テーゼ

2018-03-29 22:33:41 | Weblog

イケるときは つるっと、するっと、イケちまうから、

どうにも駄目・・・っぽい時は、あっさり諦めちまうのがいいと思う。


何もかもすべて欲しいものが手に入るワケがないし、

それだからこそ面白い・・・っていうか、ヤリガイがあるんだぜ。


俺達はまるで無人島に流されてしまったヒトみたいに、

「今、あるもの」、つまり手の中に残ったモノを

組み合わせたり、節約したりして使って、それで現状を乗り切っていくしかない。


考えるまでもなく、今までだってそうして来たんだし。


実際の話、君はよく頑張ってるよ。

メゲないところがエライ。

少々なら・・・そして短期間なら、メゲたっていいのに。

俺なんかしょっちゅうメゲてるぜ(すぐ立ち直るけど)。

まあ、それはともかく。


思うに、何事に関しても「執着」したり、「依存」したりするのは良くない。


現状が駄目なら駄目なままで、

そのままで突き進もうではないか。



「行けるとこまで行く」のだ。


それが俺達の「座右の銘」だ。


言い換えれば、「テーゼ」だ。






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4月14日土曜日、梅田・ハードレイン。

2018-03-24 23:09:37 | Weblog
4月14日(土)@梅田ハードレイン
ザ・マンガンズ プレゼンツ
【 Feel So Goog! 】
出演)
ザ・マンガンズ
ROCA’66
初期のアンドヤング
Open 18:00 Start18:30
前売り2000円 当日2500円(D別)











さて、

2018年の2月と3月は、ROCA'66のライヴは、なかった。

我々が何をしていたか、というと

スタジオで新しい曲のアレンジに没頭したり、ソロでハーモニカ「吹き語り」したり、

特に目的もなく集まって酒飲んだり、病院で療養したり、インフルに感染したり

花粉症でティッシュのハコが底をつくほど鼻かんだり・・・・・・・・・していた。


雌伏の初春であった、と言える。


だがしかし。

我々は動き出す。

ROCA’66の、新たな姿がおぼろげながら俺には、見えてきたのだ。

手始めは4月14日だ。

梅田・ハードレイン。

最近、関西のライヴハウスシーンで、俺が今現在、特に気に入っているバンド、「マンガンズ」が

気合を入れて、ライヴイヴェントを企画してくれた。

題して「FEEL SO GOOD!」である。

「気持ちEEEEEEEEEEEEEEE」、という意味・・・であろう、と推察する。

出演は我々と、「マンガンズ」と、「初期のアンドヤング」。

3バンドだけでやる。

「対バン」だからといって、「対決」するわけではないのだが、「相手にとって不足はない」という感じだ。

いや、しかし昔は対バンは「対決」でもあったのだ。

昔みたいに殺伐としたライヴハウスシーンじゃないよね、今は(それはいいことだ)。

・・・昔はバンド同士が一触即発だったもんな。

でもあの頃の「緊張感」を現代に甦らせ、

バンド同士仲のいい我々も、切磋琢磨のつもりで挑もうではないか。

音楽に勝ち負けは、ない(・・・「違い」があるだけで。そういうのは非戦的だし、いいことだ)。

ないのだが、お互い「いいもの」を出し合って、競い合っていけば

我々はもっと、「高み」を目指せるかもしれない。

よーし、見てなさいよ・・・・・・・ってな感じで、

この日はいい夜になると思うのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・ROCA’66の、ギター赤井の復帰はもう少し先になる。

だが「羽根のないロケット」としての我々、3人ROCA’66の瞬発力をナメないでいただきたい。

三人で、「新しい曲」も、演る。

「過去の記念碑的な曲」も、復活させる。

今のところはギターヴォーカル・道郎、ベース・伊藤、ドラムス・トビーの三人で「完全体」だ。

(赤井が戻ってきたら「超完全体」になる。)

「不完全」な状態ならライヴなど、やらん。

だから4月14日は大阪・梅田・ハードレインに来るように。

当たり前だが「今の我々」は「今」しか、存在しない。

「今」の我々の音を、聴いて欲しい。


「前売りチケット」というものも、今回は存在する。

連絡くれて、住所などを伝えてくれたら、送る(郵送する)・・・というようなことも、やぶさかではない。




我々は、「ヤル気満々」なのだ。

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文(ふみ)。

2018-03-23 22:07:31 | Weblog
前略

それにつけましても日々の万象といふものは

時々刻々と、絶え間なく流動的に変化して行くもので御座います。


この私にしたところで昨年の今頃と現在と比べますと状況の激変たるや、

目を見張るものがある、と言っても過言ではないでしょう。


私自身の心の内側ですら、驚異的に変わり果てている。

今ここで取り出して、ほら御覧なさい、と見せて上げられないのが残念極まりない気もするが、

このような日々の日記といふものは、そのような行為の代償と言えなくもない。


貴方は私の文(ふみ)を読み、私の言うことを真に受けるのかもしれない。

いや、それどころか私の言うことをひとつも信じていないかも知れない。

そのどちらだったとしても私は、一向に構いませぬ。

今の私の心境といふものはまるで静かで、波一つ立たない真夜中の水面下のごとく。

ただ巨大な水脈の「うねり」だけが我々を 深海の底まで引きずり込もうと、

舌なめずりしているのを感ずるのみ。


物は試しでお尋ねするのですが

あの頃と「世界」は、何一つ同じでないことをお気づきでしょうか?

一年前の私、

一ヶ月前の私、

昨日の私、

一秒前の私。

「存在する」ということは、「変化する」ということでもあるのです。


石とか、鉄とか・・・そんな鉱物の類でさえ、そうなのだから

生きとし生けるものについては、何をか言わんや。


必然性といふものは、全てに及ぶものであります。

あれも必然、これも必然、ヒア、ゼア、アンドエヴリウェア。

ただ私は、そのような運命論的な世界において、「流れ」に抗うように生きたい、と

どうしても、思ってしまうのです。


とは言え、私が何を言ったところで

目の前の「世界」は、待ちわびた春の到来で、心なしか華やいでおりまする。


この調子なら

この世界の何処かで偶然、貴方にもしや、お会い出来ないとも限らない・・・・・・・などと

うつらうつら、

考えて居りました。


草々

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不幸ではない。

2018-03-22 22:17:02 | Weblog

昨日は

無目的に友達と会って、馬鹿話をした。

いっぱい笑った。

楽しい話、美味しかった話、苦しかった話、危険な話、ずっこけた話、そんなあれこれ。

もう若くない我々は鉄面皮みたいな感じでガハハと笑うのだ。


ああしかし

そんな我々もついこないだまで19歳で(そのころは知り合ってなかったけどさ)、

デリケートすぎる感受性を抱えて、どうしようもなく青かったのだ。


ふと気がつけば中年を通り越して実年、もしくは「老青年」で、

神経もいつの間にか太くなっていて、

ちょっとやそっとのことじゃ傷つきゃしない。

心臓にはちょろちょろとだが、毛が生えているかのごとく。


だがしかし、これは堕落ではなく、進化なのだ。

「痛い」時期を、どうにかこうにか・・・・ギリギリでやり過ごして、もしくは、乗り切って、

本当にヤバかった場面も切り抜けて、

生き延びてきたからこそ、今の我々が居るのだ。


こんな風になった自分をもし、19歳の自分が見たらどう思うだろうか。

もちろん、ああよかった・・・・と思うだろう。

少なくとも僕は、こんな風になりたかったのだ。


それにしても・・・これまでには、色んなことがあって、

まだまだこの先、色んなことがあるだろう。


まだしばらくは我々はこの世に存在する予定で、

出来る限り、楽しいことばかり計画するのだ。


それにしてもそれにしても。

人間って誰しも、それぞれの歴史を背負って生きてるし、

そうであってもなくても、複雑怪奇で面白い。


19歳の僕よ、

君は色々と間違ってはいるが、だからといって他に「やりよう」もない。

だから、そのまま行きなさい。


30年後の僕は少なくとも、不幸ではない。

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好みの問題。

2018-03-20 23:42:47 | Weblog

「ゆるい」感じがすきなんだけど、「ぬるい」のは嫌いだ。

「なまぬるい」なら尚更。


何であれ、「ヤル気がある」人、とかが好きだ。お店とかでもね。

でもそれを通り越して「ガツガツしてる」・・・のは何だか、下品で嫌だ。


「スマート」なのがいいと思う。ファッションにしても、物腰にしても。

でもそれが妙に気取った感じになってたら全然駄目だよね。



同じような物事でも、

見方によって・・・もしくは 見る角度によって 違う・・・ってことなのかな。





「偉そうな」人がとにかく嫌いで・・・昔から。

だから その逆を目指していたら単に「押しの弱い」ヒトになってしまった・・・かもしれない。

それはそれで、良し、としよう。


「自己保身」ばかりに一生懸命・・・ってなヒトも、みっともなくてセコくて、

昔から大嫌いで、その逆の人になろう、と思って生きていたら結果、

「捨て身」な人間になってしまった。「ノーガード」と言うか何というか。

まだ若かった身空で・・・歯は折れちまうし、生傷が耐えない日常。

自分の身くらい自分で守れなきゃいけない、とは思うのだが。いかんせん。


人生って色々と難しい。


「ゆるい」のが好きって冒頭で書いたけど、そのわりに

スパルタ的・・・な感じとか、体育会系的にキツいのは嫌いじゃなかったりする。


きっと、そんな風だから「ぬるい」のは嫌いなんだな。


誰だってそうなのかもしれないけど僕は、

「笑える」ようなのがすっごく好きだな。

ユーモラス・・・っていうか。

のべつまくなしに冗談言ってる人とかも好きだ。


でも、そのわりにヨシモトシンキゲキみたいなのは苦手だったりする。


世間の「お笑い」的なものには、一切興味がない。

あ、「落語」は、時々、聞くけど。


音楽だって俺、考えてみたら普段の日常で、家に居る時は聴かないもの。

音楽を日常のBGMにする、という習慣がないのだ。


大体いつも、無音で過ごしている。

窓の外を吹き抜ける風の音が聞こえたりすると、とても幸せ。

表の道路を走る車の音でさえ。


何でこんな話になったんだったっけ?


・・・・・・アンビバレント、っていうか

両極端なところがあるな俺、って思ったからかな。
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RADIO,RADIO,RADIO!(続編)

2018-03-18 17:10:14 | Weblog


さて昨日の3月17日、ピーターさんの「ウイークエンド・サンシャイン」が終わって、

引き続き、トラックでラジオを聴いていた。

次は、ゴンチチの番組で、これも忍耐強く聴いていたら時々、すごくいいのがかかるのだ。


昨日はけっこうアタリで、

「パンチブラザーズ」をやってる天才マンドリン奏者のクリス・シーリーが最近、

ベース奏者の人と二人で出したアルバムの曲がかかった。相変わらず超絶で素晴らしい。


ゴンチチの番組の昨日のテーマは「弦の音楽」だそうだ。

さてクリス・シーリーのちょっと後・・・・曲紹介もなく、

緊張感のあるアコギの、秀逸で奇妙な(変則チューニングだからね)、ギターを叩いたような強いタッチの和音。

それに癖のあるフレットレス・ベースの音が絡みつく。

イントロクイズ的に、・・・あ、ジョニ・ミッチェルだ!と思った。

ジョニがジャコ・パストリアスと作った名盤「ミンガス」からの一曲だった。

ほとんど難解ギリギリの、禅問答のような楽曲。かっこよすぎ。


ジョニ・ミッチェルって意外と、よく・・・っていうか 時々、ラジオでかかる。

ラジオに、よく似合う。


そして昨日その後、トラックで走ったルートは例の奈良の、友達のお墓の横を通る道だった。

お墓を遠景のように眺めながら運転していた。墓石が見えるのは一瞬なんだけどね。

ラジオは相変わらずゴンチチの番組で、

誰か知らない人がやっている、ジョージハリスンのカヴァー曲の紹介をしている。

そのとき、ふっと

佐治と二人でこのお墓、何度も来たよな・・・・と思い出して、佐治の顔を思い浮かべた瞬間に、

ラジオでゴンザレス三上が「インドの發弦楽器、シタール」と言った。

まったくシンクロした時間。ちょっとびっくりしたな。


・・・佐治は晩年、シタールの音色をすごく気に入っていて、

佐治と一緒にやった最後のライヴではALTZにシタール弾くように強く要望していて

(それは実現して彼はニコニコしていた)、

何かそれがけっこう印象に残っていたから、

昨日の出来事は意味ありげなシンクロに思えたんだよ。

突然佐治が現れて「シタール」って言ったみたいだった。


当分、その余韻に浸りながら運転した。





その後もう、ラジオのスイッチは消してしまった。

心動かすような出来事の連続ってけっこう、体力(精神力か?)使い果たすよね。








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RADIO,RADIO,RADIO!

2018-03-18 16:44:27 | Weblog

春は、運送仕事の繁忙期で、昨日の土曜日はトラックでラジオを聴いていた。

これを読んでくれてるヒトの中にも何人かリスナー仲間がいる、

ピーター・バラカンのラジオ番組「ウイークエンド・サンシャイン」。


トラックで仕事中に聴くのはいいのだけれど、

荷物の積み下ろしが8時から・・・・というパターンが多いので、

7時20分から9時までの番組、聴けない時間が多い。

だから積み下ろしの最中は、ラジカセにカセットテープを入れて録音しておく、という事にしているのだ。

家で聴いてる時も、きっちり(というか大雑把に)、録音してるんだけどさ。

後でまた聴くために。

・・・・・・・・・そこまでするか?とも思うが、そこまでして聴く価値があるのだ。


さて昨日、2018年3月17日の「ウイークエンド・サンシャイン」は

ニーナ・シモンの「ジンハウスブルース」がかかって、ああ!

浅川マキの「ジンハウスブルース」はこれがモトだった(ピーターさんがそう言ったのではないよ)のだな、

と推察して・・・感動した。

歌詞も、英詞の聞き取りは苦手、というか出来ないのだけれど、

聞き取れた範囲内では・・・浅川マキヴァージョンはきっと、直訳に近い感じだったのだろうな、と思った。

思い返せば1990年、僕は浅川マキをまだ名前しか知らなくて、

某大学祭でランブルフィッシュで共演する、という話が決まった時、

主催者から送られた膨大な参考音源の中にこの「ジンハウスブルース」が入っていて、

まっさきに気に入った曲だった。

僕にとっては、初めて聴いた浅川マキの歌(のひとつ)、なのだ。

オリジナルはニーナ・シモンだったかぁ。さすがに、渋いぜ。

ニーナ・シモンのオリジナルヴァージョンももちろん、とても良かった。貫禄。

マキさんのほうがちょっと、色っぽさ、という点では勝ってるかも。


ニーナ・シモンでもう一曲、最高にかっこいい歌モノジャスの「ワークソング」もかかった。

この曲は・・・だいぶ以前、何かのCMで流れて、かっこよさにぶっ飛んで、「何だこれは?」と思っていた曲。

これもニーナ・シモンだったのか。初めて知った。


CMで聴いて感動して・・ということは、あまりないのだが、たまに、ある。

大昔、まだ小学校の高学年くらいだった頃だと思うのだが、

テレビ・・・かラジオかどちらかのお菓子の「ガム」のコマーシャルで

ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」が使われていたのだ。黒いガム。

当時はまだビートルズは・・・ほとんど知らなくて(一部の有名曲は知ってたけど)、

単純に、ぶっ飛んだ。最高にかっこよかった。

特に、イントロの楽器の音(後々に、10穴ハーモニカと知ることになる)が不可思議で、アメイジングで。

歌も、ビートも、パワフルで、爆発的で、お洒落だった。


さて、CMで使われていて、それで聴いてかっこよさにぶっ飛んだ曲、というのがもうひとつあって、

それは「すべての人の心に花を」だ。

CMで使われていたのは喜納さんのオリジナルヴァージョンではなくて、

誰か女の人が、アカペラ、かそれに近い形で歌ってるもので、それでも、すごく良かった。参った。

確かTDKのカセットテープか何かのCMだったんじゃないかな。

僕は中学生だったと思う。

「泣きなさい 笑いなさい」という歌詞は一種、究極だよな・・と思ったのを覚えている。


昨日のラジオの話に戻る。

トラックで仕事中にラジカセでラジオをカセットに録音する・・・のは簡単そうだが、

簡単ではない。何しろ仕事中にそんなことやってるの気付かれたくないし、

場所によってラジオの受信状態も変わるし、電源も、エンジンを切るたびに切れたりする。

でも、昨日の放送は、ほとんどバッチリ録れた。ふふふ、ちょっと慣れてきたな俺、などと思いつつ

走行中に聴きなおすと、

「ジンハウスブルース」と「ワークソング」のところだけ、電源のトラブルで録れていなかった。

とほほ。どういう偶然だよ。

あの2曲だけで今日は大豊作だったよな、後で何回も聴こう・・・・と思ってたのだが。


でも、「聴けた」だけでラッキーだったのだ。本当にそう思う。



こうなったら 昨日ピーターさんが紹介していたニーナ・シモンの

二枚組みの、初期シングルを集めたベスト盤・・・買うしかないな。










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ヤなことばかりは、ありゃしない。

2018-03-15 22:24:11 | Weblog

「いいいことばかりはありゃしない」ってのは言わずと知れた、RCサクセションの名曲のタイトルで、

でもこれは真実を衝いている言葉だと思う。

もちろん、「いいこと」ばかり起こるワケなどないのだが、

もし、仮に 悪い状況に陥ってしまっても・・・ぢっとしばらく我慢して耐えて、

やり過ごしてさえしまえばそのうち、「いいこと」が起こって、

スパッ!と爽快な音を立てて厄介な物事が改善される・・・ようなことだって、ある。

諦めて、投げやりに投げ捨てたりしなくて本当に良かった、と後で思うことって多いのだ。

少なくとも僕の場合は多い。

一言で要約すれば、

「ヤなことばかりは ありゃしない」のだ。楽天的に行こう。

君のことを、すごーく気にかけてくれるヒトだって、何人かは、いる。

世界中に愛されてるワケでは勿論、ないけど そんな風にジイシキカジョーにならなくてもいいのだ。

ジイシキカジョーってカタカナで書くと「明日のジョー」みたいで、何かいいな。

それはともかく

誰かに期待しすぎると大体がガッカリしてしまうことが多いから、

過大な期待はご法度、って、相場が決まってるんだけど逆に、

過大な絶望・・・なんてものを抱え込んでしまっても、まあロクなことがない。

この先、「いいこと」なんて一つも起こりゃしないんだ・・・・・・・・・なんて本気で思い込んだら、

何もかも嫌になるよね。

「いいこと」は今後、起こる。・・とは言っても、「ヤなこと」も起こるけどさ、

「ヤなこと」は、やり過ごせばいいんだってば。それで済んじまうんだから。

ジョージハリソンも言ってたみたいに、

「すべての物事は過ぎ去っていく」からさ。

そう考えたら

人生ってのもそう悪くないもんだ・・・ってそんな風に思いながら生きたい。


今日はいい天気だったね。




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最低。

2018-03-14 22:18:22 | Weblog
今更ながら言うが、

公文書改ざんの責任を取って、アベ内閣は総辞職するべきだ。

佐川も、アベアキエも国会で証人喚問してからね。

それにしても

ちょっと前の国会で

野党議員が過労死したヒトの話をしている時に、

ニヤニヤ笑っていたアベ首相とアソウ財務大臣兼副首相。

過労死した方のご家族もあの場に居られたというのに。

「他人の痛み」とか「人権」 を、とことん踏みにじる奴等。

最低だ。

僕は彼らを、人間として軽蔑する。

そんな人たちがわが国のトップにいて、好き勝手なことを画策している。

ゾッとする。

そしてモリトモ学園の件で、ついに自殺者が出た。財務省の役人。

「最悪」と言っていいだろう。心から同情する。

彼は・・・殺された のだと、僕は思う。「社会」に、殺されたのだ。

過労死のヒトも、社会に殺された、と言っていいだろう。

改憲のことだってあれは、「人権軽視」の方向に改悪されかかってるようなモノだぜ?

そうなったら次に殺されるのは我々(僕、もしくは君)であっても何の不思議もない。

悪夢だ。

この悪夢が早く終わって欲しい。


アベ内閣は即刻、退陣せよ。
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DO IT.

2018-03-13 22:07:23 | Weblog

何も言わない、何も書かない・・・・・という在りかたも、あるといえば ある。


沈黙はGOLDなり。


トキハカネナリ、だったけ?   まあいいや。



でも


やりたいんなら やりゃあいいし、


めんどー臭いんなら 放り投げときゃいい。


物事はシンプルだ。



それでも・・・・何か「やる」ことに意義を見いだすなら



そりゃやっぱ、「やる」しかねえだろう。



アウェーな他人のことをいちいち気にしていても仕様がないし、意味もない。


「やれる」状況に感謝して、


兎にも角にも、やるのだ。



他に選択肢はない。



我々は「生命体」であって、


「生きる」のが使命だ。


っていうか・・・・・・・・・・・・・・・・・そうするのが「自然」だ。





無理なく行こう。




やれることを、やろう。



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