うまく言えないこと

2017-05-29 22:07:51 | Weblog

うまく言えないことはうまく言えないことで、

いくら頑張ったってきっと一生、うまくなんか言えない。

言う気もない。


だから僕はそのことをいっそのこと、

虚空に向けて、放り出してしまうことにした。


どだい

誰かにホッタンとかケイカとかドウキとかジョウキョウとか事のテンマツとかその事から得られたキョウクンとか、

尋ねられたワケでもないし、


その当時

近辺にいた人達も

もう、そのことを覚えてさえいない。


ただ僕だけが

いつまでもいつまでもこだわって

壊れたレコード・プレイヤーみたいに

いびつなクルマのステンレス・ホイールみたいに

永久カレンダーの手巻き時計みたいに

屋根の上の間抜けな風見鳥みたいに

乱痴気騒ぎの中心に鎮座ましました金ぴかのルーレットみたいに

黒電話のダイヤルみたいに

巨大な熱帯性低気圧の「目」みたいに

すべての恒星、そして惑星、その衛星みたいに


くるくると、

そしてうんざりするほど延々と

・・・・・・・・・・・・・・廻り続けるだけのことなのだった。










































言葉なんて結局


言葉でしか、ないのだ。























今週土曜の夕方、俺は奈良の「宝島」に行きます。


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THE COFFEE&CIGARETTES新譜「WALTZ OF ZERO」発売に寄せて。

2017-05-28 19:51:54 | Weblog

THE COFFEE&CIGARETTESはとても真っ当な、真っ直ぐな、

力ずくの、ロマンティシズムと初期衝動に溢れたバンドである。


新譜「WALTZ OF ZERO」発売おめでとう。

CD、大音量で聴かせてもらったぜ。今回も、すごくいいじゃないか。


アタマから、ドラムのフィルで入る。以前から思ってたんだがこのドラマー、マジで絶品。

ドラムってある意味、バンドを支配するよね?ドラムの、大音量と、その叩き手の精神性が。

このドラムスはハードだ。そして、正確だ。


楽曲に関しては、

一曲目の「吠える」からして、これはもう「やられた」感が満載だ。

「喋り歌い」やってる。詞の朗読・・・って言うか詞の絶叫に近い。

俺が・・・いや、俺とボケロウが昔「ばるぼら」でやりたかったことに、すごく近いこと。

かっこいいなぁ、これ。これって、やるの難しいんだよ、マジで。

全曲良かったけど、やっぱ俺はこの一曲目が一番好きかも。

また「吠える」って、ギンズバーグの有名な詩集のタイトルだし。

「ビートニク」の光り輝く記念塔だ、「HOWL」は。


俺は今回のアルバムも、めちゃ気に入ってしまったぜ。

・・・・・・・・・・・・・・って(VO&Gの)JUNもこのブログ、読んでるんだっけな?

まあいいや、読んでても、読んでなくても、どっちでもいいや。


歌詞もやっぱり、センス爆発だ。

情熱が沸騰して、あと一歩でクサくなる・・・・・だがその寸前でちゃんと「クール」に留まってる歌詞。

しかも「お洒落」だ。

やっぱ言葉ってのは「概念」であるからして、

バンドにとって、楽曲の歌詞というのは本当に本当に大事で。

歌詞の作り手は、優れた思想家であらなければならないし、

同時に、冷徹なコピーライターであらなけらばならない。

彼(JUN)は、両方、軽々とクリアしている。

そしてその楽曲を、究極に、しかも自然体で、「素のロックンロール」に仕立て上げる、

屈強な「バンド」がいる。しかも「ギターバンド」だ。

こういう「バンド」の一員でいることって、どんな気がするものなんだろう?

きっと楽しすぎて、可笑しくなっちゃうかもね。


さて、何だか俺自身は、

ライヴハウスシーンの第一線から外れつつある・・・・かもしれないんだが、

そういう俺を以前と変わらずに特別扱いしてくれるのは嬉しい限りだ。

(増子兄イもそうなんだが)そういう事が出来る人は義理堅くて、限りなく優しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・どうもありがとう。


また会おう。


最後に、「WALTZ OF ZERO」に祝福を。



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ラジオ・デイズ

2017-05-28 08:59:29 | Weblog

ラジオが好きだ。

テレビは昔から、「虫唾」がタタタッ!と音を立てて走るほど嫌いなのに、

どうしてラジオならいいのだろう?

時々考えるのだが、答えが出た試しがない。仮説はあるのだが、それはあとで言うよ。

ラジオ好き、と言っても、聴くのは仕事でトラックに乗っているときだけだ。

家に居るときにラジオのスイッチを入れることは無い。

土曜日の朝の、ピーターバラカンの番組だけは別だが。でもそれでさえ、時々忘れる。

俺は「無音」を深く愛している、という事もあるのです。

さて

大人になってからラジオを聴くようになったのも、仕事のクルマに乗るようになってからだ。

あれはまだ、二十代のはじめだったかな。ランブルフィッシュっていうバンドを、まだやってた頃だ。

それまでやっていた仕事(しょうもない、安い仕事)を辞めた時、

一緒に住みだした女が、

「何でもいいからとにかくバイト雑誌のなかでいちばん時給とか日給がいいところから順に面接に行くねんで」

と言うから駄目もとで、軽トラックでのルート配送運転手を募集していた、車の部品を扱ってる会社に面接に行った。

絶対無理だと思ったのだが・・・

クルマの運転も下手糞だし、前歯欠けてて、髪の毛も腰まで伸ばしてるようなヤツを、その会社は雇ってくれた。

飛びぬけていい日給だったから、他にも何人もバイト志願者は来ていたのに。

社長が変わり者の、面白い、優しい人だったからだ。 面接で、「オマエのバンドの自慢をしてみろ」と言われた(笑)。

(ナカニシさん、ありがとうございます。今でも感謝しています。頂いたバイクも今でも、大事に乗っています。)

あれから20年以上経つのか。その部品屋が倒産してしまってから随分、色々な仕事場を転々とした。

200万円のブルガリ腕時計を現金で売ったこともあるし、そうかと思えば10トンダンプで荷台一杯のクソを運んだこともある。

今は4トン車に乗っていて(クソはもう運ばない)、軽トラは随分小さくみえるが、その頃は小さなクルマとは感じていなかった。

おっかなびっくり乗っていた。

そうそう、ラジオの話だ。

その会社の軽トラには立派なカーステまでついていて(普通はついてない)、カセットテープに入れたロックンロールや

ブルーズやR&B、ファンクにパンクにフォークにノイズたまにはジャズも。

そんな風に音楽を聴きながら仕事をしていたのだが、ある時 間違ってスイッチを入れたときに聴いた

AMラジオのおっさんがえらく面白かった。

その頃、平日の夕方に毎日やっていた「諸口あきらのイブニングレーダー」という番組。

MBSだったかな。知ってる人、いますか?

硬派な番組だった。冗談も、よく言ってたけど基本的にはガチガチの社会派。俺は、大好きになった。

その頃は夕方は、毎日それを聴いていた。

もしも今、あの番組があったら、現政権をコテンパンに批判してくれただろう、と思う。残念だ。

さて、話は時代を遡る。

考えてみたら・・っていうかこないだフッと思い出したのだけれど、

俺は小学生の頃にラジオにハマッっていた時期があった。けっこう長く。

コント番組に、投稿までした。賞金ももらった。読まれたのは、二回だけだったけど。

俺は本当に、子供の頃の事って殆ど覚えていなくて、何年生のときに何組だった、とか

ひとつも思い出せないのだが、ラジオでコント読まれたのが二回だけだった、というのは覚えている。

そのうちのひとつは、そのネタまで覚えているのだが、他愛ないし、恥ずかしいのでここには書かない。

小学校高学年だったと思う。アリスの「チャンピオン」という曲が大ヒットしてた頃かな。

あの曲は暑苦しくて噓くさくて嫌いだけど。

「テレビ嫌い」と言うと、世間も他人も嫌っている、反社会的な人間・・・と思われる事があるのだが、

そういうわけではないのだ。だってラジオは好きなんだもの。

はっきり「テレビって嫌いだ」と意識しだしたのは

一時・・・学校で、みんながみんな、テレビ番組のことばっかり、っていうかそれしか話題に乗らない、

って感じたことがあって、うんざりした時からだと思う。

「金八先生」が始まったばかりの頃。下らない、と心底思った。

あと、映像と音楽で、気持ちを操作されてしまうような感覚がある、と気付いたことも大きい。

軽いマインドコントロール、と言ってしまってもいいだろう。ゾッとする。

それに、視覚と聴覚をテレビに奪われてしまうから、見てる間は、他の事が何も出来なくなる。

時間なども振り回されるし・・・「本」なら好きなときに読み始めて、好きなときに読みやめる事ができる。

子供の頃から本好きだったのは、そういう利点もあったから、かもしれない。

「ラジオならいい」仮説は、使うのが聴覚だけだから。

他のことに気が行くと、聴覚って自動的に寸断される。そして、聴覚だけなら、想像力を駆使する必要が多くある。

テレビだとそうはいかない。

一番嫌いなのは「テレビドラマ」で、でもそれって「映画」とどう違うの?と聞かれれば

大して違わない、としか言えない。クオリティの差は圧倒的だろうが、下らない映画も多いから。

何でこんなこと言うか、といえば

ランブルフィッシュの佐治が映画好きで、まだ若かった頃はよく俺も、

彼に連れられて二人で映画を見に行ったからだ。

でも佐治がいなくなってからは、映画も全然、見なくなってしまった。

ビデオで映画、なんてのも全然見ない。

うーん。

精神性の高さがテレビとは比べ物にならないから、「映画」というアート自体は素晴らしいと思うのだが。

見ないのはもう、習慣と好みの問題なので・・・仕様がない、としか言えない。


もちろんこんなの、自慢にも何にもならないし、ちょっと馬鹿みたいですらあるけど相変わらず

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本ばかり読んでいる。

そしてクルマに乗っているときは

ラジオを聴いている。






追伸。


長文になってしまったが、最後にひとつだけ。

先日の、怒髪天の増子兄イが出演してたインターFMの「レディ・ステディ・ジョージ」、

仕事で聴き逃した、と言ったけど、その後、何と聴くことが出来たのだ。

そう、スマホの「ラジコ」の、タイムフリー機能(さかのぼって過去の放送を聴くことが出来る)で。

面白かったよ、馬鹿話。二曲目にかかった新曲は、怒髪天の新境地だね!?

聴けて、心から嬉しかった。

ラジコは、偉い。

このタイミングでスマホにしていた俺も、なかなか偉い(←自画自賛)。




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機嫌良く生きよう。

2017-05-25 22:09:43 | Weblog

つくづく思うのだが・・・

人生に「無駄」は必要である。



誰かに延々と待たされたり

忘れ物を取りに戻ったり

ずっこけて落ち込んだり

長い時間をかけて読んだ本が「はずれ」だったり

ボーッとしたままで過ごしてしまったり

道を間違えてアホほど遠回りをせねばならなかったり

退屈を打破できなかったり

間違った人を信頼してしまったり

つまらない人に捕まってしまったり

よくない考えにはまり込んでしまったり

心を閉じたまま人と会ってしまったり

自分を責め続けてしまったり

うらみごとを聞かされてしまったり

同じ失敗を繰り返してしまったり

ドツボにはまり込んでしまったり

無駄なことに努力してしまったり

ETC ETC・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





タメイキ・・・。


「徒労」って、本当に疲れるのだ。





だがしかし

「無駄の無い人生」など、ありえない。

これは一種、「真実」に近い事柄だ。







だから


これでいいのだ。






この「徒労」の多い世界で俺は せめて、

機嫌良く生きよう。



それが出来れば、


って言うか それさえ出来れば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


すべてオッケーなのだ。







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私信

2017-05-24 21:47:40 | Weblog

おーい、増子兄ィ~!

今日、インターFMの「レディ・ステディ・ジョージ」に出てただろ?

すごいな!

こないだ磔磔で会った時、

インターFMっていいよね・・・っていう話、ちらっとだけど、したばかりだよな。

あの時、出演する、とは言ってなかったけど、すでに決まってたんだね。

俺、今日は3時半くらいまでラジオ聴けてたんだけど、3時半から荷物の積み込みが始まってしまって、

実は君が出てるときは全然聴けなかったんだよ(涙)。

あー!聴きたかったな。

どんな話したんだろう?

曲は、何をかけてもらったのかな。

シャウラは、可愛かった?

ジョージ・ウィリアムズのほうが俺達より年下なんだよな。そうは見えない(笑)。

あの番組、「レディ・ステディ・ジョージ」って本当にいい番組で、

選曲がまず最高。90年代のオルタナって呼ばれた洋楽ロックも、ガンガンかかる。

あそこまで選曲がしっくりくるラジオ番組って、俺としては史上初なんだよ。

感動的ですら、ある。

ジョージとシャウラの馬鹿話も面白いし、

でも馬鹿話だけじゃなくて、トランプに駄目出ししたり、ちゃんとしてるとこはちゃんとしてるし。

日本のロックも時々かかるけど、その中でも「いいもの」がちゃんと、かかるからね。

怒髪天は以前から時々、あの番組で、かかってたんだ。

すごいな。

それにしても・・・・・・・・・・・しょちゅう聴いてる、大好きなラジオ番組に友達がゲスト出演する、なんてね。

すごいことだ。

仕事のタイミングで、聴けなかったのが悔やまれる。

そうそう、

こないだのライヴでやってた新曲、良かったよ。お馴染みの曲も、もちろん良かったし!

いつもライヴに呼んでくれてありがとう。

必ず、また行くよ。

近々また会おうぜ!










付記・・・・・いや、増子兄ィはこのブログ、読んでくれてるからさ、

こちらの方がメール打つより手っ取り早いので、今日はブログを「私信」に使ってみまシタ。

たまには、いいのではなかろうか。

さて、

明日も早いので今日はもう寝るよ~。おやすみ。



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同時進行、そして 読書感想(「騎士団長殺し」、まだ読んでない人は、ネタバレ注意)。

2017-05-23 22:29:50 | Weblog

いろんなことが同時進行する。

大事な事に気付けるように心の触角を鋭敏にして、

今、この瞬間も、何が起こっているのか把握したい。

いつだってそんな風に怒涛のように人生は進んでゆくのだ。

何にも気付けなければ雨水に流されてゆくアリンコのように翻弄されるだけだ。

翻弄され、流されて行くにしても、足掻きながら行くべきだ。

私は、私の命の火が消える瞬間まで諦めずに足掻いてやる。




さて、

先週の土日の休みに俺は「騎士団長殺し」1部、2部、買ってきて、一気読みしたのだ。

「読むまい」とか言ってた?そんなこと言ってたっけ?

「興味ない」って言っただけだよ。

でも読みたくなったから読んだんだ。

やっぱり、良かったな。

期待し過ぎずに読めばいいのだ。

でも今回、「1Q84」とか「カフカ」とかと決定的に違うのは、

主人公がフツーに、オトナの男だから・・・・という部分って大きいのではないか?

等身大な感じするもの。

あと、1部と2部の二冊で、ちゃんと「終わってる」感があるのが、何よりも嬉しい。コンパクトだ。

これなら、「読後カタルシス」みたいなものも、ちゃんとある。

仮に・・・もしも、後日に3部が出版された、としても、それはそれでいい。でも出ない気がする。

「1Q84」のときは、絶対これ、終わってねぇよ・・・・・という確信があった。

「ねじまき鳥」も、ぐずぐずと続いたよね。ああゆうのはちょっと・・・。

でも、この本・・・・夢中になって、喰いつくような感じで読めたので、もうそれだけでいいようなものなのだが

ちょっとだけ不満もあって、

それは結局、最大の山場がまた「壁抜け」だったこと。「井戸」を思わせる場所へ通じる、「壁抜け」。

「ねじまき鳥」の繰り返しだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

地下の狭い通路を殆ど死ぬ思いで潜り抜ける、というのも「ハードボイルドワンダーランド」を思わせて、

それはそれでいいのだけれど、

「ハードボイルドワンダーランド」では、あれは飽くまで「現実」だった。

「壁抜け」となると現実か妄想か夢か・・・わからない。

まあいいか。文句つけるのは止めよう。

そうだ、そういえば今回の「騎士団長殺し」、

全体が、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を思わせる

「男同士の友情譚」になっているところは特筆すべき点だ。もちろん、いい意味で。

初期三部作は実は、そうだったし、

「ダンス、ダンス、ダンス」も、五反田くんの存在は、悪くない。

「世界の終わり」にも、「影」がいたよね。

あと、主人公が「画家」、というのも斬新で良かった。

深層を読み解き、描く「肖像画家」。これってすごく「村上春樹」っぽいのだ。

実際に本人も抽象画を描いていたりする。


この作品ならきっと、後日、何度も読み返すことが出来るだろう。

俺は彼の初期作品はアホほど読み返しているのだが、

「ねじまき鳥」「カフカ」「1Q84」は、読み返す気にならないのだ。


今回のは良かった。

でも、ほかの人はどんな風に思ったのだろう?


でもしかし、「読書」なんて個人的なものだから究極には他人がどう思おうが、

関係ないんだけど。



でもちょっと聞いてみたい気もする。


「読書会」みたいな感じで。




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無力感(に負けてはいけない)。

2017-05-21 07:50:33 | Weblog

共謀罪の法案はやはり、強行採決されてしまった。

流れから見て、こうなる事は十分、予想できた事なのだけれどそれでも、

強い憤りを感じるし、

一人の有権者として、市民として、国民として、名も無き表現者として、深い無力感に襲われてしまう。

・・・でも駄目だ、無力感に負けてはいけない。

我々は、「間違っている」と思う事に関して、声を上げていかなければならない。

意見を表明していかなければならない。

我々のような何の力も無い(・・かのように見えるが、一票というチカラは持っている)、市井の、庶民一人ひとりが

ちゃんと考えて、それぞれの意見をはっきりと表明していくべきなのだ。

それがもっと出来れば、今の誠実さのカケラもない政権を退陣に追い込めるはず。

だから「やる気」を失わず、ちゃんと生きていこうと思う。




しかし、この「無力感」について、思う事があったので、ちょっとだけ聞いて欲しい。




あんな酷いことが起こったのに、「世界」は何事も無かったかのように、

何食わぬ顔をして動いている。

我々の存在って、本当に本当に微々たるもの・・・・・なのね・・・・・・・

という冷たい無機質な、嫌な手触りを、ずっと以前にもずっしりと感じたことがある。


社会的なことではなく、個人的なこと・・・(いや、これだって充分「社会的なこと」だが)。

29年前の6月3日に、

とても近しい友人であった岩佐が、不慮の事故・・・・交通事故で

突然この世からいなくなってしまった時のことだ。


ああ、またその話か・・・なんて言わないでいてくれたら嬉しい。

思った人は、以下は飛ばしておくれ。




その時、


本当に、色々な事が信じられなかった。

普通に朝が来る事も、電車が走り出す事も、人々が談笑しながら歩いてる事も、

お店が開くことも。

自分だって普通に腹が減る。

そのとき俺は、アメ村の古着屋に勤務していたのだけど、お通夜、お葬式が終われば

仕事に出掛けなければならない。

古着屋の仕事は嫌いではなかった。どちらかと言うと、楽しかった。

でもそのときは、行くのは嫌だった。何喰わぬ顔をして普通の生活に戻る事が、凄く不自然に思えた。

でももちろん、戻らざるを得ない。

無力なんだ・・・・・・・と心の底から実感した。

それからの私は、その時抱いた無力感、厭世観にどっぷりと浸かって生きたのだと思う。

そこから抜け出すのに何年もかかった。・・今思えば、だが。


この時期・・・・5月後半にはどうしても、「あの頃」のことが甦ってしまう。

この「無力感」。


佐治もきっと、同じような思いを抱いていたと思う。

そのことについて、いっぱいいっっぱい、話もした。

我々の心情は、とても近かったはずだ。


だからこそ、と言うか何というか・・・・・・・・・・・・・


佐治は2007年に逝ってしまったが、

我々はゆっくりゆっくりとお別れが出来た。5年ほどかけて、お別れしたように思う。

だから、佐治が・・・・逝ってしまった時、直後に伝えてもらった時、「ショク」は、なかった。

「無力感」も、感じずにすんだ。

有難い事だ、と思う。


岩佐も本当に優しい人だったんだけど

佐治もすごーく、優しかったな、と思う。






ああ、長々と語ってしまった。

この季節だから、どうしてもこのことが心に溜まってしまってたんだよ。

・・・・・・・・・聞いてくれてありがとう。



しかし、

亡き友人の思い出と

政治の世界で進行している横暴さと、一緒くたにしてはいけない。


我々は、亡き友人のためにも、

我々が正しいと思う事を大声で主張していかなければならない、と強く思う。



無力感を抱いている場合ではない。



「未来」は、変えられるのだと信じて行く。



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本質。

2017-05-20 00:08:50 | Weblog





「暴力」で







「間違った奴等の間違った考え方」を矯正してやる、こちらが「少数意見」だろうが、そんなの関係ない・・・・・・・・・・・


というのが「テロリズム」の本質なんだろう、と思う。




もちろん、「テロリズム」は、正しくない。


それは、公正でない、卑怯で自己中心的な考え方(やり方)だ、と思う。



しかしなあ。


こう何でもかんでも


強行採決で決められちまうなら、


それだって


「合法の皮をかぶったテロリズム」なんじゃないの?


って言いたくなる。





これは正常に機能してる民主主義なのか?




ここのところ、「権力側」に都合のいい法律ばかりが成立していってるのではないのか?



どうして国会の場でちゃんと「議論」しないの?


どうして反対意見を・・・参考に、すら しないの?


どうして政治家の奴等って(学校の)お勉強と、金儲けと、自己弁護と自己防御だけはそんなに上手いの?


そうやって偉くなったヒトって、本当に「偉い」の?尊敬できるの?



そして


「皇族」の結婚話なんかに、世間の人は本当に興味あるの?何が面白いの?俺には、つまらない、としか思えない。


気になるのは、あれって本当に、「隠れ蓑」的に利用されたのか?ってことだ。


本当にそんな、胸糞悪くなるようなことするの?政府って。





それにしても・・・・・・・・・


「共謀罪」の成立を、本気で潰したければ我々は、どんな風に行動すればいいのだろう?



デモ?



デモなんか「奴等」は、気にもしてないじゃないか。腹立つことに。






・・・・・・・・・・・こんなこと、言うのも口惜しいが





今日、「共謀罪」は強行採決されて、その先には「成立」するだろう。





そして我々はどんどん追い詰められてゆく。





この国はどんどん、住みにくくなってゆく。














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確率の問題

2017-05-18 21:47:24 | Weblog


今朝、「50ccスクーターで道路を走りながら片手でスマホを操作してるヤツ」を見た。

ど田舎の農道、とかではない。京都市内の、クルマも自転車も走る街路で。

ゾッとした。

時速30キロくらいは出ていたのに、前を見ていない。

あのな・・・・・・・・・・・・・・事故するぞ。

事故して自分が怪我したり、命を失うような羽目になるのは勝手だが、

そういうのって、他人を巻き込む可能性がとても高いのだ。だからやめて欲しい。


最近・・・って以前からだが、

特に、スクーターの乗り手が道路を、いや、人生をナメている。危機意識が低すぎる。アタマ悪すぎる。


冬によく見かけたのが、「ポケットに片手を入れたままスクーターを運転してるヤツ」。

スクーターは、右手がアクセルと前輪ブレーキで、左手が後輪ブレーキを操作する構造になっている。

だから「ポッケ手」は必然的に左手になるのだが、なにかアクシデントがあって、

急に停車する、となったら前輪ブレーキしか掛けられないので乗り手は必然的に、吹っ飛ぶことになる。

さっきの「スマホ運転」のヤツも片手だから、状況はこれと同じだ。

前を見てない分、スマホ運転のほうが悪質だが。

どちらも、危険な事この上ない。事故して死ぬのは勝手だが(以下、さっきと同文)。


あと、最近時々見かけるのが「足を組んでスクーターに乗ってるヤツ」。

椅子に座ってるときみたいに、片足をもう片足の上に乗せて、「足を組む」という座り方。

お相撲さんには不可能な座り方。あんな格好で、スクーターに乗ってる。

カッコつけてるのだろうか?粋がってるのだろうか?

あれも、コケるよ。高確率で、コケる。

コケて死ぬのは勝手だが(以下、さっきと同文)。


スマホの件に戻るが、

以前、ダンプ運転手時代に、知り合いの大型トレーラー運転手が、

「高速で長距離なんてヒマやからずーっとスマホ見ながら運転してるで」と言っていた。

あっけらかんと言い放っていたのだが・・・・・・・・・・・・・やめて欲しい。

本人にも もちろん、そう言ったけど、聞く耳持ってないようだった。


そういうのって、確率の問題なのだ。


何もないときは、そりゃあ、いい。

この先、永遠に「何もない」なら、それでいい。

でも、急ブレーキ踏まなければならないような事って、あるのだ。

人生には、そーゆー時もある。

・・・・・あるだろ?

いままで、一度もそういうこと、無かった?・・・・・・・・・・・・無かった筈ないだろ。


大型トレーラーでなくても、小さな軽自動車でも、

バイクも、スクーターも勿論、

自転車でも、三輪車でも、一輪車でも。

スマホ見ながら運転してはいけない。


それどころか、歩きながらスマホ見るのも、やめようではないか。



俺は・・・・・・・・・そのことで、死んでしまった人を知っているのだ。詳しくは言いたくないけど。




シャレにならない。







何度も言うが、



確率の問題なのだ。



そして、「確率の問題」は、


「時間の問題」(←すぐに「その時」はやって来る、という意味)







なのだ。




















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久し振りに怒髪天に会う。それとは別に、スマホを手にした俺の災難話。

2017-05-16 21:14:19 | Weblog

一昨日の日曜日は久し振りに「怒髪天」に会いに磔磔に行ってきた。

ライヴもちゃんと見れて、きっちり良い歌、良い演奏だったし

終演後、バックステージで彼らに、短い時間だったけど会えて、心が和んだ。

彼らは本当に変わらない。

いいことだ。そして、いいバンドだ。

そのうち、またいつかみたいにライヴ後、打ち上げに潜り込ませてもらうから、

そのときにゆっくり飲もうね(←あつかましいこと言ってる)。








さて

俺は黄金週間に、実はついに「スマホ」というものを持つハメになった。災難だ。

ガラケーを愛してたのに。

しかしガラケーでは「渋滞情報」が出ないのだ。「ナビ」も、ガラケーでは無理なのだ。

俺の本業は音楽なのであるが、「世を忍ぶ仮の姿」として、運送屋の社員でもある。

運送屋の同僚連中はみなスマホで道路情報を得ている。

ガラケーを持つ俺は、鼻で笑われてしまうのだ。


そして手にしたスマホ。

薄々恐れていた(←変な日本語)のだが・・・・・・・・・・・・タッチパネルが俺の指ではなかなか反応しない。

そうなのではないか、と思ってはいたのだ。

10回のうち9回は反応なしである。


大体俺は昔から・・・・・・・・

まず、あの自動ドアというヤツの反応の無さ、に困らされて生きてきた。

昔は、昆虫ほどの体重しかなかったので、そのせいか?と思っていたのだが、

自動ドア業界が進化して、重さで反応、という方式から変わって、

センサーでヒトを知覚して開く、というシステムになったのに

・・・・・・・・・・・・俺がドアの前に立っても開かない。

しばらくドアの前でジタバタしてやっと開く始末。

毎回俺は、馬鹿みたいである。


お店などでも、俺が店員を呼んでも、来たためしがない。


「すいませーん」「すいませーん」「すいませーん」「すいませーん」「ごめんなさーい」

「申し訳なーい」「エクスキューズミー」「すいませーん」「おーい」


俺は声はデカイのだ。でも誰も気付かない。

それにしても何で俺は大声でこんなに何度も謝ってるんだ。

しかし、いつも・・同行の誰か(誰でもいい)が「あのー」とちょっと言っただけで

「は~い!」とすぐ来る。


俺は「いない」のか?もしかして。


存在が「耐えられないほど希薄」なのか?

「オーラ」がない?、いや、そんなもの、何の役にも立ちやしねえんだからいらないよ。


しかし、

タッチパネルが反応しないほど希薄なのだろうか?俺って。


そういえば最近はついに、

鏡を見ても俺は映らない。そこには誰もいない。

ヒゲを剃りにくくて難儀している。


写真を撮っても俺は写らないであろう、という自信がある。

街にたくさんある、あの「防犯カメラ」にも俺は写っていないだろう、たぶん。


はたして・・・市役所に行ったら、「戸籍」は、あるだろうか?


誰か、俺の事を覚えている人が、この世に存在するだろうか?



その前に、俺は存在したのだろうか?




錯覚?







・・・・・・・・・・・スマホなんか手にしたおかげで、


「自己の存在」を疑うハメになってしまった。






とほほ。


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