八月の終わり。

2022-08-31 21:08:16 | Weblog

八月が終わるからといって、夏が終わるわけではない。

そんなことは百も承知なのだが

写真でご覧のように、今年の向日葵はそろそろ終わり近くである。

でも実は、枯れ行く中にまだ五つも、小さな花ではあるのだけれど、

咲いてない蕾があるのだ。

だから我が花壇はまだまだ継続中。

とは言え朝夕はめっきり涼しい今日この頃。

今週、台風なんて奴が本当に来やがったら花壇もどうなるか、わかりはしない。

ああでも、夏が終わったら嬉しいだろうな。

全ての蝉は死に絶え、太陽さえもベテルギウスのように燃え尽きて、

夏なんて永遠に終息してしまえばいいのだ。

僕は冬眠を夢見る。

もしも目覚めなくてもいいなら最高なのだけれどそうもいかない。

アタシにはまだ、やることがあるのだ。

来年のための種を、

向日葵の種を採取せねば死んでも死に切れん。

そうだ、まだ咲いてない蕾があるんだった。

そんなこと言ってるうちに、明日から九月。

多くの誕生日とひとつの命日の九月。

「すみれセプテンバーラヴ」の九月。

フォーク時代RC「九月になったのに」の九月。

9・11の九月。

夏が終わる九月。

秋の気配が訪れる(はず)の九月。

迷宮に紛れ込む九月。

致命的な九月。

僕はどんな風に2022年の初秋を迎えればいいのか?

一体、どこまで行けば「大団円」が訪れるのか?

 

 

 

僕にはわからない。

控えめに言って「世の中」って、

わからないことばかりだ冗談抜きで。

 

 

とりあえずさよなら、今年の八月よ。

 

 

君はまあまあ、よくやったと思うよ。

 

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VOX   APACHE 

2022-08-30 20:47:02 | Weblog

先日、私が眠れなかったそのワケがこれである。

あの夜、ヤフオクでこのギターを競り落とすために、

見知らぬ誰かと白熱の入札合戦を繰り広げたのだ。

こんな物静かで控えめな私の中にも闘争本能というものはあったようで、

競りに勝ったのだが脳内がドーパミン的に興奮してしまい、結局眠れなかった。

でも勝てたのは嬉しい。このギター、以前から狙っていたのだアタシは。

 

こんな奇抜な形で、しかもアンプとスピーカー内蔵である。

しかもしかも、リズムボックスまで内蔵されている、という

前代未聞、驚天動地のギターなのだ、安価だけどさ。

VOXと言うメーカーのギターは、あのブライアンジョーンズが使っていた、

というロック的な憧れもある。

ブライアンになどなれはしない。でもVOXのギター買ったっていいじゃないか安価だし。

 

あ、一般的にVOXのギターが全部安価なわけではない。

ヴィンテージの物はすごく高価だ。でも何か知らんけど、

この復刻の物は安価に設定されている。そういう製作側の姿勢って、

すごくいいと思う。安価でいいのだ楽器なんて。

 

ということで数日後、ちゃんと届いたのだが驚いたことに、

造りがすごくしっかりしている。

ビザールギターあるあるだと、弦高があまり下げられなくて弾きづらいのだが

これはあらかじめ、低い弦高にセットしてある。

そしてチューニングも安定している。

ちゃんと確認してないがオクターヴチューニングも合ってるっぽい。

ネックは真っすぐで、フレットも摩耗していない。

もしかして・・・ライヴで使えるくらいのクゥオリティなのだった。

 

ああしかし今の私には「トレモロアーム」というものが欠かせないのだ。

いちばんいいのはストラトキャスターに付いている

「シンクロナイズド・トレモロ・ユニット」なのだが

これは今私がメインで使っている「サイクロン」には組み込まれているのだ。

キャンディ・アップル・レッドの、ぱっと見はムスタングにしか見えない

フェンダー・サイクロン。

だから私のメインギターは変わらない。

私が死んだらサイクロンと一緒に埋めてもらう(無理かも)のだ。

 

 

 

 

話は戻って、

このVOXのギターは「アパッチ」という名前なのだが、

いつか使える時がくるであろう、どんな形であれ。

 

もう二度と、ギターなど買うまい・・・・と本気で思っていた。

ギターの、本数ばかり増えてもしょうがないからだ。

全員を、均等に、演奏で「歌わせる」ことなど出来はしないからだ。

 

でもスピーカー付きのギターなんて、これが初めてなのだ私にとっては。

どこに意味がある?と考える。

・・・・・意味はある。

 

何かを、これで、この「アパッチ」で、打破できるかもしれない。

 

安価ではあるが、値段など関係ないのだ。

ギターというのは私にとって

明日を切り開いていくオノであり、

 

運命を捻じ曲げる魔法の鍵であるのだから。

 

 

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果たして私は昨夜、眠ったのか?そうでないのか?

2022-08-22 21:08:25 | Weblog

ストーンズの初期の大ヒット曲、

かの有名な「サティスファクション」のなかに「ユーズレスインフォメーション」

という言葉が出てくる。

読んで字のごとく無駄な情報、ということなのだが確かこれは

テレビの中の男が「テルミーモアアンドモア」という感じで、

主人公に向かってまくしたてるのだ、無駄なことばかり。

今、手元に原詞も訳詞も、資料も何もないのだが

これは1964年くらいの大ヒット曲だったかな。

そんな時代に、こういうことを言っているミックジャガーはやはり、スゴイ。

先見の明がある。

そして21世紀の今、我々の周りは隙間なく「ユーズレスインフォメーション」だらけである。

でもそんなジャンクの中にもたまには、有益なものもある。

僕がそんなジャンクの川の中から拾い上げた有益な情報は、

「夜、眠れない時にどうするか?」みたいなもので、

それによると、

夜、もしも眠れなくても・・・つまり「睡眠」という状態が訪れなくても、

人間って、楽な姿勢でじっとしていればけっこう「疲れ」って

取れるものなのですよ・・・というものだった。

だから眠れないからと言って焦ることはなくて、

チカラを抜いて、出来れば目を閉じて、そのまま過ごせば

実は「睡眠」状態に入ったのと、同じではないけど、それに近い「休養」になるのですよ、

とその記事の人は言うのだ。

それに、そういう風にしていたら「眠ってしまう」確率も高い。

寝なくちゃ・・・と焦るのも良くないのだ。

寝れないのなら、眠らなくてもよろしい。

休めればそれでいいのだ。

 

僕はそれを読んで、目が覚めたような気分になった。

・・・・いや、眠りたいのに目が覚めたらだめじゃん。

つまり・・・目からウロコとでも言うか

(目からウロコの出典はなんと、旧約聖書であるのだ由緒正しい)。

 

 

実は昨夜、全然眠れなくてさ俺。

だから、その記事を思い出してひたすらじっとしていた、一晩中。

まるで冬眠中の昆虫のように。

おかげで今朝は元気だった。一睡もしてないのに。

でもそういえば夢は見た気がする。

気付かないうちに眠っていたのかもしれない。

でも、眠った覚えはない。

むむむ、まあいいや、眠ってようが眠ってなかろうが、どっちでもいい。

朝に、回復出来てれば、それでいいのだ。

 

 

そうそう、昨夜俺が眠れなかったのには実は理由があったのだが、

そのことは近日中に書くことになると思う。

 

 

 

じゃあね。オヤスミ。今日はちゃんと寝なきゃだわよアタシャ。

 

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向日葵と蟷螂、2022年盛夏。

2022-08-20 12:12:46 | Weblog

昨日は大雨と すわ、台風到来か?と思わせるような強風が吹き、

そのせいで向日葵たちが多少へこたれてたので本日は救済作業の私でした。

添え棒立ててさ、紐で結んでさ。

これをやってるときが最近いちばん「生きてる」って感じするんだけど

おかしいかしらね私?

あ、ライヴやれればライヴがいちばんデスマスもろちん。

そして本日は盛夏ながら比較的過ごしやすい曇天模様。

救済作業終了直後に、

いちばん背の高い花をふと見上げると、なんと葉っぱの上にカマキリが!!!!!!!

道子 感動。

私は昔から、書物が好きで、古着好きで、絵が好きで、ロック好きで、ギター好きで、

バイクが好きで、革ジャンが好きで。

でもそう、昆虫も大好きなのです。

特にそのフォルムにおいてはカマキリが

シュッとして(←これは関西弁か?)最高の部類だな、

と前々から憧れておりました、お慕いしておりました。

そういえば

幼児の頃、戸山ハイツ内の居間で、それと知らずカマキリの卵を孵化させてしまったことがあって、

あのときの母親のパニックを今でも覚えている。お母さんスミマセン。

でもここ数年、出会えてなかったのよねカマキリ・・・・いやさ古風に

蟷螂と呼ぼうではないかブンガク的に。

しかしなんと我が花壇をあちらさまから訪れてもらえるなどと、

夢にも思わなかった。

今日のこの子は、まだ成長しきってない薄茶の個体。

保護色?はぁ?何それ?といった体で静かに、

葉っぱの上でじっとしてらっしゃる。

ウスチャとでも名付けようかウクライナ風に。

この子は・・・・花を訪れる蜂とか、そういうのを待ってるのか知らん。

じーっと数十分みていたのだが(暇か?私は)、彼(もしくは彼女)は

その葉っぱの上から動かず。根負けして移動して、

お昼を喰って、私が戻ってきたのが一時間後。

同じ葉っぱに蟷螂は同じポーズでまだ、いた。

あの・・・・・・蟷螂の時間感覚って一体、どんな感じなんだろうね?

「ああ、もうすぐ正午だな、もうちょっとこの場所で粘るか・・・・」

みたいなことは多分、考えておらないであろう。

「正午」というのを知らない(はずだ)から。時計もないし。

太陽がちょうど中空にあって、今は八月半ばで、

「夏至」からまだ二か月しか経ってないから大体今が正午で・・・・

みたいなことを考えてるのってすべての生き物の中で人間だけなのよね自慢じゃないけど。

時間も、正午もなく、出勤日も休日もなく、

健康保険も社会保険も介護保険もなく、免許更新もなく、賞味期限も消費期限もなく、

ただ自由に生きておられるのである、人間以外は。

羨ましい気もするし、そうでない気もする。

 

しかし蟷螂は、自分がこんなにもスリムで素敵な形をしているとは多分、

夢にも思わないであろう。

兎に角、

この花壇で蟷螂を見たのなんか苦節ウン年、初めての出来事である。

天から祝福のシャワーが降って来たみたいに嬉しい。

何か「報われた」ような気がする。

 

ただの勘違いかもしれないけど。

 

 

この後も 何者にも捕まらず、「生」をまっとうしてくれ蟷螂よ。

 

 

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満開期、そしてお盆休みは終わり行く。

2022-08-16 15:04:28 | Weblog

終戦記念日も過ぎ、わが花壇の向日葵は

お待たせの満開期到来です。

今年は実は(言ったっけ?)三種類の種を蒔いたのです僕は。

去年の花から取った種子が、ちょっと・・・って言うかだいぶ少なかったので、

あと二種のものを園芸店で買った。巨大種と、中くらいの種。

それらをあまり整理せずに、混ぜて蒔いたのだった。

だからなのか、今年の向日葵の皆さんは開花時期がてんでばらばらで、

今時点で既に咲き切って枯れて行っているヒトもいます。

そしてまだ咲いていない蕾が、少なくとも四つ。

でも相対的に見たら、今くらいが満開期と言っても過言ではなかろう。

ということで写真を撮ってみた。

そしてお盆休みも、今日で終わり。

何もせずに時々眠りながら本ばかり読んで過ごした。

傍目からはさぞかし怠惰に見えるだろうが、

本人としては充実していた。

意味深いような、そうでもないような・・・というような「夢」も、

いくつもいくつも見た。

もうお腹いっぱいデス。これ以上食べれないし、これ以上眠れませぬ。

ということで明日からまた日常の始まり。

時間とか予定とかスケジュールとか賞味期限wとか決定事項とか、

秒刻みにそういうものに追われる毎日が

また始まります。でも最近はそんなにひどい気分でもないので、

何とかやり過ごせるでしょう、人生を。

とか言いながら俺なんか果たしてあと何年生きるのでしょう。

やりたいことはまだやりつくせていないので、

来年死ぬ、とかっだったら困るかな。

いや、それでもいいかな。

やりたいこと というのは性懲りもなく音楽デス。

まだまだ「高み」を目指せると思うのだ今のメンバーで、今の楽曲で。

今のスタイルで、気概で。

もっと多くの人に聴いて欲しいし・・・・・・・・・・・・

欲を言いだせばきりがありません。

でもそうだ、「これだ!」っていう決定的音源を

録りたいなぁ。

いい音で、いい環境で、あせらされず、あせらず、ほろ酔いで、余裕で。

そしてもっと多くの人の前でライヴやれるようにならなくちゃ。

こんな年齢で何言ってるんだか、と自分で思わなくもないが、

まあいいだろう。

他人と自分を比較することに意味はない。

偏差値とかって、本当に本当に意味ないよね。

だから、50歳になったらこうでなきゃ、とか

そんな歳でそんなことしてるのか?とか、

60歳になったらどう・・・とかは一切無視すればいいのだ。

引退したい人はすればいいし、楽隠居ってのも悪くはないだろう。

僕だって、やりたいことがなくなったら引退する。隠居する。

でもまだあともう少し、やりたい。

ああしかし今のこの世情での私の在り方はほとんど、

引退とか隠居とかしてるのとあんまり変わらないかもだな、

悔しいが。

来年はどうなるだろう??

そして「世界」は、どんな風に動いてゆくのだろう??????

 

 

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夏はまだ続く。

2022-08-11 19:25:44 | Weblog

新潟は、何てことはないが素敵だった。延々と続く田んぼの光景。

川の水がカフェオレ色だったのが、豪雨の爪痕だったのかな。

訪れた某運送会社がまた素敵で、

やたら陽気で喋りまくりながら楽しそうにフォークリフトを運転する

オニギリ頭のおっちゃん(関西のリフトマンは偏屈者ばかり)、

事務所の女はアンニュイで気怠げで、三流シネマの女優のようだったが、

トラックで混雑する構内で、彼女の指示は的確だった。

「突き当りに大型二台停まってるからバックでその後ろにつけて横空けて待っててください」と、

句読点なしの一息で必要事項すべてを言いつくした。感嘆。

そして

帰宅したらやはり我が向日葵の花壇は華やかで、

でもまだ咲いてないヤツがいくつも虎視眈々と開花時期を待っている。

夏はまだまだ、日の陰る兆候すら見せない。

灼熱の陽光は世界に存在するあらゆるものを焼く尽くそうと躍起だ。

向日葵の花はまるで太陽のようだ。

明日は明日で、免許の更新に行く。

信じられないかもしれないけど俺、ゴールド免許なんだぜベイビーブルー。

若かりし頃に60日免停まで行ったのが嘘のようだ。

でも世間はまたコロナ最多とか言ってる。

「かかった」「陽性だった」「熱出た」「喉痛い」の声が

阿鼻叫喚のようにあちこちから聞こえる。

こんな状態では今年はもうライヴ組むことは出来ないかも。。

あ、でもね

こないだの7月17日のハードレインでのROCA’66ワンマンライヴの

動画、

消さずに残しておくことにしたんだぜ永遠に。

・・・・・・・・いや、永遠ってのは大げさで、

いつか地球がなくなったら動画も消えるけど

とりあえずは長期間、残しておく気になった。

だから好きな時に何回でも見てください。

もちろん、完璧ではないし、老けてるし、MCもちゃんと言えてないし、

最高の出来、とはいいがたい。

でももしかしたら「次」のライヴは最高かもしれない。

生きてる限りいつでも途中経過なのです我々は。

そういう意味で残します動画を。

 

動画見てくれた人ありがとう。

「投げ銭」してくれた人、ありがとう。

そして当日来てくれた人、ありがとう。

ブログ読んでくれてる人ありがとう。

アナタたちのおかげで、我々はまだ演れます。予定は決まってないけどさ。

「次」のライヴの時は、ぜひ、

ライヴハウスを訪れてください。

ライヴハウスに来たことない人もいるよね????

昔みたいに怖いとこじゃないから大丈夫。

変な売人wもいないし、喧嘩とかも(滅多に)ないし、

魑魅魍魎もいません。

いや・・・・・我々が魑魅魍魎かもしれないけどさ。

はははのは。

 

さて

写真は夜の花壇。

これはこれで、やさぐれてて、いい感じ。

 

 

 

 

そして

夏はまだ続く。

 

 

 

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巨大な手巻きの振り子時計のこと。

2022-08-07 11:04:23 | Weblog

腕時計に関わる仕事をしていたことがあるので

けっこう時計好き・・・というようなことを

前々回の日記で書いた。

でも、腕時計(ウォッチ)ではない、置時計や掛け時計(クロック)のことも

けっこう好きなのです。

時計なら何でもいいのかもしれない。

掛け時計といえば、すごいのがあったな記憶の中に。

と思い出したので、そのことを書くことにした。

 

子供の頃、新宿から移り住んだ福山の家に、大きな大きな

機械式の、振り子時計があったのだった。

手巻きのもので、人の身長くらいの大きさだった。

夜中でも廊下に出ればその時計の音が聞こえていた。

祖母が時々、ギリッギリッとねじを巻いていた。

ボーンボーンと、鐘が鳴る事もあった。

ちょっと怖かった。

で、あれは今どこにあるのか?

 

実は

僕の実家は、僕の知らないうちに引っ越していたのだ。

確かに僕は、15の歳に家を出た。

奈良の高校へ行くために。そして高校を出てから

大阪に,一人で住むようになった。

それでも盆暮れにはだいたい、福山の実家に帰省していた。

あれはランブルフィッシュをやっていた後期の頃だから、

僕は22歳か23歳のころ、

実家に帰省したら、既に家が引っ越しした後だった。

僕には何の相談も事後報告もなかった。まあいいんだけど。

でも後で気付いた、

僕が子供だった頃の玩具とか、家に残しておいた本とか、

そういうものが一切合切、処分されていたのだ。

あの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

まあ、ほとんどどうでもいいのだけれど二つだけ、

今になっても惜しい・・・・と思うものがある。。

ナショナルの「クーガー」というブランドの豪華7バンド短波ラジオと、

もう一つがその、巨大な振り子時計だ。

振り子時計はどこかに寄付したそうだ。

短波ラジオは誰かにあげてしまったらしい。

短波ラジオは、今でも当時の物がヤフオクとかで買えるから、

いつかそのうち、買おうと思いながら結局まだ買ってない(意外と高価なのだ)。

 

無念なのはあの振り子時計。今思えば立派なアンティークの完動品なのだ。

しかしあんな場所を取るもの、

僕が欲しがったって当時住んでいたワンルームマンションなんかに

置けやしなかったし、どっちにしたって無理だったのだ。

 

 

 

 

写真は最近手に入れた「王将」のノベルティの目覚まし時計。

数字の代わりに料理が、そして中央には堂々と餃子が。

赤とゴールドの配色もチープで最高。

しかし20代の頃なら中華料理自体「ロックじゃねえ」と

敬遠していたのだが。

人は変われば変わるものである。

 

 

 

さて、それでは今から俺は、新潟市へ行きます。

帰ってきたらきっと向日葵が満開であろう。

 

 

 

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8月6日を前に

2022-08-05 21:36:37 | Weblog

明日は、広島に原爆が投下された日だ、8月6日。

今は亡き、僕の祖母は1945年のその日、広島県福山市に住んでいた。

彼女には

人類史上初めて、何の罪もない、非武装の市民に向けて使われた

大量殺戮兵器「原子爆弾」の

破裂音までは聞こえなかったみたいだけど、

その何日か後、広島の方向から歩いて避難してくる

多くの人々を目撃したらしい。

皮膚がずる剥けで、すごく痛そうだった、と言っていた。

広島市から福山市までは100キロくらい離れているのだ。

しかし考えようによっては、

爆心地からたった100キロメートルのところに 僕の祖母が、いたのだ。

飛行機から見たら100キロくらい、すぐそこである。

虫けらのように無慈悲に殺された人々の中に祖母がいた、としても

全然おかしくなかった。

もしそうであったら

母も、僕も、今頃この世にいない。

「もしも」というのはこのように、歴史上の悲惨な出来事を、

我が事のように身近に感じられるようにする、そのためにあるのかもしれない。

 

岸田首相は何か、NPTでの演説でマヌケで空虚なことを言ったらしいけど、

いいかげん、中身のない虚しい言葉を発するのは止めて欲しい。

アンタ確か広島から出て来たんじゃなかったっけか?

・・・いきなり急に核廃絶なんか出来はしない。それはわかる。

我々は「核の傘」の中にいる・・・・ってことになっているのだ。

でもほんの少しでも、そっち方向に前進しようとする意志の片鱗も感じられない。

我が国の政治家たちは情けない。無思考なエリートのなれの果てでしかない。

まず、「アメリカの属国」でしかない現状を何とかしなければ。

そのための我々の最大の「武器」は、平和憲法である、と僕は思う。

核シェアリングとなどではなく。

ジェット戦闘機でもなく。

無人攻撃ドローンとかでもなく。

もちろん・・・・自作の、手製の、散弾銃でもなく。

 

 

 

 

平和憲法は連合国に「押し付けられたもの」ではない。

我々の先祖たちが「つかみ取ったもの」であるのだ。

 

 

 

77年前の今夜は、

翌日の原爆で犠牲になった多くの人々もちゃんと生きていて、

戦時下ではあるがなんて事のない日常を送っていた。

そう考えると、

多くの、亡くなってしまった人々の存在がリアルなものとして

感じられる気がする。

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機能優先的な存在、もしくは 趣味的な存在。

2022-08-04 21:01:39 | Weblog

僕は、時計に関わる仕事をしていた時期もあったので、

わりに好きなほうである。・・・・腕時計。

頑張って、身に余るような高価なものを買ったこともある。

でも今、運送仕事で毎日使ってる腕時計は、100円ショップで買った、

300円の物なのだ。

仕事が結構激しいので、壊れるのですよ、時計が。

機械時計(ゼンマイ動力の物)はもちろん、

クオーツ時計(電池駆動で水晶発振のもの)

でも壊れる。この仕事始めてすぐの頃に何個か壊して、懲りた。

今使ってる300円の物はクオーツで正確で、何故か壊れにくいし、

壊れてもあまり悲しまなくて済む。

壊れたら即座に、まったく同じものを300円で買えばいいのだ。

今ので三代目。

見た目もなかなかシンプルで良い。ハミルトンの「カーキ」によく似た

デザイン。三針の、アナログ時計だ。

でも、はっきり言って見た目はこの際 ほとんど、どーでもいいのだ。

機能さえちゃんとしてれば、それで良い。

 

これと同じように、大事なのは機能で、見た目は どーでもいい・・・・

という風な使い方をしているものは、仕事用腕時計のほかには、スマホがある。

ガラケーだった時代から、携帯電話のデザインってほとんど画一的で、

個性的なものなどないも同然。

そして、クルマもそうである。ほとんどの物が無個性で、完全に機能優先。

仕事で使うトラックもそうだ。個性など必要ない。

 

昔・・・・まだ十代だった頃は、バイクもそうだった。

原付免許しかなくて、50CCスクーターしか選択肢がなかったから、

見た目など、選ぶことが不可能だった。

僕はわりに、スクーター全般のデザインセンスが嫌いなのだが

(ヴェスパは別)、

でも便利さは他に代え難く、

だから、「こんなの格好悪いな・・・」と思いながらJOGとかに乗っていた。

(50CCのスーパーカブ、というような選択肢は頭に浮かばなかったのだ。)

 

でも二十代半ばでバイクの中型免許をとって、

少しだけ大きなバイクに乗れるようになってからは、

バイクは、ギターと同じような存在になった。

言うなれば「趣味的な存在」である。

もちろん、ギターで一番大事なのは「音色」だが、

それだけではない。機能最優先ではないのだ。

 

昔ながらの、”いかにも”な「バイク」は最高である。

でも、その「機能」においては、現代のビッグスクーターのほうが

上かもしれない。・・いや、きっと上だろう。

ギヤチェンジがいらないぶん手軽だし、加速もいいし、ブレーキもよく効く。

一度、友達が所有するビッグスクーターを試乗させてもらったのだが、

まるで孫悟空の乗る「筋斗雲」みたいだった。

それくらいスムーズに急加速して急停止できるのだ。

 

でも、機能最優先とか、

経済効率第一主義とか、

能力主義とか・・・・・・・・・・・・・・。

そーゆーのって味気ないぜ、と 声を大にして主張したい。

 

僕は好きで乗っているのだ、旧式の、オンボロの、

チューブレスじゃないから時々パンクするタイヤを履いた、

加速も悪い、重い重いバイクに。

 

・・・・あ、燃費は異常にいいぞ。

故障も滅多にしないしな。

 

 

 

とか言いながら、

300円の、チープで丈夫な腕時計も、

無個性なスマホも、無骨な4tトラックも、

それはそれでなかなか、素敵なのだけれど。

 

 

(結論はどっちやねん)

 

 

 

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地図に無いような道を行くしかない・・・としても。

2022-08-02 20:54:01 | Weblog

20歳の男の子と一緒に、一日中トラックに乗っていた。

何でか?と言うと、新人の運転手に道を教えたりしていたのだ。

20歳の男というのはしかし、驚くほど何も知らないのだな、と感慨深い。

あれもこれも知らない。

いや、決して馬鹿にしてるわけではない。見下してるつもりもない。

考えてみたら俺だって20歳の時は・・・・・・・っていうか

20歳の俺はもっと無知で、無力だった。

今振り返ると冗談抜きで恥ずかしくなる。

穴があったら入れたい・・・ではない、入りたい。

本当に本当に、世間の常識的なことを何も知らなかったし、

実用的なことは何一つ出来なかった。クルマの運転も出来なかった。

バイクの免許もなかった。原付の免許だけ持っていた。

人見知りだったし、音楽についても、まだ齧ったくらいの知識しかなかった。

楽譜も読めなかった・・・・あ、今でもそれは読めねえや。

時計の電池交換も出来なかった。

そして、文学というか・・・活字の世界のこともまだ全然だった。

でも楽しかったな、とにかく、自由で楽しかった。時間なんか、有り余るほどあったし。

今?・・・・今はあまり、自由ではない。

自分の時間も、あまり ない。

でもあの頃に比べると、「自分に出来ること」が、かなり増えた実感がある。

いちおう、成長してるのだ。

そう言う意味では、あの頃より今の方が自由だ。

人見知りなんか、もうしないし

クルマだって運転できる。

自分のバンドを率いているし、

働いて、何とか自分で喰えるだけの稼ぎは得ている。

「モテたい」ような願望も、今はもうない。

すごくいい、と自分で思える「歌」が、作れるようになった。

20歳の頃は、逆立ちしてもそんなことは無理だった。

 

俺が20歳だったのはもう35年も前のことで、

その間に、いろいろなことを無駄にしてしまった。

無駄な時間も使ったし、浪費もした。

道に迷いまくったし、袋小路で立ちすくんだことも多かった。

数え切れないほど・・・恥ずかしい思いをしたし、失敗も数多くした。

でもそれはそれで、しょうがないのだ。

 

そして今の自分を客観的に考えてみたら

やっぱり相も変わらず 道に迷っては、いる。

「不惑」というような年齢時期はとっくに過ぎたのに、

戸惑って(とまどって)ばかりだ。

 

だってさ、「MOTOR BIKE DIARY」の歌詞で言ってるように、

”地図に無いような道を行くしかない”のだから我々は。

 

 

 

 

そして迷いまくった挙句の果てに、

我々はいつか帰るのだ「家」に。

 

 

 

 

帰るべき「家」って何処なんだろう俺にとっての?????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戸山ハイツ?(←まだ言ってる)

 

 

 

 

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