レパートリーについての考察(6月2日はROCA’66のライヴ。)

2013-05-31 16:57:35 | Weblog


例えば、の話。

ストーンズなんか何曲くらい「レパートリー」があるのだろう?

今までに発表した曲の数、ではない。

生きたバンドとして、今、ストーンズが演奏できる曲。

一回のライヴで30曲くらい演るのかな。

その30曲以外に、何曲くらい持ってるだろう?


「サティスファクション」なんて、

ミックが「とっくに飽きてる」と公言してたけど、

演りたくない曲を演らなきゃならないライヴって・・・・・・

たとえ女の子にキャーキャー言われたとしても、

楽しいかどうか疑問だ。


ストーンズと比べるとおこがましいにも程があるが、

我々なんて、演奏時間も限られてるので

「演りたい曲」しか、ない。あたりまえか。

「演りたい曲」の中でも、特に、「どうしても演りたい曲」。


今、どうしても、公の場で演っておく必要のある歌。

(「公の場」・・・って大げさかな。単に「開かれた場」か。)

今、聴いて欲しい歌。

そういうのしか、ない。


それで、そういうのって暑苦しいかもしれないけど、

そういうのを、演ります、今週末。


そんな「大したもの」とは、誰も思ってない。それはそれでいい。

だがしかし、俺・・・・いや、俺達にとっては「大したもの」なのだ。


本当に、

これのために生きてるような気がする程の大事件、「ライヴ」。


まだ続けていられることのキセキと幸運を実感しつつ、行く。



おまけに、我々はまだ、「進化」しようとさえ、しているのだ。





2013年6月2日 日曜日

大阪 十三  クラブ・ウォーター

ROCA’66が、出演するよ。

ランブルの曲をひとつ・・・・やる。










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高速道路は工事中。

2013-05-29 17:25:05 | Weblog




先週の名神高速集中工事が終わった、と思ったらすぐに、

東名阪集中工事が始まって、もう、渋滞の連続で、

アタシは疲れきってしまっている。

何食わぬ顔で道路工事してるやつらが憎たらしく見えてしまって、

思わずダンプの窓から手を突き出して、

ファック・オフ・サインを出しそうになるのだけれど、

いかんいかん、「人を呪わば穴二つ」と言うように、

どんな社会でも、「呪い」は発した人間のところへ戻って来がちな、

まるで忠実な犬のような性質を持っているので、

こんな簡単なことで人を呪ってはいけない。

「祝福」せねば。

祝福・・・・うーん、する気になれんな。





そういえば昔、ランブルのツアーで

機材車に乗った俺たちが高速道路で今回みたいな「工事渋滞」にハマッたとき、

佐治がよく言ってたのを思い出す。

「あれはな、”工事クラブ”って言うてな、あの人たちの趣味やねん」

「趣味でやってんねんから、放っといたらええねん」

だって。

そんなワケはないと思うんだが・・・・・。

したり顔で、嬉しそうに言ってた。独特の冗談だったな。




道路工事人を「工事クラブの人たち」って、佐治はそう呼んでいた。

それくらいの余裕を持てば、工事人に腹を立てることもない・・・・かな?







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真夜中に一回、急いどってな。腹立って高速でクルマ停めて、

あの「工事クラブ」のやつのとこ行って、

文句言うたろと思って、胸ぐら掴んだってん。

そしたらな・・・・作業着だけで、中は空っぽやったんや。

え?って思った瞬間に工事のライトも全部消えてな、

真っ暗闇の高速道路で俺、作業着だけを握って立ってたみたいや。

キツネに化かされたみたいな感じやで。

だからあれはな、「高速道路の精霊」やねん。

本当に工事やってる場合もあるのは、ある。

でも夜中にやってるほとんどの工事はな、

「実体のない工事クラブの人たち」やねん。

・・・・「幽霊部員」も多いらしいけどな。

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なんてね。

ダンプの中で、渋滞中に、

話の続きを考えてみたんだけど、どうかな?



え?おもんない?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そりゃ失礼。















ついでみたいに言うけど、

次の日曜日(6月2日)は大阪は十三のクラブ・ウォーターで

ROCA'66のライヴがあるよ。

もとイージーウォーカーズ樋口”JOHNNY”和也と、

もとランブルフィッシュ片山道郎の、二人組。


このメンツになって三回目のライヴだ。

出番等、はっきりしたらまたブログに書くから・・・・


遊びに来てくだサイ。










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「関係性」の中に生きている。

2013-05-27 17:56:19 | Weblog


”ひとは、「自分のために生きているのではない」”

って言う人がいる。

”九分九厘の人がそう思ってるけど、実は違う”と。

それじゃあ何のために生きてるのか?って聞くと

”ひとは、「他人のために生きている」”のだそうだ。

みんながみんな、誰でも、どんな人でも、そうだ、って。




もしそれが本当なら・・・・・・・

ちょっと素敵だ、と言えなくもない。



考えてみたら人間はみんな、関係性の中に生きている。

そしていつも、そのことについて考えている。


すべてのことが「世界」と「私」の関係性の中にある。


そうして私は、アナタのことを考える。


私はアナタに、メイワクをかけたいわけではない。

ただどうしても

アナタに関わりたくて、

その気持ちを抑えることが出来ないだけなのだ。







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腹立ち、非戦、憲法改悪。

2013-05-24 16:36:38 | Weblog




何故に、「他人に腹立つ」か?っていうと、

それは結局、

「自分の価値観で動くこと」を、他人に要求するからだ、無意識にしろ。

言ってみれば、

「自分の価値観を他人に押し付けている」のと一緒だ。

そういうのはくだらないから、やめようと思う。


昔よく、しつけの悪い子供を見ては、

「親の顔が見たい」とか言う人がいたけど、

親の顔見て、どうなるわけもない。よけい不快になるだけだ。

俺なら逆に、見たくない。

「美しくないもの」には触れずに生きていきたい。


美しくないもの、下品なもの、気持ち悪いもの、無遠慮なもの、

厚かましいもの、恥知らずなもの、エトセトラエトセトラ。


失礼なやつが腹立つのは文字通り、「礼」を失しているからであるが、

「礼」とはやはり、モラルのことであろう。

モラルなんて嫌いだ、と思ってるフシもあるのに俺は

逆に、モラルに縛られてもいる。


しかし、いちいち他人に腹立ててると、キリがないし、疲れる。

そしてその、「自分の腹立ち」を自分で尊重すると、

(誰かと)戦わざるを得なくなり、

日常は戦いの連続になる。

そんなのは本当に、まっぴらごめんだ、と思う。


でももしかして、ちょっと飛躍かもしれないけど、

「戦争」とか「紛争」とかって

そういうのの、無限に増幅されたものの結果・・・・・

みたいな要素もあるんじゃないかな。

国家間での「自尊」のぶつかり合い。

プラス、現実的な「損得」での、欲の皮のつっぱり合い。

「美しくない」ことこのうえない。



やはり、日常から「非戦」の心で生きたい。

人は人、我は我。されど仲良・・・いや、悪くもなし。



でもでもでも。

今、政治の世界でじわじわと進められている、「憲法改悪」の動き

・・・に対してはやはり、黙っているわけには行かない。

他国の戦争に首を突っ込みたくてたまらないやつら、

もしくは

他国に武器や原発を売りさばきたくてしょうがないやつらの、

思い通りにされるのは本当に本当に嫌だ。


「非戦」を貫くために戦わなければならないのだろうか。

「好戦的な非戦主義者」ってのはしかし、

妙なものだと思うんだよね。そういう人って、いるけど。



でも最低、憲法改悪だけは、とめよう。

みんながみんな、「戦争したい」って言うんならそりゃ、

あきらめるしかないけど。(あきらめて、山にでもこもる。)

でもそうじゃないと思うから。










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とても鮮明な夢を見た 2013年5月

2013-05-23 16:20:04 | Weblog



夢を見ていて、その「夢の中の自分」が、

独自の記憶や、しきたりを持っていたりすることがある。


このブログでずっと前に書いた、とある夢の中の俺は、

「葬列は抜かして歩いてはいけない」という、その夢の中でのモラルを持っていた。

目を覚ましてから随分考えたんだが、そんなモラルはない。

不思議だ。


さてさて今朝のこと。

(・・・・・・と言っても今の俺の朝はAM3:00なのであるが。)

久しぶりに友達の夢を見た。しかも、奇妙なくらい鮮明な夢。

1988年の6月に不慮の事故で亡くなった、岩佐亘。

夢の中で俺は、彼の引越しを手伝っている。そう、彼は帰ってきたのだ。

どこから帰ってきたの?とか細かいことは全然わからない。

どうやらその夢の中では、彼が亡くなったことは、

「なかったこと」になってるみたいだった。


それで引越しの合間に彼と会話する。

あれから何年経った?って岩佐に聞かれて

夢の中の俺は、しばらく考えてから答える、「5年」と。

あまりにも鮮明な夢って、目覚めてから忘れてゆく速度も早い。

あんなにリアルだったのに、今はもうほんの一部しか思い出せない。

それで

岩佐もそうか、5年か、とか言う。

・・・・・・・・・・・・・・5年?ってあとで思う。

どっから出てきたんだよ「5年」って?

1988年からだったら、あと一週間ちょっとで25年だぜ。

25年?・・冗談みたいだけど本当だ。


夢の中の岩佐はシュッとして、かっこよかった。

真っ白なシャツと黒いズボン。

本物の岩佐も、もちろんかっこよかったんだけど、

もう記憶は朧げになってしまっている。

あの、今朝の夢の中の彼は、俺の記憶が再構成したものではない。

どこか別の次元からスルッと、遊びに来たみたいな。

そんな気がするくらい鮮明な映像だった。

元気そうで、よかったよ。






こちらの世界では、

もうすぐ岩佐の命日だ。









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腰まで伸びた髪の毛のゆくえ(さ来月、バイク事故記念日到来)

2013-05-21 17:40:58 | Weblog
昨日の日記の続きみたいなもんなんだけどさ。


・・・・・・腰まで伸びた髪の毛はその後、どうなったのか?


このブログでは何度か書いたことがある事実なのだけれど、

あと1ヶ月と数日で27歳になる・・・という夏の夜、

(すなわち1993年7月20日)のバイク大事故で、

俺が血まみれで意識を失ってるあいだに、救急隊員がバリカンで剃り落としたのだ。

24時間以内に、脳出血が止まらなかった場合、

手術が必要だった、とのことなのだが(脳手術なら当然髪の毛は丸刈り・・・・)、

無事、24時間以内に脳出血は止まり、手術はせずに済んだ・・・・らしい。

後になってからそう聞いた。

手術せずに済んだのならアタシの髪の毛返して頂戴、

と言いたかったが(命拾いしたのに恩知らずな奴)、

イシャに、「ははは、すぐに髪の毛が生えてくることだけは私が保証しますよ」と

笑い飛ばされた。まあ、当たり前か。


その前後のことはしかし、なにひとつ覚えていない。

激しい打撲による脳震盪のせいだ、とイシャは言う。

全部、あとになってから聞いた。



これがあと1ヶ月と数日遅かったら、つまり俺が

27歳になってからの事故だったなら・・・・・と思うとゾッとする。

26歳だったからまだ助かったのだ。

27歳はロックでは「魔の年齢」だから。



あれから何と、20年経つんだぜ!


今年は「バイク事故20周年記念」だ。

その当日、オオサカは心斎橋、ミッテラ会館「ACID」で、

ROCA’66の、ライヴが予定されている。

日程は意図されたものではない。ただの偶然。



・・・・・・でも大丈夫かしらねアタシ?


おっと、その前にROCA’66は、

6月2日(日曜日)、十三クラブ・ウォーターに出るから。


ROCA’66を見に来てクラッサイ。


っていうか

俺、つまり片山道郎と、もとイージーウォーカーズの樋口和也が

二人でバンドやってるのを、

冷やかしにおいでよ。


















コメント (2)
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前髪

2013-05-20 16:42:19 | Weblog



 髪の毛・・・特に前髪を伸ばして、

それも目に覆いかぶさるくらい長くして、

そんなことで

他人の目から隠れられている、と思うのは短絡的で幼稚だろうか。


どっちかっていうと内向的な子供だった俺は、

いつもいつも、教師に気づかれて、切ることを強制されるまで

伸ばせるだけ髪を伸ばそうとしていたものだった。

ガッコーって所はそれだけで、とてもとても嫌いだった。


それにしても、「男は短髪」なんて、

いつ、誰が決めたのか。迷惑千万だ。


デザイン専門学校をやめて、アメ村の古着屋で働き出した二十歳の頃から、

俺は髪を切るのをやめた。

最終的には腰のあたりまで長くなったのだけど、

俺の髪の毛は細くてしかも、猫っ毛だから

絡まって絡まって、中の方がカタマリになっていた。

それでしかもくせっ毛だから、

「縦巻きロール」と思われて迷惑したこともある。

「前歯欠けてるのに縦巻きロールって・・・・」だって。

確かに。アタマおかしいよな。


今でも前髪は長い。(昔よりは全然、短いかもしれないけど。)

どうしても切ったり、上げたりする気になれない。


そういえばだいぶ以前の知り合いに去年、

二十年ぶりくらいに再会したのだけれど、

その娘に「私はアナタの前髪の下の顔を見たことすらなかった」

と言われた。

「そんな顔だったのね」とも。



・・・・こんな顔だったんデスよ。














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ROCA’66 LIVE@大阪・十三CLUB WATER2013年6月2日、日曜日。

2013-05-15 17:59:46 | Weblog




ずっこけ、ドタバタ、失笑・・・・いや、疾走ロックンロール、

ROCA’66!


次のライヴは大阪・十三・クラブ・ウォーター。


2013年6月2日 日曜日。


対バンは、俺の大好きなバンド、

THE COFFE&CIGARETTETS、他。


ROCA’66のドラムは、

昔 EASY WALKERSで叩いてた、樋口和也。

歌とエレキギターは、片山道郎。

同い年の二人組。




見に来ておくれよ。   








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ステイトメント

2013-05-14 16:06:21 | Weblog


ばらばらに分解されたブルーズ、


再構築されたミニマル・ソウル・ミュージック、


洗いざらされて色あせた、ざらざらした手触りのフォーク・ミュージック。




我々は好むと好まざるに関わらず、

「パンク以降」の存在なので、


”そもそもの初めから壊れてしまっている”、と言えなくもないのだ。

そして致命的なことに、修理不可能ですらある。


いちどは「無」になったロック。


それでも魂というものはしぶとくて、

残留思念のようなそれは、ゴーストとしてヨミガエる。


幽霊のような、実体のないオンガク。


廃屋の床下で、トイレットの精霊たちが奏でるような

密やかなミュージック。


退行する時間の中で我々は、一体誰に向かってそんな音を鳴らせばいいのか?



それに・・・

そんなことをしたって得られるものは、

また「哀しみ」だけ、ってことになるのかもしれない。


もしくは「ずっこけて失笑」か。




でも

もし万分の一でも、君に届く可能性があるのなら、

その「可能性」だけでいいのだ。



























             本当だよ。










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メカニカル進行

2013-05-13 16:46:30 | Weblog

最初の最後

二つの心

永久に

忘却の彼方


遠慮がちな

最悪の天使

薔薇色の時代

往年の名器


・・・夕闇が空を引き裂いて

すべての今日を 時代遅れにしちまった


だけど 君は知らない顔をして

言葉もなく少し 笑う



叶えられた望み

行き惑うメロディ

もう泣かないで

失われた光


平行線  カラマッテバカリ

そして消えた

モノ・コト・すべて


・・・「今」が光のスピードで

この手の中からこぼれ落ちていくけど


今夜君は 嘘つく振りをして

世界中に「さよなら」を告げる








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