ライフ

2009-08-31 21:17:29 | Weblog


あんまり楽観的過ぎるのも馬鹿みたいだけど

俺は

悲観的に生きていくのは嫌なのだ。


「完璧」なんて必要ない、

俺は・・・他人にだってそんなもの求めやしないぜ。



穴だらけ、ちょっとした失敗だらけ、

忘れ物だらけ、後悔することだらけ、

失ったものだらけ。


考えようによっては人生はそんな

「負の集積」にだってなり得るのだ。


ちょっとした失敗なんて、忘れてしまえばいい。

大体・・・他にどうしようもないぜ。


「失敗から学ぶ」なんてこともしなくていいし、

反省なんかしたって何も変わりやしない。


この先にはまだまだ

ぶっ飛ぶほど楽しいことが山積みで、

まだまだ出会っていない人だって大勢いる。


「最高の最高」を俺はまだ見ていないはずだ。


ついつい悲観的世界にずるずると引き込まれそうな時も

あるけど、

俺は全身全霊をこめて

楽観的に生きたいと思う。



人生が夢であれ、何であれ。




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ツァイスト・ガイスト

2009-08-28 17:50:47 | Weblog



ずっこけた天使は

ベルボトム型のジャージー・スーツ

ろくでもないターンテーブル世界の中心で

単純に目を回していた



大好きな曲を集めたカセットは

もう聴くことができない

まともなレコーダーがひとつもないんだ



電波の届かない街に住み

ジャック・ケルアックに心酔する

迷路からはいつの間にか抜け出した

それはそれで良かったのだと

今は思っている



爆弾濃度の殺人カクテル

そういうのを具現化したような君

でも火のついたロケット花火の行く先は虚空

そんなのは

始めっからわかってたはずなんだぜ。




P.S.




世界はあの手この手で

君からダウンを奪おうとする

君としては

一発逆転を狙うしかなかったが

もう可笑しくて可笑しくて


ほとんどのことがどうでもいいような


気になってしまうのだ。











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なきにしもあらず

2009-08-27 08:51:02 | Weblog


凍りついた河を越えるみたいにして

去ってしまったかのように見える夏は

どうせすぐまた戻って来るのでしょう。


僕はガリガリと砕かれるコーヒー豆の気分で

何だか眠っていても

回転すし屋のベルトコンベアーの上

みたいな感じで

気が休まらないのです。


飛び箱の三段目をやっと超えた。

狙ったところに着地できたかどうかはわからない。

この障害物競走はまだまだ終わらないみたいで

でもそれが続く限りは

僕はほかでもない僕として

「僕」的なものの構築(再構築)に

没頭することが出来るのです。


そしてそれが(それこそが)

”エントロピーを殺すナイフ”で


僕が求めて止まないものに

近かったりする可能性が

なきにしもあらず、

といったところ


なのです。



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重力

2009-08-24 08:55:00 | Weblog



今や季節は僕の前に

大きな暗いカーテンのように

のしかかろうとしていた。

何もかもが現実のようには見えなかったけど、、

遠い遠い影法師のような今日。

僕の意識は街のあらゆる所に拡散し、

何もかもを知覚しようとするのだが

そんなの、とういてい無理だった。

どんな風にでも生きて行ける、

それでも僕は「君」のことを忘れてしまうわけにはいかない。

だって「君」こそが僕を創ったのだし・・

そのことは時々、忘れてしまいそうになるのだけれど

でも間違いなくそうなのだ。

だから僕はこんな風に

暗闇の中を走り抜けている時だけ

「僕」になれる。

世界を抑圧する重力と、

光を奪っていく何か。

空の向こうには荒涼とした風景が

延々と続いているだけだ。

世界のすべての明かりが消えた頃に僕は眠ろう。

少し疲れてはいる、でもだからって言って

何もかもを放り出した訳ではないのだ。



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日常と非日常と困難とリスクと楽しみと。

2009-08-22 22:19:01 | Weblog


俺にとってライヴは「非日常」である。

例えば年間100本ライヴをやるようなバンドでも

ライヴに「非日常」の要素がなければ

面白くなんかないのでは?と思う。


もしもライヴが日常になったら

そのときはきっと、

ステージの上で死ぬことを願い始めるだろう。

昔、誰かが歌ってたみたいに。


どこのステージで・・・?というのは問題ではない。

でももし「磔磔」のステージで死んだら

「ブルースメンのささやかな天国」に行けそうで楽しい。

でもそれが

今は無き「エッグプラント」のステージ上だったりすると・・

ちょっと怖いので考えたくない。

NY の「CBGB」だとジョニー・サンダースの待つ

「天上のアヘン窟」に着いてしまいそうで

むむむ・・ちょっと魅力的ではあるのだがやっぱ怖い。



・・・「日常と「非日常」の話に戻る。



海での「非日常」と、

都市のライヴハウスでの「非日常」とでは

根本からもう、全然違っているように思える。

でもどちらも、

「非日常」としか言えない種類の体験ではあるのだ。


しかし「日常」がなければ「非日常」もない。

強固な現実としての「日常」が困難であればある程、

「非日常」はぶっ飛んだ、まばゆい、

”この世のものとは思えない輝き”を放つ・・・

のかもしれない、と思う。

リスクの無いところに(大した)楽しみがないのと同じように。




「ウハウハで楽しいだけの人生」なんて、

どこをどう探してもありはしないのだ。









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夏休みの終わり

2009-08-20 09:26:25 | Weblog






四日間の「夏休み」が終わった。

まるっきり自由に、怠惰に過ごした。

感覚が麻痺しそうなくらい飲んだし、

大笑いしたし、

海で放心した。

何で自分が、ほとんど年に一回とはいえ、

海などに行きたがるのかがわかったような気がする。

海にいるときって、何も考えてないのだ。

そんな風になれる、っていうか

ただの「存在」みたいに。

過去の事も、これから先のことも考えずに

巨大な海辺の風景の一部になる。

「楽しい」とかそんなのを超越した行為のような気がした。

酒は一滴も持っていかないで、

そのかわりにギターを持って行ったのだけれど

海辺ではギターさえその魔力を半減させられてしまっていた。

ロックンロールは”都市の淫靡で不思議なもの”、

というような側面が強いかも・・・・って思った。

わからないけど。

野田知祐や、ジャック・ジョンソンならまたきっと

違う感想を持ってるだろうなぁ。

まあいいや。

もうすぐ・・・来月の四日は「夜想」で

ロカのライヴがある。

当分は、それのために生きていこう。

それまでは

「日常」を精一杯楽しもう。


ただいま~、

帰って来たよ。





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虫。

2009-08-16 12:37:04 | Weblog



見たことのない虫がいた。

大きめのウスバカゲロウというか・・・

(とは言え・・写真では大きく見えるが全長2cmくらい。)

トンボの幼生??と一瞬思ったのだが、

トンボの幼生はみなさんご存知の「ヤゴ」ですね。

そういえばトンボはあの、似ても似つかない「ヤゴ」が、

いきなりあの「トンボ」になるのだ。

考えてみたらすごいことだ。

オタマジャクシ→カエルもそうなんだけど、

すごい身近に、大変態をする生物がいるなぁ。

自然はおもしろい。

「トンボ」っていう言葉はすごく古い日本語で、

「飛ン棒」、もしくは「飛ン坊」という意味があるらしいデス。


それはともかくこの虫、なかなか綺麗だ。


でも、いつもいつも思うのだけれど

虫って一体何を考えているんだろう?

本とかには「脳が小さいので、人間以外の動物達(や虫達)は

本能で生きているだけで、何も考えていない」

というようなことを書いてあったりするのだけれど。

でも誰も実際に「聞いてみた」わけではないから、わからないよな。

この虫だってもしかしたら

「人生とは?・・・・・」って考えてる最中なのかも知れない。


いや・・・きっとそうなのだ、と俺は思う。

虫だけではない、すべての動物や、昆虫や植物たちは

きっと常に深遠な思索の只中に、みんないるのだ。

みんな「人生について」考えているのだ。


・・・・・・・・・・・・そうにちがいないぜ。




ところで俺は今日から

恒例の「夏の旅」に出ます。




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ボルヘス

2009-08-12 21:34:59 | Weblog

ホルヘ・ルイス・ボルヘス 「七つの夜」。


ボルヘスの本を手に取ったのは

この人の「幻獣辞典」という本が

俺のこの世で一番好きな小説の最後の

「参考文献」みたいなとこに載っていたから。


この「七つの夜」という本は

ボルヘスの講演を活字にしたもの。

難解なところもあったがものすごく良かった。

文学的とは言い難い事情で

この本を手元に置いておくことが出来ないので、

特に感銘を受けた部分を

日記に転記してまたいつでも読めるようにすることにした。

あたしったら何て実用的。


以下引用 

 第二夜・「悪夢について」より一部抜粋

「未開人やこどもにとって夢は目覚めているときの挿話ですが、

詩人や神秘主義者にとっては目覚めの状態がすべて夢だということも

ありえないことではない。このことをカルデロンは至極こう

あっさりと言っています。”人生は夢”と。

~中略~

当然のことながら、ここから導き出されるのが唯我論、

夢を見る人間はただひとりで、その人間は私たち各々ではないのか、

という疑いです。」


第四夜・「仏教について」より一部抜粋

「始めに苦悩があり、それが禅になります。

そして禅は生命を産みますが、生命は否応なしに不幸です。

生きるというのは、生まれて、老いて、病にかかり、死ぬことであり、

その他さまざまな不幸を意味します。

~中略~

私たちは情熱を捨てなければなりません。自殺は何の役にもたたない。

なぜならそれは情熱的な行為だからです。

自殺をする人は常に夢の世界にいるのです。私たちは、

世界が幻であり夢であること、人生が夢であることを理解しなければ

なりません。」



ホルヘ・ルイス・ボルヘス

「七つの夜」

野谷文昭訳

みすず書房

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擦過傷

2009-08-12 15:56:11 | Weblog


見も知らぬ街で僕は

君の残像を発見する。

360度が灰色の街、

僕の記憶は全然 定かではない。


「起こってしまったこと」と

「まだ起こっていないこと」の

ほんの0.1ミリくらいの隙間で僕は生きていた。


夢を見ているかのような現実

悪い冗談のような現実

どうがんばっても一筋縄ではいかない現実

まるで現実感のない現実。


僕は傷のついたレコードみたいに、

延々と同じところをぐるぐる廻り続けていた。


「永久に閉じた輪」ってのはそのことなんだ、

僕は恐らく抜け出せはしない。


「諦念」というのはひどく安定してしまった深い穴の底で、

少しの痛みにさえ慣れてしまえば

丸まったみたいに座り込んだままそこに

いつまでだって居る事が出来る。



あの懐かしい僕等の街の

窓から差し込んでくる実存的な光。


そんな風にしてそんなのを僕は

少しずつだけど思い出していたんだ。








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ビニール

2009-08-09 15:36:51 | Weblog
台風が接近しつつあるみたいで、薄暗くて涼しい。

こんな天気は昔から大好きなので嬉しい。

「夏の終わり」の始まり、といった感じか。

しかしまぁ、暑いのはまだまだ続くんだろうけどね。

ところで

ずいぶん前に読んだ丸谷才一氏のエッセイに書いてあって

びっくりしたこと。

「ビニール」というのを丸谷氏が初めて目にしたのは、

戦後(第二次大戦後)すぐのことだったんだそうだ。

進駐軍が持ち込んだ不思議な布・・・だったんだって。

何処かでもらって、弁当を包むのに重宝してしばらく使っていたのだけれど、

破れてしまい、そうなると代わりのものは、

「何処を探しても無かった」んだって。

その何年後かに驚くほどのスピードで普及して行ったらしいんだけど、

「ビニール」?ビニールがない????

戦中派のヒトなんかにしたらそれで当たり前なのだろうが、

しかし、現在の我々からはなかなか想像がつかない。

「ゴミ袋」はどうしてたんだろう?

傘は・・・布か。レインコート・・・も布デスね。

ビニ本・・・なんかあるわけないか。

買い物・・は「買い物カゴ」というのを持参で行ったのデスね。

やっぱり「ビニール袋」だな、ないのが想像もつかないのは。

漬物を買ったり・・ってあーゆーのは家で漬けてたのね。

でも「金魚すくい」でとった金魚はどうやって持って帰ったのか?

・・・謎は深まる。

しかし「ビニール」みたいな基本的なものの歴史が

そんなに浅いなんて驚き。

現代では環境汚染の代名詞みたいになってる「ビニール袋」。

たかだか60年ちょっと前は「なかった」なんてね。

でも大体俺はビニールもプラスティックも好きではないのだ。

便利なんだけど。

それにしても

戦前の暮らしって、どんなんだったんだろうね?




コメント (4)
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