今日で2020年も終わり。
世間的に激動だった今年・・・の大晦日は、
年末らしい寒さ。
ここ最近は読書から少し離れて生きていて、
それは日々の糧を得るための「仕事」が忙しかったせいで、
そういうのは人としてそんなに極悪なことではないよな・・・・などと
自己弁護的に思うのだが先日やっと、年末の休暇が訪れたので僕は
近所のブックオフを訪れて、何冊か本を買った。
この辺りは引っ越してきた頃は小さな古本屋が何軒もあったのだが、全部消えてしまって・・・・・・
今では巨大なブックオフが大きな顔をしている。まあ、本が買えりゃそれでいいんだけど。
この年末年始は、
例によって例のごとくの「新型コロナウィルスの感染拡大防止」の観点から
帰郷を断念していて、まぁ無理やり帰ったっていいのだけれど向こうも迷惑であろうし、
京都にずっといることにしてるので、読書くらいしてもバチは当たらないであろう。
しかし読書から少し遠ざかっていたので、新刊情報とか、この作家が・・・みたいな狙いもない。
まったくアテなくブックオフの書棚をさまよったのだが、
やはり書棚の迷宮にはいつでも、興味深い本が僕を待ってくれているのだ。
まず、フィリップKディックの「ザップガン」を発見した。多分、新訳。
まだ読んでないディックの小説!これ程嬉しいものは、他にはなかなかない。
そして次に・・・・尾辻克彦。これって確か、赤瀬川源平の変名だったよな。
「父が消えた」という小説。確かこれは、大昔に、芥川賞を受賞してるハズ。
僕は、赤瀬川のファンなのだけれど、この「尾辻」名義の小説にはまだ、手を出していなかったのだ。
ほくほく。赤瀬川ならきっと、面白いに違いない。
そして出口近くで発見したのが写真の、村上春樹の「村上T」。これは古本ではなくて、新刊。
村上さんのTシャツコレクションの一部が、写真と文章とともに紹介されている、という
ユルい本。
ウチに帰って、鼻風邪気味でもあったので布団に潜り込み、本を堪能する。
すると、「村上T」の中に、衝撃の一文が。
一文、というか、巻末の、編集者によるインタヴューのなかで村上さんがこう言ってるのだ。
「この前、京都のブックオフでラモーンズのTシャツがあったので、これはいいやと思って買いましたけど」
ついさっき京都のブックオフで買った本に、このような文章が載っているとは、
なかなか楽しい偶然ではないか。
しかも村上さん・・・・京都のブックオフにいたりするのね。
京都といっても実は広いから(例えば舞鶴なんてはるか遠くだ!)、ブックオフは何軒も何軒もあるし、
全然「偶然」じゃないのかもしれないけど、
村上さんの小説を1983年くらい・・高校生だったころから読み始めた「初期からの支持者」
を自認している僕としては、嬉しかったのだ。
しかもラモーンズ。ラモーンズは、数あるバンドの中でも重要なバンドである。
僕ももちろん大好きだし、来日公演を見に行ったこともあるし、
ラモーンズゆかりの、NYのCBGBに出演したことすらあるのだ僕は。
そして、尾辻克彦の「父が消えた」も、予想通り、とてもとても興味深く、
面白おかしく読めた。変名を使っているので、全然違う感じで書いてるのか?とおもっていたのだけれど、
全然、いつもの、あのとぼけた風味の「赤瀬川源平」全開だった。カメラのこと言ってるし。
ただちょっとこの時期彼は、自身の文体で「純文学」に挑戦しよう、という
気概があったのかな?と思わされた。
赤瀬川さんも亡くなって久しい。
この表題作の「父が消えた」の初出が1980年の「文学界」だそうだ。
僕は、まだ14歳・・・・・・。福山の中学生だった僕はこの年、土井健と出会っているはず。
そしてこの「父が消えた」が文庫化されて第1刷が1986年8月、と奥付にある。
僕が20歳になる直前で、しかも「アメ村入り」する直前。
自分の中ではその頃って、激動の時代 なのだ。
人生がガラン、ガランと大きな音を立てて変わっていった時期。
その頃に、世間を賑わせていた本なのだ、と思うと
感慨深いし、愛着も湧く。
それを21世紀の今、このコロナでまた激震している世の中の、
京都の端っこのブックオフで買ってきたこの本を、
老青年になった僕が読んでいる。
村上春樹がそこでラモーンズTシャツを買ったかもしれないブックオフで。
考えすぎかもしれないけどさ。
そういえば村上さんって、産まれは京都なんだよね。
もしかして、親戚とかいるのか知らん????
「ザップガン」は、年始のお楽しみ。
ぶっ飛び過ぎてついていけない・・・・ような作品でないことを祈る。
(ディックには、たまにある。)