10月7日のファンダンゴのこと

2017-09-29 21:46:01 | Weblog

10月7日の十三FANDANGO。

こないだも言ったから繰り返しになるんだけど、まあ聞きなよ。


当日、

我々、ROCA'66の出番は二番手。

トップバッターのミライノスが午後3時からスタート。

だからROCA'66は、オンタイムで午後3時50分スタート。

我々は、ベースに伊藤克浩を迎えて、初めてのライヴ。


最新曲「真昼の夜」もやるし、ランブルの名曲、「宝物のうた」も、やる。

「シスター」もやる。

いろいろと、初期衝動がこのアタシの中に、戻ってきているのだ。


すごく楽しい。


だから、ぜひ、目撃して欲しいデス。

これは、「歴史的」と言っても過言ではない。・・ちょっと過言か?

まあいいや、

前売り予約受け付けるので・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このブログのコメントに(前売り予約希望と)書いてくれてもいいし、

フェイスブックも、ツイッターもやってんのよねアタシ。ほほほ。ミクシもあるわさ。

すごい世界。SNS三昧。

だから、どのSNSでもいいからアタシに、アクセスしてみてくらっさい。


でもさ、思ったんだけど、

このブログ、大体250人くらいが読んでくれてるんだけど、毎日。

あの・・・その昔(1994年だ)、「ばるぼら」で初ライヴ、ファンダンゴで、ワンマンでやったとき

お客さん200人以上来てくれて、ファンダンゴ、いっぱいいっぱいやったのね。

(あのときのヒトビト、どうもありがとう。)

立錐の余地も無いほど、ぎゅうぎゅうの超満員だった。

で、もしこれ読んでる人が全員・・・・・10月7日、ROCAを観に来てくれたら、

・・・・・・・・・・・・・ファンダンゴ入りきらないかもな。

ははは、入りきらなかったらアカンやん。

でも、それくらいのイキオイで、夜露死苦です(←ヤンキーのふり)。






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「電気猫」っていう歌を、いつか作ろう。

2017-09-28 21:27:04 | Weblog

まるで巨大な恒星が自分の重力に飲み込まれてブラックホールと化したみたいに

僕等も僕等の「運命」に飲み込まれていきます。

なるほど、そこに僕等の「自由意志」など、ありません。

髪の毛の先ほどもない。

でも何かに囚われてるみたいにして「衛星」たちは今日も、

頭の上をクルクルと、音も立てずに滑るように動いていきます。

昨日の君とは別人みたいな君、半月の月に照らされて、初秋の風に吹かれるのみ。

そう、木星に衛星があるなんて、ガリレオ・ガリレイに教えられなければ僕等は、知らなかったことでしょう。

重力がすべてに作用していることすら。でも本当の話、重力って一体何?

「引力」だってよく考えたら意味不明だぜ、

すべての者同士が「引き合う」ことに、理由も説明もいらないようなもんだがね。

だって僕は君のことが面白くって仕様が無いんだから。

時速100キロの夢の中、流れていくのは遥か彼方の星ばかり。

古い古いレコードみたいに針が飛んで、

僕は同じところを何度も何度も歌ってるような気がします。

それか、旧式の、テープをセットしなければならないタイプの「エコーチェンバー」みたいに、

下手したら永遠に、

繰り返し繰り返し繰り返しが続くのです。

それも悪くはないかも・・・・・・・・・。

そうだ、「彼」が、フクロウを欲しがったのは偶然じゃなかったんだね?

レプリカントとシュミラクラは同じで、

所詮はまがいもの・・・・・とは誰にも言えない。

電気羊・・・ならぬ、

「電気猫」って言う曲を、いつか作ろう。


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痛切に

2017-09-27 21:54:31 | Weblog

痛切に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(痛いくらい切実に)、

思ったんだけど


きっと誰もが

っていうか誰でも、

「自分」というものを選んで生まれてきたワケではなく、

だから(誰にとっても)、自分が自分であることは結果論でしかない。


そしてみんな人生の様々な局面で、

その時々に訪れる状況に応じて、

その時その時で最善と思える対処をして、

そんなふうに必死で乗り越えて生きてきて、

その積み重ねとしての「今・ここ」が、あるのだ。


ほとんどの物事が、思い通りになんか・・・なりはしないし

計画なんて上手く行くほうが稀だ。


こてんぱんにされたり、孤独感にさい悩まされたり、

同じミスをして自己嫌悪に陥ったり、

誰かに怒られたり。


我々は、そんなんばっか続いてもへこたれず、

「生きて行く」方を選んできたのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・偉いぞ(アタマ、イヌ撫でしつつ)。



でも本当に、

みんな大変だと思う。





自分だけが何故こんな目に遭うのか?

とか

こんな不幸なのは自分だけだ

とか

ヒトはついつい、思ってしまいがちだけれど、


実はみんな、がんばっているのだ。






ギリギリのところで、踏みとどまってるのだ。






やるしかね無え、


行くしか無え、


前に進むしかね無え、


タフになるしか無え、



ヤなことは忘れるしか無え。



アタシゃ出来るんだ、と信じるしか無え。














そう思った。



















10月7日のファンダンゴのこと、忘れないでおくれよ。


俺達は昼の3時過ぎに出演するんだ。



そのことを


忘れないでくれ~(「終わってから来る」のは出来たら・・・・やめてね)。





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「記憶」の存在意義。

2017-09-25 21:46:47 | Weblog

「記憶」って、何のためにあるのだろう?


・・過去の事をこんなにも鮮明に覚えていられるのは、

全ての生物の中でも恐らく、人間だけだ(・・・・・・多分ね)。

でもそれは、何のためにあるのか?

実用的に考えれば、学習するため、向上するため、だろう。

同じ間違いを繰り返さないように、そうして

生き延びる確率を高めるために。

でもきっと、それだけじゃなくて。


・・・僕は思うんだけど、

過去にあった素敵なこととか、心躍るような会話とか、

誰かの笑顔とか、

優しくしてくれたこととか、

心が通じ合ったこととか、

和解できたこととか、

ああ、本当に好きだなぁ!と、誰かのことを思えたこととか、

何というか・・・・一体感とか



そういうのを忘れないために、

時々は思い出しては、その時々の幸福感を(記憶の中で)再現するために

「記憶」って、あるのかもしれない。


でも哀しいかな、そんな素敵な記憶達も、

年月と共に、少しずつ、少しずつ、薄れて行く。

忘れたくないのに、どうしても鮮明に思い出せなくなる。すごく、イラッとする。


何故か?

それは、我々がまだ、生きてるから・・・・・・・・・・・・・・・・・だよな。


本来は「悪いこと」・・・というか、

「嫌だったこと」を忘れるための「忘却システム」なのかもしれないが、

「いいこと」も「わるいこと」も、忘れて行かなければ我々はこの先、

生きていくことは出来はしない。

我々の持つ「記憶メモリ」がオーヴァーしてパンクして駄目になって壊滅してしまうからだ。

すごく悲しいけど。



でもせめて、

「良かったこと」「楽しかったこと」「美しかった瞬間」、そういうのを事あるごとに

思い出して思い出して思い出して思い出して思い出して、

「思い出したこと」をまたひとつの「記憶」としてしまえば

ほんのちょっとでも、0.1ミリでも忘却を先に延ばすことが

出来るのではないだろうか。






でも、そんな風にして生きてると、

「過去に耽溺して抜け出せない人間」になってしまうだろうか?






うーん、




・・・・・・・・・・・やってみねえとわかんねえなあ(←江戸っ子風の物言い)。








やってみよ。







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昨夜のこと

2017-09-24 17:58:36 | Weblog

昨日は奈良で、ほっこりした夜。

昔話をいろいろ出来て、僕は、ゆるやかに満足。

しかし毎日の早寝のせいで、僕だけ他のみなさんよりだいぶ早く潰れてしまったのが残念。

泥のように眠ってしまった(情けない)のだけれど、

そうだ、そういえばその時、夢を見た。

その部屋に、彼が寝そべって、居たのだ。

部屋の明かりは点いていて、なんかフツーに、「彼」が居た。

少し喋ったけど、内容は覚えていない。

19歳頃の「彼」の姿だった。

リーゼントはもうやめていて、髪の毛を伸ばしだした頃の姿。

まだ「長髪」にはなっていない。

でも不思議だな、とつくづく思う。

16のときに知り合って、41のときに彼は逝った。

けっこう長いつきあいの間、彼のルックスはけっこう変換を遂げている。

昨日書いた、ヤンキー。

19くらいの時は、けっこうシックで、普通にお洒落だった。ヨーロピアンっぽい感じの服装。

そのへんから髪の毛を伸ばしだして、

僕の働いてた古着屋で「ラッパズボン」を発見して、我々の70年代ファッション追求が始まる。

ベルボトム、サイケシャツ、ズタボロ革ジャン、ウエスタンブーツ。

それが極まった頃、「彼」は長髪のまま、毛の色を緑に染めた。明るめの、綺麗な緑。

も、すごい格好だった気がする。僕も腰まで髪の毛を伸ばした。

このへんが一番クレイジーだったかも。

それでランブル解散してからは、もうちょっとカジュアルに、

そんな派手でない格好してたかな。90年代グランジロックみたいな感じ。

そして、病気発覚後は髪の毛も坊主頭にして、入退院してたから、パジャマ姿の印象。


「彼」の夢は、よく観るのだけれど、

その都度、違う時代の姿で現れる。

いちばんクレイジーだった緑髪のこともあるし、

ヤンキー姿のこともある。

昨日は何故か、19の頃の姿だった。

ランブルが活性化する前で、何だかいろんなことがまだのんびりしてた19の頃。

我々はしょっちゅう、一緒に居た気がする。

感慨深い。



佐治キョウコ嬢、そして昨夜お会いできたみなさん、ドモアリガットでした!




二週間後には、ファンダンゴでライヴだぜ。
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「彼」のこと。

2017-09-23 11:22:12 | Weblog

少しだけ、「彼」のことを思い出してみよう。

いや、いつも忘れてなんかない・・・・のだが、具体的にさ。


初めて出会ったのは多分、16のときだな。

16って、けっこう切ない年齢だ、誰にとっても。

「彼」はその頃・・・・リーゼントの髪型で、剃った細マユ、靴はとんがりの革靴。

学生服は長ランで、内側には確か龍の刺繍が入っていた。

上背はあるし、身体は細いけど肩幅がかなりあったから、迫力もあった。

うーん。ヤンキー?そういうの好きだったんだよな、「彼」は。

(後世の「ジョジョの奇妙な冒険」のヤンキー編に近いルックスだった・・・かもしれない。)

その辺のセンスはどうしても理解不能だったし今でもそうなのだが。

まあいいや、「不良」っぽいのが良かったんだろう。

でも「彼」は、万引きとか窃盗とか、理不尽な暴力とか、弱いものいじめとか・・・・・・・・・

そういう世間一般の「ヤンキー」がやりそうなことは一切、やってなかったと思う。煙草は山ほど吸ってたけどさ。

カッコだけ?・・・・ってことはない。それなりの「覚悟」は、あったろうし、

あの格好で生きてたら、危ない事にも巻き込まれたであろうと思う(僕は知らないが)。

でも、彼の部屋に初めて行った時、衝撃だったのは「ガロ」っていうマイナーな、

ちょっと(高校生には)マニアックって言ってもいい漫画雑誌が、

バックナンバーを含めて壁一面の本棚を占領していたことだ。

ヤンキーは間違っても「ガロ」など読みはしない。

(「彼」は後年、18歳のとき、「ガロ」ではないのだけれど「ガロ」を強く意識したメジャーの漫画雑誌、

「コミックアゲイン」で漫画家デヴューする。

「アゲイン」は廃刊になったけどその後「彼」は「ビッグコミックスピリッツ」で連載もした。)

考えてみたら、すごい二面性だったな。ヤンキーぶった外面と、漫画家(作家)としての内面。

そして部屋の真ん中には、ドラムセット。

彼は当初は、ドラムを叩きながら歌っていたのだ。想像つかないよね?

その姿は何というか・・・・壮絶だった。

それで、その初対面の16のときに「彼」は既に、一曲だけ、オリジナルの楽曲を作っていた。

「でもコードとかわからんから歌詞とメロディだけやねん、ギターのコードつけてくれ」

と言ってドラム叩きながら(大声で)歌って聴かせてくれた。

「ひなたぼつこ」という曲で、俺は今でも大・大好きな歌。ランブルの前身バンドの、初期の大名曲。

歌詞も、完全に完成されたもので、高校生の作ったものとは思えない。

今でも思う。「彼」は随分早熟だったな、と。

で、もっとすごいのは、その「ひなたぼつこ」の歌詞が、今思えば、「彼」が早世してしまうことを

暗示していた・・・・ように取れてしまうことだ。

後に、すごい良い楽曲を量産するようになった時に「彼」は僕に、

秘密を打ち明けるかのように、

「無意識で書いた歌詞が後々の事を予言してしまう」というようなことを言っていた。

しかし・・・そうすると「彼」は初対面で僕に、「さよなら」を言っていたことになる。

(ちょっと「考えすぎ」だとは思うが。)

それにしても・・・・・凄過ぎて寒気するよな、こーゆーのって。

でもその「感じ」は、後になってから、僕にもわかった。

「無意識で書いた歌詞」って、そうなること(現実化してしまうこと)が多々(とまではいかないけど)、ある。

言葉って怖い。言葉って凄い。

ははは、しかし

出会った頃の事思い出してただけで、随分色々出てきた。

面白い、最高に興味深い人物だったことであるよ。

「彼」の名は、佐治朝吉 という。

ロックバンド、「ランブルフィッシュ」のヴォーカリストだ。


ちょうど10年前の9月に、この世を去った。

今日は「彼」の思い出話などをするために、奈良に行く。


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DO YOU REALY WANT TO HURT ME?

2017-09-22 22:28:13 | Weblog


DO YOU REALY WANT TO HURT ME?は、1980年代の、カルチャー・クラブの大ヒット曲だ。

大ヒット曲なので、21世紀の現在でもたまに、ラジオでかかったりする。

実は僕はカルチャー・クラブは80年代当時、嫌いではなかった。

ボーイ・ジョージの扮装があんなん(オカマ)だったから、軽くみられてたけど、

音楽性はスタイル・カウンシルなどと同類の、ブラックミュージック系の「ソウル」だった。

この曲が、先日・・・ラジオでかかって、ちょっと思うことあったので文章にしてみた。

ちなみにDO YOU REALY WANT TO HURT ME?は解りやすい英文で、

「君は本気で僕を傷つけたいの?」というような意味・・・・・だと思いマス。



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DO YOU REALY WANT TO HURT ME?とボーイ・ジョージが歌う。

こーゆーのって、とても「恋愛的」に感じる。


つまり・・・・・

誰かが誰かを好きで、

その「誰か」は、その好きな相手のささいな行動によって、いちいち深く傷付く・・・・という。


「君」が、他の誰かと親しげに話をしているだけで傷付くし、



こちらを振り向くのが数秒遅れただけで傷付き、

しまいには風が「君」の髪を揺らしただけで傷付く。

君か何かした、と言っては傷付き、何もしなかった、と言っては傷付き、

本当に馬鹿みたいだが「君」の存在そのものが僕を傷つけるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハァ(タメイキ)。


書いてるだけで虚しい気分に陥ってくるが、


もし、その相手に、(ハナッから)「その気」がなければ、

アチラにしたって「はぁ?何それ?」ってことになる。


「何それ?」って言われて、また傷付くであろう、この「僕」は。


実際、虚しいが、こんな風に

ココロの綿毛を逆立ててみたり、

ハリネズミみたいに体中の棘を立てて、誰も触れられないようにしたりするような、

そんな心の動き、というものは

何と言うか・・・・・・・・・・・・そんなに頻繁に起こる事ではないし、

結局のところ、そんなに悪いものでもないかも・・・・・・・・・・・・と、

老青年の私は思ふ。


だって

もう今や私には、そんなデリケートな心など とっくに在りはしないし、

体中に棘など、もう生えていやしない。

ただ枯れ果てた荒れ野のような心象風景を抱え込んだま、「鉄面皮」みたいにして

この先を生きていくのだし。



でもこんな、昔のボーイ・ジョージの歌などを偶然、聴いたりすると

こんな枯れた私でも昔のことを少し、思い出したりもするのです。










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんちゃってね。

そこまで老け込んだわけじゃないぜ。冗談、冗談。



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独創性、多様性。

2017-09-21 22:39:17 | Weblog

別に・・・「上手くやれるから」やるのではない。

「これやるしかない」からやる・・・のです。


大体さ、俺、ギターなんか上手くねぇよ。そんなの、わかってるし。

そらぁ、上手くなろう・・・とした時期もあるけど、

どうやったら上達するか、皆目わからなかったんだ。ははは。


でも、「独創性」なら、あるわよ。

もし、それもないんだったらちょと考えモノだ・・・・・と、

アタシは思うものであるよ。


それぞれの「独創性」、

そういうものの考え方のなれの果ての果てが、「世界の多様性」っていうモノなんじゃないかな。


・・きっと、そうだぜ。


そして、その「多様性」というのは、とてもとてもとても、大事なものだ。


究極的に言えば

私は私であり、アナタはアナタである。

そして、我々はその「違い」をお互い、認め合う。

それを60億回、繰り返す。


「世界」ってのは本来・・・・そんな風に在るべきなのかもしれない。


さあ、そこで、その「世界」でアナタは、何をする?

絵を描く?

もしくは、歌を歌う?

踊る?

文章を書く?

料理をつくる?

冒険する?

何か発明する?


静かに生活するだけだ、それが「私」の在り方だ、と言う人もいるかもしらない。

それも、とてもイイと思う。


どんな風に在ろうが、それはそれでイイのだ。


ただ、個人的には・・・・どんなヒトにも「独創性」は、あってほしい。


でも、そんなの、

放っっといても誰でも

もともと、持っているモノなのだけれど。




まあ、他人のことはこの際、どうでもいいや。





その前に、

自分自身が「独創性」をキチッと提示しなくちゃね。




僕は・・・「何にも似ていない」モノをつくりたい・・・・いや、つくる。


でも


今日は、もう寝る。
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カナシミガ モシモ アメナラバ

2017-09-20 21:38:04 | Weblog

哀しみが もしも 雨ならば

今すぐに 止んでくれは しまいか


「雨男」である 私の上に

恒久的に重たい雲が かかっているのなら

君の鼻息ひとつで そいつを

吹き飛ばしては くれまいか


嗚呼そんな風にしか願えない私は

真夜中のうちに降った雨のせいで 路上に溜まった水に足を取られて

立ち往生している薄汚れた野良猫に過ぎない



君よ

雨など とうに 止んでいるのだ


ただ君がそれに



気付かないだけ


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10月7日のファンダンゴは昼飲みスタート(前売り予約を、メールかメッセージで言うて来てね!)

2017-09-19 22:24:25 | Weblog


10月7日のファンダンゴは、午後の2時半からオープンしてるんだってさ。

それで、ライヴは午後3時から(早っ!)。

一番手に登場するのは、ミライノス。

そして二番手が、我々、ROCA'66。

ROCA’66は、オンタイムなら午後3時50分スタート。

まだアンタ、陽が煌々と照ってる時間じゃありゃしませんか。

あーっはっは。

こりゃいいや、正月でもないのに、「昼飲み」するしかねえ!

、とゆうわけでご来場のみなさん、

(もし土曜出勤なら)仕事など早引けして、早め早めにファンダンゴに来てくれ。

遅くても3時過ぎには来てくれ。出来たら3時前に。

それで、まず出番前に一緒に、たらふく飲んで、

それで一緒に、我々ROCA'66のライヴを楽しもう。

オッケー?

わかった?

伝わった?

俺の言うことわかる?

YOU KNOW WHAT I MEAN?

わかったら「家」って言ってくれ。

「家って家(言え)」。

「いいえ(NOの意)」じゃなくて、「YEAH」だぜ。

「いいえって言え」?

「家ってYEAH」?

・・・・言ってる事がただの酔っ払いみたいになってきたから、今日はもう寝るよ。









でも当日は本当に、早く来てくれよな。






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