、よろしく頼むね~!




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MOONに関するエトセトラ。

2018-12-14 21:24:08 | Weblog

今夜も月が、とても綺麗に輝いている。


月を眺めるたびに思うのだけれど、僕は

あれが地球の衛星で、つまりはひとつの球形をした「天体」である、ということを

誰も知らなかった時代に生まれたかった。

だって・・・・何も知らなければあれは、ものすごーくミステリアスだと思うから。


何故毎日形を変えるのか?

どうしていつも違う位置にいるのか?

何故輝くのか?

そもそもあれは一体「何」なのか?


現代人はただの「知識」として、

あれが地球の衛星で、地球の周りを回っていて、

太陽の光を反射して輝いていて、

形が変わるのは反射光の角度(と地球の影)の問題で、

1969年にはあそこに、アメリカ人がロケットに乗って到達し、上陸し、アメリカの旗を立てて帰った・・・


というようなことを「知って」しまっている。


しかしだよ。

そんなのって、「知っている」という錯覚でしかないのだ。

だって「衛星」って何だよ?そんなの、何の説明にもなっていない。


しかし、アメリカ人が既に「行って」しまっている、というのは痛い。

あの「アポロ計画陰謀論」が本当であれば、どんないいいか・・・と思う。

でも「アポロ陰謀論」は、戯言でしかない。哀しいけど。


空気もない、ウサギもかぐや姫もいない、荒涼とした砂漠のごときの荒れ野が広がるだけの

「星」なのだあれは間違いなく。


僕は想像する、明治・・・とか江戸とか、それ以前の時代の親子の会話を。

子「父ちゃん、あれは何なの?」

父「あれは月だ」

子「何で満ち欠けするの?何で光るの?何で毎日場所を変えるの?」

父「わからない。誰も知らない。太古の昔からあれはああで、意味も理由もない」


ああ、そういうのっていいなあ。


現代なら


子「父ちゃん、あれは何なの?」

父「あれは地球の衛星だ。地球の周りを廻ってる。

地球の自転速度と同じ速度で自転しているから

地球から見たら月は自転していないように見える。

光ってるのは太陽光の反射だ。満ち欠けは反射の角度と、地球の影だ。

あそこに、ロケットに乗って、人だって行ったんだ。アメリカ人だけどな」」


などと答えたところで

その本質は

「太古の昔からあれはああで、意味も理由もない」という事に変わりはない・・・・

ような気がする。













そういえば僕は一度、アポロの着陸船みたいなのに乗って

月に行った

という、すごくリアルな夢を見たことがある。

最高にエキサイティングでワクワクする夢だった。


着陸船の窓ガラス一枚隔てて、外は本物の「月世界」だったんだぜ?


もしかしてあれは夢ではなかった・・・のではないだろうか?

と今でも心の何処かで、

思っている。











しかし、今思えば

アメリカの旗立てて帰って来る、なんて アメリカ人って・・・・・・・・

無神経で大雑把でテキトーだよな。



あいつらのそーゆーところは大キライだ。











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「世界」から消えつつあるもの。

2018-12-10 22:10:01 | Weblog

公衆電話とか電話ボックスとか。

昔はどこにでもあった。昔って言ってもせいぜい・・・15~20年前かな。

ああ、そんなの・・・じゅうぶん昔かも。

昔なら公衆電話なんて、「探す」までもなかったと思うんだけど、

今では見つけるのが至難の業だよね。

見つけたときには何だか、忘れられた古代の遺跡を掘り当てたような気になる。


最近見なくなった、と言えば

「モード系の若い男」というのも、一昔前は繁華街でよく見かけたものだった。

スカートをはいていたり、左右非対称だったり、けっこう地味に奇抜な格好をしていた。

色目は抑えていたり、モノトーンだったりするので、派手ではないのだ。

あれはファッション専門学校の生徒だったのだろうか?

俺もちょっとやってみようかな・・って言う気には、なれなかったのだけれど、実は

心密かに応援していたのだが。

今はもう、見かけることもない。



コカコーラの空き瓶、みたいなのも、めっきり見かけなくなった。

あれはリサイクル的に素晴らしい、よく出来たシステムで

(「デポジット」、とか言うんだっけな?)

あの瓶は洗浄して何度も何度も使われていたのだ。

だから新品のコーラを買っても、瓶がキズだらけ、ってことも、よくあった。

別にそんなの、気にもならなかったが。

あのシステムは今考えても画期的で効率的でエコで、何と、

空瓶を回収して小売店に持っていけば、一つ5円(だったかな?)で買い取ってくれたのだ。

子供だった頃、オカネが欲しくなったら時々、街中の空き瓶を集めて回った。

それなり小銭にはなったし、それで充分だった。


あと、煙草に関するあれこれ・・・・が世界から姿を消しつつあるかもしれない。

街角の煙草屋の多くが潰れたし、煙草の自動販売機もめっきり減った。

クルマを運転しながら煙草を吸っている人もずいぶん減った。

喫茶店からは灰皿が消えつつあるみたいだし、

新し目のクルマにはそもそも、灰皿なんか付いていない。

新幹線の喫煙可能車両も消えた。

そうそう、これはそれ以前からなのだけれど、

マッチも、見かけなくなって久しい。

「マッチ売りの少女」なんて童話も近い将来、

子供達には「意味がわからないもの」になるかもしれない。

そのうち・・・・ライターさえ、見かけなくなるのであろう。


「世界」から消えつつあるもの。

ずっとずっとずっと先には、ケータイやスマホですら「消える」のではあろうけど。



諸行無常の鐘が鳴る。
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すごい奴等、怒髪天。

2018-12-09 13:09:54 | Weblog

昨夜は京都・磔磔へ怒髪天に会いに行った。

彼らが毎年やっている「響都の宴」を見に行ったのだ。

俺は実際、毎年行ってる気がするんだけど、きっとそうだろう。

満員御礼、チケット売り切れのワンマンライヴ。

素晴らしい内容だった。2時間!タフだねえ。

新曲が中心だったが、懐かしい曲なども織り交ぜてのまったく飽きさせないライヴ。

俺もしっかり、じっくり、楽しませてもらった。

途中、ふと周りのお客さんの顔をチラ見していたのだが、

もうみんな、強烈に嬉しそうな顔ばかりで、

こういうのって本当にすげえなぁ・・・・と改めて思った。

輝く目、そしてはち切れそうな笑顔。

こんなに大勢の人を、ここまで楽しませることができるなんて、

すごいことだ。

演奏ももちろん切れっ切れの練られたもので、

やっぱライヴってのは何ものにも代え難い「喜び」であることだなあ・・・としみじみ思った。

しかしあれだけの人並みの中で身動きもままならないままの2時間は

楽しいながらも体力的にはツライものもあった。

トイレに行くのも一苦労・・・どころか、

「一大決心」をしなければトイレに辿り着けない。

こーゆーのがツライのはやっぱ、俺が歳喰ったせいなのだろうか。

いやー、みんなアレはツライと思うけどな。

それはともかく。



最近はしょちゅうラジオで増子兄ィのラジオを聴いているので、

終演後に本人と会っても久しぶりな感じが全然しなかったのが可笑しかった。

メンバーたちも全然変わらない。


昨日、今日と、磔磔での怒髪天の「響都の宴」は2日間続く。

今日、12月9日はあのKEN YOKOYAMAと2マンでやるみたい。

怒涛のパンク・ライヴになるのであろう。

トイレ行く・・とか言ってられないんだろうなあ。俺は今日は行けないんだけどさ。


そうそう、増子兄ィがラジオで言ってたこと、

つまりKEN YOKOYAMAは昔(1990年ごろ)下北にあった「屋根裏」の店員だった、

というのを知ってから、ものすごく親近感が湧いてしまっている。

俺の居たランブルフィッシュはそのころ、そこに出演しているし、

現・ROCA'66のベーシスト・伊藤も当時彼が在籍していたバンドでそこでランブルと対バンした、

というようなことを言っていた。

それなら、俺も、伊藤も、KEN YOKOYAMAと会っていてもおかしくないのだ。

会った、と言っても出演者とスタッフとして、

「おはよーございまーす」とか言い合っていたくらいだろうけど。

ただそれだけの縁、と言えばそうだが、何となく嬉しい。


増子兄ィ、昨日はアリガトね!

今日も頑張って、すげえライヴをやってかましてくれ!



今週ももちろん、ラジオ聴くし!

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