創作「それはそこにある」

2010-09-29 11:20:48 | Weblog



その男の表情ときたら、

悲劇的なまでに哲学的だった。

いや、

哲学的なまでに悲劇的だったというべきか。


まぁとにかく、

そんな悲壮な雰囲気が漂ってたんだ、

大体はわかるだろう?


それで俺は

哲学なんかもちろん、知ったことではないのだけれど、

偶然ではないにしろ(偶然など、この世のどこにもない。)

久しぶりに会ったのだし、

話をしてみるくらいはいいかなと思ったんだ。

あとから考えると・・・・

まぁそれはそれでいいさ。


それでその男が俺に、何て言ったと思う?

っていうか、何を語ったと思う?


「万物の不死性について」だと。


俺は思わず、尋ねない訳にはいかなかったね。

「あんた、どうかしてるんじゃないのか?」ってさ。


そいつは、暗い眼をしていた。

髪の毛は長くてくしゃくしゃ、

無精髭が少し伸びている。

長い手足、くたびれた、どぶねずみ色のスーツ。


その次に奴は言ったんだ、

「あんたとは友達になれたかも知れないのにな」って。


それ以上に哀しい言葉って、なかなかないと思ったね。


俺はその時の事を決して忘れはしないだろう。

いや、明日にはもう忘れているかもしれないけど。


気がついてみれば

夏なんてとっくに過ぎ去ってしまっていたし、

華やかだった季節のことなんて

俺には知る手がかりもない。


だけど・・・。


とりあえずは、そういうことだ。

今のところ、それがすべて。


それで、俺としては未だに考えあぐねてるんだ。


「万物は不死」なのかどうか。










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我思う

2010-09-27 17:32:47 | Weblog


わかろうとしなければ、何もわからないのは当然だ。

行こうという気がなければ、どこにも着きはしない。

誰一人愛さない者はきっと、誰からも愛されはしない。

プライドという高い壁の中で自分だけを愛するような人は悲しい。

何もかもを自分のせいにして

何も言わずに黙って消えてしまうような人は哀しいけど、

俺はそんな人のことは、愛おしく思う。

生きることは簡単に見えて難しい。

細い糸の上を歩いているような気になることもある。

かと思ったら

大きな”ゆりかご”ごとベルトコンベアーに乗ってるみたいに

自動的に前に進んでいるような気になることもある。

道なんかないところを無理矢理歩いているような

気になるときもあるし、

間違った道を何百キロも進んできてしまったような

気になる時もある。


世界が謎のカタマリのように見える時もあれば

ただの物理法則のなれの果てにしか見えない時もある。


人の世の愛や憎しみは

みんなどこに消えていくのだろうか。


永遠のなかで明滅する「生」。

そのことに意味はなかったけど、

それはそれで全然、よかったのにな。

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無題

2010-09-23 00:14:31 | Weblog


みんながみんな、それぞれの

特に目的もなく生きている。


生きること自体が重荷になってしまうような

羽目に陥ってしまう人もいる。


エントロピーにつけ入る隙を見せてはいけない。


エントロピーってちょと埃に似ていて、

気を抜くとあらゆるところに積もっていって、

そのもの自体を荒廃させるのだ。


腐敗、混沌、無秩序。

エントロピーはそういう荒れ果てたものが好物で、

怠惰の臭いに敏感で、

奴の手は触れたあらゆるものを劣化させてしまう。


ほんの小さな致死の種。

ものごとの悪い面。

別の言い方をすれば、時間そのもの。


エントロピーがあらゆる所に

確実に存在することを我々は

肝に銘じておかなければならない。


でも思うんだけど

生きることに「目的」なんてなくったっていいのだ。


痛烈にそう思う。






世界中すべての「生」に、祝福あれ。







明日は知り合いの葬儀に出席する。







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YEARS(歳月)

2010-09-21 08:35:32 | Weblog

年齢に対する感じ方って、

あまりにも主観的で人それぞれで、

どうしたって相対的なものだ。


つまり、自分より年上の人間は「歳喰った人」で、

年下の人間は「若造」である。

自分勝手極まる。

そしてその年齢差が縮まることは、ない。


思い出すのだが、十代後半の頃我々は、

知り合いの二十代半ばのバンドの人達のことを

「青春終わりかけのヒトたち」って言って笑ってたものだ。


(我々ってのは俺と佐治のことだ。)


いや、「青春」なんてどうでもいいが・・

我々の何と、傲慢だったことか。


しかし俺はあの頃とほとんど変わってなどいないのに

年齢的に言えば、中年真っ只中だ。


初老?・・いや、それにはちょっと早いけどさ。

「青春」みたいなもの(もしくは時期)が俺にもあって、

それがとっくに過ぎ去ってしまったことは理解している。

でも・・当然すぎる事実だが、

若い時だけが人生のすべてではない。


漠然とだが、年寄りになれば自然と「悟り」みたいなものが

誰でも得られるような気がしていた。

だけど全然、そんなことはない。

愚かな年寄りだっていっぱいいるのだ。他人のことはどうだっていいのだけれど。


俺としては・・・世界への興味は増していくばかりだし、

悲しかったことはいつまでもいつまでも、

心の中でわだかまっている。


「年を経る」のは何だか不思議だ。

何にもしないでいても時間は目の前を過ぎ去っていく。

少年や少女もいつかは老人になる。


俺は若かった頃より今の方がずっと幸せだ。


時々・・・

自分がもう若くないことに対して少し、いや

心から

ホッとしたりするのだ。



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マトモ

2010-09-19 20:26:49 | Weblog




知らない人の最近のブログに

俺達が昔やってたバンド「ばるぼら」のことが登場していて、

「クレイジーな音楽だが、やっているのはマトモな人達だった」

・・というよなことが書いてあった。

(褒めてくれてるんだと思うんだけど。)

そうか・・・我々はマトモだったのか。

いや、本当は本当にマトモだと思うのだけれど(ややこしいな)、

でもオンガクがクレイジーならやってる人間も

クレイジーな方がいいかな。どうかな?よくわからないな。

しかし・・マトモじゃいけないのか?

いや・・マトモな方がいいだろう。

俺はマトモでありたい。

マトモなまま、クレイジーな世界を体現出来たら、

それは素敵だ。

何がマトモで何がマトモじゃないか、というのは

本格的に微妙な問題だけど。

でも・・・普通すぎて面白くない、というような人も

確かにいる。

かと思えば

ぶっ飛んでて、どこからどう見てもマトモじゃない・・・

というような人もいる。

俺を前者と思う人はいても、

後者だと思う人はあまりいないのではないか(と思う)。

しかし、それはいいことなのか?

徹底的に「悪」になれる人間なんて、

なかなかいないんじゃないかと思うのだけれど、

だったら俺も意外と、マトモではないのかも知れないよな。

小ぢんまり、淡々と生きてるように見せかけて

実は完全にぶっ飛んでたりしてね。

周りの人間は全然気付いていないだけだった・・・

なんてね。

ありえるかもだぜベイビー・ブルー。




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昔はなかったもの②

2010-09-17 10:01:06 | Weblog


念のため言っておくのだが俺は、

「昔はよかった」などと言いたいわけではない。

どちらかと言えばその逆に近いのだが・・・・

良し悪しの問題ではないのかも知れない。


この「昔はなかった」っていう感覚って

当然ながら世代によって全然違う

俺の親くらいの世代ならTVも「昔はなかった」だし、

(TVなんてなくてもいいんだけどね。)

冷蔵庫もきっとそうだ。

その前の世代まで行くと「電話なんてなかった」・・ってなる。

さらにその前だと電灯・・ってか電気が。

しかもそれはその当時の、まぎれもない現実なのだ。

電気がないって、どんなだろうと思う。

電車もクルマもない・・・となると人々の生活圏は

ずいぶん狭いものになるよね。

ちょと窮屈な気もするが、でもそれが自然なのかな、とも思う。


さて・・・・

「電卓」も、俺が子供の頃は

まだ一般に出回り始めたばかりで、ずいぶん高価だったはず。

俺は、いつか近い未来に「電卓」が普及したら

「算数」という学問はこの世から消えてなくなるのだろうと

本気で思っていた。・・・甘かった。


スポーツドリンクというのもなかった。


そして・・・・

昔はCDがなかったけど

言うまでもなく、レコードとカセットテープの時代だった。

俺はわりとノスタルジックな人間だから

CDよりレコードが好き・・・と言いたいところなのだけれど

やっぱりA 面B面をひっくり返すのは面倒臭かったし、

傷がつくともう取り返しがつかなくなってしまうのは悲しかった。

俺は昔、猫を飼っていたことがあって、

猫がまたレコードにジャレつきたがるのだ。あああ・・。


でもレコードのあの”ジャケットの大きさ”はよかったな。

CDの小さいジャケットとはもう、次元が違う感じ。

アレがあったからROCKはよりアートに接近できたのだと思う。


カセットテープに関しては偏愛的に好きで、

とてもとてもとても好きで、

世間から消えてしまったのは悲しい。うまく言えないけど。


「古着屋」ってのも、昔はなかったものの一つだ、と俺は思う。

いや、実は、歴史的に相当古くからあったはずなのだけれど、

少なくとも俺の生活圏にはなかった。

何でかな・・・きっと、カジュアルではなかったのだ。


俺が初めて古着屋に出会ったのは

1980年代後半の大阪・アメリカ村でのことだった。

古着屋だらけだった。

カッコよくてゾクゾクした。


感激のあまり・・なのか、縁があったのか、

友達の紹介でその古着屋の中の一軒で働くことになる。

デザイン学校にはもう、行くつもりもなかった。


その頃から”自分の憧れ”みたいなものと

”自分の生活”が少しずつ近付いていったような気がする。

「今」が幸せだと思えるようになったのだ。


そういう感覚も俺にとっては、

「昔はなかったもの」だったんだよ。








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コンティニュー

2010-09-15 12:20:49 | Weblog




そして夏は過ぎ、

何ひとつ終わってなどいないことに

突然、俺は気付く。


始まったものは全部が全部、続いていて 何しろ・・

終わりようがないのだ。


哀しみとか喜びとか、

ぜんぶ引きずったままみんな生きている。

死ぬときは抱え込んだまま死ぬのだろう。


そしてすべては灰になる。

でもそうなったとしても、

それが「終わり」を意味するわけではない。


「始まったこと」が延々と堆積していって

遠い未来に世界は飽和するのだろう。


俺は「始める者(STARTER)」だ。


しかしこの砂丘世界においては

どんなものも「砂のお城」でしかない。

重力には勝てやしないのだ、と思う。

それと、時間にも。


さてさて、これは壮大なる「続き」だ。

糸は途切れていないし、

引き継ぐべき心はちゃんと引き継いだ。


我々が獲得した「特別」は、

厳然と今もそこにある。


それこそが「世界」の意味であって欲しい、と

俺は願う。



そうであってください。





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謝辞と、今後のこと

2010-09-14 10:00:27 | Weblog

9月10日のハードレイン、

来てくれたひと達、どうもありがとでした。

「ROCA」は少しの休眠状態を経て

今年の晩秋には甦る予定。

我々は言わば「サナギ」と化すのです。


でもこないだもとても楽しかった。

俺達は何と言うか夜を・・・楽しむために

いろんなことを画策しているようにも思えます。


「楽しめたらそれでいい」ということもないのだけれど、

「楽しめること」

は自分にとって「正しいこと」なのかもな、と

思ったりするし。


夜はふんわりと あらゆる物事を包み込み、

いろんなことを浄化してくれてるのかも知れないし、

経年劣化しつつある心を少しだけ麻痺させてくれる。

我々は失ってしまいがちな「哀しみ」と

「喜び」のために

歌を創ったり、

楽器を鳴らしたりするのです。


きっと

そうでしかないのだ。



それにしても

この先、どんな楽しいことが起こるのでしょう?

俺にはまだ、わかりません。

でも一つだけ確信していることがあってそれは、

我々は最後には全員、

「完全体」になるのだ、ということです。

これはひとつの「予言」でもあるし、

くだらない「たわごと」でもある。


では「完全」とは何か?

・・・それは時々、考えます。


「完全」とは?

「ゼロ」とは?










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明日はとにかく

2010-09-09 21:48:18 | Weblog

明日はとにかく

(都合が良くて来れる人は)

梅田・ハードレインに

ROCAを観に

来てください。

出番は最後だから、

あせらずに来て。

何しろ、

「第二期ROCA」の最後のライヴなのですよ。

思うことはいろいろあるのだけれど

言えることはそれだけ。

あとは、やるだけ。

そんな感じの、九月です。

えーと、

今日の夕方も、

空がすごく綺麗だったよね。

もう何だか手ばなしで

そんな日常に持っていかれちまうのですよ。

それじゃ、

明日ね。


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昔はなかったもの

2010-09-08 18:31:08 | Weblog

昔はなかったモノ。

筆頭にケータイ電話を挙げないわけにはいかないのだけれど、

でもケータイって「便利さ」よりも

「面倒臭さ」の方が勝ったりするよね。そんなことない?

忘れたりとか・・・・・・・・・・・・・・・・。


まあいいや。でも大方の予想ではケータイって

「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊みたいに

腕時計型になるはずだったのにね。

何でそうならなかったのか不思議。


でもケータイのせいで

留守番電話の影が薄くなってしまってるよな。

昔、すごぉく憧れたんだけどな、留守電に。

「はい。カタヤマです。今、居ません」とか入れて。

BGMに異様に凝ったりして。

そういえば俺・・・一人暮らししてた頃、

結局は留守番電話って手に入れたんだろうか?

いまの家にはあるんだけど、スイッチ入れてないな。


昔はなかったモノの続き。

キウイってなかったよな。

そういえば・・・スクーターってのもなかった。

昔はカブしかなかった。(例外的に、モンキーとかゴリラとか。)

特に最近、大排気量スクーターが目につくけど。

でも何でスクーターってみんなデザイン悪いのだろう?

スクーターの元祖的存在のヴェスパや、

大昔の日本のラビットスクーターって恐ろしくセンスいいのに。


あと・・・・・


あれ?

もっとあるんだけどな、

「昔はなかったよな」って思うモノ。


また思い出したら書こうっと。

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