例えば、英語の一人称代名詞は
”I”しかない。
英語って良くも悪くも記号的だ。
(アルファベットにしてもそうだし。)
男も女もオカマもオナベ(笑)も、老人も親父も子供も、
気の弱い奴も強い奴も、
立場が上の人間も下の人間も、
公的にも私的にも、
気分のいいときも悪いときも、
ヤクザだって、神父だって。
みんな、自分のことを言うときは”I”だ。
対して日本語はその点が複雑で、
その時々によって使い分けなければならない
話す相手の立場によって話し方も変えなければいけないし。
でもまぁ、その分、複雑な良さ・・・と言うか
微妙なニュアンスを言葉で表現出来たりも、する。
(もちろん、失敗することだって多いが。)
男の場合だが、
自分のことを「俺」と言うか、「僕」と言うか。
「私」と言うテもある。「わたくし」とか。
「こちら」とか。
「ワイ」とか「おいら」は言わないか。
でも「わし」って言うひとは沢山いるぞ、特に中国地方は。
女性だったら
「私」、「わたくし」、「あたし」、「ウチ」、
「あたい」・・・は言わないか。
相手と自分の関係、もっと言えば
「上下関係」を瞬時に見極めてからでないと、
会話を始めることすら出来ないのだ。
だって例えば目上の人に
「俺はなぁ・・・」なんて言わないから、フツーは。
言う人もいるんだろうけど。
俺の大好きな作家のひとは翻訳も多数こなしてるのだけれど
著書の中で
「”I”を{僕}にするか、{俺}にするか、という問題がある」
というようなことを言っていた。
「{僕}と{俺}の中間があればいいのに」とも。
有名なSF作家、アイザック・アシモフの名作に
”I ROBOT”というのがあって
(ちょっと前に映画化されましたね)、
日本語訳のタイトルは
「われはロボット」である。
完結に「我」と言う感じは、”I”に近いように思う。
しかし、何なのだろうと思う、
「俺」と言った時の「(必要以上の)強さ」とか
「僕」と言った時の「(必要以上の)弱さ」とか
「私」と言った時の「(変な)固苦しさ」とか。
どう言ったって、全然ニュートラルじゃないのだ。
その点・・・”I”のニュートラルっぽさは、凄いと思う。
記号的であるがゆえに獲得出来たニュートラルっぽさ、
なのだろう。
平等、と言うなら英語の方が平等だと思う。
平等で記号的でドライだ。
でも俺はこの
ウエットで妙に複雑な「日本語」が好きだな。
って言っても・・・・・・・・・・・
これしか知らないんだけどさ(笑)。