何がダサくて、何がダサくない(かっこいい)のか?
これは深遠な問題で、言ってみれば究極・・・でもある。
これは最後には(お馴染みの)「価値観の違い」というところに帰結するのだ、結局のところ。
世界中にひとりひとり、60億人分のそれぞれの価値観があるので、
みんな違った感じ方をして当たり前だし、それに関して他人を気にすることはない。
つまり
俺がダサい、と思うものは誰が何と言ってもダサいのだ。
ただ、他人をダサいと言って非難したり攻撃したりすることには何の意味もないし、
それは特定の価値観の押し付けだし、
そういうのは消耗にすぎないからお互い、
攻撃しあうのはぜひ、止めたい。
そちらの方を見なければいいのだ。
「ダサい他人」を気にするよりも、
「かっこいいあの人」を気にしようと思ふ。
気にして、気にして、あわよくば近付いて、自分もかっこよくなるのだ。
なれない、とは限らない。
ダサい他人や、攻撃的な他人は、反面教師にしようではないか。
それはつまり、「ああはなりたくない」というものの見本だ。
僕は僕として、僕の信ずるもののために生きるのだ。
それでいいのだ。
思うのだが、
飽くまで僕の価値観を基にして言うのだが、
ダサいものには、ダサいなりの、理由がある。
それは例えば、
何かの真似だったり、
気合が全然入っていなかったり、
やる気がなかったり、
姑息だったり、
卑怯だったり、
下品だったり、
デリカシーがなかったり、
傲慢だったり、
他人の痛みや弱さや立場について無頓着だったり。
ダサくならないためには常にそのへんを気にして、向上させていかなければならない。
むむ、
「ダサくない」のを目指すってなかなか、大変・・・と言えなくもない。
でも諦めたら終わりだ。
僕の愛する皆さんよ、共に・・・・・・・ガンバローではないか。
写真は、
「ダサくないもの」の一つの代表例。
ジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョン。
この写真ではワケあって、歌っているのがウィノナ・ライダーだったりする。
ああ、そして
僕の目指す「ダサくないもの」の究極の理想形が「ROCA'66」である。
ダサくないメンバー達と共に、洗練の極致を目指す。
次のライヴは2018年10月7日、
大阪・梅田のライヴハウス「ハードレイン」。
このハコもちゃんと、音がいい。
音がいいハコは当然だが、ダサくない。