09年の終わりに

2009-12-30 22:32:59 | Weblog

今、読んでいる言語学の本に素敵な言葉が出てきた。


今年最後になるかもしれないから

ここに書き記したい。


ウィドゲンシュタインという人の言葉


「世界とは言語が見る夢である」






ところで俺は何だか年々、

閉鎖的になっていってるような

気もするのだが。


まあいいや、

来年もいい年になりますように。

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サリンジャー

2009-12-29 18:27:25 | Weblog
サリンジャーのファンって、

ちょっと研究者的にならざるを得ないような所が

あると思うのだけれど、どうなのかな。


図書館で借りて、サリンジャーの実の娘である

マーガレット・アン・サリンジャーが書いた

「我が父サリンジャー」を読んだ。


いろいろと衝撃の、ほとんど暴露本である。

サリンジャー本人は、さぞかし激怒しただろうと思う。


いろいろと考えさせられた。


何よりも驚いたのが、サリンジャーは第二次大戦に出兵し、

ヨーロッパ戦線最悪の「バルジの戦い」などを

生き抜いてきた兵士であることを

恐らく、

誇りに思っている(であろう)ということだった。


彼は半分ユダヤ人なのだが、

ナチスに降伏直前のオーストリア(!)に留学みたいな形で

滞在している。その後、彼が深く愛した滞在先のユダヤ人家族は

全員、強制収容所で殺されている。

血も凍るような体験。

彼がいかにナチスを憎んだか、我々には実感出来はしない。


そのことはやはり、兵士として戦争に向かう

強いモチベーションになっただろうと思う。


それでも復員後のサリンジャーは

直接的に戦争を語ろうとはしなかったのだ。


嬉々として戦争を語るヘミングウェイとはだいぶ違う。

戦争に関わるすべての物事を

強烈に辛辣に否定するカート・ヴォネガットともだいぶ違う。


もうひとつ、知りたかった事実。

「ハプワース16,1924」が出版された1965年以後、

サリンジャーの作品は発表されていないのだが、

それ以後の作品は、やっぱり存在するみたいだ。

サリンジャーの死後、何らかの形で発表されるだろう。

サリンジャーは「書けなくなった」のではないのだ。

そのことを確信した。



いつか読めるのかな?

「グラス家もの」の、続きが。




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TOMORROW  NEVER  KNOWS

2009-12-29 10:42:04 | Weblog


「トゥモロー・ネバー・ノウズ」


作・レノン&マッカートニー


日本語部分は片山道郎作。訳詩にあらず。



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ゆうべ何処かで何度も恋をした

IT IS NOT DYING    IT IS NOT DYING


あの娘が言うには全部に意味がある

IT IS SHINING      IT IS SHINING


何処にも無いけど確かに見えている

IT IS BEING     IT IS BEING


考えてみれば昨日もそうだった

IT IS KNOWING     IT IS KNOWING


どっちみち皆んな笑ったり怒ったりして

IT IS BELIEVING     IT IS BELIEVING


君が居るだけで息をするだけで

OF THE BEGINING      OF THE BEGINING


風が変わるたびに恋をするたびに

IT IS NOT DYING      IT IS NOT DYING


時計がなければ時間なんてないだろう

IT IS SHINING      IT IS SHINING


始まりと終わりを何度も繰り返した

IT IS BEING       IT IS BEING


君の見る夢の一つになれたなら

IT IS BELIEVING      IT IS BELIEVING








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無垢

2009-12-27 22:53:31 | Weblog


「無垢」と「インチキ」に世界を分けて

最大限に心を込めて

「無垢」の側の擁護者でありたかったのだけれど


そう出来るくらいに

僕自身が「無垢」であればよかったのだけれど


でもそうではないし

大体において


世界の物差しはひとつではない


それどころか無限に思えるくらいの

「価値基準」が存在するので


そんな考え方自体が

「インチキ」だって誰かに

(例えばホールデン・コールフィールドに)

もし言われたとしたら


「そうかも知れない」って

言うしかないだろうと思うのだ



でも

こうも思うんだよ


「失われてしまったもの」は

永遠に


「無垢」なままで

在り続けるのかも知れない

ってね





・・・だって汚れようがないもの。





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とか言ってだいぶひどいけど。

2009-12-25 16:51:23 | Weblog
忙しすぎて忙しすぎて忙しすぎて

気分は完璧に奴隷。

資本主義の豚どもにこき使われる奴隷。


でもそんなにはひどくない

マトモとは言えないとしても

思ってたほど悲惨じゃない。


このまま

激怒したりすることがないように

何とか

来年に不時着出来たら

不幸中の幸い

といたっところ。


よくないのは

自己嫌悪したりすることだ。

他人に対してムカついてるぐらいはまだ

いい方なのだ。


あとしばらくはこのまま

殺人的ベルトコンベアーの環境で

「心?・・・心って何ですか?」

みたいな顔をして

機械的に息をして

何とか耐え忍ぼう。


歳を越えて2,3日すれば

きっと元に戻れる。


サイアクを想定していれば、

サイアクは訪れない。

そういうものだと思う。


サイアクが訪れたとしても、

それはそれで

サイアクな経験をするだけのこと。


でもきっと大丈夫

今のところ

そんなにひどくないから。





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寒い夜の出来事

2009-12-19 17:19:51 | Weblog


朝日新聞の夕刊で

しりあがり寿が連載している

「地球防衛家のヒトビト」のだいぶ前の回で

お父さんがギター持ち出して

「バンドやろうと思うんだ」ってちょっと照れながら言うと、

お母さんの反応が

あきれたような、恥ずかしそうな表情で

「まだモテたいんだこの人・・・」と心の中で言う、という。



俺よりちょっと年上の

かっこいいギタリストだった知人は もうだいぶ前に

バンド活動自体、やめていて

十五年くらい前に街でばったり出会ったとき

「もうギターもマーシャルも売った」と

「オマエまだやってるのか」みたいな顔をして

言ってたのだけれど

最近、そのひとのバンドが再結成してライヴやってる、という

話を聞いた。

・・・またモテたくなったのかしら(笑)。


しかし

ライヴハウスで長いこと活動している・・というのは

何の自慢にもならないよな、当たり前だけど。

「まだモテたいんだ・・・」と思われるだけだし。


でも、あるのだ。

まれにだが、「頭のてっぺんからつま先まで幸せ」

みたいな時が。

それのためにやっている。



水曜日はベアーズの楽屋で

20年前にペンキで俺が書いた

”ランブルフィッシュ”という

落書きがでかでかと残っているのを見た。


「オシリペンペンズ」のモタコが

ポスターを貼りに来ているのにも出会った。


しんちゃんとの演奏は至福だった。


寒い寒い夜でも、

心温まることはちゃんと、あったのだ。
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今夜は難波ベアーズで「ロカ」09年最後のライヴ

2009-12-16 12:37:06 | Weblog
もうすぐしたらリハーサルのために

難波に向けて出発するんだけどその前に。

ちょっと考えたことを。



音楽をプレイする、って言うよね。

スポーツとかも、プレイって。


語源的にあれって、本当に単純にストレートに、

「遊び」って感覚なんだろうなって思うのだ。


「今度また遊ぼうな」みたいな感じで、

子供が言ってるみたいなのに近い感じ。


もちろん、「遊び」だからこその真剣さ、というのはある。

「趣味」ではないのだ。

あくまでも「遊び」だ。

だから好きなようにやるし、

(好きなようにしかやらないし)

ちょっとした努力だってするし、

もしもいつか、

楽しめなくなったらそのときは・・・

やめることだって自由なのだ。



1992年にランブルフィッシュが解散した少し後に

佐治が作った歌、「JOY US LIFE」

の中に、ちょっと切ない一節がある。

「もっと遊んでいたいだけなのにYEAH

朝日と共にみんなどこかへ消えちまう」





・・・・どこかに消えちまわないでおくれね。

もっと遊ぼうぜ。



とりあえずは、今夜。
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明日12月16日は難波ベアーズで「ロカ」のライヴ。

2009-12-15 12:34:13 | Weblog
いよいよ明日。

俺のエレキギターヴォーカル

と、

カミグチシンヤの爆裂ドラム、

そんな

たった二人のロックバンド

「ロカ」

の、今年最後のライヴ。

大阪アンダーグラウンド・ロックの牙城、

難波ベアーズにて。


trespass、
ドリル武男with?(from.高地)、
ロカ、
FAAFAAZ、
open 18:30/start 19:00 adv \1500/door \2000

TEL・06-6649-5564


全然知らないバンドばかりなのだけれど、

ベアーズおすすめバンドたちなので

きっとかっこいいだろうと思う。

トモダチのバンドとライヴやるのも楽しいのだが、

こういうのも緊張感あっていいのだ。



ベアーズは多分、

今でも中でドリンク売ってないかもしれないから

難波駅のあたりのコンビニで

缶チューハイとか買ってきたほうがいいかも。

持ち込みオッケイなはずやからね。



ベアーズで会おうぜ。
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阿倍野再訪

2009-12-13 12:07:27 | Weblog




何らかの

「啓示」みたいなものを受けたように感じる時がある。

啓示の内容は

「人生の意味」だったりして。

「人生の意味」とはつまり、


「泣きなさい、笑いなさい」

(喜納昌吉「すべての人の心に花を」)


ということだったりするのだ。



喜納昌吉がいろんな事を超越したような人であるように

「どんと」もそんな人だったのだろうと思う。


昨夜は阿倍野・ロック食堂で

「どんと祭り」に出演させてもらった。

みなさんどうもありがっとでした。


別に昨日がどんとの命日・・・・

というわけでもなかったみたいですが

いろいろ思い出したりしてしみじみしたなぁ。


1991年頃。青森県の六ヶ所村で行われた

「命の祭り」。

俺はランブルフィッシュで出演した。

他の出演者は、山口富士夫、ボ・ガンボス他大勢。

巨大な野外ステージの裏の広大な野原が楽屋みたいになっていて、

そこにボ・ガンボスとその家族だけがいた。

どんとのとなりに座らせてもらった。

どんとの子供が野原を走り回っていた。

「やーやーどうもー」みたいな挨拶だけして、

あとは全然話とかしなかったのだけれど

俺達はずっとにこにこしてて、楽しかった。



後に幻になってしまう人なのだから

話しかけたり、触らせてもらったり(笑)

すればよかったのかも知れなかったけど。

まあいいよね。


昨日は

「トンネル抜けて」と

「さいあいあい」と

「ひなたぼっこ」と

「シビーシビー」と

「すべての人の心に花を」

をやった。


すごい・・・真面目にカヴァーしてる。

ボ・ディドリーの曲しかやらなかった

あうんさん・スージーとは大違いだ(笑)。


ああそう、ボ・ガンボスの「ボ」はもちろん

ボ・ディドリーの「ボ」なんだけど実はその「ボ」って

「美男」とか「いい男」っていう意味のスラングなんだぜ。

多分フランス語経由の。

誰かスージーに伝えておいてくれよ~。

昨日それ、言うの忘れてたから。



昨日

地下鉄・阿倍野の駅で降りて地上に上がったとき

あまりにも・・・の懐かしさ、というか

「帰ってきた感」に頭がくらくらした。

たった一年ちょと前まで俺はその辺で、

8年も暮らしていたのだ。



そういえば佐治が大阪に出てきて初めて住んだのが

阿倍野で、当時のランブルフィッシュの曲の歌詞に

「心斎橋で酔い潰れて、阿倍野に帰る途中 また雨が降り出して・・」

というのがあった。


佐治と撮った16ミリ映画のラストシーンは

天王寺から阿倍野方向に歩いて人ごみに消えてゆく俺を

あの歩道橋の上からとらえたものだ。


いろんな出来事がまるで版画のように

刷り込まれている街、天王寺・阿倍野近辺。


「ハイウェイ61 リ・ヴィジテッド」みたいな感じの

「阿倍野再訪」

だったのでした。





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ふと思い出したこと

2009-12-10 16:36:25 | Weblog




19歳の頃 俺は

奈良県の片田舎のJRの駅の近くの、

その街じゅうの瘴気が吸い寄せられては

通り過ぎていくような

スナックに

住み込みで働いていた。

ママが美人だったのだ。

まぁ、それはいいとして。


あるとき

そこに時々来ていた夫婦者の、嫁さんの方が俺に


「アンタ・・・”若さ”以外に何もないじゃないの」

って大真面目に言ってきたことがあった。


思い出しても可笑しいのだが

とことんひどい言われようだよな。


「若くなくなったらどうするつもりなの?」

とも言ったな。


面と向かって侮辱したかったのかな?

それとも、本気で心配してくれてたのかな。


どんな風に生きようが、

他人の勝手ではあるのだけれど。



しかし

19歳の俺には「若さ」しかなかったって

・・・・・・・・・・・。

刹那的ですらある。





・・どっちにしたって、

お笑いぐさではあるのだけれど。


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