八月が終わるからといって、夏が終わるわけではない。
そんなことは百も承知なのだが
写真でご覧のように、今年の向日葵はそろそろ終わり近くである。
でも実は、枯れ行く中にまだ五つも、小さな花ではあるのだけれど、
咲いてない蕾があるのだ。
だから我が花壇はまだまだ継続中。
とは言え朝夕はめっきり涼しい今日この頃。
今週、台風なんて奴が本当に来やがったら花壇もどうなるか、わかりはしない。
ああでも、夏が終わったら嬉しいだろうな。
全ての蝉は死に絶え、太陽さえもベテルギウスのように燃え尽きて、
夏なんて永遠に終息してしまえばいいのだ。
僕は冬眠を夢見る。
もしも目覚めなくてもいいなら最高なのだけれどそうもいかない。
アタシにはまだ、やることがあるのだ。
来年のための種を、
向日葵の種を採取せねば死んでも死に切れん。
そうだ、まだ咲いてない蕾があるんだった。
そんなこと言ってるうちに、明日から九月。
多くの誕生日とひとつの命日の九月。
「すみれセプテンバーラヴ」の九月。
フォーク時代RC「九月になったのに」の九月。
9・11の九月。
夏が終わる九月。
秋の気配が訪れる(はず)の九月。
迷宮に紛れ込む九月。
致命的な九月。
僕はどんな風に2022年の初秋を迎えればいいのか?
一体、どこまで行けば「大団円」が訪れるのか?
僕にはわからない。
控えめに言って「世の中」って、
わからないことばかりだ冗談抜きで。
とりあえずさよなら、今年の八月よ。
君はまあまあ、よくやったと思うよ。