十一月も半ば過ぎ

2011-11-18 11:56:02 | Weblog



いい曲を思いついたんだけど、

あんまりポップな気がしないから

ライヴでは、やらないかもな。

そんなこと考えながら歌詞を練っていた。

発表の当てのない作品を作るのって何かな。

それでいいような気もするし、

馬鹿げてるような気もする。

どんな風に時間を使っても、それで何が変わるわけでなし。

今年中はもう、ライヴやらないけど

来年は月イチくらいはライヴやっていきたい。

「発表の場」は、ライヴしかないのだ。

十代の終わり頃くらいから親しんできた、

いろいろなライヴハウス。

原点は、学生だった頃の、「文化祭」のような気がする。

あれをずっと、続けてるみたいな。

そういえばこないだ、

半野外で仕事をしていて、

夕方になって急に暗くなった時に

「文化祭」の頃の雰囲気を強烈に思い出した。

オトナになる前って夜はそんなに活動できなかったからね。

暗くなったからもう「終わり」が近い・・・

という寂しい気持ち。

これが終わったらこんな楽しいこと来年までないんだ、

って切実に思ってたことを。

コドモだった頃って、何もかもが窮屈で

つまらなかったな。

「学校」は大嫌いだったけど、

「文化祭」のときだけは大好きだった。

ってことは、「学校」が嫌い、と言うよりは

「勉強」が嫌いだったんだな。あと、「お仕着せの日常」と。

自由にやれるならどんな状況でも、たとえ「退屈」でも、

楽しめる。

オトナになってからは、いろんなことを

「楽しめる」ようになった。たとえば・・・

「晩秋」の光景はいつも俺に、子供の頃を思い出させる。

何が何だか解らないけど透き通って美しい、

東京の街路を吹き抜ける風。

そんなのにただ圧倒されていた自分がいた。

今だったらそんなのを、

「失われていくもの」と理解して慈しむのだが。

でもきっと、何もわけがわからなかったからこそ、

こんなにも深く心に残っているのだろう。

ほとんどのことがそんな風に成り立っているのかも知れない。

そう思うと、

なかなか・・・単純じゃねえなぁ、世の中・・・・

って思うのだ。





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本当にこんな夢を見た

2011-11-16 08:37:39 | Weblog



俺は古い大きな家の玄関口にいる。

そこは、しょっちゅう夢に出てくる、

小学校低学年から中学卒業までを過ごした家である。

ということは場所は広島県だ。

いや、今ではもう、「どこでもないどこか」なのか。


二階では父が亡くなったばかりで、横たわっている。

俺は強い喪失感に打ちのめされながら、

弔問に来てくれるひとの応対をしている。


ゆらっと派手なミュージシャンが現れる。

黒人・・・・あ、ジミ・ヘンドリックスだ。

夢の中の俺はジミヘンと面識がある(!)らしく、



俺は「ジミ、二階に上がってくれよ」

みたいなことを英語で言う。

ジミは、俺の肩をたたき、うんうん、みたいな感じで

マネージャーみたいな小柄な日本人女性と共に

二階へ上がって行った。



言うまでもなく夢の話。

最近特に、夢がぶっ飛んでいて

ここに書かずにはいられないのだった。


「他人の夢の話は退屈だ」と、

中島らもさんが言ってたような気がするけど、

俺は他人の夢の話がわりと好きだな。


・・退屈だったらゴメン。





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「ひっくり返し」

2011-11-14 18:03:37 | Weblog





ちょっと前の話だけど

マイケル・ジャクソンが亡くなって、

リハーサル映像が映画になった

「THIS IS IT」というのがあるのだが、

このタイトルはひどいと思う。


何が?って、

この言葉、

2001年に出た、ストロークスのデビュー盤

「IS THIS IT」

のひっくり返しだからだ。

(ストロークス好きは、みんな思っただろう。)

意味性も重要だ。

若いロックバンドが「これなのか?」と

探し続けた答えを、臆面も無く

「これが、それなのだ」と。

アホか。

何を言うのも自由だが

いくらエンターテインメントとして完成度が高くても、

そんな「答え」など、胡散臭いものでしかない。


そういや、「それが答えだ」というような歌もあったな。

ウルフルズには恨みも、借りも、ないけれど。


マイケル・ジャクソンは「ジャクソン・ファイヴ」のひとだから

尊重したい面もあるのだが。

モータウンは偉大だ。

しかし「子役出身のスター」ってね、

何かちょっと、ひっかかるものでは、あるのだ。

他人のことだからどうでもいいんだけど。


ついでだからもう一例、「ひっくり返し」で、

こちらは気が利いてて面白いのだけど・・・・

「ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン」が

話題になり始めた頃、洋楽雑誌の片隅で

「ダイナソー・Jr」のもとベーシストである、

ルー・バーロウの新バンドが紹介されていて、その名前が

「フォーク・インプロージョン」だった。大笑い。

インプロージョンとは、爆発(エクスプロージョン)

の反対・・・と言うか「内的爆発」とでもいう言葉で、

明らかにジョンスペのひっくり返しだと思った。

後年のインタヴューで、やはりルー・バーロウは

JSBEの名前からインスピレーションを受けた、と

話している。こういう「ひっくり返し」は最高なんだけどね。

自虐風味もあって。

「ブルース爆発」に対して、「フォーク内破」。

・・・・笑える。


ジョンスペは、苦笑いしたかもだけど。







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夢の中で

2011-11-14 13:00:38 | Weblog



夢の中で、主人公は自分なのだけれど

身に覚えのないモラルに縛られていたりして、

目が覚めてから、

あれは本当に自分だったのか?

と思うようなことが、時々ある。

今朝もそんな体験をした。


明け方に見た夢の中で俺は、

和風の建物の中を歩いている。

何か用事があって、先を急いでいるのだが、

その板張りの長い廊下は、ちょっと人が多くて、

抜かしながら歩いている。

ふと、先のほうに、奇妙な人々の列が見える。

忍者が派手になったような和式の装束で、

何か駕籠のようなものを二人がかりで支えた人が

その列の中心になっている。

その駕籠のようなもののあたりまで来た時、

俺はそれが「葬列」だということに気付く。

駕籠が、小さすぎたのだ。

「葬列は抜かしてはいけない」というモラルが、

夢の中の俺にはあって、

だからそこで早歩きを中止せざるを得ない。

「葬列」の後ろからしばらく歩くと、

エレベーターホールに着いたので

やれやれ、と思いつつ俺は階段を駆けのぼる。

そして、俺の目的地に辿り着くと、

今はもうこの世にいない、

俺の大好きだったた「おばあちゃん」がいて、

にこっと笑いながら「あら、間に合ったのね」と言う。

「ああ、途中で葬列に遭っちゃってさ。

抜かしちゃいけないんだよね?だから、あせったよ。

・・・あ、でもエレベーターのとこで先に行ったから、

結局 俺、抜かしちゃってるのかな?」と俺が言ったら、

「大丈夫よ」とおばあちゃんが言った。

そこから後の事は思い出せない。

それで

この、「葬列を抜かしてはいけない」というモラルは、

何なのだろうか?

俺には覚えが無い。

そんな風習とかが、実際にあったりするのかな。

不思議だ。




おばあちゃんに会えてよかったんだけどさ。






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「生物時間」の不思議

2011-11-11 17:42:55 | Weblog




NHKライブラリーというところから出ている

本川達雄という人が書いた

「時間」-生物の視点とヒトの生き方-

という本が面白くて。


以下、引用を混ぜながら書く。

「小さい生物ほど心臓は早い」。

「心臓の時間は体重の四分の一に比例する」

それはつまり、「体重が十倍だと一.八倍ゆっくり物事が起こります」

体重が十万倍違えば、時間は十八倍違う、という計算になり、

これはつまり、

三十グラムのハツカネズミと、三トンの象がちょうど

それにあてはまる。

ハツカネズミから象を見ると(恐らく)、

まるで動いてさえいないように見える(であろう)。と言うのだ。

逆に、象からハツカネズミを見ると・・・・

早送りみたいにちょろちょろしてすぐに消えてしまう。

ほんの近くで生きていたとしても恐らく、

象とハツカネズミはお互いを認識できないであろう。


それで、ハツカネズミの寿命は二~三年。

心臓は0.一秒弱に一回動く。

インドゾウは七〇年近くも生きる。

心臓は、三秒に一回。

つまりどちらも、一生の間に心臓が打つ回数は

(だいたい)同じで、

約十五億回なんだって。

(俺は面倒臭いから計算しなおしてませんよ。)

このことは、ハツカネズミと象だけでなく、

ほとんどすべての動物に、あてはまるらしい。

もちろん、人間も。

人間は・・・一秒が十五億回なら、

十五億秒の人生ってことデスね。


こういう、生物の主観による(であろう)時間を、

「生物時間」というのだそうだ。

「生物時間」が極端に違うと、

お互いの事を認識すら出来ない。

我々は同じ惑星に居住していて、

同じ太陽と月の下にいながら、

それぞれに違う「時間」を、生きているのだ。


もしかして、同じ「人間」でもさ、

それぞれ違う「生物時間」を持ってるのかもしれないよね。

(これは完全に俺の意見だが。)


上手く言えないけど・・・四次元的に。


わかりあえるひとと、そうでないひとって、いるじゃないか。

単に「価値観」だけでなく、そんな

「生物時間」のすれ違いや、

相性の良さ、とかそんなのもあったりすりんじゃないかな。


そうじゃなきゃ、初めから、出会うことすら・・・

出来ないかもだぜ。



俺は

君と同じ「生物時間」を共有できて、

本当によかった、と思う。


本当に。

はははは。







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「一秒」のミステリー

2011-11-11 12:01:46 | Weblog


昨夜は祇園・シルバーウイングに出かけて、

「虹色エレジー」と、

マツケンさんとミッキーがやっている

メキシコ歌謡のような「ドス・タコス」を見てきた。

とてもとても楽しかった。

「虹色エレジー」は、いつ見ても、

ファンタジーのように素敵だ。

「ドス・タコス」は冗談のようだが、オンガクの良さが

しみじみと感じられる。趣味のいい冗談だ。

シルバー・ウイングとは懇意になれそうな予感。

しかし、アコギの音ってPAで出すのが本当に難しいね。

自分がアコでやるときなどに、永年の課題でもある。

もうひとつ、問題。お酒飲んだ次の日のダメージって、

どうにかならないものか(苦笑)。

大して飲んだわけでもないのに・・・・

単に、俺が「苦痛」に対して弱いだけなのか・・・

それとも、みんなこんな思いをしてるのか?

俺がバカなだけなのか?

・・一回でいいから「他の人」になってみたいよ。

どんな感じがするのか。


さてさて。

こないだ、「一秒の長さの起源」について書いたのだが、

あのあと読んだ、生物学関係の本に、

「私たちの心臓は、一分間に六〇~七〇回のペースで、

かなり規則正しく打っています。心臓が一回ドキンと打つ

時間を心周期と呼びますが、ヒトではおよそ一秒です。」

とあって、いやいや、「それが一秒の起源です」、とか

言われてるわけではもちろん、ないのだけれど。

こういうのって、平均値中の平均値なのだろうと思う。

70億(!)もいるニンゲンの、心周期の平均値が、

「一秒」。これって・・・・偶然なのか?

ハツカネズミなら心周期は、0.一秒。

象だと、3秒だって。

むむむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「太陽と月が地球から見てまったく同じ大きさに見える」

というのに次いで、ミステリーだ。不可思議だ。

やはり、地球環境というのは誰かがデザインして配置して、

そうして人間とか動植物を放ったのか?

「誰か」って、誰?


何もかもが壮大すぎて、

僕の理解をはるかに超えてしまうようなことばかりなのです。


そんな風に言ってるあいだにも、

一秒ごとに、いや、0.一秒ごとに秋は深まっていき、

僕はあいかわらずに、感情を持て余したり・・・

その他いろいろ。




君が元気でいてくれるなら、それはそれでいいよ。





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DENIM BIBLE

2011-11-08 11:46:32 | Weblog


デニム・バイブルという本を図書館で見つけて

ここ数日、読んでいた。

ブルース・インターアクションという会社が出している、

オール・カラーのとても素敵な本だった。


誰でもきっと、ジーンズに対する思いいれとか、

こだわり、とか思い出とかあるよね。


俺は・・・・・・

1986年からアメリカ村の古着屋で働き出した。

その頃は「空前の」って感じの、

リーバイス501ブームだった。

よく履き古したやつを、古着で買うのだ。

俺の働いていた店も定期的に、アメリカから

501の古着を大量に輸入して、売りさばいていた。

半年に一回くらい届く、

4箱ぐらいのダンボールにいっぱいの501。

中に一本か二本、「オールド」がまじっていることがあった。

ビッグE,赤耳。タテ落ちしていくインディゴ・ブルー。

そんな、本来なら高額であろうオールドを一本、

普通の値段で売ってもらった。

5800円だったかな。安い。

感動するくらいいい色だった。

でもそこで売ってたほとんどは オールドではないやつで、

”70年代後半のもの”だった。

ちょっと白っぽく色褪せていくやつ。

でもそんな「普通のやつ」もかっこよかったから、

俺も念入りに選んで、自分にぴったりなサイズを

見つけて買った。

実際、不思議だったんだけど

そのころ売っていた「新品」の501とは明らかに違う。

もちろん、オールドとも違う。

布地も、ステッチの糸も。

昔からそう思ってたんだが、

「デニム・バイブル」にその頃の「新品」の写真が載っていて、

「1983年からスコットランドで製造されることになった

ジーンズ。セルヴィッジなしのトリプルXデニムが使われている」

とあって、そっか、やっぱりな・・・と思った。

そんな新品も憧れて、一本買った。

だから俺は当時、わりに代表的な501の

3期の違うバージョンを保有していたことになる。



まず、1987年に、新品で買った501。

次に、いちばん一般的だった、70年代後半のもの。

そして、60年代後半の「ビッグ・E」オールドってやつ。




おお、すごいな、歴史だぜ・・とか思ったのだが

その後、日本のボブソンとかビッグジョンの

ベルボトムや、ブーツカットの

「デッドストック物」にはまったので、

今では、タンスの中にリーバイスのものは一本もなかった。


ははは。

どこ行っちまったんだ?





表紙の写真は、素敵すぎる・・・ジェーン・バーキン。



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「夜想」でのライヴを終えて

2011-11-07 18:34:02 | Weblog

さてさて、

「唯一無二の出来事」はうまく、

立ち上がっただろうか?

俺はとにかく

無我夢中で、

それでももちろん、楽しかったよ。


愛すべき友達がたくさんいる。


それはもう、本当に、

すごいことだ。


「歌うこと」を、あきらめなくてよかった。


救済されたような気分。

こういうのは、久しぶりだよ。



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昨夜、そして今夜。

2011-11-06 11:22:05 | Weblog


昨夜のハードレインはソウル・クローバーズの解散ライヴ。

旧友の、カレンズも観れたし、

しみじみと、行ってよかった。

心に残る、いい夜だった。


さて、今夜。

そんな風に、いい夜にしたい。

唯一無二の出来事を立ち上げたい。

京都・御池の「夜想」でライヴ。


スモール・アンド・シスターズ、

がらんどう、

ROCA

シェイキン・ヒップ・シェイク。


心して挑みます。



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補足

2011-11-06 00:46:35 | Weblog


24時間・・は、

古代バビロニアで一日を12で分割するのが

習わしだったそうで、

単純に、昼と夜で倍にしたら24だった・・・

という説があった。

12、というのはいろいろと

起源のある数字のようだ。

干支も12だし。

星占いも12種類なんだっけ?


それで、

太陽大陰暦ではない、ただの「陰暦」というのは

単純に、月の満ち欠けだけを暦とするもの。



「陽」は太陽、

「陰」は、

「太陰」である、月。


これだって、

地球から見た太陽と月の見かけの大きさが

同じ、という

「ありえないほどの確率でしか起こりえない」現象から

派生している。


ああああ、

「だからどうだって言うんだ」

とか

言わないでくれよ。




それにしても、「古代バビロニア」っていう語感は、

とても素敵だ。

古代バビロニア。







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