シンニード・オコーナー死す。

2023-07-28 22:23:07 | Weblog

歌手のシンニード・オコーナーが亡くなった、

というニュースが伝わって来た。

 

シンニード・・・・ネイティヴ発音ではシネイドになるそうだが、

僕はこの人が気になっていた。っていうか、好きだった。

丸坊主・・・・いや、スキンヘッドの綺麗な女。

 

1980年代だったと思うのだが

大舞台で、当時のローマ法皇の写真を破ったりして物議を呼んだ、

「ナッシング・コンペアード・トゥ・ユー」が大ヒットした、あの人である。

この歌、

作ったのは、あの プリンスである。

プリンスって言っても・・・英国の皇太子ではなく、

プリンスという名(本名)の、アメリカの有色人種の、ギターも上手い、

天才シンガーソングライターである。

そんなことは、誰でも知っているかもしれないが。

 

わりと近年になってから、プリンス本人が

「ナッシング・コンペアード ・2 ・U」をやってる音源が

公開されたりしたのだが何と、

シンニードのヴァージョンの方が良かった(と、僕は思った)。

僕はプリンスをアーティストとして、シンガーとして、最高に評価しているのだ。

それでも。

 

いや、もちろんプリンスの歌うヴァージョンもすごく良かったのだが

シンニードがやって見せた鬼気迫る、というような迫力はない。

 

あの、キレそうな集中力、目がイッてるやばさ、

本当に、心からの声・・・・みたいな

「ナッシング・コンペアード ・トゥ ・U」は、シンニードの歌唱が

創り出したものだった。

 

「ナッシング・コンペアード・トゥ・U」の意味は

「あなたに代わる存在などない」みたいな感じ。

 

 

 

 

シンニードの、去年亡くなった息子さんは17歳で自死だったそうなのだが、

シンニードの死因は公表されていない。

(後で、自死ではなかったらしい、という記事を見た。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでお願いなのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は自死を否定しない。

 

 

でも、アナタにはそれをしないで欲しい。

 

もしアナタがそれを実行したとして、

そのことで、いちばん傷つくのはアナタがいちばん愛した人だぜ。

 

もしくは、アナタをいちばん愛した人か。

 

 

 

 

・・・・それ、俺じゃん(エビデンスは??????)。

 

 

 

 

だから。

 

 

 

 

 

 

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「世襲」ということについて、色々と考えた。

2023-07-27 21:33:14 | Weblog

「世襲の政治家」って、心からうんざりする存在だ。

そう思わない人がいる方が不思議。

 

「世襲」っていうこと自体、僕はすごく、抵抗がある。

 

「世襲」っていうのは・・・・説明不要だけど、

仕事を、親が引退した後、子供が跡を継ぐ、っていうことね。

親の仕事の後釜に、実の子供が収まる、っていうこと。

普通は問答無用で行われる。

 

それにしても、すごい熟語。すごい漢字。

文字の通りに、「世」を「襲」うってワケではない。

 

別に・・・・例えば親が大工で、子が憧れてそれを目指すとか

家がお好み焼き屋で、長男がそこを継ぐとか、

そういうのはシンプルだし悪くはない。害もない。

でも

ノース・コリアとか最低。害悪。

大体において・・・あそこって、「社会主義」って国名についてるよね。

社会主義も共産主義も「世襲」は否定してるハズ。

あれは社会主義の名を借りた「独裁」でしかないのは誰もが知ってる通りなのだが。

チャイナはシューキンペーだか何だかの偉そうなオッサンが

永久に権力の頂点に居座ろうとしている。

もしもーし?共産主義じゃないんですかタテマエは??

アタマおかしいのかな。

話がそれた。今、問題にしてるのは「世襲」だ。

 

僕の認識ではロックというものは「親世代の否定」だった。

僕自身は、あからさまに親に反抗したりはしなかったのだけれど

(反抗期さえなかったと思う)、

世代的に、彼ら世代を否定する意識は旺盛だった。

今でも演歌とか民謡には脊髄反射的に、否定的な反応をしてしまう。

(だから「民謡クルーセイダース」が、どうしても苦手・・・・)

あと、「ちゃんとする」みたいなことにも反抗心があった。

僕なりに両親は好きだったし、尊敬もしていたのだけれど、

十代初めごろからは、一緒に歩いたりすることを敬遠した。

ほとんどまともに、話もしなかったと思う。

多かれ少なかれ・・・・・そういう人、いるよね?

 

現代の人たちは親子の仲が、すごくいいように見える。

それはそれで、とてもいいことだとも思う反面、

それが過保護的に、ヌルく見えるときもある。

とか言いながら 実は僕は、羨ましいのかもしれない。

こーゆーのって、複雑だからね。

心理学的に「願望憎悪」っていう概念もあることだし。

 

 

とりあえず

「親世代に反抗」する気概を持っていれば

「世襲」など、拒否するかもしれない。

 

それがいいのか悪いのか、僕には判断がつかないのだけれども。

 

ああ、そうだ「世襲政治家」の話から始めたんだった。

 

あのさ、「世襲政治家」ってほとんど全員駄目。

・・・・っていうのは結局彼らって、

人々(大衆)の暮らしとか幸せなんかどーでもいいんだからさ、

今後、選挙があったとして、

そういう人に、投票しないほうがいいと

 

僕は思うんだがね。

 

 

まあ、どんな風に生きようが行動しようが、もちろん、

個人の自由だし、勝手なんだけどさ。

 

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瞑想的長距離ドライヴ。

2023-07-26 22:03:37 | Weblog

僕は、非・職業的ミュージシャンであり、

平日はトラックに乗って運転手のふりをして暮らしているのだが、

 

普段は、あまり長距離みたいには動かない。

近畿、もしくは東海をうろうろしている。

 

でもたまに、泊りでちょっと遠くにも行く。

 

昨日と今日はそんな感じだった。

気分は長距離ドライバーである。

 

長時間一人でクルマを運転していると自然と、瞑想的になる。

無・・・になれるといちばんいいのだが

高僧じゃあるまいし、そうもいかない。

 

色々なことを考えてしまう。

とても散文的に。

 

今日気付いたのは、ジョージハリソンも58歳で亡くなってる、ということだった。

 

むう。

 

58ってしかし、把握しづらい年齢かもしれない。

年老いてもいないし、若くもない。

 

ジョンレノンは40歳で、しかも道端で殺されてしまったので、

何と言うか・・・・思考停止してしまう。

 

ジョージの死因は癌である。

 

癌・・・ってしかし、あまりにも多くの、大事な人たちの命を奪っている。

 

夏目漱石は胃潰瘍で亡くなっているのだが、

現代では胃潰瘍で亡くなる人は少ない(と思う)。

胃癌の方が死因としては、ずっと多いだろう。

 

それと同じように、あと100年経ったら、

癌の原因も解明されてて、その治療法も完全に出来ていて、

癌で亡くなる人など珍しい・・・・・・・・・・・・・・・

え???イマドキ、癌で亡くなったんですか????

 

ってなことになってるかもしれない。

 

僕は実は「医学」というものをあまり・・・・

というか、ほとんど、信用してはいない。

 

コドモの頃から、そうだった。

「風邪でお医者に行くのは無駄の極みだよお母さん!」と親に訴えたのだが

(医者になど行きたくなかった)、

当然、聞き入れてもらえなかった。

 

健康診断なんか受けさせられるのは苦痛だし、無駄だ。

 

僕は実は 今回の件での、予防注射も受けていない。

 

死ぬときには死ぬし、生きてる限りは生きる。

 

少なくともそのつもり。

 

・・・・自殺した友達を否定はしないが。

 

 

でも面倒な病気で死にたくはないな。

病気になっても、可能なら・・・医者には一切、関わりたくない。

 

死ぬんなら、バイク事故で死んだ方がデュアン・オールマンみたいじゃないか?????

 

 

あ、ピーターさん的にはデュェイン・オールマンって発音するのか。

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ルシンダ・ウイリアムズが「もう一度バンドやろうぜ」と歌う。

2023-07-20 20:05:21 | Weblog

ピーター・バラカンのラジオ番組、「WEEKEND SUNSHINE」

が、最近は木曜日の夕方4時から再放送している。

これは・・・・実は僕には、ありがたい。

(ピーターさん自身は、「生放送」にこだわってるフシがあるので、複雑かも。)

本放送はいつも、日曜日の朝7時20分から生放送でやってるのだが、

この時間は、どうしても眠い。

いや、僕の日常は・・・平日はほとんど毎朝5時起きなのだが、

土日くらいは朝寝したいのだ。実際、している。

だから最近はいつも、「らじるらじる」の聞き逃しサービスを使って

好きな日の好きな時間にスマホで、トラックで聴いてるのだが、

やはりスマホからより、ラジオから直接聞こえる方が嬉しい。

それで、今日の夕方はわりとバッチリ、僕がちょっと長距離移動中に

4時過ぎになったので、再放送をじっくり聴けた。至福。

今回はなかなかすごかった。

まず、ビリー・プレストン。

名前は、ビートルズ関係でよく耳にするのだがこの人・・・・・・

17歳でリトル・リチャードや、サム・クックのバックで弾いてたって???????

・・・・・・・・・・どんな神童やねん(思わず関西弁になる)。

有名になる前のビートルズと出会っている、というのも神がかっている。

しかも、あの伝説的な土地、ハンブルグで。これはもう、歴史だ。

サム・クックの存在は別格だし。

わが身をかえりみて、

17歳の頃の俺達と言えば佐治たちと自作曲「オッサン達はピーマン」とか

「イワタロック」とかやってる頃だ。

(はははは。この笑い話はもう、庄司と三太にしか通じない。)

今日、聴けた ビリー・プレストンの楽曲も「粋」でお洒落で、とても良かった。

オルガンっていう楽器、こんないい音なのか、と初めて思った。

そしてそして、

ルシンダ・ウイリアムズのニュー・アルバムからの曲

「LET’S   GET  THE  BAND   BACK  TOGETHER 」!!!

これって、「アタシと一緒にバンドやろうぜ」って言ってるよね。

今年70歳になるルシンダ・ウイリアムズが、「バンドやろうぜ」って言う。

しかも歌詞には「ONE  MORE  TIME 」ってついてたから、「もう一度」だ。

つまり・・・・バンド再結成しよう、って言ってる(とも、取れる)!

嬉しくて、ゾクゾクする。

楽曲自体は、硬めの、ミディアムの、ごつごつしたロックンロール。

すごくいい。

ルシンダは叫ばずに、淡々と歌う。

ちょっとキースのソロアルバムみたいな感じの音。

感動した。

何か、馬鹿みたいだが・・・俺も頑張ろう、って思った。

 

今さら、諦めてる場合じゃないのだ。

 

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年齢について。

2023-07-18 21:54:31 | Weblog

忌野清志郎が逝ってしまったのは彼が五十八歳の時だった、と気づいて

少し愕然としてしまった。

僕は来年九月が来ればその歳になる。

いつ死んでも悔いはない気もするのだが、

僕としては・・・まだまだやれることはある、とも思う。

自分自身のブレイクスルー(打破)は、まだ可能だ。

でも、もう「隠居」してもおかしくないくらい老けている部分もある。

「老成」とでも言うか。

いや、僕は子供の頃から「老成」していたフシもある。

その逆で、成長することが出来ずに、いまだに子供に見える・・・とも思う。

かえりみれば、同世代の同僚はどう見ても「おっちゃん」だ。

でも実は僕だって今からパンチパーマでも当てて、

それなりの悪趣味な服でも着れば十分、「おっちゃん」になれるだろう。

無意識にそれを拒否しているのだ多分。

そういう人は、あんまりマトモではない。自分がマトモでない、という自覚は、ある。

でも「年相応」になんて、ならなくていい・・・とは思うのだ。

このことは確信犯的に、強く思う。

昭和の頃って、そういう考え方が蔓延していた。

ヤな時代だった。

今がいい時代か?と言われればそんな風にも思わないのだが、

とりあえず、いい歳だから長髪を切れ、みたいに言われなくなったことは進歩だ。

そこは認めてやってもいい。

もう八年くらい言われてない(ってことは、八年前には言われたのだ)。

しかし

オダノブナガの時代には「人生五十年」だったのだ。

それくらいの歳で亡くなるのはフツーだったのだろう。

「喜寿」とか祝うのは、そこまで生きる人が稀だったからだ。

「還暦」だって、そうかもしれない。

俺は 子、牛、トラ・・・・・の「暦」自体に興味がない。意味がないと思うから。

だから「還暦」も一切関係ない。

だからあと三年経っても、六十歳になんか、ならない。

っていうか・・・・・・・・・・なれないだろう。

ローリングストーンズの首謀者二人は来年(か、今年)、八十歳になるそうだ。

(何と、うちの母と同い年だ。)

彼らは今現在、ニューアルバムを録音中。

ミックジャガーはごく最近、新たに「婚約」したことを明らかにされた。ひぃぃぃぃ。

独身だったのかよ。ジェリー・ホールはどうしたんだよ。お盛んだな。

それは置いといて・・・・

おこがましいかもしれないが、

彼らがヤれる歳までは、我々もヤれるかもしれない。

何を?って、アレではない、ロックを、だ。

そう考えたら俺らなんか、まだ二十年以上、

ヤれるのだ。

ひひひ。

 

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楽曲と魂と。

2023-07-16 21:31:29 | Weblog

致命的な「真夏」は既に、到来しているのかもしれなかった、

まっすぐに 僕の上に。

でもそれは奴ら(って誰?)の勝手だから、好きにさせておく。

そんなことお構いなしに僕としては、今日

新曲が出来たかもしれない、ちょっと久しぶりに。

楽曲を作る、という作業は

気に入った音の断片を整理して繋げて形を成して、イメージを広げて

メロディの原型を固定する。

その上に「言葉」で、自分の魂を投影する・・・・という作業だ。

投影する、というか大げさに言えば楽曲に、言葉で魂を入れる。

「彫り師」みたいでしょ。でもそうなのだ。

魂が入れば楽曲は、独り立ちするので、そこからは何の心配も要らない。

その楽曲が独立した「人格」みたいなものまで持つのだ。

魂の投影作業は、難しくはないが、簡単でもない。

少しだけ「自分」(の魂)を、削り取って、入れる。

これをやり過ぎると自分が薄くなってしまって、危うくなる。

やり過ぎると最悪の場合、死に至る(何でもそうだけどね)。でもほとんどは大丈夫。

で、楽曲が出来ると、僕としては嬉しい。「気合」を入れないと歌は作れない。

楽曲は僕の「アバター」だし、

上手く行けば、誰かに気に入ってもらえるかもしれない。

何しろ、ほんの少しとは言え、魂だって削り取って入れてるのだ、

明石焼きのタコみたいに。

他の人の事考えても・・・・

楽曲を聞けば、今はこの世にもういない

例えば佐治とか、例えば碇健太郎とか、例えば村上ヒロアキとか、

例えば岩佐とか、

もっと言えば

例えば忌野清志郎とか、例えばジョンレノンとか、例えばオーティスとか、

例えばジョニーサンダースとか、例えばジャニスとか、例えばジムモリスンとか、

例えばカートコバーンとか・・・・・・

キリがないからやめるが、

そういう人の息づかいや、体温まで感じることが出来る。

そんな風に楽曲は人の魂を、時間を超えて現出させるのです。

魂を永久保存するのって、難しいけど容易い(どっちやねん)。

それはつまり、永遠に残る、いい曲を書けばいいのだ。

他人が認めようが認めまいが、いい曲はいい曲だ。

でも多くの人に認められれば、いい曲はもっといい曲になる。

だから・・・・・・・いつか、

僕の曲を聴いて欲しい。出来れば生で、ライヴハウスで。

次のライヴは関西、しかも古都である京都。

その古の繁華街・祇園のライヴハウス、「シルバーウィングス」で、

8月12日、土曜日。

お盆だ、お盆。

お盆には先祖の魂が帰って来る、と説くのは仏教なのかな?

まあ、何でもいいけど、

先祖も大事だが、今生きてる我々の魂(英訳すればSOUL)も、大事にしたい。

あ、先祖に関してはお墓参りには行きます。

それで勘弁してくださいね。

草々。

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火葬、土葬、についての続報。

2023-07-12 21:07:27 | Weblog

今日の朝、クルマでAMラジオを聞いていたら

タイムリーというか何と言うか、火葬の話をしていた。

それによると

ヨーロッパでも最近は火葬が多くなってるのだそうだ。

そりゃそうだろうな。

で、土葬というのは実は、環境に対する負荷が高いのだそうだ。

それは何故かと言うと、

土葬にするご遺体は血を抜いて、

防腐処理(エンバーミング)を施すのだそうだが、

この防腐処理が、多くの化学薬品を使うのだという。

むむむ・・そうか、さもありなん。レーニンみたいだな。

しかし、地中に葬るのだから防腐処理など不必要な気がするのだが、

そうでもないのだろうか。

ご遺族はやはり、心のどこかで「復活」を願ってるのかな。

復活した時に腐ってたら、そりゃゾンビだもんな。

 

しかし

火葬もやはり、環境に対する負荷は小さくないらしい。

そりゃ確かに・・・豪勢に火を使うものね。

で、近年「水火葬」という新しい方法が出てきて、

ヨーロッパなどでも続々認可され始めているらしい。

その方法とは、

強アルカリ性の薬剤にご遺体を浸して、スピーディに(2時間くらいらしい)

「分解」するのだという。

最後にはお骨の「粉」だけが残る。

うーん、それ、悪くないなあ。

アルカリってのがまた、ポカリスエットみたいでいいじゃないか。

まだまだ日本ではその機械、というか機材も導入されていなくて、

公的な認可も降りてないらしいのだが、

いずれはその方法が主流・・・・になってもおかしくない。

ふうん。

 

ところで!

土葬について、前回の日記で「この国でそれを望んでも無理ではないか」

と書いたのだが、そうでもないかもしれない。

これもその、今朝聞いたラジオの中で言っていたのだが

それって、自治体によって違うのだという。

日本は「火葬大国」で、99.999%の人は荼毘に付されるらしいのだが、

そうでない人もいて、例えば

関西では和歌山は、土葬もアリなのだそうだ。

本人が望めば・・・・ということだと思うのだが。

えー、そうなんだすごいな和歌山。

死ぬときは和歌山で死のうかしらアタシ。

いや、最新の、アルカリの「水火葬」も捨てがたい。

でもやっぱチベットの山奥で「鳥葬」がいちばんレアか?

迷っちゃうよね。

 

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「火」について。

2023-07-09 18:11:20 | Weblog

それにしても、というか

死んだ我々の身体が火で焼かれるのが当然、みたいになってるのは

不思議と言えば不思議。

やはり、人間の文明というのは「火の文明」なのだ。

火を使えるようになって一番初めの利点は

火の光によって、夜の闇を照らせることだったかもしれない。

これは驚くべきことだったはず。獣は火を恐れたし。

もうひとつ、喰えるものが増えた。それ以前とは比べものにならない。

獣肉だって、魚だって。多少は固い芋や野菜も、焼けば喰えるのだ。

冗談抜きで、多少古くなった肉でも野菜でも、火を通せば喰える。

当時の原始社会で、「火」を起こせる者、扱える者

(それは「火」が物理的現象だ、と理解した者だったはず)

は、本物の、奇蹟を起こせる「魔術師」であったであろう、と推測する。

現代においてだって、「火」は ほとんど魔法だ、と僕は思う。

 

そして、刃物。

刃物は「火」の産物である。

鉄分を含んだ岩石を「火」の超高熱で溶かして鉄を取り出して、

それをまた焼きながら叩いて「鋼」を作る。

それを研いで、「刃物」の出来上がりだ。

(そんな簡単なことではないが、原理としてはそうだ。)

「刃物」を手にした人類はまた「喰えるもの」が倍増した。

 

そしてそして、「火薬」。そして「エンジン(ガソリン動力)」。

「火薬」と「ガソリン動力」は、一種の究極だと思う。

それはつまり「銃」と「車」だから。

 

銃を手にすることで一部の人類は地上最強になった。

アフリカの人々の多くが白人の「奴隷」にならざるを得なかったのは

白人側が「銃」を、すでに手にしていたからだ。

ひどい話。

 

そしてその「火」は形を変えて「電気」となり、

「原子力」となった。

「原子力」の火は二酸化炭素を出さない。それはいいのだが、

制御が、とても難しい。

そしてこれがとても大事なのだが、

原子力はその「燃える」過程で生物にとって猛毒な放射線を出すし、

これも猛毒な、放射性廃棄物、というものが必ず、発生する。

そして何百年も、その毒性は消えない。

それをずっと、冷やしたまま保管せねばならない。

冷やすのを止めたら最悪、核爆発が起こる。・・・・・恐ろしい。

解決策は、この21世紀の現代にも、ない。

 

 

現代のこの国で起こった、

原発のメルトダウンという世界最悪の事故で

それを冷やした水、つまりそれに触れた放射能汚染水を

海に放出する、ということが決まってしまい、着々と進んでいる。

 

いつもいつも、被害をまともに受けるのは我々「弱者」だ。

偉い人(?)は誰も、責任を取らない。

 

あんなもの海に捨てたら、取り返しがつかないのは目に見えている。

 

近年の政治的な状況は滅茶苦茶だ。

マトモな話の方が少ない。

マイナンバーにしても、どう考えてもマトモではない。

あれは永年我々が拒否してきた

「国民総背番号制」であるし、それの強制だ。

キツい監視社会、ディストピアの具現化だ。

もう遅い?と思う人いるかもだが、遅くはない。

実施される前に、全力であれを無効にする法案を通さねば。

 

官房長官とやらの質疑も、まともに答えないのが常態化している。

国会質疑もそうだ。

この、「まともに答えない」を堂々とやり始めたのは

僕の記憶では、安倍晋三だ。「ご飯論法」とかあったよね。

あいつの傲慢さとツラの皮の厚さは、本当に憎たらしかった。

 

 

 

この文章、最後だけは文学的な「火」に戻る。

 

傲慢な奴らは

みんな「地獄の業火」に焼かれてしまえばいいのだ。

 

・・・言ってて虚しい。

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火葬について思ふ。

2023-07-08 21:07:37 | Weblog

俺が死んでも焼かないでくれ、と歌ってる人をSNSで見た。

この人は「農フューチャー」という理想を掲げているようで、

農業をやりながらロックしているのだ。かっこいい。

焼かないでくれ、というのはつまり、「土に還りたい」から。

なるほど、と深く思った。

農業を真剣にやっているのなら、自分自身の身体も土に還りたい、

と思うのはきっっと自然なことなのだろう。

しかし。

この人の希望はかなえられるのだろうか?この現代社会の中で。

・・・無理かもしれない。

遺言で「土葬」を希望したとしても・・・・無理なのではないか。

「火葬」という文化はかなり古くから我が国に根付いている。

これはもともとは、伝染病とかを防ぐという根本的な目的があるはず。

ご遺体は腐るし、そこからいろいろと問題が起こるのだ。

諸外国はどうだろうか?

あの、映画で有名なゾンビは、土葬文化の賜物である、もちろん。

でもヨーロッパなどでは近年、土葬が多くなっている、と何かで読んだ気がする。

お墓のスペース的な問題もあるであろう。

火葬にした後の骨を入れる「骨壺」は、年々小さくなっている。

さて

火葬にされた我々は、土に還れないのであろうか????

いや・・・・・考えたのだが

人体の70%は水分であるという。

火葬されればその70%は蒸発して、空気に混ざる。

もしくはそれこそ天に昇って、雲と同化する。

雲からは雨が降るので、70%分は大丈夫、いずれ土に還れる。

あとの30%は?

お骨の残りと・・・・・なんだろう?

我々の「お肉」。高温で焼かれて、微粒子と化すのかな。

そう考えると「火葬」って、いまひとつ自然ではないかもしれない。

「炎」自体が・・・・自然に発することなど滅多にないのだ。

ところで、お骨って、一部しか残さないよね。

子供の頃、初めて行った火葬場でお骨を上げた時に、それが衝撃だった。

「え?全部拾わないの?」と聞いたほどだ。

あれが誰の火葬だったのか思い出せない。ごめんなさい。

ほんの一部だけお骨を拾って骨壺に入れて、

あとは「産業廃棄物」として処理されるのだと思う。

それは言い方を変えれば「ごみ」だ。

「ごみ」処理の方法もいろいろあるが、最終的には土に還る、

と思って間違いないであろう。

ややこしいような気もするが、

地球上の物質は地球上で再生する。

だから死んで「焼かれて」も大丈夫かもしれない。

そう考えると「土葬」とか

ご遺体を野晒しにして鳥に喰わせる「鳥葬」とかって、

贅沢なのかもしれない。ストレートだから。

でもさ、この超高齢者社会で

あちこちの野原や畑のわきとかに、焼かれてないご遺体が野晒しにしてあったら、

なかなか悲惨な光景だと思う。

いや俺はそうされても全然いいんだけどね。

ゾンビとして蘇るチャンスがあるかもじゃん、ご遺体が残れば。

・・・・でもそれ、「チャンス」とは言わんか。

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ライヴハウス考。

2023-07-06 20:29:40 | Weblog

昨日の続きで、どーでもいいようなことを延々考えていた。

 

ライヴハウス側としてはそりゃ、

「売れる」ことを目指してハングリーに活動して、

もちろん平日だろうが何だろうが二つ返事で出演し、

お客さんも毎回山ほど動員し、

しまいには鳴り物入りでメジャーデビューして、

そのライヴハウスの名前も有名になってしまう・・・・・

っていうようなバンドに出演して欲しいのだろう。

 

気持ちはわかる。

 

 

しかし、平日でもいつでも、

しかもハードスケジュールでライヴやってる(非・メジャーの)バンドの人って、

どうやって生活してるのだろう・??謎だ。

推測その1・・・大富豪、社長、もしくはそのご子息。

その2・・・・単に、ヒモ。

その3・・・・もう思いつかない。

 

まぁ、他人のことだから、どーでもいいけど。

 

それを羨ましいか?と聞かれれば、羨ましくない、と答える。

俺は、働けることに感謝しているし、

働くことも音楽やることも、ぎりぎりではあるが・・・出来てることは誇りだ。

俺は・・・っていうか俺達は「自立」してるのだ。

そういう、バンドの動き方を「オヤジバンド」と呼ぶなら呼べ。

 

 

 

 

それはそうと夢のある話を。

 

僕の覚えてる限りで「伝説」と化した、我が国での、

ロックバンドのライヴハウスでの、

大成功譚が二つある。

 

ひとつは1970年代後半の、チャボさんが加入した直後の、

復活RCサクセションで、

毎回、狂乱の盛り上がりで、もうこれ以上人が入りきれない・・・・ということになったらしい。

あれで渋谷・屋根裏の名前が全国で垂涎の的になった。

俺も一度、出たかったな。渋谷・屋根裏。

(後年になって移転・復活した渋谷・屋根裏には「ばるぼら」で、出た。)

 

もうひとつのライヴハウス伝説は、1980年代後半のブルーハーツだろう。

あれは・・・・もう移転してしまった西新宿のロフトだったのかな。

よく知らんのだけれども多分そうだろう。

話によれば、彼らが出演するたびに暴動のような騒ぎで、

そして倍々ゲームのように動員が増えて行ったそうな。

当然のように大手レコード会社の、バンド獲得争奪戦。

「歌詞に一切文句をつけない」という条件でメジャーデビューしたらしい。

むむむ。かっこいい。

 

今や国民的人気バンドみたいになってるスピッツは、

新宿JAMに出演していたバンドであったらしい(よく知らんのだが)。

JAMも、出たことがないなぁ。

むむむ。

イエローモンキーは、渋谷ラ・ママに出演していたはず(こちらもよく知らん)。

1980年代後半、ランブルフィッシュでラ・ママに出演した時、

イエローモンキーの宣伝チラシが貼ってあるのを見て、

「何じゃこのバンド名」と笑っていたのを覚えている。

あの頃から大した人気バンドだったんだろうな。

 

 

 

 

しかしまあ、「人が入りきれない」くらい動員出来たら

オヤジバンドであろうがなかろうが全然そんなの、

誰も気にしやしないのだろう。

 

 

 

 

 

ライヴハウスの数も、昔から考えたら信じられないくらい増えたよね。

それはそれで、すごくいいことなのだけれど。

 

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