信じる/信じない

2014-10-31 17:21:03 | Weblog



え、どんな世界におきましても

「陰謀論」みたいなのがハバをきかしてる昨今でございます。

何か起こると、やれ陰謀だ、やれ陰毛だ、と

かますびしいことこの上ない。

でも中には面白い・・・・・って言うたら剣呑か、

そうやなくて、どう言うたらええのんか、「興味深い」話もございます。

「9・11」はアメリカの自作自演だった、とか 結構 有名ってなもんで。いろんな書籍もございます。

ホンマのところは、私ら庶民には一生、わからしまへん。

でも、ホンマやったらエライことでんな。

アメリカ言うたらアレですわ、「真珠湾」かってね、

攻撃あること知ってたのに知らんふりしてた、ゆう話もおます。

開戦のきっかけつくりたかったんやろ、って。

でも確かに・・・・・・・・・・・・・・でもわかりまへんな。滅多なこと言うもんやおまへん。

まぁそれは置いておいて、それでも、ですな。

あの

「アポロは月に行ってない」なんていう子供っぽい陰謀論は信じたらあきまへんで。

そういう映画があった、ちゅうだけやのにねぇ。ちょっと、馬鹿らし過ぎますわ。

そんな説より、

「月の裏側は月世界人の建てたビルディングでびっしりだった」ちゅう話のほうが

なんぼか面白いですな。

「海水浴から帰ったら膝のお皿の裏側にフジツボがびっしり生えてた」みたいな感じで、ゾッとします。

さて、ここらで

「ロックの陰謀論」に話変わりますけどよろしおすか?

有名で、コレも映画になった話なんですが

「(ニルヴァーナの)カートは実は、(奥さんである)コートニーに殺された」ゆう話。

いかにも、コートニーならやりそうで怖あ・・・・でございます。

ニルヴァーナ後期の曲「オール・アポロジーズ」のサビの歌詞は

「俺は結婚する、俺は葬られる」の繰り返しやて。どちらにせよ暗示的、予言的でんな。

そしてもうひとつ、コートニー関係で、これはあんまり有名やないんですが・・・・

「1994年のホールの傑作アルバム”LIVE THROUGH THIS”は

クレジットされてないけど全部カートの曲だ」いう説。

そう言われて聴いたら もう、そうとしか聴こえまへんのでお試しあれ。

信じる/信じない は、もろちん、いや もちろん、お客様方のご自由でございます。

さて、いろいろ阿呆なこと申し上げて参りましたが今夜は

ゆわゆる(所謂)、「ハロウイン」でおましたな。

私なんかアレですわ、一昨年まで毎年末、

クリスマスセール(と正月初売り)みたいなんの準備とかで

地獄の責め苦(大げさですな)を受けてきた身ィなもんでございますので、

赤い服着て「ホー!ホー!」言うヒゲの爺さん(サンタクロースですわな)なんかは

これっぽっちも信じる気ィおまへんねんけど、

「カボチャ大王」やったら信じまっせ。

幼い哲学者である「ライナス」はきっと今夜、アメリカのどこかのカボチャ畑で朝まで、

「カボチャ大王」を待ってるはず・・・でございます。

さてさて、

おあとがよろしいようで。

では皆さん、来月15日、大阪は十三の「クラブ・ウォーター」で

ご来場いただける、と信じて・・・・・・・・・

お待ちしてまっせ。








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まるで祝祭的な人生

2014-10-30 18:19:01 | Weblog


別にさ、

ひぃひぃ言いながらでも

何とか、かんとか 生きていられりゃ、それでいいじゃん・・・・

とかって思う。

それだけでゼータクだっての。

今さら・・・「美女」になれるワケもないし、

「裕福」にも もちろん、なれやしないけどさ。

考えてみたら こんなアタシでも、危ない橋を渡ったりも したんだ。

偶然だかどうだかわかりゃしないけど、

そんなのをくぐり抜けてさ、

あ・・・・・・・・・・生きてて良かった

とか、思うもんね、時々。

あのときアキラメなくて良かった、みたいな。

そりゃ「世間様」から見たらアタシなんざぁ

「下の下」だろうけど、

構いやしないの。

アタシからしたら「上上」なんだから。

まだまだ、生きてやるからね。

しがみついてでも、石にかじりついてでも 生きるわよ。

そうしてりゃ いつかまた、「大笑い」出来るかもしれない。

「全肯定」されたような気に、なれるかもしれない。

そう考えたらさ、

「楽しみ」だって、あるワケよ。

ああ、ゼータクだよあたしゃあ本当に。

そうさ

「ザ・バンド」の曲にもあるけど

「人生はカーニバル」なのさ、そうに違いない。

紛れ込んで大騒ぎしてさ、

後で後悔したって いいのよ、別に。

クヨクヨしてんじゃねぇっての。






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晩秋

2014-10-27 18:08:44 | Weblog





君よ、何事も深刻に取るなかれ。


すべては「冗談」なのだ、もしくは「ネタ」か。

面倒くさい物事は全部、

鼻で笑い飛ばしながら生きればいいのだ。


君は

君の「聞きたいこと」だけ聞いていればいいし、

「知りたいこと」だけ知ればいい。


世界は個人個人の取捨選択で成り立っている。

だから

趣味の悪いものは、君の世界に入れなければ、

それは「ない」もの・・・・となる。


原理的には、そういうことだよね?

それで「いい」んならさ、

好きなように生きられるよな。


ああ 世界って何て、「自由で不自由」なんだ。

逆?「不自由で自由」か?同じことか?


もう面倒くさくて俺なんか、

朝から晩まで、「明晰夢」の中で生きてたいね。

つまりね、夢も現実も溶け合って、

融解してしまった世界がアタシのお好み・・・・・・・・・・・・ってワケさ。


グロテスク?

そりゃ、他人の目から見たらそうかも知れないけどね、

アタシの目から見たら「この上なく美しい」ワケよ。


だからさ、

「他人のことは放っとく」に限るぜ、

「支配欲」ってのは意外と、やっかいなモノだから。

どっちにしろ、誰だって、

自分の興味の中でしか動かないんだから、

誰が何を言ったって、ムダ、と言えばムダ・・・・なんだな。








他人を無理矢理動かそう、ったって、そうは行かないって話。







でも俺としては・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ライヴ」には、来て欲しかったりする。




いろんなことがショボくなっちまったけど、

オンガクはそうじゃない。

まだ「輝き」を、まるっきり失ってしまったわけではない。


俺はさ、

オンガクは「マホー」だ、と まだ思ってるんだぜ。


しかもその「マホー」はまだ解けていない、と。








ライヴは来月の15日、十三のクラブ・ウオーターだからね。








追伸

俺の大好きな

赤瀬川源平さんが、亡くなってしまったよ・・・・・・・・悲しい。

晩秋の死。

また「世界」から、”興味深い人物”がひとり、減ってしまった。


コメント (2)
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思考的に迷走

2014-10-26 12:32:04 | Weblog



どんな人でも「生きることの意味」なんてのは、知らない。

それでも、誰でも、それなりに、必死で手探りで生きているのだ。


幼かった頃の僕にはそのことが理解出来なくて、

幼児的な思考で、自分だけがそんなことで もがいてる・・・ような気になってて、

周囲の誰とも 全然、馴染めなかった。


思うに、この「世界」という場所は巨大な実験場みたいなもので、

誰もが、何も知らされずにそこに、放り込まれる。


最近読んだ本に書いてあったことなのだけれど、

「人間」って基本的な本能の多くを失ってしまっている珍しい動物・・・なのだそうだ。

そうじゃないか、と思ってたんだけど、

そのことをちゃんと書いてある本に出会ったのは初めてだった。


人間って、不思議だ。

不思議、と言うか「変」と言うか。

いろんな意味で「不自然」なのがとても「変」だ。


冒頭に挙げた「生きる意味」ってことに関しても、

人間以外の動物は「本能」がそれと命ずるから、問題などないのだ。

いや、単純に・・・・・・・・・考える必要ないからか。


人間は「自己保存本能」さえ、相当に弱い。

(しぶとく、図々しいような人間ももちろん多いけどね。)



「弱い」のはアタシだけか。

いや、アタシも・・・・かなり「図々しい」か。





どっちだか、わからなくなってきたわよ。







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高速道路の電光掲示板

2014-10-23 17:30:29 | Weblog


今日の朝(日の出前)伊勢湾岸道路を

真っ黒な10トンダンプ「ブラックスパイダー」で爆走していたら、

名古屋高速との分岐のところの電光掲示板に

「猫に注意」

と表示されていた。

(ちょっと想像してみて欲しい。)


恐らく、

野良猫(もしくは飼い猫)が高速道路に迷いこんでしまったのだろう。

(猫の無事を祈りマス)

しかし

いつもなら事故情報とか渋滞情報しか出ない

「高速道路の電光掲示板」

  と

「猫」

の組み合わせがとっさに結びつかなくて、

一瞬「え?」と思って次の瞬間、(事情を)理解して、そのあと笑ってしまった。

「猫」は、俺の創作上のモチーフのひとつでもあるからちょっと、不可思議な感じでもあった。







それで、

例えばどんな言葉が、高速道路の電光掲示板に表示されていたら

「変な感じ」がするだろう?と考えてみた。



「女難の相あり、注意」


とか?



もしくは



「アナタはすでに死んでいます。ここは『死後の世界』です」 


  っていうのが

繰り返し、繰り返し表示されたら

ああ、そうなのか・・・・・・・・・・・・・・・・ってすんなり信じてしまいそうで怖い。

(フィリップ・K・ディックの『ユービック』みたいだ。)



そう、高速道路の電光掲示板、と言えば

10年ちょっと前のこと。

「ばるぼら」で東京ツアーに出かけていた途中、

どこだったか忘れてしまったのだけれど、山の中の高速道路を機材車で走行中、

ものすごい雨が降りだしたことがあった。

まわりは真っ暗になるし、それまで経験したことがないくらいの豪雨。

前もよく見えない中を速度を落として運転していたら

前方に電光掲示板が見えてきた。

おお、ありがたい、何か有用な情報が表示されてるに違いない・・・・と思いつつ近づいて、

掲示板の文字を読むと

     「雨」

  とだけ出ていた。

「そんなこたぁわかってるんじゃぁ!」と

メンバー全員で叫ばずにはいられなかった我々であった。



しかし、後で考えたら・・・・それ以外表示の仕様もないよな。






今、思いついたんだが、

その豪雨のときの電光掲示板に

「猫に注意」って

(もし)出ていたら、

それはそれで、笑えたかもしれないねぇ。






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願い

2014-10-21 19:19:05 | Weblog

身の程を知ること。

甘い考えは捨てること(棚からボタ餅は、決して落ちてこない)。

全部、必然なのだ、誰も悪くないのだ。

前だけを向くこと。

他人の評価を気にしないこと。

自分で自分を「引っ張り上げる」しかないのだ。

自己否定しないこと。

他人を否定しないこと。

現状が不満なら、変えること。

変えるためには、何をするべきか 考えること。

暗い顔を他人に見せないこと。

ふさぎこまないこと。

「腹が立つ」のなら、それをエネルギーに変えること。

他人の理解を得よう、などと思わないこと。

自分の設定したハードルをクリアすること。

「自分のこと」ではなく、他人の立場を考えること。

もっと優しくなること。

他人のことを気にかけることが出来るようになること。

少々のことで動じないこと。

結果が出ないからと言って、努力を放棄しようとしないこと。

「学ぶ」こと。

「体験から学習」すること。

変化すること。

願わくば

「羽化」することを!


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ジャニス・ジョップリン「メルセデス・ベンツ」訳詞(創作なし)

2014-10-20 18:52:45 | Weblog



「メルセデス・ベンツ」   (J.Joplin M.McCiure)  訳詞 カタヤマミチロウ




神様、アタシにベンツを買ってちょうだい

トモダチは皆んなポルシェなの、なんか哀しくなるでしょう?

働いても働いても、暮らしは、楽にならない

だから神様、アタシに

ベンツ買ってよ ねぇ



神様、カラーテレビをアタシに買ってちょうだい

懸賞で当たる番組にハガキ出しまくってるのよ

いつまでも来ない荷物を遅くまで待っている

だから神様、カラーテレビを買ってちょうだい




神様、夜の街を まるごと・・・ちょうだい

「愛してる」って言うんならさ、お金なんかいらないでしょう?

人生は短くて「二回目」なんか、ない

だから神様

夜の街をまるごと ちょうだい


エヴリバディ!


神様、アタシにベンツを買ってちょうだい

トモダチは皆んなポルシェなの、なんか哀しくなるでしょう?

働いても働いても、暮らしは、楽にならない・・・・・・・・・

だから神様、アタシに

ベンツ買ってよ ねぇ(笑)









付記

ベンツ、カラーテレビ、夜の街、という「神様への要求三題噺」の雰囲気を訳詞で再現するには、

二番も原詞に忠実でなければならない、とあとで気付いたので

がんばって二番も訳してみたアルよ。

歌ってみておくれよ。

それと、昨日と今日にアップした写真は、ジャニスの写真の中で一番好きなもの。

「史上最高の女ヒッピー」って感じが、よく出てるよね。

跨ってるバイクは多分、ハーレーなんだろうな。



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ジャニス・ジョップリン「メルセデス・ベンツ」訳詞(一部創作込み)

2014-10-19 16:22:59 | Weblog

ジャニス・ジョップリンが好きだ。


同好の志、というような人は多いと思うが。

でもホントにジャニスって、「ロック史に残る」にふさわしい、天才シンガーだよね。

本物のブルーズばっかり歌ってる、初期の音源なんかもスバラシイのだけれど、

ジャニス生涯最後の録音、と言われてる「メルセデス ベンツ」も、やはりスバラシイ。


ラフな録音、「政治的に重要な歌を歌うわ」とか何とか言ってアカペラ(無伴奏)で歌うコレは、

親しみやすいし、恐らくジョーク好きであっただろう彼女の人柄をしのばせる。

昔から、大好きなのだ。


好き過ぎて、日本語訳詞、みたいなのをつくってみマシタ。


ただ、二番の歌詞は実在(であっただろう)のテレビ番組のことを言ってるので、

面倒くさいから思い切って「創作」してみた。

俺は「テレビ嫌い」なのデスよ、冗談抜きで。

(テレビなんてのはね、点いてたら消す。我々がテレビに対して出来るのは、それだけなのよ。)




ところでこの訳詞。

これはちゃんと歌えるように語呂も合わせてマス。

現存してるジャニスの「本物」の音源はアカペラ(無伴奏)だけど、

俺は、合わせて弾けるギターのコードも発見してる(って言うかほぼ3コードだった)。

いつか君にも、聞いてもらえる時があるかもしれない。

あったらいいな、と思いつつ、訳詞(一部創作)だけ、載せます。







「メルセデス・ベンツ」   (J.Joplin M.McCiure)  訳詞、補作詞、カタヤマミチロウ


(一番は、ほぼ直訳)

神様、アタシにベンツを買ってちょうだい

トモダチは皆んなポルシェなの、なんか哀しくなるでしょう?

働いても働いても、暮らしは、楽にならない・・・・・・・・・・・・(ぢっと手を見る)←コレは冗談

だから神様、アタシに

ベンツ買ってよ ねぇ。



(二番はカタヤマミチロウの創作)

神様、お願い・・・・・・・・・・・・・テレビを消してちょうだい

下らないドラマやバラエティ、ゲロ吐き気がするわ

毎朝三時に起きて、働いてるんだぜ

だから神様、アタシの前ではテレビは消してちょうだい


(三番は、一部意訳)

神様、夜の街を まるごと・・・ちょうだい

「愛してる」って言うんならさ、お金なんかいらないでしょう?

人生は短くて「二回目」なんか、ない

だから神様

夜の街をまるごと ちょうだい


(四番は一番の繰り返し)


神様、アタシにベンツを買ってちょうだい

トモダチは皆んなポルシェなの、なんか哀しくなるでしょう?

働いても働いても、暮らしは、楽にならない・・・・・・・・・

だから神様、アタシに

ベンツ買ってよ ねぇ。








付記その1

ほかの人が訳した歌詞で、四番を「夜の街で一晩中、遊ばせてよ」みたいにしてるのがあったけど

この歌詞の面白さ・・・っていうか「笑うところ」って

「要求がとどまるところを知らない」というところにある、と思うので(ベンツ、カラーテレビ、夜の街)、

やっぱ彼女が欲っしてるのって「夜の街まるごと」だ、と確信するものである。





付記その2

二番の(創作)部分に、

早起きのダンプ運転手であり、テレビ嫌いであるアタシ(カタヤマミチロウ)の悲哀が

混じってることを、行間から読み取ってよね。










追伸

朝三時には新聞配達の人々ですら、まだ路上で動き出しては いない。





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思うこと。

2014-10-17 17:23:54 | Weblog

「世界」において、というか・・・「人生」において、

面白いのは、「他者」なのだ、きっとそうだ。


「自己」だけで完結してしまったら、そこから広がり、というものがない。


生物というのは基本的に「閉じた系」であるものなのだが、

それは前提として、それだからこそ・・・・・”閉じた者同士”として「他者」と関わる。


そして

「他者」の目で物事を見ると、自分の視野がぐんと拡がるし、そうなれれば

「自分が拡大した」ようなことになるかも知れない。



思うに、どんな人だって、

ワタクシ的世界において、「私」は、善である。

だから

誰もが ある程度、「独善的」なのは、いたしかたない・・・・と言える。

自分の「善」に固執しすぎると、どうしたって「他者と衝突」することになる。

「(思い込みの)善」が「(それと対するものとしての)悪」を規定してしまうんだよな。

そういうのって、美しくないし。





「他者」を受け入れること。

「容認し合うこと」と言ってもいいかも。

結局、

我々(特に俺)に必要なのは、「他人に対する寛容さ」なのだ。



世界には無限に近い数の「他者」が、いる。

(人間以外の生物も「者」として考えると、”ほぼ無限”だろう。)

それはとても喜ばしいことで。




受け入れあって、

(お互い)浸透しあって、

まるで「水」みたいな感じで

生きていけたらいいのではないだろうか。









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多少、分裂気味の日常。

2014-10-15 18:41:44 | Weblog


最近、自分の中で人格が二つに分裂してきてる気がするのだが、

大丈夫だろうか。

まぁ・・・・・・・・・・・まだ

自覚して制御できてる(つもり)だから、大丈夫なのだろう。


でも二人いるのは確かで、


ウノ、というおっちゃんと、

サノ、というオカマがいる。


ウノ「もぉ、どぉでもエエやんけ」

サノ「ダメよ、ちゃんとしなきゃ」

ウノ「エエやんけ、自由に行こうや」

サノ「社会からはみ出さないように生きなきゃダメよ」


といった調子。


でもメロディ(曲)を創れるのはウノのおっちゃんなのだ。

オカマのサノさんは、歌詞を書く(乙女ちっくなのだ)。

あと、経理カンケイとか。


日常、ウノのおっちゃんはけっこう、静かにしてるのだが

「道子」本体がサケ飲み過ぎたりすると ここぞ、とばかりに主導権を握る。

それで木に登ったり、

テーブルの上で(宴会中に)「前転」したり、とか

しょうむない事態が出来するのだが、わりとすぐに寝てしまうので

そんなに「害」は、ない。

(ご迷惑かけた人にはスミマセン。)


ウノのおっちゃんは翌日には何もかも忘れてしまうが、

オカマのサノさんは少し覚えていて、

あとでクヨクヨしたり、する。

曰く、「恥ずかしい・・・・・アタシって最低」云々。


しかし、ウノのおっちゃんも、

オカマのサノさんも、

我が家(「道子」本体)にとっては かけがえのない存在なので、

これからも 仲良くがんばって、

生きていって欲しいものであることだよ。





では、さよオナラ。


(来月15日、WATERでのROCA’66のライヴには、来てよね。)






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