小さな絶望

2010-06-29 07:13:10 | Weblog
おとといはこの曲やりました。





小さな絶望


擦り切れる寸前のダイヤモンド

舗道の上は破れた夢ばかり

きっといくつもの夜が混ざり合って

いつか君にまた会うとき


すべてのことが意味を失う

僕はその時を 待ち続けてる


風が吹けばすぐに飛んで行く

足りないのは一体何なんだろう?

時間だけが冷たく過ぎて行く

二度とないのに 二度とないのに


すべての夢が息を吹き返し

ただそれだけが 真実になる


何も残さずに消えてしまうことばかり

誰も知らないけど それでいいのかも知れないぜ


すべてのことが

すべての夢が

今 この瞬間も

今 この瞬間も

ラララ


詞・曲・片山道郎
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨の夕べに

2010-06-25 21:35:17 | Weblog
思うんだけど


ただ「綺麗だから好き」ってのも何だか

悪くはないんだけど、

そういうのってずいぶん・・・・・・・

「実用的」な感じがしないか?

いや、だから俺はそんなんじゃなくて・・・・

って言うか、君の綺麗さは尊重する。


でもそれ以上に、君の奇妙で外れたセンスの方に

惹かれたりとかするんだ。

センスが悪いって言ってるんじゃないってば。

「良い」って言ってるんだぜ。


だって

調子っ外れのギターなんか好きだったんだろ?

・・・・・・・・・・・・・・。


そんなの、趣味がいいの極致だぜ。

”調子っ外れのギター”は、見果てぬ夢の象徴だ。


って言っても、

一般的な観点ではそんなの・・

美しくもないし、音楽的でもない。

でも簡単に見過ごして欲しくはない・・っていう。

そりゃそうだけど。


だからそーゆーところが好きなんだってば。

そーゆーのを見過ごさなかったところ、が。


いや、だからそーゆうところを含めてだな、

何だ、その

何て言うんだ、あー、・・・・・・・。


・・・昔「あー、うー」しか言わない首相っていたよな。


いやそんなのはどうでもよくてだな・・

どうでもよくないのはアレだ、アレ。


え-っと・・・・

何が言いたかったんだっけ。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人称単数

2010-06-23 12:43:52 | Weblog

普段は何も考えずに「俺」って言っている。

子供の頃は「僕」って言ってたな。


広島の(男の)子供は、「わし」って言ってた。本当に。

今でもそうだと思う。

初めて聞いたときはインパクトあったな。

幼児が「わし」って・・。

まあそれはいいとして。



村上春樹さんの(初期の)小説の主人公は「僕」だ。

名前さえ紹介されない。

初期三部作の次の長編作品である

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では

「ハードボイルド・ワンダーランド」の方の主人公は「私」だった。

「世界の終わり」の主人公との違いが明確だったし、

なによりもチャンドラー風味が効いていて、とてもよかった。

「私」=「僕」であることがだんだんわかってきて、

それはそれでとても内面的で切なかった。



中島らもさんの本においても、一人称代名詞はずっと「僕」だったのだけれど

晩年に「俺」に変わった。少し違和感があった。


最近読んだわりにしょうもない「食」に関するエッセイ本で、

(賞賛にも罵倒にも値しないので著者の名前も出さない。)

著者が自分の事「俺」って言っていて、

何か意味もなくエバられてるような感じがして不快だった。


でも例えばもし、山口富士夫さんの自伝で自分のこと「僕」って言ってたら

それは「変」だ。

キースリチャードもきっと「僕」って言わないよな。



「僕」だと弱すぎるし、「俺」だと尊大すぎる。

日本語は、喋る相手が「年上」か、「年下」か、

もしくは「格上」か「格下」か・・・を見極めないと

話し出す時に「僕」か「俺」かを選ぶのも困難だ。


相手との「距離感」というのもあって、

打ち解けた間柄だったら俺だって、年上のひとに「俺」って言う。


謙譲の美徳、というのも根深い。

尊大に構えて自慢話をする、なんてのはタブーだ。

そんな奴、いっぱいいるけど。


いろいろと面白くもあるのだけれど、

面倒臭いと言えば面倒臭い。


「俺」と「僕」の中間があればいいのにね。


永遠の「ないものねだり」だ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 I SAW YOU 

2010-06-22 13:08:08 | Weblog
祖母の夢を見た。

夢の中では俺は古い日本家屋に住んでいて、

そこを祖母が箒でゆっくり掃いていた。

(祖母は近くに住んでいるという設定だったみたい。)

「そんな風に掃除なんかしてくれてると何だか、

ちゃーちゃん(祖母の愛称)とここで二人暮らしてるみたいだね」

って言ったら生前のいつもの優しい顔で

静かに笑った。

いい夢だったな。

きっと本当に近くにいてくれてるんだろうな。


そういえば昨日読んでいた

ねじめ正一の「高円寺純情商店街」という

連作短編の小説の舞台は

昭和30年代の東京・高円寺の商店街で、

ねじめ氏の記憶に基づいた街や、当時の雰囲気が

丹念に描写されていてとてもいい感じだったのだが、

読み終わって突然気付いた。

その風景の中に若かったころの「ちゃーちゃん」が

いてもおかしくないのだ。

いや、まちがいなくいるだろう。

だって早稲田通りなんてほんの近所だし。

しかも、昭和30年代後半だったら「ちゃーちゃん」は、

今の俺と大体同じくらいの歳なんじゃないか?

不思議な感じ。

お母さんなんかまだ十代の娘さんだよ。

むむむ・・

「時間」って不思議。




    本当に不思議。




昨夜は敬愛するドラマー、

チマキさんと伏見の居酒屋でたっぷり飲んだ。

とても楽しかった。

こんなのもあと30年くらい経ったら

ほんのささやかな「歴史」の一部になっていたりするのかな。



世界って不思議なことばかりだよね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画の続き

2010-06-17 17:28:56 | Weblog


ずいぶん遠くなってしまったけれど、

未だに親密な気がして仕方がない街。


薄汚れた歩道橋はあと何年も経たないうちに

立て替えられてしまうだろうけど

僕はあそこを通るたびに、

映画の続きを生きてるような気がしたものだった。


あの頃の街角で僕等は

現実と非現実の境界を越えて、

終わらない物語の中に

入り込んだのかも知れなかった。


だからすべては続いていて、

手に汗握る展開もあったし、

すごいどんでん返しもあったけど。


でもそう考えると確かに、

いろんな辻褄が合うかもしれない。


これはMOVIEの続きなのだ。

ひとつの物語なのだ。


どうしてかちょっとシュールで、

少しばかり限度を超えた


僕等の。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仔猫

2010-06-15 14:05:39 | Weblog


朝、草むらで仔猫を二匹、見かけた。

兄弟なのか姉妹なのか・・それとも弟妹か。


仔猫が仔猫でいる期間ってすごく短いはず。

半年もないんちゃうかな。


ずっと仔猫のままでいてくれたら可愛らしくていいのに。

いや、オトナ猫だってもちろん魅力的なのだけど、

「仔猫」というのはどこかしら特別なのだ。

そう思わん?


しかしそんなこと言い出したら、

恐ろしくキリがないことに気付く。

「時間を止めて欲しい」と願ってるようなものだ。


考えてみたら俺だって子供だった頃、

大人になんかならないつもりでいた。

本気でそう思っていた。


でも今考えたら、子供ってあまりにも無力だ。

今の俺は、子供の頃に比べたらとてつもなく幸せである。

生活は楽しい。

毎日そう思う。

大人になれてよかった。

まあ・・それはいいとして。


仔猫時代なんて、短いからこそいいのかも知れない。

あの魅力的な皆既日食だって、

もしも長く続いたら・・・・・

ただ暗いだけで、

はた迷惑な現象だったかもしれないよね。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月のライヴ

2010-06-11 10:15:10 | Weblog
ライヴの告知しとかなきゃだわ。


片山道郎エレキギター・ヴォーカル、

カミグチシンヤの爆裂ドラム、

あきらくんのグルーヴ・ベース。

我々三人でやってるバンド、

ロカ。


月一回ペースでライヴやってるのだけれど、


6月は毎年やってる

十三クラブ・ウオーターでの

「アワタエイゾウ追悼ライヴ」に、

ロカで出ることにした。

6月27日、日曜日。


大阪のバンドトモダチがけっこう大集合して、

毎年酔っ払って馬鹿騒ぎをしてるような日。


もちろん、

アワタエイゾウ氏のこと知らなくても

全然問題ないデス。


短時間しか演奏できないけど、

来れる人は来てね。


ノーチャージ、

夕方5:30スタート。

ロカの出番は・・真ん中くらいなので、

何時くらいかな・・よくわからん。7時半くらいかな?


ワームスも出るし、ボケロウも、ミライノス出るよ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「本を読むこと」

2010-06-09 13:50:18 | Weblog

本が好きなのは、子供の頃からそうだった。


わりに身体の弱い子供だったので、

学校を休んで布団に潜って読む本は

現実逃避的に幸せだった。

学校では、算数の時間でも国語の教科書を読んでいた。

でもそんなのは単なるひまつぶしである。

しかし新しい教科書をもらっても一週間目にはもう、

国語の教科書は全部読み終わっていた。

教科書にも面白い話が載っていたりしたのだ。

宮沢賢治の作品に初めて出会ったのは(みんなそうだろうけど)、

小学校の国語の教科書だ。「やまなし」だった。

俺の小学校の卒業文集には「やまなし」の感想文が載っている。


高校生のときにまだ小さくて白黒だった雑誌「宝島」で

M上H樹氏のインタヴューを読んで興味を持って、

彼の作品世界の虜になった。

まだ「初期三部作」が完結したばかりだったのだけれど、

(1984年頃かな。)

それから彼の作品は出たらすぐに買うようになった。

そこから、彼の影響された(と言われている)作品を

読んでいったので、当然、アメリカ文学に接近していった。

カート・ヴォネガットJR、、レイモンド・カーヴァー、

ジョン・アーヴィング。


また別の、ロック・リスナーとしての方向から、

ビート文学にも接近した。ジャック・ケルアック、

ウイリアム・バロウズ。ギンズバーグはよくわからなかったけど、

後年、好きになった。あとゲイリー・シュナイダー。

このへんは、佐野元春氏からの影響が大きいと言える。


また、全然別の方向から、J・D・サリンジャーのファンになった。

バンドやってて知り合った女の子がくれた

初期短編集がきっかけだった。

はじめはよくわからなかったけど、何度も読んでるうちに

深い森で迷うみたいにサリンジャー世界に魅了されていた。


偶然なのかそうでないのか、全部アメリカ文学だ。

でもそんなのと並行して、中島らもさんの作品もずっと読んでるし、

SFも大好きなのだ。

「奇想」ということにかけてはSFにかなうものはない。

P・K・ディック!・・・そういえばディックもアメリカだな。


それはまあ、ともかく。


ずっと古本屋が大好きで、とにかく日常的に覗きに行くし、

バンドのツアーで行った土地とかでも

古本屋があれば見に行った。


つれあいのひとのおかげで、古本屋の店員をやったこともあるし、

とにかく古本屋を抜きにしては俺の生活はありえなかった。


しかし京都に来てから、「図書館」にはまっているのです。


週一で7~8冊のペースで借りては読んでいる。

驚いたのは、古本屋では出会えなかった本に新たに、

いくらでも出会えるということだ。

ガルシア・マルケスなんて古本屋には出回っていなかった。

アーネスト・ヘミングウェイが好きになったし、

今は谷崎潤一郎に興味を持っている。

まだまだ世の中には、読んだ事のない面白い本があるのだ。


とても幸せである。


今からまた、図書館に行ってきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オノマトペ

2010-06-07 14:02:02 | Weblog



オノマトペというのは擬音語(擬声語)・・のことで、、

つまり「音」(「声」)を言葉で表したものをいう。

(「擬態語」のことも指すが、それは今、置いておく。)


「ガチャン」とか「パリーン」とか、「どっぽん」とか。

風が「びゅうびゅう」吹いた、とか。

「メソメソ」泣くとか。

いくらでもあるよね。日本語はこれが多くて、

オノマトペがないと成り立たない言語なんだそうだ。


でも英語とかにも、もちろんある。

エフェクターの「ワウワウ」はオノマトペだし、

有名なライターの「ジッポ」なんてよく出来たオノマトペ

なんだけど、それがそのままが社名になってる。

「テケテケ」ってのもオノマトペだな。

しかし日本語なのか英語なのかわからんよね。


英語だったら

犬の鳴き声は「バウ-ワウ 」で、

猫の鳴き声は「ナーゴ」だ。(「ミュー」か?)

そこでふと思ったのだけど・・・


ウグイスは「ホーホケキョ」と鳴く。

でも俺にそう聞こえるのは それが日本語の有名なオノマトペで、

我々は多分、本物のうぐいすの声を聞く前に

ウグイスとはそう鳴くものだと(教えられて)

思ってしまっていたからだと思う。

何も知らなかったら、ウグイスの鳴き声は

どう聞こえるのだろう?

ツクツクホウシは?




俺の住んでいる辺りは

ちょっと行くとすぐに宮内庁管轄の深い山で、

野生のウグイスが普通に鳴いている。

昨日はつれあいのひとと二人で散歩に行って

ウグイスや、他にも珍しい鳥の声を聞いた。

あれは、カケス・・・かな?

とても美しい声だった。


俺が高感度マイク付きの録音機材を抱えて

山に鳥の鳴き声を録音しに行くのも

そう遠いことではない・・・・・・かもしれないデスね。


しまいには「野鳥の会」か何かに入ってたりして。

それで線路に立ち入って逮捕されてたりしてね。


・・・・そりゃまた別のオタクか。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼間の稲光、土砂降りの雹、落雷。2010年6月3日

2010-06-04 21:04:08 | Weblog





奈良の、とある無人駅。


電車を降りてすぐゴロロ・・と空から

不吉な音が聞こえて

晴天の空に稲妻が光った。

昼間なのに稲光が見えたのだ。


驚いてる間もなく、

妙に大きな雨粒がボタッ、ボタッ、という感じで

まばらに降って来た。

やばいな・・・・岩佐の家まで1キロ弱なのだけど、

あまりにも、の晴天だったから

傘なんかわざわざカバンから出して置いてきたのだ。


やっぱり半分くらい行ったところで、

本当に誰かがバケツをひっ繰り返したような、

ものすごい土砂降りになった。


あひぃ・・・と思いながら、

旧い農家の軒下で雨宿り。

でも何か変な雨・・・

と思ってよく見た時に、

雨が「雹」に変わっていることに気付いた。

ヒョウ。


半透明な飴玉のような粒が

道路一面に降っている。勢いは土砂降りのままだ。

雹の土砂降りなんて初めて見た。

すぐに溶けて消えてゆく無数の小さなボール球。

ひとつ手にとってみた。

冷たい。


30分くらい雨宿りをした後、

また空からドドーンと音がして、

雨は急に小降りになった。

今のうちに・・・と思いあと半キロ、

思い切り走って岩佐の家に辿り着く。


岩佐はいなかったのだけど

岩佐のお父さんとお母さんが待っていてくれた。

夕方からビールを頂く。

しみじみとした酒席。

外はまた激しく降り出した雨だ。

ちびりちびりと飲むビール。


ふ とした静寂の後

ものすごい轟音が響いた。

近くに落雷したのに違いなかった。


それは空にいる誰かからの

せめてもの合図みたいに思えてしかたないような

6月の夕立と雷だった。


俺はきっちり風邪を引いた。

でも、それも何をどうしたところで

避けようの無い事だったのかもしれない。


何しろ俺ときたら

風邪引きやすいったらありゃしないんだ。


昔から。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする