自己治癒力

2016-10-30 20:31:26 | Weblog

我々、生物の持つ「自己治癒力」というのはすごいものだ・・・と思う。

多少の怪我や、小さな肉体の損傷なら数日で跡形もなく治るし、

ヴィールスの侵入などによる病気も、ほとんどは体内で撃退する。

自分で「治そう」と意識しなくても、勝手に治っている。


修理工を乗せて海を行く船のようではないか。


先週は久し振りに風邪を引いてしまって、

何も指示してないのに早速、身体は発熱を開始した。

それはまるで音のない警報が体の中で響き渡ってるようだった。

映画「ミクロの決死圏」みたいな感じでおそらくは

白血球(か何か)とヴィールスたちが

必死の戦いを繰り広げていたのだ、私の体の中で。


近い未来に自律型ロボットというものが高度な形で実現したときには

この「自己治癒機能」というのが不可欠であろう。

もしかしたら未来はクルマとかも

「壊れたら(ある程度)自分で自分を修理する機能」を持ったものが

出現するかもしれない。

ドアについた擦り傷なんか放っておいたら数日で消えているし、

エンジンが調子悪くても何もせず車庫で眠らせておけば

一週間後くらいに復活している・・・・・・とか。

なんて便利なんだ、早くそうなってくれ。


ところで


窓の外では素晴らしい季節が展開されているのは知っているのだが

私は今日、歯医者で一気に2本も歯を抜かれ、

多少衰弱している。

このことは予測済みだったので、古本屋で本を四冊買っておいた。

歯医者から帰って、一日中布団の中で四冊の本をかわるがわる、とっかえひっかえして

読んでいた。幸せ。

どうでもいいのだが本のタイトルと著者を記しておく。


「思考のレッスン」丸谷才一

「ワニはいかにして愛を語り合うか」  日高敏隆  竹内久美子

「雲よ」  野田知佑

「猫にかまけて」  町田康



全部、いい本だった。幸せ。

明日で十月は終わってしまうが、それはまたそれで、いいのかもしれない。



さよなら、十月。

私の自己治癒力が私を復活させてくれることを願いつつ。
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十 月 の 終 わ り 近 く に、 も の 思 ふ。

2016-10-27 21:47:45 | Weblog


尊敬はたやすく軽蔑に変わるし、


愛は勿論 時として憎しみに変わる。


かと思えば


憎悪が愛に突然変異することだってある。


これは


愛/憎 が、とても危ういバランスの上に寄り添いながら成り立っているものである


からかもしれない。







思うのだが







誰かに腹を立ててしまうとき


実は自分自身がその人に


過大に期待しているか


過剰に甘えているか


のどちらかである  



  ように思う。







誰かに 裏切られた  と感じるのは



その人に勝手に 仲間意識を抱いてしまっている(いた)から



なのかもしれない。






他人に


腹を立てたくないし



誰かに 裏切られたくもない   のなら




何ひとつ他人に期待せず




誰にも仲間意識を持たずに



生きていけばよい




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のかも知れないが、









ホッキョクシロクマじゃないんだから




そんなの無理だよね。













そんなこと考えてるうちに目の前を十月が通り過ぎてゆく。




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2種類

2016-10-26 21:56:43 | Weblog

世の中の物事には2種類あって



それは


「何とかなっちゃう・・ような物事」

   と

「どうにもならない物事」に、分けられる。




ふむ。




「何とかなっちゃう物事」にも2種類あって、


ひとつは「努力すれば何とかなること」で、

もうひとつは「努力しなくても、なんとなく生きてればいつの間にか何とかなってること」

だ。



「どうにもならない物事」は、

努力しようが、しまいが、どう頑張ってもどうにもならない。

だから1種類しかない。




さて我々は、そんな世界の中で

一体、どれが①「頑張れば成ること」で、


どれが②「頑張っても駄目なこと」なのか


そしてどれが③「自然と何とかなっちゃうこと」なのか・・・・・・


というのが全く分からずに生きている。


それぞれの事象の見分けがつけば、

無駄な努力などしなくても済むから、楽かもしれない・・・・・・・・・・・・


と、思ったりもする。



つまり


①なら、頑張る。


②、③、なら頑張らない。




とても単純だ。










でも


もしかして



「無駄な努力」こそが


人生でいちばん大事なことなのかもしれない・・・・・・・・・・・・・・



と、思ったりもする。





「逆転のパラドックス」は、わりと、


ありとあらゆる所に転がっているものであるからさ。










どうだろう?












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羽化、輪廻、尻切れトンボ。

2016-10-25 21:52:40 | Weblog
いや、本当にすごいと思うのは、

ヤゴから「羽化」したばかりのトンボって、

練習もせずに、いきなり「飛ぶ」だろ?

さっきまで水中で生活してたくせに、何でいきなり「飛ぶ」んだ。

しかも、その初フライトから、もう実に優雅に飛ぶ。

昆虫だから表情までは読めないんだけど、

もう何年も前から空なんか飛んでたよ・・・みたいな顔して。

鳥類は、「飛ぶ」ために練習する。

ツバメなんかでも、練習してるのを見たことがある。

アホウドリなんか、随分練習しないと飛べるようにならない。

でも、昆虫って、練習もせずに、いきなり「飛ぶ」んだよな、ほとんどの奴が。

セミでも、蝶でも、みんなそうだ。

あの一見、飛びそうもないカブトムシですら「飛ぶ」。練習もせず。

でもあえてさっき、トンボのこと言ったのは、

トンボの飛び方が一番、優雅で精密で(難度が)高度で美しいように思うから。

蝶も、セミも、ホバリングなんてほとんど出来ないが、トンボはそんなの、お手のものだ。

蚊は、ホバリング・・・出来るのかな。でも蚊は飛ぶときに、耳障りな羽音を立てる。

あれには意味があって、スズムシとかの立てる音と同じだそうだ、

つまり、同種への求愛、そして縄張りの誇示。

大体俺は吸血する奴なんか嫌いだ、それが伯爵の称号を持った奴だったとしても。

トンボはその点、耳障りな羽音も立てないし、伯爵の称号も持ってない。

・・・・・・違う、トンボは吸血など、しない。

俺は「輪廻転生」など信じていないのだが、

もしいつか、なれるものなら、トンボになってみたい。

ふと思ったのだが「輪廻」って、もし英訳したら「リサイクル」ってことになるのだろうか?

「リサイクル」って実は、とても大事で貴重な概念だと、俺は以前から思っている。

水も、空気も、地球上の大事なものはすべて巡りめぐっていて、

我々は大きな「リサイクル」の輪の中に居る。

そう思うと、少し安心する・・・と言うか、何と言うか。

さてさて、いつものことだが「尻切れトンボ」のままで、今日も終わる。

明日は明日の風の中にいるだろう、多分。
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どんな気分

2016-10-24 21:42:59 | Weblog

ところでさ、

成虫になったウスバカゲロウは寿命が一日しかなくって、

それで、栄養を摂るべき「クチ」すらないって話、こないだ出たよね。


あれって

本人(ウスバカゲロウ)が、

もういいや、たった一日のことだし、

どうせ何も食べないから「クチ」なんか要らないや・・・・

って思ったのかな。

それとも・・・・だれか設計者がいて、

コスト削減のために、「クチ」は成虫から削除しよう・・・ってことになったのか。

「これ、いらないっすよ」かなんか言って。


何も食べなければ「クチ」がなくなってしまう・・・ってほど世の中、簡単じゃないと思う。


一日しか生きられない、っていうのもどんな気分だろう?って思うのだが

始めっから、自分に「クチ」が付いてない・・・・ってのも

どんな気分だろう?って思う・


でも、「羽根」が有ればいいか。


背中に「羽根」が生えてて、空を飛べるってのは ほんとの話、

どんな気分なんだろうね。







ああ・・・・・・・「「羽化」したい(←まだ言ってる)。


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普通って(その2)

2016-10-21 22:24:23 | Weblog

・・わかった。


モンダイなのは


「普通はそうでしょ」とか


「これくらい出来て普通」とか


「そんなの常識だろ」とか



本来はそれぞれのもの・・・であるべき「普通」という個々の価値観を


他人に(嬉々として)押し付ける人々が居る・・・っていうか、多いのだ。







そんな人といちいち対決するのは面倒くさいし、


労力の無駄なので



「はいはい」みたいな感じでスルーしてきた。


・・・・・みんなそうだよね。






だから結局は


「それぞれの価値観」や



「独善的な正義」を



他人に押し付けるのはよくないから、



そういうのは やめてね。って「世間」に言いたい。


それしかない。









・・・・・・・・・・っていうのが結論だわよ。










この件は、意外と反響が多かった。



みんな、「すんなり」とは生きてないんだなぁ・・・と思って、



ちょっと嬉しかったデス。




ドモアリガット。これからもヨロシック(←ネイティヴ・スピーカー風に)。
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オートマティック・ライティング

2016-10-20 22:29:53 | Weblog

待ちに待った季節の真っ只中で私は空気の中に溶けて透明な薄いセロファンになってしまったような

そんな錯覚すら起こさせる風が吹き、オートマティック・ライティングな日々は私の中で

一瞬が永遠に続くハレーションのような輝きを放ち、そうこうするうちに諦念は諦念として固定され、

流動的なのはそれ以外のすべての事象に及ぶ。川は流れ、時は流れ、星も流され、

すんなりと流れていかないのは私の、この心の中の葛藤だけであること甚だしい。

でもだからと言って、すべてが無に返すのは遠い遠い先のことであって、

今の私に出来ることはさまざまなこと全てを、この指の隙間から零れ落ちてゆく「今」を、

心を砕きながら十全に、100%、いや1000パーセント、

とにかくこの世に存在するあらゆる事象を出来る限り祝福する、それだけなのだ。

それにしても思うに、いつか全ての謎は、解けるのだろうか?

私のこの「哀しみ」が君に届く日が来るのだろうか?

星達が霰のように降ってくるかのような十月、満月も新月も私に気付かずに過ぎ去っていった。

でもそんなことはもう、どうでもいいのです。

どうでもよくないのは・・・・・この罅だらけのガラスみたいな心が

どうにかして粉々になった暁に、君が振り返ってあの懐かしい微笑をその顔に浮かべてくれるかどうか、

そのことだけ、なのです。

私のささやかな望みは、エンドマークが出た後にしか現出しない。

カーテンコールも終わり、客電も点灯し、終了のブザーが鳴り響く。

そこから始まるし、「そこから」しか、始まることなどない。

だから、初秋にさよなら。

大事なものは大事なもので、だからといって何ひとつ、消えないものはない。

そんな風にして我々は失いながら生きていくのです。

ああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やだやだ

ってのは嘘。

実は全部本当。

とか言って本当は全部嘘。

ぱっと光って消えちまう。

















なんてね。












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「普通」って。

2016-10-19 21:29:07 | Weblog



「普通」って何なんだろう?って、あらためて思ったな。




と、いうのは


”あくたがー賞”・・・だか何だかを受賞した小説「コンビニ人間」(村田沙耶香著)というのを


興味本位で読んで見たから。


装丁の絵が素晴らしかったんで、本屋で買ってみたんだ。


なかなか面白かった。



この物語の主人公は「世間的普通」に馴染めなくて、っていうか、


「普通」になれなくて悪戦苦闘している。



そうだ、俺も昔は「普通」っていうのが難問だった。


ガッコー行ってた頃はそうだった。


ガッコーは大嫌いだった。



でも、バンドを始めてからは、そしてバンドの仲間が出来てからは


そんなの、どうでもよくなった。


それどころか「普通」を嫌悪して、そんな風に生きてもいいんだ、と気付いた。



俺は


どう足掻いたって「普通」ではないし、


かと言って・・・・・どう頑張ったって「普通」でしかない、とも言える。



そういうのって結局・・・・価値判断の基準の幅が広すぎて、


一万人居たら一万通りの「普通の基準」があるかもしれない。



だから馬鹿馬鹿しいのだ、「普通」っていう概念に拘泥することは。



俺はそんなの、一万年も前に止めたぜ・・・・・・・嘘。



やめたのは三十年前だ。









俺の尊敬する友達は全員、全然「普通」じゃなかったし、今でもそうだ。




でも「普通」で何が悪い?とも、思うよな。



これは「逆転のパラドックス」だ。



つまるところ、俺は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



どっちでもいい。





でも、そういう類のことで悪戦苦闘してるひとも、現代にも、いるんだ。






「生きにくい」って言えば、確かに



そうだよね。

















あ、今思いついたんだけど


来年の”あくたがー賞”も、ボブ・ディランさんにあげちまえば?


そうこうしてるうちに


”ノーベル賞”もそのうち、「日本レコード大賞」みたいに




なるのか知らん?




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十月に。

2016-10-16 18:11:42 | Weblog

どう頑張ってもどうにもならないことはどうにもならないので

そのことについて

いくら考え続けてもしょうがないのだし、

我々に出来るのはただ

目の前に現れる障害物を、その時々の最善を尽くして乗り越え、

兎に角も兎に角も

前に進むこと、それだけなのだ。


悲しみながら生きることも出来るし

嘆きながら生きることも出来る。

でもある程度振り切っていかないと

泥沼に足を取られるみたいにして、動けなくなってしまう。


我々は「動物」であるので

動けるうちは動くことがとても重要な「テーゼ」なのだ。


動く、動く、動く。


考えるのは後ですればいいし、

今、動かないと逃がしてしまう物事・・・というのはとても多い。

「動いた」結果、逃してしまった、としても

それは、いいのだ。


動くことにこそ意義は、あるのであって、

「結果」ではない。


そんな風に物思う十月という季節、

君に会いに行ったのに君はいないのだ。

承知の上だった、とは言え

虚無感と喪失感と厭世感とエントロピーは

否応が上にも増大する。


ああ、でもね、バイクは直ったんだ。

何事もなかったかのように帰って来たんだよバイクの奴。

それと懐かしいギターも手元に戻ってきた。


離れてゆくのも何かの縁で、

戻って来るのも何かの縁だろう。

我々は何ひとつ「所有」など出来ていないのだ、と思うとき

それでも物欲なんか持てたら素敵だよな。











さよなら。来年、会えたらまた会おう。










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日々雑感。

2016-10-05 22:15:11 | Weblog

日々雑感。

ライヴが終わり、抜け殻から抜けた蝉の気分が寂寥感と共に私を包む。

十月はおろか、

九月なんて遠い昔の話だ。

九月に何をしたんだっけ・・・・・・・・思い出せない。

台風を幾つもやり過ごした気も、する。今日も今日とて、そうだった。

雨が降って。

そういえば、バイクに乗り出す以前は、雨なんかどうってことなかった。

むしろ好きだった。

でもバイク・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺のバイクは滅多に故障しないので有名なのだが、

今は珍しく入院中だ。あのバイクは今、バイク屋で眠っている。

ここんとこ、だから自転車に乗って仕事に行く。ひとくちに自転車と言ってもいろいろあって

・・要は、ビーチクルーザーもどきだ。そういうのが好きなのだ。

エコでいいのだが、すこしばかりスピードが呑気だ。

俺は、ぼぉっ・・・としてるように見せかけているが実は「せっかち」なのだ。

深い諦念に蝕まれた「せっかち」の末路。

いくら急いでみたって、時間を遡れないのなら何の意味もない。

とても哀しい。

友達よ、僕等は今でもしょっちゅう会っているような錯覚に陥ります。

君に会うのはいつも「冒険」だった。

うまく行くか行かないか、の瀬戸際で

僕等はいつも、「偽者のロシア式ルーレット」をしていたのでしょう。

でも嘘からは真実が生まれる・・・・っていうか、

生まれがちだ。

そういった真実を持て余した挙句に僕等は

っていうか「君」と「僕」は、

火花が散るくらいの角度でコーナーを走りぬけ、

煙が出そうなくらいのスピードと緊張感で、

ガス欠にガス欠を繰り返し、結果

「今世紀一、二を争う馬鹿者」

の称号を勝ち取ったのだ。


ああなんて

牧歌的なんだ。


のんびりした感じが、やっぱ俺は好きだな。



それじゃ、またね。
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