ガス欠

2011-05-31 11:24:21 | Weblog




「復活する」って言ったって、

ジーザス・クライストじゃないんだからそんなに簡単に

「復活」できるとは限らないのよね。

まぁ、「気は心」ということで。


ところで昨夜は久しぶりにバイクで出掛けたのだが、

目的地に辿り着く前に

ガス欠で動かなくなってしまった。


・・・マヌケだ。


俺のバイクには燃料計というものが付いてなくて、

しかもあまりにも燃費がいいので、

時々、「ガソリンを燃やして走ってる」という意識が

希薄になってしまうのだ。

(言い訳をしている。)


3キロくらい押して歩いて

ガソリンスタンドに辿り着き、

エンジンがかかった時の嬉しかったこと!


もう全然若くないんだけどそれでも、

「再びかかったエンジン」みたいな感じで

これからのことを

やっていけたらいいな、と思った。


過去に起こった事たちを胸に大事にしまいつつ、

新しい荒野に、

ガソリンを満タンにして出かけるのだ。




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無題

2011-05-29 21:15:01 | Weblog
復活することにした。
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ちょっと疲れ気味かしら

2011-05-26 20:47:33 | Weblog





そしてまた、一日が始まる。

何だか・・障害物競走のような一日、

やることなすことに邪魔が入る。

あっちでは責任逃れ、そっちでは責任転嫁。

まるで我々は

ろくでもない世界の上をベルトコンベアーで運ばれていくのだ。


もちろん うんざりするけど、

深く考えてはいけない。

この街は狂ってるし、

もっと言えばこの世界全体もマトモではないから。

そんな風に思いながら生きていくのもけっこう疲れるけど

最低なのは、自己憐憫に陥る事なのだ。

そのことだけは、肝に命じておく。


俺を疲れさせ、磨耗させ、疲弊させる世界。


でもそれは表面だけのことで、

その裏・・ていうかずっと奥には、

そうじゃない、根源的な「何か」がある。


ほんの時たま、そういうものの一端に触れられそうになる時がある。

口では上手く説明できない、

原初の記憶、失われた真実。

この世界の奥底に流れる、地下水のような、

通奏低音のような、何か「大事なこと」。


俺はそういうものの存在を信じてるし、

そういうもののために生きたい。


そう思いながら今日も

クレイジーな世界に身を投じるのです。



それにしても、

「現実」って疲れるよね。




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初恋のたたり

2011-05-22 19:35:30 | Weblog




寺山修司の「花嫁化鳥」(角川文庫)という本の中に、

「初恋宗教」というのが出てきた。



----以下引用----------------------------------------------------

私の少年時代に、「初恋宗教」というのがあった。

「もろもろの不幸は、ことごとくこの初恋のたたりである。

だから初恋の生霊、死霊を祓い清めて突き進めば、未来は祝福され、

幸運が招来される。」(今西円輔「現代の迷信」)というのが、

その宗旨であって、正式の名称は天元教と言い、

本尊は難波寿一というひとであった。

------引用終わり----------------------------------------------------


どうも、フィクションではないみたいだ。

初恋のたたり・・・・・・・・・・・・・・・。


ちょっと微笑えましくて、素敵だ(笑)。


寺山修司はそんなに読んだことないのだけれど、

そういえば浅川マキさんって、初期は

寺山修司の詩で歌を歌ったりしてたんだった。


「寺山さんと一緒に「風月堂」に行った」と言う話を

俺はマキさんから直接、聞いたのだ。



マキさんがもういないなんて、

何だか不思議だ。


今でもどこかで歌ってるんじゃないか?て

思わせるような感じが・・・・あるよね。






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どっちでもいい

2011-05-22 11:03:06 | Weblog



奇妙な程豊かな夜の音色、

想像もつかない程遠くから誰かが僕に、

微かな光を投げかけている。

全ての悪徳が、蜘蛛の糸の上で踊っている今夜、

まるで理解不能な情熱を抱え込んだまま僕等は

何処へとも知れぬ旅を、とにかく続行させたのだ。


誰もが「我」という屈折した個性の集合体で、

それがあらゆるものに対するアンチであるということは

必然的に世界との軋轢を生じるものである。


思うに全ての愛と全ての憎悪の熱源は所詮同じであり、

我々に必要なのは単に、

「存在の祝福」ということだけなのかも知れず、


いつか我々は

”不可思議の見果てぬ王国”に・・・・・

辿り着かないとも限らないのだ。


駄目だったら駄目で、

しょうがないけどさ。






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創作

2011-05-19 20:35:06 | Weblog






俺達はまるで影法師みたいに

薄く引き延ばされて、

あっちの街からこっちの街へと、

引越しを繰り返したものだった。


思い出や荷物は増え放題に増えてゆき、

いつしか、俺達の手に負えるものではなくなっていた。





男「俺はただ、ミノムシになりたかっただけなんだ」

女「ミノムシ?」

男「そうさ、見たことあるだろ?

中身はただの小さなイモムシなんだけど、

そいつが身体の回りを固めるんだ、

枯れ葉に唾液をつけて、びちょびちょなうちに巻きつけて」

女「やめてよ!汚い」

男「汚い・・・って、

他にどうしようがあるって言うんだよ、ミノムシに?」

女「そんなの知ったこっちゃないわよ」

男「ミノムシの身にもなってみろよ」

女「絶対・嫌・もう出て行く」

男「・・・・・・ははは、嘘に決まってるだろ?

ミノムシなんてどうでもいいんだ、俺が本当になりたかったのは

海の浅瀬でじっとしてる、貝なんだ」

女「・・・暗っ」




夜は今や、幾億回目かの始まりを迎えようとしていた。

俺は果たして、明日の朝は何になっていることだろう?

望み通りに・・貝か?

それとも、小さな小さな

プランクトンの中の一匹だろうか?








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続・貝について考察

2011-05-17 10:47:28 | Weblog




貝類に「脳」はあるのか?

・・・・・・答えは、「ない」だった、残念。


「神経節」というのがあって、それが脳のような役割を

果たしてるみたいなのだけれど、

わりに単純な構造なので、その役割はせいぜい

「反射」という反応をする程度、

いうことだった。


・・・ということは貝って、

いや、貝に限らずだが(人間を含めた)生物って、

「本能」と「反射」で生きてるのか?



そう考えると何だか、「機械」みたいだ。


宮沢賢治の「ビヂテリアン大祭」に出てくる

シカゴ食肉組合の技師は、

「動物なんてのは腹が空く、食べる、眠る、起きる

ことを機械的にやっているだけだ」と主張する。

これは、17世紀の哲学者デカルトが唱えた

「動物機械説」なのだそうだが、

(もちろん、「ビヂテリアン大祭」の中で

この技師の主張は後で完璧に論破される。)


動物がそうなら、人間だってそうだよね。





でも我々は機械ではない。




宮沢賢治はこんなことも言っている。


「わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電灯の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)」

「「春と修羅」序文より」






結論。


貝だってきっと、深い思想に耽っている。

「神経節」が司るのは「反射」程度のことかもしれないけど、

きっと人智を超えたやり方で

貝は哲学的命題について、

考え続けているに違いないのだ。




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都市での暮らしと、田舎での暮らし

2011-05-14 18:00:59 | Weblog




俺は今は、京都市の郊外で暮らしている。

京都の繁華街まで行くには30分位かかるけど、

不便ではない。でもけっこう、田舎だ。


生まれた所は偶然、大層な都市だった。

新宿駅まで歩いて行ける距離だったんだよ、あそこって。


でも小学校一年生の、確か秋頃に家族で広島県に引っ越した。

そこは当時、いわゆる「田園地帯」みたいなところで、

見渡す限りの田んぼ、そして夜はカエルの大合唱。

子供心にもまぁ・・びっくりしたもんだった。

言葉も全然通じないし。


そのあと奈良県で学生寮に入って3年だけ暮らした。

ここも大した田舎だった。

でももう、田舎には慣れていたから、何てことなかった。

友達を好きになるのと同時進行で、

街のことも、じわじわと好きになった。


そのあと、大阪に出て暮らした。

大都会・・・って感じはしないのだけれど、

でも都会は都会だよね。

二十数年暮らした中の何年かはアメリカ村で、

また一年くらいは梅田の繁華街で働いた。

ごみごみした街だったけど、俺は心から好きだったな。


都会での暮らしと、田舎での暮らしって、

意識がぜんぜん違うように思う。

どちらが いい、悪い、というのではないが。


近代になって「都市」というものが成立する以前は、

誰もが田舎暮らしだったことを思うと、

田舎のほうが自然でいいのかもしれないけど。


最近になって、郊外に住むようになったような友達って

けっこう多いから、

みんな似たようなことを感じてるんじゃないのかな?

と思ってこんな日記を書いてみた。


そうそう、大阪に出る前は俺は、

いつか東京に帰るつもりだったんだよ、

そういえば。






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閉鎖系

2011-05-14 12:07:31 | Weblog


虫歯治療はやっぱり痛かった。

あの、神経に直接、ダイレクトに触れるような痛みは、

やっぱ歯医者ならでは・・・・の魅力だ。

マゾか俺は。


俺はしかし末端神経過敏捷ではないのか?

と思ったりするくらい痛かったのだが、

例えば同じ「痛み」を

他人がどれくらい「痛い」と感じているか、というのは

永遠にわからない。

「心の痛み」にしてもそうで、

我々はつくづく、「閉じた輪」の中で生きているのだ。


そうだ、「閉鎖系」で行こう。

あの憧れの「貝」みたいに。

「貝」だったら虫歯にもならなくてすむんだぜ。


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進行中

2011-05-14 10:08:47 | Weblog



さまざまな事が同時進行中の世界。

本当は言うまでもなく、いつだってそうなのだけれど

ふだんはそんなこと考えもせずに我々は、

ただただ、生きているのです。

誰も正しくなんかないし、

誰も間違ってはいない。


でも

そこにあるのは混沌だけ、というわけでもない。

「答え」みたいなものが本当にあるのなら、

便利だし、お手軽だし、いいんだけどね。


さてさて、

メルトダウン進行中だというのに、

俺ときたら歯医者通い。

奥歯の老朽化が痛みを伴って警告を発してきたのです。

それにしても歯って・・・・。

どうして二度しか生えてこないのか。

鮫だったら、歯なんか何度でも生えてくるのに。

「二度」っていう回数が、遺伝子情報として

インプットされている。不思議だ。

誰が、いつ、インプットしたのか。

むむむ。

・・・とか言いながら、

こんないい天気なのに俺は

多少、陰陰滅滅としながら歯医者に向かうのです。



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