最低の国会。

2017-11-30 21:30:35 | Weblog


NHKはどういう基準で国会を中継したりしなかったりするのか、

さっぱりわからなくて腹立たしいのだが(実際、客観的な基準は公表されていない)、

今週はラジオで国会中継をやっているから、仕事中にトラックのカーラジオで、

聞けるタイミングのときは極力、聞くようにしてるのだけれど、


あのさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


国会が、以前にも増して、劇的につまらないのだ。


何だこれは?と思ったのだが、

そういえば野党の質問時間が大幅に削られて、野党議員が抗議してたのを思い出した。


与党議員の質問って・・・下らない、と言うか、聞いてても全然意味が無いようなものばかり。

首相に対するおべっか使いっていうか、太鼓持ちっていうか、政府の宣伝っていうか。


そうか、野党の質問時間が減ったら、こういう悲惨な事になるのか。

しかし、あまりにもひどい。

ただでさえ国会中継なんか聞くのは忍耐が必要なのに、

与党議員の質問なんか、「耳が汚れる」気さえするから、とっととラジオを消してしまう。

与党議員の質問が終わったらまた聞くつもりなのだが、

ついつい忘れて、無音の心地良い時間を過ごして、

聞きたかった野党議員の質問(というか、問答)を聞き逃してしまう。


いま「問答」と書いたが、

野党議員の質問に対しての首相や大臣達の「答」は相変わらず、ひどいの一語に尽きる。

「問答」になっていない。

前にも言ったが、相手の質問に、マトモに答えない・・・というのは

もしかしたら「議論」のテクニックなのかもしれない。

しかしだな、そればっかりやっていたら、「議論」そのものに、何の意味もなくなるのだ。


今、わが国の国会で行われている事はこれだ。

意味の無い議論。議論になってない議論。形式だけの空転する会議。


モリカケ問題に関しても、何も答えていない。

何が「丁寧に説明させて頂いている」だ。よくそんなこと言えるな。恥ずかし気もなく。



あの・・・・・これはちょっと前に

何処かの新聞の政治部の記者のひとがいっていたことなのだけど、

「最近、政府与党は意識的に、国会をつまらなくして、国民の関心が国会(政治)から離れて行くように仕向けている」

・・・・・のだそうだ。そうとしか思えない、と。

何故そんなことをするか、と言えばもちろん、

現在の選挙制度、つまり小選挙区制においては、投票率が低下すればするほど

政府与党に有利になる、ということに彼ら(政府与党)が気付いたから。


(だから、いくらつまらなくても国会中継は聞いてなきゃならない。政治に関心を持ち続けなければならない。)


国会で与党議員たちが言ってる事を聞いてればわかるし、

憲法改正の自民党草案を見てもわかることなのだが、

彼ら(政府与党)は、我々国民一人ひとりの「人権」を軽視しているし、

「民主主義」をまっとうに行う気も、ない。


そのことにみんな気付いてないのだろうか?


放っておけば偉い人たちがちゃんと政治をまっとうにおこなってくれる、と

俺も昔はそう思っていた。


でも現実は全然違う。

あの人達、全然(人間的に)「偉く」なんかないし、

ほとんど「自己保身」しか考えてないし、

アメリカの言いなり・・・だし、

我々の払った税金から、嘘みたいな巨額の給料もらってるし、

放っておいたら、何億円もする国の土地を タダ同然でトモダチにあげちゃうんだぜ。

それで、それを追求されたら、質問に答えないんでやんの。





・・・・・そんな奴等、信用できるワケないだろ?




国会、最低。

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800.0000

2017-11-29 22:31:54 | Weblog

あらゆるところに神が居る・・・・・というのがいわゆる「汎神論」で、

「八百万の神」という考え方と、とても近い・・・・・・・・・よね。

八百万というのは恐らく、800.0000という具体的な数字ではなくて、

「無限」を表しているのであろう。

ビートルズのジョージの「ヒア・ゼア・エヴリゥェア」という曲も、

同じような思想のもとに歌われている、と推察する。・・・違うかもしれないが。

しかしそんな汎神論的な考え方はとても素敵で、

それってつまり、

あらゆる事象の中に、驚異や、奇蹟を見いだすってことだよね。

気付かなければ気付かないままで通り過ぎてしまうけど、

すぐそこの街角でも奇蹟は起きているし、

田んぼでも、交差点の脇でも、裏庭でも、

それどころか、家の漬物樽のなかでも。

ついで、と言っては何だが、我々の体内でも毎日、奇蹟は起こっている。


もしかして、「神」とか「奇蹟」って、「あらゆる微生物(の働き)」のこと・・・だったりしてね?

(あ、今論理が飛躍した。)

飛躍はまあ、いいとしても・・・でもそれだと、即物的で、夢が無いかしら。

しかしだね、「即物」って言うけど、微生物なんて我々の肉眼では見えないし、

目に見えなければ、少なくとも昔の人々にとっては「ない」ものだったであろう。


「発酵」と「腐敗」は、同じ現象を指す。

我々人間にとって有益な腐敗は「発酵」だし、

無益・・・というか有害な発酵は「腐敗」なのだ。


どちらも、微生物の働きによって起こる現象だ。


我々人間の身体だって、命がなくなったとき、「荼毘に付す」ということをもし、しなければ

微生物の働きによって文字通り「土に還る」のだ、ああ美しい。


うーん。



・・・でも、面白いと思わない?こーゆーのって。


いっそ


「微生物こそが神である」とか言い出したりして。


それで感極まって(?)「微生物教」とかっていう新興宗教立ち上げたりして。


・・・・・・・・・・・・・みんなで顕微鏡を拝むの。



ははは。



下らん。
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兎に角、僕は。

2017-11-27 21:48:16 | Weblog

超絶的にデリケートに、

まるで音もしなかった・・・・・・みたいなソフト・ランディング。

僕は僕の能力を総動員して着陸。

よく言う話だけど、リリクよりチャクリクのほうが断然、ムツカシイんだぜ。

とは言え

リリックはそう簡単には、出来やしないけどね。(リリックってのは、歌詞のことだぜ。)

・・・・・・・・・・・・・・・・こーゆーのは、ダジャレって言われちまうのかな。

オシャレって言って欲しいんだがね、アタシの場合。

でもまあ、そゆことさ、

ソフトに着陸すんのさ。

そんな風に、ちゃんと地に足をつけて物事を考えようと思うんだ。

朝は起きて、夜眠る。

そーゆーのが「アタリマエ」とは言わないけど、

僕には、合ってるみたいだからさ。

夜・・・・・・・・・・・・そりゃ、夜は好きだよ、華やかだから。

でも街中が馬鹿騒ぎしてるような夜(ハロウインとか、大晦日とかね、)に、

「知るもんか」みたいにして毛布かぶって眠ってしまうのも、

それはそれで悪くはない。

誰だって彼だって、俺には何の関係もねえんだ、

俺のことはとにかく、放っといてくれよな・・・・・・・・・・・

ってな気分のときは特に。

でもそんなことばっかりやってるといつの間にか、

意図的に、ではなく

自分が「隠者」みたいになってしまってることに気付く。

「森の隠者」なら、なんだか深みと渋みがあっていいけど、

「ゴミゴミした街の隠者」なんてね、ちょっとゾッとしない。

街で聖者になるのは大変だし。

兎に角僕は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何の話だっけ?

そうそう、飛び上がっては着陸し、

またエンジンを廻しては離陸する、と。

そんなことの繰り返しでしか生きていけないならば、せめてそれを、

せいぜい楽しんでやろうじゃないか、と


思ったんだ。










ところで・・・・・・気が付いたら既に、

秋も終わってたね。






(秋を)悼むヒマもなかったな。
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「いい匂い」(ROCA'66、稼動開始。)

2017-11-26 14:31:22 | Weblog


「縁というか、「繋がり」というか。

そういうものって実は、とてもとてもとても複雑な要素を持っている。

僕が君と繋がれたのは、偶然じゃないのだ。

必然?・・・・・・・・・と言ってしまうと文脈的に軽いのだが、もっと精密で、不可知なもの。

運命論・・・・・?

それも近いが、ちょっと違う。

我々は我々の「自発性」を持ってして、

同じ「匂い」のする仲間を無意識のうちに探し求めていて、

その「匂い」はもちろん僕等にとってはすごく「いい匂い」で、

そしてうまく行けば僕等は「拡大家族」の一員になったりする。

「拡大家族」というのは例えば、

同じ作家や、バンドのファンであったり、

「生きる方法」の指向性が同じだったり、

同じバンドのメンバーともなればもちろん、とてもとても「拡大家族」的である、と

僕は思うのだ。

それで、過去のバンドの記念碑的に大事な曲なんかを現代に甦らせて、

現在のバンドメンバーと一緒にスタジオやライヴで演奏したりすると

(そしてそれを心から楽しんで、喜んでくれたりすると)、

余計そんな「拡大家族」的な親近感も増すのです。

バンドってやっぱり、すごくいいものだと思う。

考えてみるまでも無く僕なんかは、バンドやるためにこそ生きてきたようなもので。

もちろん、メジャーデヴューが最終目標、というわけでは全然無かったから、

働きながら音楽がやれてる「今」は申し分なくて、

現状は「夢の続き」なのだ。ロックし続けることこそが最終目標である。


さてさて、我々のバンド「ROCA'66」は1ヶ月ほど休眠してたのだが、

昨夜から稼動開始。

楽しんで自発的に一緒に演ってくれるメンバーは本当に、

僕にとっては「宝物」だ。

「有り難い」とはまさにこのことで、僕は仲間に恵まれてシアワセ者だ。


2017年のライヴは、あと一本。

12月23日 土曜日、大阪・中津のVi-CODE。

過去のバンドメンバーにも もちろんリスペクトを捧げつつ、

現在の「すごくいい匂い」のするメンバーたちと、めっちゃいい状態で演奏できる。

「いつまで演っていられるか?」というのは、今に始まった話ではなくて、

若かった頃からそれは問題でもあったのだが

「それ」は、年を経るごとに緊迫感を増す・・・・よね。

だから、ライヴに来て欲しい。

我々と「繋がり」を持つために、ライヴハウスに来て欲しい・・・・・のよ(最後に女性化する)。


・・・・・・・・・・・・お願いね。




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我々のSF的近未来な現実。

2017-11-24 22:31:18 | Weblog

映画「ブレードランナー2049」を観て、

その次の週に、予約しておいた本、P・K・ディックの「シュミラクラ」の新訳を買って

(今、まだ読んでる途中)、

久々に、SFゴコロが疼いてしまっている。


我々はしかし、どんな近未来的現実を生きているのだろう?


昔のSFではよく、クルマが空を飛んでいたが、2017年現在、それは全然実現していない。

それどころか、EV(電気自動車)化すら、していなくて(ハイブリットはあるにせよ)、

ほとんどのクルマはガソリン車で、

トラックは恐らく全部、ディーゼルエンジンだ。全然進化していない。


そうだ、スノータイヤはまぁ、進化したな。

もう、雪が降っても、チェーン巻いてるクルマを見ることは珍しくなった。


あと、何だ、アレだ、宇宙開発も全然進んでいない。

アポロ計画以後、月に人すら、行ってないし

ましてや火星に有人探査機なんてまだ夢だ。

無人探査機がやっとこさ火星の風景を写真で見せてくれた。


あと、勿論タイムマシンなんて夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢だ。


っていうかそれ(タイムマシン)は不可能だ、ということがだんだん判ってきた・・・ような気がする。


原子力・・・発電所はSFでさんざん予言されてたように、大爆発した。

あれは、どう足掻いても人間の手に余るエネルギーだ。


同じくSFでさんざん予言された核戦争は、ありがたいことにまだ・・・起こってはいない。


いちばんSF的というか、SFの予想さえ超えてしまったのは

インターネットと、ケータイ電話に代表される、個人通信機器とその環境の発達だ。

これは本当に、革命的だった。

今や、子供を除いて、ケータイを持っていないヒトの方が珍しい、なんて

冷静に考えたら驚異だ。

いや子供すら持ってるし。ご老人も持っている。


あと、そうだな、人工衛星を使ったGPSの発展形としての「カーナビ」の普及も、目を見張るものがある。


そこまでテクニカルではないけど、街角の監視カメラの多さにも、時々、怯む。

犯罪が起こったときに活用されてて、それはいいんだけど・・・・・監視社会だよな。

僕は何もヤマシイ所などないし、今後、法を犯す気もないからいいんだけど、

それでもねぇ・・・・・。ヤダなあ。

この「監視社会」は、「1984」で予言されていた・・・んだよね?


むむむ。

我々はやはり、

「SFで予言されていた近未来」に住んでいるのだろうか?

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マネー・ジャスト・キャント・バイ

2017-11-22 22:40:15 | Weblog


あのビートルズが言っていたようにもちろん、

愛はお金で買えはしない。

だがしかし、

我々の抱える問題は、

お金で解決できるものが案外、多かったりする。


お金とは一体、何なのだろうか?

・・・・・・コドモがよく自作する「肩たたき券」みたいなものなのだろうか?

万能の、「何でも引換券」みたいな。

うーん、そういう要素、あるよな。


これは本当か嘘か、イマイチ判別しがたい話なのだが、

鬱病の人に100万円あげたら(鬱病が)治る場合がほとんど・・・・・・なのだそうだ。

(実験したのだろうか?)

しかしなぁ。

そんな単純じゃないだろ?とも思うけど、

もしその話が何%かでも本当なら、

社会的、経済的不安というものが

いかに人を、精神的に蝕んでいるか、ということの証・・・なのかもしれない。


そうだ、お金といえば

子供の頃、一度、一月一日(お正月デスな)に、

何の偶然か我が家に多くの人(大人)が訪問して来るようなことがあって、

世間的・儀礼的にその人たちは気前良く、コドモ道郎にお年玉をくれた。


コドモ道郎の生涯で(大げさだ)いちばん小金持ちになって私はホクホクで、

とても嬉しかったのだが、

その頃(1970年代半ば)の世の中は

正月三が日は、お店というお店が全部!全部!全部!閉まっていて

本当に・・・・・お金など、使うところが、ないのだ。


コンビニもない。

100円ショップもない。

アマゾンもない。

ドンキもない。


むむむ、と私は札束(、と言っても千円札と五百円札が十数枚)を数えながら三日間暮らして、

コドモながら、ひとつの悟り・・・というか、啓示を得た。


それはすなわち、

お金など、使うところがなければただの紙切れに過ぎない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


というようなことなのだけれど、

そーゆーのって、コドモのくせに、ナマイキだよね。




後日談


三が日が明けて、そのお金で私が何を買ったか?というと(憧れの)ラジコンカーで、

しかしその時代のコドモ向けラジコンカーというものは

直進と

左折

しか動作の選択肢がなかったのだった。


だからすぐ飽きたよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



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蛇足のようなこと。

2017-11-20 21:43:13 | Weblog


ちょっと気になったので少しだけググッてみたのだが、

HONZIはどうも、癌で亡くなったみたいだ。

・・・・・・・・・・・・それも佐治と同じだ。


あれから十年の月日が経って、

最近では抗がん剤と放射線治療はあまり用いられなくなっていきつつある、

というような話もちらほら目にする。

欧米では既に、免疫療法(か何か)がメインになりつつあるとか。

そういう話を聞くと、絶望的に・・・・ちょっと待ってよ、見たいな気になる。

「あれは間違いでした」みたいなことになるのだろうか?

現代医療を信用して、命を預けて、苦しい抗がん剤の副作用に耐えて、

それで亡くなっていったひとたちはどうなる?

・・・・・・・・・・・・・・・・でも、そんなこと言っても、しょうがないのかな。

誰も「悪意」でやったことではないのだ、きっと。

そう思う。


ところでググッて、他にもいろいろ解ったことがあって、

HONZIはフィッシュマンズのサポートの活動が有名だったのだな。

むむむ。

そういえば、誰も記憶してないと思うけど

ランブルフィッシュはフィッシュマンズとライヴハウスで対バンしたことがあるのだ。

1989年か、1990年のことだったと思うのだけれど、

例のキャプテンレコードから出たオムニバス「JUNKY JUNGLE」の前後の関東ツアーの一環で、

千葉のライヴハウスに出演したときの対バン(だったと思う)。

FISHつながりでブッキングされたんだろうなぁ、と思ったのを覚えている。

もちろんデビュー前の、無名のバンドだったフィッシュマンズ。

お客さんも決して多くなかった・・・・・・・というか、少なかった。

確かサックスがメンバーにいて、でも我々とは全然ジャンルが違うような感じだったから、

楽屋で会話も一切無かったと思う。

もちろん、HONZIがサポートするようになるのはずっと後のフィッシュマンズなんだろうけど、

何だかやはり、遠い「縁」を感じる。

えーっと、でも、そのときのフィッシュマンズは俺、全然良くなかったな。

後々の「空中キャンプ」とかの音は、すごくいいと思ってるんだけど。


あのヴォーカルの佐藤くんも亡くなって久しい。

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HONZIのこと、佐治のこと。  (加筆・訂正アリ。)

2017-11-19 19:15:06 | Weblog


ヴァイオリニストのHONZIというひとがいた。

UAのバックで弾いていたこともある有名人だ。

知ってるひとは知ってると思うけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ものすごいヴァイオリンを弾く人で、

僕は2006年(だったかな?)に、

鳥井賀句さんのバンドにHONZIが加わって、ベアーズに来たときに

自分のバンドで対バンさせてもらって、お会いした。

柔和な可愛らしいひとだったのだけれど、

リハーサルで聴いたヴァイオリンの音色が、凄過ぎて、

もうHONZIしか見えなかった。HONZIの音しか聴こえなかった。

それくらい凄かった。

あんなヴァイオリンを聴いたのは後にも先にも、あの時だけだ。

特に奇妙な音ではないのだけれど、激しさと存在感と切迫感が桁違いだった。

あの凄さは、言葉では伝えきれない。

リハの後、楽屋で、「チラシをコピーしたいんですけど、コンビニの場所ってわかります?」

と僕にHONZIが聞いてきたので、

僕は自分のチラシをコピーする必要もあったので、

一緒にコピーしてきてあげるよ~と、チラシの原版だけ借りて、

彼女の分もコピーした。

すっごく喜んでくれて、何度もありがとうと言ってくれた(ちゃんと代金もくれた)。可愛かった。

その後のその日の

賀句さんのバンドでのライヴ本番もやっぱり凄くて、もう参った。

ヴァイオリンの音が、我々共演者を含めて・・・・すべてを喰っていた。


それからだいぶ経って、

雑誌か何かでHONZIの訃報を見た。

・・・・・・・・・・悲しかった。

僕は一度お会いしただけで、全然近しくなどなかったので、

亡くなった事情も何も、全然わからなかった。今でもわからない。


ただ、今日・・・・・・・・・

完成・発表になった友達の河村博司の初ソロアルバム「よろこびの歌」を聴きながら

ブックレットの河村自身の解説を読んでいたら、

ちょっとだけHONZIのことが書いてあって、

河村もライヴで一度、彼女と共演したことがあるらしい。

驚いたのは、そこに書いてあった彼女の亡くなった日で、

2007年の9月27日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

それって、

ランブルフィッシュの佐治朝吉が亡くなった日だ。まったく同じ日だ。

何と言うか・・・・。


HONZIと佐治は会った事すらなかったはずだが、

何か奇妙な縁を感じる。

まったく同じ日に、凄い才能を持った表現者が二人も亡くなるなんて。




底冷えするくらい、不思議だよ。



訂正


鳥井賀句さんからFBコメントを頂いて、表記に間違いがあることが判った。

HONZIが参加していたのは、賀句さんのバンドではなくて、

当時、賀句さんがプロデュースしていた女性シンガー「LOU」のバンドだった。

賀句さんも確かそのバンドのメンバーだったので、勘違いしてしまった。

ここでお詫び&訂正します。ドモスミマセン。

LOUちゃんの歌は、透明感があってとても素敵だったな。

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河村博司「よろこびの歌」完成・発表によせて

2017-11-19 14:41:16 | Weblog

何から書こう?


・・・・・・・・・・・ここから始めるしかないな、

河村と僕は昔、同じ女の子に恋をしていたことがある。

・・・・・いや本当に。

はははのは。


僕が河村に出会ったのは19歳の時だったはずだ。同い年だから、僕も19歳、彼も19歳。

彼は「大阪で三本の指に入るギタリスト」って言われていた。

どんな神経質な天才タイプか・・・・・と思ったら気さくな、柔らかい、とてもいい奴だった。

すぐにトモダチになれた・・・・・・・・気がしている。


その頃は河村は、自身がヴォーカル/ギターを務めるバンド「THE UP」を率いていた。

佐治と二人で、何回か観に行った。

いいバンドだった。でもあの頃の河村はまだ、ギターの上手さの方が目立ってたかも。

あのバンドには鍵盤で「ひよちゃん(ミヤガワミキ)」がいたんだよな。

ひよちゃんがまたとんでもなく才能ある、ぶっとんだ天然の面白いヒトで。

・・・・・・・・・・・・・いろいろあるなあ。

ひよちゃんとも後後に、トモダチになれたんだぜ。


河村がニューエストモデルに ベーシストとして加入したときは随分驚いたものだった。

でもきっと、そのうち自分で歌い出だすんだろうなあ、と思っていた。

だって俺が出会った河村は、天才ギタリストでもあったけど、

シンガー・ソング・ライターだったからね。


そして、ニューエストモデルはソウルフラワーユニオンに進化して、

河村もベース担当からギター担当になった。

そのときの「カンテ・ディアスポラ」という作品は、

ニューエストモデル/ソウルフラワーユニオンの中でも最高峰の作品だと

俺は個人的に思っている。

今でも、よく聴くよ。アレは本当に・・・・魅力に溢れた、大好きなアルバムだ。


そして河村が2009年にソウルフラワーユニオンを脱退したのは

自分の歌を歌うためなのだろう、と俺は遠くから思っていた。


その後、シンガーソングライターとして精力的に活動していることは、

SNSとかを通じて、知っていた。


そして2017年、満を持して、河村博司としての初のソロアルバム「よろこびの歌」が完成した。


昨夜、ヘッドホンで大音量で二回聞いて、

今日はクルマ(トラックではない自分の軽)で、またじっくり聴いたよ。


素晴らしい。

柔らかな力強い、音楽的滋味と優しさ。

いい歌。

そして、数多くの参加ミュージシャン。

みんなみんな、驚くほど生き生きと、美しい音を奏でている。

ブックレットの写真も、いい表情のものばかりだ。

ブックレットの河村自身の、長い長い解説みたいな文章も、読んでて面白い。


何と、小山卓治さんが一曲、参加している・・・・・・・凄い。俺は昔からのファンなのだ。

リクオさんも。

大熊さんも。

ソウルフラワーの中川くんも、奥野くんも。ヨーコちゃんも。ヒデちゃんも。ドラムの太郎も。

アズミさんともユニット組んではる、白崎映美さんも。

おお、もとシェイディの塚本くんも。ヒッピーくんも。

モモナシの二人も!




さてここからは、「よろこびの歌」を聴いての、僕の細かい感想。


一曲目の「渚から」のイントロからもう、ヤラれる。

柔らかなアイリッシュ調の雰囲気。ヴァイオリンとマンドリン最高。

いいなあ、こんなの俺もやりたいなあ。

歌が、すごくうまくなってて、ソウルフルだ。

二曲目も凄く好きだな。モモナシの、美保子ちゃんの声は独特な「魔力」があると思う。

そして有名曲、「青天井のクラウン」。これは歌が、っていうか歌メロがソウルフラワー節だね。

とても良い。

次の「ワルイ夢」は、お得意の軽快なロックンロール。ヨーコちゃんの声の存在感はすご過ぎる。

「ローリングビーンズワルツ」も、いい歌だね。和む、喫茶店的な歌。

この喫茶店、いつか行ってみたいよ。

「フラクタル」も、「風に揺れて」も、しみじみ良かった。何回も聴きたい。

「あのコと部屋とギターと」みたいなインストって、こんなふうに挟むと、すごく生きるよね。

何故か昔の、河村の住んでた部屋を思い出した。ギターがいい音。

「あなた」も個性的で奥深くて好きな歌だな。これもギターの音が絶品。

そしてアコーディオンとのアンサンブル、最高。

「風に乗って」はストレートで良い。「THE UP」を思い出した、と言ったら古すぎか。

ソウルフラワー中川くんの声もやはり、すごい存在感。

そして同じくソウルフラワー奥野くんの鍵盤。やっぱハマるね。

次の「愛のテーマ」は、なかなか深みがある、渋い曲だな。

ちょっと、マーヴィン・ゲイの進化系って感じか?深い。

さて、タイトルトラック「よろこびの歌」。荘厳な感じ。

よろこびの歌、だけどこれは祈りの歌・・でもあるよね。ジゲンのベース!とヴァイオリンが凄く雄弁。

そして、河村の歌に説得力がある。へんな言い方だけど。

この曲には、すごくレアな感じがする、小山卓治のコーラスが。こんな形で卓治さんの声が聴けるのも嬉しい。

そして「ウチウのテーマ」。これ、滅茶お洒落でかっこいいな!

ちょっとニューエストモデルを思わせる曲調。好きだな、これも。

そしてラストの「やわらかな時」。

歌詞が、キミとはどうして出逢えた?って言ってる。あははは。いい言葉。

そして渾身の、って感じの演奏とギターソロ。

「オーイェイ」は、「全国の縁のある町やお店の方々」なんだ?すごいね。

最後に、ボーナストラックとして「満月の夕」が入っている。

こういう、サービス精神ってすごくいいと思う。この歌、やっぱ好きだもの。俺もね。

白崎映美さんの声もやっぱ、すごいなあ。河村の声も、負けてないけど。

このパーカッションはすごく、個性的で良い。個性的に躍動的だ。


あ、ほぼ全曲について書いてしまった。

やりすぎか?・・・・・まあいいだろう、ははは。



この「よろこびの歌」は、アマゾンで買えるはず。今は入荷待ちになってるかもしれないけど。

音楽的にも、人間的にも、とても深く、良いアルバム。

僕は今後、何度も何度も聴くだろう。



ぜひぜひ、多くのヒトが聴くべきアルバムであると思う。


それにしても、

トモダチが「表現者」である、というのは実はけっこう凄いことだよな・・・・と時々思うのだ。




河村、「人生初のソロアルバム」完成&発表おめでとう。






オンガクって、やっぱいいよね。


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雨の朝、またラジオに固執してみる

2017-11-18 21:13:52 | Weblog

また「ウィークエンド・サンシャイン」に固執してみた。

2017年の、雨の11月の土曜日。

今日も仕事だったので、トラックで荷降ろし中に ラジカセで録音した。


こういうこと・・・・つまり、ラジオ放送をカセットテープに保存するというようなことを

コセコセやっていて強烈に思うのは・・・・・・「一回性」ということについて、だ。


今日の放送は(基本的には)今日だけのもので、

この時間に、この音楽がこの空間に流れるのは偶然の積み重ねの積み重ねの積み重ねで、

僕がそれを聴く・・・というか、聴くことが出来る、とうことについてもそれはそうで、


それでも、その事に思い当たると、軽く愕然としてしまう。


つまり、

あらゆること、すべてのことが、一回きりしか起こらない・・・のだ


この世界の、この宇宙の中で起こる事象はすべて、一回性のものなのだ。


何だかもう、気が遠くなってしまうような話。


きっと僕は、その「一回性」に、ほんのほんのほんのほんの少しでも抗おうとして

録音などしているのかもしれない。


バンドで楽曲をレコーディングをしてCDを作ったりするのも同じで、


もっと言えば詩を書いて曲を作って「歌」として固定させる行為も、

少し似たところがあるような気がする。


すべての一回性を帯びた日常の中から、

心動かすようなもののカケラを拾い集めてこねくり回して、

自分自身の気に入った形に整えて、

えいっ!と固定して「歌」にする。


気に入ったものが出来ればそれは、

時間の経過にすら抗って僕の中で(もしかしたら君の中で)、

輝きを(それがほんのちょっとの輝きだったとしても)、

輝く事を持続し続ける・・・・・・かもしれない。



とても素敵だ。



こんな日記にしたってね、

そんな側面を持っているかもしれない・・・・と、今書きながら思った。







安易にではなく、言うのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「たかがラジオ、されどラジオ」だぜ。


あの番組(ウィークエンド・サンシャイン)を知ってるヒトなら、共感してくれるのではないだろうか。




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