僕が毎週ほぼ欠かさず聴いている
ピーター・バラカンのラジオ番組「ウィークエンドサンシャイン」が、
ここ2週続けて、ロビー・ロバートソン追悼特集だった。
すごくよかった。深く心にしみた。
ザ・バンドに関しての多くのエピソード。
ディランとのエピソード。
そういうのを聞いたあとで曲を聴くと、さらにその曲に愛着がわく。
歌もいい。
ザ・バンドはメンバー全員歌う・・のだが、全員の歌がいい。
そしてコーラス・ワークも素晴らしい。
何よりも曲がいいのだが、
ロビー・ロバートソンのギターが、特にソロパートが、「ヘタウマ」的(失礼)に素晴らしい、
ということにも今更ながら気づいた。僕も、ああいうのを弾きたい。
2週目は、ロビー・ロバートソンのソロからも選曲されていて、
こちらも良かった。
ピーターさんが言っていたことで印象に残ったのが、
ロビー・ロバートソンはザ・バンドが終わってから
ソロ作品を出すまでに時間がかかっているのだが、
どうも彼自身が
「他人に訴えかけるべき何かが自分の中にあるかどうかわからない」
という意味のことをインタヴューか何かで言っていたらしい。
(正確な引用ではないかもしれない。)
その言葉に僕は、軽い衝撃を受けた。
「他人に訴えかけるべき何か」。
もちろん、それは表現欲求の原材料である。
でも思えば、そんなものなしに作品を発表してる人は多いだろう。
それで悪い、ということもないが。
ここで自分自身のことを考えてみた。
僕にあるだろうか?
・・・ある。
それで他人が感心してくれるかどうか?はともかく、
「他人に訴えかけるべきもの」は僕のなかにある。
「それ」がなかったら、やらないだろう。
「それ」の存在を感じられなくなったら、やめるだろう。
こんな根源的なことを考えたのは、ずいぶん久しぶりだった。
そんな堅苦しく考えなくてもイイじゃん、とも思う。
いや、普段は全然考えていない。
でも何だか
ロビー・ロバートソンがそんなことを考えてたのだ、と思うと
少し心がほっこりするのです。
,
あと、ロビー・ロバートソンの母親がネイティヴ・アメリカン
(昔ならインディアンと言った)の血を引く人だった、という話が
とてもとても興味深かった。
彼は「居留地」まで、母親に会いに行っていた、という。
ええええ?引き離されて暮らしてたのかな。
ちょっと・・・・壮絶な気がする。
「ウィークエンドサンシャイン」は時々、こんな風に
誰かの追悼特集をやるのだが、
普段のメニューの時より深く、重く、感じる。