蚊について前言撤回

2010-08-31 11:40:30 | Weblog


最近はまるで小学生のように

図書館で「図鑑」を借りてきて読んだりしてるのだが。


「世界珍虫図鑑」(川上洋一著・柏書房)の中に、こんな記述があった。


以下引用

「人類にとって最も被害の多い究極の害虫・・・・それがハマダラカである。

日本でも普通に見られるハマダラカのグループは、全世界に約400種。

このうち60種が熱病として恐れられるマラリアを媒介する。

マラリアに感染する患者は世界中で毎年2億とも3億とも言われ、

数百万におよぶ死者を出している。

14世紀にヨーロッパの人口の3分の2が犠牲となったペストの死者が

250万人だったことを考えると、

この数がいかに膨大なものかわかるだろう。」

引用終わり



ひええ・・・。


ちょっと前の日記で蚊の絶滅を願っていたのを反省したばかりだが、

前言撤回。

少なくともハマダラカのうちのその60種のみなさんにはやはり・・・

「絶滅」をお勧めしたい。




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二束三文

2010-08-31 11:36:05 | Weblog


僕は本当につつましく、

まるでイトトンボのように細々と暮らしているのだが。


昨日はクルマを売りに行った。

二束三文にしかならなかった。

よく走るし・・・ターボエンジンなのに。しくしく。

まあいいや。


しかし大体において俺は昔から、

「贅沢」とか「ゴージャス」とか

「華やか」というような物事からは縁が遠い。

もっと若かった頃から色褪せて擦り切れたような

古着が大好きだったし、

古道具屋的ロマンティシズムに憧れていた。


枯れススキのような人生・・・という訳でもないのだが、

ただ淡々と生きることに憧れていた。

だがしかし、そういうものからはまだまだ程遠い。

俺は煩悩と欲望とエゴと慢心と自己憐憫と・・・

そういう悪いものの集合体なのだ。

本当に・・ひどいものである。お見せしたいぐらいだ。

(「つつましい」んじゃなかったのか?)




でも売ってしまったクルマを見送った時は少し寂しかった。

ついこないだも、違う件で同じような気分になったのだが・・・

それはまるで失恋したような気分だった。

でもよしとする。

少なくともこれで俺は、”身軽になった”とも言えるのだ。


少しだけ・・・・・500kg分くらいかな。




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「最高」から「最低」まで

2010-08-27 09:04:31 | Weblog




儀礼的な服装、儀礼的な発言、儀礼的な微笑み、

その他の儀礼的なあれこれ。


思うのだけど、人間の動作って、

「儀礼的」なものがとても多いよね。

本当にそう思う。


まぁ、それはそれとして。


我々はとても

微小なレベルで格付けされたコミュニケーションを

日々、交わしている。


”情報の取捨”すら、ひとつの

コミュニケーションの手段の選択である、とすら言える。

複雑なことこの上ない。


言葉にするなら、

「最愛」から「最低」まで。


「最愛」で世界が埋め尽くされたらいいのだけど、

なかなかそうもいかないのだ。


失ってみないとわからないもの、というのは

あまりにも多い。


中国の古いことわざに

「魚は水を知らない」というのがあるのだが、

そういうことならきっと我々だって・・・

「空気」や「愛」のことを知らずに生きている。


「この世界の成り立ちさえ知らない」という点で、

我々は魚と何ら変わりはしないのだ。




魚・・・・・・・・・・。








ところでいつになったら九月が来るんだ?




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秋を待つ

2010-08-24 09:39:52 | Weblog



無遠慮な夏の日差しも、

ほんの少しだけ翳りを帯びてきたような気配。

来るべき秋の匂いが

どこからともなく、微かに漂ってくる。


俺はやっぱり、秋が好きだな。


一年中いつでも、秋を待ちながら暮らしている。

秋には、秋が行ってしまうのを惜しみながら暮らしている。


長雨に降り込められた部屋で内省的な小説を読んだり、

ふと日が短くなったことに気付いたり、

少し冷たい風の中をバイクで突っ切ったり、

日本酒を少し温めて少しずつ飲んだり。


もうすぐそんな季節が本当に

やって来ると思ったら何だか、

少し哀しくなってしまいました。


だって来てしまったらあとは、

行ってしまうだけだものね。


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誰もが悪戦苦闘している

2010-08-23 10:44:50 | Weblog

昨日はなかなか、興味深い夜になった。

お客さんのみなさん、出演者、ハードレインにどうもありがとう。


一番手のバンドだけ知り合いではなかったのだが、

今後良くなりそうなトリオバンドだった。

がんばってね。


二番手は俺の精神的な親戚(笑)である

片山陽一率いる「39アヴェレージ」だった。(血縁関係は、ない。)

荒々しくて粗暴でシャープで、とてもよかった。陽一復活。

ベースの伊藤くんは俺と同学年で、

なんと20年前のランブルフィシュ全盛期に

ランブルと対バンしたバンドのメンバーだったんだそうだ。

しかもファンダンゴと、下北沢屋根裏。2回も。

俺は覚えていない。当時はとにかく酔っ払ってたからね・・。


そして「地獄の季節」。轟音ギターに負けないミズガミくんの声。

やはり素晴らしかった。

「地獄」の復活を心からお祝いしたい。




最後に、「純馬と黒くなれなかったオトコたち」。

これは即興ブルースプロジェクトだったのだ。

リハのステージ上で誰かと誰かが「はじめまして」なんて言ってるし。

考えてみたら俺もギターの大橋くんとは初対面だ。

どうなるかと思ったんだが、結果はけっこう良かった。

やはり名古屋が誇るカリスマ、”まあちゃん”である。

考えてみればこういうブルースセッションって昔、

さんざっぱらやったもんだったんだよな。

ヴォーカルとドラムがかっこよければ何でもアリなのだ。


次はロカでハードレイン。

9月10日。

第一期ロカの最後になるステージ。

このあと、ライブが少し開くので・・・

必ず見に来てね。



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今夜!

2010-08-22 12:55:51 | Weblog


もうすぐ俺はリハーサルに向けて出発します。


今日は一体、どうなるのか

ハラハラドキドキ。






2010年8月22日日曜日

大阪・梅田ハードレインにて

「ロック解放区」

”純馬と黒くなれなかった男たち”

もと「ごくつぶし」のヴォーカル、まあちゃんが

凄腕ギタリストと仰天ドラマーをつれて

「純馬」として来阪!

もと「ランブルフィッシュ」ギター片山道郎と

もと「摩擦原因」渋谷をゲストに迎えて、

どろどろに濃いぃブルース世界を構築?!



さてさていろいろと大変な毎日ですが、

「ハードレイン」に来てね。
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「昆虫」、「稚魚」。

2010-08-21 08:54:21 | Weblog




僕は遠い昔に、

「昆虫」だったことがあるような気がするし、

「稚魚」だったことがあるような気がする。


もし本当に「輪廻転生」みたいなことがあるのなら、

その二種類に生まれ変わる確率ってすごく高いのではないか。

何と言っても数が圧倒的だからね。


「蚊」から「稚魚」に生まれ変わってすぐ喰われて、

次はまた「蟻」に生まれ変わって・・・・・。


我々からみたら虫なんて

生まれてから死ぬまであっという間だけど、

小さな生き物にはそれぞれの「固有時間」があるから、

決して「短い人生」ではない。

人間だったら十何年に感じるくらいの長い時間を(多分ね)・・

虫として過ごす、

もしくは小さな魚として過ごす。

そんなのもいいかも。

「ただ存在する」という生き方が出来るかも。




そういえば僕は昔、「蚊」が大嫌いで、

「蚊」なんて絶滅すりゃいいのにな・・・と

半ば本気でに考えていた。

しかし考えてみたらトンボだって「蚊」を食べているし

ツバメだって。

「蚊」が食物連鎖の底辺の存在として

いかに大事な者であるか、ということに思い当たって

ちょっと反省した。


それに、「誰かの絶滅を本気で願う」なんて、

アドルフ・ヒットラーみたいで感じ悪いよね。



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花火

2010-08-19 10:08:31 | Weblog




今年の夏は、「花火大会」に・・二度も遭遇した。


一度目は8月10日の京都・宇治の花火大会で、

これは実は自宅のベランダから見えるので、

つれあいのひとが友達を何人か招いて

みんなでちょっと飲みながら見た。なかなかだった。


二度目は海へ行った次の日の夜。

福山の花火大会だった。

これも実家から良く見えるので、

家の前の路上にベンチなど持ち出して、

みんなで見た。かなりよかった。


俺の中で忘れられない花火・・・というのがあって

それは19歳のときに佐治と二人で行った

長野県の「清里」での合宿免許の最中に

そこの地元のお祭りがあって、花火大会もあったのだ。

あんなに近くで巨大な花火を見たのは初めてで、

その後もない。

火の粉がじゃんじゃん落ちてくるくらい近くで爆発する花火。

空の80%くらいが花火で覆われた(主観だが)。

実はあれ、危なかったんじゃないかな・・・まあいいや。


そんなのもいいんだけど、ほどよい距離で、

ぱっと光った3秒くらい後に音がどどーんと聞こえたりして、

・・・・・風流である。


しかしいつも思うのだが、花火って進化してるよね。

「ドラえもん」の顔の形になったりするし、

そもそもあの「緑」だとか「ピンク」だとかの色は、

昔はなかったのに違いない。


江戸時代に行って、当時の隅田川の花火大会を見たい・・

と思ってたら、

昨日の新聞に、ちょっと面白い記事を見つけた。


読売新聞8月17日夕刊「はじまり考」

以下引用

「花火大会が初めて開催されたのは、

東京・隅田川といわれています。

江戸中期の1733年、将軍徳川吉宗が、前年に起きた

大飢饉と伝染病流行による死者の霊を慰め、

悪疫退散を祈祷するため、水神祭を催しました。

その際。約20発の花火が披露されたようです。

ただし、日本煙火協会によると、当初は

現在の打ち上げ花火とは違い、

筒から火花が噴き上がる立花火や、ロケット型の

噴射花火が主流でした。打ち上げ花火が登場したのは

かなりたってからです。記録で確認できるのは

1804年が最初で、「打楊」と書かれていました。」

     後略

引用終わり



むむむ・・・・立花火ってきっと、

「ドラゴン花火」みたいなやつね。

それとロケット花火・・・・・全部で20発・・・・。



現代人が見るといかんせん、しょぼいかも。

その辺で子供がやってるのと、あんまり変わらないではないか。




しかし浮世絵にも確か、打ち上げ花火を描いたものがあったし、

きっとその”初の花火大会”から驚異的な進歩を遂げたのだろう。


ああ


「ちょんまげ」が見たい。

「お歯黒」が見たい。

「1804年の隅田川の花火大会」が見たい。


ふふふ・・・

とか言って、

2010年の京都・福山の花火大会がダブルで見れてよかった。



こんなことって、めったにないからね。





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2010-08-19 09:06:11 | Weblog


恒例の「夏の旅」。

海に行くつもりで朝四時半に目覚めた。8月14日のことだ。

ちょっとだけ嫌な予感がして、カーテンをあけてみたら・・

外は真っ暗で、土砂降りの雨。

どどどどどど・・という調子で思いっきり降っている。

頭がくらっとして、無言で寝床に戻ろうかと思ったのだが、

今回は新幹線の切符をとってあるのだ。

のろのろと起き出す。


しかし世の中は何とかなるもので、

福山駅に着く頃には空は薄曇りで、青空も見え隠れしていた。

そしてつれあいの人と、俺の妹と妹の子供と一緒に、

「例の海」へ。

「誰も居ない海」・・と言うにはちょっとにぎわっていたけど、

それでも20人くらいだし、すぐに気にならなくなる。


やっぱり海は素敵だった。


まるで海水と一体化したような感じを味わう。


しかしあれからもう、5日も経つのか。


楽しい時間は早いなぁ。

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色々

2010-08-11 20:19:59 | Weblog
好きな色は?と聞かれれば、

「サンバースト」と答えていた。

ギターの色。

俺がずっと使ってるギターの。

黒から赤、そして黄色へのグラデーション。

・・・とても素敵だ。


でも青・・という色もとても好きだった。

特に夕方の青。

青い光・・というか、蒼い翳。


もちろん、今でも好きだよ。


他には、茶色も好きだった。

特に、使い込まれた革の、深い茶色。


そしてもちろん、黒。

タイトなレザー・ライダース・ジャケットの黒。

黒猫の黒。

夜の黒。


黒には銀がよく似合う。

シルバー925の銀、スターリング・シルバー。

剥き出しの、ささくれ立った、銀。


それで

これまではあまり、気にしてなかったのだけれど

今は何故か、

緑色が自分にとって大事なような気がしている。


きっかけは3色ボールペンに入っていた緑色だった。

何の気なしにそれで字を書いてみたら奇妙な感じで、

何と言うか・・・少しHOLY(神聖)な感じがするのだ。


そのことをずっと考えていて、

ひとつ思い出したことがある。


サリンジャーの・・あの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の中で

ホールデンが、亡くなった弟、アリーについて語った中に

野球のグローブにアリーが緑色のインクで書いた詩のことがあったはず。


サリンジャー独特の、一種不可解なロマンティシズムだ。


・・・それで、緑?


いや、それだけじゃなくってさ。



「原初の生命」である、植物の、

その中でもいちばん大事な「葉緑素」の色でもある。


あと

「グリーン・マインド」っていう大好きなアルバムもあった。

”ダイナソー・Jr”だ。


高校生だったころに母親からおさがりでもらった

”Lee”の、コール天のGジャンも深い緑色だった。

(今でも持っている。)


ランブルフィッシュをやってた20代前半のころ大事にしていた

ペイズリー柄のスカーフも綺麗な緑色だった。

これはとっくに失くしてしまったけど。



今の俺は、根拠もなく

緑色のものを身につけていると、

悪いことなんかあっちから避けていくように思える。




・・・本当にそうであることを願う。



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