体験談

2021-10-31 19:19:53 | Weblog

ふと思い出したこと。

20代半ば。アメ村の古着屋を辞めて、次に働いた職場は

画材販売&配達、というものだった。50CCのスクーターで様々な画材を、

大阪市内中心部に無数にある、あちこちのデザイン事務所に配達するのだ。

雨の日はキツかった。

だから今でも大阪の本町辺りを車で通ると懐かしい。

そのあたりの裏道は、けっこう知っているのだトラックで通るのは無理だけど。

 

それまでやっていた古着屋の仕事はすごく楽だった。

ほとんどの平日は、お店で服をとっかえひっかえして遊んでいるようなものだった。

楽過ぎて、アメ村の店員仲間は アメ村を出て他で働きだすことを

「社会復帰」と呼んでいた。

ははは。今の職場の仲間の中には仕事を「懲役」と密かに呼んでいる奴もいるから、

えらい違いだ。

 

まあそれはいいとして、

 

僕はその、画材販売の会社でリアルな人種差別的偏見を持っている人間を見た。

その会社のKという事務員の女は僕よりいくつか年下だったのだけれど、

激烈な性格で、しょっちゅうキレて喚き散らすような奴だった。

小さな会社で、社員は5人くらい。

2DKのマンションを借りて、そこで会社を経営していたのだ、そこの社長は。

その社員5人で年末に忘年会的に近くの居酒屋に行った時、

その事務員のKという女が高校時代、美形で長身の男に告白されて付き合うことになったが、

彼氏が在日の人だったと知って、激怒して即、別れた、という話を始めた。

Kが言うには、「だまされた」そうだ。

「は??何が?何がアカンの?」と聞いてみたが話にならない。

アタマから決めつけているのだ。

考えてみたらそのkという女は上司にへつらい、目下に威張るタイプだった。

 

僕はその後もバンドやりながらいろんな仕事をしたが、

上司にへつらい、媚びを売り、部下や目下には挨拶も返さない、

というような奴らは世の中に、けっこう・・・いる。

 

遅まきながら、さっき突然気付いたのだが、

そういう上司にへつらう奴らと、人種差別する奴らの、

もとはきっと同じだ。

「立場」とか「種類」、そしてそれの「上下」で他人を見ているのだ。

飲食店とかで店員にやたら威張るやつもそうだろう。

クレーマーという奴らもそうなのかもしれない。

 

嫌だなあ、そんな世界。

効率優先とか能力主義とか、ルッキズムとかそういうの全部嫌なんだけど、

そういう差別主義者がいちばん嫌かも。

 

だから自分自身も気を付けなければいけない。

 

ああいう風になっては、いけないのだ。

ちょっとでも自分が、そんな風になっていないか?と

検証しながら生きなくてはならない。

 

誰だって、なってしまう危険性は、あるのだ。

 

 

 

でも、あそこまで酷い人種差別を公然と、大声で語る奴は珍しかったな。

今はどこで、どんな風にして暮らしてるんだろう?

あのKという女。

元気でいるかしら。

あの強固な偏見と差別主義が治っていたら、いいんだが。

 

 

 

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「ぼくY」、英国呼称、アイルランド、チーフタンズ。

2021-10-31 10:24:58 | Weblog

まずはこの本のことから。

 

ブレイディみかこ著

「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」  新潮社

 (以後「ぼくY」と略す)。

本屋大賞とか受けて最近、かなり話題になっているので読んだ人も多いだろう。

僕は

去年くらいにラジオで高橋源一郎が紹介していたのでちょっと気にはなっていたのだが、

最近、遅ればせながら読んで、

あまりにも面白過ぎたので、周囲の人に勧めまくっている。

 

この本は、いわばノンフィクションで、

日本を飛び出して英国で暮らし、アイルランド人男性と結婚し、その人との

子供をもうけた著者の女の人(僕と同世代)が

その子供のことを中心に英国での暮らしを描く、というもの。

 

何と言うか、本人は「パンク母ちゃん」と自分で言うのだが、

だからなのか、社会意識が高い。そういう話がすごく多いのだ。

人種的な軋轢の話も面白い。経済格差の話も。

 

僕は特に、タイトルをめぐる一連の話がすごく好きなのだが、

 

それはとりあえず置いておいて、

 

英国の呼び名・・・とその意味についてすごく興味が湧いたのだ。

 

本書の中に英国・ブライトンの、息子の通う中学校長と著者のやり取りの中に

「ブリティッシュ・ヴァリュー」

「イングリッシュ・ヴァリュー」

「ヨーロピアン・ヴァリュー」

と、3種類の価値観が出てくる。

「ブリティッシュ」が、もっと大きな視点で、という意味で「ヨーロピアン」に

移行していくべき・・・なのはわかるのだが、

イングリッシュとブリティッシュの差異がいまいち、わかりにくかった。

 

で、ちょっと調べてみたのだ。

 

英国を「イギリス」と呼んでいるのはもちろん、世界中で日本だけである。

そのことはもちろん、知っていた。

日本には歴史の経緯上、オランダ語がもとになってる言葉が多いのだが多分これもそうで、

語源はオランダ語のINGLESであるみたいだ。EをIで発音するなら、「インギリス」と

聞こえるかもしれない。

 

僕はだから、「イングランド」と呼ぶことが多かった。「UK」って呼ぶ人もいるよね。

ユナイテッド・キングダムの略がUKだ。

 

しかし、「イングランド」という呼称の中には

スコットランド、ウェールズ、北アイルランドが含まれないのだ。

このことは「ぼくY」の中でも出てくる。

だから英国全体、のつもりで言うなら「イングランド」は✖だ。

僕はちゃんと「UK」って言わなくちゃだわ今後は。

 

英国の正式名称は

「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」で、

これは恐らく戦争と侵略と抵抗の歴史の結果で、現在4つの国が「連合」として共存している。

イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド。

数年前にスコットランドが「英国離脱」すべく、国民投票をしたのは記憶に新しい。

そして、英国はその後、国民投票でEUを離脱した。それはともかく。

 

「ブリテン」は単に、あの島の名前が「ブリテン島」なのだ。

でもブリテンという呼び方では北アイルランドが含まれない。

それだったら「ブリティッシュ・ヴァリュー」も駄目じゃん。

 

むむむ。

 

しかし、アイルランド共和国と北アイルランドが別の国、というのはなかなか、

複雑だと思う今更ながら。

ここは国際紛争…テロとかが、いまだにホットなはずである。良いことではない。

 

さて

 

 

そのアイルランド(この場合はアイルランド共和国)の至宝、

とも言うべきバンド「チーフタンズ」の

屋台骨であるパイプ奏者のバディ・モローニが最近・・・亡くなってしまったそうで、

昨日の、ピーターさんのラジオ「WEEKEND SUNSHINE」は、彼の追悼特集だった。

全編、あまりにも素晴らしくて、何度も感動した。録音しておくべきだった、と思うほど

(来週土曜日までは「らじるらじる」の聞き逃しサービスで聴けます)。

何という豊饒な音楽世界。チーフタンズ最初期の音源から、

ヴァン・モリソンとの共演曲、

後半は、チーフタンズと共演する矢野顕子の音源の登場や、ジョニ・ミッチェルまで!!!

ジョニ・ミッチェルにはチーフタンズが「一歩引いて」演奏しているように感じた。

最終曲は2012年の、彼らの最後のアルバムの、何とパンチブラザーズとの共演曲。

どこまでも進化し続けるチーフタンズ、という感じで、本当にすごかった。

 

その番組の中でも、アイルランドの人々が英国に対して持つ複雑な感情について

ピーターさんが少し触れていたのだ。

 

ちょうど「ぼくY」のおかげで、その周辺の国のことを考えていたところだったから

ちょっとしたシンクロニシティで、そういうのは不思議で好きなので、

ここに書いて皆さんと共有したい、と思った次第。

 

今日の文章はちょっと長かった。

「ぼくY」については、また書くかも。

 

 

 

 

さてこの後は革ジャン着て、投票行動をしてきます。

 

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それにつけても

2021-10-29 21:22:19 | Weblog

それにつけても我々と来たら、現代文明の恩恵を思いっきり享受しながら暮らしている。

 

例えば「靴」ひとつとってみてもそうだ。

「靴」って…頑丈で、ある程度の防水性もあるものがほとんどで、スゴイ。

しかも、そんなものが、至極安価で手に入る。

日本では、明治期以前は「わらじ」を、皆、履いていた。

農耕民族としては稲の茎である「わら」っていうのが

使い捨て出来る数少ない、豊富な資源であったのだ。

しかし「わらじ」なら雨が降れば足元はびしょ濡れだ。寒い・・。そしてクッション性もない。

ファッション性も、もちろんない。あってたまるか。

 

でも農耕文化が大陸から伝わる以前は豊富な「わら」なんて存在しないから

素足だったと推察される。むむむ。岩場なんか歩けないよな。

冬は?冬はどうしてたんだろう??靴下もなしに。

想像しただけで寒い。それだけで風邪ひきそうである・・・・・・・。

 

靴からひとっ飛びに進化するが、

クルマ、ときたらこれはもう現代工学の結晶がタイヤ履いて走ってるようなもので、

鉄、非・鉄金属、ゴム、プラスティック、硬化ガラス、そしてバッテリー(電気) の緻密な組み合わせが、

化石燃料を小爆発させることで莫大な馬力とスピードを生む。

 

究極的にはこれは、「火」の応用なのだ。

 

そして今、ガソリンエンジン車から電気自動車へと大転換を遂げようとしている世界。

 

「電気」も、形を変えた「火」だ。

 

 

「電気」と言えば我々に一番密接な存在は、エレキギターだ。

 

エレキギター弾きの我々も直接的に「火」の文明の恩恵を賜っている。

 

僕は思うのだけれど、もしもギターがなかったら

少なくとも僕は、作曲も、楽曲演奏も、歌の伴奏も、出来なかったであろう。

何しろ、音楽理論何て全く知らないのだ。興味も無かった、ははは。

楽譜も、必要ないから読む訓練をしなかった。したがって、読まない、読めない。

 

でもギターの「コード」で和音を知った。

「スケール」で、使える音を知った。

他人と合奏することで、リズムの大事さ と、

基本的なチューニングの大切さを知った。

 

リズムとチューニングに関しては、

もっと早いうち(若いうちに)に気付いて、もっとちゃんとするべきだったのだが。

まあいい。

それは今言っても仕様がない。

 

 

でもいろいろと無知な俺が、

作曲したり出来るのだからやはり、ギターは素晴らしい。

 

アコギも素晴らしいが、エレキも素晴らしい。

 

 

靴もそうなのだが、

 

 

現代文明はやはり、素晴らしい・・・・・と

 

 

僕は思うのだ。

 

 

今日の言いたいことは、要はそれだった。

 

 

 

 

 

ところで、今週末は選挙デスね。

 

 

 

アソウとかキシダとかが「ぎゃふん」って言ってるのを是非、見たいなぁ。

 

 

 

 

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ばっくれ

2021-10-27 21:36:31 | Weblog

それにしてもアレだわよ、

生きるって・・・・せわしないって言うか何と言うか。

 

日々、

先々の心配事は絶えないし、

何らかのトラブルの種も、次から次へと芽を出しやがる。

 

歯車のぎっしり詰まった機械時計の中で暮らしているみたい、

高速度で走るベルトコンベアーの上で踊っているみたい。

 

もうちょっと穏やかに行けないものなのか年がら年中。

 

アタシゃまるで、

 

坂道を転がってゆく汚れた雪ダルマ、

廻り過ぎてひび割れた地球ゴマ。

 

そうしてる間にも

がしゃんがしゃんと、あちこちで音がする。

 

ピーピーとハウってるみたいな耳鳴りは止むことがない。

 

ふと見れば、誰かと誰かが罵り合っている。

 

 

知らないところで 誰かが誰かの陰口を言う。

 

 

俺の足を引っ張ろうと、誰かが隙を狙っている。

 

 

 

ああ。

 

 

 

 

打破してえなあ。

 

 

「世界」って奴の顔をさ、正面から一発、ぶん殴ってやったら、

 

 

よっぽど、すっきりするんじゃないか?と思うんだがな。

 

 

でもそれ、やっちまった日にゃ、

 

タダじゃ済まねえかもな。

 

 

 

いくら俺の

 

 

逃げ足が速い・・・・って言ってもな。

 

 

逃げ切れねえかも。

 

 

 

いや何、捕まっちまってもさ、

 

 

 

白ばっくれちまえばそれで終わりなんだがな。

 

 

 

 

 

今日はちょっと・・・・疲れてるな。

 

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受け入れよう

2021-10-24 17:11:18 | Weblog

私は、

私の身の回りに起きている様々な出来事を

もっともっと、受け入れていくべきなのかもしれない。

 

例えば、自分が歳を取っていくこと。

身体の経年劣化に伴う様々な現象が、ある。いちいち挙げないけどさ。

でもそれはそーゆーものだ、と、

ネガティヴに、ではなく受け入れればいいのだ。

 

それ以外には、

自分自身の、特性。

 

他人に出来ないことが出来る、というありがたい部分も一応、ある。

でも大多数の人が容易くやってのけることを

どーしても出来ない、という事も時々・・・たまに、ある。

昔からそうだった。

 

でもそれも、あまり気にせず、受け入れる。

 

駄目なところなんて、誰にだってあるのだ。

 

出来ないことは笑ってごまかして、

出来ることに関しては、それを ひけらかしたり、アピールしたり

しないように気を付ける。

 

 

今現在、困っていることも

そのうち何とかなるのだ、ずっとそうだったじゃんか。

 

とにかく

 

受け入れよう、受け入れよう、受け入れよう。

 

 

あ、

とは言っても、政府の傲慢な政策とか憲法改悪の動きなんかは

頑として受け入れないつもりだ、もちろん。

 

 

 

それ以外の

「自然なこと」は、

 

なるべく受け入れながら生きようと思う初秋をすっ飛ばして晩秋みたいな日々の

 

 

 

アタシなのだった。

 

 

 

 

写真は・・・・・文意とは裏腹に、顔を隠して自撮りする今日の老青年の私。

 

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僕は乗り越えて行くだろう。

2021-10-20 21:50:57 | Weblog

 

 

昨夜は仕事帰りにいつものようにバイクに乗っていたら

突然の集中豪雨に遭ってしまって(本当にひどかった)、

ずぶ濡れになって寒くなってしまって、帰ってきてシャワーを浴びたのだが

それでも寒気は取れなくて震えながら眠りそうになって、

もうこのまま風邪ひいてしまうかと思ったけど

ビタミンCを大量摂取して電気毛布を最大熱量でオンにして、

何とか持ちこたえた。危ないところだったけど、乗り越えたのだ。

 

僕を取り巻く状況は、刻々と変わり行きつつあるけど、

この今の嫌な状況も、こんな風に乗り切ることが出来るかもしれない、と

思っている。

 

コロナも、このまま ゆるゆると終息するんじゃないか?

希望的観測でしかないけれど、そんな気がする。

 

一緒にトラック仕事しているメンバーは、ぽつりぽつりと、替わってゆく。

僕は当分、このままでいいかもしれない。

変われるときにはときにはきっと、変われるだろう。

僕を取り巻く「流れ」が、否応なく僕を巻き込んでいくのだ。

物事が劇的に変わる時はいつもそうだ。

 

だから今は、ジタバタせずにいよう。

 

僕は今でも昔のまんま・・・・・・であると同時に、

別人みたいに、すっかり変わってしまっているのだ。

 

それはつまり、どちらの面もある、ってこと。

 

もう昔みたいにしょっちゅう風邪ひかないし、

それなりに 厚かましくもなれたし、

 

逃げるときゃ さっさと逃げるけど、

真っ向から立ち向かっていくことだってあるのだ、いつもじゃないけど。

 

 

 

それでいいのだ、

それくらいのユルい感じで。

 

 

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GOD

2021-10-19 21:01:36 | Weblog

「捨てる神あれば拾う神あり」という

言葉・・・・というか

格言(?)というか、概念が好きだ。

 

捨てられてばっかりじゃもうアタシなんかもう何処にも行き場もないけど、

良い出会いさえあれば人は、鬼ばかりの渡る世間の中でも生きてゆけるのだ。

 

これは、価値観の多様性の恩恵というか、利点でもある。

 

しかしこの言葉(概念?)に関して言えば、

捨てるのも拾うのも、どちらも「神」であるのが可笑しい。

 

「神」とはいったい、何なのか?我々にとって。

 

西洋の一神教の考え方の中では、

このような「捨てる神あれば・・・的な考え」は派生しないかもしれないよね。

八百万の神々が、そこいらじゅうに居て下さるからこその考え・・・では、あるのだ。

 

でもそういえばギリシャ神話の神々はやたら人間臭くて、

神々同士で

嫉妬したり

ケンカしたり

憎み合ったり、

嘘ついたり

している。

 

そうなると「神」も人間も、大して違わないような気もする。

 

 

そういえば

 

1960年代のイングランドでは「クラプトンは神」、という言説が広まった。

馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

もしもギター上手いヤツが「神」なら、

僕なんか、控えめに言っても・・・・・・・ボウフラだな、せいぜい。

いかんいかん、自分を卑下してどうする俺。

 

「神」とは逆に、

超短期間で信じられないほどギターが上手くなった

ロバートジョンソンという男は

「悪魔に魂を売った」という評判が立った。

1940年代のアメリカ、ミシシッピ州の話だ。

とある十字路で夜中に待っていると、悪魔が通りがかるのだそうだ。いい話だよな。

 

それにしても、ギターを上達させてくれるのは「神」なのか「悪魔」なのか。

 

 

どっちでもいいけど、

 

例えばこの僕がある日、道端に捨ててあったらぜひ、拾ってやって欲しいものです。

 

拾う神々の皆さん、ドゾ、ヨロシック。

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失なわれてゆく日々・・・の雑感

2021-10-18 21:13:17 | Weblog

 

 

巡り行く日々の事象って本当に移ろいやすいものだ、と実感する。

ぼんやりと、いつまでもある・・・・と思っていたらとんでもない。

ある日ぷつっと途切れてしまう、ブラウン管テレビの画面みたいに。

後に残るのは画面上のチラチラとした「残り火」みたいな光だけだ。

 

それにしても・・・色々と、アレだなぁ。

うかうかと暮らしていると気付かないうちに、

貴重(かもしれない)な機会を、ずるずると逃していきがちだ。

そしてそれを、永遠に失っていく。

 

僕としては

ただ日々が流れて行けば、全然それでいいようなものなのだけれど、

失った後に痛手をこうむってしまうのは避けがたい。

 

「在るもの」が存在するうちに、存分に愛することが出来さえすれば、

後で後悔など、せずに済むだろうか????

いや、恐らく・・・・そうではない。

どれだけ頑張って愛したところで 失った後に後悔は、やってくるのだ。

そうはいっても全身全霊で愛することはもちろん、無駄ではない。

無駄なものなど・・・・・・・ほとんどないのだ、この世には。

 

ところで話変わるけど

今年は十月に入ってもいつまでもいつまでも暑かったよな。

真夏日が六日だか七日だか続いた。これは気象上の記録更新らしい。

コースレコード。

夏が永遠に続くのか?と半ばマジで思ってうんざりしてたのだ。

でも昨日から急に変わったよね、突然 世界中の空気が入れ替わったみたい。

 

 

でも こんなのって、「変」だ、とは思う。気味が悪い。

 

 

今年は

 

八月のお盆時期に、梅雨どきみたいな長雨が降って、

九月は九月であまり、暑くもなく涼しくもなく、

十月に入って真夏みたいな天気が戻って来て、しかも続いた。

 

 

この後は・・・・どんな「変」なことが起こるのか。

 

 

楽しみな気もするし、ちょっと怖くて嫌な気もする。

 

 

僕の希望を言えば何一つ、

変わってなんか・・・・欲しくないんだがね。

 

 

無理か。

 

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ストーンズ動静

2021-10-12 20:51:54 | Weblog

高校生のときに大好きになったのだった僕はローリングストーンズが。

 

あの頃・・・1980年代初頭、普通の人はストーンズのこと、知りもしなかった。

いや、本当に。信じられないかもしれないけど、本当にそうだった。

僕の周りだけか???いや違う。

ビートルズならみんな知っていて、マニアとかもいたのだが、

ストーンズは全然、普通人には認識されていなかった、間違いなく。

熱狂していたのは一部のロックファンだけだ。

高校生だった佐治朝吉も、その一人だった。

その後、

1990年の初来日のときに、世間が急に、変に盛り上がって、気持ち悪かった。

そしてその東京ドーム公演が音悪過ぎだったのと、大勢の客が気持ち悪すぎて、

僕はそれ以来、「好き」が裏返って、アンチ・ストーンズみたいになってしまった。

それはミックの、インタヴューでの受け答えの意地悪さも原因なのだが。

 

そのアンチの呪いが解けたのが、つい何年か前のブルーズ・カヴァーアルバム「ブルー&ロンサム」.。

すごくいいアルバムで、僕はひっくり返って喜んだ。そして反省して、

ウチにあるストーンズのレコード達に向かって、当分の間聴きもしなかったことを謝った。

 

そして今年、チャーリーワッツが亡くなる。これで僕の「呪い」は完全に終わった。

 

代わりにスティーヴジョーダンが叩いているストーンズの動画が

早速上がっていたので、見た(聴いた)のだが、

あまりにも以前の音と違うので、ちょっとびっくりした。

敢えて・・・というかワザと、アレンジ的に変えて個性出してるのかもしれないが、

それにしても、というか何と言うか。

 

 

面白かったのが、ダリル・ジョーンズがムスタングベースを使っていたことで、

あの楽器、すごくいいのだけれど肝心の低音が出ないのだ。

それをあえて使っているのは、ビル・ワイマン風味を出すためなのかもしれない。

 

 

それと、今回のツアーから「ブラウン・シュガー」がレパートリーから外れたそうだ。

これは・・・例によって例のごとく、

ポリティカル・コレクトネスに気を使って・・・というものであろう。

 

だってあの歌の歌詞、けっこうひどいもの。

「黒人女性賛歌」などと評することもできるが。

しかし、そう受け取ったとしても内容はギリギリ過ぎだ。

本当は本当に黒人を尊敬してるくせにあんな風な悪ふざけ気味の歌を堂々と

演れてしまうところがストーンズの面白さでは、ある。

 

「ホンキー・トンク・ウィメン」も、直接的にやらしい歌なので、

いつか公の場では演奏できなくなるかもしれない。

あともうひとつ、

ちょっと前に、インターFMのシャウラというハワイ出身の若いDJの女の子が

「ビッチ」という題名に絶句して、憤慨していた。

「そんな題名の曲あるの?ストーンズって???ひどくない???」と。

 

 

そういう、ギリギリのところ、がストーンズの存在の

スキャンダル的に面白いところ・・・・なのかもしれない。

 

 

そうそう、

スティーヴ・ジョーダンは以前の、キースのソロにも参加していた人なので

今回のこの人事は「キース人脈」なのだ。

やっぱ、大事なところはキースが押さえているのだな、と思うと

安心する。

 

 

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蒸し返された蒸し鶏

2021-10-11 21:08:57 | Weblog

まるで永遠にクソ暑いのが終わらない夏みたいなこの十月、

我々はいつまでもいつまでも蒸し返された蒸し鶏みたいな気分で暮らしている。

何処まで行けばこの私に「救い」が訪れるのか?

いつになればこの煮詰まった、いや煮詰まり切った状況から解放されるのか?

誰がエントロピーを殺してくれるのか?

私の、神経症的な不安はどうしたら、そしていつになったら消えてくれるのか?

今の私にはとにかく何もかもが実存主義の絵画みたいに見える。

現実的なのか、それとも非現実的なのか、判別がつかないのだ。

でも、どう過ごしたって喧騒にまみれた日々は訪れ、そして去ってゆく。

去った後には何も残らない・・・・・いや、残るものもある。

それは「記憶」で、この世界には人間の存在の数だけ、それぞれ違った「記憶」がある。

逆転するパラレルワールドみたいなもので、

要するに誰もが、それぞれの世界でしか生きていないのだ。

そんな、それぞれのイビツな「記憶」が、まるでホコリみたいに

0.001ミリずつこの世界の表層に積もってゆく。

野原に、山裾に、道路に、ビルの屋上に。

そして薄いそいつの膜がいつのまにか「世界」を形成していくのだ。

止める手立てはない。

私が今、居るのは巨大なネズミ捕りマシーンの中で

我々はここから、何処へも行けはしない。

ああ、いちおう理解はしている、それは「考え過ぎ」だ。

我々の一番の敵は、「エントロピー」と「考え過ぎ」では、ある。

何も考えずに生きるのだ、それこそが正しい生き方だ。

そうだ、無心になろう・・・と、十月十一日の私は思う。

必要だから働くだけで、そこに意味はないし、そうしてただ人生を継続させて行くのだ。

意味はもしかしたら、その先にあるかもしれない。

ないかもしれない。

でも、あったらめっけもの・・・・くらいのつもりで行く。

もう既に、

ほとんどのことは、どーでもいいんだから。

 

 

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