すべての事が無駄ではないのだ。

2019-05-30 20:27:47 | Weblog


今日は仕事の合間にメールのやり取りしたりして、

ブッキングの話を進めていた。

うまく決まると、とても気持ちがいい。

特に、古いつながりが復活したりすると、とてもとても感慨深い。

30年も昔に関東のライヴハウスで対バンした人と、今になって、それぞれの「今」のバンドで、

一緒に演れる・・・・なんて、すごい事だと思う。


30年前の僕のバンドは「ランブルフィッシュ」である。

(あ、「僕のバンド」って言ってもは当時の僕はギタリスト専任だった。楽曲はほとんど、ヴォーカルの佐治がつくっていた。)


何だか、色んな出来事が全部、

やっぱ無駄じゃなかったんだ・・・・と思える。


古いつながりを復活させられるのも もちろん、

新しく出会った人たちのおかげ・・・でもある。


大切な大切な人が何人も・・・・・亡くなってしまった・・・・けど、

我々は彼等の「思い」を背負っているのだ。

それはとても大事なことだ。


そしてこの後も、「新しい出会い」が、ある。


こんな風に、月イチくらいのゆっくりしたペースでも

ライヴを、着実に演り続けていると、必然的に・・・少しずつだが、出会う。


同じ関西で音楽やってたはずなのに何でこのスゴイ人と出会えなかったんだろう?

というような人が何人もいる。


関西でさえ、そうなのだから関東には「出会えなかった」スゴイひとが、もっともっと、いるのかもしれない。


いや、そんな人・・・・・・・・・・・・実は、いないかもしれない。


「運命論」的に言えば、

出会う人とは出会うべくして出会ったのだし、

出会わなかった人とは出会えなくても、全然いいのだ。

世界はそんな風に出来ている。



それにしてもそれにしても


ああ何だか僕は今、しっかりと自己肯定出来ていて、

そういうのって僕にしては珍しいから、

いい気分なのです。


今日話していたライヴの予定は、今年の秋・・・くらいのもの。

まだ、だいぶ先の話をしている。まだ夏だって来てはいないんだぜ?


ちゃんと決まったら、またここで書くからね。


とりあえずの大ハードルであり、最高の娯楽でもあるのは、目の前に差し迫った、次のライヴ。


6月1日 土曜日、大阪・中津・VI-CODE。


出たとこ勝負の、真剣勝負。乗るか、そるか。完封負けか、大逆転勝ちか。


ライヴはいつも、そんな感じ。


楽しいのだけれど、決して「楽しい」だけ・・・・ではない。


痛みも、苦しみも、孤独も、救いも、全部ひっくるめて・・・・・


やります。


前売り予約、受けてますので。


このブログのコメントでもいいし、


ツイッターでもいいし、


フェイスブックでもいいし。



アナタが来てくれる、という知らせを待ってます。
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ROCA'66 LIVE @中津VI-CODE 2019年6月1日

2019-05-28 21:11:57 | Weblog

バタバタしながらも日々は往く。

僕の錆び付いた思い出など、時の重みに耐えかねてみんなどこかへ吹き飛んでいきました。


トランプも去り、

この世は押しなべて事もなし・・・てな具合ならいいんだけれど、

G20サミットなんていうはた迷惑なものを、我が大阪で開催するなんてね。

トランプもまた舞い戻って来やがるし・・・・・・・・。


サミットなら「もののけサミット」があればそれでいいのに。


さてそんな梅雨直前、

ROCA’66の、ライヴがあるざます。

月イチペースで開催される我々のライヴ。

それはそれはゆっくりとした足取りで・・・だが確実に我々は進化している。

ピテカントロプスエレクトスがアウストラロピテクスになるみたいに。


7月の、怒髪天と対バンの、最後の十三ファンダンゴ出演を前にして6月は中津VI-CODEに出ます。

奇しくも、現ファンダンゴのすぐ近く(阪急で一駅)の、「中津」の地に燦然と存在するハコ、VI-CODE。

このライヴハウスが我々にとっての「新たなる希望」になっても、少しもおかしくないのだ。

何だか信じがたいことに、2019年の5月も、まもなく粛々と終わろうとしている。

そして来る6月、その最初の日である、1日の、土曜日。


6月1日(土)中津Vi-code

w:co-pilot A / 月天心 / ソウル互助会

OPEN 18:30 / START 19:00

ROCA’66の出番は3番目、20時20分からの予定。


来て下さい。我々は今、まさにメリメリと殻を破って「脱皮」しつつあるのかもしれないのです。

脱皮したって「羽化」できるかどうかはわからないし、

「羽化」出来たとしたってただの「虫」のまま・・・・かもしれない。


それでもそれでも、

変化することは「生き物」の必然で、

だからこそ何もかもが「昔のまま」ではいられないのです。




6月1日は中津で会おう。






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しかし「世界」は、閉じていこうとしているワケではない。

2019-05-23 21:01:56 | Weblog

以前は

「世界」は少しずつ、「開いて」行っているのだろう、と思っていた。

そういう兆候も、そこかしこにあった。




時間的な出来事の順番を気にせずに、大雑把にいろいろ言うが・・・・・・

そう、ネルソン・マンデラが南アフリカ(だったよね?)大統領になったときは感動したし、

ベルリンの壁がなくなった、と聞いたのはいつだったっけ。

ソ連邦という「鉄のカーテン国家」も地上から消えた。東西冷戦、というものも終わった。

極めつけはバラク・オバマという人がアメリカ大統領になったことだ。

本当に凄い事だと思った。

ヨーロッパ各国も寄り集まって「EU]というものを作った。「ユーロ」というオカネも出来た。

身近でも、「韓国ドラマ」が大人気になったりした。

そして、大国の所有する核兵器は、削減方向だった。








国家間の争いは収まる方向へ行き、

人種差別(や、あらゆる差別)は この世から消えてゆくのだ、と本気で思えて、嬉しかった。




しかし、ふと気づけば


マンデラは亡くなってるし、

ソ連のあとの「ロシア」では、強面のKGB出身か何かの大統領が強硬姿勢を貫いているし、

イングランドはEUから脱退を決めてしまい、EU自体が揺らぎかねない。

極めつけは・・・・これまたアメリカで、

まるで差別主義者のような男(トランプ)が大統領の座について、ずいぶん酷い状態。

そして、そのアメリカはもうひとつの超大国である中国と「経済戦争」に突入しようとしている。

身近では、「嫌韓」なんて言葉もあるし、ヘイトスピーチなんていう酷いものも、ある。

日本の政治では独裁的な男(アベ)が首相の座に長く居座り、社会全体を国粋主義的な方向へ導こうとしている。

大国の核兵器に関しては、削減の条約が破棄されてしまいつつある。





でも

これはきっと、「リバウンド」なのだ。

反動、というか、揺り返し、というか。


いっときに「前」に、進み過ぎたのだ。



「世界」は閉じていこうとしているワケでは、ないと信じたい。




僕は思うのだけれど、「純血種」なんてものを尊ぶ思想は馬鹿げているし、時代遅れだ。





大局的に見れば「世界」は開く方向に向かうはずだ。






我々は・・・・・・・・ひどい嵐を  やり過ごすしか、手はないのだ。




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もう二度と会えないかもしれない。

2019-05-20 21:30:13 | Weblog

一昨日の難波メレでのライヴは対バンに、

オーストラリアから来日中のスカ・パンクバンド RESIGNATORSの人たちがいて、

カタコト英語で話したりして交流した、と昨日の日記に書いた。

彼等のライヴ、まだ何本か日本でブッキングしてるみたいだから行きたいなあ・・・

などと思っていたのだが、こちらのスケジュールの都合で行けそうもない。

そうなると、

もしかして、今後、僕が彼等に会える可能性って・・・とてもとても低いのだ。

もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。


それで思ったんだけど、

ランブルフィッシュをやってたときとか

ばるぼら をやってたときとか

けっこう、それなりにハードにライヴ入れてて、

東京はしょっちゅう行ってたし、名古屋も何度も何度も行った。青森、九州佐賀、福山でもライヴやったし、

ばるぼら では国内だけではなく、アメリカ・NY,テキサス、そして中国・北京でもライヴやった。


そして、

それぞれの場所で、対バンだった人たちと知り合ったり、見に来てくれてた人と知り合ったり。、

うまくいけば初対面で打ち解けて、友達になったりした。


でも・・・そういうのって必然だし、しょうがないのだけれど、

その後、二度と会ってない人も、実は多い。

って言うか・・・・ライヴツアーで友達になれた ほとんどの人と その後、再会していないと思う。

(怒髪天やガンスリの連中や、お客さん、として遠くからはるばる見に来てくれる人は例外。)


もちろん、住んでるところが遠く離れてるし、

ライヴとかだけで喰っていけてる人って、やっぱ少ないし。

「自分の生活」がちゃんとあってこその「音楽」だし、

だから・・・・・・・・・・・しょうがない。


でも何だか、ちょっと切ない。


古臭い言葉だが、こーゆーのを「一期一会」と言うのであろう。

友達になれたけど、この次、会えるかどうかわからない。

もしかしたら死ぬまでに、一度も会わないかもしれない。

でもたとえば、昔からのすごく親しい友達とだって、色んなことが上手くいかなければこの後、

二度と会えない可能性だってある。

人と人とのかかわりって、一瞬の電光石火というか

何と言うか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とても「はかない」ものなのね。



などとおセンチに感傷に浸る梅雨前の片山道子なのでありました。





写真は、おとといのライヴでのアタシ。

撮影はカメラマン、大瀧くん。いつもありがっとね!


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昨夜のメレ。

2019-05-19 15:35:54 | Weblog

来てくれた皆さん本当にありがっとございまっす。

久しぶりに限界突破出来たライヴだったデスあたし達。


2019年5月18日の難波メレはアタマから尻尾まで最高に楽しい空間だった。

オーストラリアから来日中のスカ・パンクバンド、RESIGNATORSの人たちは

みんなデカくて、

フレンドリーで、演奏も弾けてて、いい感じ。トランペットがとてもいい雰囲気を出していた。


RESIGNATORSのVO.のフランシスはROCA’66のTシャツを買ってくれて、

本番のステージにそれ着用してくれた。もちろん、XLサイズ。色は赤。

似合ってるし。ちょっと感動。

オージー(←オーストラリア人のこと)はいい人が多い、という都市伝説は本当だったのね。


彼等の発する、「陽」の気が伝染してきて、

我々も一日中ニコニコして楽しく過ごせたし、

肝心のステージもそんな風にこなせた・・・と僕は思う。


RESIGNATORSのせいだけじゃなくて、我々の新曲「MOTOR BIKE DIARY」も

(我々には)今までになかったようなアッパーで明るい曲で、それだからだったかもしれない。


もうひとつの新曲「エピファニー」は、

ギター赤井と僕とで共作した初めての曲で、

「MOTOR BIKE・・・」も、2曲とも、僕はとてもとても気に入っている。


「エピファニー」では赤井の秘蔵の「リヴァース・リバーブ」を使った不思議な音が炸裂して、

本当に今までになかったような感じ。

シゅーゲイザー的、とも言えるし、サイケデリックでもある。

新曲2曲がこの後ライヴでどんな風に変化・成長していくか、とても楽しみ。


しかし、それにしても

ライヴハウスに巨大な白人さんが大人数いて、英語の会話がそこかしこで交わされている光景を見ると

僕は必然的に、「ばるぼら」で1998年に参加させてもらったアメリカ・テキサス州での

SXSW(サウスバイサウスウエスト)を思い出さずに入られなかった。

あれも本当に夢のように楽しかったが、昨夜も同じくらい楽しかったぜ。

僕はグローバリズムというものは「良き方向」だと思ってるので。


もちろん、RESIGNATORSの彼等と、カタコトの英語で会話したし、FACEBOOKで繋がったし、

彼等のレコードを買ったりした。

ささやかな国際交流、といっても言い過ぎではないだろう。言い過ぎか。

我々の、日本語で歌っている楽曲は「グローバル」にはなり得ないかもしれないけど、

そこはそれで、別にいいのだ。


でも本当に楽しかった。

待ち望んでいた「いいこと」は、本当の「いいこと」だった。


いい日にブッキングしてくれた難波メレにもありがとう。

もっとお客さん呼べるように頑張るからまた呼んでね。

アンチビリーにもありがとう。選曲、タイミング、ファッション、最高のDJだね!いつもながら!


オージーの、気のいい人達もありがとう。他の対バンの人達もありがとう。


そしてお客さん、として来てくれた人達に最大の感謝を。ホントにありがとう。



心から楽しかったデス昨夜は!





写真は上2枚が、演奏中のROCA’66。

中段は、販売中のROCA’66Tシャツ。

下2枚が、演奏中のRESIGNATORS。VO.フランシスのTシャツに注目!

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「いいこと」(本日、5月18日は難波MELEでROCA’66ライヴ!)

2019-05-17 23:34:31 | Weblog

「何かいいことないかい?仔猫ちゃん」

というのは何かのタイトルだったが(何だったかは、忘れた)、

我々は幸いなことに、

仔猫にそんなこと、尋ねてみなくても ちゃんと「いいこと」はあって、

それはつまり、ライヴなのですよ今日。5月18日、土曜日。

ライヴは、いつになっても最大級の「いいこと」なのだ。


最近は、毎月一回はうまいことライヴの予定を入れれてて、

そういうことを延々と続けてると「慣れ」的に、ルーティンワークみたいに

なってもおかしくない気もするのだけれど、ライヴは、そうはならない。


いつまでもいつまでも極上の「いいこと」であり続けている。


「いいこと」をやるために、他の面倒なことを片付けながら生きているのだ僕等は。


でも「いいこと」をやるためにはある程度、ちゃんとしなければならない、という側面もある。

何であれ、「ちゃんとする」のは面倒くさい。でもやるのだ。


チューニングは勿論、ちゃんとしなきゃだし

何よりも楽曲!いつもいつも、「いい曲」を作ることを念頭に生きてるし、

過去の楽曲だって「練習」しなきゃ下手糞になってしまう。

時には過去曲は、リ・アレンジ(アレンジやり直し)して、ブラッシュ・アップしたりも・・・する。


そーゆー作業も実は楽しいのだが、手間が掛かることこの上ない。


普段は・・っていうか本当は苦手なはずの緻密で綿密な作業工程が

必要不可欠なのだ、「いいこと」をやるために。


そしてそれだけ四苦八苦しても「いいこと」は、100%現出する、とは限らないのだ。


我々のようなタイプのロックバンドの演奏はスポンティニアスなものだし、

インプロビゼーション的な要素もある程度濃いので、いつもいつも「綱渡り」しているようなものなのだ。


事前にどれだけスタジオで練習してみたところで

100%など、我々の辞書にはない。



でも、うまくやるのだ。

うまくやれば「いいこと」が起こるから。



そーゆー困難を乗り越えて召還された「いいこと」は、もう絶品で、


僕等はいつもいつも「それ」を目指している。


極上の「それ」に、たどり着けたらその次は更に「その上」を目指す。


「いいこと」に、上限は、ないのだ。


今日は難波MELEで、「いいこと」を起こそう。


そうしようぜ。





5月18日(土)
「Wooly Bully!」
OPEN 17:30 START 18:00
AD ¥2000 DOOR ¥2500 共にd別
w:The Roodys(from Tokyo)/The Resignators(from Australia)
REKT/アナログエイジカルテット/ザ・ルチャドールズ
DJ:antibilly(PIRATES RADIO)

ROCA’66の出番は3番目、19時20分から








写真は前回出演時(2018年)の難波MELEでの我々、ROCA’66.


カメラマン、大瀧君撮影。



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モーターバイクダイアリー

2019-05-14 21:47:08 | Weblog

バイクも人と同じで、写真を撮る角度によってぜんぜん違う表情を見せる。

いや、角度だけじゃないな、明るさとか、撮る場所とか。季節によっても違うかもしれない。

この写真はさっき、地下駐車場で撮った。

(地下駐車場って・・どこでもそうなんだけど まるで、モルグみたいだ。)

昨日の、昼間の花壇の前で撮ったものとは随分違って見える。

バイクは、都市における移動手段としては最速で最強だと僕はずっと思っている。

バイクで駐禁取られるようになってからは、繁華街には気軽に停められないのだが、

それでも。

毎日毎日、どんな天気でも、僕はこのバイクに乗って仕事に出かける。

雨が降ったら雨合羽を着て乗る。

どしゃ降りでも、台風直撃の中でも乗って出て行く。雪の日は・・・・怖い。

言うまでもないが、晴れの日はとてもとても気持ちがいい。

このバイクは故障が少ないのと燃費がいいので有名で、

あまりにも燃費がいいので時々、ガソリンを入れるのを忘れそうになる。

燃料計、といったものは、初めからついていない(本当)。

燃料が切れたときは、ガソリンスタンドがありそうなところまで押して歩く。

パンクしたときもそうだ。

パンクしたときのこのバイクは重い。

ピラミッド建設時のエジプト人のような気分になる。

チェイン・ギャングのような気分。

しかし、稀にそういう「緩めの拷問」みたいな目にあってもそれでも、

バイクは素敵だ。

一人で乗るのも素敵だが、二人乗りするのも素敵だ。

ランブルフィッシュの佐治君と・・一度だけ、このバイクで大阪の我孫子から天王寺まで二人乗りしたのを覚えている。

短い旅だったが、楽しかった。

そういえば映画「モーターサイクルダイアリーズ」の中で

風邪を引いて高熱を出してしまったゲバラが、友達が運転するバイクの後ろに乗っかって旅を続ける、

というシーンがあるのだが

バイクって本当に・・・屋根もないしドアもない、

椅子はあるけど背もたれなんかない。風を防いでくれるフロントガラスもない。

もちろん、暖房もない、。

過酷だ・・・と思うのだがそういう赤裸々なところもやっぱり素敵だ。

僕は道端で、全然知らない人でも何でも、とにかく誰かがバイクに二人乗りをしてるのを見るとほっこりしてしまう。

スクーター?も、悪くはないんだがやっぱり

古臭い、昔ながらのバイクが僕は好きだ。

エンジン止まっちまったら、キックでかけるような。それでも駄目なら「押しがけ」するような。









さてさて、今週土曜日は我々ROCA’66の、大阪・難波「メレ」での久しぶりのライヴ。

新曲やるぜ。

タイトルは、「モーターバイクダイアリー」と「エピファニー」。

最強の新曲。


聴きにきてくれ。

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我々は「反射」で生きている。

2019-05-13 21:20:19 | Weblog

結局のところ、ひとはそれぞれ、その時その時の「反射」で生きている。

そして、それを突き詰めると最終的に人間には・・・いや、すべての生物に

「自由意志」などというものは存在しない。

我々はつまり、抗いようのない強烈な「流れ」の中で瞬間的に、反射的に、

行動しているだけなのだ。

それが生きるということなのだ。



・・・・・・・というようなことが

昨日読んだ脳科学の本に書いてあって、ものすごく面白かったし、

深く深く考えさせられた。


上記の「ひとは反射で生きている」というのは

何人もの脳科学者がちゃんとした実験を重ねて、

その結果を考慮してたどり着いた結論なのだ。

いやもちろん、この結論もひとつの「説」にしか過ぎないのだが、

実験もせずにただ言いっぱなしの「トンデモ」ではない。


しかし、

この「ひとは反射で生きている」という考えは

ずっと前に僕自身も同じようなことを他でもないこのブログで書いている。

僕の場合は勘・・・というかただの思いつきで書いたのだ。


そしてそれは「運命論」でもあった。

我々には「選択肢」もないし、「自由意志」もない・・・のではなかろうか?と。


これは絶望的に言っているわけではないし、

そのことが良くない、と言っているわけでもない。

ただ、少しの「諦念」は、ある。


急流の川の中で流されながら一瞬一瞬を生きている「魚」と何ら変わるところはないのだ我々は。


そう考えると、いっそ清清しい気もする。


それにしても、

わりとマトモな脳科学の本に、僕の以前から考えていたことが

ひとつの「説」として書かれているなんて、とてもとても驚いた。


デ・ジャ・ヴュ的な驚き。


でもちょっとだけ怖くもあるよな。


今日は朝から一日、そのこと(反射、そして運命論のこと)ばかり考え続けていた。


・・・・・・・・・・・・君はどう思いますか?









写真は本文とは全然関係ないのだが、僕が毎日乗っているバイク。

あちこちのパーツを交換しながら、もう22年も乗っているのだ。

「チェ・ゲバラみたいなバイク」と運送会社の同僚に言われてとても嬉しかった。

映画「モーターサイクルダイアリーズ」のゲバラ。

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夢の尻尾の中で生きている(次の土曜日は大阪・難波でライヴ)。

2019-05-11 15:55:26 | Weblog

「尻尾」というのは、猫の尻尾や狸の尻尾のことではない。

ましてや河馬の尻尾なんてまるで悪夢だ。

この場合の「尻尾」は、

彗星・・・・あの「ハレー彗星」とかの彗星の「尾」のことである。


彗星の本体は何と、「氷の塊」なのだそうで、

それが太陽系さえ飛び越えて宇宙を回っているのだから面白い。

僕の全ての夢はその彗星のように、氷の塊の中に今はもう眠っている。

そしてそれが少しずつ溶け出してはあの「尾」のようにはかない光を帯びる。

実体は何処にあったのだろう?と時々考える。


福山の、あの小学校体育館のステージの上だろうか?

初めて入った裏通りの狭い音楽スタジオの中?

もしかしたら奈良の・・・高校時代の佐治の部屋かもしれない。

それか、大阪の・・・天王寺の路上に今も転がっているのかもしれない。

十三ファンダンゴの楽屋?・・・・そうかもしれない。

もしかしたら新宿の、あの統計局の向かいの古い古い都営団地の一室かもしれない。

それとか・・・そうだな、奈良の、彼のお墓にあるのかもしれない。

あとは何処だ?瀬戸内海の、いつも誰もいないあの美しい浜辺に置き忘れてきたのかもしれない。

新宿の、あの職安通りのライヴハウスが移転で壊されるときに一緒に、どこかへ運ばれてしまったのかも。



そうだ、「実体」は、京橋の高架下のスタジオで、今も息づいているのだ。


だから僕が今いる、「ここ」は

夢の尻尾・・・なんかじゃなくて「夢の実体」と呼ぶべきところなのだ。


凍り付いてしまいそうな「夢の実体」を抱えて僕等は、

今日もせわしなく、時間に追われながら宇宙を、太陽系の外を廻る。









来週の土曜日には大阪・難波の「MELE」というライヴハウスに

ROCA’66として出演します。



2019年5月18日 土曜日


「WOOLY BULLY!」


@難波MELE


OPEN17:30

START18:00


AD¥2000    DOOR¥2500



出演

THE ROODYS(FROM TOKYO)


THE RESIGNATORS(FROM AOUSTRALIA)



ROCA’66



REKT


アナログエイジカルテット


ザ・ルチャドールズ



DJ:アンチビリー




我々の出番は三番手。


オンタイムなら19:20スタート。






来てね。


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バンドのこと。

2019-05-07 21:04:42 | Weblog

遅ればせながら、こないだの4月27日の京都・「夜想」での

我々ROCA’66のライヴ、来てくれた皆さん、アリガットゴザイマッした!


やはりバンドは生き物、そしてライヴもナマモノ。

何が起こるかわからないし、予想もつかないことばかり起こる。


でもだからこそ楽しいっていうか、


「絶対うまくいく」って決まってないからこそ挑戦しがいがあるのだし、

それだからこそ、うまくいったときの喜びもあるのだ。


予定調和でない試み。


自己への挑戦、挑戦、挑戦。

そういうのを続けてる限り、年をとることなんて怖くないし・・・むしろ、楽しみになったりもする。


僕は「昔の僕」より、はるかに「マシ」になれてると思うし、

実感も手ごたえもある。


ライヴ後の最近は、スタジオで、今までの曲の一部を、きちんとした形で「録音」してるのと

ごくごく最近作った「新曲」の、リハーサルをやってます。


古いものの記録と、新しいものの創造を同時期にやってるのです。

古いものの記録はまた、それ自体が創造でもあるのだけれど、やってる質感はだいぶ違う。

でも、どちらも楽しい。


創造に関しては・・・・・・・今までで一番かっこいい曲は「次の新曲」。

作詞作曲者って、そう思えるのがベストだと思うのだけれど、

今は本気でそう思ってます。



新曲は、近日のライヴで披露予定。

そして音源も、夏までには発売予定。


いい加減「若くない」と言われてしまうような我々ですが、

創作・演奏にはそんなの全然関係ない。


心さえ新鮮に保っていれば何も怖くないのだ、時間も、記憶も、喪失も、腐敗も、衰退も。







次のライヴは5月18日、難波メレ。







「生き物」たる我々が、まだ生きてることを確認しに来てクラッサイ。





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