"I"について考える

2008-11-29 20:44:10 | Weblog

例えば、英語の一人称代名詞は

”I”しかない。

英語って良くも悪くも記号的だ。

(アルファベットにしてもそうだし。)


男も女もオカマもオナベ(笑)も、老人も親父も子供も、

気の弱い奴も強い奴も、

立場が上の人間も下の人間も、

公的にも私的にも、

気分のいいときも悪いときも、

ヤクザだって、神父だって。



みんな、自分のことを言うときは”I”だ。


対して日本語はその点が複雑で、

その時々によって使い分けなければならない

話す相手の立場によって話し方も変えなければいけないし。


でもまぁ、その分、複雑な良さ・・・と言うか

微妙なニュアンスを言葉で表現出来たりも、する。

(もちろん、失敗することだって多いが。)


男の場合だが、

自分のことを「俺」と言うか、「僕」と言うか。

「私」と言うテもある。「わたくし」とか。

「こちら」とか。

「ワイ」とか「おいら」は言わないか。

でも「わし」って言うひとは沢山いるぞ、特に中国地方は。

女性だったら

「私」、「わたくし」、「あたし」、「ウチ」、

「あたい」・・・は言わないか。



相手と自分の関係、もっと言えば

「上下関係」を瞬時に見極めてからでないと、

会話を始めることすら出来ないのだ。


だって例えば目上の人に

「俺はなぁ・・・」なんて言わないから、フツーは。

言う人もいるんだろうけど。



俺の大好きな作家のひとは翻訳も多数こなしてるのだけれど

著書の中で

「”I”を{僕}にするか、{俺}にするか、という問題がある」

というようなことを言っていた。

「{僕}と{俺}の中間があればいいのに」とも。


有名なSF作家、アイザック・アシモフの名作に

”I ROBOT”というのがあって

(ちょっと前に映画化されましたね)、

日本語訳のタイトルは

「われはロボット」である。

完結に「我」と言う感じは、”I”に近いように思う。


しかし、何なのだろうと思う、

「俺」と言った時の「(必要以上の)強さ」とか

「僕」と言った時の「(必要以上の)弱さ」とか

「私」と言った時の「(変な)固苦しさ」とか。

どう言ったって、全然ニュートラルじゃないのだ。


その点・・・”I”のニュートラルっぽさは、凄いと思う。

記号的であるがゆえに獲得出来たニュートラルっぽさ、

なのだろう。


平等、と言うなら英語の方が平等だと思う。

平等で記号的でドライだ。


でも俺はこの

ウエットで妙に複雑な「日本語」が好きだな。


って言っても・・・・・・・・・・・

これしか知らないんだけどさ(笑)。








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頭の中ダダ漏れ

2008-11-29 12:15:19 | Weblog

いつも電車の中でノートに、

この日記を書き付けているのだが


こーゆーのってしかし


「頭の中ダダ漏れ」デスね。

大丈夫なのか?

いや全然大丈夫じゃないかも(笑)。



しかし、

久し振りに友達に会ったりして、

その友達がこれを読んでくれてたりすることがけっこうあるから

話が早くていいのである。

近況を全部知っててくれるから

説明する手間が省けるのだ。

こりゃいいや、ははは  って、


それだけのためにやってるんじゃないんだけど

便利なのはいいことだ。


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ここ数日は濃かったっす

2008-11-27 23:36:44 | Weblog
昨日は母親が京都に来たので

近所の店で一緒にランチを食べた。

以前は何に一回か二回「帰郷」していたのだが

ここ何年かは「帰郷する」という習慣がなくなってしまったので

母親と時々、外で会ったりするようになった。


しかし、「母親と会う」と言う必然性は一体、どこから来るのか?


「用も無いのに」会うのだが、そこには確かに

「必然性」みたいなものがあるのだ。


俺にはマザーコンプレックスみたいな要素はなく、

むしろその逆なのだが。


考えてみたら母親とは、

「いちばん古くから知ってる人」である。

それどころか、ほとんど「分身」なのだ。


実際、母親と俺は、よく似ている。

顔もたぶん、似ているし、

わりに適当なところとか、忘れっぽいところとか。

指が90度曲がるところとか、

大量に水を飲んでしょっちゅうトイレに行くところとか。

普段は煙草吸わないのに、お酒飲むときは必ず吸うところとか。

基本的に目覚まし時計とかなくても朝起きられるところとか。


自分でも似ていると思う。

兄妹の中で一番、母親に似ているのが俺なのだ。


昨日、京都を二人で歩きながら

40年前にはきっと新宿でこんな風に歩いてたんだろうな、と思った。






それにしてもここ数日は濃かった。


まず・・・・・・・

ピカレスクのスタジオで

新加入ヴォーカリストのHAOちゃんと出会い、

おそろしくすんなりとピカレスクは変貌する。

・・・・・・楽しすぎてスタジオ後、酔っ払う。


次の日は怒髪天ライヴ@大阪BIG CAT。

「マキシマム・ザ・ホルモン」のTシャツを着た奴らがいっぱいいて

すごいことになってたけど(笑)、

怒髪天はきっちり、凄かった。

あいつらのあんな熱いライヴ、初めて観た。ほとんどキレてた。

笑いもしっかり取ってたし、すごくいいライヴだった。

その後、三つ寺の「ガンジャ」に行って酔っ払った。


そして昨日。

母親と会った後、埼玉から来ている親友に会いに奈良、天理へ。

双子が産まれたらしくて、まあ、何にしろ目出たい事だ。

だから・・・・・・・・・・・酔っ払った。




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反転

2008-11-26 09:01:52 | Weblog



また前回の続きみたいになるんだけど、

トマトとかナスに対してそうだったみたいに、

「大嫌い」と「大好き」って簡単に反転する。

そういうことが俺には時々、ある。



・・・みんなそうなんじゃないか、って思うのだけれど

そうじゃなかったらどうしよう(笑)。


しかし何でそうなるのかな。

強烈に嫌いな物、とか人、ってもしかして

「大好き」な要素を持ってるからこそ

「大嫌い」になるのだろうか?とか思う。

だから、くるっと反転・・・・。





ところで、俺が子供の頃に時々見ていた

「すごく怖い夢」ってのが、何を隠そう

「反転」だった。


すごく抽象的な夢で、

熱を出してうなされてるような時によく見たのだけれど


二次元で、平面で、白と黒しかなくて、

無理やり言葉にすれば俺は「糸」で、

その世界を進んでいく。

やばいな、と思ったら糸が絡まりだして、

あせって何とかしようとしてるうちにどんどん絡まって、

どうしよう・・・滅茶苦茶になってしまう・・と思いつつ

どんどん滅茶苦茶になって行って、

最後にすべてが、一瞬で「反転」する。

世界がぜんぶ、ひっくり返るのだ(この瞬間が恐怖の頂点)。


白は黒になり、

上は下になり、

右は左になり、

善は悪になり、

有は無になり・・・



それが混乱のとどめで、

もう何もとりかえしがつかない。

すべては失われてしまったし、

世界は損なわれてしまった。


それで俺は逃げ出せなくて、

そこでいつまでもいつまでもうなされている。


そんな夢だった。


具体的な形をとらない恐怖。

誰にもうまく説明出来なくて、すごく悔しかったな。


いつ頃から見なくなったんだろう?





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「快」について

2008-11-22 14:29:28 | Weblog


前回の続きみたいになるけども。



子供の頃には無かった

「快」

ってどんなんがあるかな?って

考えてみた。


順不同で、思いつくままに。


☆「本を読む」という「快」。

素晴らしい作品に出会うと、”生きててよかった”とすら思う。

そういえば最近になってやっと、

ウイリアム・ギブスンの名作、「ニューロマンサー」を読んだ。

・・・・・・・凄かった。


☆「サケを飲む」という「快」。

サケを飲むと俺はほぼ確実にシアワセになります(笑)。

佐治の言った通り、「ウイスキーは魔法の水」である。


☆オンガクを創ったり、演奏したり、歌を歌ったりする「快」。

音楽的快感。「非音楽的」な俺にも、そーゆーのはあるのだ。


☆大好きなトモダチと会ったり、

喋ったり、手紙のやりとりをしたりする「快」。


☆ものを喰う、という「快」

子供の頃はとにかく、異常に好き嫌いが激しくて、喰うのが面倒で。

「好き嫌い」って言っても、好きな物なんてほとんどなかった。

嫌いなものばかりだった。そして今、「嫌いだった物」の

ほとんど全てが「好きな物」になっている。

要するに、「喰わず嫌い」だったのだ。・・なさけない(涙)。


☆「バイクに乗る」という「快」。

これは・・・・・説明不要か。


☆「服をとっかえひっかえしてみる」という「快」(笑)。

二十歳ぐらいになって、古着屋で働き出すより以前は、

自分のサイズに合う服など、この世には無い・・・・

と思ってあきらめていたのだ。

でも実は 古着の中には俺に合うサイズもあったし、

女物を探せばいくらでもあったのだ。


ファッション・・・・・ファッションなんてね!?

でも最近、あらためて自覚したのだけれど、

俺は「アンチ流行」タイプでっすね。

そんなん、言うまでもないか?





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コドモ

2008-11-20 21:41:45 | Weblog



幼ない子供って、動物みたいだ。そう思いませんか?

・・・動物ってつまり、犬とか、猫みたいな。


先のことなんか考えてないだろうし、

過去の栄光(笑)も挫折もない。

目の前にはただ「今」があるだけで、

それに終わりがあることも知らない。


・・・・で、

思い出してみたら

俺にも(誰にでも)そんな頃は、あったのですね。


目の前にただ、退屈な時間だけが

 でん、と居座ってていて

何をするでもなく、ただ生きていた

「単に子供の頃」が。


楽しかったか?というと、

別に楽しくはなかったと思う。


だって子供って・・・「不快」はいろいろあるけど

(眠い、空腹、鼻がつまる、ETC・・・・・)

「快」って、特にないから。


暖かいフトンにくるまって眠るのは、

大人の我々にとっては「快」なのだが

子供にとっては「それが普通」だ。

(ゴーマン、といえばゴーマンだ。)


「味」なんてぜんぜんわからないし・・・・


あと何がある?

「快」なことって何かあるかな。


「性」なんてないからね。「自我」もない。


むむむ・・・・。

そういえば子供の頃って

タイクツでしかたがなかった気がするなあ。





そう考えると、動物も大変なのかも知れないデスね。



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今は昔

2008-11-18 11:53:16 | Weblog

「いい歳をして~」みたいな

古いモラリティが消えつつある、

と言うか もう

消滅してしまったのかもしれないな、と思う。


昔、って言っても20年くらい前なら

子供がいるのに超ミニスカートはいてる母親とか

シューショクせずにバンドやってる人とか

男の長髪とか

そういうのって、もっと白い眼で見られてたと思う。

あと、昔は大人が堂々と

オモチャなんて買えなかったよな。

フィギュアとか。

マンガとか。


子供のまま大人になることが許されるようになったのか、

「大人」という概念がぼやけてきたのか。

俺にはわからないのだけれど

これはきっと、「いいこと」なのだろう。


しかし、昔みたいに

厳然と頭の固い、頭の古い、「大人」・・・みたいなのがいて


「アンタ、はしたないからそんな格好やめなさい!」とか

「不良になるからエレキ禁止!」とか

「アホになるからマンガばっかり読むの止めなさい!」とか


やってくれてた方が何と言うか

張り合いがあるんだがなぁ(笑)、とちょっとだけ思う。


「禁じられた遊び」は

最上級に楽しいのだ。




P.S.

しかし「男の長髪」については、

昔みたいに文句言われることが少なくなって

ホントに嬉しいのデス。




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ボアダムス

2008-11-17 21:16:51 | Weblog

一昨日の話だが。

京都精華大学にボアダムスを観に行った。

巨大な体育館のド真ん中にステージ、

壁や天井に映し出される幾何学的な光、

おみこし(?)みたいなのに乗って

客席をぐるぐる周りながら叩くドラムセット2台、

(途中でステージに合体)

ステージ上にはドラムセット2台(合計4台)。

ステージ後方に、何が置いてあるのかと思ったら

ウワサには聞いていた、7本ネックのエレキ・ギターだった。

ひとの身長くらいあるボディに

右に3本、左に4本、テレキャスターのネックがついている。

後方に高く、掲げるように置いてあった、

紫と緑に塗り分けられたギターの化け物。

どうやら、ネックの一本一本がそれぞれ

オープンチューニングにしてあって、

山塚アイがそれを棒で叩いて演奏する。

なるほど、ネックが7本あるから、

それぞれオープンC,D,E,F,G,A,B,

に合わせているのではないか、と思われる。

度肝を抜く、新しい打楽器である。

いや、打弦楽器か。


可笑しかったのは、手で持てるサイズではないし、

形なんてどんなんでもよさそうなモノなのに

「テレキャスターが巨大化したような形」をしているのだ。

上部とか、下部とか、ネックの付け根とかの形が。

ストラトでもなく、レスポールでもなく、テレキャスってとこが

「ギター好き」の心意気を感じる。

テレキャスター、ってのは、大量生産エレキギターの

いわば始祖鳥みたいな存在なのだ。始祖にして究極。


・・・しかし、7本ネック・ギター。

作るのはそれほど難しくはないかも、と思う。

(専門家に頼めばね。)

しかし、何と言うか・・・・「思いつき」と、

それをやってしまえる「実行力」は、やはり

ソンケーに価するだろう。


増子の弟は、自分のギターを弾きながら時々、

「7本ネックギター」によじ登ってチューニングをしていた。

彼とは「ばるぼら」のとき

対バンする機会があったのだが楽屋で、

「ほとんど会話にならなかった」という微妙な過去がある(笑)。


山塚アイさんは日本橋で、

自転車に乗っているところを見かけたことがある。


何だかホームレスの人のようであった(笑)。

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我はミーハー

2008-11-16 23:50:12 | Weblog
俺はテレビを見ないし、

新聞もほとんど読まない。

映画も見ないし・・・・

そんな風な事を言うと、ほんのたまにだが

「世捨て人」扱いされることがあるのだ。


確かに「テレビ的世間」には全く興味がないが・・・


でも自分の成り立ち方、みたいなのについて考えてみたら

「世捨て人」なんてとんでもない、

俺は「ミーハー」と呼ばれてもいいような者なのだ。


だって例えば


小さい子供の頃は

「ウルトラマン」の怪獣に夢中だった。

そう、「怪獣ブーム」というのがあったのだ。

ソフビ人形をいくつも買ってもらった。

本当に、怪獣が大好きだった。


少し大きくなると、漫画に熱中する。

とにかく絵ばかり描いていた。

自分で漫画を描いてみたこともある。

・・・・投稿まではしなかったんだけどね。


そしてその後、ギターと出会う。


自分で作詞作曲するようになって、

パワフルで面白いトモダチと出会っていく。

後になって「バンドブーム」というのがあって・・・


気分は大きく盛り上がり、

普通に就職したりすることも考えず

バンドをやりながら「フリーター」になった。

それも、アメリカ村の古着屋の店員だ(笑)。


付かず離れずの洋楽ロックリスナーで、

B・スプリングスティーンの大阪城ライヴにも行った。

ストーンズの初来日ももちろん行ったし、

カート・コバーンが自殺した年の12月、

クアトロでのHOLEのライヴにも行った。


自分の参加したバンドで

インディーから何枚かCDを出しているし、

今でもソロで、ほんの時々だが

ライヴハウスに出演する。

ギタリストとしてバンドに加わってもいる。


最近は

日々の思うことを「ブログ」に書いている。



・・・・・・・どう考えても「ミーハー」だ(笑)。

どこが「世捨て人」だ。


日本中に百万人くらいいるぞ、こんな奴(笑)。





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存在

2008-11-14 08:36:45 | Weblog
「ただそこに在るだけで満ち足りた存在」に憧れる。




今日の朝、いつも仕事に行く途中の道で

木にカラスがとまっていて、辺りを悠々と眺め回していたのを見た。

紅葉の中カラスが美しくて威厳があったのと、

そいつのあまりにも「急いでない」様子が、

時間通り電車に乗らなければならない俺、という存在から見たら

何だか少しだけうらやましかったのだ。


そのすぐあとの曲がり道のところで

まだ若い母親と、ベビーカーに乗った女の子とすれ違った。

その子はすごく可愛くて、

ぬいぐるみを抱えて目をこすっていたのだけど


「幼児」というのも「ただそこに在るだけ」だよな、と思った。

俺の目から見たらその子も、

すごく満ち足りているように見えたのだ。


でもそんなのは一瞬の幻想に過ぎなくて、

カラスはきっとこの後、空腹と寒さに対して 

全存在をかけて戦わなければならないのだし、


あの子供だってもう少ししたらきっと、

「入試」とか「荒廃した教育」とかそういう下らないものに

巻き込まれざるを得ない(のかもしれない)のだ。


俺の大好きな小説の一説にあるように

「遠くから見れば大抵のものは綺麗に見える」のだ。



そうは思いつつも、それでも。


日溜りの中のタンポポみたいに生きられないかな。


・・・・無理かな。



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